1983年春ごろ、東京12チャンネルが立体テレ
ビの試験放送をやるという話がありました。 そして、立体視するためのメガネをセブンイレブンで売り出したのです。 その立体メガネは左右が赤と青のフィルターになっている初歩的な立体メガネでした。 私は立体テレビというものに大変興味を持ったのでさっそくセブンイレブンで その3Dメガネを買ったのですが、メガネをかけると変身したくなるのは「ジョー90」世代の宿命。 いや、「ウルトラセブン」世代の条件反射。 それまで私はシャンプー仮面を装着して街角ヒーローをやっていたのですが、 3Dメガネの3Dマンもいけるのではないかと考えました。 (12チャンネルの立体テレビは古い立体映画『ゴリラの復讐』を放送してそれっきり) 月日は流れて、映画製作に常に協力してくれていたNTくんと浅草へ 「異色特撮特集オールナイト」(『日本誕生』や『獣人雪男』が上映されたはず)を見に行ったあと、 二人でいろいろ話すうち、貧乏パワーで超能力を発揮するヒーローってのはどうだろう、という話になりました。 「600万ドルの男」ならぬ「6000円の男」というのはどうか、とも。 (実際に私の食費が1ヶ月6000円を下回ったことがあった) その大元には深夜番組「ウソップランド」で怪物ランドがネタにしていた貧乏教の貧乏パワーが影響していたかもしれません。 (バロムIの影響は受けなかった) そこに3Dマンがくっつき、また別の話として考えていた「セブンの恩返し」がくっつき広がっていったものです。 |
もともとは短編シリーズものとして考えていたので
すが、 『MG号力む』の前身だった『決戦!機動要塞LM号』をキャンセルしたNくんに手紙で3Dマンの企画を伝えると 非常に乗り気になって、引っ越しするから一緒に作ろうと言ってくれたのです。 (そのころ私は千葉市、彼は水戸市に住んでいました) ゴジラよりウルトラマンというタイプだったようです。 1985年の春に本当にNくんが千葉県内に引っ越してきて、 二人で企画を煮詰めていくうちにとんでもない長編になりそうだということが見えてきました。 |
スペルマン一休み
そこで『MG号力む』以来ほとんど連絡を取ってい
なかったAくんやMくんに協力をよびかけました。 NTくんも参加という体制で85年春から脚本執筆とその他の根回しが始まりました。 85年の春と言えば、東宝がゴジラストーリーを一般公募した時期でもあり、 「6000円の男」とゴジラストーリーのかけ持ちで苦しんだのを覚えています。 |
仕方がないので、ヒロイン登場シーンを全部後回し
にして撮影を続けました。 (一度決まった女優は、監督命令で降板) しかし、夏はあっという間に終わります。 基本的に「夏」の物語にしたかったので、撮影は翌年に持ち越しとなりました。
が。
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