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ゴジラ50周年
ゴジラ FINAL WARSを 語る掲示板

重要なのは誰が正しいかではなく、何が 正しいかということであるA・L・ハクスレー


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シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) 殿様ギドラ

2005/01/25 18:09


男性 42歳 O型

それでは、「ゴジラ  ファイナル・ウォーズ」について詳述第一弾です。
シナリオと絵コンテで追体験しながら記憶と照らし合わせて考 えています。
しばしば感情的な言葉も使いますが、出来るだけ正確に私の思いを伝えようとすればお上品な言葉だけでは 済まないのでご了承ください。


東宝マークの後に田中・本多・円谷三氏への献辞が入り、ゴジラ生誕50周年記念作品と表示されますが、
ここで「あれ?」と思いました。
それぞれの表示タイミングが妙にせわしないなと思ったのです。(つまり映し出される時間が短い)
シナリオとコンテを確認したら、もともとは「田中友幸・本多猪四郎・円谷英二に捧ぐ」という献辞は考え られていなかったようです。
相当ギリギリになってから押し込められたものと推測します。
映画の仕上がりが見えてきた上でお三方への献辞を入れたのだとするとなんともやりきれません。

さて、ゴジラのテーマ曲をかき消すようにGFWでのゴジラのテーマみたいな音楽が鳴り始め、破壊された 戦車やメーサー車がアップとなりゴ ジラが見得を切っているようなカットになります。
ここでゴジラの足下が爆発するのですが、何がどうして爆発しているのかさっぱりわかりません。
そんなリアリティを無視したイメージ優先の画作りなのはわかります。
しかし、これはゴジラが南極に閉じこめられる様子を見せる、つまりドラマ性のあるシーンです。
ならば爆炎の中に浮かび上がるゴジラという絵柄を見せたいのだとしても、シチュエーションを自然に感じ させるためのリアリティがあったほうが効果的ではないでしょうか。
(ゴジラが身の回りにいる人間の兵器を放射火焔で一掃した、というような)

どうも昔の東映戦隊物のオープニング映像のようなとりあえず爆発しとけ、という発想に見えました。
(戦隊物のオープニングは最初からドラマ性のないイメージ映像なので成立している)

さて旧轟天登場。
轟天スレで さんざん語られていますので、ここではあまり触れません。
コンテですでに砲塔の配列が変えられていて、火薬式の大砲を撃ってます。
どの段階で変更されたんでしょうね。

繰り返しのコメントになりますが、旧轟天対ゴジラにはもっと戦いの流れを感じさせるような展開があった ほうが燃えられたでしょう。
(ゴジラ相手に轟天がいかに戦ったのかを見せてくれ!現状では撃った、撃ち返された、落ちた、地震、氷 山崩してゴジラ埋まる、しかないです。付け加えると南極にも火山性の地震はありうるらしいです)

それからCD-ROMに収録されているコンテでは特撮カットしか描かれておらず、本編カットは空白に なっています。
これではコンテではありません。
特撮と本編の連携を正確にするためにコンテ(コンティニュイティ)が必要なのではありませんか。
コンテ本来の目的はカットごとのレイアウトを定めることではなくてカット同士の繋がりを定めるもので す。(繋がりを考慮した結果として画面上のレイアウトが決まる)
他のシーンもざっとコンテを見てみましたが、本編との連携を指示した部分が非常に少ないです。
CD-ROMに収録するに当たって撮影コンテではなく、準備段階の物を特撮カット中心に抜粋したので しょうか。

ゴジラが埋まった後でGFWのテーマ曲ともいえる音楽(これが安っぽい!)が流れ、資料映像などととも にナレーションによる世界設定の説明になります。
なんとも強引な説明でめまいがしました。
発達しすぎた科学が地球の環境を歪めるとはどういうことか?
論理が解りません。人間の生存にとって害になる環境の変化が起こってしまうのは科学が不完全だからだと いうのが私の認識。
科学が行き過ぎるとはどういう状態なのか。
細かいことに目くじら立てるなと言われそうですが、こういう原則的な論理がきちんと考え抜かれていない シナリオであることが明々白々に示されたオープニングナレーションです。
ここで他作品から怪獣の映像がいくつか使われますが、ガイラが使われるのは少しおかしい。
ガイラは環境の変化で目覚めた怪獣ですか?
そのほかこのナレーションには数々の問題点が含まれていますが、それはストーリーが進むにつれて表面化 していきます。
ここでは最後に高らかに宣言される「地球防衛軍最大の敵、その名は(ゴジラ)」に突っこんでおきましょ う。
冒頭でゴジラは氷の中に封じ込められているではありませんか。
その段階では対怪獣組織M機関はまだありません。(ゴードンの年齢とミュータントが確認され始めた時期 を照らし合わせよ)
M機関結成時にすでにゴジラは当面の脅威ではないのですよ。もちろん、まだゴジラは死んだわけではなく どんなきっかけで復活するかわからないということは言えるでしょう。
しかし、エリアGは厳重に監視されているのでしょう?最大の敵、と言われてもピンと来ませんよ。
しかも、GFWのストーリーは地球防衛軍がゴジラと戦う話ではありません。
タイトル前に大袈裟に宣言するような文章ではないと思いますよ。

また、ナレーションバックの映像にもいくつかコメントしておきます。
ミュータント兵による武富士ダンスはやっぱり変でした。
映画スクリーンの前で群舞しているようにみえます。
これもイメージ映像なのはわかりますが、ここにきちんとミュータントなるものが通常人と何が違うのかを 感じさせる映像を入れるべきでした。
それから旧轟天の線画が映し出されますが、これが元祖轟天とも冒頭の旧轟天とも違っているようです。 (なんだかなぁ)

ナレーションの後でカイル・クーパー氏による鳴り物入りのタイトル映像。
『ゴジラ』テーマ曲を見事に軽々しくアレンジした音楽。(やめてくれーーー)
歴代ゴジラの映像がめまぐるしく切り替わり、ひとつひとつを視認することすら難しい。第一作目からの映 像は比較的わかりやすいですがあとは何がなんだか断片的。
さらに映画のタイトルもスタッフ・出演者のクレジットもほとんど読めない。(ここにSUM41の名前を 出す必要があんの?音楽上のカメオ出演みたいなものでしょう)
映画のオープニングクレジットの役割ってなんですか?
カイル・クーパーなる人物も原理原則を忘れて手法におぼれるタイプだな。(逝って良し)

騒々しいタイトルが終わると新轟天対マ ンダ
海底に見えません。
コンテでは泡の表現にこだわっているのですが、完成映像ではほとんどわかりません。
海底火山にミサイルを発射して激しくマグマを噴出させるわけですが、泡立つ海水という表現が見あたりま せん。
水蒸気爆発とか起こるんじゃないでしょうか?
さらにそのマグマに近づいていってマンダを焼いちゃうわけですが、マグマに突っこんではいませんからマ ンダの周りは摂氏100度を超えてはいないはずです。
周りは海水に満たされているのですから水の沸点を超えているわけがない。
それなのに炎を上げて燃えるマンダ。
いい加減にしろ!
あ、水圧がかかっていますから沸点上昇していてものすごく熱かったのか・・。ってそういうレベルじゃな いだろっ。
細かい点を煮詰めず、ゆるーい思考で作ってしまったように見えました。
シナリオでも海水の存在を意識したト書きはありません。

新轟天の操縦室に海水が噴出してましたが、そこまで浸水しているとなるともう沈没するしかないんじゃな いでしょうか。
全長150メートルもある巨艦ですよ。
外殻のすぐ内側に操縦室があるわけではないでしょうに。

マンダの巻き付き攻撃を振りほどいて一旦離脱してから180度方向転換して再び突撃するところ、回転運 動を起こすエンジンの作動は映像で見せていましたが、
その回転を止める表現がない。
コンテでは描かれているのに、完成作にはない。
もちろんカット割りの流れ上見せなくても成立する場合も考えられますが、実作では180度回ったところ でひとりでに回転が止まったように見えました。
そんな細かい描写を積み重ねることでメカのかっこよさが出るはずなのに、ぜんぜんやってくれない。

またこのシーンでも特撮カットと本編カットの連携を指示するコンテが非常に少ない。
特撮による外部の動きと本編による新轟天内部の動き(芝居)に映像的な連帯がないと新轟天と乗組員に一 体感が出ません。
具体的にどのカットの繋がりが悪かったのかを指摘出来るほど記憶していないので曖昧な言い方になります が、
なにか落ち着きの悪い繋がりがあったように思います。

尾崎が手動でメーサーの狙いをつけるシーン、ミュータントの優れた感覚を示すためにマンダの動きがス ローに見えるというト書きがあるのですが、
完成作ではよくわかりませんでした。
またシナリオではメーサーでマンダが吹っ飛ぶとなっているところが、コンテでは完成作と同様の展開で す。
(ここも理学的に突っこむと、冷凍メーサーがマンダを選択的に凍りつかせるのはなぜか、という疑問あ り)

それから、主役が初めて顔を出すところだからでしょうが、尾崎が顔の装具を外す動作がやけにゆっくりし ていましたね。
間を空けることでタメを作るやり方は基本ではありますが、新轟天対マンダという戦いのさなかではもっと 別の演出法を使うべきだったのではないでしょうか?
尾崎が顔を出す動作によって緊迫感が薄れています。
ここは、あくまでも動作は素早く、しかし、カメラワークで顔が見えるまでのタメを作るべきだったと思い ました。

さて、新轟天に波川から通信が入ります。
ここで注目すべきはすでに目を見開いた演技をしていると思われること。
これはなかなか小技が効いた演出だと思いました。
初見ではその意味に気が付かないわけですが、繰り返し見ればなーるほどと思えるでしょう。(って勘違い だったりして。いつ波川がX星人に入れ替わられたのかストーリー上判然としない)

ただし、この時点で波川がX星人になっていたとするとのちの展開が相当おマヌケになってしまうのだ が・・・。

波川に責められたときのゴードンのリアクションがこの映画のすべてを表しているようです。
新轟天艦長という重責を担った人物とはとても思えない短絡的なセリフを吐くことに私は強い反感を覚えま した。
こんな上司の下では絶対に働きたくない!
口の利き方を知らないク○○キですね、ゴードンは。
GFWという映画全体を貫くのはその感覚。
深慮遠謀とか理知という感覚とは無縁。

この後の諸々でもその都度触れますが、この浅薄な雰囲気が私がGFWを楽しめなかった最大の原因だった ようです。
大雑把な映像や、設定が破綻しているシナリオがつまらなかったのはもちろんですが、ゴードンが嫌い!
尾崎も嫌いなんだなぁ。
みんな軽薄にしか見えなかった。(ゴジラもチンピラだし)
好き嫌いに二極化したとき、GFWが嫌いなのはそこに原因がありそうです。

場面転換してM機関訓練所。
このシーンもわからないんだなぁ。
M機関というのは怪獣と戦うための組織なのでしょう?
そりゃ基礎的な訓練として格闘の技も磨く必要はあるでしょう。兵隊なんだから。
しかし、開巻すぐのいわばM機関紹介ともいうべきシーンになんで長ったらしくめまぐるしいだけのアク ションを入れるかなぁ。
怪獣と戦うときに格闘技が主力になるんでしょうか。
実際、後のエビラ戦でもエビラ相手に組み付いたりはしていないでしょ。
あの戦いも対怪獣戦闘として誉められた物ではありませんが、それを認めたとしても主な訓練は人間同士の 格闘ではないでしょうに。
(航空機や車両を上手く扱う技や砲撃の技を磨くべきじゃないの?)
それから、一旦尾崎が風間にとどめを刺せる体勢になったところを風間が振り払って続行、風間が尾崎を追 いつめたところで熊坂から「それまで」と声がかかります。
なんか変だ。
それなら尾崎が風間の喉元に手刀を構えたときに「それまで」と言わねばならぬでしょう。
風間は尾崎に「なぜためらった?」と訊きます。あったり前でしょう、訓練なんですから。実際風間だって 尾崎にとどめは刺していません。
さっぱりわかりません。
シナリオでは、風間の一瞬の隙を尾崎は突かず、そのために逆転されて喉に手刀を叩き込まれる、となって います。
シナリオのほうが自然な展開ですね。

そしてさらに風間と尾崎の不可思議な優しさ問答。
こんなに意味ありげにやりとりさせるようなセリフでしょうか?
GFWのどこに優しさの価値を訴えるようなドラマがありましたか。
バカみたいに突撃突撃で力押しするだけじゃないですか。
あとでX星人に操られた風間を尾崎が殺さない、という展開がありますが、それもこの優しさ問答なしで十 分成立するでしょう。
敵に操られていることが明白な仲間を殺さず無力化するのは人間として当然のこと。
それとも、殺すのが通常で、あそこで風間を殺さないのは格別に優しい人だけだとでもいうのでしょうか。

熊坂に呼び出されて音無美雪警護の任務を告げられる尾崎。
M機関って中学か高校の部活なんでしょうか。
任務に不満を漏らす尾崎の態度、セリフ回しがどうにもこうにも軽くて軽くて、軍人とは思えません。
上官にあんな軽口を叩ける軍隊組織というのも不自然。
リアリズムは抜きにしても、尾崎の気質には親近感を持ちませんでした。
軍人なら与えられた任務は黙々とこなしやがれっ。
(イリュージョンのように姿を現す音無美雪がどこから現れたのかもさっぱりわからず。クローゼットか何 かに隠れていたのでしょうか?)

引き続いて尾崎と美雪のこッ恥ずかしいいがみ合い。
大昔のラブコメの導入部でしょうか。
尾崎と美雪の関係性にまるでリアリティはありません。
かたや世界的な大発見を研究しにきた大物学者、かたやそれを警護する軍人という関係です。
なんですかあの中学生の会話は。
この映画に出てくる主要人物はガキばっか。
ここでは対面する美雪と尾崎それぞれの背後に交互に切り替わるカメラワークが小うるさかったです。
尾崎と美雪のカミシモ(画面上の右左)は守られていましたが、二人が車を挟んで立っているために車の位 置がカメラが切り替わるたびに逆転していたと思います。
そのために感覚的に画面内で人物配置が変わったような錯覚に陥りました。(ひょっとしたらカメラポジ ションの原則も破られていた??)

もうひとつ、この美雪登場シーンに流れるBGMが破滅的に安っぽい!

尾崎と美雪は防衛博物館へ。
ガイガンの ミイラ登場ですね。
ここでのポイントはM塩基に関する説明でしょう。
神宮寺がかましてくれます。
「人間には4つの塩基しかない」と。
GFWにはシナリオチェック体制がなかったんでしょうか。
DNAには確かに4種の塩基が含まれますが、人間の体全体となると話は別でしょう。
百歩譲って、ここではDNAの話をしているのだ、と解釈してもずーっと後になって統制官との対話に無理 が出てくるんだよなぁ。
(M塩基はX星ではありふれた物質だ、とかなんとか。体内の成分として塩基を考えているフシがある。そ うなるとたった4つであるわけないだろっ)

それからATGCという4つの塩基はそれぞれAとT、GとCが結びつく性質を持っているので二重螺旋を 形成するのですよね?
その二重螺旋がほどけて新たな相手と結びつくことで遺伝情報が複製されていくものだと思っていました。
ではM塩基の結合相手は何塩基?
M塩基と対を為す塩基がなければ情報の複製は出来ないと思われますが?

いやー、まあ、セリフを額面通りに信じれば、決してDNAの話をしているわけではないので問題ないんで すかねぇ。
でもそうなると人間は体液を含めてもATGC4つの塩基しか持ってないのね?
RNAにはU(ウラシル)という塩基があるって。
アンモニアも塩基と言えるんですってよ。

しかしガイガンとミュータントの関係に言及していますからやっぱり遺伝子の話なのかぁ??

私も生物化学系には弱いので偉そうなことは言えませんが、GFWのシナリオが科学的にめちゃくちゃであ ることはわかりました。
フィクションなんだから科学知識の正確さなんかどうでもいいじゃないかとおっしゃる向きもあるかもしれ ません。
しかし、これは全国の劇場で公開し、100万単位の大衆に向けて発信する作品なのです。
誰でも知っている常識なら説明不足でも構わないでしょうし、常識をわざと外した説明をすることによって 観客の世界とは関係ない世界(宇宙?)なのだと主張することになったりするでしょう。
このシーンでの塩基に関する説明は常識的な知識と言えるのか?
逆に観客の多くはよく知らない事実を説明しているのではないのか?
ならば簡潔でも正確なセリフでなければならない。
現状ではDNAの話をしているのかどうかわからない。
そしてDNAの話だとしても塩基が5つだとなると成立しにくい。
大人はともかく、子供はあらゆる瞬間に学習しているのです。子供たちにいい加減な知識を植え付けるよう な行為は慎んでもらいたい。

つづく・・・
601
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) レグルス

2005/01/25 22:59


男性 28歳 A型

殿 様ギドラさんを追いかけながら、
私も感想&弁護して行きたいと思います。

> それからCD-ROMに収録されているコンテでは特撮カットしか描かれておらず、本編カットは空白になっています。
> これではコンテではありません。
> CD-ROMに収録するに当たって撮影コンテではなく、準備段階の物を特撮カット中心に抜粋したのでしょうか。

特撮カット中心に抜粋したのだと思うのですが…。
量が増えるし、本編にはそれほど興味もないだろう、ということで。
単なる推測でしかないのですが。
「ガメラ3」の絵コンテ集でも特撮カットしか載っていなかった、という実例があります。

> 発達しすぎた科学が地球の環境を歪めるとはどういうことか?
> 論理が解りません。人間の生存にとって害になる環境の変化が起こってしまうのは科学が不完全だからだというのが私の認識。
> 科学が行き過ぎるとはどういう状態なのか。

これまでにあったような映画の設定/ナレーションを、表面的になぞったために、
こういうおかしな結果になっているではないでしょうか。

表面的/見た目だけ/格好“良さそうな”画面、というのは、
『GFW』の本質のような気がします。

> ナレーションの後でカイル・クーパー氏による鳴り物入りのタイトル映像。
> 『ゴジラ』テーマ曲を見事に軽々しくアレンジした音楽。(やめてくれーーー)
> 歴代ゴジラの映像がめまぐるしく切り替わり、ひとつひとつを視認することすら難しい。第一作目からの映像は比較的わかりやすいですがあとは何がなんだか断片的。
> さらに映画のタイトルもスタッフ・出演者のクレジットもほとんど読めない。(ここにSUM41の名前を出す必要があんの?音楽上のカメオ出演みたいなものでしょう)
> 映画のオープニングクレジットの役割ってなんですか?

この“オープニング”は、本編とは何の関係もない、
ゴジラの50周年記念として、50年分の怪獣映画を素材につかった
(実際マイナー映画までクーパー氏に渡したのかは不明ですが)
ミュージックビデオですね。

怪獣のスタンスとも共通しているのですが、
どうも『GFW』には構造にメタ的なところがあって、
そのために怪獣や作品の構造が見えなくなっているようです。

たとえば、ミニラは『ゴジラの息子』でのゴジラの子供、という設定と、
『GFW』独自の、巨大化、という設定が混在しています。
視聴者は『ゴジラの息子』の設定を知っている、という前提で、
なおかつ“『GFW』では巨大化、という設定を加えました”
という新設定を(作中で特に説明がないので)作中以外の部分で再構築しなければなりません。

オープニングにしても、本編とは何の関係もない、
独立した映像(まさしくミュージックビデオ)として、
その時だけ思考を切り替えねばなりません。

これは、『初代ゴジラ』をリバイバル上映する時に、
井上誠の『ゴジラ伝説』をオープニングで差し込むみたいなもので、
映画のオープニングとしてはまず“ない”構成といえるでしょう。

ここでおせっかいさんの質問に答えるなら、
このように、『GFW』はふつうのストーリー映画の枠組みには収まらない作品なんです。
(よく言えば)
悪く言えば、たんに映画として破綻しているだけなんですけど(^^;)

否定するだけならそれで終われるのですが、
肯定しようとすると、そういう“映画とはもっと幅広いものだ”、
という視点から弁護しないと論理が構築できないんです。

> それから旧轟天の線画が映し出されますが、これが元祖轟天とも冒頭の旧轟天とも違っているようです。(なんだかなぁ)

模型製作用の図面を流用したんでしょうねぇ…。
それも後から変更があったのに、
わざわざそのために修正&クリンナップするのが面倒なので、
当初の図面をそのまま使った、というように思います。

> コンテでは泡の表現にこだわっているのですが、完成映像ではほとんどわかりません。

作業の物量に追われてディテールを廃棄したんでしょうねぇ…。
せめて『GMMG』を作るのをよして2年かけるとか、
制作日数のことも考えれば良かったのに…。

> 細かい点を煮詰めず、ゆるーい思考で作ってしまったように見えました。

理屈じゃなく、イメージだけなんですよね…。
視聴者には理屈を感じさせずに豊かなイメージを抱かせ、
しかし制作者はしっかりとした土台(理論)を構築する、
というのが優れたSF(というより全ての創作において)というものなんですが…。

> (ここも理学的に突っこむと、冷凍メーサーがマンダを選択的に凍りつかせるのはなぜか、という疑問あり)

これ、私は『海底軍艦』でも感じたのですが…。
冷凍砲の斜線軸上の海水ごと凍っていたようには見えませんでした。
マンダの周囲の岩は凍っていたみたいですが。

逆にメーサーのほうが、複数点から照射して、
対象物の位置で焦点を合わせることでターゲットだけ凍らせる事が可能のように思います。
が、まあメーサーで凍るのか、というのはさておいても、
そこまで考えてないであろうことは言わずもがなでしょう…。

> (って勘違いだったりして。いつ波川がX星人に入れ替わられたのかストーリー上判然としない)
>
> ただし、この時点で波川がX星人になっていたとするとのちの展開が相当おマヌケになってしまうのだが・・・。

撮影順序がバラバラだったので、監督がそこまで説明してなかったんじゃ…(^^;)
私は、波川がX星人に入れ替わったのは、
事務総長がX星人になって帰ってきてから~尾崎が報告に行くまでの間のどこか
だと思っています。

> 大雑把な映像や、設定が破綻しているシナリオがつまらなかったのはもちろんですが、ゴードンが嫌い!
> 尾崎も嫌いなんだなぁ。
> みんな軽薄にしか見えなかった。(ゴジラもチンピラだし)
> 好き嫌いに二極化したとき、GFWが嫌いなのはそこに原因がありそうです。

他のサイトとか見ていても、
ゴードンの好き嫌いが作品の好き嫌いとシンクロしているようですね。
ちなみに私はゴードン好きです(^^;)

> 風間は尾崎に「なぜためらった?」と訊きます。あったり前でしょう、訓練なんですから。実際風間だって尾崎にとどめは刺していません。

確かにヘンに感じますが、
上官の指令で「殺す気でやれ」とか
(滅茶苦茶なこと)言われてたのかもしれませんし(^^;)

> 熊坂に呼び出されて音無美雪警護の任務を告げられる尾崎。
> M機関って中学か高校の部活なんでしょうか。
> 任務に不満を漏らす尾崎の態度、セリフ回しがどうにもこうにも軽くて軽くて、軍人とは思えません。
> 上官にあんな軽口を叩ける軍隊組織というのも不自然。

特にその前の訓練の時のクールなシチュエーションがあるので、
ここは「あれ?」と思いますよね。
M機関というもののカラーが視聴者に分かりません。

このへんも、「ギャグや、おちゃらけた軽いノリ、笑いも映画には必要だろう」
というくらいの感覚で入れているだけ、という気がします。
(でも嫌いじゃない、というのが困ったもんですが>私)

> ではM塩基の結合相手は何塩基?
> M塩基と対を為す塩基がなければ情報の複製は出来ないと思われますが?

高校の生物で習いましたね(中学でもやったかな?)。
なので高校生以上なら確実にひっかかる部分だと思います。
M塩基はM塩基とペアになるのだ、と超強引に解釈できなくはないですが、
これも今頭をひねって、ひねり出した案です。
(とても観ている最中に思い浮かびません)
602
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) おせっかい

2005/01/25 23:22


男性 10歳以下

じ つはこういった問題にはぼくは全くコメントできません。
この映画がつまらないのは、矛盾があるからではないと思うからです。
本当と思わせるまとまった世界観自体がないのに、矛盾があるとかないとか言ってもむなしく思いま す。

ぼく個人としては、設定に矛盾があるのはフィクションとしては、それ自体はほとんど問題にならない と思っています。矛盾があるかどうかでなく、もっともな部分がどのくらいあるかが問題だと思いま す。

別に人形の裏に黒衣がいてもいいじゃにですか。要は文楽人形が芝居をしているかどうかです。

つ まり、ぼくの立場では、M塩基の(これは文脈から明らかに核酸の塩基ですよ。遺伝子に関わる文脈で 出てきていますし、なにしろ現代科学のセントラルドグマ の一つですからね。それに、酸アルカリという文脈で言うときにはアルカリと表記します。それも、 DNAのドグマがあまりに強いからでしょう)設定に矛盾が あるかどうかでなく、その設定が物語全体の世界観を作るのを助けたか、妨げたかでしょう。

ぼくには、この設定の不自然さを問題にする必要があるほどちゃんとした作品には見えません。問題は 他にあります。
608
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) KJ

2005/01/26 17:36


男性 37歳 B型

> この映画がつまらないのは、矛盾があるからではないと思うからです。
> 本当と思わせるまとまった世界観自体がないのに、矛盾があるとかないとか言ってもむなしく思います。
>
> ぼく個人としては、設定に矛盾があるのはフィクションとしては、それ自体はほとんど問題にならないと思っています。矛盾があるかどうかでなく、もっともな部分がどのくらい あるかが問題だと思います。
>
> 別に人形の裏に黒衣がいてもいいじゃにですか。要は文楽人形が芝居をしているかどうかです。
>
その設定が物語全体の世界観を作るのを助けたか、妨げたかでしょう。
>
> ぼくには、この設定の不自然さを問題にする必要があるほどちゃんとした作品には見えません。問題は他にあります。

まさにっ、まさにその通り!!! 
映画は嘘でいい、しかし下手な嘘がだらだらと続くのは見苦しいだけ。
613
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) 殿様ギドラ

2005/01/26 17:54


男性 42歳 O型

> レグルスさん
丁寧なレスに感謝します。
絵コンテの件、もちろんある程度の抜粋だとは思います。
特撮がないシーンは割愛されているようです。
実際にCD-ROMをご覧になるとわかると思いますが、特撮カット限定で抜粋したために特撮カット しか描かれていないとは思えない部分もあるんです。
本編班と特撮班の連携の悪さがかいま見えるような・・・。

GFWには確かに、劇中での認識と現実世界での認識をごちゃまぜにしているような部分があります ね。
タイトル部分が内容から遊離していて別物として感知せざるを得ないというのも同意です。

問題は、そこになんらかの芸術的な価値が生まれているのかどうかというところでしょう。
いまのところ私には価値が見えないのですが、GFWをよしとする方からのご意見もうかがって考えて いきたいと思っています。

『海底軍艦』での冷線砲も、海中で使用する様子に不審な点はありますね。
冷線砲の射線上にある海水がどうして凍らないのか、と。
そこにもっと現象として何が起こっているのかがわかるような描写があったほうが良かったですね。
それでもラストでムーを爆破した後、追撃してきたムーの潜航艦に冷線砲を浴びせると、周囲の海水も 一緒に凍り付いていく描写があります。
GFWではまったくマンダしか凍っていないので、どうも感覚的に変だぞ、と。
(メーザーなら焦点を変えられるんじゃないかという説は私もありかな、と思います。でもやっぱり メーザーじゃ凍らないだろーな。と、敢えて劇中の呼称ではなく「メーザー」と書いてみる)

>波川がX星人に入れ替わったのは、
>事務総長がX星人になって帰ってきてから~尾崎が報告に行くまでの間のどこか
私も最初に見たときはそう思ったんです。
ずいぶん大事なことを端折っちゃったな、と。
この件、今後の投稿予定原稿でもう少し突っこんでますので。

やはり問題はゴードンか・・・。
最初に2回見た後で、何がこんなに不愉快なんだろうとあれこれ考えていくうちに、ああっ、おれって ゴードンが嫌いなんだっと気づきました。
他の方々はどうなんでしょうね。

>おせっかいさん
何か誤解していらっしゃるご様子。
設定のおかしなところをつつけばそれですべてが見えるだなんて私も思ってませんよ。
しかし、ディティールの積み重ねが全体像を作るのですから、細かい矛盾点も無視は出来ません。

M塩基、決して遺伝子について言及しているときに提示されるわけではありませんから、文脈上も変 だったのです。

今回始めた私の連載ではGFWという映画について感じたこと思ったことを洗いざらい表明するという 作業をやっています。
そこではディティールの話もしますし、全体像の話もします。
私の連載にコメントできなくも構いませんので、ご自分のやり方でGFWという作品を語ってくださ い。
619
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) ルー等級つつ大臣

2005/01/26 23:02




ギ ドラ氏いつもながら前半の段階ですが見事な作品検証であります。
絵コンテの件は特撮部分のみの抜粋だとは思いますし大抵の特撮本に収録されてるのはこのような抜粋 でのが多いです。
さてシナリオにも言及してますが脚本家がいつものあの人ですからこういった科学的なことに関しては 提示したのはいいけど具体的な描写はほとんどありません。
前 作にしても・・・。こういった擬似科学に関してはきちんと説明も勿論ですがそれに説得力を与える描 写がなければならないというのに皆無なんですか ら・・・。おまけにDNAや塩基のことに関しても科学者のレクチャーを受けるべきなのに(数式から 何から・・・。本多監督は「ゴラス」の時は大学に通って レクチャーを受け勉強した。今回のとは雲泥の差だ)その形跡すら無く思い込みだけででっちあげてる ので何の意味もありませんよね。それにこの問題は映画が 進行するにつけて次第に表面化してくるのが素人にも判明してきます。冒頭での南極のゴジラと防衛軍 とのバトルもいきなり残骸と化したメーサーとゴジラとの カットバックでここまでの経緯の描写が皆無なので監督のいい加減さが目にみえます。轟天の件も同じ です。
621
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) ルー等級つつ大臣

2005/01/26 23:31




続 きです。
一時が万事こん な具合ですので特撮映像にパワー(私はこの点に関しては否定はしません。しかし特撮描写の出鱈目さ には駄目というしかない・・・。)があれど何の説得力も ありません。続けてあのミュータント兵士のダンスをオープニングに出すのはやはり「この監督何か勘 違いしてるんじゃないのか?」と思いました。ここはやは り地球防衛軍の誕生の経緯や新たなる轟天の建造シーンをビジュアルで描写すべきだったでしょうね。
科学が行き詰まった云々のナレーションもまたそれにまつわる描写も何もないためかギドラ氏の意見も もっともだと思います。
登 場人物の描写にしても理性的なものがないためかナミカワとゴードンのやり取りが幼稚なものとなって ます。これは登場人物全員についても言えてることで ミュータント兵士の訓練にしても怪獣相手にも関わらず格闘アクション訓練とは・・・。普通あそこで は武器や兵器の訓練をするんじゃないの?まとりくすやっ てどうするの?意味ないんじゃないの?
とにかくシナリオの段階で支離滅裂なことがわかりました。続けてのギドラ氏の考察に期待します。三 村氏のシナリオは要素が多すぎてコンセプトを生かしてないですね。前作にしてもVSものにしても。
623
Re:シナリオ・絵コンテを読みながら(その1) 殿様ギドラ

2005/01/27 11:05


男性 42歳 O型

ど もども。
ルー等級つつ大臣さん、これから第二弾も投稿しますのでどうぞよろしく。

映画を最後まで詳述したら、全体像の総括をしたいと思ってます。


624
シナリオ・絵コンテを読みながら (その2) 殿様ギドラ

2005/01/27 11:15


男性 42歳 O型

博 物館のシーンから唐突に醍醐と杏奈の対談になります。
このシーン切り替えには工夫がなさ過ぎでしょう。
結果、いったい杏奈がどこにいるのかさっぱりわかりません。(場所を示す字幕があ りましたっけ?)
これはセットデザインや演出にも責任がありそうです。
シナリオではテレビ局のスタジオということになっていますが、スタッフの姿はなく テレビカメラの気配もない。
がらーんとした空間に大スクリーンがあり、鉄骨の枠があるだけ。
杏奈も真っ暗闇を背負い黒い服を着て座っている。
寒々とした空間から何を感じればいいのか。少なくともテレビ局のスタジオだとは感 じられない。
ここで醍醐が日本人初の国連事務総長になったことが語られますが、そういえば、 GFWの世界では国連本部が日本にあるらしいですね。
これもなんにも説明がないので、実に落ち着かない気分でした。
現実社会と違っている事柄は観客にわかりやすく示す必要があるでしょう。
その後に出てくる架空の場所がどんな位置関係なのかもほとんどわかりませんでし た。

醍醐と杏奈の対談から再び博物館へと場面が変わります。
とくに時間経過を示すようなカットはありません。
このつなぎ方では、博物館でのやりとりと杏奈のインタビューが時間的に平行して行 われていることという印象になります。
同じように時間経過を感じさせることなく今度は博物館から醍醐の乗るジェット機へ と場面が変わるのは不器用すぎます。
時間空間の感覚が自然に繋がっていかないのです。
このようなシーンつなぎが多いために、全体としても出来事の推移を流れに沿って見 せていっているのではなく、ハイライトだけをつまんで繋いでいる印象になっている のです。

さて小美人登場の博物館に話を戻します。
資料写真からガイガンとモスラの関係に気がつ いたところで小美人からのテレパシーが伝わってくるのはいいでしょう。
ここで1万2000年前にガイガンが破壊の限りを尽くしたという説明があります が、これがなんのことやらわかりません。
ガイガンは何を壊したのでしょう?
当時は未だ機械文明はなく、X星人が地球人のミトコンドリアを欲しいならいくらで も手に入ったのではないでしょうか?
この1万2000年前の出来事に関する説明が最後までまったくないのです。
これでは納得できません。
ムー帝国が実在していて、1万2000年前にはムー対X星人の戦いがあったのだと いうことならまだ納得しやすいけれど。
あとで出てくる説明には地球人とX星人の混血児がいるという話もあり、重要なこと を伏せるのもいい加減にしろってなもんです。
(『三大怪獣地球最大の決戦』で金星人と地球人が交わったという設定があるので安 易に真似したんでしょうね。状況が全然違う!)

またGFWにおいても小美人は「東京SOS」と同じように条件つきで主人公たちの 味方をする宣言。
「自分がどんな存在であるか自分で決めることが出来る」とご託宣を下して、お守り もくれちゃう。
予知能力があるんですな、この小美人は。
『三大怪獣地球最大の決戦』でラドンは今どこにいるかと訊かれ、むっとして「テレ パシーは予言ではありません。何も答えられません」と言った小美人とはエライ違い だ。
そのくせ、このシーンの後、モスラ出撃までまったくストーリーに絡んでこない小美 人というのもすごい。
小美人とモスラを便利に使いすぎですよ。

醍醐がラ ドンに襲われるシーンそのものはよかったんじゃないで しょうか。
画面手前を黒い影が飛びすぎて鳴き声だけが聞こえる。
しかし、ずーっとあとで実は醍醐は生きていたというのがわかるわけですから、少し は伏線があったほうがいいでしょう。
(それを言えば、X星人が醍醐や波川、国木田を生かしておいた理由がわからない)

このジェット機爆発の後、唐突にニューヨークのシーンになるのはつなぎとしては悪 くないです。
ジェット機爆発というショッキングなシーンを断ち切ってまったく関係ないシーンに 繋ぎ、ストーリーを別のラインに広げるというのは映画の常套手段、と思ったらこの ニューヨークにラドンが出てきちゃうんだよなぁ。
タメがなさ過ぎ!
X星人が何らかの陰謀のためにラドンを使って国連事務総長搭乗機を自ら操る怪獣で 破壊するというのはいいのです。
が、すぐあとにラドンの大暴れを持ってくるなら、防衛軍が事務総長の飛行機がどう なったのかわからないとうろたえる様子はいらないでしょう。
最初から、突如出現したラドンにジェット機が破壊されたことを把握していていいで しょう。
そのほうが、あとでX星人の宇宙船から偽醍醐が出てきて「X星人に助けられた」と いうセリフが生きるはずです。

ラドンがらみでシナリオと完成作との違いを見ると、まずシナリオではニューヨーク でのギャングと警官のコントが不必要に長いです。
完成作程度の長さで十分。とはいえ、どうせ怪獣出現前に挿入するならもっと人間の 息吹を感じるシーンに出来なかったものかと思います。
ギャングも警官も見ているホームレスも芝居が軽くて実在の人物には見えません。 (いくらおふざけのシーンでも銃を構え合っている人間の緊張感ぐらいは感じさせ よ)

それからニューヨークから防衛軍の指令室に場面が移る前に、研究室での尾崎と美雪 のやりとりがシナリオにはありました。
完成作ではカットされているシーンですが、これはカットして正解。
シナリオのようにどんな局面にもいちいち尾崎が顔を出すと、なにもかもが尾崎の目 の前でしか起こっていない感じになって、ストーリーの広がりをそぐ結果になりま す。
(とはいうものの、映画全体を考えると結局広がりは出せていない)

指 令室での混乱の様子を見せてから怪獣たちの大暴れになり ます。
怪獣のシーンについては各個のスレッドでおおむね意見を出してありますので、ここ で詳しくは書かなくてもいいでしょう。
まだ書いていなかったこととしてはシドニー、上海、沖縄、パリ、ニューヨーク、ア リゾナなどなど場所が矢継ぎ早に切り替わるわけですが、テレビ中継を見ている人を 介して場面転換しているところはまだしも、
それ以外の切り替えが非常にわかりにくかった。
あちこちに同時に怪獣が現れたことで起こっている混乱状態を映像構成からも伝えよ うという意図があるのではないかと推測しましたが、
つぎつぎと怪獣が現れていることは伝わりましたが、「あちこち」かどうか感覚的に わかりにくかったです。
とくにシドニーから上海のへの切り替えに工夫がなさ過ぎたのではないでしょうか。

また上海でのア ンギラス、あんまり大きく見えませんでした。
実景と合成しているところはいいのですが、ミニチュアセットの中にいるカットがい まいち。
ひとつ気がついたのは、ビルの向こうにアンギラスがいるカットでアンギラスにピン トが合っているのにビルがぼけているものがありました。
現実に巨大なアンギラスが暴れている様子を撮影したなら、アンギラスとビル両方に ピントが合っていてしかるべきカットだったと思います。
それが、わずかに手前にあるビルがぼけているために、小さい物を近距離から撮影し たように見えていました。

それから、怪獣の人形で遊んでいる子供が「本物のアンギラスだ!」と歓声をあげる ところ、GFWの世界設定を感じるべきシーンだと思うのですが、
どう受け止めるべきか釈然としません。
子供が怪獣の人形で遊んでいることから人間たちは怪獣をある程度親しみを持って受 け止めているのでしょうか?
子供のオモチャとして世界の脅威である怪獣の人形を売り出しているわけですね。
怪獣が珍しくない世界なのだというのはわかりますが、怪獣と人類の距離感がいまい ちよくわかりませんでした。

またここはシナリオではアリゾナのクモンガから映像的 なしりとり(虫の蜘蛛、クモンガ、クモンガの人形、アンギラス人形、テレビに映る 本物のアンギラス)になっているのですが、
完成作ではその連携がばっさりなくなっています。
結果、トレーラーハウスがクモンガに襲われるシーンに全く意味が無くなってしまい ました。
(カメの人形を暖炉に放り込むというのも悪趣味な演出ですね)

さて空中戦艦が出撃して怪獣に攻撃を加え始めたところで、唐突に富士山のミニラになります。
ここの繋がり、なんとかならなかったのでしょうか?
シナリオでも完成作と変わりはありません。
尺を縮めるために編集で不自然なつなぎになってしまったわけではないのです。
世界で怪獣が大暴れ、人間と怪獣の戦いが始まったところにまったく何の関係もない ミニラと猟師がいきなり挿入されるのです。
ミニラの出現はX星人とも無関係なのですから、最初に見たときは、人間対怪獣の戦 いをバックグラウンドにしてしばらくはミニラと猟師のストーリーに転換するのか な、と思いました。
ところが、ミニラが猟師と会いました(子供が撃つなと猟師を止めるくだりありー の)という事実だけ提示して再び怪獣対人類に戻るのです。

怪獣軍団と空中戦艦の戦いは前半の大きな山場ではないのでしょうか?
その対決の流れを断ち切って、ミニラ登場を挿入するセンスが理解できません。
この構成のために怪獣対空中戦艦の緊張感が消し飛んでいます。

(ま あ、空中戦艦も丁寧に描写されているわけではありませんから、もともと山場とは認 識されていなかったということか。何の作戦もなく市街地で火砲撃ちまくり だもんな。また、絵コンテでは空中戦艦の動きに対する怪獣のリアクションや逆に怪 獣に対する乗組員のリアクションなどが描かれていますが、完成作にはほと んど生かされず)

空中戦艦のことで付け加えると、乗組員がまったく軍人に見えません。
『マッドマックス2』に出てきた荒くれ者集団みたいでしたな。

そしてエ ビラ対M機関。
えーと確かエビラに対して戦車隊が攻撃していたと覚えています。
そこへM機関到着でわけのわからない戦いに突入。
ほんとにわからないんです。
よその都市では空中戦艦一隻で出現した怪獣に立ち向かっているわけですが、日本に 現れたエビラには戦車と四駆の車が何台か立ち向かっているようです。
新轟天が日本の担当だったと解釈すれば、新轟天が修理中だから出てこられないとい うのはわかります。
(ぐあああ、しかし、ノルマンディ沖に遠征しているなぁ、新轟天。それならエビラ に攻撃するための対怪獣戦艦を呼び寄せるというのもありなんじゃないんでしょう か。ん、全世界に新轟天を含めて4隻しか対怪獣戦艦がない??)
えーと、そもそも尾崎が美雪の警護を命ぜられたとき、新轟天はドック入りだからヒ マだろう、と言われています。
尾崎が乗り込むべき対怪獣兵器が使えない状態だから怪獣との戦いに当たれない、だ からヒマなのでしょう?

それがどういうわけか、日本のエビラに対してだけはミュータントくんたちが銃を 持って白兵戦。
とくに説明はされていませんが、火龍だのランプリングだのに乗り組んでいるのも ミュータント兵なのでしょ。冒頭のナレーションを信じれば世界各地でミュータント が確認され、対怪獣部隊としてM機関を創設したことになってます。
怪獣と戦っているのはミュータントであると解釈して間違いないでしょう。
どうして日本のM機関だけがまともな兵器を使わず、徒手空拳に近い状態でエビラに 立ち向かうのか????

そして特撮で描かれるエビラと本編での防衛軍が別撮り丸出し。
エビラの動きと地上のリアクションになんら関連性を感じられない。
地上では廃墟のような建物のあちこちで原因不明の爆発がぼんぼん起こり、防衛軍の 車両が何を血迷ったか物陰から突っこんできてひっくり返る。
(エビラにはじき飛ばされたというような描写はない)
CD-ROMに収録されている絵コンテにはなんとこのエビラ対M機関がありませ ん。
これは一体どういうことか。
そりゃ、撮影に当たっては絵コンテか字コンテを作って臨んだはずです。
が、特撮シーンをまとめたと思われる絵コンテ集にエビラ対防衛軍が見あたらないと は。
周到な準備をしたとは思えません。
これでは特撮と本編の連携がめちゃくちゃでもしょうがない。
正直信じられないです。なんでこんなことになってしまったのか。
怪獣と人間の戦いを描くシーンとしてはもっともコンテが重要になるシーンではあり ませんか。

ミュータント兵がプロモビデオのような決めポーズを取るのもウザかったけれど、そ れ以上に1シーンとしてのまとまりのなさに頭が痛くなりました。
(それと、ミュータント兵って飛行出来るのね。赤影かっ)

ダメダメです。

さてエビラが消失し、他の怪獣も次々と消えていきます。
シナリオではシドニーのジ ラが消えるシーンにだらだらと二人組の小芝居を作ってい ます。これが完成作ではアレンジされてジラ大暴れに挿入されています。
完成作のやり方で正解だと思いました。
シナリオのままでは怪獣がどんどん消えていくテンポが失われます。
エビラが消えるところでそれを見た防衛軍というシーンを作っているのですから、似 たような繰り返しはいりません。

つづく
628
Re:シナリオ・絵コンテ を読みながら(その2) レグルス

2005/01/27 21:23


男性 28歳 A型

> 博物館のシーンから唐突に醍醐と杏奈の対談になります。

> シナリオではテレビ局のスタジオということになっていますが、スタッフの姿はなくテレビカメラの気配もない。

せめてバックにテレビカメラは必須ですよね。
テレビ電話を持っている大金持ちかと思ってしまいますよ(^^;)

> 時間空間の感覚が自然に繋がっていかないのです。
> このようなシーンつなぎが多いために、全体としても出来事の推移を流れに沿って見せていっているのではなく、ハイライトだけをつまんで繋いでいる印象になっているのです。

よく言えば、背景にベースとなる物語がある、ということですが……。
私が前に書いたように、
3倍の長さのTVシリーズをハイライトで映画1本にした、
というような。
でもそれは“TVシリーズ”を見た人しか分からない編集のしかたです。
TVシリーズ(元)が存在しない『GFW』では成立しえない編集方法であ るのは
言うまでもないですね。

同じ“総集編”でも、初代ガンダムを見ろ、といいたいです。
映画版の1、2、3はそれぞれ約13話ぶんを2時間にしっかりとまとめて います。

> ここで1万2000年前にガイガンが破壊の限りを尽くしたという説明がありますが、これがなんのことやらわかりません。
> ガイガンは何を壊したのでしょう?

自然環境では?(^^;)
『VSモスラ』ではそんな感じで説明してませんでしたっけ?
まあこれも説明不足といえばそれまでですが。

> 子供のオモチャとして世界の脅威である怪獣の人形を売り出しているわけですね。
> 怪獣が珍しくない世界なのだというのはわかりますが、怪獣と人類の距離感がいまいちよくわかりませんでした。

ここにも『GFW』のねじれたメタ構造が……。

人類の脅威である怪獣を、親しみを持って子供が玩具として遊ぶでしょう か?
あの状況は、“映画に出てくる怪獣の玩具”で遊ぶ子供、
というシーンにしか見えません。

しかし、子供は映画の中だけの存在である筈の怪獣が実際に現れた、
という類の驚きはしていません。
(このへんが“ねじれた”という所以です)

ということは作中において怪獣が実際に存在することは周知であると思われ ます。

70年代ゴジラのように、怪獣が怪獣ランドに飼われている、
というような世界観なら分かりますが、
人類の敵として設定されているわけですからね…。

私たちの世界のこどもたちがライオンや熊の玩具で遊ぶようなものだ、
と言われればそれまでかもしれませんが…。
それよりも大東亜戦争中に、日本のこどもがGIジョーで遊ぶ、
(当時GIジョーがあったかは知りませんが、喩えとして)
というような類の違和感を感じざるを得ません。

> 世界で怪獣が大暴れ、人間と怪獣の戦いが始まったところにまったく何の関係もないミニ
ラと猟師がいきなり挿入されるのです。

この編集方法だと、世界各地に現れた怪獣の一匹としてミニラが現れた、
すなわちミニラもX星人の刺客の一匹である、と捉えざるをえないですよ ね。

視聴者にミニラが善玉ではなく悪玉だと思わせるミスディレクションと思う のですが、
それにしてはミニラの設定がゴジラの息子だとか善玉だ、ということに
対する描写がないのでまったくの空振りになっています。

最初は暴れるが、それは猟師に鉄砲を向けられて怯えて正当防衛しただけ、
とかいう演出があるならそれも活きていたのでしょうが…。

> どうして日本のM機関だけがまともな兵器を使わず、徒手空拳に近い状態でエビラに立ち向かうのか????

ジラやキングシーサーには何も手が打てなかったと思いますが?
(ちょっと記憶が定かではないのですが)
やはり新轟天号を含めて4艦しか戦艦はなく、
今回のような同時多発怪獣出現は対応範囲外だったので、
やむなく肉弾戦、ということになったのではないでしょうか?

まあ航空機やミサイル、戦車の出番が先にある筈だと思うのですが…。

> そして特撮で描かれるエビラと本編での防衛軍が別撮り丸出し。
> エビラの動きと地上のリアクションになんら関連性を感じられない。

これ、私はほとんど気にならなかったんですよね…。
やはり私はアホなんでしょうか…?(^^;)

この場合も、特撮と本編をつなぐカットをカットした、
と考えられなくはないのですが、
どちらにしても編集方法(カットする部分)が間違っていることは否めない ですね。

全然関係ないカットをつなぐことで関連性を生み出す、
という編集手法もあることはありますが、
いちから作る新作映画でそれをやる意味はまず考えられませんし。

それとも撮影が終わっている、全く違う内容の作品を、
強引に編集でこういうカタチにまとめたとか?

時間がないから怪獣の襲撃シーンだけプランもないまま適当に撮って、
ミニチュアを手前に合成したから意味不明な爆発が多々あるのか?

んなわきゃないか……。
でも完全に否定できない仕上がりなのが怖い(^^;)

> ミュータント兵がプロモビデオのような決めポーズを取るのもウザかったけれど、

意味なし決めポーズは北村監督の得意技です。
「スカイハイ劇場版」の音声解説でも
「これ、意味ないんだけど格好良いから」
とかいうような話が聞けます。
私は割と好きですが(^^;)
636
再編集映画について… Lans

2005/01/28 01:51




>再編集について
すいませんが、ちょっと脱線して…

みなさんはご存知でしょうか?
戦争映画の名作と呼ばれている「Uボート」…
実は、あれTVシリーズがあるんです。

つまり映画版…実は再編集版…
本当に素晴らしい再編集とは、あーいうモノを言うのではないかと…
(さて、あの映画を見た人の、いったい何人が再編集モノだと思ったでしょ う?)
(ガンダムさえも足元におよばぬ編集の妙です)

ちなみにUボート、ついにDVD化されました。
ちと値は張りますがコンプリートBOXでは
・当時公開版(120分前後)
・再々編集版(200分前後)=バラ売りあり
・TVシリーズ(確か全6話)=バラ売りあり
がセットされています。

興味のある方はどうぞ…
潜水艦描写の最高峰が見れますぞ。
(ちなみに、演出としての嘘も見事です…特撮もすごいものです)
(GFW轟天は足元に及びません…)
(この映画、既に24年前の映画ですよ…しかもTV…)

(さて…ローレライはどこまで出来るでしょうか?)
640
Re:再編集映画につい て… 殿様ギドラ

2005/01/28 11:57


男性 42歳 O型

>レグルスさん

毎度ながら丁寧なレスに感謝いたします。

ストーリー性というのは論理的な物ですから、感覚的に繋がっていなくても 理性で繋がりを判断することは出来るんですよね。
感覚的な繋がりにほとんど配慮していないGFWを見ながらでもどうにか話 の繋がりを追いかけることは出来ます。
ストーリーの意味を考えながら見るからですね。
対エビラ戦で映像構成がうまくいっていなくて特撮カットと本編カットの連 携がよくわからなくても、銃を構えた人物を見ると何に対して銃を構えてい るのか?と考えますから、
かろうじてエビラと対峙しているんだな、と判断できます。

そんな風に理性で考えさせるところがすごく多いんです。
シドニーのジラから上海のアンギラスへ転換するところも感覚的に場所が切 り替わったことがすごくわかりにくかった。
映っている怪獣や町並みを視認して初めて場所が変わったことに気が付く感 じです。

子供が怪獣の人形で遊ぶシーンの「ねじれ具合」。
>あの状況は、“映画に出てくる怪獣の玩具”で遊ぶ子供、
>というシーンにしか見えません。

私にもそう見えました。
そんな演出になんらかの心を動かす役割があったのかどうか・・・・。

ミニラ登場シーン、せめてミニラが暴れていれば(X星人とは関係なく、誤 解が元で暴れたことがあとでわかればいい)映画の流れを阻害することは少 なかったでしょうね。

派手なシーンが続いて、いわばテンションが上がったところにいきなり牧歌 的なシーンとなり、落ち着くまもなく再びハイテンションなシーンに戻って しまうというのは怪獣対人類のシーンにもミニラ初登場のシーンにも損な構 成です。

そして、やはり対怪獣戦艦は全世界に4隻しかなかったのだと考えるしかな いんでしょうね。
キングシーサーやジラに対して人類が攻撃を仕掛けている描写はなかったで す。

でもやっぱりわからないですよね。
エビラには戦車が立ち向かっていたわけで、戦車はもちろん戦闘機の存在っ てないんでしょうか。

対エビラ戦での映像構成が気にならないというのもわからないではないで す。
CM的なカット繋がりをあまり配慮しない編集もいまでは珍しくありません から、慣れの問題でオッケーということは十分あると思います。
私がそんな繋ぎにこだわるのは、繋がっていないより、繋がっているほうが より臨場感を増すからなのです。
新しい映画より古い映画のほうがすごくスムーズにカットが繋がっていきま す。
いちいちカットが変わったことを意識させず自然に繋がっていくので劇中の 出来事に没入しやすいです。

「決めポーズ」の件、これもホントに「好き嫌い」で二分されそうなところ ですね。
映画全体がもっと作り事めいていて(いや、GFWもかなーり作り事めいて いるんだけど)様式美を追求するような作風だったら違和感なかったと思う んですけどねぇ。
特にケイン・コスギさんの決めポーズは動きとカット割りがうまく対応して いて、決まっています。
が、私の感覚だとあのシーンはそんな決めポーズを見せちゃいけないところ だろっ、と思うんだなぁ。

>Lansさん
しまった、「Uボート」の話題を出されてしまった。
この映画、20年以上前、名画座へ見に行ったことがあるんです。(以前も 書きましたっけ)
「レイダース失われた聖櫃」との二本立て。
ところが、前夜に特撮オールナイトを見に行ったままその上映に行ったもん だからたまりません。
場内非常に混雑していて、一本目の「レイダース」は通路に座ってみまし た。
これはすでに見たことのある映画でした。
そのあと、近くの席にいた人が私に席を譲ってくれたのです。
やったー、初見の「Uボート」をちゃんと座席に座ってみられるぞ!と思っ たのもつかの間、強烈な睡魔が!!!!
水圧でリベットが抜けてぼんぼん艦内に飛び出してくるシーンは覚えていま す。
ああ、あとは霞んで何もわからない~。
それ以来再見してないバカ者です。

やっぱ観なきゃいけないですよね。(と、ぜんぜん話題がそれているので あった)
667
シナリオ・絵コンテを読みながら (その3) 殿様ギドラ

2005/01/31 16:44


男性 42歳 O型

怪 獣を消し去った飛行物体が一点に集結しているという情報が指令室で語られて、その 場所は「ポイントゼロゼロ、本部上空です!」(というようなセリフでしたね)と盛 り上げるんですが、
カットが切り替わって防衛軍本部(日本だったの??これも事前に明示すべき)上空 になったところで「???」
だって怪獣を消した飛行物体のほかにバカでかい母船がいるんですぜ。
なら母船が現れた時点で探知せよ!
シナリオでは怪獣を消した飛行物体が合体して超大型UFOになると書かれていま す。
それならまだわかる。
なのに設定を改変したのですね。ならばその改変に応じてシナリオを書き換えなけれ ばならないでしょう。
なんという杜撰な映画であるか!

屋上で巨大UFOを狙って銃を構えている兵士もおおよそマヌケです。
怪獣襲来に備えた迎撃装置が装備されてないんでしょうか。
「ウルトラセブン」(ウルトラ警備隊西へ)では防衛センターの周りから大砲がせり 出してきましたぜ。
さらにこの屋上に音無美雪がいること、理解に苦しむ。(なんで??)
追い打ちをかけるように尾崎まで登場。
(一体エビラとはどこで戦っていたのか?東海コンビナートってどこよ)

あああっ、わかんねぇ。

そして醍醐登場。
波川と国木田を連れてUFO内部へ入ります。
伊武X星人から妖星ゴラスの危機を説明されます。
ここにはマスコミの人間がいるわけではありません。このシーンから繋げる形(X星 人が示したゴラスの映像がそのまま防衛軍本部会見室のスクリーンになる)で場面転 換していますから、
伊武X星人の説明を会見室で醍醐が繰り返したと受け取れます。

が。
あとのシーンで、ガイガンの秘密に迫ったとたんX星人登場というのは怪しいなどと 防衛軍の内部情報がX星人に漏れているんじゃないかと示唆すること、
波川と国木田もX星人に入れ替わられていることが明らかになることを合わせて考え てください。
また、波川が最初からまばたきしていないと思われること・・・・。

X星人の母船に入ったとき、すでに波川と国木田はX星人と入れ替わっていたと考え るのが自然ではないでしょうか?
地球侵略(?)計画の最後のピースが醍醐を替え玉にすることだったのでは?

となると母船内でのやりとりがなんと間抜けなことか。
そこにはX星人しかいないのですよ。
それなのに「地球人をだますため」の小芝居を伊武X星人が演じている。なんのこっ ちゃ。

好意的に解釈すれば、UFO内部での様子を「X星人が」録画して地球に提供したの だと考えることも出来ます。
そのために全員X星人でありながら芝居した、と。
しかしそんな回りくどい解釈を強いるぐらなら、最初からX星人には入れ替わられて いない人物もUFO内部に招き入れればいいでしょう。
そもそもGFWの世界には政治家はいないのでしょうか?(まあ、醍醐は政治家なの でしょうけれど、他には全く出てこない。社会を描く姿勢の欠如がここに感じられ る)
あまりにも少人数だけで宇宙的事件を扱っている。

また、醍醐の演説のシーンも状況がよくわからないんですよ。
ずいぶんたくさんの聴衆が詰めかけていますが、彼らは一体何者?
マスコミ?世界の政治家?それとも一般大衆を集めたの?
細かく説明しなくても、雰囲気で納得させてください。完成作では烏合の衆にしか見 えません。
(音無杏奈も座っていますが、彼女は仕事で来ていたのでしょうか?ニュースキャス ターなのですよね。マスコミ招待席には見えず、周りにスタッフの気配もなく、何し に来ていたのかさっぱりです)

そしてX星人に熱狂する大衆という点描が入ります。
表面的だ!
テレビアナウンサーによるリポートという形で大騒ぎする人々をざっと見せますが、 あまりにも紋切り型。
彼らがX星人に惹かれているのがなぜなのかが全く伝わってこない。
群衆もひとりひとり個性を持つ人間が集まっているんですよ。
もうちょっと細やかな見せ方をしてほしかった。
また、このシーンでも銀残しなのかなんなのか、彩度の低いざらついた画質になって いたと覚えていますが、何の意味があるんでしょうか。

小橋賢二さんゲスト出演のラジオ番組。
長い。シナリオ通りでいいでしょう。監督自ら気持ちよさそうに演技しているのはい いけれど、X星人来訪に浮かれる大衆というものを断片的に見せるシーンのひとつで しょう。
DJとタレントのやりとりをカット割りしてまで見せるこたぁないです。
(北村龍平氏、映画監督よりタレントのほうが向いているんじゃないですか?)

さらにゲスト出演てんこ盛りのテレビ討論番組が始まります。
ああもったいない。
タダでも尺が足りない映画なのに、この無意味なシーンにこんなに時間を使うなん て。
本来、ここではX星人に対する世間の反応をとりまとめて伝える役割がなければなら ないはずです。
ところが科学者代表という位置づけのはずの大槻教授の言ってることがめちゃく ちゃ。
「宇宙人は地球を侵略しに来る物」。X星人が本当に地球外から来たかどうかわから ないという主張は論理的だけれど、「いまに痛い目に遭いますよ」という発言にぜん ぜん繋がらない。
その他のゲストたちにもどうでもいいことしか語らせない。
夢がどうのこうの、松尾貴史氏の立場がどっちなんだとか。
シナリオのほうがよほど要点が整理されています。
X星人がなぜ怪しいのかがきちんと伝えられている。そして理性的な人が衆愚に押し つぶされる様子が描かれています。
ところが完成作ではシナリオのセリフを部分的に使っているために大槻教授の話に筋 が通らず、科学者をバカにするシーンになっている。
(なんで木村大作氏がご登場なの???)

そんな筋の通らない大槻教授のセリフを受けて、場面転換、尾崎の「俺もこのオッサ ンに同意見だな」と繋いでいるので、尾崎も共倒れ。
それでも「ガイガンが宇宙怪獣だと解った矢先にX星人登場だ」という尾崎に対して 美雪が「ガイガンとX星人に関係があるなんて何の証拠もない」というのは、この映 画に数少ない理性的なセリフですね。
ところが・・・・。
そこへ杏奈が「証拠があればいいのね」と言いながら現れます。
ガイガンとX星人の関連を示す証拠という意味ですよね。
ところが杏奈が示すのは、醍醐が人間ではないかもしれないという証拠。
話が繋がらねーーーーー。
ビデオを検証してまばたきしていないことに気が付くのはいいです。(別の映画から の引用という気がする。思い出せないけれど)
でもそれはガイガンとは全く関係ないでしょ。
それから最初に見たとき、このネタ振りなら醍醐はアンドロイドと入れ替わっている のだと思いました。
まばたきしない、というのは生物的ではないという意味かと思った。
X星人が皮を被っていたとなるとあとのX星人も全員地球人の皮を被っていたことに なり、えーと、全員まばたきしていなかったですか?
統制官は地球人の血を引き継いでいるらしいので、素顔をさらしていたのかもしれな いけれど。(無理がある解釈だ)

またこのシーンで気になったのは、美雪も杏奈もほとんど黒にしかみえない色の服を 着ていること。
どういう意図なんでしょう。
リアリズムという観点からも不自然だし、演出となると不可解。
それから醍醐のビデオを確認するときに流れるBGMがやけに歪んだ音でした。
二つの劇場で見ましたが、二館とも同じだったのでもともとそんな音なんでしょう ね。

次のシーンもわからない。
尾崎たちが醍醐と会うのは、いったいどこ?どういうシチュエーションなの?
がらーんとしたビルの一角。
まばらに人が歩いている。
そこに国連事務総長が二人のボディガードに守られてやってきて、尾崎・美雪・杏奈 と話をするとは説得力なさ過ぎです。
杏奈がテレビ局の人間でありながら、とことん単独行動というのも理解できない。
ジャーナリストとしてX星人の疑惑を追っているのではないのか?
テレビ局のスタッフとの連携はないのか?
ぜんぜんダメ。
そしてあんなにがらんとした空間なのに、暴漢が醍醐に斬りつけるまでボディガード も尾崎もなにもしない。
ドラマのリアリティを無視して、段取りだけを追ったシーンですね。
重要なのは醍醐の血液をサンプリングすることなので、それさえ見せられればいい、 そこに至るシチュエーションのリアリズムなんかどうでもいい、ということですな。
そういうのを猿芝居というのだ。

ここで愛犬の話を醍醐に振っているのは良かったです。
のちに犬を使って化けの皮を剥がすわけですが、いくら最初のインタビューシーンで 愛犬の話をしているからと言って観客にとってそれほど印象的であるとは限りません から、もう一度犬の話を出しておくのは大正解です。

美雪が醍醐の血を成分分析(?)して「地球上のどの生物の血とも違う」と異質さを アピールします。
うそーん。そんなに異質な生物同士が交配しちゃうのねーん。
その話は後半出てくるのでそのとき改めて考えましょう。

シナリオでは血を分析するシーンでM塩基が含まれていることにまで言及し、X星人 とM塩基との関連も示していますが、完成作ではカットされたようです。

次に波川の元を訪れた尾崎が観察眼で波川も怪しいと気が付き、いいかけた言葉を切 り替えてごまかすというシーンはなかなかよかったと思いました。
すでに暴漢が醍醐に斬りつけるという事件も起こっているので、尾崎が事務総長警護 強化を訴える形でごまかすのも自然です。

次にUFO内部に場面が変わり、伊武X星人と北村X星人の対立をかいま見せます。
もう少し丁寧に描いてくれればよかったのにと残念です。
二人の意見が対立していることはわかりましたが、北村X星人がX星の実権を握るた めの根回しをしているのかどうかはさっぱりわからず。
ここで伊武X星人さえなきものにすれば、あとは北村X星人の思いのままになるのだ という背景説明がなされていれば全体の流れがもっと自然になったはずです。
X星人の組織力が全く見えないのもこの映画の欠点です。

次のシーンでは、地球人にも組織力がないことを示しているのでおあいこってことに なります。

博物館の研究室で神宮寺がゴラスの不審な点を指摘するんですが・・・。
二重に変。
ガイガンを生物学的に研究しているのが神宮寺ですよね?
それがゴラスの写真を子細に検討しているというのはどういうことか。
専門外の神宮寺が気が付くことなら、もっと早く天文学者が気が付いていなければな らないんじゃないの?
画面に映る登場人物しか活動している人間がいないとでも思っているようなシナリオ です。
こういうのを社会意識の欠如、自己中心的発想というのです。
さらに、ゴラスが虚像でしかなく、実体はないらしいという説明もアホすぎですよ。
X星人がゴラス接近を警告したなら、地球人がまずやることはゴラス観測でしょう に。
その場合、光学的な観測しかしないわけがないでしょう!
電波観測も当然やるでしょ!
40年前の作品『怪獣大戦争』ですら、X星は周囲の星の軌道の揺らぎから見つけて いるんですよ。(木星の衛星系である)
天体観測にどのような方法が用いられているのか、少しは調べてからシナリオを書い たらいかがでしょう。
X星人がとんでもないテクノロジーで宇宙空間に虚像を映し出したとしても、すぐバ レるっつーの。

げっそり。

シナリオではこのシーンで波川がX星人と入れ替わったのは巨大UFOに入ったとき ではないか、と推論していますがそれはカットされてます。
完成作の流れを見れば、X星人が姿を現すより以前に情報が漏れているように描かれ ていますから、波川の入れ替わりはストーリー開始以前であると解釈するのが自然だ と思います。
UFO内部に入ったときに入れ替えたなら、演出としてそれをほのめかすシーンがな いと観客に対して卑怯です。(UFO内での波川・国木田を見せているのだから)

また、「誰も信用できない」というセリフが入る割には、劇中、X星人の替え玉に なっている人物が少なすぎますね。
たった3人です。

そこでゴードンを連れ出しにいきます。
シナリオでは懲罰房に潜入する尾崎の様子を細かく描いていますが、(エンディング に痕跡が残っている)完成作ではばっさりカット。
それには問題を感じませんでした。(これがもし、防衛軍とは関係のない人間がゴー ドンを連れ出したとなるとその方法をきちんと見せなければ説得力がなくなる)
が、問題はゴードンを連れ出してからです。
軍法会議で懲罰房行きが決まっているのですよ。会いに行く、連れ出す、までは出来 ても、そのあと防衛軍のMP(?)かなにかが追ってこないのはどういうわけだ。
ここにも組織というものを描く姿勢の欠如が表れている。
一旦シャバへ出たゴードンは誰にも邪魔されずに行動している。

まだ地球人類の社会は崩壊していないんですぜ。

つづく
669
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その3) レグルス

2005/01/31 20:17


男性 28歳 A型

さ すがです。
弁護の余地なしです(^^;)

> さらにゲスト出演てんこ盛りのテレビ討論番組が始まります。
> ああもったいない。
> タダでも尺が足りない映画なのに、この無意味なシーンにこんなに時間を使うなんて。

ばっさりカットしたほうがよほどましだと思いました。
私が見ながら感じたのは、論旨がどうこうよりも、
ギャグなのか、真面目なX星人に対する一般人の反応なのか、
どちらとも分からなかったからです。

角田氏の「フルコンタクト」だけは面白かったですが(^^;)
『GFW』で一番笑えたシーンかも…。

> 尾崎たちが醍醐と会うのは、いったいどこ?どういうシチュエーションなの?
> がらーんとしたビルの一角。

「G×MG」では全く同じ場所で中尾彬総理に機龍隊隊長が直訴してましたね。
つまりは総理官邸、もしくはそれに準ずる行政機関の建物といいたんでしょうか?
これまたメタ的解釈であって、劇中の情報ではさっぱり分かりませんが。

> そしてあんなにがらんとした空間なのに、暴漢が醍醐に斬りつけるまでボディガードも尾崎もなにもしない。

どっから見ても怪しいですからね。
佐野さん、いい役作りしてるなぁ…(^^;)

何のためのボディーガードか、と言いたくなりました。
そもそも、もし行政機関のビルだとしたら、佐野さんが入れること自体がおかしいで す。
673
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その3) Lans

2005/02/01 00:03




弁 護とは違いますが、一応、子ネタが仕込まれているのを
発見しているので、ご報告しときます。

国連事務総長の演説ですが…

あれはヒトラーの演説を真似てます。
特に、手振りは完全にヒトラーのソレでした。

特徴あるんですよ、あの手振りは…
論調も、戦前の一見平和主義なヒトラーに近いものです。

多分、防衛軍の制服が旧ドイツ軍に酷似していたのも
ここに繋がってるものと思いますが…

画面では上手く使えてませんねぇ。
全くもって、もったいない…

ここは上手く作れば、気がつかない内に、
いいように為政者に操られる民衆を描く事のできる
良い部分だったはずなのですが…

なんで効果的に使えないのでしょうか?

民衆の気がつかない所で転がっていく政治の恐ろしさと
民衆の妄信の恐ろしさを
象徴的に見せられる所だったのになぁ…

今の日本、いや国際情勢の皮肉にぴったりなのに(w
676
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その3) 殿様ギドラ

2005/02/01 16:27


男性 42歳 O型

> レグルスさん

いやー、どうも、正直に書くと貶してばかりになってしまって申し訳ないです。
でも、いいと思ったところも正直に書いていますのでどうか最後までお付き合いくだ さい。

あのテレビの討論番組、シナリオ段階では出演者は決まっていなかったでしょうか ら、
角田さんのセリフなんかは現場で考えたんでしょうかねぇ。

GFW全般に言えるんですが、いわゆるカメオ出演のシーンを大事にしすぎですよ ね。
そりゃ業界のお付き合いにはいろいろあるでしょうけれど、作品のバランスを壊して までゲストの顔を立てるというのは間違っているんじゃ・・。

>Lansさん

醍醐の演説、Lansさんの指摘を受けて再見の時に注意して見てみたら、ヒトラー を意識しているのは間違いなさそうですね。
でも、そう、活かせていないです。

醍醐がX星人と入れ替わるより以前から地球防衛軍の制服は同じですから、人類が互 いを敵とする時代を終え、国際連合としてまとまったという背景に全体主義の影をち らつかせることは可能だったはずです。
なーんて、そういうストーリーにするには主要スタッフ総入れ替えじゃないと無理で すね。
GFW,社会を描く姿勢(監督の資質?)がまったくありませんから!

678
シナリオ・絵コンテを 読みながら(その4) 殿様ギドラ

2005/02/01 16:31


男性 42歳 O型


杏奈のX星人を交えての醍醐インタビューが始まり、美雪のもとに波川 たちが現れるシーンになります。
この美雪がいる場所がわからない。
突き当たりがなんだか光っている廊下の真ん中にぽつんと机があってコ ンピュータが乗っかっている。
一体ここはどこだ?
シナリオによると国連ビルのデータルームだというのですが、機能性も 何も感じられない変な空間にしか見えませんでした。
そこに波川と国木田登場で、いろいろ嗅ぎ回っている美雪を始末しにき た様子。
そこまでの情報収集力があるなら尾崎も一味であることや、ゴードンが 加わったことも、熊坂以下M機関が動いていることも知っていてしかる べきではないのか?
しかも、波川は地球防衛軍のトップなのでしょう。
邪魔者を権力で潰す動きがなぜ出てこないか?
そのために権力者を替え玉にしているのではないのか?

美雪の危機に一同勢揃い。
ゴードンも熊坂も風間以下ミュータント兵も現れます。なにがなんだか わかんない。

このシーンで一番引っかかったのは、替え玉X星人の行動です。
美雪を殺しに来たのは解るが、銃で撃ち殺したらそのあとどうするつも りだったのか。(事故死に見せかけるなどという細工はない。いや、ど こかに拉致するつもりだったのか?)
尾崎以下、地球防衛軍の面々が現れて劣勢になってしまったにもかかわ らず、お構いなしに銃撃戦を挑んであっさり撃ち殺される。
まるで殺してくれと言わんばかりに。

さて尾崎たちが知り得た情報はゴラスがウソであることと醍醐が人間で はないこと。
ただそれだけのはず。
ならば尾崎たちがやるべきことはX星人から情報を引き出すことではな いのか?(ゴードンが「もうネタは上がってるんだ」などと言います が、なにもわかってないでしょ!)
それなのに、国木田や波川の替え玉を簡単に殺してしまう。
なんという無法行為。急所を外して生け捕りにしようという考えがまる で見えない。
X星人がどんな野心を持っているのか、まださっぱりわかっていないん ですよ。
国木田や波川がX星人であったとしても、問答無用で撃ち殺す理由には ならない。

それから、尾崎が身を挺して美雪を守るという場面がありました。
これが優しさを持って戦うということ?(表現として弱い)

場面は醍醐インタビューに戻ります。
(このシーンに絡んでテレビを見ているカップル《さとう珠緒》が挿入 されてましたよね?このカップルがなんのために映し出されるのかいま いち不明瞭。一般市民のリアクション?それにしては何の芝居もない)
このインタビューシーン、芝居の間が長すぎますよ。
間を空けるだけが緊張感の表現ではないんですけどねぇ。
ペットの犬について話を振る様子があからさまに変に見えます。もっと 自然な流れで犬の話題が出てきて、杏奈のインタビュアーとしての有能 さが感じられたほうがいいですよ。
また会場にいるTVスタッフのリアクションも印象にないです。
多分、杏奈は段取りにない話を始めたのでしょう?そのとき、ディレク ターか誰かの不審そうな顔とか必要では?
まあ、醍醐が自分の犬を覚えていないという事実を暴くための小芝居は いいとしましょう。
しかし、私には大きな疑問が湧きました。
醍醐には家族はいないのでしょうか?
一時行方不明となり、X星人に助けられて生還、そのまま家族と会うこ ともなく公務で飛び回っているの?
当然クリントは家族が面倒を見ているんですよね。
生還後、家族と会ったなら、クリントの顔も覚えていない替え玉なら簡 単に家族に見破られるはずでしょう。

シナリオでは言い訳的に事故以来醍醐がまったく自宅には帰っていない という説明が入りますが、それでも家族と会いもしていないというのは 不自然きわまりないし、
完成作では自宅に帰っていないという説明もカットされてましたからど うしようもない。

これも画面に映る登場人物しか意識できていない展開。
こういう視野狭窄の映画にはイライラします。

それから、出てきた犬が杏奈の犬であることを示す芝居にはもっとメリ ハリをつけたほうがいいです。
最初に見たときは、杏奈のセリフで「これは私の犬ですから」と説明さ れるまでいまいち何をしていたのかよくわかりませんでした。
あの犬が明確に杏奈だけになついていると示す必要があるでしょう。
杏奈に呼びかけられたときの反応を見せる犬のアップってありましたっ け?

X星人との対話が少々ありーので、会場にゴードンたちが乱入。
これもよくわからなかった。
シナリオでは国連ビルデータルームとなっている替え玉X星人殺害現場 ですが、映画を見ていてもそれがどこなのかまったくわかりませんか ら、
ここにゴードンらが現れたとき、出来事の時系列がどうなっているのか さっぱりわかりませんでした。
杏奈がいる場所と美雪がいた場所の位置関係もまったくわからないので すから。

ゴードンの短絡軽挙はとどまるところを知りません。
ここでもいきなり偽の醍醐を撃ち殺します。
それなら横にいる二人のX星人も一緒に撃てばいいのにそれはしませ ん。(なんで????)
もうまともな思考が通用する世界ではありません。

X星人の姿が人間とはまるで違うことをまるで決定打であるかのように 杏奈が絶叫しますが、それが悪い奴らだという証明にはなりやしませ ん。
(ゴラスがウソだと言うことを世間に広める行動もしないでなにをして いるのか!)

さらに北村X星人が伊武X星人をいきなり撃ち殺して「これからは自分 が統制官だ」と宣言。
これ、シナリオを読んで初めて解ったんですが、それまでの二人のX星 人は司令官と参謀だったんですね。
私はてっきり伊武X星人が統制官で北村X星人は副官というような役割 だと思っていました。
ここで突然統制官という役職が出てくるわけです。
完成作ではなにがなんだかわからないので問題にもなりませんが、統制 官って何よ?

この混乱で会見場にいたマスコミ陣が「うわーー」と逃げ出すカットが あります。
その前にも少しはスタッフの存在を見せたカットがありましたが、テレ ビカメラなどの機材がどうにもこうにもウソくさい。
衛星生中継で全世界へ配信する番組なんですよね?
それなのに、ニュース取材で使うようなカメラが三脚で据えられていた り、照明機材が配置されている気配もなく、ケーブルが床を這っている わけでもない。

で、わーーっと逃げ出すと、機材を含めて何もかもきれいさっぱりなく なってしまうのです。
なんですか、この演出は。
大体、マスコミの人間がこんな決定的な事件を放り出して全員逃げると 思ってるのか。
『ゴジラ』で決死の放送を続けたテレビスタッフの例を持ち出すまでも なく、現実に死に直面しながら取材を続けているジャーナリストは多数 いるのですよ。
アホすぎて屁もでねぇ。

そして会場は乱闘におあつらえ向きのがらーんとした空間になるわけで す。

統制官の手下が現れ、ミュータント兵が現れ、ミュータントが統制官に 操られ・・・。
その前にもう一度突っこんでおきましょう。
衆人環視の状況で司令官をさしたる理由もなく撃ち殺した参謀がそのま まX星の指揮を執れるというのは間違っているでしょっっ。
たとえ統制官のもとに何人かの親衛隊がいたとしても、母船には無数の X星人がいるではありませんか。
彼らが上層部のいざこざに対してなんの意見もなく、「お頭でござい」 と名乗りを上げた者に無条件でついて行く道理がわかりません。

(ええ、わかってますよ。そんなリアリズムなんかどこ吹く風の映画で あることは。しかし、そういう基本を忘れて雑な積み重ねしかしないの では説得力も迫力もないのだと示さねばなりません)

X星人たちは転送装置で姿を消し、操られたミュータント兵がゴードン や尾崎を亡き者にしようと襲ってくる、の、だ、が。
ゴードンと熊坂のやりとりがたるいです。
もっとアップテンポな芝居で描かないと襲ってくるミュータント兵に対 する緊張感が出ません。
というか、小芝居が終わるまでミュータント兵が待ってるし。

ここはゴードンも熊坂も戦いながら会話するべきだったんじゃないで しょうか?

で、熊坂がここは自分が食い止めるからあとのみんなは逃げろ、と。

さあ、不思議です。
そのあと操られたミュータント兵たちは熊坂にしか襲いかからないので す。
部屋から出て行く尾崎やゴードンには目もくれず。
どうなってんの?
なぜか銃器の類を使おうともしないし。

エンディングの未使用フィルムと思われるカットにここで熊坂と風間が 一騎打ちしているものがありました。
きっと延々と熊坂対ミュータントを撮影したんでしょうね。(無駄 だぁ)
そりゃ尺も膨れあがるわ。
それから多人数での格闘となると俄然カメラワークが雑になりますね。
細かいカット割りが少なくなって、漠然と全体像を見せるようになりま す。
(後半、UFO内での格闘もしかり)

建物から逃げ出してきた一行の目の前に、小室が運転する車が滑り込ん でくるのはよかったです。
これは格別な説明が無くても成立します。
ゴードンの副官である小室が独自に動いていたのだな、と想像できま す。
(ただ、小室がゴードンの腹心の部下であることがここまでではきちん と伝わっていないのであまり上手い出来ではない)

車が走り出すと風間がバイクで追撃。
最初に見たとき、熊坂が倒されたんだな、と思ったんですけどねぇ。
だって常人より遙かに身体能力が高いのがミュータントなんでしょう?
そのミュータント兵多数を相手にいくら熊坂が鍛え上げた人間でも勝ち 目はないでしょう。
でも、ほかのミュータントが来ていないので風間だけが抜け出してき たってことか。
(熊坂、強すぎでは?これではミュータントの設定なんていらない)

尾崎と風間のバイクアクションが不必要に長ったらしい。
シナリオに書かれている動きより遙かに多かったと記憶しています。
これ、そんなに重要なシーンなんでしょうか。
風間特攻のための伏線?いやいや、長々とやる必要はないでしょう。
ストーリー上、尾崎と風間どっちが強いかというところにはなんら興味 を惹く作りにはなっていないのですから、こんなに延々と見せつけられ ても困ります。
力の入ったシーンなのだなという感じは受けましたが、力の入れどころ を間違っている。
GFW中ではカット割りに神経を使っている方だな、とは思いました が、尾崎と風間が同一フレームにいるときはともかく、それぞれ別カッ トになると位置関係がよくわからなくなりました。

つづく
679
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その4) レグルス

2005/02/01 23:13


男性 28歳 A型

> 突き当たりがなんだか光っている廊下の真ん中にぽつんと机があってコンピュータが乗っかっている。
> 一体ここはどこだ?
> シナリオによると国連ビルのデータルームだというのですが、機能性も何も感じられない変な空間にしか見えませんでした。

(その4)を拝見して思ったのですが、
こういう必要最低限の物しか置かない空間・舞台構成は舞台演 劇に近い感じがします。
あとは「エヴァンゲリオン」のような、特異な作品のイメージ もあるのでしょうか。
「エヴァ」の場合は内面描写が主眼になるので、敢えてネルフ 内部などは、
調度品のない、だだっ広い空間になっているのであって、
外部は緻密に描きこまれていますが。

自主制作映画ならともかく、“まともな映画”において、
敢えて状況描写に手を抜く意味は見つからないと思います。
轟天号のセットを作るのに金をかけすぎたのか?
でもそれなら適切なロケ地を探せばいいだけのことですよね。

> なんという無法行為。急所を外して生け捕りにしようという考えがまるで見えない。
> X星人がどんな野心を持っているのか、まださっぱりわかっていないんですよ。
> 国木田や波川がX星人であったとしても、問答無用で撃ち殺す理由にはならない。

このあたりも定番というか型というか、
これまでのSF小説(スペースオペラ)や映画であった
異星人襲来ものの上辺をなぞっている、ある種のメタ的ゆがみ ですね。
宇宙人=地球襲撃、異形の生物=悪者、という分かりやすい図 式です。
(そのわりには前者は序盤で否定しているんですよね…)

> ゴードンの短絡軽挙はとどまるところを知りません。
> ここでもいきなり偽の醍醐を撃ち殺します。
> それなら横にいる二人のX星人も一緒に撃てばいいのにそれはしません。(なんで????)

気づかなかったなぁ…(^^;)
これまた“定番”として見流してました。
横に元凶がいるんですから、そうするべきでしたよね。
他の映画でこれが行なわれるシチュエーション、というのは
地球人の中にひとりだけ替え玉がいる、という状況でした。
『GFW』の状況で醍醐だけを撃つのはおかしいですね。

> さらに北村X星人が伊武X星人をいきなり撃ち殺して「これからは自分が統制官だ」と宣言。
> これ、シナリオを読んで初めて解ったんですが、それまでの二人のX星人は司令官と参謀だったんですね。
> 私はてっきり伊武X星人が統制官で北村X星人は副官というような役割だと思っていました。
> ここで突然統制官という役職が出てくるわけです。
> 完成作ではなにがなんだかわからないので問題にもなりませんが、統制官って何よ?

そうだったんですか。
私は「統制官」って「リーダー」というような意味の普通名詞 だと思ってました。
そう捉えれば「怪獣大戦争」をメタ的に踏襲していると非難し なくても、
ここはアリなのではないでしょうか。

> 衆人環視の状況で司令官をさしたる理由もなく撃ち殺した参謀がそのままX星の指揮を執れるというのは間違っているでしょっっ。

『ガンダム』のギレンとキシリアのオマージュ(?)なんで しょうか…?

> 彼らが上層部のいざこざに対してなんの意見もなく、「お頭でござい」と名乗りを上げた者に無条件でついて行く道理がわかりません。

伊武統制官の方針に批判的な人ばっかりで、北村一輝の賛成派 ばかりだったとか(^^;)

> というか、小芝居が終わるまでミュータント兵が待ってるし。

このへんも演劇的な感じです。
全然知らないので大きな事は全く言えないのですが、
こういう紋切り型というか、非現実的な様式美、ケレン、見栄 などは
歌舞伎と共通するものがあるのではないでしょうか?

『GFW』というより北村映画は、
歌舞伎的な、北村龍一的世界観(映像様式)として、
ふつうの映画とは別の見方をもって鑑賞しなければ楽しめない のではないでしょうか?

ふつうの映画を論評するときの批判点は通用しない、と。

なんかおせっかいさんが言ってたアブナイ方向に言ってるか なぁ……(^^;)
とりあえず仮説として提示してみました。

> そのあと操られたミュータント兵たちは熊坂にしか襲いかからないのです。
> 部屋から出て行く尾崎やゴードンには目もくれず。
> どうなってんの?
> なぜか銃器の類を使おうともしないし。

これも敢えてやってるんでしょう。
特撮ヒーローもので、変身中や名乗り中に敵が襲ってこないの と同じで(^^;)

> 車が走り出すと風間がバイクで追撃。
> 最初に見たとき、熊坂が倒されたんだな、と思ったんですけどねぇ。

熊坂はあの乱戦では死んでなかったんですね…。
新轟天が出撃した時にどこか廃墟の入り口から出てきて仰向け に倒れた人が
熊坂だったんですか?
1回目は「誰この人?」という感じでしたし、
2回目も「熊坂っぽいけど分別できない」という感じでした。
生きてるのなら尾崎たちを見送る表情をアップにするとしない と意味がないシーンでは?

> (熊坂、強すぎでは?これではミュータントの設定なんていらない)

ミュータント兵のリーダー(隊長?)なんだから当然ミュータ ントだと思ってました。
違うんですね……。
説明がないから全然分かりませんでした。

> 尾崎と風間のバイクアクションが不必要に長ったらしい。
> シナリオに書かれている動きより遙かに多かったと記憶しています。
> これ、そんなに重要なシーンなんでしょうか。

ゴジラの出ないアクション映画として考えれば対エビラ戦、バ イクチェイス、
そしてカイザー同士の対決が3本柱ですから、
メインのアクションの1つとしては適当な長さだったと思いま すが。

少なくとも冒頭の尾崎と風間の模擬戦闘シーンより遙かに適当 です(^^;)
682
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その4) 殿様ギドラ

2005/02/02 15:38


男性 42歳 O型

>こういう必要最低限の物 しか置かない空間・舞台構成は舞台演劇に近い感じがします。

私もあれこれ考えていくうちに、GFWでのリアリティのなさ は物事の形式化とか様式化を目指した結果なのか?
とも考えました。
この件、ずーっとあとのX星人母船内に入ってからのシーンで 日本刀に当てられた効果音が『キルビル』と同様であることに 気が付いたところで、
ひょっとしてGFWは『キルビル』をお手本にしたつもりなの か?
と考えました。
連載のその部分でもう一度同じことを書きますが、もしまだ 『キルビルvol.1』(私は「1」しか見ていないけれど、 「2」を見るまでもない)を見ていない方がいらっしゃいまし たら、
ご覧になることをお勧めします。
(ただしR-15指定ですので、子供は見ちゃダメよ)
「シナリオ・絵コンテを読みながら」が終了した後で、『キル ビルvol.1』との比較も考えてみたいです。

レグルスさんご指摘の通り、いわゆる「お約束」で片づけられ る部分にも容赦なく突っ込みを入れております。
私も「お約束」の楽しさはわかるんですが、それは創作という ものから一歩距離を置いたところで楽しんでいるようです。
妥協することなく状況設定をきちんと作る姿勢があれば、「お 約束」の力を借りずとも思うような方向へストーリーを運ぶこ とが出来るはずですし、
それを目指して欲しいという願いがあります。

「統制官」という役職名は、完成作では別に問題にならないで す。
見る限り、伊武X星人が統制官であって、それを殺して後釜に 座ったと受け取れますから。
今回突っこんだのは、シナリオのいい加減さでした。
シナリオには「司令官」「参謀」と書いてあるのに、突然「統 制官だ」と宣言するんです。
無理矢理『怪獣大戦争』とくっつけようとしているようにしか 見えませんでした。(あくまでもシナリオだけの話)

>新轟天が出撃した時にどこか廃墟の入り口から出てきて仰向 けに倒れた人が
>熊坂だったんですか?

やっぱりレグルスさんもわかりませんでしたか。
私も何度か見て初めてわかったような具合でして。(その件、 次の「その5」で書いています)
客にわからないんじゃ、ダメですよ。

で、熊坂、統制官に操られなかったでしょう?
尾崎に関しては「なんでだろー」と言ってますが熊坂のことは 問題になってませんから、ミュータントではないと言えます。
(そのあたり、冒頭のM機関でしっかり客に設定を伝えるべき なんですよ)

>ゴジラの出ないアクション映画として考えれば対エビラ戦、 バイクチェイス、
>そしてカイザー同士の対決が3本柱ですから、
>メインのアクションの1つとしては適当な長さだったと思い ますが。

>少なくとも冒頭の尾崎と風間の模擬戦闘シーンより遙かに適 当です(^^;)

このご意見にはまったく同意です。
悲しいのは「ゴジラの出ないアクション映画」なら、という前 提ですね。(とほほ)
684
シナリオ・絵コンテを 読みながら(その5) 殿様ギドラ

2005/02/02 15:42


男性 42歳 O型

(この「その5」、かなり感情的な 言葉を使っております。お読みになる方はご注意ください。なーんて言 い訳してもしょうがないか)

バイクアクションの後、ガイガン起動。
ガイガン登場シーンの不備はガイガンスレで 書きましたので、ここでは別のことを。
シナリオでは博物館にいる神宮寺が映画全体を言い表すようなセリフを 語っていますが、完成作ではカット。
「人間も宇宙人も怪獣も一緒だ。破壊するしか能がない」
このセリフに込められたテーマで全体が統一されていたら、暴力だけの バカ映画にもなんらかの意味あいを持たせることができたのかもしれま せんね。

そして統制官は地球に対して総攻撃。
怪獣と戦闘UFO(?)を出撃させます。
激しい破壊シーンの乱打になるかと思いきや・・・。
前半で暴れた街にもう一度怪獣が出てくるだけなので瓦礫をもう一度壊 しているような印象。
しかも、破壊のさなかにカメラが入り込んでいかないので蹂躙される人 類世界を体感できない。
統制官は「全文明を破壊せよ」と言っているが、文明が破壊されている ことをどのカットに感じればいいのか?
あるいは社会が崩壊していく様がどのように描かれたのか?
それは地球防衛軍の空中戦艦が撃破されることに集約している?
波川や国木田がいなくなった防衛軍がどうなったのかもさっぱりわかり ませんから、社会的な影響がぜんぜん見えてこない。
ここで、倒れた自由の女神の向こうを飛んでいくラドンというカットが ありましたが、倒すところを見せましょうよ。

それから前半では怪獣に対して善戦していた空中戦艦が今度はまるで簡 単に怪獣に負けてしまうのも奇異なこと。
X星人の戦闘艇と連携されたから負けたのだ、という状況の変化を伝え ることもなかったです。

ここにまた唐突に猟師とミニラご一行が挿入されます。
まだ山の中をうろうろしている。
最初に登場したシーンから何日も経っているはずです。
ところがまったくそんな時間の経過を感じさせる変化はありません。
ミニラを連れて一旦家へ帰ったりしているんではないの?
いやいや、発見したミニラを公的機関に報告するという動きがあってし かるべきでしょう。
ところが何をしていたものか、まるで最初の出会いの続きという風情で す。
頭上をX星の戦闘機が飛びすぎるという演出がありますが、猟師たちは 世間で何が起こっているのかまったくわかっていない様子。
これ、逆でしょう。
せっかく前半で登場させたサブキャラクターを再登場させるんですか ら、一般市民レベルで何が起こっているのかを見せるシーンになったは ずです。
つまり、猟師とその孫がX星人による破壊に巻き込まれるシーンでなけ ればならないのです。
それは山の中ではなく、ミニラの処置をお役所に委ねに行っているシー ンか何かにして、市街地がどんな風に壊されたかを見せるのが筋です。
そこでミニラが二人の命を救うとでもいう展開があってもいいんじゃな いですか?

ゴードン一行が新轟天秘密ドックに到着。
ざーっとセリフで状況説明が入ります。
「外部との連絡が取れない」「X星人もこの非常用地下ドックには気が 付いていない」と。
シナリオでは「防衛軍基地は全滅した」というセリフもありますが、完 成作ではなかったはずです。
結局地球防衛軍がどうなったのかは解らずじまい。
そしてX星人が新轟天の非常用ドックを知らないとは、まったくなんの ために波川を替え玉にしたのかわかりませんね。
地球のことを何一つ調べなかったんでしょうね。(それはこのあとにも 判明する)

劇中の人物や組織がマヌケならちゃんと笑わせるような演出で喜劇とし て成立させてください。

正気に返った風間と尾崎の対話が挿入されます。
ここで「なぜ殺さなかった」という問答。
訓練のシーンですでに述べましたが、これは、尾崎が格別にエライので はなくて風間の論理が狂っているということでしかありません。
それをこんなに意味ありげに1シーン使って表明する感覚、狂ってませ んか?

さあそして、驚愕の作戦室。
X星人とどう戦うかという話し合いなのですが、理知的な人間がひとり もいないというのは見ていて気が変になりそうでした。
隠れるか打って出るかなどと対立しますが、まずは状況把握が第一で しょうに。
人類の残存兵力がどれぐらいなのか、敵が何をしようとしているのか、 なにもかもわからないんですよ。
情報収集についての意見が何一つ無し。
で、ゴードンがゴジラを甦らせると主張する。
そこには何一つ根拠がない。
目的はX星人を倒すことなのでしょ?そのためにゴジラを起こしたとこ ろで何の役に立つというのか。
ゴジラに怪獣の相手をしてもらうと決めつけているが、どうしてそうな ると言えるのか?
結果論を言えば、統制官もバカなので、いちいち怪獣たちをゴジラめが けて派遣したわけですが、この段階で統制官がそんな行動に出るとどう して言えるのか。
また、これも結果論ならゴジラは新轟天を追いかけてきたので日本に向 かって誘導することが出来たが、南極で目覚めたゴジラがどこへ行くの か予想できるのか。

ゴードン、バカすぎる。
しかし、バカなのはゴードンだけではない。
話は戻って、ゴジラも操られたらどうする、という疑義に対して美雪が 断言。
「ゴジラにM塩基はないわ」
どこにそんな証拠があるか!(劇中、地球でのM塩基の出所とされてい るガイガンは12000年前に地球に来ている。ゴジラへの影響がない とどうして断言できる?もともと怪獣たちにはM塩基があるのかもしれ ないではないか)
しかもM塩基を持つ者が操られるのだという理屈にも根拠はない。
それどころか、M塩基を持つ尾崎が操られなかったという事実があり、 美雪自身「大事なのはそれよ」と言ってのける。
ならば、操られるか否かはM塩基に依存しないという結論になるのでは ないか?

美雪もバカだった。
(菊川怜さんがかわいそうだ。理工系の教育を受けてきたはずなのに、 こんなに頭の悪いセリフを言わされるとは)

昔ゴジラを氷に閉じこめたのはオレだとゴードンが告白。
いやいやいや、あの発射ボタンを押したのがあんたでも、同じことをも う一度繰り返せるという証明にはなりませんよ。

そしてゴードンのバカセリフはつづく。
「世界は滅んだ。この戦争には負けしかない。戦うのは誇りの問題だ」 と。
出た、チンピラの論理。
一旦滅ぼされたなら再生のために働け。
自分の意地だけで勝ち目も作戦もない突撃をしたいなら勝手にやれ。そ んなノータリンがやることなんぞに興味はないよ。
(つまり、GFWのストーリーに興味は持てない)

このシーンを締めるように小室のくどいセリフが入ります。
これからやることをいちいち言葉で整理して説明するのですが、もとも と作戦でも何でもない(実際のセリフでも「方法はまだ解らないけれど とにかくX星人を全滅させて」と言わせている)単純な段取りです。
ここで小室に整理させなくても、観客が混乱することはありませんよ。
全く無駄な長ゼリフですな。
(しかし、ここでの國村隼さんの芝居は評価します。軽くならないよう に表情や声を抑制して全体に落ち着きをもたらそうという努力が感じら れました)
芝居の間も長く取って、これまた感情的に盛り上げようとしているのは わかるが、まるで納得できない屁理屈で盛り上がられても見ているこち らは白けるばかり。

つづいて出撃前の乗組員の様子となりますが、まず、理解できないのが 美雪が新轟天に搭乗すること。
なんで?まったくわかりません。
そして、出た、杏奈とゴードンのムフフな関係を示唆するやりとり。
ま、既 出の問題なのでいまさらそこに細かい突っ込 みは入れません。
人間心理の整合性には無頓着な映画なのですね、と。

新轟天発進前にゴードンがまた、矛盾するセリフを言う。
「これは人類の存亡をかけた戦いだ」とかなんとか。
さっき、この戦争には負けしかないとおっしゃいませんでしたっけ?
存亡がかかっているんじゃなくて、「戦って死ぬか、隠れて死ぬか」の 問題だったのでは?
もー、いちいちいい加減でいやになっちゃいます。
「オペレーション・ファイナルウォーズ」というのもおかしな言い回 し。
なんで複数形なんですかね。
テレビで見た国際版の英語セリフでは「final war」と言っていたと思いますが・・・。

飛び立つ新轟天を杏奈が見送るのはまあいいでしょう。
しかし、どこからともなく熊坂がよろよろと出てきて見送るというのは どうにもこうにもわかりません。
(いやー、私、もともと船木誠勝さんの顔をよく知らなかったので、こ のシーンに出てくる傷だらけの男が誰なのか一回目はわかりませんでし た)
話の流れ上、熊坂はミュータント兵に殺されたとしか思えないんです が・・・。
それが生き残っているというなら、もうちょっと事前に熊坂のその後を 見せてくれないと理解できませんよ。
国連の会見室でゴードンたちと別れてからかなりの時間が過ぎていると しか思えないです。
非常用ドックでの尾崎と風間のやりとりやゴードンによる猪突猛進命令 のくだりは一旦事態が落ち着いてしまったように見えますよ。
この熊坂がいる場所と新轟天が飛び立った場所の位置関係もまったくわ かりませんしね。

発進した新轟天を見て統制官は、
「まだこんなオモチャが残っていたか」と言うわけですが、このセリ フ、新轟天の存在自体を統制官が知らなかったということでしょうか。
もちろん戦況を把握しながら地球への総攻撃をかけたのでしょうから、 自軍が挙げた戦果はわかっているのでしょう。
となると地球側の主力兵器として新轟天を認識していなかったことであ り、ハナから知らなかったという解釈で正しいように思います。
これほど何にも知らないのに、よく攻撃を決断しましたな。
このシーンだけではないけれど、X星人は地球のことを何も調べていな い。
X星人が地球の事情に精通しているという表現が出来ていれば用意周到 な侵略計画なのだなと感じることが出来るものを。
ここで統制官はガイガンを新轟天へ差し向けます。統制官が見ている映 像から、まだ新轟天は日本国内にいるとわかります。(←これ、重要)

つづく
685
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その5) レグルス

2005/02/02 21:05


男性 28歳 A型

> しかも、破壊のさなかにカメラが入り込んでいかないので蹂躙される人類世界を体感できない。
> 統制官は「全文明を破壊せよ」と言っているが、文明が破壊されていることをどのカットに感じればいいのか?

とりあえず充分だったと思いましたが。
『インディペンデンス・デイ』的な映画に慣らされてしまった んでしょうか?(^^;)
『日本沈没』のような文明の崩壊をテーマにしたスペクタクル 映画だとしたら、
描写不足なのは分かるんですが、バカ映画としてはあの程度で いいのではないでしょうか。

> ここで、倒れた自由の女神の向こうを飛んでいくラドンというカットがありましたが、倒すところを見せましょうよ。

個人的イメージですが、CG発達以前は、
リアリティが出せないものは描かない、というのがハリウッド の演出方法で、
ミニチュアであることがバレバレであっても“その場面”を見 せるのが日本の特撮映画、
というのが私のイメージでした。
ということもあって、演出手法としてはアリだと思います。
別に舞台がニューヨーク限定、というわけでもありませんし。

> ここにまた唐突に猟師とミニラご一行が挿入されます。
> まだ山の中をうろうろしている。
> 最初に登場したシーンから何日も経っているはずです。
> ところがまったくそんな時間の経過を感じさせる変化はありません。

シナリオを読んでいないので、あくまでも映画を2回観ただけ の印象ですが、
統制官の交代からラストまでは1日の出来事だとばかり思って ました。
ゴジラの移動速度を考えれば、
南極から東京まで1日で来れそうもないのは分かるのですが、
『GFW』設定ではそれだけ早く移動できる、という体で。

どこにも寄らず、まっすぐ東京に行ったので、私はミニラの処 遇については気になりません。
もっとも「ミニラのキャラについての説明を入れろ」という意 見は変わらず。

> そしてX星人が新轟天の非常用ドックを知らないとは、まったくなんのために波川を替え玉にしたのかわかりませんね。
> 地球のことを何一つ調べなかったんでしょうね。(それはこのあとにも判明する)

問答無用で襲撃する宇宙人、というパターンの映画もあります が、
その路線なら替え玉を作る意味がないですからね。
仰有るとおり筋が通りません。

> 正気に返った風間と尾崎の対話が挿入されます。
> ここで「なぜ殺さなかった」という問答。
> 訓練のシーンですでに述べましたが、これは、尾崎が格別にエライのではなくて風間の論理が狂っているということでしかありません。
> それをこんなに意味ありげに1シーン使って表明する感覚、狂ってませんか?

こういう“友情と命の大切さ”を表わすシーンを入れたかった んでしょう(^^;)
結果的に『GFW』においては “友情と命の大切さ”を表わすシーンになっていないのが
ご愛敬(破綻/無意味?)なんですが。

> ゴジラに怪獣の相手をしてもらうと決めつけているが、どうしてそうなると言えるのか?

このあたりはチャンピオン祭期のゴジラがそういう行動をとっ ていたわけで、
そのあたりが「チャンピオン祭」的志向で『GFW』を作った とすれば、
それほど不自然だとは言えないと思うのですが…。

この時期のゴジラ映画が別に好きではない私からすれば殿様ギ ドラさんの意見には同感ですが…。

南極で復活してからのゴジラの行動パターンは結構 「チャンピオン祭」的なので、
封じる前のゴジラもそんな行動をとっていた(怪獣と進んで戦 いたがる性格)と、
登場人物たちが知っていたとすると、あながち無根拠な予測で もないのかもしれませんよ。

> 「ゴジラにM塩基はないわ」
> どこにそんな証拠があるか!(劇中、地球でのM塩基の出所とされているガイガンは12000年前に地球に来ている。ゴジラへの影響がないとどうして断言できる?もともと怪 獣たちにはM塩基があるのかもしれないではないか)

M機関があるくらいですから、
何年も眠っているゴジラの組織を採取してM塩基の有無を調べ たことがあるのかもしれません。
だとしても説明を省くべきではない重要事項ですが…。

> しかもM塩基を持つ者が操られるのだという理屈にも根拠はない。
> それどころか、M塩基を持つ尾崎が操られなかったという事実があり、美雪自身「大事なのはそれよ」と言ってのける。
> ならば、操られるか否かはM塩基に依存しないという結論になるのではないか?

この時点では情報も材料も揃っていないので断定はできないわ けですが、
 M塩基を持つ者で操られなかった者は存在しますが、
 M塩基を持たない者で操られた者は確認されていない、
わけで、これは妥当な論理なのでは?

> 昔ゴジラを氷に閉じこめたのはオレだとゴードンが告白。
> いやいやいや、あの発射ボタンを押したのがあんたでも、同じことをもう一度繰り返せるという証明にはなりませんよ。

プラス思考の人はこう考えるんですよ(^^;)

> そしてゴードンのバカセリフはつづく。
> 「世界は滅んだ。この戦争には負けしかない。戦うのは誇りの問題だ」と。
> 出た、チンピラの論理。

ヤクザ映画ですから。
(ちなみに私はヤクザ映画は好きじゃありません。ビートたけ しの映画とかも)

> このシーンを締めるように小室のくどいセリフが入ります。
> これからやることをいちいち言葉で整理して説明するのですが、もともと作戦でも何でもない(実際のセリフでも「方法はまだ解らないけれどとにかくX星人を全滅させて」と言 わせている)単純な段取りです。
> ここで小室に整理させなくても、観客が混乱することはありませんよ。
> 全く無駄な長ゼリフですな。

そうそう、敢えて確認するような複雑な計画でもなく、
「そのまんまやん!」と心の中でツッコんでました(^^;)

> つづいて出撃前の乗組員の様子となりますが、まず、理解できないのが美雪が新轟天に搭乗すること。
> なんで?まったくわかりません。

このテの映画のお約束で、成り行きでくっついて行ったのかと 思ってましたが、
杏奈が残っている以上、それほど切迫した理由はないですよ ね。
尾崎が好きだから着いていったとしか思えないです。
その割にはラストでゴードンと 杏奈ばかり強調して撮ってましたが…。
ラストには尾崎と美雪も相思相愛で演出しないと
それまでの人間関係描写に尺を割いてきた意味がないでしょ う。
殿様ギドラさんに言わせれば描写の名に値しないのでしょう が、
それでもこういうラストなら最初の車の前での会話など、バッ サリ切っても良い筈。
最後に結ばれるからこそ、最初の反目、という演出がいるわけ でしょう?
686
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その5) 殿様ギドラ

2005/02/03 16:07


男性 42歳 O型

X星人による総攻撃のシー ンは、事態を遠巻きに見せるカットばかりなんですよ。
「ID4」であっても、宇宙人の攻撃に巻き込まれた人々の様 子を細かく見せる姿勢がありました。
このシーンを丁寧に見せておかないと世界が破滅した感じが出 ないと思います。(いや、実際、私はGFWの後半部にもまる で終末感を感じなかった)
また、GFWではこのシーンに印象的な破壊がありません。
せいぜい撃墜された火龍がタワーにぶつかって爆発するところ ぐらいか?

いや、まあ、バカ映画とすれば十分、というかバカっぷり絶好 調ということになるんですが・・・。
(でも作り手がここで言う「バカ映画」のつもりで作っていた わけではないでしょう?)

レグルスさんが指摘した、ハリウッド流と日本流特撮の違いに は私も同感です。
まあその、これ、日本流というより円谷流だと思うんですが。
映画全般の演出術としては倒れた後の自由の女神だけを見せて も確かに成立します。
でも、ここで倒れるところをきっちり見せればもっと「ゴジラ 映画」らしくなったと思いますよ。

統制官の交代からラストまではひょっとしたらせいぜい丸一日 の出来事かもしれません。
しかし、最初に怪獣軍団が大暴れしてX星人に消されてから は?
地球人のX星人ブームが巻き起こり、醍醐が怪しいだの、その 血は人間ではないだの、波川も変だの、化けの皮を剥がす対談 番組の仕込みだの・・・。
一週間でも足りないぐらいだと思いますよ。

GFWがチャンピオン祭時代のゴジラ映画を復活させたもの だ、という意見はあちこちで見ます。
しかし、以前も申し上げましたが私にはどうにもそうは見えな いんですよ。
70年代ゴジラ映画、予算不足で全体にしょぼいですが、ス トーリーを放棄してはいませんし、ゴジラの扱いも違いますか ら。
GFWがゴジラを70年代のイメージで考えているなら氷の中 に埋める必要はないですし・・。
また、ゴジラがどの怪獣とでもひたすら戦っていたという事実 もありませんからねぇ。

>何年も眠っているゴジラの組織を採取してM塩基の有無を調 べたことがあるのかもしれません。

うむ、鋭いです。
実はシナリオではゴジラの細胞を調べた話が出てきます。
次の「その6」でそのくだりを紹介できると思います。
でも、ゴジラにM塩基はない、と断言させるならその設定を すっ飛ばしてはいけないし、事前に観客に伝えておかないとダ メですね。

M塩基を持つのに操られなかった尾崎という反証があれば、M 塩基を持つ=操られるという仮説は否定されるんじゃないで しょうか。
もちろん観察された事実からM塩基を持つ者が「操られるので は?」という仮説は立てられますが、
どうやって操っているのか、というメカニズムが全く解ってい ないのですからM塩基を持つ者だけが操られるという結論を導 き出すわけにはいかないと思いますよ。
また、このシーンではゴジラにはM塩基はないという前提から ゴジラは操られない、と結論づけているのにM塩基を持つ尾崎 が操られていないという事実に関して仮説も何も考えていない のは変。
「大事なのはそれよ」というセリフを聞いたとき、てっきりつ づけて何らかの説明があるのかと思ったら何にもないんです。
(ひょっとしたら今度は操られてしまうかもしれない、とも考 えられる。となると尾崎を連れて出撃するのは危険だ)
あ、そんなこんなを考えたら、あくまでも映画そのものだけか らなら、熊坂カイザー説が成立しますね。
ひょっとするとゴードンもカイザーかも。(ゴードンがミュー タントではないという説明ってありませんよね?)

エンディングでの美雪と尾崎、その目線の絡ませかたに相思相 愛であることを伝える意図があったように思いました。←演出 としてすごく弱いんですが
ただ、ゴードン・杏奈もそうですが、そんな心理の変化を自然 に汲み取らせる演出はありません。
(ゴードンと杏奈に関してはそんな変化が起こるほど一緒にい たわけでもないしなぁ)
車を挟んでのいさかい、どうしてもやりたかったならそれでも いいんですが、それなら二人がだんだんとうち解けていく様子 をシーンごとに感じさせないと・・・。
(とかくダメダメと言われる「2000ミレニアム」ですが、 女性カメラマンが「お仕事」として主人公と行動をともにして いたのが、彼が旧友とともに研究に燃える様子を見て情が湧い てきた、という心理変化をきちんと伝えていました)
687
シナリオ・絵コンテを 読みながら(その6) 殿様ギドラ

2005/02/03 16:10


男性 42歳 O型

さて、南極のゴジラ監視所へ舞台は 移ります。

佐藤勝さん作曲のメカゴジラのテーマが延々と流れますが、どういう意 図なのかわかりません。
どうやら監視所の職員が聴いている音楽という設定のようですね。
あからさまに不自然。
どこかにこの曲を入れたかったのでしょうけれど、演出と合致する形で 使うのでなければ邪魔なだけです。
メカゴジラのテーマ曲であることに気づいた人だけがなんらかの感慨を 抱くんでしょうが、
昔のメカゴジラの音楽が聞こえた、という事実のみで喜んでしまうのだ としたら映画の全体像を見ていることにはなりません。
(テレビを見ていたらバラエティ番組のBGMとして知っている映画音 楽が使われて「あっ」と思うのと変わりがない)

また状況説明として防衛軍が壊滅していることを初めて伝えるのがこの シーン。
新轟天が向かっているという話を聞いて「俺たち以外にも防衛軍がいた んだな」と。
繰り返しになりますが、地球防衛軍壊滅というのはかなり大きな「イベ ント」ではないのでしょうか?
それをこんな形でしか伝えようとしないアンバランスな感覚に大事なこ とをはぐらかされたような気分になりました。

また、映画演出の基本的なリアリズムに気を配っていない例証としてこ のシーンでのオーブントースターから出てくるクロワッサン(だったと 思う)を挙げましょう。
「チン」という音がして焼き上がったパンを取り出すというシチュエー ションなのに、まるで熱そうでもなく湯気も焦げ目もないパンが出てき てそれをわしづかみにするという映像は無神経。

また意図的であることは解りましたが、このシーンに出てくる二人が地 球の危機も人類の危機もどこ吹く風でのんびりしているというのも全体 を考えると失敗と言えるでしょう。
この映画では人類が異星人によって苦しめられているということを感じ させるシーンがありません。
見せるのは、戦艦と乗組員が撃破されたということと一部の宇宙人と一 部の地球人が銃を撃ち合ったり殴り合ったりすることだけ。
種族間の問題であることを伝える姿勢は皆無です。

ただ、この監視所のシーンだけが、セットに実在感がありました。
それまではどの場所にも機能性や生活感がなく作り物然としているので すが、ここには駐在員(?)の生活空間であると感じさせる装飾が為さ れていました。

シナリオでは監視所のシーンに続いて、新轟天作戦室でのトンデモ解説 が入ります。
美雪がG細胞を分析したそうで、この結果を基にゴジラにはM塩基はな いと断言していたようです。(が、完成作ではカットされた設定なので 前提条件としては使えませんぜ)
えー、G細胞にM塩基を注入してもゴジラの遺伝子がM塩基を駆逐する んだそうで、実験によると注入されたM塩基が浸食(?)され消滅 (?)するとのこと。
遺伝子って何?
塩基って何?
もうちょっと調べてからご託並べてはいかがでしょう。
ゴジラってまさか原核生物??
我々人間などの真核生物は遺伝子DNAを細胞核内に保護していますか ら、細胞に注入された物質と遺伝子が直接反応を起こすことはないん じゃないでしょうか。
また、ゴジラの遺伝子がM塩基という物質を破壊するわけですね。とい うことはなんらかの化学反応を起こすと言うことですね。
ゴジラの遺伝子がそんな活性を持っていてよくも遺伝情報を保持できま すな。

まあ、カットされた設定に目くじら立ててもしょうがないんですが、基 本的なところで遺伝子とは何かとかDNAとは何かということを理解し ないまま科学単語だけを並べ立てているシナリオなんですよ。
そもそも体内にM塩基があるとX星人にコントロールされる、というこ とをもう少し理学的に設定してはいかがでしょう。
現状ではM塩基は魔法の物質で、原理も何もわからぬままに操られてし まうということになってます。
分子生物学者を登場させるならそれなりの科学知識を作品内に織り込ま ないと子供向け作品にすらなりませんよ。
(子供向けなら、子供たちに科学を啓蒙する役割も負うべきだ)
M塩基が遺伝子DNAの構成物質の一つとして存在するという前提で考 えても、問題になるのはM塩基を含む領域がどんな遺伝情報をコードし ているかということではないのか?
M塩基という物質自体がなんらかの機能を持つと考えているフシがある けれど、それではあまりにも説得力に欠ける。
細胞ですらない塩基という物質が統制官の意志を他者に強制できるので すな?

す でに5個の塩基では遺伝子DNAを構成するには無理があることは述べ ましたが、そこに目をつむっても、せめてM塩基を含む配列は特殊な部 位を脳内に作り出 す情報をコードしていて、その器官は通常は機能しないが特定の脳波を 感知すると相手の言いなりになってしまうというぐらいには広げてくれ ないと。
(それでも全体を考えると無理がある設定だ)

前のシーンでのセリフに戻りますが、「怪獣たちは遺伝子操作された か、一から作り出されたかでX星人のコントロールに従うようにさせら れた」というのもアバウトすぎるしねぇ。
そのセリフも、M塩基のあるなしに関してですから遺伝子操作でM塩基 をDNAに入れるという意味なんでしょうね。
あ のー、遺伝子ってその配列に意味があるのであって、もちろん構成する 物質が変わればそこから合成される物質も変わってくるでしょうから遺 伝情報を操作した ことになるかもしれないけれど、もともとM塩基なしで成立していた遺 伝子DNAのどこかをM塩基で入れ替えたら遺伝子として機能しないん じゃないでしょう か。
そして「分子生物学者」音無美雪はエビラの細胞を遺伝子レベルで調べ たのでしょ?
それなら一から作り出した生物かどうかぐらいわかってくれないと困る ですよ。

ゴジラ監視所の次に新轟天に襲いかかるガイガン、ということになりま す。
これ、ほとんどエリアG近辺ですよね。
新轟天の南極到着が速いのか、ガイガン新轟天追撃が遅すぎるの か・・・・。
日本から南極って結構距離がありますよ~。(北極にしとけばよかった のに。あ、それだと「地震だ!」が使えないか)
どうも全編通じて時間・空間感覚が変なんですよね。

映像としては「飛びガイガン」がちゃちに見えました。
ここでシナリオではかなり説明的なセリフ(ミサイルは全部ゴジラに 取っとけ)を入れて、撃ったミサイルはゴジラに向けてのことだとわか るようにしていますが、
完成作ではくどくど説明はせずに、ガイガンめがけて撃ったミサイルが 外れたと見せかけて実はエリアGが標的だったとわかる演出になってい るのは良かったです。
「あ、外れた。おっとゴジラに向けてだったか」とまんまとだまされま した。

そして非常に物足りないゴジラ覚醒シーンとなりまして、ガイガンとの 小競り合い。
ガイガンの首を破壊するところ、発射された放射火焔そのものを見せず に一瞬でゴジラが逆転勝利したと感じさせるのはいいんですが、
いまいち何が起こったのかわかりにくかったです。
絵コンテではガイガンに引きずられるゴジラの背びれが発光したあとで ガイガンの爆破される顔のアップとなっているので放射火焔が発射され たことがわかりやすいですが、
完成作に背びれが発光したことを明確に伝えるカットってありましたっ け?

そのあと気になったのは、体に巻き付いているガイガンのチェーンをゴ ジラがかなぐり捨てるアクション。
腕の使い方が人間的すぎると思いました。

ここでゴジラを見て驚く統制官が出てきます。
んもーーー。ゴジラを知らなかったというのもおよそストーリーに似つ かわしくない。
冒頭のナレーションでも地球防衛軍最大の敵として紹介されていて、X 星人の地球攻略作戦では怪獣を利用して地球人類の信頼を得ようとして いるくせになんでX星人がゴジラを知らないんですか!
地球の怪獣について調べたどころか怪獣を捕まえて言うことを聞くよう に改造しているのでしょう?
(ないし地球の怪獣を模した替え玉を作った?)
『怪獣大戦争』でのX星人が地球人も知らなかったゴジラとラドンの所 在地を知っていたのとは大違いだ。
統制官はモ ンスターXを呼び出します。
これまで時間・空間の感覚が極めていい加減だったものが、この隕石 (どこから飛んでくるのかはわからないけれど)が地球に到達するまで の「間」は適切だったと思います。
このあと他の怪獣とのバトルが延々とあって、日本にたどり着いてから ようやくゴジラ上空にモン吉くんの隕石が来るというタイミングなので 大物を呼び寄せたのだな、という感覚になります。

迫ってくるゴジラから辛くも逃れる新轟天という流れはよかったです。
一旦飛行不能になっても修復機能があることをさらっと伝えるやり方は このシーンに合っていると思いました。

追いかけてくるゴジラを見てゴードンが「奴め昔の戦いの続きをやろ うってのか」というのはゴードンの思いこみとも言えるセリフですが、
このあとも延々とゴジラは新轟天の後を追って歩いていきますから、映 像を見てもゴジラが新轟天になんらかのこだわりを持っているように見 えます。
それがなぜなのか、わからない。
ゴジラを氷の中に埋めた旧轟天と新轟天を見間違えた?ぜんぜん似てな い艦影ですけどねぇ。

シナリオではモンスターXの隕石が地球に接近していることを新轟天が 探知するシーンがありますが、これはカットして当然。
ゴードンたちが隕石について何か知っていてもその後の展開にドラマは 生まれません。
無駄なシーンは切れ切れ!
続いてシナリオには美雪が開発した新兵器の話が出てきます。
その設定は完成作ではまるまるカットされています。
不幸中の幸いとでも言うのでしょうか。あまりにもすごいので、美雪の セリフをちょっと引用。
「G細胞の遺伝子情報をコピーして、粒子加速器で増殖させています。 G細胞の粒子的モデルと思ってください」
すげーーーーー!まるっきりわけわかんねぇ。
この粒子ビームがM塩基を持つ生物に致命的なんだそうで。すごいすご い。拍手するしかないですわ。
また、最後にゴジラを元気づけるのはシナリオではこの粒子ビームなん ですよ。
すごいよなぁ。なんでゴジラが元気になるのかなぁ。よくこんなことが 思いつくよなぁ。
という設定はばっさりカットでめでたしめでたしであります。

完成作ではシドニーでのゴジラ対ジラに なります。
(統制官も南極からシドニーまでは黙ってみていたのね)
ここでSUM41の音楽が鳴ります。
私にはGFW全編で映像と音楽がマッチしたのはこのシーンだけだと感 じられました。
雑然とした印象のGFWという映画にSUM41のノイジーな音楽は ぴったりだったと思いました。
全編SUM41で統一したほうが腰抜け感が弱まったんじゃないでしょ うか。

ゴジラ対怪獣のシーンについては怪獣各論でかなり触れているのでここ ではあまり細かいことは書きません。
改めて指摘しておくと、このゴジラ対怪獣を連続して見せていくとこ ろ、シーンつなぎに工夫がなさ過ぎてぶつ切りに見えてしまうというの は大問題でしょう。
(これも時間・空間感覚を作り出すセンスの欠如である)

ク モンガ、対カマキラス、 絵コンテでは新轟天が登場するカットにある程度タメを作っていて、そ こで時間経過や場所移動を感じさせる意図があるようです。
しかし完成作では新轟天が映るカットをさらっと流しているのでいまい ち効果が上がっていませんでした。
またクモンガ戦からカマキラス戦あたり、冒頭の新轟天対ゴジラで流れ た音楽が使われていましたが、対戦怪獣の中では扱いが非常に軽い相手 のときにこの曲を使った理由がよくわかりませんでした。
GFWの中では比較的印象の強い音楽であったと思いますし、ゴジラの テーマとして使われているフシがあるので、ストーリー上重要なシーン になるのかな、という期待感を抱かせます。
しかし、実際は何でもない相手を軽く倒すだけ。うーん、わからん。

つづく
688
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) ルー等級つつ 大臣

2005/02/05 16:34


男性 33歳 AB型

南極のシーンで確かに佐藤 さんのメカゴジラのテーマが流れてましたよね。あとミニラの 登場シーンにも同じく佐藤さんの「~息子」の音楽も。
後者はともかくとして前者はあれこそラップでもロックを使う べきでしたよね。
それこそラジオ(?)音楽として自然ですから。しかしあそこ でメカゴジラのテーマを使うなら怪獣対決シーンに使ったほう がまだいいでしょうね。
それにつけてもこの映画って無くてもいいシーンが多かったり 意味不明の台詞が出たりと無駄が多いですね。以前私はGMK 掲示板にて近年のゴジラ映画はへ理屈が多いと書きましたが本 作品における科学的な台詞も実はこれなのでしょう。
今回はそれプラス無茶苦茶な展開で。
DNAをテーマにするならきちんと調べろ!と話が進むにつれ て思えますよね。
あとミュータントのM機関の設定ですが別に無くてもあの機関 をスペシャリストの機関として描いたほうが良かったと思いま した。
尾崎と風間のまとりくすの下手なパクリのバイクチェイスシー ンは無駄とも思えましたし別に無くても映画には何の支障もな いですね。
地球の怪獣を調査しているX星人の筈がゴジラを知らんと は・・・。アホかいな!!というしかないですね・・・。ゴー ドンもだけど
689
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) KJ

2005/02/06 02:28


男性 37歳 B型

久しぶりにお邪魔します。 軽くお読み頂ければ幸いです。

> それにつけてもこの映画って無くてもいいシーンが多かったり意味不明の台詞が出たりと無駄が多いですね。以前私はGMK掲示板にて近年のゴジラ映画はへ理屈が多いと書きま したが本作品における科学的な台詞も実はこれなのでしょう。

> 尾崎と風間のまとりくすの下手なパクリのバイクチェイスシーンは無駄とも思えましたし別に無くても映画には何の支障もないですね。

要は、整合性も必然性も感じられず、画像的にも演出的にも納 得させるだけ
のものが無いのに、製作者サイドだけが「シブイよね」「カッ コいいぜ」
「しゃれてるよな」「キマッた!」と思っているエピソードや シーンの数々
ですね。(笑)

様々な設定・エピソード、或いはセリフ等を観客に届かせたい のなら、
それらを納得させるだけの演出の積み重ねや映像的/脚本的説 得力が絶対に
必要である事は、みなさんも散々仰っている通りです。
それらを欠いたままやろうとするからただの屁理屈、或いはウ ザいだけの
シーンに感じてしまうんですな。ウザいだけなら良いけど、中 には観てる
こっちが恥ずかしくなってしまう様なものも結構あります。
かつての「さよならジュピター」や平成ゴジラシリーズ等、こ こ20年位の
日本のSF特撮系映画には、この手の悪例が山ほど見受けられ ますね。
(大森一樹ゴジラ作品には、特に顕著な気がするのは私だ け?)

少々エキセントリックな例えになりますが、例えばプロレスの 興行で、
ダンディ坂野を連れてきて、いきなり小川直也とのタイトル マッチを組んだ
としたらどうでしょう。あの2人が取っ組み合い、技の応酬を 見せ、或いは
ダンディの繰り出す凶器攻撃に小川直也ピンチ!!なんて演出 をしたと
したら?
多分観客は笑う前に怒り出すでしょうね。
それは、ショーとしてすら成り立っていない、という事です。

エンターテインメントには、エンターテインメントとしてのウ ソを成功
させるだけの演出&説得力が不可欠であり、それだけが成功の カギと
言っても過言ではないでしょう。
それらが無いまま実行した結果、ただのお笑いになっているの ならまだ
救われますが、大抵は「失笑」を招く結果となります。
GFWでは、上映開始早々これがありました。あの物々しいタ イトルバック
直後の南極シーンでのミニチュア戦車ですね。
(やる気あんのかっ!!ノスタルジーを感じる前に怒りが湧い たわっ!)

時間と予算(&実力)と良く相談して、やれる事だけ確実に やっていけば
いいものを、何であんなに色々やりたがるんでしょうか。
その点では、やはり平成ガメラシリーズの方がまだ上手くさば いている、と
感じざるを得ません。

またまた話は飛んでしまい恐縮ですが、今日DVDで
「ヴァン・ヘルシング」を観たんですよ。
予想通り「予算たっぷり・知能指数サッパリ」「凄い映像と凄 いご都合主義
の連続」って感じでした。

取り合えず2時間楽しめる見世物作ったんだからそれでいいだ ろっ!と
言われれば、確かに全然合格です。「んなアホな」と突っ込み まくりながら
も、それなりに楽しめましたから。(ただし何の余韻も残りま せんが)

現代のCG&特殊撮影技術をもってすれば、どんなバカ映画で も、2時間
黙って観させる事は不可能ではないんですよね。何しろ生身の 人間である
王女さんもヘルシングも、はたまたそこらのアンチャンでも簡 単に
スーパーマン並みの働きをしてくれます。何も考えずにスピー ド感と迫力の
ある映像の連続に身を任せれば、そこそこ楽しい暇つぶしには 充分成り得て
しまう訳ですな。
ただ、どうも最近のこの手の映画は、「掛けた予算&技術」に 比例して
「バカ指数」が上昇する傾向が強いような気がしてなりませ ん。
(もちろんそうでない作品もあるんですが)

え~っと、何が言いたいのかだんだん判らなくなってきました が、
仮にGFWが「細かい事言わず、頭空っぽにして楽しめ やっ!!」という
類の作品だとしても、上記の「ヴァン・ヘルシング」のレベル にすら全然
到達していない、という事が言いたかった訳なんです。まあ、 同じバカなら
金掛けて盛大にやったもん勝ちなのかも知れません。
しかし北村監督は、これでどうやってハリウッドに対抗するつ もりだったん
でしょうか。(しつこい?)

ちぐはぐな演出・必然性と整合性の無さ・多くの無駄なセリ フ&設定・
説明不足&ご都合主義の連続・・・
それならそれでいいから、せめて一瞬一瞬の映像的完成度と、 物語のリズム
だけでも維持してくれよっ!!と。
ただのハイパー大味見世物系映画としても、残念ながら落第で す。
観に来るのはハム太郎やデカレンジャーでお腹一杯にしてくれ る子供だけ
じゃねえんだぞ。一応ゴジラ50周年記念作品なんだし。

そういえば「VSデストロイア」でも、あのガチャポンで出し たような
愛らしい、作り物感タップリの小型デストロイアの群れがチョ コチョコ動く
シーンがございました。
警察やら防衛隊やらがそいつらと必死?に戦って、石野陽子は 恐怖の叫び声
上げてましたが、目の前で映し出されるそれらのシーンから私 が受け取った
ものは、緊迫感でも臨場感でも、ましてや迫力などでも決して なく、
なんか変に置いてけぼりにされた様な寂しさと、そこはかとな く湧き上がる
怒りだった事がまるでつい昨日の事のように思い出されます。

あの映画でゴジラは死んだんだよなあ・・・
何か、色んな意味でツライっす。(あ、すんません。ちょっと 涙が・・・)


本題と外れ、些か感情的になり、且つ一部私的日記っぽくなっ て
しまいました事、平にご容赦ください。
691
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) ルー等級つつ 大臣

2005/02/06 16:17




レスありがとうございま す。
> 要は、整合性も必然性も感じられず、画像的にも演出的にも納得させるだけ
> のものが無いのに、製作者サイドだけが「シブイよね」「カッコいいぜ」
> 「しゃれてるよな」「キマッた!」と思っているエピソードやシーンの数々
> ですね。(笑)
>
> 様々な設定・エピソード、或いはセリフ等を観客に届かせたいのなら、
> それらを納得させるだけの演出の積み重ねや映像的/脚本的説得力が絶対に
> 必要である事は、みなさんも散々仰っている通りです。
> それらを欠いたままやろうとするからただの屁理屈、或いはウザいだけの
> シーンに感じてしまうんですな。
全くもってその通りですよね(爆)
作り手の真摯さがまるっきりないというか・・・。トレンドさ え盛り込めばそれだけで映画になるって安易さが目につくとい うか。
要素が多すぎて的を絞って作ればいいもののそれをやらないん ですから・・・。多分営業の方も責任があるんでしょうね。
まぁ本作品の場合は北村監督自身が映画を作る実力がないだけ の話ですけどね。困ったことに。
690
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) レグルス

2005/02/06 10:29


男性 28歳 A型

「ガンダムX」と「指輪物 語 王の帰還」DVDにハマってしまって、
なかなか時間ができません(^^;)

> 佐藤勝さん作曲のメカゴジラのテーマが延々と流れますが、どういう意図なのかわかりません。
> どうやら監視所の職員が聴いている音楽という設定のようですね。
> あからさまに不自然。

このテの、BGM的な挿入曲の使い方はハリウッド映画でよく 使っている手法ですね。
タイアップの関係とかもあるんでしょうが…。
ただ、やっぱり他の音楽設計と比べて浮いてますね。

> また意図的であることは解りましたが、このシーンに出てくる二人が地球の危機も人類の危機もどこ吹く風でのんびりしているというのも全体を考えると失敗と言えるでしょう。

ほとんど人類が滅亡したのであきらめで無気力になっている、
ととれなくもないですが…。
そうとると、ゴジラ解放の時の「どうなっても知らないぞ」と 矛盾します。
(いまさら矛盾とか言って……という感じもしてきましたが) (^^;)

> シナリオでは監視所のシーンに続いて、新轟天作戦室でのトンデモ解説が入ります。

> えー、G細胞にM塩基を注入してもゴジラの遺伝子がM塩基を駆逐するんだそうで、実験によると注入されたM塩基が浸食(?)され消滅(?)するとのこと。

たしかにトンデモですわ(^^;)

> まあ、カットされた設定に目くじら立ててもしょうがないんですが、基本的なところで遺伝子とは何かとかDNAとは何かということを理解しないまま科学単語だけを並べ立てて いるシナリオなんですよ。

SF好きな小学生が、自分でマンガや小説を書くと、こんな感 じになりますね。
(私にも経験があるので分かります)(^^;)

> そのあと気になったのは、体に巻き付いているガイガンのチェーンをゴジラがかなぐり捨てるアクション。
> 腕の使い方が人間的すぎると思いました。

私もそう思いましたが、
『GFW』においてゴジラは人間的な演出だからしょうがない か…という感じでした。
なにせ後で“あんなこと”や“そんなこと”までやるんですか らね…。

> 地球の怪獣について調べたどころか怪獣を捕まえて言うことを聞くように改造しているのでしょう?
> (ないし地球の怪獣を模した替え玉を作った?)

このへんも絶対的に説明不足なんですよね。
たんにX星か、これまで家畜化してきた星に住んでいた生物を 戦力として連れてきたのか、
地球にいた怪獣にM塩基があることに目をつけて操ったのか。
怪獣が出現した時に防衛軍本部のオペレーターがすぐ名前を呼 んでいることから、
後者のようだとは想像できますが、
ねじれたメタ構造に支配されている『GFW』においては決定 的な証拠とは見なせませんし…。
(初登場の怪獣にいきなり名前がついていても不思議ではない 世界観です)
過去において退治された怪獣の別個体がX星人によって創造さ れたので、
名前も知られているし、操れたのかも…。

> 不幸中の幸いとでも言うのでしょうか。あまりにもすごいので、美雪のセリフをちょっと引用。
> 「G細胞の遺伝子情報をコピーして、粒子加速器で増殖させています。G細胞の粒子的モデルと思ってください」
> すげーーーーー!まるっきりわけわかんねぇ。
> この粒子ビームがM塩基を持つ生物に致命的なんだそうで。すごいすごい。拍手するしかないですわ。
> また、最後にゴジラを元気づけるのはシナリオではこの粒子ビームなんですよ。
> すごいよなぁ。なんでゴジラが元気になるのかなぁ。よくこんなことが思いつくよなぁ。

絶句……!(*o*)

これならまだカイザーの超能力でなんでもできる、としたほう がましですね。
あ、結局は超能力と気合いでそうしちゃいましたね。

> 完成作ではシドニーでのゴジラ対ジラになります。
> (統制官も南極からシドニーまでは黙ってみていたのね)
> ここでSUM41の音楽が鳴ります。
> 私にはGFW全編で映像と音楽がマッチしたのはこのシーンだけだと感じられました。
> 雑然とした印象のGFWという映画にSUM41のノイジーな音楽はぴったりだったと思いました。

たしかに言われてみれば、覚えている曲の1つです。

> GFWの中では比較的印象の強い音楽であったと思いますし、ゴジラのテーマとして使われているフシがあるので、ストーリー上重要なシーンになるのかな、という期待感を抱か せます。
> しかし、実際は何でもない相手を軽く倒すだけ。うーん、わからん。

こういう場面こそ、SUM41のようなビートをガンガンに効 かせたノリノリの音楽なら、
ゴジラの強さ、勢いはまだ出せたと思うのですが。
(ジラからシーサーまで延々と流す!)
692
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) 殿様ギドラ

2005/02/07 14:32


男性 42歳 O型

どもども、みなさんレスを ありがとうございます。

>ルー等級つつ大臣さん
設定にせよストーリー展開にせよ、ムチャクチャの程度が激し すぎると大勢の人間が一斉にしゃべっているみたいになって、
なにがどうしておかしなことになっているのか見えにくくなっ てしまいます。
そのため細かい部分を検証せぬまま全体像ばかり評論しようと しても問題の核心に迫れません。
(GFWをチャンピオン祭の再来だ、という形で片づけようと する動きにそれを感じます)

意図的にムチャクチャをやる気だったのなら、もっと過激には じけないと表現としての価値は生まれませんしねぇ。

>KJさん
「ヴァン・ヘルシング」は未見ながら、おっしゃることはわか ります。
私が近年見たハリウッド映画からは「X-MEN」(2はまだ 見てないです)と比較したいです。
「X-MEN」も科学的には相当にいい加減な設定を使ってい て、別に人間の実相とかこの宇宙の謎なんかを描き出すわけで はありません。
見た目の派手さとSFっぽいアクションを見世物にした映画 だったといっていいでしょう。
でも楽しめました。
それは作品世界内での登場人物の行動に筋が通っていて、敵味 方の攻防に「スリル」を感じさせることが出来ていたからだと 思います。
せめてそのレベルの作品になっていてくれないと、まともな評 価は出来ません。

「vsデストロイア」の情けなさにはまったく同感です。
それでも、あの映画はそんなグズグズ感を最後のゴジラメルト ダウンで押し流す力がありました。
私は平成VSのゴジラを原子炉とでも考えているような設定に は納得していません。
しかし、映像でゴジラが溶ける様を見せられ、そこに伊福部先 生の鎮魂曲が流れるという理屈を超えた感覚の前には目頭を熱 くさせられてしまうのです。
GFWには・・、いや、ここでは言いません。

>レグルスさん
どうもすいません。
「王の帰還」DVDはいかがですか?(って、ここでそんなこ とを聞いてる場合じゃない)

いやもう、いまさら矛盾点がどうとか書いてもちょいと虚しく なりますが、ここは根性で気が付いたところは出来るだけ書き ますぞー。

>SF好きな小学生が、自分でマンガや小説を書くと、こんな 感じになりますね。
>(私にも経験があるので分かります)(^^;)
同じく、私にも経験があるのでよーくわかります。
それだけにプロがこんなことやってちゃダメでしょ、と。

レグルスさんが再三指摘しているGFWの「ねじれたメタ構 造」が意図的なものなのか、単に不注意なだけだったのか、と いうのも議論の価値がありそうです。
私としては、作品中に観客の世界と作品世界をごちゃ混ぜにし ているという確信的な「サイン」が発見できないので、ただの 不注意なんじゃないかな、と思うんですが・・。
694
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) KJ

2005/02/07 22:06


男性 37歳 B型

> 「X-MEN」も科学的には相当にいい加減な設定を使っていて、別に人間の実相とかこの宇宙の謎なんかを描き出すわけではありません。
> 見た目の派手さとSFっぽいアクションを見世物にした映画だったといっていいでしょう。
> でも楽しめました。
> それは作品世界内での登場人物の行動に筋が通っていて、敵味方の攻防に「スリル」を感じさせることが出来ていたからだと思います。
> せめてそのレベルの作品になっていてくれないと、まともな評価は出来ません。

まったくもって仰る通りです。
その場限りの見世物でもいいんですよね。金払った分くらいは 満腹にして
くれる程度の出来であれば。
ただ、そういった類のエンターテインメントだとしても、それ にはそれなり
の最低限の構成体となっていなければならない、と言う事です ね。

> しかし、映像でゴジラが溶ける様を見せられ、そこに伊福部先生の鎮魂曲が流れるという理屈を超えた感覚の前には目頭を熱くさせられてしまうのです。
> GFWには・・、いや、ここでは言いません。

いや~、そりゃファンにとって一応「ゴジラの最後・死」を、 伊福部先生
自らのレクイエムに乗せて見せられた日には、どんな根性悪
(のゴジラファン)でも泣きますよ(笑)
あれだけ不満のある作品であったにも関わらず、不覚にも最後 のシーンで
泣いてしまった自分がやはりここにいる訳で。(笑)そういう 意味では
伊福部音楽はある意味反則・もしくは両刃の剣かもすれませ ん。マジで。

せめてGFWも、この作風に合った作曲家に音楽を付けても らっていれば、
もう少し浮かばれたろうに。まあ、その作風の成り立ちを理解 できる音楽家
がいれば、の話ですが。
また新スレッドで音楽論でもやって頂ければ。

> レグルスさんが再三指摘しているGFWの「ねじれたメタ構造」が意図的なものなのか、単に不注意なだけだったのか、というのも議論の価値がありそうです。
> 私としては、作品中に観客の世界と作品世界をごちゃ混ぜにしているという確信的な「サイン」が発見できないので、ただの不注意なんじゃないかな、と思うんですが・・。

私個人的には、そんな「サイン」は読み取れませんでした。
正直、不注意・無関心の連続が生み出した結果としか思えませ ん。
エド・ウッドみたいに、「やる気満々/才能カラカラ」の最た るレベルまで
いきついて、結果的に過激な破壊力(おばか力)を生み出して いれば、
まだカルトとして評価されるに至ったかもしれませんが。

もしくは「確信犯」としてやっているかどうかですね。
ただ、ハリウッドテイストてんこ盛りの大げさなタイトルバッ クの後の
「あの」ミニチュア戦車シーンが彼の「確信犯」的表現の一つ だとしたら、
正直そこには悪意(もしくは悪趣味)的なものしか受け取れな いです。

696
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その6) 殿様ギドラ

2005/02/08 10:55


男性 42歳 O型

音楽だけに的を絞ったお話 も是非やりたいですね。
映画音楽ってものすごく大事です。

ルー等級つつ大臣さんや四式戦車(チト車)さんもおっしゃっ ていたと思いますが、
平成vsシリーズが当時ヒットできたのは伊福部音楽の力によ るところが大きいのではないかとは私も思うところです。

また、GFWにもミニチュア丸出しの映像が多く見られたこ と、ゴジラ(怪獣)映画の将来を考えるときに議論の焦点とな るでしょう。
(現在の私の考えを簡単にまとめると、「ノスタルジーで怪獣 を考えるのか」「現代の映画表現として怪獣を活用するのか」 の違いでは)
このあたりの話はGFWだけの問題ではないので、また項を改 めてぎっちり考えたいです。
702
メタとしても メタメタ レグルス

2005/02/09 14:17


男性 28歳 A型

> 「王の帰還」DVDはいかがですか?(って、ここでそんなことを聞いてる場合じゃない)

いやいや、実は大あり(^^;)
あそこまで凄いミニチュア特撮&CGワークを見せられると、
日本のショボい映像が見るに耐えなくなって……(^^;)

ピーター・ジャクソンは特撮好きですから、
(アマチュア時代は自分でミニチュア作って爆破してたくら い)
特撮・怪獣映画のエッセンスが充分に活かされてるんですよ ね。

“じゅう”(オリファント=ムマキル)や“翼もつ獣”なんて もう堪りません!
『GODZILLA』なんかより遙かに怪獣映画してます。


> レグルスさんが再三指摘しているGFWの「ねじれたメタ構造」が意図的なものなのか、単に不注意なだけだったのか、というのも議論の価値がありそうです。
> 私としては、作品中に観客の世界と作品世界をごちゃ混ぜにしているという確信的な「サイン」が発見できないので、ただの不注意なんじゃないかな、と思うんですが・・。

KJさんと同じく、私も不注意なだけだと思います。

北村監督の狙っている路線(脳天気アクション)からは全然関 係ない要素ですし、
そもそもメタ趣向は、ねじれちゃ駄目です。
悪く言えば整合性がない、という意味を、
「ねじれたメタ構造」と良く言っているんですね(^^;)

怪獣という、あくまでもフィクションの存在でありながら
日本人の中のひとつのジャンルとして定着するまでになった、
その理由を突き詰めるためのひとつの要素として、
突っ込んで考えてみるのも悪くないテーマだと思いますが…。

たぶんこの路線で作ると、
押井守映画になるか、『オール怪獣』になるか、どちらかにな りそうな気がします。
706
Re:メタと してもメタメタ KJ

2005/02/10 00:22


男性 37歳 B型

> あそこまで凄いミニチュア特撮&CGワークを見せられると、
> 日本のショボい映像が見るに耐えなくなって……(^^;)
>
> ピーター・ジャクソンは特撮好きですから、
> (アマチュア時代は自分でミニチュア作って爆破してたくらい)
> 特撮・怪獣映画のエッセンスが充分に活かされてるんですよね。
> 『GODZILLA』なんかより遙かに怪獣映画してます。

結局、平成ガメラ然り、海外もの然り、遠い昔にゴジラ等に よって影響を
受けた人々が創り上げた作品の方が、遥かに良質なオマージュ であり、かつ
高水準なものに仕上がっているのは、根本的にここ20年位の 東宝の怠慢
であるとしか考えられなくなってしまうんですよね。
まさに「昔の名前で出ています」の典型的な悪例。
だから言うんです、「これでは円谷・本多両氏も浮かばれま い」と。

オール怪獣・・・でも、押井系でも、はたまたハリウッド大味 アクション系
でも何でもいいから、一つのベクトルにまとまっていればまだ そんなに気に
ならなかったように思います。
非常に好意的に考えれば、「混沌」の魅力とでも言えるかもし れませんが。
(ただ、典型的な混沌の例で、にっかつの「落陽」の様な大失 敗作品も
ありましたけど)

確かにGFWがあそこまでちぐはぐな設定と違和感だらけの シーンの連続
でも、スピード感だけで一応2時間以上席を立たせなかったと いう事実は、
数少ない監督の長所と考えられなくもありません。
(まあ、一応金払ってるから途中で帰る事はよっぽどないです けどね)

ただ、同じ破綻するならいっそもっと狂いまくってほしかっ た。
本当に、中途半端な作品に感じます。
SF大作娯楽映画としては、「トホホ」
カルト映画としてみても違和感あり、といったところでしょう か。
(製作意図と結果の差がありすぎ)
708
Re:メタと してもメタメタ 殿様ギドラ

2005/02/10 11:45


男性 42歳 O型

私も先日BSで放送された 「王の帰還」を見ました。(DVD版とは編集が違うのか な?)

作品全体としてはどうもロード・オブ・ザ・リングシリーズに 乗りきれない私ですが、
レグルスさんと同様にその特撮映像の緻密さ精密さに毎回びっ くりしています。
CGと造形物の連携はお見事としか言いようがないです。
そして登場する「怪物」や洪水・噴火などのスペクタクル描写 はハリウッドより日本の特撮映画の味に近いものを感じまし た。
(原作通りなのでしょうけれど、エンディングに火山噴火を 持ってきたところ、これだこれだ、こんなのが見たかったんだ と思いました)

ロード・オブ・ザ・リングシリーズほどの時間と予算がないと しても、
的を絞って特撮シーンの尺を短くすれば同様の密度を持った特 撮映像が日本でも作れるのではないかと思います。
しょぼくてもなんでも特撮カットには客の目を引く性質があり ますが、全体に薄味の特撮シーンをたくさん盛り込んでも充実 感は出ませんよ。

GFW、「メタ構造」が発生してしまったのが不注意によるも のだとしたらやはり製作姿勢を糾弾せざるを得ないですね。
フィクションに現実味を持たせるための周到な計算がないとい うのはまずいです。
しかし、近年のゴジラ映画がゴジラファンのみを向いていて、 一種の楽屋落ちばかり見せていることを考えると確信犯なのか もしれないと思うところもあります。
「このストーリーには合わない演出(設定)だけど、ファンの みんなはわかるよね?」という発想かもしれません。
妖星ゴラスの使い方などまさにそういうことでしょう。

一過性のイベントならそれで喜ぶのもアリなのかもしれませ ん。
また、ゴジラ映画にそういうものしか求めていないお客さんも いるのかもしれません。
しかし、ここではっきりと言っておきます。
ゴジラが50年経っても人気を保っているのは、その出演作品 に時代を超えた価値があったからです。
一過性の熱狂ではなく世代を超えて愛される作品群に登場した のがゴジラなのです。
文化祭でのクラスの出し物みたいな「内側」を向いたパフォー マンス(敢えて作品とは呼ばない)では困るんですよ。
(なーんて話はスレッドとして独立させたほうがいいかもしれ ませんね)

とはいえ、怪獣という文化はかなり深く我々の中に浸透してい ます。
格別な怪獣ファンでなくても日本人なら怪獣に対するなんらか の観念を持っているのではないでしょうか。
それを踏まえれば、
>日本人の中のひとつのジャンルとして定着するまでになっ た、
>その理由を突き詰めるためのひとつの要素として、
>突っ込んで考えてみるのも悪くないテーマだと思います が…。

という発想の作品が出てきてもいいですね。
グダグダ感はありますが、『大怪獣東京に現る』のラストには そういう発想がちらちら見えます。
(そこに的を絞り込んできちんと統一すれば、怪獣論映画には なり得たかもしれない)
ただ、まあ、それはあくまでも怪獣論映画であって、怪獣映画 にはならないでしょうけれど。
(GMKもそっち方向でしたね。しかし、あの作品もねじれた メタ構造に支配されていて、表現として成立していなかった)

GFWは絶対にそんな小難しいことを考えた作品ではないです から、
やっぱり私も
>同じ破綻するならいっそもっと狂いまくってほしかった。

というKJさんのご意見に一票です。
(『007カジノロワイヤル』みたいな作品になっていたら全 肯定は出来ないまでも楽しむことは出来たでしょう)
712
Re:メタと してもメタメタ レグルス

2005/02/10 20:50


男性 28歳 A型

> 私も先日BSで放送された「王の帰還」を見ました。(DVD版とは編集が違うのかな?)

スペシャル・エクステンディッド・エディション(ロングバー ジョン/ディレクターズ・カット)で、
劇場公開版よりも50分長いバージョンです。
(基本的には追加のみで、カット部分はないような気がします が)

> そして登場する「怪物」や洪水・噴火などのスペクタクル描写はハリウッドより日本の特撮映画の味に近いものを感じました。

ピーター・ジャクソンが戦争ものが好き、というのはもちろ ん、
怪物に対する愛がありますよね。
このあたりが『GODZILLA』は微妙にしても、他のハリ ウッドのパニックものと違うところかも。

> 的を絞って特撮シーンの尺を短くすれば同様の密度を持った特撮映像が日本でも作れるのではないかと思います。
> しょぼくてもなんでも特撮カットには客の目を引く性質がありますが、全体に薄味の特撮シーンをたくさん盛り込んでも充実感は出ませんよ。

先に物語を作って、必要なだけ特撮カットを作るのもいいで しょうが、
“完璧な”特撮カットは何カットまでなら時間/予算内ででき るか、
というところから逆算して構成を考える必要もあるのではない でしょうか?
(特にプロデューサーよ!)

> しかし、近年のゴジラ映画がゴジラファンのみを向いていて、一種の楽屋落ちばかり見せていることを考えると確信犯なのかもしれないと思うところもあります。

意図としては確実にあったと思います。
松岡&ケイン対エビラ、ゴジラの大気圏外までの放射火炎、
などはこの意図に対する解答として明解なものでしょう。
(あれ……、他に思い浮かばないなぁ…(^^;) 監督の大 言壮語からするともっとあって良いはずなんですが…)

> ゴジラが50年経っても人気を保っているのは、その出演作品に時代を超えた価値があったからです。
> 一過性の熱狂ではなく世代を超えて愛される作品群に登場したのがゴジラなのです。

なんだかんだ言っても、過去49年のゴジラ映画は、どのス タッフも真摯に作っていたと思います。
(個人的な好き嫌いや、出来不出来はおいといて)
『GFW』において、ハチャメチャにやる、という路線は良い と思いますが、
真面目さという点においては問題があったようですね。
殿様ギドラさんの指摘されている基本的な映画文法の欠如や、
(敢えて入れないならともかく)誤った科学理論などなど。

とはいえ、煮詰まってきた感もあるゴジラ映画において、
カンフル剤としての役割はとりあえず果たしたと思います。

この掲示板では「ゴジラとは/ゴジラ映画とはなにか」という 問題についても改めて考えられましたし。

ただ、カンフル剤というのは、“その後”があるからこそ必要 なものなんですけどね…。
そういう意味でも、是非、東宝には前言撤回して 「REVENGE OF GODZILLA」を作ってほしいです。
というより、北村監督の劇場挨拶のコメントを見るまでもな く、
東宝さん、「もうゴジラ映画が作られない」なんて、誰も信用 してないですからっ!!
716
Re:メタと してもメタメタ 殿様ギドラ

2005/02/14 12:14


男性 42歳 O型

ロード・オブ・ザ・リング シリーズは、劇場版はプロモーションフィルムでDVDのロン グバージョンこそが作品なのかもしれませんね。
第一作は映画館へ見に行ったのですが、ハイライトシーンを 次々と並べられているような気がしてかなり飽きました。
登場人物の関係などを丁寧に感じさせるところが少なかったの が不満の最大点だったように思います。
きっとロングバージョンではそのあたりが解消されているんで はなかろうかと推測しています。
(三部作ではなく、それぞれさらに二分割して全六作で公開す るというのは出来なかったんでしょうか・・。「王の帰還」も 劇場版には省略されたためにわかりにくくなったところがある ようです)

おっとっと、話が逸れてしまいました。

近年のゴジラ映画は派手さを追求するあまり、映像の密度がな いがしろにされているようです。
これは年少者への配慮という意図もありそうですが、どうも悪 い意味での子供だましになっているんじゃないでしょうか。
ミニチュア特撮にはソフビ人形やプラモデルで遊ぶ感覚に近い ものがあるとは思います。
しかし、大前提は通常の撮影では実現できない「驚異の映像」 を作り出すために特殊技術を使うということでしょう。
(「驚異」とは限りませんけれど)
はじめからオモチャを見せるという意識では架空のストーリー にリアリティを持たせることは出来ません。
そこまで極端ではないにせよ、ミニチュアのオモチャ感覚に甘 える姿勢がありはしないでしょうか。
オモチャに見えるけど、まあいいか、と。
CGの発達でとりあえず見た目は本物っぽく見える映像が作り やすくなった中で、質感や実在感にこだわって多少の粗は覚悟 の上でミニチュアを使うのは正しいと思います。
しかし、もし、ミニチュアに見えてもいいやという意識がどこ かにあるなら、それは間違っています。
本物に見せるための努力を重ねた上でどうしてもうまくいかな かった部分が出てくるのは仕方ないですし、
また、そんな努力はフィルムを通じて伝わってきます。
頑張った結果の粗は「味」に変わるんじゃないかと思っていま す。

(それがすべてではないことはわかっています。意図的におも ちゃチックにすることで出てくる「おもしろさ」があるのはわ かります。でもそれは特撮の「変化球」です)

GFWが特撮映画にはこだわりのない監督が担当するというこ とで一番最初に期待したのは、原点に返った特撮が見られるん じゃないかということでした。
(でも、すぐ『あずみ』を見てしまって、特撮云々以前にまと もな映画にすらならないんじゃないかと憂鬱になりましたけ ど)
エメリッヒの「GODZILLA」は大したことのない映画に なってしまいましたが、それでもなまじ日本の怪獣映画を知ら ないだけに自然な映像作りは出来ていました。
怪物の巨大感やビルの崩壊描写は実写の代替としての表現が出 来ていました。
残念ながらGFWにはそんな特撮の原点に返った表現はほとん ど見あたりませんでした。

また、開き直って特撮バレバレでも構わないからすごい画を見 せてやる、というほどのものもなかったのが残念でなりませ ん。
これは結局特撮にこだわりがない監督だったため、特撮で感じ させる「驚異」への理解が足りなかったためではないかと思わ れます。
(ビルが壊れるだけでは不十分。どんな風に壊れるかが大事。 光線を発射するだけでは不十分。どんな破壊力を持つのかが大 事。メカも怪獣も出てくるだけでは不十分。どんな動き・性能 を持つのかが大事)

GFWが今現在のゴジラ映画にあり方になにかを投じたのは確 かです。
新作が作られることでゴジラや怪獣の存在をアピールしてくれ る役割はあります。
でも、もう一歩踏み込んで欲しい。
怪獣映画の魅力を発揮した作品が作られなければ、一部のマニ アにしか価値のないものになってしまいますし、
その価値も、作品そのものの価値ではなく、特撮史の中に置い て初めて理解されるものになるのではありませんか?
(GFWが怪獣映画の原点回帰だみたいな意見もありますが、 それは間違っています。GFWが回帰したのはせいぜい70年 代のテレビ特撮です)

ゴジラ映画を作るなら、まずは「ゴジラ映画」を作りましょ う。
そしてゴジラ映画とは何かを知るにはゴジラ映画を研究するこ とです。(あったり前のことですが)
いままでやらなかったことをやるのも結構ですが、それがゴジ ラ映画の魅力をそぐことになりはしないか検証しなきゃいけま せん。

私もGFWが最終作だなんて、ただの宣伝文句としか思いませ ん。
でも、「2000ミレニアム」から「ファイナル・ウォーズ」 までの流れを引き継ぎ、似たような発想でだらだらと新作を作 り続けるぐらいならもう作らないほうがマシじゃないかと思う ところもあります。
(ああ、プロデューサーコメントによるとGFWは『キングコ ング対ゴジラ』の世界の続きにするはずだったそうですが、ど こで狂ったのか)
というような話は、もうちょっとあとでゴジラ映画の未来を考 えるときにもう一度やり直しましょう。
721
Re:メタと してもメタメタ レグルス

2005/02/14 20:58


男性 28歳 A型

『ロード・オブ・ザ・リン グ』または『指輪物語』には愛着があって、
限りなく脱線しそうなのでこのへんで止めておきますね (^^;)

> 本物に見せるための努力を重ねた上でどうしてもうまくいかなかった部分が出てくるのは仕方ないですし、
> また、そんな努力はフィルムを通じて伝わってきます。
> 頑張った結果の粗は「味」に変わるんじゃないかと思っています。

このあたりはなかなか難しいものがありますよね…。

『ラドン』のDVDを見て、福岡襲撃シーンの迫力に圧倒され たのですが、
それ以外のシーンやカットに関しては、無意識の内に、
時代的な限界というものを脳内にリミッターとして設定した上 で評価しているような
気がするからです。
それと同様に、日本映画だから、とか怪獣映画だから、
という無意識の水増しがありはしないか?
と自分自身に対しても疑いが残るのです。

まあ費やしたお金と時間が違う、と言われればそれまでなんで しょうが、
『GODZILLA』や『ロード・オブ・ザ・リング』とまで は行かずとも、
いいかげん<平成ガメラ>シリーズは越えてほしいです ねぇ…。(少なくとも映像的に)

> GFWが特撮映画にはこだわりのない監督が担当するということで一番最初に期待したのは、原点に返った特撮が見られるんじゃないかということでした。

畑の違う監督なので、“特撮映画の定番”を知らないから、
少しでもミニチュアっぽかったり、
“お約束的処理”があるとリテイクしてくれる、
その結果リアルな画が見られるのではないか、と私も期待しま した(^^;)

> また、開き直って特撮バレバレでも構わないからすごい画を見せてやる、というほどのものもなかったのが残念でなりません。

怪獣のほうも『マトリックス』的なハチャメチャアクションを やってくれれば良かったのに、
怪獣のほうは妙にリアリティが残っているんですよね…。

> でも、「2000ミレニアム」から「ファイナル・ウォーズ」までの流れを引き継ぎ、似たような発想でだらだらと新作を作り続けるぐらいならもう作らないほうがマシじゃない かと思うところもあります。

私もそれは『VSスペースゴジラ』あたりから毎年思ってま す。
打ち止めに値するだけの作品が出てこなかった、ということも ありますが、
まあ『メカゴジラの逆襲』も最終作を意図して作られたわけで はないですしね。

最後、止めを刺すことができるのは、やはり初代ゴジラのリメ イクしかない、
と思います。
『七人の侍』のように、オリジナル版を全国でリバイバル上映 するのも良いと思いますが。
725
Re:メタと してもメタメタ 殿様ギドラ

2005/02/15 14:18


男性 42歳 O型

> 『ラドン』のDVDを見て、福岡襲撃シーンの迫力に圧倒されたのですが、
> それ以外のシーンやカットに関しては、無意識の内に、
> 時代的な限界というものを脳内にリミッターとして設定した上で評価しているような
> 気がするからです。
> それと同様に、日本映画だから、とか怪獣映画だから、
> という無意識の水増しがありはしないか?
> と自分自身に対しても疑いが残るのです。

わかりますわかります。
どこまでニュートラルな視点で見ているのかと自問自答する毎 日です。
(ちょっと大袈裟ですが)
自分の心と向き合って、その感じ方を正確に捉えるのは難しい ことです。

ミニチュアであることがバレていてもそれが味になっているん じゃないかと思う例としては、『空の大怪獣ラドン』からなら 倒壊する建物の貯水タンクからちゃんと水がこぼれるところで しょうか。
ミニチュアであることは見た目で解ります。
それでも本物と同じように機能していると思わせる作り込みで 模型に息吹を感じるところが本物を超えた「味」になっている んじゃないかと思ってます。
693
シナリオ・絵コンテを 読みながら(その7) 殿様ギドラ

2005/02/07 14:34


男性 42歳 O型


次に、歩いていくゴジラを猟師とミニラ一行が眺めるシーン。
これはストーリーから遊離して作り手から観客に対してゴジラを説明す るシーンですね。
それ自体は悪くないです。あの猟師が孫にゴジラについて講釈たれても 不自然ではないです。
(ただし、地球がX星人に蹂躙されているという状況での会話としては いささか不自然)
ゴジラの立場を明確化しているんですね。(残念なことにGFWのス トーリーと噛み合わないけれど)
このシーンの最後にミニラがあわてふためくのはよくわかりません。

そして新轟天内での尾崎と美雪の会話。
なぜこれほど間の多い静かな雰囲気にしたのでしょう。
新轟天が置かれている状況が反映されていないです。
それを言うと、ガイガンをゴジラに倒された後、なぜ統制官は新轟天追 撃をやめてしまうのでしょう。
新轟天を撃墜することも必要なのでは?
ま、とにかく、ゴジラを誘導しながらX星人の母船へ向かっている最中 とは思えないのんびりした雰囲気には違和感がありました。
ここで美雪の「私の研究っていったい何だったんだろう」というセリフ が出ます。
ストーリーと繋がらない言葉なんだよなぁ。
自分が研究してきたことを根底から覆されたという出来事でも描かれて いれば納得できますが、(めちゃくちゃな論理とはいえ)美雪のアドバ イスでゴードンたちは「おぺれーしょん・ふぁいなる・うぉーず」に踏 み切ることが出来たのだから問題ないでしょう。
これが、シナリオでは違っているのです。
先に紹介したシナリオ決定稿に見られるG細胞をモデリングした粒子 ビームを作ってしまったことを悩んでいるシーンなのです。
「結局破壊のための兵器を作ってしまった」と。
これもここまでの美雪の描かれ方から考えれば、かなり唐突なセリフで はありますが、科学者が破壊兵器を作ってしまったことを思い悩むのは 自然でありましょう。
(とはいえ、そのGビーム?が汎用的な破壊兵器であるわけでもないで すが)
しかし、その兵器の設定がカットされてしまったために、美雪を悩ます ために急遽作ったのが完成作に見られるセリフではないでしょうか。
このその場しのぎがセリフから説得力を奪っている。

ここで、尾崎が「自分がどんな存在であるかは自分で決めることが出来 る」という小美人に言われたことを繰り返します。
まるで本作のテーマであるかのように。
どうしてもそれを言わせたかったのでしょうね。
しかし、意味がわかりません。
劇中にそんな実存哲学を表したような出来事は何もありません。
(あとで尾崎がカイザーとして目覚めるあたりで詳述します)

『マトリックス』シリーズではアイデンティティに悩むネオがいかに行 動を選択し、いかに自己を規定していくかがきちんと描かれています。
だからこそ、あの「選択したからだ」というセリフが生きるのです。

「なぜ戦うの」と問われた尾崎が「君を守るのが俺の任務なんだ」とす でに解任されたも同然の任務を持ち出してはぐらかすところには美雪へ の愛情が芽生えているのだとほのめかす意図があるのでしょう。
ならば、このシーンでは美雪と尾崎の関係だけに絞ってしまってよかっ たんじゃないでしょうか。
たとえば、X星人との戦いに赴いていることに美雪が恐怖を感じていて おびえているのを尾崎が元気づけるシーンにするとか。
(ハナから美雪が新轟天に乗るのが変なんですけどね)

描いてもいない余計な観念を持ち込もうとするからおかしな芝居が出来 上がるのです。

今度はすぐにミニラご一行に視点が移ります。
軽トラに乗っているんですが・・・。
頭上をX星の戦闘艇が飛んでいくという描写はあるものの、このシーン もよくわかりません。
ミニラがどこかへ行こうとしているということなんでしょうね。
(ゴジラのほうへ近づこうとしているのだという解釈も出来そうです が、そうなるとさっきのシーンでのミニラの動きが説明できない。前方 にゴジラの姿が見えているのに、そっちへ行こうとしていたわけではな いです)

そしてゴジラ対アンギラスラ ドンキングシーサー
合間にそれを見守るミニラ一行が挿入されます。
バトルアクションに関してはすでに述べているので省略。
このシーンでひとつ良かったな、と思ったのは、アンギラス、ラドン、 キングシーサーはどうやら気を失っただけで殺されてはいないこと。
シナリオでは3匹とも放射火焔で吹っ飛ばされるとなっていますが、怪 獣たちを殺さないでいてくれたことには感謝です。

また、豪華パンフ付録CD-ROMにはこのシーンの絵コンテが収録さ れていません。
なんでだろー。
絵コンテで確認したかったのに。

シナリオによるとゴジラのかっこよさに興奮したミニラがその勢いで巨 大化したらしいです。(はぁ~)

ここまでのゴジラ対怪獣たちに絡んで統制官のリアクションが挿入され ました。
これはいかにも悪ふざけという趣で、遊びのような戦いにはマッチして いたと思います。
惜しむらくは作品全体で「お遊び」ですよ、という姿勢を明確にしてい ないことです。
そのため実にバランスが悪い。
それから一応もう一度指摘しておきます。
統制官がいちいちゴジラに刺客を差し向ける理由がわかりません。ほっ ときゃいいでしょ。で、新轟天撃墜に邁進するべきです。

次にX星人母船に接近する新轟天。
これがまた奇異な感じを受けます。
なぜかゴジラは追いかけてこないんだなぁ。
好意的に解釈すれば、このときエビラヘ ドラに海中で足止めを食らっていたのだと考 えられなくもないですが、
流れに沿って見てくると、なんでゴジラが追っかけてこないの?という 疑問を確実に抱く構成です。

新轟天対X星戦闘艇の戦いに関してはすでに各論海 底軍艦スレ参照のこ と*長いけどで 述べていますので割愛。
ここも絵コンテが特撮カットしか描かれておらず、艦内の本編カットは 空白とされト書きだけ書かれている。
これは付録CD-ROMに収録するに当たって本編部分の絵コンテを削 除したのではなく、特撮班が使った絵コンテに本編カットのコンテが描 かれていないということでしょう。
問題なかったのかなぁ。

そうこうするうち、風間特攻。
「攻めることが俺の使命だ」とかなんとか言うのですが、自殺行為に走 るためとしては説得力不足でした。
状況把握が出来ているわけでもないのに、単身ドッグファイターに乗っ て出撃しても何が出来るかわからないじゃないですか。
わかっているのは相手がバリアを張ったということだけなんですけど ねぇ。
尾崎に対する負い目というのも感じさせる部分はあったと思いますが、 死に赴くほどではなかったんじゃないでしょうか。

また、すでに指摘されていることですが、風間がバリア発生装置の場所 をなぜ知っていたか、また戦闘艇発進口からまっすぐバリア発生装置へ 行けるのはなぜか、という疑問が残ります。
実際最初に見たときは、風間の特攻で母船全体が破壊されるのだと思い ましたよ。

風間がコクピットでトリガーボタンを連打しているのも変でした。
TVゲームじゃないんだから、自動で連射する機能ぐらいありそうなも んです。
母船内部の戦闘艇通路も質感が安っぽかったです。

バリアが消えて新轟天、母船に突っこみます。
ん?なんで。
もともと突っこまずに攻撃してみたらバリアに防御されたんじゃなかっ たですか?
なら、突っこまずにまずはメーサーを撃てば良いんじゃないですか。
これもわからん!

突っこんだ状態でメーサーを発射しようとしますが、なんでこんなリス クの高い攻撃をしなきゃいかんのでしょう。
母船の爆発に巻き込まれて新轟天もどうなるかわからないでしょうに。

そこへ統制官の部下が転送されてきて、一同万事休す。
このとき、統制官は「ザコどもは殺せ」と命じます。
これもわからないんだよなぁ。
誰にとってのザコなの?
部下たちは見事に観客にとってのザコを殺してくれます。
(なんてユーザーフレンドリーな映画なんだ!)

統制官は地球人を連れてこいと命じますが、その目的が最後まで解りま せんでした。
統制官の立場なら全員殺してしまうのが正しいでしょう。
ひょっとしたら尾崎にだけは何か用があったかもしれません。
(このときすでに統制官は尾崎がカイザーであることを知っているは ず)
尾崎だけ連れてこいならまだわかるんですが・・・。(いや、それも変 なのよ)

つづく
695
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その7) Lans

2005/02/08 00:09




> シナリオによるとゴジラのかっこよさに興奮したミニラがその勢いで巨大化したらしいです。(はぁ~)

ここは、ぜひともシナリオままで行って欲しかったかもしれま せん…
そうすれば、誰も、この作品の方向性がどうだとかという
「論議」にさえならなかったでしょうから…

作品評価の二分なども起きずに…
ええ、そりゃもう誰がどう考えたって…

もう、その名の通り「未来永劫最後のゴジラ映画」になったか もしれませんが…(最悪です)

でも…今、ある作品を思い出しています…
誰もが記憶の底からも削除しているかも知れませんが…

「宇宙大怪獣ガメラ」…

なんか、妙にかぶると思うのは…私だけ?
697
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その7) 殿様ギドラ

2005/02/08 10:57


男性 42歳 O型

ミニラを主人公にして、父 をたずねて三千里みたいなお話にしてしまえば「お祭り」映画 になったかもしれません。
ミニラはオヤジの激闘をずーっと陰ながら応援しているのだけ ど、戦いに夢中のオヤジはミニラに気が付かず、
人間と仲良くなったミニラもまた簡単にゴジラの前へ出て行く ことが出来ない、とか。
(なんじゃそりゃ)

主役怪獣がとにかく次々と他の怪獣に戦いを挑む、という構図 は確かに「宇宙怪獣ガメラ」に酷似しています。
予算のない企画物で別作品からのフィルム流用でなんとか成立 させようとした「宇宙怪獣ガメラ」に、
邦画としては大予算をかけて大がかりなスタッフ編成で臨んだ 「ゴジラ ファイナル・ウォーズ」が似ているとはこれいか に。

うーむ、ガメラよりマッハ文朱の印象が強いというのもGFW に似ているのか。
(あれが湯浅監督最後のガメラになるなんて・・・)
699
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その7) Lans

2005/02/09 01:45




> 主役怪獣がとにかく次々と他の怪獣に戦いを挑む、という構図は確かに「宇宙怪獣ガメラ」に酷似しています。

さらに宇宙人の関与や地球側に超人の存在…
しょうもない大量のカメオ出演とか…
ハリウッド映画の安直な真似とか…



やばいぐらいに関連要素が…
700
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その7) 殿様ギドラ

2005/02/09 10:37


男性 42歳 O型


> やばいぐらいに関連要素が…

あくまでも推察です。
表現内容より話題性や公開タイミングを優先して即席で作って しまうと似たようなものになってしまうということかもしれま せん。
SFという枠組みででっち上げようとすれば、宇宙人と超能 力って一番安易な「道」です。
(「宇宙怪獣ガメラ」の製作背景って、当時のいわゆるSF ブームに乗っかったものだったとは覚えていますが、細かいこ とは知りません)

もっというと、「怪獣」というのも掘り下げさえしなければき わめて安易に見世物になってくれます。
(近年は怪獣を掘り下げたつもりで浅い思考で作っちゃった怪 作が多いのでGFWはその逆を行ったつもりなんだろうな。怪 獣に屁理屈をくっつけるのも間違っているけれど、怪獣描写を お手軽に済ますのも大間違いでしょう)
698
シナリオ・絵コンテを 読みながら(その8) 殿様ギドラ

2005/02/08 11:00


男性 42歳 O型

そしてGFW恒例、唐突な場面転換 でインファント島からモスラ飛 翔の図。
なぜ、このタイミングなの?
尾崎たちが危機に陥ったから助けに行くの?(違うよね)
地球が蹂躙されまくっていたときモスラは何をしていたの???
また、ここでのモスラの飛びは軽すぎて巨大感ゼロ。

次にゴジラ対ヘ ドラエビラ(空 からくるくる回りながら落ちてくるヘドラはおもしろかった。そのノリ で統一してればなぁ)を挟んで、その戦いを見ている統制官の前へザコ じゃない地球人が引き出されます。
ここはなかなかおもしろかったです。
いかにもアホアホな統制官というものが描き出されています。(でも ね、全体との兼ね合いで考えると統制官がこんなにアホじゃ困るのよ)

で、ここだったと思いますが、やけに間延びした芝居で統制官の部下が 地球人から武器を取り上げる動きを見せていました。
なんだ、このもったいぶった演出は?
とくにゴードンと女X星人のくだりは何かあるんじゃないかと勘ぐりた くなるほど意味ありげ。(結局意味はない。せいぜいこの女X星人を倒 すのがゴードンだというぐらいか)
この変なテンポにいらつきます。

さてさて、GFWのトンデモ設定解説がこのシーンにも出てきます。
X星人の目的が明かされるのであります!(ジャジャーン)
「種として生き延びるために定期的に地球人の細胞にあるミトコンドリ アを摂取しなければならない。そのために文明を滅ぼして人間を収穫す る」だそうです。

あのー、さっぱりわからないんですけど。
この映画が描いてきた大事件の動機ですよ。
観客にも解るような説明がないと、なるほどと思えませんぜ。
前回地球に来たのは12000年前ですね。
では、12000年に一度ミトコンドリアを摂取すれば種として生き延 びることが出来るってこと?
ミトコンドリアの何が役に立つの?
摂取って、食べることとしか聞こえないけれど、食べてしまったらミト コンドリアの機能なんかなくなっちゃいますよ。
人間を生きたまま収穫しなければならないとも言っているので、「生き た」ミトコンドリアが必要なのだと受け取れるけど、食べるんだったら 意味なーいじゃーん。
なーんにもわかりません。
これは説明ではない。

こんな設定いりません。
観客を混乱させるだけです。
最後の謎解きで客を混乱させてどうするの。
せめて「生物学者」美雪が統制官の説明を否定して見せてくれればまだ しも。(そんなバカな、と)
でも、いずれにせよこの説明からは知的興味は引き出せません。

そうこうするうちにモンスターXの 隕石がいよいよ地球に落下してきて、しばらくはモンスターXとゴジラ の戦いとなります。
これも各論で述べられているのでここでは割愛。
ゴジラ劣勢というところで再び母船内部へと場面転換。
統制官のリアクションを挟みつつ、モスラ飛来。
統制官は改造ガイガンを差し向けます。

しばらくモスラ対ガイガン。
スピード感の表現ということなんでしょうけれど、東京タワーを挟んで 二匹が宙を回る様子は動きが軽すぎますよ。
怪獣たちがどんな推進力を持っているのか見当も付きませんから、その サイズに比して素速く動いたって間違いだとは言えません。
しかし、見る側の感覚を裏切るならもっと丁寧にカットを積み重ねて巨 大感とスピード感を両立させる努力をすべきだと思いました。
上昇するときはともかく、落下が速すぎるので大きな物には見えないの です。

同様に丁寧さが足りないと思ったのは、ガイガンが地面に自分のチェー ンソー型両腕をあてがってキャタピラ走行をするシーン。
チェーンソーの接地点をあまりはっきり見せてくれないので、なにを やったのかいまいちよくわからない。

モスラ、翼を切られて一旦墜落。(ここも、墜落したモスラの状態をき ちんと伝えるカットがない。死んだのか?気を失っているのか?それと もなんともないのか?)
ゴジラ対モンスターX・ガイガンの図式となります。

場面は母船内部へ転換。
統制官と地球人のわけのわからないやりとりが続きます。
「さっさと殺せ」という尾崎に統制官は「仲間を殺すわけがないだろ う」と言います。
あのー、それを適用できるのは尾崎だけではなかろうか。
あとの地球人は統制官にとってザコじゃないの?

で、美雪が「X星人とミュータントは同じなのね」(X星人の血液にも M塩基があった)と言うんですが、
この「同じ」の意味が汲み取れない。
生物として同種ということ?
それだと、X星人の血液が地球のどんな生物とも異なるという設定と矛 盾する。
ミュータントはM塩基を持っているが、地球人類であることは間違いな いんですよね?
あるいは、X星人は突然変異種(ミュータント)と言いたかったのか?
しかし、この映画では冒頭のナレーションでミュータントの発生を伝え ているものの、その後、ガイガンにもミュータントと同じ特徴があると 明かし、
ミュータントと呼ばれている人々は突然変異ではなくガイガンとなんら かの遺伝的関係があるんじゃないかと言ってますから、
ここで美雪が言う「ミュータント」とは突然変異という意味ではなく、 地球人に発生した「ミュータント」と呼ばれる人々を指すのではなかろ うか。

その美雪の発言に対する統制官の言葉も意味がわからない。
「同じではない。(これはいいでしょう。そりゃ地球のミュータントと X星人が同じであるはずがない)M塩基は我々の星にはありふれた物質 だ」
と言うんですが、M塩基がX星にありふれていることと、X星人と ミュータントが同じか違うかの問題にどんな関連があるの??
さっぱりわかりません。
さらに、美雪が
「M塩基はテレパシーに影響する物質ね」と言います。
M塩基が体の中にあるとテレパシー能力が生まれるということ??
となるとM塩基は体の機能に影響する形で存在するんですね?
統制官の「我々の星にはありふれた物質」という発言とも合わせて考え ると、どうも遺伝子を構成する塩基とは思えなくなってくる。
遺伝子DNAは生物が体内で合成するものであり、同じ組成の物質が地 球の大気や水・土壌に含まれているわけではありません。
また遺伝子は情報を蓄えているだけであり、その遺伝子を持っている生 き物の体内機能を請け負っているわけではありません。
M塩基なるものがどういう形でテレパシーに影響するのかさっぱりわか らない。
遺伝子中にM塩基を組み込まれることでテレパシーを使える体になると いう意味でしょうか?
生殖細胞の遺伝子を組み換えることで子供の形質を変えることは出来そ うに思いますが、すでに成長した生き物の遺伝子を組み換えたからと いって別の能力を獲得するとは考えにくいです。

いやいや、いいんです。
GFWでは一言もM塩基が遺伝子の中にあるなんて言ってませんから。
M塩基なるものはミュータントやX星人の血流に溶け込んで体内を駆け めぐっているのかもしれませんね。
怪獣を遺伝子操作したかも、という話は遺伝子操作してM塩基を体内に 合成できる体にしたかも、という解釈も成り立つか?
でもそうなると神宮寺の説明が「浮いてしまう」なぁ。

また、テレパシー能力があるからといって、他者を操れる道理はない。
M塩基を持っているからというのがガイガンやミュータントを操ってい ることの説明にはなりませんし、また、ガイガンもミュータントもM塩 基を持つことを考えれば、
操る者と操られる者の差がどこにあるのかわからない。
それから、GFWでは統制官が他者を操っていることの表現が弱すぎま す。
ミュータント兵の動きを見ると、一種の条件付けをされたように見えま す。(誰々を殺せ、という具合に)
しかし怪獣の動きを見ても誰かに操られているようには見えません。
映像で見る限り怪獣たちは自由意志で動いているようにしか見えないで す。
統制官に操られてしまうとどうなるのか、というのは怪獣の芝居にも表 れなければならないでしょう。
(操られていないゴジラ・ミニラ・モスラとの対比を感じさせるべき)

統制官が美雪に対して「地球人にしては頭が良いな」といいますが、頭 の良さなどなにも発揮していない。
そして、ミュータントがかつてX星人と地球人が交配して生まれたハー フの子孫であるという説明が出てきます。
何度も言いますが、ここまでに提示されている設定からはとてもそんな ことは考えられません。
血液の成分からなにから異なっているのに、なんでハーフが出来るか よ。
ここも、せめて美雪に突っこませていれば、考えられないけれどこの世 界での現実である、と力業に持って行けたのに。
美雪が科学者であるという設定をまったく生かしていない。
さらに12000年前に交配が行われているのに、ここ数年の間に ミュータントが確認されはじめたというのも納得できねぇ!

SFにはさまざまな魅力があります。
理屈を超えた部分で、飛翔する宇宙船とか爆発する恒星といった驚異の ビジョンを提示することも大きな魅力です。
同時にSFは知的エンタテインメントでもあります。
SFの楽しみには理屈を読み解く楽しみがあるのです。
科学用語を並べ立てればSF風にはなるでしょう。しかし、それだけで はSFにはなりません。
『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』は断じてSFではない!
SF風の衣をかぶせたまがい物である。
そしてそのSF風の衣がSFに感度のある観客を混乱させ、裏切り、失 望させることになっているのだからそんな設定は邪魔なだけなのだ。

GFWを作った人々も、この設定に筋が通らないことには気が付いてい るはずです。
なぜ筋が通らないことを放置するのか。
映画のストーリーには筋が通らないことで「おもしろさ」を作り出す場 合があるのは知っています。
しかし、GFWでの筋の通らなさは「おもしろさ」を増していますか?

X星人と地球・地球人の関わりがなにもかもぼんやりしていてなにがど うなっているのかわからないままというのがおもしろいでしょうか?

つづく
703
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その8) レグルス

2005/02/09 14:45


男性 28歳 A型

> しばらくモスラ対ガイガン。
> スピード感の表現ということなんでしょうけれど、東京タワーを挟んで二匹が宙を回る様子は動きが軽すぎますよ。

これは忍者アニメかなんかのチャンバラシーンでよくある描写 のオマージュ(パクリ)ですね。
考えてみると、『GFW』は全編パクリで発想されているのか も…(^^;)

全編を換骨奪胎で通してしまった前例として、 OVA『トップをねらえ! 』があります。
こちらはパロディやオマージュとなるシチュエーションやカッ トを至る所に入れながらも、
芯となる設定やストーリーはしっかりしたものを作り上げたの で、
元ネタと物語そのものと、2倍楽しめる傑作に仕上がっていま す。

表層だけで芯がない『GFW』とはエライ違いです。
少しは見習って欲しいですね。
その主要スタッフだったのが(もちろん監督は庵野秀明氏です が)樋口慎嗣氏です…。

> 『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』は断じてSFではない!
> SF風の衣をかぶせたまがい物である。

北村監督の意図を善意(?)に解釈すれば、
SF風の衣装をつけたほうが、非怪獣映画ファンに受ける、
つまりは観客動員が増える(世界市場を見ても)、
という趣向なんでしょう。

ただ、それが正しかったのかというと…………

『マトリックス』や『インディペンデンス・デイ』が受けたの はSF的設定だけじゃないんですが。

> そしてそのSF風の衣がSFに感度のある観客を混乱させ、裏切り、失望させることになっているのだからそんな設定は邪魔なだけなのだ。

こちらについては同感です。
でも、私はあまりひっかからなかったんですよね…。

私はべつにSF音痴ではなく、SF小説も結構読んでるので、
まあうるさいほうだとは思うんですが、
その私がそれほど抵抗なく見れたというのは、一体何が原因な のか?

(単に私が間抜けなだけだ、という可能性はおいといて)
これは『GFW』をMTV的に楽しめた、という要素と関係が あるような気がします。
(SFアニメ等の評論家である氷川竜介氏もサイトで面白かっ たと書いてましたし)

まだ結論めいたことまでは断言できませんが、
おそらく、映画としてではなく、MTV的に見る、ということ は、
前後のつながり、伏線、論理、科学的正誤、発言の裏側、画面 のリアリティ……
などということに対して解読する脳の働きを遮断する、
ということなんじゃないかな…と思っています。

そしてこれをなさしめているのが、ジェットコースター的とい うか、
客に考える暇を与えないほどのアップテンポぶりではないで しょうか。
ふつうに人物描写や、間、タメなどをつくっていると、
その間に客が考えてしまう(ウソがバレる)ので。

その証拠(?)として、私も見ている最中はともかく、
見終わったら、矛盾やウソは普通に指摘できているわけですか ら。
707
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その8) KJ

2005/02/10 00:28


男性 37歳 B型

> その私がそれほど抵抗なく見れたというのは、一体何が原因なのか?
>
> これは『GFW』をMTV的に楽しめた、という要素と関係があるような気がします。

> まだ結論めいたことまでは断言できませんが、
> おそらく、映画としてではなく、MTV的に見る、ということは、
> 前後のつながり、伏線、論理、科学的正誤、発言の裏側、画面のリアリティ……などということに対して解読する脳の働きを遮断する、
> ということなんじゃないかな…と思っています。
>
> そしてこれをなさしめているのが、ジェットコースター的というか、
> 客に考える暇を与えないほどのアップテンポぶりではないでしょうか。

ここは私も同意せざるを得ないですね。仰る通りの印象です。
本っ当にそこだけしか好印象?が残りませんが(笑)
709
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その8) 殿様ギドラ

2005/02/10 11:48


男性 42歳 O型

ううっ、『トップをねら え!』むかーし一度だけ見たんですが、細かいところは忘れて しまった。
緻密な作品だな、という印象はあります。
ただ、最終話にはちと納得できなかった覚えも。

GFWはMTV的に見ればなんとかなる(?)というのは私に も解ります。
もっと確信的にそっち方向に振ってくれれば、これまた納得し ないまでもそれなりに楽しめたかもしれません。
いや、GFWがもしゴジラ映画でなければ私も余計な部分は見 ないようにして自分の中で再構成することで楽しむ努力をした のかもしれません。

こんな掲示板をおったてて詳細に語らねば、と思うのはゴジラ だからこそ。
そうなるとスクリーンを見ている間だけどうにか気持ちを楽な 方へ向かわせるために映画の一部分だけを抽出して我慢すると いうわけにはいかなくなるんですよね。

映し出されるものすべて、描かれることすべてに注意を払って 「鑑賞」しようとするとMTV的な見方にはなっていかない。
ストーリーがないわけではないし、ぽつりぽつりと人間の心に ついてなにがしか訴えるようなそぶりを見せるシーンがある。
すべてを感じ取ろうとすると、どうしてもおかしな部分に気が 付いてしまい、楽しめなくなってしまう・・・。

うーーーん、それでも特撮好きとしては特撮を駆使した驚愕の 映像だけでもあればもうちょっと楽しめただろうにと思うので す。
「こんなの見たことないでしょう」というような驚異の映像 (決して技術的なことではなく、絵柄としてびっくりするよう な)もなかったです。

劇展開がものすごく早足だったのは確かですね。
そのお陰で上映中に眠くなったりはしませんでしたが・・・。 (新轟天が巨大UFOに突っこんでからはかなりやばい。寝不 足だったらそこからあとはぐーすーぴーかも)
713
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その8) レグルス

2005/02/10 21:05


男性 28歳 A型

> うーーーん、それでも特撮好きとしては特撮を駆使した驚愕の映像だけでもあればもうちょっと楽しめただろうにと思うのです。
> 「こんなの見たことないでしょう」というような驚異の映像(決して技術的なことではなく、絵柄としてびっくりするような)もなかったです。

私なんてまさにそのクチです。
凄い映像さえあれば内容なんてそっちのけでDVD買ってしま います。
『マトリックス・リローデッド』とか『グリーン・ディスティ ニー』とか『リベリオン』とか…。
『84ゴジラ』もそうかもしれません。

北村監督も、特別版パンフで制作前に最近のゴジラ映画の問題 点を指摘していた割には、
結果的に代わり映えしない画面になっているのはどういう訳 か?
パンフに載せている、ということは『GFW』ではそれが解決 されたと思っているのでしょうか?

時間と予算の都合で、ミニチュア特撮の質が上げられないなら
せめて冒頭の旧轟天号VSゴジラくらいの早いカット割りで全 編押し通すくらいのパワーが欲しかった…。
たぶん本当に目が回るでしょうが、あそこまでゴジラ映画の改 革を謳っているのなら、
それくらいやっても良かったのでは?

確かに映像的には全体的に“何か”が上がってる(アップして る)んですが、
「これ」といって心に残る画があまりないのも確か。
それって結局“上げ底”だった、てことか…(^^;)
717
Re:シナリ オ・絵コンテを読みながら(その8) 殿様ギドラ

2005/02/14 12:15


男性 42歳 O型

『リベリオン』、良かった ですねー。
WARASIさんから推薦されて見てみたら、おもしろいのな んのって。
派手なアクションと深い内容が一体になっていて見事な映画で した。

GFWの特撮が結局ほかの最近作とさほど代わり映えがしない のは、特撮スタッフが変わっていないということもさることな がら、
特撮映像に対する勘がなかったことも災いしているんじゃない でしょうか。
712番 へのレスでも書きましたが、特撮映画にこだわり がないと言うことは特撮の魅力を知らないということであり、
そうなると「いい特撮シーン」を思いつくことも出来ないで しょう。

そのあたりは金子監督や手塚監督作品のほうがはるかにマシ だったと思います。
(しかーし、円谷英二命の私にしてみれば、どちらも円谷流ス ペクタクル演出への理解が浅い!!!)
701
シナリオ・絵コンテを読みながら(その9) 殿様ギドラ

2005/02/09 10:39


男性 42歳 O型


GFW、わからないことはまだ続きます。
次に統制官はX星人と地球人のハーフの中にはごく希にカイザーが生まれると説明。
カイザーとは最強の生物なのだそうで、尾崎はカイザーだから統制官に操られなかったらし い。
だったら尾崎がカイザーとして覚醒する前にとっとと殺しておけば良いんじゃないの?
ところが生かしておいただけでなく、「カイザーとして目覚めよぉぉぉ」とは一体どういうつ もりか。
統制官もカイザー(地球人の血を引いているんですな)で対等なのでしょう。
それなのに、尾崎をカイザーにしてしまったら敵が強力になってしまうでしょうに。

さあ、ここで小美人のご託宣を思い出してください。
「自分がどんな存在か自分で決めることが出来る」
まず一発目。
統制官の力で尾崎はカイザーになりました。
(自分で決めてはいないね)

さてさて、カイザーになった尾崎は統制官と対等かと思いきや、なな、なんと統制官に操られ てしまいます。
さっぱりわかりません。
そしてあとの地球人を殺そうとします。
(こ れ、ものすごくうがって考えると、尾崎がカイザーであることに気が付いていた統制官は ひょっとしてカイザー尾崎を操れるかもしれないと考え、UFO内部に 連れ込んで操ることに成功するかどうか試そうとした。実験として尾崎に殺させるための地球 人を何人か一緒に連れてきた、と。うへー、無理がある~)

怪獣たちの戦いとUFO内部が交互に映し出され、美雪がインファント島のお守りを尾崎に突 き刺すと統制官の支配が解けます。

さあ、二発目。
尾崎はお守りのお陰で自分を取り戻しました。
「自分で決めたわけではない!」
自分がどんな存在なのか、自力で選択したとはいえないでしょう。

そこまでの間にガイガンはモスラに退治されます。
自分が発射したカッターで自分の首を落としてしまった、ということなんでしょうけど、その 流れがいまいちわかりにくかった。
しかも、決定打は燃えるモスラの体当たりですしね。
(シナリオではモスラは海中に身を投じて体の火を消したそうです)

再び母船内部。
正気に戻った尾崎を見て、統制官は殺すことを決意。
統制官の親衛隊がビーム銃を発砲しますが、尾崎の超能力で跳ね返されます。(カイザーは何 でもありのようですね。そうなると伊武X星人と北村カイザーX星人の確執がどうして起こっ たのか理解できない)
それを見たアホアホ統制官は尾崎に一騎打ちを挑みます。(ホントに殺す気があるのかね?)
統制官の頭の歯車が狂っているのはかなり明確になっていますので、まあ、統制官の「やり 方」には目をつぶりましょう。
問題は尾崎。
仲間を見張るために前進してきた親衛隊ときれいにすれ違って統制官へ近づきます。
はぁぁぁぁぁ?????
尾崎の目的は何?
統制官と強さ比べをするのがそんなに大事なことなのか?
さっき見せたものすごい超能力で親衛隊を倒し、仲間と力を合わせて統制官を退治すればいい んでないの?

ついて行けないですよ。

統制官の思惑通り、尾崎以外の地球人は親衛隊に見張られて二人のカイザーが強さ比べを始め ます。
ここのアクションがもっと「超人的」だったら少しは楽しめたのに・・・。
二人とも武道・格闘技の鍛練を積んでいるわけではないと見ました。
カンフー映画に見られるような達人技が繰り出されることはありません。

外でのゴジラ対モンスターXとなり、放射火焔を吐こうとしたゴジラの首をモン吉くんがはね 除けた(この動きもよくわからなかった)ことで火焔が母船に当り、
その衝撃が地球人たちの突破口になるという絡め方はおもしろかったです。
怪獣対決と人間ドラマの絡め方としてひとつのパターンであります。
(『三大怪獣地球最大の決戦』で王女を狙撃しようとした殺し屋がキングギドラの引力破壊光 線の余波で落ちてきた岩を抱えて谷底へ落ちていくことに似ている)
が。
さっき書いたように、ゴードン以下尾崎以外の地球人が親衛隊に抑えられることに納得のいく 状況設定がないので、せっかくのいい展開もはなはだ空振りしています。

母船内では地球人とX星人の大乱戦。
集団戦になると俄然いい加減になるカメラワークは見逃せません。
全体像をぼんやり眺めるような画面になってしまいます。
その中の誰かと誰かに的を絞ったときにはある程度フレームやカット割りを考えたような映像 になるんですが・・。
(そしてまた、だらだらと長い)
ここで美雪が女X星人と渡り合っているのも解せない。
X星人より弱いことはわかりますが(コマ送りすれば菊川怜ちゃんのパンチラが見られる? なーんてお下品な指摘はやめましょう)まったく戦闘訓練を受けていない女性には見えません ね。
尾崎以外にゴードン・小室がいるのですから、動きとしては美雪を二人が守るという図式にな るのが当然でしょう。

それからゴードンの日本刀に付けられた効果音。
『キルビルvol.1』からの引用ですね。
先頃ようやく『キルビルvol.1』を見まして「ああ、そうだったのか」と気づいた次第。
さらに『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』という映画全体を考えるとき、『キルビルvol.1』との比較をすればなにを間違えたのかが明瞭にわかると思いました。
もしまだ『キルビルvol.1』を見ていない方がいらっしゃいましたら、是非ご覧になるこ とをお勧めします。
(シナリオではゴードンが持っているのはサーベルとなっています。それが映画では日本刀。 この変更がどうして行われたのかと考えるとGFWの作り手はやはり『キルビル』を意識して いたのではと思わざるを得ない)

そして、この乱戦に醍醐以下替え玉にされていた地球人が現れます。
「自力で脱出したんだが」とはなんともお気楽なセリフです。
この醍醐脱出にもまるで説得力がない(X星人の母船はバリア以外問題なく機能しており、警 備の兵士も多数いる)ですが、
省略された冒険話があるんでしょうね。(なんたってアンドリュー星野だもんな。『100発 100中』での宝田さんの役名)
しかし、ここでまた杜撰なセリフが出てきます。
美雪を見た醍醐は「おお、音無さん」と言うではありませんか。
シナリオにはこのセリフがありません。
現場で考えたんでしょうか。
あのー、この醍醐は音無美雪とは面識がないんですよ。会ったことがあるのは姉の杏奈だけ。
そりゃ、世界的な科学者である美雪と以前面識があったとしてもおかしくはないでしょう。
しかし劇中、本物の醍醐と美雪が知り合いであることをほのめかすシーンは皆無なんですか ら、違和感バリバリです。

ここも、醍醐たちが現れ、尾崎が統制官と戦うために残り、あとの地球人が新轟天へ向かうも ゴードンは通路に残り・・・、という段取りの間、
X星人たちが何をしているのか突如として戦いが止まってしまうのがよくわかりません。

親衛隊の何人かは撃ち殺されるかゴードンに斬り殺されたようですが、ここではまだ女X星人 は倒されていませんし、なにより統制官は無傷でしょう。
シナリオと完成作ではかなり動きが違っているようなので記憶を元に考えていますが、醍醐が 現れた後でしばらく地球人同士が落ち着いてやりとりしていたことに無理はなかったでしょう か。
(この映画、不思議なことにエンディングへ近づくに従って記憶が曖昧になる。普通は冒頭と クライマックスはよく覚えていて、もし記憶が曖昧になるとすれば中盤というのが私の映画の 覚え方。
ところがGFWは冒頭からエンディングへ向けて一直線にあやふやになっていく。ま、ミニラ の通せんぼはあまりにも衝撃的だったのでよく覚えていますが。
これは見ている間にすでに気が付いていたことですが、どんどん意識が映画から離れていくん ですよ。それでいかんいかんと意識的に集中力を高めることが何度かありました)

新轟天へ向かう美雪たちとX星人の銃撃戦ありーの、ゴードン対女X星人の対決ありーの、尾 崎が一旦統制官に打ち倒されーの。
(やっぱり刀を取り上げるときの不自然な意味ありげ芝居はここでゴードンと女X星人が一騎 打ちすることへの伏線??いや、こういうのを伏線とは言いません)
シナリオではゴードン対女X星人はありません。

さあ、一旦倒された尾崎ですが、「自分がどんな存在であるか自分で決めることが出来る」と 唱えながら根性で立ち上がります。
とりあえず何が起こったのかわかりません。
根性さえあれば奇跡も起こるという主張なんでしょうか。
ここで尾崎に後光が差しましたよね?
しかし、ここでは自分の存在を規定しているわけではなくて、勝つか負けるかという強さ比べ であります。
小美人から聞かされた言葉とは関係ない状況でしょう。
そして根性で立ち上がった尾崎はなぜか突如強くなります。
これもよくわからないんですよ。
精神主義でもいいですが、一旦倒された尾崎の心に変化を起こすような出来事は何もないので すから、立ち上がったからといって強くなるのはどうも納得できない。
「ありえねー」展開であっても、ここでは尾崎がなんらかの認識を深めて精神的な強さを身に つけたとでもいう設定がないと成立しないでしょう。
バカ系不良マンガでは、一旦倒れてから立ち上がった者が強くなるというのは「お約束」らし いですが、
それでも立ち上がるための「意地」とか「使命感」みたいなものは描出されているんじゃない でしょうか?

シナリオではカイザーになった尾崎と統制官の強さはずーっと対等であるように書かれていま す。
インファント島のお守りで自分を取り戻してからは多少の優劣逆転はあっても、完全に尾崎が ノックアウトされることはなく、最終的に統制官を倒すことになっています。
(CD-ROMをお持ちの方は読んでみてください。収録されているのは決定稿ですから、変 更点は現場判断なのでしょうか)

尾崎優勢になってから、スクリーンに映るゴジラと尾崎の動きがシンクロするカットがありま した。
絵柄としてはおもしろいのかもしれませんが、このときのゴジラの動きがまるっきり人間なの で効果半減です。わざとらしすぎる。
(そっくりな動きでも、人間と怪獣の違いをちゃんと表しておけばわざとらしくならない)

つづく
704
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その9) レグルス

2005/02/09 15:10


男性 28歳 A型

> だったら尾崎がカイザーとして覚醒する前にとっとと殺しておけば良いんじゃない の?
> ところが生かしておいただけでなく、「カイザーとして目覚めよぉぉぉ」とは一体どういうつもりか。
> 統制官もカイザー(地球人の血を引いているんですな)で対等なのでしょう。
> それなのに、尾崎をカイザーにしてしまったら敵が強力になってしまうでしょうに。

カイザーとして目覚める、ということはX星人側につく、ということだと見てまし た。

1 地球人とX星人のハーフがミュータント/カイザー
2 ミュータントは出来損ないなので地球人側
3 カイザーはX星人のボス
4 尾崎は完全に目覚めていないので、ミュータントとして地球人側にいる
 (完全ではないが素質はあるので、操られなかった)
5(真に目覚ている)カイザーはX星人側 

という論理展開なんでしょう。
まあ、5が成り立つには3が真かどうか、という命題が証明されなければ不確定なの ですが。

> 統制官の親衛隊がビーム銃を発砲しますが、尾崎の超能力で跳ね返されます。

『マトリックス・リローデッド』のパクリ。それだけでしょう。

> 問題は尾崎。
> 仲間を見張るために前進してきた親衛隊ときれいにすれ違って統制官へ近づきます。

このへんは様式美ですね。
武士道的一騎打ち。
ちょっとダンスや歌劇の要素も入っているかな、という気もしました。

> 統制官と強さ比べをするのがそんなに大事なことなのか?
> さっき見せたものすごい超能力で親衛隊を倒し、仲間と力を合わせて統制官を退治すればいいんでないの?

親衛隊はゴードンたちで倒せる、と思ったんでしょう。
(なんかやけくそです(^^;))

> それからゴードンの日本刀に付けられた効果音。
> 『キルビルvol.1』からの引用ですね。

音については気づきませんでした。劇場公開時に見たんですが。
北村映画では『VERSUS』にしろ『スカイハイ』にしろ
日本刀を使うことが多いので、今回もか、という感じでしたから。

> バカ系不良マンガでは、一旦倒れてから立ち上がった者が強くなるというのは「お約束」らしいですが、
> それでも立ち上がるための「意地」とか「使命感」みたいなものは描出されているんじゃないでしょうか?

そうですね、言われてみれば相手にバカにされて、
その言葉に反応する、というパターンが多いような気がしますが、
ただ何の理由もなく突然強くなる、というパターンも
週単位で盛り上げなくてはいけない週刊マンガにはよくある気がします。
私もバカ系バトル映画/マンガは嫌いなのであまり見ていないのですが。
705
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その9) ねろんガボラ

2005/02/09 17:01


男性 20歳 A型

> (シナリオではモスラは海中に身を投じて体の火を消したそうです)
そ、そうだったのかー!!にしてもEDで羽が治ってたのはなぜ?

 ところで最近「南海の大決闘」を見て、昨今のモスラがいかにトンチキな役回りで あったか痛感いたしました。南海モスラは島民に対してすら対応がルーズで、おせっ かいやきでも何でもないんですな。

>放射火焔を吐こうとしたゴジラの首をモン吉くんがはね除けた(この動きも よくわからなかった)ことで火焔が母船に当り、
 ああ、跳ね除けていたんですね。母船を狙ったようにしか見えませんでした。最初 光線を喰らっただけで立て膝をついていたのにいつのまにか優勢になってるゴジラも 不自然といえば不自然かも。

>スクリーンに映るゴジラと尾崎の動きがシンクロするカットが
 「ゴジラ対ガイガン」で全く同じことをゴジラがガイガンにやってましたが、あれ は中島さんの演技が光ってましたね。そういえば中島さん降板後のゴジラは中野演出 がより色濃くなり、擬人的描写に拍車がかかりましたが、そこらへんギドラさんはど うお考えでしょ。
710
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その9) 殿様ギドラ

2005/02/10 11:50


男性 42歳 O型

> レグルスさん

まず、地球人のミュータントがどういう特質を持っているのかがかなり曖昧なんです よ。

超人的な身体能力を持つ、と説明されていますがテレパシー能力については冒頭のナ レーションでも触れず、劇中でもそんな描写はない。
X星人とのハーフの子孫ということで、X星人の気質をなにか受け継いでいるのか な?とは思うんですが、はっきりしないです。
私の解釈では地球人よりX星人のほうが身体能力に優れていて、その形質をもらって いるからミュータントは運動能力が高い、と。
(しかし、劇中X星人兵がどれぐらい強いのかよくわからない・・)

カイザーはそのハーフの子孫に何万分の一の確率で生まれてくる最強の生物というこ とで、カイザー=X星人側ということはないと思いますよ。
また、北村X星人は地球人の血を引いていることでありまして、そこにもドラマの鉱 脈が埋まっているのになぁ。
『スタートレック ネメシス』のシンゾンみたいに複雑な人物にすることも出来ただ ろうに・・・。
(なーんて嘆息も虚しい。ドラマを見せることには興味のないGFWですから)

>ねろんガボラさん

モスラって、もともとは気が利くよい子ではなかったんですよね。
小美人とテレパシーで通じているとはいえ、あくまでも奔放な怪獣であったはずなの に。
(『三大怪獣~』でゴジラ・ラドンを説得する様子からその性格が拡大解釈され ちゃったんでしょうか)
近年最もいじり回されたのがモスラかもしれません。(モスラファンよ、もっと怒 れ!)

ゴジラの芝居に関しては手塚勝己・中島春雄両氏の演技を基本にするしかないでしょ う。
そのお二人が円谷英二監督の下で完成させたのがゴジラの立ち居振る舞いなのですか ら、同じくゴジラを名乗るためには動きも同一でないと。
顔かたちの違いより動作のほうが大事かもしれませんよ。(といっても、白目にされ たらどうしようもないですが。芝居は目が命)
劇中できちんと別個体であることが描かれた「別」のゴジラなら多少違った動きをし てもいいかもしれません。
(84以降のゴジラは初代とは別個体で、二代目の居なかった世界なので薩摩ゴジラ を独立した存在だと考えてもいいのか・・)

70年代ゴジラ、「対メガロ」以降のゴジラは悲しくて見ていられません。
『ゴジラ対メカゴジラ』はストーリーはおもしろいですが、ゴジラは・・・・。
心理面で人間にも通じる感情を描くのはそれほど間違ってはいないと思いますが、動 作がまるで人間になってしまっては怪獣を演じていることにはなりませんよ。
715
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その9) ねろんガボラ

2005/02/11 01:06


男性 20歳 A型

> 白目にされたらどうしようも
  僕の場合GMKゴジは白目そのものより目の付き方が気に入りません。目離れす ぎ!!顔に人間的な部分も無いと感情移入できません。それを狙ってるんだか知 りませんが、愛せないゴジラを作ろうなんて考え自体がふざけてます。平成ガメラス タッフには、元祖ゴジラがあんなゲテモノに見えたのでしょうか?どうかし ています。

>薩摩ゴジラを独立した存在だと
 中島ゴジラが美しさと素早さのゴジラなら、薩摩ゴジラは無骨さと荒々しさのゴ ジラではないかと。対照的な魅力を感じます。でも生き物っぽさにまで踏み込んでる のは歴代でも中島さんだけですな。手塚さんは演じているシーンがわからな いので言いようがないですが。でもキンゴジとモスゴジって動き全然違いますよね。 そこらへんで交代劇があったのでは!?

>心理面で人間にも通じる感情を描くのはそれほど間違ってはいないと思いま すが、動作がまるで人間になってしまっては怪獣を演じていることにはなりません よ。
  中野さんて怪獣演出とかカメラワークにかなり難ありですな。最近みたいに属性をい じくり回さない範囲であれだけの個性やアイデアを放ったのは凄いですけ ど。なんか憎めません。ニセゴジラの概念やゴジラの修行、背中から火花ちらしてメ カゴジラを引っ張るゴジラなど、作品のケレン味とあいまって、僕も「対メ カゴジラ」大好きです。

 怪獣をあくまで「役者」ではなく「役名」ととらえるギドラさんの考えに、制作者 すら追い付いていないのが現状な のではないでしょうか。役者や監督によってゴジラの動きが変わるのもオツかなーと 個人的には思いますが、確かにガイガンゴジとメガロゴジ、それぞれの動き を見てるとどう見ても同一個体には見えないから、作品としておかしいなあとも思い ます。 
719
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その9) 殿様ギドラ

2005/02/14 12:18


男性 42歳 O型

> 元祖ゴジラがあんなゲテモノに見えたのでしょうか?

うおーーー、そうよそうよ、そうなのよ。
そもそも初代ゴジラの粘土原型を元にしてデザインをやり直したというのもどうかし てます。
初代ゴジラは完成形として着ぐるみがあるではないの。
『ゴジラ』スタッフの意向は無視かいっ!

ゴジラ演技のこと。
監督や役者が変われば同じ役でも芝居に違いが出てくるのは仕方ないとは私も認めま す。
ゴジラの場合、架空の動物ですから、人物よりもイメージが曖昧になりやすいです。
表情が読みにくいし、セリフも発しませんから。
そこに明確な個性を出そうとすれば、立ち居振る舞いに相当な統一感がないと同じ生 き物には見えなくなってしまうでしょう。
見た目の個性が強いので芝居がぜんぜん違っていてもゴジラに見えてしまうのは善し 悪し。
でも、形がゴジラならそれで良しというのは見方が浅いからでしょう。
芝居を感知しないなら、椿三十郎も赤ひげも同一人物に見えるでしょうね。
ゴジラの個性を守ることを大事にしつつもどうしても担当者によって違ってくるとこ ろが出てきたなら仕方ないけれど、
はじめから「変えてしまえ」と考えるのは大間違いじゃ。
722
GMKゴジ弁護論 レグルス

2005/02/14 21:23


男性 28歳 A型

>  僕の場合GMKゴジは白目そのものより目の付き方が気に入りません。目離れす ぎ!!顔に人間的な部分も無いと感情移入できません。それを狙ってるんだか 知りませんが、愛せないゴジラを作ろうなんて考え自体がふざけてます。平成ガメラ スタッフには、元祖ゴジラがあんなゲテモノに見えたのでしょうか?どうか しています。

“初代ゴジラの怖さ”を拡大すればGMKゴジラになる、というのは
極めて妥当な解釈だと思います。
戦死者の霊うんぬんは『VSデストロイア』の没企画“ゴーストゴジラ”を彷彿させ る
…というのはマニアックすぎる深読みかもしれませんが。(しょせん没企画ですし)

怖いというのはゴジラにとって欠くべからざる要素です。
少なくとも私にとっては『南海の大決闘』以降の昭和ゴジラは全然怖くありません。
怖くないゴジラは、その魅力の多くを失っていると思います。

ゴジラの性格が恐ろしいのか、
ゴジラという存在そのものが怖いのか、
というとちょっと微妙なところですが、
少なくとも『逆襲ゴジ』まではゴジラが出てくれば、
怖い、という感情が同時に起きます(起きました)。

たしかに詳しく見れば、GMKゴジラのように、
性格そのものが凶悪で、人間に悪意がある、というようには描かれていません。
特に『初ゴジ』で抱く恐怖は、最初こそ巨大なる存在が出現したことへの恐怖
(大戸島で山越に見えたゴジラの顔に驚く河内桃子など)
ですが、東京上陸後は、ゴジラの破壊(迷走)行為への恐怖に変化して行きます。

後のゴジラ映画からは恐怖を抱くことがなくなっているのが不満だったので、
それを描いてくれた『GMK』は貴重な存在でした。

原点回帰した正攻法のゴジラ映画であった『84ゴジラ』でさえ
恐怖を感じさせることができなくなった以上(何故なのか、という分析は必要でしょ うが)、
『GMK』のような極端な演出でないと怖さを出せなかったのでしょう。

ゴジラ映画というシリーズを作り続ける中において、
昭和ゴジラや平成VSシリーズのような続きものでない作り方をする場合
(まあ一作ごとに設定を変える事への是非はあるでしょうが)
初代ゴジラの様々な要素を抽出・培養して演出を変える、
という手法は当然出てくるでしょう。
(手塚作品は伝統的な怪獣映画なので、結果的には『GMK』と『GFW』くらいで したが)

その良い例が『エイリアン』シリーズ。
これは時間的にも連続しつつ、
なおかつ(監督が替わっていることもあって)内容も作品ごとにバラエティに富んで います。
726
Re:GMKゴジ弁護論 殿様ギドラ

2005/02/15 14:24


男性 42歳 O型

ゴ ジラには怖さが必要というのは異議なしなんです。

まー、三年前もさんざん書いたのであまりこまごまとは書かないようにしますけど、
GMKゴジラの問題は

> “初代ゴジラの怖さ”を拡大すればGMKゴジラになる

というところにあるんじゃないかと。
怖さの方向を取り違えているとも思うんですが、私の主張は「拡大」しなくていい じゃないか、ということなのです。
ゴジラに怖さがあっていいですが、怖いだけじゃダメでしょう。
怖さだけを拡大するからゴジラではなくなってしまう。
(vsビオランテのゴジラにも似たような違和感があるのだった)
729
Re:GMKゴジ弁護論 ねろんガボラ

2005/02/15 19:45


男性 20歳 A型

  僕は初代ゴジラにさえ恐怖を抱いたことがないので(小さい頃に見たこと無いからだ と思います)、ゴジラの恐怖に関しては全然ピンと来ないんです。

 ただ、なぜ初代ゴジラが怖いかといえば、「出オチ」以外の何者でもないと思って います。傾向を変えずにシリーズ化するのがそもそも無茶だったんです。怖がるのは 映画の中の登場人物にまかせておけばいいんじゃないでしょうか。

 GMKみたいな暴力的な手段で怖さを表現するくらいなら、ゴジラは怖くなくてい いです。僕自身がGMKを嫌いなのも影響しているんだと思います。登場人物までイ ヤミったらしいわエゴ丸出しだわ、とにかく「醜い」です。
711
シナリオ・絵コンテを読みながら(その 10・最終回) 殿様ギドラ

2005/02/10 11:52


男性 42歳 O型


尾崎に勝てないと知った統制官は母船を自爆させます。
この映画、アイディアストーリーの禁じ手キ○○イオチだったのです。
統制官は完全に狂ってます。
「俺一人では死なんぞ」とかなんとか言いますが、自分以外の誰を殺す道を選んだのか。
「種として生き延びるために地球人のミトコンドリアが必要」などと言いながら、母船に乗っ ている多数のX星人を自分の意地のためだけに殺すわけです。

母船内で小爆発が次々と起こりますが、この爆発が選択的にX星人だけを殺しているというの もものすごいご都合主義ですね。
統制官自爆のお陰でX星人に足止めされていた美雪・小室・醍醐たちは助かります。
そこに現れたゴードンが「なにやってんだ。轟天に戻ってろと言ったろ」と事情を知らない 突っ込みセリフをいうのですが、残念ながら笑いどころにまで昇華されていませんでした。
そして新轟天に全員乗り込んで母船から脱出。
腕を怪我した小室の代わりに美雪が操縦桿を引くシーンは間延びしすぎ。
いまにも大爆発するかもしれないのに、緊張ばかりしていて急いでいるようには見えませんで した。
それから、新轟天から統制官の前へ連れ出されるときにはX星人の転送装置を使ったのだと思 いこんでいましたが、
地球人全員がいとも簡単に徒歩で新轟天へ戻ったことを考えると歩いて連れて行かれたんで しょうね。
となると統制官の指令室(?)はたまたま新轟天が突っこんだ場所の近くにあったということ ですね。だって新轟天への帰還がものすごく早いんだもん。
(ま、その位置関係がぜんぜんわからんのよ)

母船から脱出したところで、ちょっと付け足し。
母船内でのシーンにかかっていた音楽が全般的に演出として機能していなかったです。
ふわーーんと響いているだけで感情を盛り上げることもなく、耳障りなだけだったと覚えてい ます。
自爆に伴う脱出行にも時間に追いかけられていることを音楽面から感じさせることはありませ んでした。
それから、母船内での対話シーンが実に空疎。
画面内での人物配置やその動きになんの工夫も見られず、棒立ち状態の登場人物をただ漫然と 撮影しただけに見えました。
とてもプロの仕事とは思えません。
もっと観客の注意を惹きつけることに留意すべきです。

いよいよ母船大爆発のくだりで周りがどんどん爆発していく中、立ち上がった統制官が狂った ように叫ぶ(笑う?)カットはなかなか決まっていました。
爆風で北村一輝さんの髪の毛が動いていたので背景に爆発を合成したのではないと見ました が、よくやりましたね。
(実は合成で、爆発のタイミングに合わせて髪を揺らしたのならもっとエライ)

X星人の母船が爆発した後、モンスターXはカイザーギドラに変形。
ゴジラ対カイザーギドラとなります。
ここまでのストーリーの組み立てがゴジラを主役とは感じさせないものなので結局は不発に終 わっていますが、
人間側のストーリーが決着してから怪獣対決の決着を見せるというのはよかったです。
(『ゴジラvsビオランテ』と比較しましょう。あの映画では怪獣対決が終わった後にチンケ な殺し屋との戦いをもって来ているので怪獣の存在感が薄れている)

このゴジラ対カイザーギドラも怪獣各論で一通りのことは述べられていますのでここでは詳述 しません。
ただ絵コンテで描かれているアクションがかなり省略されてしまったようです。
ゴジラの放射火焔をカイザーが引力光線のバリアで防御ってありましたっけ?
それでも結局、絵コンテでも引力光線の効果は完成作とほぼ同じ。
ゴジラに当たれば持ち上げるけれど、瓦礫に当たると爆発するだけ。創造力不足です。

そしてカイザーによるゴジラのエネルギー吸い取りがはじまります。
平成シリーズ、というよりミレニアム以降でしょうか。
ゴジラをなんらかの力の源であると考え、ゴジラから「何か」をいただくという発想が頻出し ます。
(『2000ミレニアム』『×メガギラス』、機龍も初代ゴジラの力を使おうと考えたわけで すよね?)
間違った神秘主義にはまっているように見えます。
ゴジラの生命力や強力さにどうしても説明をつけたいらしい。
もともと説明できないところに価値があったのに、無理矢理説明しようとするから科学的な仮 説(オルガナイザーG1)をくっつけて生物ゴジラの設定を狭めたり、
心霊現象ではないかと言ってみたり。
GFWではそこに深入りしてはいませんでしたが、このゴジラエネルギー吸い取り攻撃を見る と基本の発想は変わっていないことがわかります。
ゴジラは牛や豚、鯨なんかを食べる肉食動物なの!
噛みついて吸い取れるような謎のエネルギーなんか設定しなくていいんです!(きっぱり)

さて、ここでさっきはちょっと誉めたのに、演出上の大問題が。
怪獣対決を最後に持ってきたことは誉めました。
しかし、ここでゴジラの危機を救うのが人間なのです。
せめてゴジラと新轟天が共同でカイザーギドラを倒すというならまだしも、瀕死のゴジラに超 能力で活力を与えるのは尾崎。

そりゃ、ゴジラと尾崎が一対一で戦えば、ゴジラが勝つでしょう。(ん?そうでもないのか。 カイザーは最強の生物って言ってましたね)
しかしだ、ドラマ的に、死にそうなものが助けられれば、助けてくれた者より下位の存在に なってしまいます。
(支配とはどういうことか。スイッチを入れたり切ったりすることだ。『マトリックス リ ローデッド』より)

世界を破滅させるゴジラを助けるとは何事か、というストーリー上の問題もさることながら (レグルスさんがご自身のサイトで指摘してますよね?)、ゴジラ映画でゴジラが人間に助け られるとは何事か、です。
ちょっとした一石を投じることでゴジラが助かった、というのではありませんからね。

ゴジラより尾崎がエライ、という映画になってしまいました。

元気いっぱいになったゴジラが反撃。
引力光線を吐いたカイザーの首をねじ曲げて、別の首に当てるというアクションはよかったん ですが、その首が爆発してもげるというのはいかがなものか。
引力光線の効果がしっかり設定されていないんですね。
ここで本作のゴジラのテーマ曲が流れるのは妥当です。(このシーンにまで「もわ~ん」とし た曲を付けられていたらどうしましょ)

カイザーギドラを倒したゴジラはそのままの勢いで新轟天にも放射火焔一閃。
その一発で新轟天は全機能停止。
うーんうーん。
心苦しいが一応突っこみますよ。
なら南極で放射火焔を吐けば新轟天との勝負はあっという間についたでしょう。
そのあとも何度もチャンスはありました。
新轟天にはある程度放射火焔に耐える性能があって、日本に誘導するまではしのいでいたけれ ど、ここでは尾崎パワーをもらって強力になった放射火焔にやられてしまった、ということな らまだしも。
(でも繰り返しますが、尾崎から力をもらうというのはゴジラファンとして情けない)

新轟天から出てきた人間たちとゴジラがにらみ合ったところへミニラご一行が到着。
公開直後から突っこまれっぱなしのエンディングになります。
ここでは、ミニラと少年の周りを回りながら上昇するカメラワークがなかなかうまくいってい ました。
けれどドラマ性はないのね。

どこからともなく杏奈も出てきて、(犬のキャンディもいたか。それはやりすぎでしょう)メ インキャスト勢揃いのカーテンコール状態。
ならば小美人とモスラもここに出せば良かったのに。(どうせ全員集合にリアリティはない)
ミニラに止められるゴジラに納得できなかったのが最大ではありますが、最後の美雪と尾崎の やりとりもよくわからんのです。

「すべて終わったのね」という美雪に対して尾崎は「いや。始まったんだ。新しい戦いが」と 言います。
尾崎は何が言いたかったのでしょう?
ゴジラと戦うという意味?
とするとミニラと少年の行動を全否定です。
では復興のための戦い?
流れ上、それを戦いと称するのは納得できません。
どなたか、この尾崎のセリフの意味がわかる方はいらっしゃいませんか?

ふざけた解釈をすれば、尾崎と美雪の視線のやりとりに男女の愛情を感じることも出来ますか ら、
これから尾崎は美雪と「恋愛という戦い」を始めるのだという宣言と言えるかも。
(うそーん)

ということで『ゴジラ ファイナル・ウォーズ』一巻の終わりでございます。
エンディングのロールクレジットはゴジラ50年の歴史を感じさせることなどまったくないも のでありました。
ゴジラ50周年記念作で当面の最終作であることなどどうでもいいんでしょうね。

というわけで長々と書いてきたこの連載もようやく最終回です。
開巻から終幕まですべてに突っ込みをいれました。
指摘が足りないこともあるかと思いますので、気が付いた方からの補足もお待ちしてます。
一応気が付いたことすべてを指摘するという方針で書きましたから、重要なことから瑣末なこ とまでなんでも書いてあります。
なにが良かったのか、なにがまずかったのかの判断材料になっていれば本望です。
714
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その10・最終回) レグルス

2005/02/10 21:55


男性 28歳 A型

> 「俺一人では死なんぞ」とかなんとか言いますが、自分以外の誰を殺す道を選んだの か。

普通に解釈すれば、尾崎たちじゃないんでしょうか?
仲間のX星人を巻き添えにしているので、自分本位なのは間違いありませんが。
東映の特撮ものなんかの定番へのパクリでしょう。

> 腕を怪我した小室の代わりに美雪が操縦桿を引くシーンは間延びしすぎ。

操縦桿を引くだけなんだから、たいして緊張する必要もなさそうなのに(^^;)
主武装の引き金を引く時に緊張する場面をパクろうとしたのでこんな妙な結果になっ てるんでしょう。

> それから、母船内での対話シーンが実に空疎。
> 画面内での人物配置やその動きになんの工夫も見られず、棒立ち状態の登場人物をただ漫然と撮影しただけに見えました。

『スカイハイ 劇場版』でも誰かの映画評で同種の指摘がありました。
私はあまり気にならないのですが。

> いよいよ母船大爆発のくだりで周りがどんどん爆発していく中、立ち上がった統制官が狂ったように叫ぶ(笑う?)カットはなかなか決まっていました。
> 爆風で北村一輝さんの髪の毛が動いていたので背景に爆発を合成したのではないと見ましたが、よくやりましたね。
> (実は合成で、爆発のタイミングに合わせて髪を揺らしたのならもっとエライ)

撮り切りみたいですよ。(特製パンフのインタビューでその場面についての苦労話あ り)
これもパクリっぽいです。具体例はすぐ思い浮かびませんが。

> (『ゴジラvsビオランテ』と比較しましょう。あの映画では怪獣対決が終わった後にチンケな殺し屋との戦いをもって来ているので怪獣の存在感が薄れている)

『VSビオランテ』は、あの展開で良いと思います。
(脱線しますが、好きな『VSビオランテ』のことなので…)
DVDの音声解説や特典映像などの内幕を見ると分かるのですが、
問題はビオランテとゴジラの戦いが有耶無耶の内に終わっていることだと思います。
当初の構想では『ミレニアム』のオルガのような同化・吸収になる予定でしたが、
CGも発達していない時代では実現不可能だったようです。
怪獣バトルの前後を長めの人間ドラマが挟む、という『VSビオランテ』の構成は、
同じシミュレーション映画の『ガメラ2』とはまた違った感じですが、
よく出来ていると思います。
(殿様ギドラさんとしては怪獣バトルの後すぐ終りになる『ガメラ2』のほうが良い という事ですよね?)

> ゴジラは牛や豚、鯨なんかを食べる肉食動物なの!

これは『84ゴジラ』以降で明解に線が引かれますね。
最近はウルトラマンにしてもライダーにしても、人間を食べるか、
単純に破壊するだけか、という怪獣が多く、
巨大な肉食動物、という怪獣はトレンドじゃないようですね。
現代この路線で作るのは逆に難しいのかも…。
『ガメラ1』でもギャオスは最初はそれでしたが、最後には人食になりましたし。

> 世界を破滅させるゴジラを助けるとは何事か、というストーリー上の問題もさることながら(レグルスさんがご自身のサイトで指摘してますよね?)、ゴジラ映画でゴジラが人間 に助けられるとは何事か、です。
> ちょっとした一石を投じることでゴジラが助かった、というのではありませんからね。

『VSビオランテ』でゴジラが人質(?)にされる以上の大問題ですね。
当面の人類の脅威はゴジラよりもカイザーギドラである、
ということに順位変更するのは構いませんが、
それならそういう逡巡なり変更のプロセスをドラマに組み込まなければいけませんよ ね。
『ガメラ1』や『ガメラ2』ではそんへんはキッチリしてましたし、
「勝ったほうが人類の敵になる」と相法敵対視だった『VSビオランテ』は
結局自衛隊が壊滅したことや、直接人類に攻撃してこなかったこともあったので、
ビオランテには一撃も加えていません。

> 心苦しいが一応突っこみますよ。
> なら南極で放射火焔を吐けば新轟天との勝負はあっという間についたでしょう。
> そのあとも何度もチャンスはありました。

いちおう射程距離外を保って誘導してたんだな…と思って見てましたが。
あ、
『GFW』ではゴジラの放射火炎の射程距離は成層圏外まで届くんでしたね (^^;)

> 「すべて終わったのね」という美雪に対して尾崎は「いや。始まったんだ。新しい戦いが」と言います。
> 尾崎は何が言いたかったのでしょう?
> ゴジラと戦うという意味?
> とするとミニラと少年の行動を全否定です。
> では復興のための戦い?
> 流れ上、それを戦いと称するのは納得できません。
> どなたか、この尾崎のセリフの意味がわかる方はいらっしゃいませんか?

「復興のための戦い」の意味で言わせているんだと思いますよ。
ただ、そのための人類の被害描写や、復興の意義なんかの伏線が一切なかったのは確 かで、
殿様ギドラさんはそこをもって納得できない、と言われるのは分かりますが。

まあ、これも
「すべて終わったのね」
「いや。始まったんだ。新しい戦いが」
という定番の台詞を入れたかっただけ、という
『GFW』常習のパクリの結果内容にそぐわない結果になっているパターンでしょう ね。

あ、結果的には“意味がない”ってことになるのか(^^;)

『トップをねらえ!』とは違って、芯がないために、
パクリの元ネタ(個別作品、あるいは定番)を探すこと自体に
意義がなくなってくるんですよね…。

たとえ画的な描写がぜんぶ明瞭なパクリであっても、
物語や映画としての構成がしっかりしていれば“作品”(パロディ映画)としてはア リでしょう。
718
Re:シナリオ・絵コンテを読みな がら(その10・最終回) 殿様ギドラ

2005/02/14 12:17


男性 42歳 O型

い やー、わかりにくい書き方をしてしまったようですいません。
私も統制官が尾崎たちと心中するつもりで自爆したことはわかりますよ。
「そりゃないぜ」と思ったのは、統制官が目の前の尾崎だけに気を取られて多数のX 星人の死を意識できていないところです。
初めから個人的な闘争意識のみで戦争しているガイキチとして描かれているならとも かく、曲がりなりにもミトコンドリア収穫大作戦を遂行していたわけですからあまり にもいい加減な展開だと思いました。

「俺一人では死なんぞ」といって自爆するなんてーのはたしかに悪役の定番だけど、 さすがに惑星一つを代表する支配者が種族の存続を放棄して自爆とは・・・。
(ギャラクターのベルクカッツェはメカ鉄獣に自爆を命じて自分は逃亡しますが、 ま、メカ鉄獣ひとつを科学忍者隊と心中させる作戦なのでまだわかる)

(「vsビオランテ」の件はレグルスさんのおっしゃることもわかりますが、そもそ もあの映画は・・、とここで始めちゃうと収拾がつかないので控えます。ごめんなさ い)

ゴジラの食性に関しては、えーと、GMK掲示板のときでしたか、Lansさんと結 構突っこんだ話をしたと記憶しています。こ ちらを参照
『ゴジラ』や『三大怪獣地球最大の決戦』を参考にすればどうやら肉食動物であるら しいことがわかりますが、
劇中ではっきりと「食べる」シーンはないんですよね。
『ゴジラ』のスチール写真には牛をくわえたゴジラがあるのでそんなシーンが撮影さ れた可能性はありますが、最終的に没にされている。
何を食べているか、というあたりは多分、ぼかすのが正解なのでしょう。(ゴジラ限 定)
この「ぼかす」というのが大事でありまして、そりゃぁGFWでの謎のエネルギーも 正体不明である点はぼかしているとも言えますが、
我々が知る動物にはあんな吸い取り可能なエネルギーなんてありませんから、必要以 上にゴジラを「異質な者」として説明してしまったように思います。
このごろは怪獣を通常の生物とは一切断絶したものと捉える考え方が優勢なんでしょ うか。
そういう怪獣がいてもいいですが、ゴジラはもともとの設定がありますから勝手には み出させないで欲しいと思います。

うーむ、尾崎のいう「新しい戦い」って復興活動のことなのか~。
映画のエンディングに、「終わりじゃない、始まりだ」などというのは定番ではあり ます。
けど、前後のつながりもなく取って付けられても困惑するばかり・・・。

>たとえ画的な描写がぜんぶ明瞭なパクリであっても、
>物語や映画としての構成がしっかりしていれば“作品”(パロディ映画)としては アリでしょう。

私も同意見です。
パクリでも再構成出来ていれば・・・。
723
シナリオ&絵コンテ検証を終えて ルー等級つつ大臣

2005/02/15 11:36


男性 33歳 AB型

ギ ドラ氏どうもお疲れ様でした。
この作品のシナリオと絵コンテを完成した作品と照らし合わせれば合わせるほど作品の構成がいい加減 かつ適当なものだったという事がよくわかります。
作 品のコンセプトそのものは別に悪くないし演出次第では「怪獣大戦争」や「怪獣総進撃」のアップトゥ デートな作品になる可能性を秘めていたのですけど実際の 作品は何度も書きますが洋画の安易なパクリ(マトリックス、ID4だけでなくキル・ビルも入ってい たとは・・・。そういえばクライマックスでのゴードン日 本刀持っていた・・・。)と人物造型のいい加減さ、出せばウケる的な怪獣たちや轟天号の扱いの無神 経かつ丁寧なキャラクター描写の皆無さ、キース・エマー ソンの音楽の映画音楽としてのミスキャストぶり、宝田さんの百発百中といわれた・・・云々の本作品 の設定とは無関係なオタク向けのセリフ、モスラやミニラ の映画の都合で改悪されたキャラクター性、ガイガンのデザインや設定の無価値の変更の改悪さがある けどもやはり一番の問題は脚本と演出のまずさが無防備に 晒された駄作であることがよく判りました。これでシリーズが終わるとなるとあまりにも酷いですよ ね。
727
Re:シナリオ&絵コンテ検証を終 えて 殿様ギドラ

2005/02/15 14:28


男性 42歳 O型

お 読みいただきましてありがとうございます。
(お疲れ様です)

全体になんともいえぬお手軽感が漂う作品なんですよね。
それがいい方向へ働いていればいいのに、宇宙人の侵略だとかなんとか風呂敷を広げているの でいい加減さや軽さが悪い方に働く結果になってます。

これを最後にゴジラシリーズ休止だと晩節を汚すことになりますね。



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