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それでは、「ゴジラ
ファイナル・ウォーズ」について詳述第一弾です。
シナリオと絵コンテで追体験しながら記憶と照らし合わせて考
えています。
しばしば感情的な言葉も使いますが、出来るだけ正確に私の思いを伝えようとすればお上品な言葉だけでは
済まないのでご了承ください。
東宝マークの後に田中・本多・円谷三氏への献辞が入り、ゴジラ生誕50周年記念作品と表示されますが、
ここで「あれ?」と思いました。
それぞれの表示タイミングが妙にせわしないなと思ったのです。(つまり映し出される時間が短い)
シナリオとコンテを確認したら、もともとは「田中友幸・本多猪四郎・円谷英二に捧ぐ」という献辞は考え
られていなかったようです。
相当ギリギリになってから押し込められたものと推測します。
映画の仕上がりが見えてきた上でお三方への献辞を入れたのだとするとなんともやりきれません。
さて、ゴジラのテーマ曲をかき消すようにGFWでのゴジラのテーマみたいな音楽が鳴り始め、破壊された
戦車やメーサー車がアップとなりゴ
ジラが見得を切っているようなカットになります。
ここでゴジラの足下が爆発するのですが、何がどうして爆発しているのかさっぱりわかりません。
そんなリアリティを無視したイメージ優先の画作りなのはわかります。
しかし、これはゴジラが南極に閉じこめられる様子を見せる、つまりドラマ性のあるシーンです。
ならば爆炎の中に浮かび上がるゴジラという絵柄を見せたいのだとしても、シチュエーションを自然に感じ
させるためのリアリティがあったほうが効果的ではないでしょうか。
(ゴジラが身の回りにいる人間の兵器を放射火焔で一掃した、というような)
どうも昔の東映戦隊物のオープニング映像のようなとりあえず爆発しとけ、という発想に見えました。
(戦隊物のオープニングは最初からドラマ性のないイメージ映像なので成立している)
さて旧轟天登場。
轟天スレで
さんざん語られていますので、ここではあまり触れません。
コンテですでに砲塔の配列が変えられていて、火薬式の大砲を撃ってます。
どの段階で変更されたんでしょうね。
繰り返しのコメントになりますが、旧轟天対ゴジラにはもっと戦いの流れを感じさせるような展開があった
ほうが燃えられたでしょう。
(ゴジラ相手に轟天がいかに戦ったのかを見せてくれ!現状では撃った、撃ち返された、落ちた、地震、氷
山崩してゴジラ埋まる、しかないです。付け加えると南極にも火山性の地震はありうるらしいです)
それからCD-ROMに収録されているコンテでは特撮カットしか描かれておらず、本編カットは空白に
なっています。
これではコンテではありません。
特撮と本編の連携を正確にするためにコンテ(コンティニュイティ)が必要なのではありませんか。
コンテ本来の目的はカットごとのレイアウトを定めることではなくてカット同士の繋がりを定めるもので
す。(繋がりを考慮した結果として画面上のレイアウトが決まる)
他のシーンもざっとコンテを見てみましたが、本編との連携を指示した部分が非常に少ないです。
CD-ROMに収録するに当たって撮影コンテではなく、準備段階の物を特撮カット中心に抜粋したので
しょうか。
ゴジラが埋まった後でGFWのテーマ曲ともいえる音楽(これが安っぽい!)が流れ、資料映像などととも
にナレーションによる世界設定の説明になります。
なんとも強引な説明でめまいがしました。
発達しすぎた科学が地球の環境を歪めるとはどういうことか?
論理が解りません。人間の生存にとって害になる環境の変化が起こってしまうのは科学が不完全だからだと
いうのが私の認識。
科学が行き過ぎるとはどういう状態なのか。
細かいことに目くじら立てるなと言われそうですが、こういう原則的な論理がきちんと考え抜かれていない
シナリオであることが明々白々に示されたオープニングナレーションです。
ここで他作品から怪獣の映像がいくつか使われますが、ガイラが使われるのは少しおかしい。
ガイラは環境の変化で目覚めた怪獣ですか?
そのほかこのナレーションには数々の問題点が含まれていますが、それはストーリーが進むにつれて表面化
していきます。
ここでは最後に高らかに宣言される「地球防衛軍最大の敵、その名は(ゴジラ)」に突っこんでおきましょ
う。
冒頭でゴジラは氷の中に封じ込められているではありませんか。
その段階では対怪獣組織M機関はまだありません。(ゴードンの年齢とミュータントが確認され始めた時期
を照らし合わせよ)
M機関結成時にすでにゴジラは当面の脅威ではないのですよ。もちろん、まだゴジラは死んだわけではなく
どんなきっかけで復活するかわからないということは言えるでしょう。
しかし、エリアGは厳重に監視されているのでしょう?最大の敵、と言われてもピンと来ませんよ。
しかも、GFWのストーリーは地球防衛軍がゴジラと戦う話ではありません。
タイトル前に大袈裟に宣言するような文章ではないと思いますよ。
また、ナレーションバックの映像にもいくつかコメントしておきます。
ミュータント兵による武富士ダンスはやっぱり変でした。
映画スクリーンの前で群舞しているようにみえます。
これもイメージ映像なのはわかりますが、ここにきちんとミュータントなるものが通常人と何が違うのかを
感じさせる映像を入れるべきでした。
それから旧轟天の線画が映し出されますが、これが元祖轟天とも冒頭の旧轟天とも違っているようです。
(なんだかなぁ)
ナレーションの後でカイル・クーパー氏による鳴り物入りのタイトル映像。
『ゴジラ』テーマ曲を見事に軽々しくアレンジした音楽。(やめてくれーーー)
歴代ゴジラの映像がめまぐるしく切り替わり、ひとつひとつを視認することすら難しい。第一作目からの映
像は比較的わかりやすいですがあとは何がなんだか断片的。
さらに映画のタイトルもスタッフ・出演者のクレジットもほとんど読めない。(ここにSUM41の名前を
出す必要があんの?音楽上のカメオ出演みたいなものでしょう)
映画のオープニングクレジットの役割ってなんですか?
カイル・クーパーなる人物も原理原則を忘れて手法におぼれるタイプだな。(逝って良し)
騒々しいタイトルが終わると新轟天対マ
ンダ。
海底に見えません。
コンテでは泡の表現にこだわっているのですが、完成映像ではほとんどわかりません。
海底火山にミサイルを発射して激しくマグマを噴出させるわけですが、泡立つ海水という表現が見あたりま
せん。
水蒸気爆発とか起こるんじゃないでしょうか?
さらにそのマグマに近づいていってマンダを焼いちゃうわけですが、マグマに突っこんではいませんからマ
ンダの周りは摂氏100度を超えてはいないはずです。
周りは海水に満たされているのですから水の沸点を超えているわけがない。
それなのに炎を上げて燃えるマンダ。
いい加減にしろ!
あ、水圧がかかっていますから沸点上昇していてものすごく熱かったのか・・。ってそういうレベルじゃな
いだろっ。
細かい点を煮詰めず、ゆるーい思考で作ってしまったように見えました。
シナリオでも海水の存在を意識したト書きはありません。
新轟天の操縦室に海水が噴出してましたが、そこまで浸水しているとなるともう沈没するしかないんじゃな
いでしょうか。
全長150メートルもある巨艦ですよ。
外殻のすぐ内側に操縦室があるわけではないでしょうに。
マンダの巻き付き攻撃を振りほどいて一旦離脱してから180度方向転換して再び突撃するところ、回転運
動を起こすエンジンの作動は映像で見せていましたが、
その回転を止める表現がない。
コンテでは描かれているのに、完成作にはない。
もちろんカット割りの流れ上見せなくても成立する場合も考えられますが、実作では180度回ったところ
でひとりでに回転が止まったように見えました。
そんな細かい描写を積み重ねることでメカのかっこよさが出るはずなのに、ぜんぜんやってくれない。
またこのシーンでも特撮カットと本編カットの連携を指示するコンテが非常に少ない。
特撮による外部の動きと本編による新轟天内部の動き(芝居)に映像的な連帯がないと新轟天と乗組員に一
体感が出ません。
具体的にどのカットの繋がりが悪かったのかを指摘出来るほど記憶していないので曖昧な言い方になります
が、
なにか落ち着きの悪い繋がりがあったように思います。
尾崎が手動でメーサーの狙いをつけるシーン、ミュータントの優れた感覚を示すためにマンダの動きがス
ローに見えるというト書きがあるのですが、
完成作ではよくわかりませんでした。
またシナリオではメーサーでマンダが吹っ飛ぶとなっているところが、コンテでは完成作と同様の展開で
す。
(ここも理学的に突っこむと、冷凍メーサーがマンダを選択的に凍りつかせるのはなぜか、という疑問あ
り)
それから、主役が初めて顔を出すところだからでしょうが、尾崎が顔の装具を外す動作がやけにゆっくりし
ていましたね。
間を空けることでタメを作るやり方は基本ではありますが、新轟天対マンダという戦いのさなかではもっと
別の演出法を使うべきだったのではないでしょうか?
尾崎が顔を出す動作によって緊迫感が薄れています。
ここは、あくまでも動作は素早く、しかし、カメラワークで顔が見えるまでのタメを作るべきだったと思い
ました。
さて、新轟天に波川から通信が入ります。
ここで注目すべきはすでに目を見開いた演技をしていると思われること。
これはなかなか小技が効いた演出だと思いました。
初見ではその意味に気が付かないわけですが、繰り返し見ればなーるほどと思えるでしょう。(って勘違い
だったりして。いつ波川がX星人に入れ替わられたのかストーリー上判然としない)
ただし、この時点で波川がX星人になっていたとするとのちの展開が相当おマヌケになってしまうのだ
が・・・。
波川に責められたときのゴードンのリアクションがこの映画のすべてを表しているようです。
新轟天艦長という重責を担った人物とはとても思えない短絡的なセリフを吐くことに私は強い反感を覚えま
した。
こんな上司の下では絶対に働きたくない!
口の利き方を知らないク○○キですね、ゴードンは。
GFWという映画全体を貫くのはその感覚。
深慮遠謀とか理知という感覚とは無縁。
この後の諸々でもその都度触れますが、この浅薄な雰囲気が私がGFWを楽しめなかった最大の原因だった
ようです。
大雑把な映像や、設定が破綻しているシナリオがつまらなかったのはもちろんですが、ゴードンが嫌い!
尾崎も嫌いなんだなぁ。
みんな軽薄にしか見えなかった。(ゴジラもチンピラだし)
好き嫌いに二極化したとき、GFWが嫌いなのはそこに原因がありそうです。
場面転換してM機関訓練所。
このシーンもわからないんだなぁ。
M機関というのは怪獣と戦うための組織なのでしょう?
そりゃ基礎的な訓練として格闘の技も磨く必要はあるでしょう。兵隊なんだから。
しかし、開巻すぐのいわばM機関紹介ともいうべきシーンになんで長ったらしくめまぐるしいだけのアク
ションを入れるかなぁ。
怪獣と戦うときに格闘技が主力になるんでしょうか。
実際、後のエビラ戦でもエビラ相手に組み付いたりはしていないでしょ。
あの戦いも対怪獣戦闘として誉められた物ではありませんが、それを認めたとしても主な訓練は人間同士の
格闘ではないでしょうに。
(航空機や車両を上手く扱う技や砲撃の技を磨くべきじゃないの?)
それから、一旦尾崎が風間にとどめを刺せる体勢になったところを風間が振り払って続行、風間が尾崎を追
いつめたところで熊坂から「それまで」と声がかかります。
なんか変だ。
それなら尾崎が風間の喉元に手刀を構えたときに「それまで」と言わねばならぬでしょう。
風間は尾崎に「なぜためらった?」と訊きます。あったり前でしょう、訓練なんですから。実際風間だって
尾崎にとどめは刺していません。
さっぱりわかりません。
シナリオでは、風間の一瞬の隙を尾崎は突かず、そのために逆転されて喉に手刀を叩き込まれる、となって
います。
シナリオのほうが自然な展開ですね。
そしてさらに風間と尾崎の不可思議な優しさ問答。
こんなに意味ありげにやりとりさせるようなセリフでしょうか?
GFWのどこに優しさの価値を訴えるようなドラマがありましたか。
バカみたいに突撃突撃で力押しするだけじゃないですか。
あとでX星人に操られた風間を尾崎が殺さない、という展開がありますが、それもこの優しさ問答なしで十
分成立するでしょう。
敵に操られていることが明白な仲間を殺さず無力化するのは人間として当然のこと。
それとも、殺すのが通常で、あそこで風間を殺さないのは格別に優しい人だけだとでもいうのでしょうか。
熊坂に呼び出されて音無美雪警護の任務を告げられる尾崎。
M機関って中学か高校の部活なんでしょうか。
任務に不満を漏らす尾崎の態度、セリフ回しがどうにもこうにも軽くて軽くて、軍人とは思えません。
上官にあんな軽口を叩ける軍隊組織というのも不自然。
リアリズムは抜きにしても、尾崎の気質には親近感を持ちませんでした。
軍人なら与えられた任務は黙々とこなしやがれっ。
(イリュージョンのように姿を現す音無美雪がどこから現れたのかもさっぱりわからず。クローゼットか何
かに隠れていたのでしょうか?)
引き続いて尾崎と美雪のこッ恥ずかしいいがみ合い。
大昔のラブコメの導入部でしょうか。
尾崎と美雪の関係性にまるでリアリティはありません。
かたや世界的な大発見を研究しにきた大物学者、かたやそれを警護する軍人という関係です。
なんですかあの中学生の会話は。
この映画に出てくる主要人物はガキばっか。
ここでは対面する美雪と尾崎それぞれの背後に交互に切り替わるカメラワークが小うるさかったです。
尾崎と美雪のカミシモ(画面上の右左)は守られていましたが、二人が車を挟んで立っているために車の位
置がカメラが切り替わるたびに逆転していたと思います。
そのために感覚的に画面内で人物配置が変わったような錯覚に陥りました。(ひょっとしたらカメラポジ
ションの原則も破られていた??)
もうひとつ、この美雪登場シーンに流れるBGMが破滅的に安っぽい!
尾崎と美雪は防衛博物館へ。
ガイガンの
ミイラ登場ですね。
ここでのポイントはM塩基に関する説明でしょう。
神宮寺がかましてくれます。
「人間には4つの塩基しかない」と。
GFWにはシナリオチェック体制がなかったんでしょうか。
DNAには確かに4種の塩基が含まれますが、人間の体全体となると話は別でしょう。
百歩譲って、ここではDNAの話をしているのだ、と解釈してもずーっと後になって統制官との対話に無理
が出てくるんだよなぁ。
(M塩基はX星ではありふれた物質だ、とかなんとか。体内の成分として塩基を考えているフシがある。そ
うなるとたった4つであるわけないだろっ)
それからATGCという4つの塩基はそれぞれAとT、GとCが結びつく性質を持っているので二重螺旋を
形成するのですよね?
その二重螺旋がほどけて新たな相手と結びつくことで遺伝情報が複製されていくものだと思っていました。
ではM塩基の結合相手は何塩基?
M塩基と対を為す塩基がなければ情報の複製は出来ないと思われますが?
いやー、まあ、セリフを額面通りに信じれば、決してDNAの話をしているわけではないので問題ないんで
すかねぇ。
でもそうなると人間は体液を含めてもATGC4つの塩基しか持ってないのね?
RNAにはU(ウラシル)という塩基があるって。
アンモニアも塩基と言えるんですってよ。
しかしガイガンとミュータントの関係に言及していますからやっぱり遺伝子の話なのかぁ??
私も生物化学系には弱いので偉そうなことは言えませんが、GFWのシナリオが科学的にめちゃくちゃであ
ることはわかりました。
フィクションなんだから科学知識の正確さなんかどうでもいいじゃないかとおっしゃる向きもあるかもしれ
ません。
しかし、これは全国の劇場で公開し、100万単位の大衆に向けて発信する作品なのです。
誰でも知っている常識なら説明不足でも構わないでしょうし、常識をわざと外した説明をすることによって
観客の世界とは関係ない世界(宇宙?)なのだと主張することになったりするでしょう。
このシーンでの塩基に関する説明は常識的な知識と言えるのか?
逆に観客の多くはよく知らない事実を説明しているのではないのか?
ならば簡潔でも正確なセリフでなければならない。
現状ではDNAの話をしているのかどうかわからない。
そしてDNAの話だとしても塩基が5つだとなると成立しにくい。
大人はともかく、子供はあらゆる瞬間に学習しているのです。子供たちにいい加減な知識を植え付けるよう
な行為は慎んでもらいたい。
つづく・・・ |