HOME


ゴ ジラ×モ スラ×メカゴジラ
東京SOSを 語る掲示板
上映期間終了後
50周年記念作に望むこと【別掲示板よりの転載】
2004年に50周年記念作を作るべきか?
50周年記念作に望むこと新規
東京SOSの音楽
ミニチュアについて


209  えー、話は変わりますが… Lans   2004/01/12 02:14
  
 昨日「原始怪獣現る」&「放射能X」のDVDパックを購入しますた。
いやぁ、何度見てもいいですなぁ。
ゴジラ同様、モノクロ時代に創られたとは、とても思えない出来です。
(特に放射能X)

しかし、日本のゴジラと比べ、いくつかの点で明らかに不満が出るのです。
ということで、つらつらと書いてみます。

ます、BGM…これは圧倒的です。
ゴジラは曲でシーンを盛り上げますが、原始怪獣にいたっては、NY上陸などで、殆ど曲がありません。
しかしゴジラでは、東京上陸にあたり、世紀末的な雰囲気をじっくりと
音楽込みで観客にアピールします。
(このあたり、放射能Xはアリの交信音を効果的に魅せているので、単純に劣っているとはいえないと思います。それどころか、「ラドン」のメガロドンやモス ラのSEは、あきらかに放射能Xの影響を受けているのでは?とまで思います)

このあたりで思ったのですが、円谷特撮(特に初代ゴジラ)は、直接的な映像もそうですが、雰囲気を伝える事に非常に丁寧だと感じなおしました。
比べて、海外物は、雰囲気よりも、直接的な表現が重視に思います。
(例外が、放射能Xとエイリアン1&2)

この雰囲気をかもし出すという部分は、対象を描ききらないで、
観客の想像の余地を残す。また直接的表現以外に、イメージ的なシーンを多数挿入する事で成り立っているのではないかと…

で、平成以降、いや、もうこれは昭和の総進撃以降の怪獣映画は
その殆どが、直接的表現に傾倒してるような…
(総進撃以降でも例外はあり…例えば対ヘドラとか…)
特に平成VS以降は、さらに直接表現が重視のような…
これは特撮技術が進み、全てを表現できるようになってしまった為かも知れません。
もしかしたら、全てを表現したくても出来なかった過去の作品の方が
我々の感性に訴えるのは、製作者の苦肉の策だったのかも・・・

しかし、その感性に訴えるというのは、すなわち心に訴える訳であり
いくらリアルに直接的表現を見せたとしても、それは、見せるだけであり
心に訴えきれていないのでわ?と強く感じたりしました。
(このあたり、実はUS・GODZILLAのNY上陸は、初代G並みに感じた部分あるのですよね…ああ、あれも惜しい作品です。怪獣の意味をもう少し理解 していてくれたら…)
(しかし、原始怪獣のプロットと、GODZILLAは、やはり共通項が多いですな)

PS:
私が海外映画で特に強くセンス・オブ・ワンダーを感じた作品は
「2001年宇宙の旅」
「宇宙戦争」
「放射能X」
「エイリアン1&2」
「ゾンビ」
「GODZILLA」(ただし中盤まで)

日本では
「ゴジラ」
「モスラ」
「地球防衛軍」
「サンダ対ガイラ」
「ゴジラVSビオランテ」
「日本沈没」(TV版は、より強く感じました。特に「今、島が沈む」なんか)
「戦国自衛隊」
「ジャイアント・ロボ」(サタンローズの回、2話&ガンモンスも捨てがたい)
「仮面の忍者 赤影」(第3クール)
「ウルトラセブン」(多数あり…)
「ウルトラQ」
「ガメラ対バルゴン」
「ガメラ対ギャオス(昭和版)」
「ガメラ2」

あたりですかねぇ
ああ、海外で忘れてました
「大海獣」
「絶対の危機」&「人食いアメーバの恐怖PART2」
これも捨てがたいです。
(うわぁ、マイナー…)
(でも「ブロブ」は今ひとつ…)

うーん、こう見ると…我ながら
現実が破壊されるホラー風味の強い作品に惹かれてますね…
と言っても、生粋のホラー物は…正直好きなの方ではあるのですが
今ひとつ、センス・オブ・ワンダーに近い感覚は感じません。
ちょっと、自己分析しなおしてみますかね。これは(汗
(恐怖や不安と言うものは、人の感情の根源に近い部分で、強く影響しますからね…)

210  Re:えー、話は変わりますが… 殿様ギドラ  2004/01/13 16:59
  男性 41歳 O型 
 いやー、Lansさんの書き込みを見て、久々に『原子怪獣現わる』と『放射能X』を見てしまいました。
ドラマとして優れているのは圧倒的に『放射能X』ですね。
ビジュアルとしては2~3メートルのアリより原子怪獣のほうがかっこいいんですが。

『原子怪獣現わる』は恐竜が現代まで生き延びていることはあり得ない、と徹底的に否定しておいて、しかし現実に現れたではないか、とドラマを誘導する手際 が見事です。
観客が「リアル」だと思う常識をわきまえた上で、それを覆してみせることでひょっとしたら本当にこんな怪獣が出てくるかもしれないという気分にさせてくれ ます。
しかし、リドサウルスくんが本格的に暴れはじめたとたんドラマが薄味になってしまうのが難点ですね。
なぜ放射性同位体を撃ち込むことで倒せるのかもよくわからないし。
核実験で目覚めた怪獣ではあるけれど、核の恐怖を体現するような怪獣でもないですね。
(リドサウルスの歩いたあとを進軍する兵士がばたばた倒れていくあたりに少し見えますが・・)

それに対し、『放射能X』はもっとストレートに核実験を続ければこんなお化けアリがどんどん出てくるぞという意見で締めくくっていて、完全な反核兵器の映 画であります。
この作品、雰囲気がすごく馬淵薫脚本特撮作品に似ています。
警察や軍隊の動き方がある種の非情さをもって描かれているようです。
(女王アリを目撃した飛行機乗りから情報を得ておきながら、退院はさせないとか・・)
また、冒頭の少女が退行現象を起こしているのも50年代の怪物映画には珍しいリアリズム。
それは夫を失い子供たちの安否も解らない母親が、錯乱状態の中で家族との日常のやりとりをとりとめなく話し出すあたりにも感じる感情のリアリティです。
(そのほか、ひとりひとりの人間性がきめ細かく描かれている。『原子怪獣~』がどちらかというと紋切り型の人物ばかりだったのに比べると実に巧みである)
えー、某監督の某作品で怪物に襲われた女性が「みんな殺される~!!」などとわめき散らすのや、
同じ監督さんの別作品で娘を殺された両親がよよと泣きながら「なんでこんなことに・・」などといかにも悲しそうにしかし冷静に言うのとえらい違いだな、な んつって。

50年代の怪物系SF映画は、まずは怪物など存在しない現実から出発していかに怪物出現にリアリティを持たせるかに腐心しています。
ですから、怪物がいるということをとことん丁寧に描いてくれるのです。
同じような形式の映画がたくさん作られたので、「お約束」めいた手順に見えることもあるかもしれませんが、そんな基本を忘れてはいい怪獣映画は作れないで しょう。
(ゴジラシリーズとなるとみんなが怪獣を知っている世界が舞台となるので基本技だけではうまくいかないでしょう)

Lansさんが触れているBGMのことを少し。
『原子怪獣現わる』も『放射能X』も音楽はあくまでも映像を補助するものになっているようです。
リドサウルスが暴れる際に流れる曲は、不安をかき立てるような音を鳴らしている感じで、印象的なメロディはありません。
ドラマの意味まで含んだ音楽はなかったようです。
(ここが伊福部音楽と決定的に違う!)

で、「東京SOS」の音楽にも触れようかと思っちゃったりしますが、それは別立ての方が良いですね。

確かに昔の作品のほうが、直接見せずに感じさせる技に長けていたと思います。
映像技術が未発達だったせいで、見せたくても見せられない映像が多かったせいかもしれませんが、
見せないことで効果が上がることも確かにありますね。
(ああ、しかし、『放射能X』なら空飛ぶ巨大蟻や町に出てくる巨大蟻の大群を見せないと企画を全うしたことにならないような)

221  今更のレスですが だがや   2004/01/17 02:40
  男性 44歳 O型 
 > いやー、Lansさんの書き込みを見て、久々に『原子怪獣現わる』と『放射能X』を見てしまいました。

僕も昔のビデオを探してきて久しぶりに両作品を見てみました。
テープの管理がいい加減なものでついつい別の作品まで見てしまったりで
レスが遅れてしまいました。

Lansさんの「 原始怪獣のプロットと、GODZILLAは、やはり共通項が多いですな」には激しく同意します。
殿様ギドラさんの「 ドラマとして優れているのは圧倒的に『放射能X』ですね。」も同様です。

特撮表現が今よりずっと不自由な時代でありながらきちんとしたドラマ立てで冒頭から観る者の心を上手くつかみリアルな緊迫感を維持していくのは大した物で す。
特に『放射能X』の地下水道の戦闘では、一斉射撃でけりが付くかと思ったら地崩れで部隊が分断されて再度危地に陥るあたりがよかったです。
最近の映画で延々退屈な戦闘シーンを見せられているだけに印象的でした。
人間との絡みでは全長50メートルの巨大怪獣よりメガヌロン程度のサイズの方が緊迫した芝居が作れるのでしょうかねえ。
 


211  転載 だっ 殿様ギドラ  2004/01/13 17:15
  男性 41歳 O型 
 ゴジラ50周年記念作に向けての要望。
昨年、映像作品掲示板で行われたやりとりをここに転載します。

とにかく、「~はなかったこと」というごまかしは極力排除してほしいのです。
その上でどうしても出てくる矛盾を感じさせないためにはどうするかにプロの技を見せて欲しい。
50周年記念作は多数の怪獣が登場するオールスター作品になることが決定したとのことですから、
ゴジラ映画をひとつに統合する必要も出てきたのではないでしょうか?

以下転載部分*************************

93 Reply ゴジラシリーズ修正案 殿様ギドラ Mail 2003/06/10 11:06

つっつさんの92番投稿のつづきですが、『東京SOS』から話題が離れるので別スレ立てます。

つっつさんの提案にはすごく共感するところがありました。
既存のキャラクターをいじるな、というのはこれまでずーっと私も主張し続けてきたことなので、そうだそうだとしか云いようがありません。

そして感情的には、平成ゴジラサポーターの神経を逆撫でするような映画を観てみたいと強く思います。

しかしまあ、84年から数えてももう20年が過ぎようとしていて、その間にゴジラファンになったという人をあえて不愉快にさせるというのも大人げないよう にも思います。

ねじ曲がったものを正すには、曲がっている部分を切り落とすのが一番すっきりするわけですが、
幸か不幸かゴジラ映画は虚構なので、曖昧な部分を残しても成り立ってくれます。

そこで私が考える修正案を素案として書いてみます。
ストーリーとしては矛盾が出てくるのはやむを得ないですが、どのゴジラファンが観ても最低限腹は立たないような世界設定としてこんなのはどうでしょう。

ゴジラの戦歴はすべてあったこととする。(例外あり)
劇中の出来事も可能な限り事実とするが、現実世界とかけ離れている事象には触れない。
(わざわざ「ないこと」と宣言する必要はないが、劇中に持ち出さないということ。たとえば、X星人の侵略とか未来人の攻撃などなど)
84年に出現したゴジラ、99年、2000年、2001年、2002年のゴジラはそれぞれ別個体であると認識されていることにする。
(これは劇中ではっきりと宣言すべき。またゴジラ以外でも過去の怪獣の名前を名乗っているものはオリジナルとは別種のものと認識)

『ゴジラの息子』は国連による気象コントロール実験という背景があるので、未だ実現されていない未来と考える。
同じように『怪獣総進撃』もゴジラ史の未来であるので、踏まえる必要はない。
(ああ、ミニラがいない世界なのね)

とにかく基本は過去のゴジラ映画が描いた内容を「わざわざ」なかったことと宣言する必要はないということです。
その中で、別物になってしまったキャラクター(ゴジラはもちろん、キングギドラ、ラドンなど)のオリジナルとアレンジものを並立させるために、必要に応じ てそれぞれ別物と認識されているという事実を示すのです。

と、まあ、こんなとっかかりでゴジラシリーズ再出発というのはいかがでしょう。
ほかの修正案とか、シリーズものとしてのゴジラ映画になにかご意見ありませんか?どなたでも。

94 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 ほりぴー Mail 2003/06/10 14:30

> ほかの修正案とか、シリーズものとしてのゴジラ映画になにかご意見ありませんか?どなたでも。

と、ふっていただいたので図に乗って書かせて頂きますと、私は本多・円谷(特技
監督)コンビ作品に限っての設定に戻すという案を提唱します。(具体的に言えば
「怪獣大戦争」まで。「ゴジラの逆襲」はうーん、世界観を改変していないので
可とします。)

できれば伊福部音楽も条件に入れたいのですが、初代モスラのような重要な作品が
落ちてしまうのが残念です。(古関裕而先生も偉大ですね)

昭和後期のゴジラもゴジラであるということを否定はしません。ただ、これだけ
ブレてしまったキャラクターを元に戻すためにはオリジナルのクリエイターに手に
なることを正統とすべきかと。

平成ファンどころか昭和後期ファンの皆様ごめんなさい。

95 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 つっつ Mail URL 2003/06/10 23:49

ギドラ氏の意見を聞いてそれも確かになあと思いました。84から始まった「平成シリーズ」も既に20年が経過してたんですよねよく考えたら・・・・(げに 時が経つのは恐ろしい・・・。)その間にファンも当然出来るだろうしこの間の意見は大人気無いと反省してました・・・。そうなるとこれらの歴史をも踏まえ て視野を拡大して別の個体として考えないと駄目ですね・・・平成ゴジラは。何だかんだ言っても楽しみましたし。ただ最近のは何度もリセットしてるから大変 ですよおおおお~。散々滅茶苦茶にしてきたから富○プロデユーサーが・・・。

96 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 殿様ギドラ Mail 2003/06/11 10:14

さすがゴジラネタにはいろんなご意見が出てきますね。
ありがとうございます!

>ほりぴーさん
本多・円谷コンビ作品限定で「あったことにする」というのはすごくわかりやすい線引きですね。
そして、それこそが正統であるはずです。

私の素案で平成VSも取り込もうとしたのは、分裂しているゴジラシリーズをなんとかひとつにまとめようという意図からでした。
しかし、それはすでにある現状と妥協することでもあります。
一番純粋なやり方は、だめな部分を切除するということでありましょう。
純粋にことを進められればそれが一番だと私も思います。

70年代のゴジラシリーズは、クオリティがあまり高くないとはいえ、本多・円谷コンビによるゴジラシリーズを否定しているわけではないので、
ゴジラ史に残しても良いのではないかと思います。
(作品の出来不出来と正統亜流の区別は違ってくるのでは?単独の作品として考えれば、70年代ゴジラよりvsシリーズのほうが高品位でしょう)

新たにゴジラ映画を作るなら本多・円谷作品を引き受け引き継ぐものでなければならない。
同時に過去の作品でも本多・円谷作品の延長線上にあるものなら正統と認めていいのではないかと思われます。
その考え方から行けば、厳しい見方で70年代を切り捨てたとしても『南海の大決闘』は含めていいように思います。

(『怪獣大戦争』はかなり難しい位置にいるんですよね。冒頭で未来のお話であると宣言しています。これも『怪獣総進撃』のようにゴジラ史の未来として考え るべきかも)

>つっつさん
たぶん、ゴジラシリーズを分裂させたのは田中友幸プロデューサーではないかと・・・・。
84ゴジラのポスターを見直したら、「30年の沈黙を破って~ゴジラ最新作」なんて書いてある。
またvsキングギドラの劇場パンフに寄せた田中プロデューサーの発言には「怪獣の設定は緩く考えていい」という趣旨も。
なんて考えても、現場を知らないので誰が何をしたかということはわからないです。
いまのゴジラシリーズに富山プロデューサーがどういう影響を与えているかも真実はわかりません。
たとえご本人の発言であったとしても、公の場では本音を語るとは限りませんから。
それは田中プロデューサーも同じであったでしょうから、やっぱりわからないものはわからない、と。

我々としては出来上がった作品の善し悪しを語り、作品から見える精神(それは「誰か」に責任があるんでしょうけど)を問題にすることしか出来ないのかもし れません。

今回、ちょっといい子ぶって全部のゴジラ映画を取り込む新設定を作れ、とアジってみましたが、
つっつさんやほりぴーさんのように不当なものは切り捨ててしまえ、という正論が出てきたことはうれしかったです。

おっとっと、まだこの話題を締める気はないですよ。
出来れば円谷ゴジラよりvsシリーズのほうがいいのだ、という方の考えを聞いてみたいものです。
(あるいは、現在の毎回リセットのほうがいいという人もいるんじゃないですか?)

98 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 つっつ Mail URL 2003/06/12 01:10

おっと確かにそうでしたね・・・(汗)田中プロデユーサーは1983年のゴジラ復活前夜のときに某ムックで「ゴジラが人類の味方になったのは誤りだった。 核兵器のシンボルを変えてはいけない。今度のゴジラ(84のこと)は原点に返って悪役にしたい」とか言ってましたしね・・・(今更故人に悪口は・・・。) 企画は「メカ逆」の翌年には合作映画として上がってましたがその時執筆を頼んだのはかの関沢新一氏でした。だがこの時のシノプシス(粗筋)はあっさりと没 になってしまったようです。理由は「これじゃ前と同じではないか!もっと新しいものを」というものでした。又田中氏は大阪万博の時に(つまりは円谷監督没 後)その頃田中文雄氏の円谷監督怪獣映画のオマージュたる原案の「決戦!南海の大怪獣」でさえ同じ理由で没にし現在ある姿の映画にしたくらいですから円谷 監督の死は相当ショックだったのでしょう。この時から田中氏は変ったのでしょう。以後のゴジラ映画は以前のように対決ものを製作しても出来には満足ではな かったでしょう。低予算の子供向け映画のレッテルを貼られ世界のエンターテイメントとしてゴジラを作った田中氏には耐えられなかったのでしょう。それなら 最早リセットして今までの影を払拭したかったのでしょうね・・・・。(多分当時のファンも同じの筈。この時期ゴジラが好きっていったら馬鹿にされてたのは 自分もそうだった。)そして唯一第1作だけが
反核映画だと言って何とか市民権を得ようとしてたんですね。だけど時代が変るとキングギドラもモスラも認識されてる状況で人気怪獣ということが既に判って ますから新作に出したいということなのでしょう。だけどこの時のゴジラは「人類の敵」という設定になってる為以前のような設定ではまずい然しリクエストも ある
ということだったのでしょう。あるいは「緯度ゼロ」のときに決定的に円谷監督作品は興行的に惨敗したということ及び折角本多監督を招いて昭和シリーズ最後 の「メカ逆」も同様の理由で失敗したというのでこれでもう二度と本多監督を招くようなことをしなくなったというのもあるかと思います。(84の時どうして 声をかけなかったか?それは「サンダ対ガイラ」の時本多監督は既にリストラの対象にされていた。又円谷監督もこれが合作企画でなかったら演出もさせなかっ たでしょう。金のかかる特撮映画は敬遠されてる時期だったしもしそのまま在命だったとしても
恐らく撮らせなかったでしょう多分・・・。)そんな時期の面影を払拭しようとゴジラやキングギドラの設定を変更させまた自分も柔軟な発想の持ち主だと言い 聞かせたかったのでしょうね。でもこの時田中氏は大変な過ちをおかしてしまったのです(これは当時の製作環境を考えてみての推測です。長文になってすいま せん・・・。)

100 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 殿様ギドラ Mail 2003/06/12 10:08

『決戦!南海の大怪獣』のオリジナル案てどんなストーリーだったんでしょうね。
なにかの資料に載ってるんでしょうか。

田中友幸プロデューサーの業績をどうとらえるかはまだなんとも言えないですね。
私は田中プロデューサーこそがゴジラを生み出したのだという意見には賛成できないし、東宝の特撮路線を確立したのは田中友幸さんの功績であるとしても、
円谷監督にたくさんの掛け持ち仕事をさせてしまったのも田中さんではないかと睨んでいます。

84年以降、ゴジラ映画に本多監督が登板しなかった理由はもはやわからないですよね。
本多監督が断った可能性も高いんじゃないかと思われますが・・。
(あくまでも推測です。本多監督があれらのシナリオに納得するわけがないと想像して)
(伊福部先生が「vsスペースゴジラ」を断ったのは、シナリオが自分の音楽に合わないと判断なさったからだとか)

84年のころ、『ゴジラ』のみが傑作・正統とされてしまったのは、いかに当時の特撮映画評論が低レベルだったかを示しますね。
主義主張に置き換えられるメッセージを読み取ることばかり考えていたわけです。
つまりは結論のあるテーマがないとダメだという考え方ですね。
(反戦・反核・科学技術批判などなどなど)

「テーマは台風だ!」(モスラ対ゴジラのセリフより)

特撮映画が描き出した広い意味での映像「美」を評論する視点がなかったと思います。
(いまだにそんな人が多いですが)

あれ、話がそれちゃったかな。

102 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 つっつ Mail URL 2003/06/13 00:07

まあそれを云われると真相は闇の中ですよね。ただ生前本多監督は自分の新作を撮りたがっていたから複雑な心境ですね・・・。田中氏の功績は大体のストー リーを最初のゴジラのときに考えてそれを提出しなかったらゴジラも誕生しなかったことですかね・・・。
さて設定の変更ですけど円谷監督はじめ本多監督や田中氏が鬼籍に入られた今、もう出来ないはずなんですけど(故人への冒涜にもなる!それをやってしまった のが「GMK」でしょう・・・。)ゴジラファン出身のプロデユーサーならそんな簡単なことは解ってるでしょうに・・・。それをしてしまうんですか ら・・・・。今回の「東京SOS」は見逃してあげますからこの次の50周年映画は平成時代のゴジラは全部リセットして!(無責任発言)

104 Reply Re:ゴジラシリーズ修正案 殿様ギドラ Mail 2003/06/13 10:18

核実験で怪獣が目覚めるという基本線は田中友幸さんの発案なんでしょうね。
(そのあたりの詳しいことは「ゴジラ1954」という豪華本に書いてあるのかなぁ。残念ながら未読です)
まあしかし、『ゴジラ』以前に核実験の影響で怪物が出現するという映画はちょこちょこあったわけですから、そこまでだとさほどオリジナリティはないですよ ね。

さらに、巷間円谷監督は大ダコに固執していて、田中プロデューサーが恐竜タイプを推したのだと云われているのもちょっと怪しい。
円谷監督は、戦時中に大ダコに襲われた船があるという話を聞いて、大ダコを原始怪獣に置き換え、深海に生き残っていた原始怪獣が現れる企画を『ゴジラ』以 前から暖めていたという談話が残されています。
(増補改訂版「円谷英二の映像世界」参照)
ゴジラの基本設定はやはり円谷監督によるものではないかと思われるのです。

GMKの監督さんが既存の怪獣の設定(出自だけでなく気質も含めます)を全部変えてしまったのは、作品の支配者であろうとし、(意識的か無意識かはわかり ませんが)ほかの誰かの発想を排除しようとした結果なんじゃないかと疑ったりしています。
84以降のゴジラと仲間たちが改変されてしまったのも、本多・円谷・関沢トリオの発想を排除して「縛り」から逃れようとしたためではないか・・。

(しかし、イメージが定まっている人気怪獣の集客力に頼っていたわけですから、とんでもない身勝手と言えます)

やっぱり、新作を作るなら60年代ゴジラ映画のつづきにしないとだめか・・。

105 Reply Re:トンデモ設定 殿様ギドラ Mail 2003/06/13 16:39

変な設定を思いつきました。

劇中の事実としては『三大怪獣地球最大の決戦』、ないし『南海の大決闘』までとします。
(『怪獣大戦争』、『ゴジラの息子』、『怪獣総進撃』はこれから起こる未来の出来事です)

そして『ゴジラ対ヘドラ』以降の作品は劇中の社会で公開された映画作品とするのです。
実在するゴジラにヒントを得て映画会社が作った創作ゴジラ映画という位置です。

これならすべてのゴジラ映画の存在を認め、かつ矛盾は起こりません。
ただし、実在・虚構のレベルが違いますが。

こんなセリフがあったりして
「キングギドラは未来人が合成した怪獣だろ」
「バカ、それは映画の中の話だ」

70年代ゴジラ映画にこだわっている人には申し訳ないですが、
少なくとも84ゴジラ以後のリセットの嵐に問題を感じない人は、ゴジラを「想像上の生き物だから作者が変われば変化して当然」と考えているフシがありま す。
映画を見るとき、「これは映画なんだから、シリーズの他作品との整合性は関係ない」との捉え方のようです。
ならば、vsシリーズおよびミレゴジシリーズ(?)が劇中ではっきり虚構だと云われても構わないんじゃないでしょうか。

で、この設定の利点は、そんな劇中劇みたいな70年代以降のゴジラ映画に登場した怪獣も実在した怪獣を劇中の映画会社が映画に登場させたものだと言える点 です。
ガイガンでもバトラでも実在として再登場させることが可能です。←わっかるかなぁ。
(もちろん、『ゴジラ対ガイガン』や『ゴジラvsモスラ』に登場したときのデザイン&気質を持っていていいわけです)

宇宙人、未来人の類はナシにしないとまずいですが。

まあ、そんな複雑な設定は怪獣映画には望ましくないですが、ひとつの発想ということで書いてみました。

106 Reply Re:トンデモ設定 ほりぴー Mail 2003/06/15 20:03

> 劇中の事実としては『三大怪獣地球最大の決戦』、ないし『南海の大決闘』までとします。
> (『怪獣大戦争』、『ゴジラの息子』、『怪獣総進撃』はこれから起こる未来の出来事です)

確かに作品世界の時系列では『怪獣大戦争』は未来の出来ごとになるのですね。
私は前に話題になりましたいわゆるシェーも、円谷監督は今後のゴジラシリーズ
において「これくらいはファールじゃないんだよ」と線引きを広げて後進に託す
おつもりだったのではないかと想像します。その後はフランケンシュタイン、
キングコング、戦記物とご自身の望まれる作品群へ移られていったのではないか。

殿様ギドラさんは『南海の大決闘』を含めるべきとご指摘になられていますが、
私は公開当時に子供心にも違和感があったような気がします。(たしかエビラの
プラモを作った記憶があるので観ているはず)今月発売予定のDVDは私としては
購入見送り(極めて個人的なこだわり)と決めていましたが、それを確かめる
意味で思い直して予約いたしました。


107 Reply Re:恐縮です 殿様ギドラ Mail 2003/06/15 23:34

>ほりぴーさん
私の意見でDVDの購入計画まで変更なされたこと申し訳ないです。
『南海の大決闘』についての私の受け止め方を短く述べれば、
ゴジラの魅力を十全に発揮した内容ではないが、劇中のゴジラの「在りよう」はそれまでのゴジラと何ら変わっていないし、ゴジラ映画の変化球としては認める べきである、ということになります。(作劇の見事さは別問題としても)

>いわゆるシェーも、円谷監督は今後のゴジラシリーズにおいて
>「これくらいはファールじゃないんだよ」と線引きを広げて
>後進に託すおつもりだったのではないか

このご指摘には、なるほど!と納得しました。
『南海の大決闘』(実質有川監督作品といわれていますが)でも「ぼかぁしあわせだなぁ」をやってますし、「怒って」「壊す」ばかりがゴジラじゃないよとい う「教え」を示したものという受け止め方も出来そうです。
(それが嫌いだという人がいるのは仕方ないことではありますが、それがゴジラなんです)

108 Reply Re:トンデモ設定 つっつ Mail URL 2003/06/16 00:10

> 変な設定を思いつきました。
>
> 劇中の事実としては『三大怪獣地球最大の決戦』、ないし『南海の大決闘』までとします。
> (『怪獣大戦争』、『ゴジラの息子』、『怪獣総進撃』はこれから起こる未来の出来事です)
>
> そして『ゴジラ対ヘドラ』以降の作品は劇中の社会で公開された映画作品とするのです。
> 実在するゴジラにヒントを得て映画会社が作った創作ゴジラ映画という位置です。
>
> これならすべてのゴジラ映画の存在を認め、かつ矛盾は起こりません。
> ただし、実在・虚構のレベルが違いますが。
>
> こんなセリフがあったりして
> 「キングギドラは未来人が合成した怪獣だろ」
> 「バカ、それは映画の中の話だ」
いやあ流石ギドラ氏ですね(^O^)意表を突くこの展開!「南海~」までは続編という極端なものではありませんが確実にこれまでのゴジラを展開させてます からね。(「怪獣大戦争」は未来というには60年代だしという問題はさて置いて・・・・。あれは現実とは別の1960年代というものだしこれも「地球最 大」の続きということで了解してもいいのでは・・・?)ちなみに私が考えたのは「総進撃」の数年後という未来世界に物語の展開をし怪獣ランドは実は怪獣捕 獲の罠だったというもので国連委員会から独立した別の科学兵器攻撃部隊が怪獣ランドを委員会の反発を食らいながら攻撃を開始し「原子、分子消滅爆弾」とい う兵器を使い怪獣ランドの怪獣たちを島ごと消滅させて、数年後、折角人類と共存の道を決意しようとしたゴジラが再び激怒し上陸するというものでありました (汗)

109 Reply Re:トンデモ設定 殿様ギドラ Mail 2003/06/17 12:32

つっつさん、どうもです。

うーーん、総進撃の続編というのはどーなんでしょう。
もちろん、あの世界を利用して別の怪獣ドラマを作ることは可能ではありますが、怪獣の習性が解明され、怪獣を囲い込むことに成功した世界ですから、怪獣が 暴れ出すという展開に持って行くためには「誰か」の意思で怪獣を解き放つということになり、怪獣の自立性が薄いものになってしまいます。

ただ、つっつさんが構想した(人類に裏切られた)ゴジラの怒りという動機はおもしろい視点だと思いました。
(このあたり、ゴジラの知能をどれぐらいと考えるか、ゴジラが世の中のことをどれだけわかっているとするのかのさじ加減が難しいです)

怪獣映画の構造を守ったままで「総進撃」の続編を作りうるか、という問題とは別に、
『怪獣総進撃』は本多・円谷コンビがゴジラシリーズの最終作として発表したものであるということを重く考えたいです。
私としては今後どれだけ多くのゴジラ映画が作られても、その物語の終着点が『怪獣総進撃』であると考えたいです。

「大戦争」も「総進撃」も設定年代は我々の現実の年代より昔になってしまったんですよね。
ただ「196X年」とか「20世紀も終わりに近く」という表明は近未来であるということを明示する方便であって、当時の製作者が1960年代に有人木星系 飛行が可能になるなどと思っていたわけではないはずです。
そして、人類の科学技術レベルとか社会体制が公開当時の現実と違っている設定を持ち込むために未来世界を舞台にしたのだと思います。
ですから、未だ有人木星探査が行われていない現実世界からみれば、『怪獣大戦争』の出来事はやはり未来であると考えたほうがスムーズなシリーズ展開が出来 るはずなのです。

ゴジラシリーズは連続した物語であるべきだというのは前提としてあるのですが、
ゴジラ映画世界だけで閉じてしまって、その中での連続性を追求してしまうと現実社会とかけ離れていってしまうのです。
(平成VSや×メガギラス、×メカゴジラ)

そうなると、見慣れた日常が怪獣騒動で混乱する、という感覚を描けなくなってしまうわけです。

現実の世界とゴジラシリーズ内での連続性をどのようにバランスさせるかは難しいところですが、最高のお手本が本多・円谷時代のゴジラシリーズでしょう。

あ、そうだ、上で書いたトンデモ設定に補足です。
『オール怪獣大進撃』はまったく別枠になります。
あの映画の世界は、われわれが生きる現実社会と同じものです。
劇中で明示されはしませんが、『ゴジラ』から『怪獣総進撃』までの怪獣映画が公開されている世界だと考えられます。
まあ、あまり何度も見てはいない作品なので「たぶん」というところですけど。
ということで、「オール~」は外されてしまうのでした。
 


212  興行成績について 三沢狸   2004/01/14 17:40
  男性 O型 
 MSNニュースに掲載された記事は以下の通り。

公開中の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(手塚昌明監督、16日まで)の興行成績が前作比約30%も落ち込みそうなことが14日までにわかっ た。今年11月に誕生50年を迎え、製作・配給の東宝では記念作も公開予定のゴジラだが、「これでは景気づけにならない…」と不安の声も上がっている。
今回のゴジラは併映の人気テレビアニメ「とっとこハム太郎」劇場版とともに、「ラスト・サムライ」「ファインディング・ニモ」といった洋画の正月大作を迎 え撃つ日本映画代表として先月13日に公開された。
しかし、入りは芳しくなく「170万人動員、興収19億円の前作『ゴジラ×メカゴジラ』の7割弱。苦戦している」(東宝幹部)。数字は「ハム太郎」と合わ せたものだけに、ゴジラの人気凋落か、ハム太郎で客が呼べないのかは、「これから分析したい」(同)とはいうが、ゴジラの“パワーダウン”は否定できな い。東宝にとっては、今年最大の目玉である宮崎駿監督の「ハウルの動く城」公開延期に続くショックだろう。

当然といえば当然でしょうね。
今回の「東京SOS」はそれぐらいの価値しか無かったのだと思うのです。
ならば、どうしたらいいのか。そもそも「怪獣映画」というのは何であるのか。
よく考えることが重要でしょう。
CGの進歩や映像を描写する技術が向上している中で、
「怪獣映画」というジャンルが生き残っていくためには相当考えなければ
ならないと思います。東宝はそこまで根性があるかどうか。
あやしいところですが・

ではでは

213  Re:興行成績について だがや   2004/01/14 19:05
  男性 44歳 O型 
 三沢狸さん、こんばんは。新参者のだがやといいます。
今後ともよろしくお願いします。
入りがよくなかった昨年よりさらに3割減ですか。厳しい現実ですね。

> 今回のゴジラは併映の人気テレビアニメ「とっとこハム太郎」劇場版とともに、「ラスト・サムライ」「ファインディング・ニモ」といった洋画の正月大作を迎 え撃つ日本映画代表として先月13日に公開された。

僕にはあの作品で、「ラストサムライ」(良かった)や「ニモ」(未見だけど)を本気で迎え撃つつもりだったとは思えませんね。

> 今回の「東京SOS」はそれぐらいの価値しか無かったのだと思うのです。

数字の前には言い訳のしようがありませんね。
今回は一部の怪獣マニアと幼児相手だけに作った映画でした。

> CGの進歩や映像を描写する技術が向上している中で、
> 「怪獣映画」というジャンルが生き残っていくためには相当考えなければ
> ならないと思います。東宝はそこまで根性があるかどうか。
> あやしいところですが

僕はまず、「映画」としてレベルの高い物を作る気があるのかが気になります。
「怪獣映画」だからこんな物でいい、となめているのではないかと問い詰めたいです。
僕の好きな「ゴジラ」や「キンゴジ」は怪獣好きな人以外でも楽しめる「映画」になっていたと思います。
きちんと「映画」になっていてその上で「普通の映画」ではありえない「怪獣」の迫力や緊迫感・巨大感・爽快感で圧倒されたいですね。

 

215  Re:興行成績について 殿様ギドラ  2004/01/15 11:32
  男性 41歳 O型 
 うーむうーむ。
昨年より落ち込んでいるんですか・・・・。
(それでも170万人19億なら壊滅的ではない?)

これまでながながと書いてきたように、私も「東京SOS」は出来の悪い映画だったと思っています。
出来が悪ければお客が入らないのは当然のこと。
それでも非常に心配なのは、この結果を受けて東宝サイドが「ゴジラでは客を呼べない」という結論に達することです。
どうも商売を優先して考える人たちは、中身より看板を重視する傾向が強い。
(もちろん看板【ブランド】だけで店に走る客の存在も事態を悪化させている)

そうなるとゴジラ映画は作らないという方向へ流れる可能性もありますよね。
それはやはりまずいでしょう。
(いや、それも市場原理から考えればやむを得ないのか?ここまでぐちゃぐちゃになってしまったゴジラシリーズを立て直すためには休止した方がいいのか?)

アメリカ大イグアナが公開されたとき、東宝サイドのどなたかがゴジラ(怪獣?)は世界に誇る日本の文化だ、とおっしゃっていたと記憶しています。
映画作りは商業であると同時に文化事業でしょう。
怪獣文化の担い手であるという使命感も忘れて欲しくないです。

それから、だがやさんのご意見と同様のことですが、
怪獣映画というのが1ジャンルを形成するのは間違いないとしても、怪獣ファンの馴れ合いに堕してはいけないのです。
まずは映画作品であるということ。
それもストーリーを持つ劇映画なのだ、ということをはっきり意識して欲しい。
その中で、巨大な異形の怪物が登場するストーリーをよりおもしろくするにはどうするか、という発想を持つべきです。
(怪物が最後に倒されるのでは当たり前すぎるのです。怪物は人間には殺せないものとしたところに日本の怪獣がいるのです)

これまで私は「怪獣映画としてどうなのか」という視点を用いて論じることがありました。
その文脈で平成ガメラはおもしろくないと言ってきました。
しかしこれは、怪獣映画が通常の劇映画という枠から外れるという意味ではありません。
(多くの怪獣映画ファンが誤解している。怪獣映画なんだからかっこいい怪獣と爽快な破壊、兵器対怪獣・怪獣対怪獣が見られればそれでいいと思っているフシ がある)
劇映画としてよりおもしろいものを追求していった先に一つの選択肢として怪獣映画があるのです。
巨大怪獣を見ることは人間の根源的な快感につながっているはずです。
その巨大怪獣をよりおもしろく見せるためにどんなストーリーが必要なのかを考えるべきなのです。

比較しやすいので例に出してしまいますが、平成ガメラはドラマの組み立てが巧みでした。
理知的な部分が大変うまくまとまっていた作品でした。(ガメラ2まで)
それを以て傑作映画だと言えるのかどうか?
巨大で異形の生物を登場させる映画のおもしろさを極めているのか?
私はそこに疑問を持つのです。

平成vsゴジラは平均してストーリーの組み立てが甘かった。
それは言語化しやすい部分に欠陥が多いということです。結果、評論などでけなされることが多くなっています。
しかし、vsシリーズに登場した怪獣たちを見渡すと、ゴジラ・モスラ・バトラ・(ファイアー)ラドン・スペースゴジラ・デストロイアといった理屈では説明 しきれない怪獣が多い。
こちらのほうが、より怪獣らしいと言えるのではないか。

そして、観客動員数が必ずしも作品のクオリティを直接反映するものではないとしても、
平成vsシリーズのほうが平成ガメラより多くの観客を集めたという事実があることを指摘します。
(正確な資料が手元にないので、もし間違いがあったら教えてください)

さて、「東京SOS」がどうであったのか。
平成ガメラ的な理詰めはなかったとしても、怪獣たちの動きが人間の予想の範囲を超えていないし、モスラ・機龍に至っては(劇中の)人間にとって都合良く動 いてばかりです。
そんな巨大怪物を見ることがおもしろいのか?
(モスラは平成に入ってからダメになってますが)
怪獣を理解可能なものにしてしまったという点では平成ガメラと大差ないのではないか?

ストーリーにも欠陥が多いのですから、平成ガメラと平成vsの悪いところを掛け合わせたようなものではなかったか。
そんな作品に何が残ったか。
怪獣やメカ・兵器の造型とぶっ壊れるミニチュア。
マニアはそれだけでもそこそこ楽しめます。(私だって特撮カットで心を躍らせたところがある)
しかし、それしか見ない人をターゲットにしても大儲けできるはずはないと気づいて欲しい。

50周年記念作がゴジラシリーズ各世代の人気怪獣を一堂に集めるオールスター映画になることは前向きに受け止めています。
しかし、怪獣ファン全世代の人気怪獣を見せればそれでいいだろうなどとは思わないで欲しい。
これまで怪獣の魅力に気づいていなかった人をも刮目させるような作品でないと記念作として失格です。
怪獣映画のおもしろさを説明的でなく体感できるような映画を目指して欲しいものです。
理詰めが好きな人にも突っ込まれないような、理屈を積み重ねた上での不可解さを巧く表現して欲しい。

(ああ、GMMGの惨敗で50周年記念作が没になることもありや?ゴジラ50周年はいい商機ですぜ、お金を握っている人たち!)

(『ラストサムライ』、私も見ました。いい映画でしたねーー)

217  Re:しまった 殿様ギドラ  2004/01/15 15:30
  男性 41歳 O型 
 > (それでも170万人19億なら壊滅的ではない?)
違うがな。
170万人19億×0.7弱ってことですね。
これはさすがにやばい・・・。(純益がどれぐらいで、ハム太郎こみの製作費がどれぐらいだったのか??)

218  Re:しまった 四式戦車(チト車)   2004/01/15 20:59
  男性 20歳 A型 
 > 170万人19億×0.7弱ってことですね。
> これはさすがにやばい・・・。                                                     何と!そこ まで落込んでいたのですか?以前、私は正式公開される前に本作は目標の300万人には及ばずG2000(200万人)~GMK(270万人)の間位かと書 きましたが・・前作の7割と言ったら119万人じゃないですか!!幾ら何でもこれは酷すぎます。こんなんで次回作を製作しても・・製作サイドは切羽詰 まって客引きへ躍起になり、本来、映画としてしっかりと構築せねばならぬ筋の通ったストーリー創りをないがしろにしてしまうのではないか?そもそもハム太 郎は興業収入増加のきっかけとして一回使うだけでよいのです。それを二度、三度と濫用すること自体、芸が無さ過ぎると思います。それよりもじっくりと時間 をかけどうすれば観客の心へ響く素晴らしい作品が創れるのかをよく考え、それを煮詰めに煮詰めてから・・根幹となるストーリーの構築をするべきです。何も 他の作品の力を借りずともゴジラ自体がしっかりと筋の通った内容を持ってさえいれば、必ず観客の心を捉え、自ずから興業成績へ繋がる筈です!                                                                  ここからは独断と偏見に満ち た発言でありますが・・このまま生誕50周年記念作なるものを製作した処で内容的問題点は改善されることは殆ど無いと断言します!!むしろ(前文でも述べ たように)悪化の一途を辿るのではないかと非常に危惧しています。こんな調子ならば記念作品など製作する意味はありません!私はこれ以上、観客がゴジラか ら離れて欲しくはないのです。次回作を製作するならば何も生誕50周年に拘らず・・1年の冷却期間を経て、翌年、しっかりと煮詰まった構想を元に創るべき だと思うのです。生半可で中途半端な内容のゴジラ映画ではなく・・パワーアップしたゴジラ映画がスクリーンへ登場することを心から願う次第でありま す。 

219  Re:しまった 殿様ギドラ  2004/01/16 16:22
  男性 41歳 O型 
 私の中で結論は出せていないけれど、
このままの流れで50周年記念作を作るべきではない、という四式戦車(チト車)さんのご意見にも賛同できます。

ほかのみなさんからも、今年50周年記念作を公開することについて、ご意見をいただきたいです。
論拠なしの「賛成」「反対」でも構いませんので・・。

私としてはゴジラ50周年という看板を掲げることで話題性が上がりますから大作を作るチャンスではあると思います。
そして50周年に関わらず、内容がちゃんとしている超大作ゴジラ映画を作ることが必要なタイミングではないかとも思える・・。
しかし、四式戦車(チト車)さんが指摘した問題も否定できない。
それなら作らない方がましとも思えるのでした。

(83年の復活フェスティバルのような旧作のニュープリント上映でもいいのでは?)

223  賛成です だがや   2004/01/17 03:05
  男性 44歳 O型 
 > ほかのみなさんからも、今年50周年記念作を公開することについて、ご意見をいただきたいです。
> 論拠なしの「賛成」「反対」でも構いませんので・・。

今回東宝は従来より大きな予算を組むという話を聞きました。
予算の使い方にも問題はあるでしょうが、やはり予算があるということはいい映画を作るための必要条件でしょう。
せっかくのチャンスなのだから頑張って欲しいです。
ただし、コレでこけたらもうしばらくは本当に無くなっちゃうでしょうね。

 ただ、オール怪獣路線ということでものすごく不安です。
おそらくまた一部のマニアと幼児を対象にした同人誌レベルの映画になりそうです。
(ここで、同人誌レベルという表現に不快を持つ方もいると思います。
たしかに、同人誌やネット掲載作品にも見るべきものもあるでしょうが、
僕にとって映画とは比較対照をハリウッドにすべきと思っていますので
御理解ください。)
個人的には第1作も無かった世界で、人類が初めてゴジラに襲われるという話が観たいです。
観ていて日常生活にゴジラが出現したらという実感を持てるような話です。

でも、今回はオール怪獣だからだめですね。それならいっそのこと思いっきり娯楽作品にして欲しいですね。

226  Re:興行成績について WARASI   2004/01/17 22:10
  男性 43歳 O型 
 > ならば、どうしたらいいのか。そもそも「怪獣映画」というのは何であるのか。
> よく考えることが重要でしょう。
> CGの進歩や映像を描写する技術が向上している中で、
> 「怪獣映画」というジャンルが生き残っていくためには相当考えなければ
> ならないと思います。東宝はそこまで根性があるかどうか。
> あやしいところですが・
>
> ではでは



フフフ、、やはりモスラ効果のこれでは、意味もやはりなかったようですネ、、、、、
と、イヤミ臭く登場しましたが、この映画、少なくとも登場人物・怪獣たちを軽くどころか、安直に考えすぎているところが、気に入らないのです。
モスラというキャラクターが、なぜ、今の今も、女性にまで、人気のあるキャラクターなのか?その根源的意味を全く考えないで、ただ出せば受けるだろ う、、、といた安易な意識しかない東宝、、、それは、前に言った通り、亡霊でしかないからです。モスラはなにが魅力だったのですか?カワイイから?綺麗だ から?それだけでは無いでしょう!それは、原爆等による人類の犠牲者、また犠牲者たちの使いで、安易におのずから破壊を好む怪獣ではなかったからだと思い ます。人類に対する、平和のメッセンジャーの象徴としてのカリスマ的な色彩を、円谷・本田コンビの時は崩さなかったはずです。
ところが、今回は、小泉博を出し、ピーナッツの写真まで出して、前作とのリンクを強調しているもかかわらず、インファント島が、かつて原水爆の実験場だっ たとか、それがために島民もモスラも平和への願いを強く願っている、、、などモスラにとって、一番大事なモチーフは、おくびにも出さず、
ゴジラの骨を海に返さなければ、モスラが何をするか分からない、、、と、
さっぱり、訳の分からない脅迫めいたことをする始末!!
いい加減にせいよ!これでは、ゴジラと最後、海に心中するMGの話を繋げるために小美人もモスラも出てきただけではないですか。小美人とモスラの主体性は どこにいったのですか!?今の子供達にしても、こんな安易なキャラクターのモスラを見せ付けられるのは、本当に可哀想です。
観客もそれを分かっているのか、興行成績に結びつかないのは当然の事でしょう。心の通っていない作品を¥1800も、いまどき出すのはばからしいですから ネ。
で、私は時間をかければ、いい作品ができるとは、あえて思いません。
時間をかけてもこの流れが一緒ならば、いつまでたっても進歩はないでしょう。怪獣映画にして、その前にドラマありき、、、、この事実に東宝が気づくまで待 つしかないのです。

、、、てなシビヤな事もHPに書いてゆきますので、宜しかったらいらしゃってください(アラ、宣伝もしちゃった!)
 

230  Re:興行成績について 四式戦車(チト車)   2004/01/18 23:06
  男性 20歳 A型 
 
> で、私は時間をかければ、いい作品ができるとは、あえて思いません。
> 時間をかけてもこの流れが一緒ならば、いつまでたっても進歩はないでしょう。怪獣映画にして、その前にドラマありき、、、、この事実に東宝が気づくまで待 つしかないのです。

その通りであります。ただただ、時間だけかけても流れが同じならば無駄な時間を割くだけで何の進歩もありません。しかしながら、製作陣が今回の失敗をよく 反省し、ゴジラ映画存続の為にはこの先、どうあるべきかを冷却期間をおいてしっかりと考えるべきなんです。 それができて初めて映画内容の着想へと取り組むことです。だから、私は前にも申し上げたようにそれらの極めて重要なプロセスをしっかりとせず、50周年 記念作公開へ合わせようとするのであれば時間も短く悪循環なだけなので・・そんなモノを観せられる位ならはなっから創らないで欲しいと云うのが私の考えで あり、切なる願望でもあります。私は東宝が早くこれに気付き、これまでにない超大作を創って欲しいですね。                                                                但し、本作もたった一つだけ良かった点があります!それはCGI・ デジタル合成の格段な向上です。ギドラさんが以前、おっしゃっていたように違和感なく処理されていたと思います。これを更に磨いていって欲しいです。                                       だけれども、未だ疑問な点があります。前にも書きましたが・・ゴジラ原潜 襲撃シーンと機龍のバックユニット第2弾射出時におけるピアノ線の未修整疑惑です。これについてどなたかお教え戴きたく存じます。何分、宜しくお願い 致します。    

235  Re:興行成績について 殿様ギドラ  2004/01/19 18:33
  男性 41歳 O型 
 みなさん、どんどん意見を出してください。

私の考えは、50周年が大予算の大作を作るきっかけになるならそれを利用すべきで、
優れた作品にするための論議はゴジラスタッフ内部に任せておけないということになります。

この掲示板を誰が読んでいるのか、はたしてゴジラスタッフが読んでいるのかはまったくわかりません。
しかし、web掲示板というのは誰でも読めるものですから、ここで何らかの論議をすることはゴジラの将来にとって無駄ではないと信じます。

GMMGまでの流れに希望を見いだすのは難しいけれど、この掲示板で語られることが何の影響力もないとも限りません。
発言すれば、読んだ人の意識になにかしらの影響を与えることが出来ます。
それが積もりつもって大きな潮流になることもあるでしょう。

ゴジラ映画がどうあるべきか、映画のおもしろさとは何であるかを語るのにプロもアマもありません。

私が何を望んでいるのかはさんざん書いてきました。
もう一度整理すると、シリーズ作品としての整合性を壊すな、ということと、
ストーリーに筋を通せ、ということ。
そして、本多・円谷コンビ作品の良さを再現するようなものにすることです。(これが出来ずになにがゴジラか)
それが出来てはじめて、特撮映像の出来とか作品が伝える観念(テーマ)という話が出来ます。

私が現行ゴジラシリーズに感じるひとつの希望は、喜多川務さんが演じるゴジラはこれまでの中でもっとも円谷時代のゴジラに近い芝居をしてくれるということ です。

四式戦車(チト車)さんのピアノ線問題、どなたかはっきり覚えている方はいらっしゃいませんか?  

236  Re:興行成績について 三沢狸   2004/01/19 20:41
  男性 O型 
 たとえ50周年記念であっても、
このような環境や人材の中では
「ゴジラ」という財産を利用すべきでは無いと私は思います。
新たなる「怪獣映画」ゴジラを出す理由を作らなければ
作るべきではありません。
なので、私は反対です。


214  xメカゴジラの小美人は歌が上手かったか? だがや   2004/01/15 02:54
  男性 44歳 O型 
  先回、上手かったと書きましたが比較のためとりあえず「南海の大決闘」と「vsモスラ」を見返してみました。
ペアバンビはあまり歌っていなかったし、バックコーラスに助けられている感じ。
モスラが書き割りだったり古ぼけた感じでがっかりしたのと、それまでのザ・ピーナッツと比べてしまったので子供心に「X」なイメージがありました。
「vs」のコスモスは結構たくさん歌っていました。ちゃんとハモリもありました。歌唱力自体は今回の二人とさして変わらないのかな?
モスラの頭部が白くてもこもこしてお人形っぽかったのと、コスモスの声が子供っぽかったのでちょっと印象が「X」でした。
 今回の小美人が上手く感じたのは案外モスラの作りこみに好印象を持ったからかもしれません。ビデオがでたらもう一回確認してみようっと。

 そういえばこちらの皆さんはDVDや、オーディオシステムなどに力を入れている方がいらっしゃいますね。
僕なんかTV放送のダビングビデオやらレンタルビデオの・・・(それ以上言うな!)だったり、恥ずかしい限りですね。
上記のゴジラシリーズやLansさんがお買いになった「原始怪獣現る」&「放射能X」なども僕は全部ダビング物です(とほほ)。
 そこで質問ですが、昔のモノクロ映像は暗いシーンがあまりよく判りませんが最近のDVDだと綺麗に見えるのですか?
「ゴジラ」・「ゴジラの逆襲」あたりが綺麗に見えるのなら買いたいのですがデジタルリマスターとかされたものが出ているのでしょうか?

216  Re:xメカゴジラの小美人は歌が上手かったか? 殿様ギドラ  2004/01/15 11:34
  男性 41歳 O型 
 どうも小美人というとザ・ピーナッツとの比較しか考えないもので、その後の小美人には酷な条件ですよね。
ザ・ピーナッツといえば、奇跡のデュオと言われた大歌手なのですから。

私も今回のモスラの造型はかなり良かったと思いました。
残念なのは、口のギザギザを丸めてしまったところです。
生物感を出したいというような理由だったらしいですが、そんなのは怪獣なんだからいいじゃんと思うし、
昆虫や甲殻類にはギザギザがあってもおかしくないのですから原点にこだわったならとことん貫いて欲しかったですね。

ゴジラ映画のDVDはデジタル修復されていますので、従来のソフトより格段にきれいですよ。
モノクロの階調がうまく出るかどうかはお手持ちのシステムと調整に大きく左右されるかもしれません。
(三沢狸さん、WARASIさん、兄貴(赤)さん、フォローお願いします)

私はプログレッシブワイドテレビ(1050iまで対応)にプレイヤー(525p対応)からD端子接続(DVDってD3の効果が出るんでしょうか。それすら 知らない)しています。
理論は知らないのですが、DVDを見る場合は従来のビデオ接続(S端子やコンポジット)よりD接続のほうが数段きれいに映ります。
色も明暗も比べてみるとびっくりするほど違いますよ。
あ、しまった。D接続は16:9のワイド画面収録ソフトにしか使えないのでした。
『ゴジラ』や『ゴジラの逆襲』のようなスタンダードサイズ映画はS端子しかないか・・・。
それでもDVDのほうがレーザーディスクよりずっときれいですよ~。

222  ザ・ピーナッツは別格ですもんね だがや   2004/01/17 02:51
  男性 44歳 O型 
 > どうも小美人というとザ・ピーナッツとの比較しか考えないもので、その後の小美人には酷な条件ですよね。
> ザ・ピーナッツといえば、奇跡のデュオと言われた大歌手なのですから。

「奇跡のデュオ」という言葉は知りませんでしたが彼女たちは日本歌謡史に輝く存在だと思います。
彼女たちがいなかったら小美人という企画自体が思いつかなかったのでは考えております。
こまどり姉妹の小美人はありえないでしょうし(ネタが古すぎ)。
今回の小美人がザ・ピーナッツのそれを模倣しようとしていた点に好感をもって僕の評価が甘くなっているのでしょう。

> ゴジラ映画のDVDはデジタル修復されていますので、従来のソフトより格段にきれいですよ。
> モノクロの階調がうまく出るかどうかはお手持ちのシステムと調整に大きく左右されるかもしれません。
> (三沢狸さん、WARASIさん、兄貴(赤)さん、フォローお願いします)

お答えくださってありがとうございます。
恥ずかしながら見れればいい程度の環境なんですけれど、DVDソフトだけは持っていた方が良いなっていう気分になってきました。

225  Re:ザ・ピーナッツは別格ですもんね WARASI   2004/01/17 19:19
  男性 43歳 O型 
 > > ゴジラ映画のDVDはデジタル修復されていますので、従来のソフトより格段にきれいですよ。
> > モノクロの階調がうまく出るかどうかはお手持ちのシステムと調整に大きく左右されるかもしれません。
> > (三沢狸さん、WARASIさん、兄貴(赤)さん、フォローお願いします)
>
> お答えくださってありがとうございます。
> 恥ずかしながら見れればいい程度の環境なんですけれど、DVDソフトだけは持っていた方が良いなっていう気分になってきました。


ども!お久です。HPオープンだ、夜勤だとこのページおろそかになっていてすいません。で、上の件ですが、皆さんの視聴環境を考慮に入れたらキリがありま せんので、DVDソフトそのもの自体に対して言わさせていただくと少なくとも「ゴジラの逆襲」は、○です。この作品、過去にオールナイトで散々観ましたの で良く分かります。劇場では、大阪決戦の特撮シーンでは、黒の諧調性が、メタメタで、なにがなんやら分からないウスボンヤリ状態でしたし、LDも似たよう な物でした、ところが、DVDでは、それが、改良されて諧調くっきり!立体感もでて、セットのディテールが細かい所まで良く分かります。これが同じ映画な の?とビックリしました。私は改めて、DVDの偉大さを再認識、この時しました。で、結論なのですが、ソフトの質はそれだけ、恵まれてきたのですから、そ れを最低限生かす努力は、偉そうな事を言うようですが、惜しまないようにしてください。TVがたとえ、どんな質のものであろうと、それを調節する人の努力 によって少しでも、いい物に仕上がるかもしれませんから。チョット、ブライトネス等をいじくるだけで、全然印象が違う絵になる事だってありますの で、、、、、
 

232  Re:ザ・ピーナッツは別格ですもんね 殿様ギドラ  2004/01/19 18:19
  男性 41歳 O型 
 >だがやさん
そうですそうです。
小美人の設定はザ・ピーナッツあればこそだったらしいです。
『モスラ』原案の「発光妖精とモスラ」では双子じゃないんですよね。
数人のグループだったと記憶しております。

>WARASIさん
げげ。
『ゴジラの逆襲』DVDは買い逃したままでした。お恥ずかしい・・。
相当良くなっているのですね。
作品全体としてはあまり評価していないのですが、二大怪獣の大阪決戦は圧巻ですよね。
当時特撮美術として参加していた成田亨さんによると、
『ゴジラの逆襲』でしか使っていない壊し用ミニチュアビルの建築法があるそうです。
あまりにも手間がかかるので、その後の作品では使われなかったそうな。

(有川貞昌特技監督のコメンタリーも聞くべきだし、『ゴジラの逆襲』DVDもなんとかしなきゃいかんですねー)

で、LansさんLansさん、WARASIさんも『バルジ大作戦』の大ファンでいらっしゃるとのことです。
WARASIさんのHPへ是非!


228  機龍2部作を振り返って 黒い霊柩車   2004/01/18 12:46
  
 GMK270万人→GMG170万人→GMMG119万人という興行成績は、特オタから罵倒されたGMKが、ハム太郎効果に支えられた(?) とはいえ世間的に支持されていたことを如実に示しているのではないでしょうか?そもそも1年でハム太郎効果が消失し100万人もの観客が減ったと主張した 手塚監督支持者の主張が正しいかどうかの検証が今回のGMMGで成されたと私は考えています。彼らの主張によればGMKが新規に獲得した観客は35万人程 度で、GMGの170万人がゴジラ映画に愛着を持っている観客だと強弁していました。今回の東京SOSで、その熱い観客の3割がゴジラを見なかった訳で す。そしてGMでの135万人という観客数を17万人も下回ってしまいました。この結果は、GMGやGMMGが特オタ的には絶賛されるような特撮や整合性 のある脚本で作られていても、世間的には、全く受け入れられない作品だったことを示しているのではないでしょうか?こんなざまでは生誕50周年後にゴジラ の新シリーズが始まるかたいへん危ぶまれます。機龍2部作の功罪を問えば、罪の法がとてつもなく大きいと思います。

233  Re:機龍2部作を振り返って 殿様ギドラ  2004/01/19 18:30
  男性 41歳 O型 
 公表された観客動員数から読み取れることはどれだけの人の興味を惹く作品だったかということでしょうね。
作品の出来までは観客数からは読み取りにくいです。

>特オタから罵倒されたGMKが、ハム太郎効果に支えられた(?)とはいえ世間的に支持されていたことを如実に示しているのではないでしょうか?

GMKが誰から罵倒されたのかはともかく、世間的に支持されたという結論を導き出す根拠はどこにあるのでしょう?
私がGMKを見に行った劇場では、GMKからの入場を認めていなくて、常にハム太郎から鑑賞するようになっていました。
で、ハム太郎終了時に帰ってしまうお客さんが結構いましたよ。
2本立て興行でこれはちょっと異常事態でしょう。
もちろん、ハム太郎効果で100万人もお客が増えたなんて意見にも根拠がないですね。
GMKは話題性はあったのでしょう。
巷間評判の高い平成ガメラの監督が撮ったということと各怪獣の設定をまるで変えてしまうという派手なパフォーマンスがありましたから・・・。
ハム太郎と2本立てになってしまったせいで、GMK単体の集客力がどれほどのものだったのかが見えなくなってしまったという恨みはあるかもしれませんね。

しかし、別に客入りを気にしなくても、作品そのものの鑑賞・分析で傑作だったのか駄作だったのかはわかります。

GMKも機龍シリーズもつまらない映画だったのですよ。
だからどんどん客足が遠のいたのだと考えるのが一番論理的ではないでしょうか。

いやそれにしても、誰が言ったか知りませんが、
>GMGの170万人がゴジラ映画に愛着を持っている観客だ
というのもひどいでまかせですな。

>GMGやGMMGが特オタ的には絶賛されるような特撮や整合性のある脚本で作られていても、
>世間的には、全く受け入れられない作品だったことを示しているのではないでしょうか?

いやいやぜんぜん示していませんよ。
なぜならGMGやGMMGはまともな整合性のある脚本ではありませんから。

それから、映画というものは広く世間に受け入れられればそれでいいというものではないでしょう。
それは商売の考え方です。
私は作品の質を第一に考えます。
筋の通らない話や卑しい発想のものはどんなにお客が入ろうと、駄作だと考えます。

客がたくさん入ったから傑作なのではなく、傑作にはたくさんの客が入ることが多い(常に例外はある)のだから、儲けたいと思うならちゃんとした作品を作る べきだというのが私の主張です。


229  やはり つつ書記長あるいはマイク水銀   2004/01/18 21:51
  
 有名キャラクターを安易に使った罰が来てしまったようですね・・・・。私も今年の正月にもう一度見るという気分が失せてしまいましたか ら・・・(寝正月でこの日は一日じゅう「サンダーバード」DVDを見てました・・・汗)それでもこの程度の映画でお客さんが入ってくれるだけでも在り難い でしょうね。普通なら打ち切りなんですが。もうオタク出身者のスタッフは使わないほうがいいみたいですね・・・。今度のはオール怪獣スター大集合みたいな ものになるようですけどこの調子ならもう止めたほうがゴジラの為ではないかと。
オタク出身者は確かに他の人では真似できない感性はあってマニアックな画面構成とか出来るのですがそれだけに肝心の「映画」というもののノウハウというも のがおろそかになっていて結局は身内(同じオタク)しかウケが良くないというのも本来「外側」に向いていたゴジラ映画を貶めることになりはしないかという ことです。
でも同じ怪獣(のイミテーション)ばかりだと確かに当たり前かも(興行以前に)。
 

234  Re:やはり 殿様ギドラ  2004/01/19 18:31
  男性 41歳 O型 
 >この程度の映画でお客さんが入ってくれるだけでも在り難いでしょうね。

おっしゃる通りです。
そして、それこそゴジラの神通力。
これでゴジラの看板がなかったらどんなことになっていたか。

それにしてもゴジラのブランド力というのがどのゴジラ映画から発生しているのかというあたりもよーく考えて欲しいですよね。


240  更新しやした! WAARASI   2004/01/21 13:32
  男性 43歳 O型 
 ども、唐突ですが、HP、特撮映画Xファイル、今日、更新しましたので、よろしかったら、どんぞ!ご意見、ご感想、お待ちしとりやす。あ~疲 れた、、、でも宣伝!宣伝!

242  Re:更新しやした! 殿様ギドラ  2004/01/21 17:19
  男性 41歳 O型 
 これから見に行きまーす。


251  バルジ大作戦見ました。 だがや   2004/01/25 22:49
  男性 44歳 O型 
  こちらのサイトで評判の「バルジ大作戦」をレンタルビデオのロングバージョンで見ました。
戦争物はほとんど見ないのですが、この作品はとても面白かったです。
長い作品で、始めと間と終わりに器楽演奏だけの時間があったのも驚きました。
しかし、WARASHIさんのサイトをお邪魔してあのバージョンでもまだカット部分があったのに2度驚きました。
ブロンソンが捕虜になっていたとか、始めの方で偽米兵の伏線があったとか面白い話がいっぱいでためになりました。
以前Lansさんの書かれた撤退を描くという話も面白かったです。

252  Re:バルジ大作戦見ました。 WAARASI   2004/01/26 10:10
  男性 43歳 O型 
 >  こちらのサイトで評判の「バルジ大作戦」をレンタルビデオのロングバージョンで見ました。
> 戦争物はほとんど見ないのですが、この作品はとても面白かったです。
> 長い作品で、始めと間と終わりに器楽演奏だけの時間があったのも驚きました。
> しかし、WARASHIさんのサイトをお邪魔してあのバージョンでもまだカット部分があったのに2度驚きました。
> ブロンソンが捕虜になっていたとか、始めの方で偽米兵の伏線があったとか面白い話がいっぱいでためになりました。
> 以前Lansさんの書かれた撤退を描くという話も面白かったです。

だがやさん、我、HPご入室ありがとうございます。戦争物は、ほとんど観られないという事ですが、娯楽的に観ても面白い物は、まだイッパイあります。 「633爆撃隊」「空軍大戦略」「荒鷲の要塞」「レマゲン鉄橋」「眼下の敵」等は、絶対的に面白くお勧めです。また、その内騙されたと思って観てみて下さ い。
また、昨日、円谷監督の命日ということでしたが、この方の偉業が無ければ、今の日本の映画界のパワーは半減していたと思います。
黒沢映画等と並んで、世界に誇れる文化です。同じ特撮映画にしても、これほど、娯楽性に富んだ作品群は類を見ません。この分野が好きな事は、自身を持っ て、アピールして良いと思います。ただ、コレを作るこれからの世代の人も単なる貧弱な模倣に終わらない事を祈りながら、、、、、

254  Re:バルジ大作戦見ました。 殿様ギドラ  2004/01/26 20:05
  男性 41歳 O型 
 WARASIさんおすすめの戦争映画のうち、「眼下の敵」しか観たことないです。(しかも地上波放送)
「レマゲン鉄橋」は昨年BSから録画した物を持っているので、近いうちに観なきゃいけませんね。
(録画したらすぐ観ればいいんですが)

円谷特撮映画の本当のすごさって、なかなかわかってもらえないみたいです。
ひとつはすごく平易な語り口の作品が多いために、浅いレベルでも鑑賞できてしまうのが玉に瑕なのかと思われます。
もうひとつは、厳しいスケジュールの中でやりくりしながらの作品作りを強いられたせいで、
特撮カットの出来にばらつきがあるのも世間の無理解を呼んでいるのかもしれません。
ちょっとでも粗が見えると「大したことないや」と思っちゃう人も多いようで・・。
それでもカメラワークや編集の妙まで感知すれば受け止め方が変わるはずなんですけど。

ゴジラやモスラを出せばそれで円谷特撮を引き継いでいると思ってもらっちゃ困るのであります。

255  Re:バルジ大作戦見ました。 三沢狸   2004/01/27 11:13
  男性 O型 
 いやあ、「バルジ大作戦」も「レマゲン鉄橋」もすごく好きな作品です。
あとお勧めは「ナバロンの要塞」「空軍大戦略」とかあります。
ソビエト映画で「ベルリン大攻防戦」も良いですね。長いですけど。
日本映画で大穴なのは「青島爆撃命令」。円谷特撮のつるべ打ちです。
ゴジラ映画のエッセンスが案外と効いていたりして。
怪獣映画は戦争映画に似ています。だから、演出の段取りなんかは
結構勉強になるのではないでしょうか。
ではでは

256  Re:バルジ大作戦見ました。 殿様ギドラ  2004/01/28 16:33
  男性 41歳 O型 
 ううっ、いけないと思いつつ・・。
『青島要塞爆撃命令』の話が出ちゃったらコメントしないわけにいきません。
この作品、東宝戦争映画の中でも異色作なんですよね。
監督が古澤憲吾(若大将シリーズやクレージー映画のメイン監督)だというのも珍しい。
第一次大戦が舞台ということもあってか、全体におおらかな雰囲気の作品です。
ただ古澤監督と円谷監督はあまりそりが合わなかったという噂もありまして、
そのせいか、特撮カットの積み重ねが薄味のような気もしないではないです。
(円谷監督が提出した特撮カットを古澤監督が刈り込んでしまったか?)
同じような淡泊さは同コンビ作『大冒険』のラストの爆発シーンにも感じられる・・。

それでも『青島要塞爆撃命令』はじつにおもしろい映画ですよ。
『太平洋の嵐』や『連合艦隊司令長官山本五十六』のような重厚な戦争映画とは違った魅力があります。


243  キネマ旬報 コクラ   2004/01/22 18:25
  
 今日発売のキネマ旬報に、GMMGの批評が載っていました。

内容は、べた褒めの中のべた褒めという感じです。(なんじゃそりゃ)
どういう事がかかれてたかを詳しく書くと色々問題が起きるかもしれない
ので、ここらでやめておきます。
とりあえず、殿様ギドラさんと全く正反対と言っていいでしょう。

244  Re:キネマ旬報 殿様ギドラ  2004/01/23 11:14
  男性 41歳 O型 
 ははぁ。
私と正反対ということは、私が指摘した筋の通らない部分にもちゃんと筋が通っているとおっしゃっているんでしょうね。
ストーリーの大枠である、機龍を作ったことは過ちだ、という命題にきちんと筋が通っていなければ、好き嫌いさえ語れない欠陥作品なのですから。

そのキネ旬の方にここに来て欲しいものですが、「プロ」の「ライター」さんになると金にならない文章はお書きにならないようで・・。

266  Re:キネマ旬報 エクセルシオール   2004/02/06 13:03
  男性 24歳 A型 
  批評の内容については人それぞれだとは思いますが、キネマ旬報に載ったような批評を読むと、「何かずれてるな」という気持ちにとらわれま す。そこでその原因を私なりに考えてみました。

 まず、怪獣映画の独自性に対する理解が、映画評論の世界では乏しいのではないでしょうか。大抵の映画においては人間が主役であり、人間ドラマ(本編部 分)を追っていくことが中心となります。ゆえに批評もその部分が中心となり、特殊効果というものが使用されていたとしても、それは評価の中心にはなりませ ん。しかし、怪獣映画においては怪獣が主役で人間は脇役です。このことは無論、本編部分を軽視することではありません。良い本編が必要なことは当然です。 しかし、良い怪獣映画となるには怪獣が脇役であってはならないはずです。しかしながら、近年の怪獣映画はこの作品も含めて「人間が主役」になっています。 だが、そうなったとしても普通の映画と同じように人間ドラマを中心にした批評では、そのことに気づかないのではないでしょうか。もっとも、私個人はこの作 品の本編部分も評価できませんが。

 第二に、今の映画批評(この点に関しては特撮批評も同じ)の現状に批評・批判をやりにくい傾向があるのではないか、という問題があると思います。つま り、特撮業界(制作者等)が「悪口を書かれる」ことを忌み嫌うため、関連メディアが有形無形の「仕返し」をおそれて、まともな批判ができない傾向にあるの ではないかということです(アニメ業界の現状がいい例です)。もし協力関係を失えば紙面が構成できなくなる。それを恐れて欠点を感じてもその作品に対して 正面から批判できない。そんな空気を感じます。しかし、これでは「ご用記事」ばかりとなり、結局は対象となるものを駄目にします。これは個々のライターで は対処するのは困難です。

 最後に、私は自由な批評の存在は良い映画のために不可欠だと思います(たとえ耳に痛いことであっても)。しかし、今の特撮業界にはそれが乏しく、その結 果、駄作も「傑作化」させられているのではないでしょうか。

267  Re:キネマ旬報 殿様ギドラ  2004/02/06 13:57
  男性 41歳 O型 
 おお、エクセルシオールさん、おひさしぶりです。

私もキネ旬の記事は読んでみました。
記事内容に関して思うところは多々ありますが、反論するならキネマ旬報宛に投稿すべきだと思うので、ここでは何も言いますまい。

しかしながらエクセルシールさんの映画批評の現状分析には大いに賛成です。
かつての映画批評で怪獣映画の人間ドラマ部分が薄い浅いなどと見当はずれな批判が行われたことへの間違った対応が行われているようです。
それが却って怪獣映画を変質させ、角を矯めて牛を殺すことになっているにもかかわらず。

観客の多くもまた、批評家やライターに権威を感じ、マスメディアに載った批評の受け売りをすることがないか?

そして、映画製作側とジャーナリスト・批評家の間違った協力関係がありはしないか、というご指摘にも共感します。
業界裏事情などを知る立場にはありませんので証拠も確信もありませんが、私も特撮雑誌を見る限り御用記事的なものを感じることが多いです。
(キネ旬の方は比較的正直にGMMGを傑作だと思っていらっしゃるご様子ですが・・・。それはそれで問題か)

みなさん、生活がかかっていたりするでしょうから本気の批評を書けない事情があるのかもしれません。
(まさかまさか、はなっから批評など書く気はなくて、憧れの特撮現場の近くにいられる幸せを享受したいだけだったりして。こりゃ失礼。そんなバカなことは ないですね)

最終的には観客一人一人が権威にだまされることなく、自分の知識・経験・感性を総動員して真剣に作品と向き合うことが大事だと思ってます。
そうすればいい加減な批評も淘汰されるでしょう。(じゃないかな)


245  50周年記念作に望むこと 殿様ギドラ  2004/01/23 11:16
  男性 41歳 O型 
 50周年記念作はすでにあらすじまで決まっているのですよね。
もちろん、土壇場で製作がキャンセルされる可能性もありますが、
クランクインするなら発表されたような多数の怪獣が登場するオールスター映画になるのでしょう。

それを前提に望むことを書いてみます。

顔見せだけで終わるような怪獣は出さないでください。
たとえ出番が短くても、ストーリー上の役割を果たすように構成してください。

ストーリーの基盤を人類対怪獣にしないでください。
怪獣出現という事件が起これば、人間が怪獣と戦うのは必然。
しかし、ストーリーがそれを主軸にする必要はありません。
多数の怪獣が現れるのであれば、全世界が動くような大事件を扱ったストーリーになるはずです。
そのとき、怪獣対人類しか描こうとしないのではもったいないです。
現代が抱えるさまざまな問題を怪獣出現事件に絡めて描いていけるはずです。

怪獣は一匹で人間社会と渡り合うだけのスケールを持っています。
その怪獣が多数登場する物語で、一握りの人間にしか焦点を合わせない筋運びにしてはいけません。
あるいは中心人物が少人数でも、その他大勢というものを的確に挿入することでスケール感が変わります。
(『妖星ゴラス』での酒場の天本英世、タクシー運転手沢村いき雄を思い出して!)

怪獣に善悪の色づけをしないでください。
人間の倫理観とは関係ないところにいるのが怪獣です。
人間にとってのいい奴悪い奴という役割を押しつけないでください。
怪獣たちはそれぞれ好きなことをしていればいいのです。
それが人間にとっての害になったり、ひょっとすると人間を助けることにもなるというのが正しいあり方です。

怪獣の生態に設定を付け加えないでください。
説明が増えれば増えるほど怪獣は不自由になります。

すでにあらすじが決まっている段階で上記のような希望を述べるのは馬鹿馬鹿しいと思われる方もいるかもしれません。
そんなことはありません。
怪獣映画のストーリーを決定するのはなんでしょう?
どんな怪獣が登場するのか、その怪獣が何をするのかというのが一番大事なことです。
その怪獣事件を誰の視点で追っていくかというのが人間側のドラマです。
もちろん人間側のドラマと怪獣事件をリンクさせることは必要ですが、
人間側の視点を動かすことで作品全体の流れが変わってしまうようでは怪獣が主役になっていないということです。

『ゴジラ×メガギラス』以降の作品は、ゴジラが主役になっていません。
(作品全体の出来は悪くても『ゴジラ2000ミレニアム』はまだゴジラが主役扱いだったと思う)
それを褒める人もいるのでしょうが、かつて本多・円谷コンビの作品を人間ドラマが薄いと切り捨てた人と同じ感性なのでしょう。
(怪獣を見せるのが怪獣映画である!)
怪獣をないがしろにした作品が連発されている現状に不安を覚えています。

なぜそれを否定するか。
怪獣より人間が前に出るような映画は、怪獣映画ではないから。
ゴジラ映画に求める味は怪獣映画だから。

あくまでも怪獣が主役なのだという発想で臨めば、基本を変えずにストーリーを修正することは出来るはずです。

50周年記念作に望むことはまだ続きます・・。
(ほかの方もどうぞ)

257  Re:50周年記念作に望むこと 殿様ギドラ  2004/01/28 16:50
  男性 41歳 O型 
 怪獣の扱いに関して非常に大事なことを書き漏らしていました。

どうか、怪獣を死なせないでください!
『怪獣総進撃』でキングギドラが死んでしまうのは例外なのです。
キングギドラは「外敵」としての役割を担わされていましたから、恒久平和の実現を象徴するために倒されなければならなかったのです。

今度の50周年記念作が怪獣オールスター映画だとしても、その内容は『怪獣総進撃』のような怪獣映画の終着点を目指したものではないのですよね?

怪獣を死なせてはいけません。

まさか、多数の怪獣がそれぞれ殺し合って、残った者(ゴジラとキングギドラ?)が最終決戦なんて子供が考えるようなストーリーじゃないでしょうね。

円谷英二監督が手がけた怪獣映画にも怪獣が死ぬものと死なないものがありますが、
それぞれの違いをよーく吟味してほしいです。
どんなストーリーのときに怪獣は死んでいるか?
どんな怪獣が死んでいるか?
怪獣が死なない作品はどんな印象を残すか?

さて、50周年記念作はどんな雰囲気を目指すのでしょう?
一種のお祭り映画を目論んでいるのではないですか?

怪獣を殺してはいけません。

258  Re:特撮が歪められている? 殿様ギドラ  2004/01/30 12:57
  男性 41歳 O型 
 某新聞夕刊記事中にこんな記述が・・。
「特撮は映画用語の一つだが、現在では怪獣やヒーローものとほぼ同義。ある種のB級感覚もポイントだとされる」

うすうす感じてはいましたが、新聞記事にこのように書かれてしまうとは。
確かにこのごろは「特撮」という言葉が映画技術のことではなく、主に特撮を使って描かれた着ぐるみ・仮面もののことを指すようになっているようです。
その風潮が、作品内容の低下を招いている面もあるのではないか?

特撮ファンと自他共に認める人が、実は特撮映像美にはさほど興味が無くて、非日常的な怪物怪人の類を観ることにしか興味を示さないのであれば、
ヒーロー・怪獣のバリエーションは増えてもストーリー・映像の進化・深化にはつながらない道理です。

そのうえB級感覚がポイントとは。
つまり、特撮の仕掛けがばれているほうがいいということなのですね?(ひょっとするとストーリーもB級がいいというのか?)
確かに、完全に現実の出来事と区別できない仕上がりになった特撮シーンはまれですし、
そもそも現実に起こりうるレベルの事象を描いていたのでは特撮イメージとして貧弱ですから、「これは特撮だ」と認識しつつその美を味わう感性が必要かもし れません。
しかし、それは操演のワイアが見えてもいいということではないし、ましてやワイアが見えた方がいいなどと考えている人がいるとすれば特撮精神に反すること だと言わせてもらいます。

昔の作品でも仕掛けがばれているものは良くないのです。
それでも、やむを得ずうまくいっていないカットを使うことがあった。
そのとき、バレているということだけでシーン全体を否定するのは間違いだということなのです。
これは特撮の見方ではなくて、映画の見方の問題なのです。
きちんとストーリーや映像構成の美を受け止めていれば、吊りの糸に気が付いたり爆炎の中に点火用の電線が見えても気にならないものなのです。

かつてモーションコントロールカメラが登場したときには操演が、CGIが登場するとミニチュアや着ぐるみが時代遅れとバカにされました。
私自身、それは違うと訴えてきたつもりです。
しかし、操演・ミニチュア・着ぐるみにB級を感じるから援護したのではありません。
映画演出上、操演・ミニチュア・着ぐるみのほうが優れた部分を残しているから猫も杓子もデジタルに移行するのは良くないと申し上げてきたのです。
(合成に関してはオプティカルプリンタによる合成を援護したことはない。
ビデオ合成を映画に転用した初期のものは画質が悪すぎたので、いくら手軽でも映画に使うのは間違っていると思ったが、現在のデジタル合成は旧来の合成で出 来ることをすべて含んでさらにプラスαがあると思われる)

ところが昔からある手法を守りたいのか、最新の手法への反発なのか、B級でいいのだという考え方が出てきているとはびっくり仰天です。
これでは特撮の礎を築いた円谷監督も草葉の陰で泣いているのではないでしょうか。

さて、ここでゴジラの話に入ります。
ゴジラもまた冒頭引用した特撮の定義に当てはめられているとしたら大問題です。
着ぐるみ怪獣が出てくればそれで良しなのか?
特撮の仕掛けがバレていることを積極的に楽しむのか?

「東京SOS」におけるいくつかのカットで、ミニチュアセットを本物に見せる努力が感じられないものがありました。
これはひょっとすると「わざと」なのか?
作り物を観る楽しみを否定しないし、特撮のおもしろさには作り物のおもしろさがあるのは認めるところですが、
感動を呼ぶ作り物とは、微妙なところで本物には見えなくてもその形・動きが本物と寸分違わないレベルに仕上がっている物ではないのか。
さらには実物では不可能な演出を施すことで実物以上の存在感やドラマ性を持たせることが出来るのが真の作り物の良さでしょう。

着ぐるみでいいのだ、ミニチュアでいいのだ、という結論を誤って解釈した作り方になっていないか?

着ぐるみを見せましょう、ミニチュアを見せましょうという映像になっていないか?

身の丈数十メートルの怪獣を見せてください。
人々が生活している町が壊れる様を見せてください。

ミニチュアを本物に見せるためのテクニックをもっと磨くべきではないでしょうか。
ミニチュア撮影専用機材(レンズ、照明など)の開発や、一旦撮影された映像をデジタル処理することで大きな物を撮影したように見せる方法などの研究は行わ れているのでしょうか。
また実物の縮小たるミニチュアセットを建造するための新たなテクニックなどは出てきていないのでしょうか。
効率よく現物を測量し図面を作る方法とか、壊し用のミニチュアなら壊れ方にどこまでリアリティを出せるかの研究も必要かと思われます。

特撮一般論ではありますが、ゴジラ50周年記念作にクリアして欲しい部分でもありますので、245番へのレスの形にしました。

260  Re:特撮が歪められている? 四式戦車(チト車)   2004/01/31 17:17
  男性 20歳 A型 
 
> しかし、それは操演のワイアが見えてもいいということではないし、ましてやワイアが見えた方がいいなどと考えている人がいるとすれば特撮精神に反すること だと言わせてもらいます。
> それでも、やむを得ずうまくいっていないカットを使うことがあった。  
> 特撮の仕掛けがバレていることを積極的に楽しむのか?
                                  私も同感です。ピアノ線はCGI・デジタル合成技術が発達してきた現代にお いても特撮をする上で無くてはならないものだと思います。しかし、それをしっかりと消し、我々、観客を興ざめさせないようにするのが創り手の責務です。百 歩譲ってCGIやデジタルの無い時代のものであれば技術の限界上、いかんともし難いわけで・・その分、演出や内容構成ができていればまず許容する事も できます。しかしながら、技術が発達した現代ではそのような譲歩は断じてできません!                            前から何 度も疑惑している本作については確証がないので何とも言えませんが・・GxMではCGIやデジタル合成を多用し、メガニューラの大群や空撮へのマッ チムーブ等をいかんなく描写しました。その反面、ミニチュアワークが劣悪で特に渋谷破壊シーンではメガギラスの吊り線(ピアノ線)が丸見えでし た。つまり、デジタルとアナログの映像調和が全く為されていないのです。その点は本作に至るまで改善され殆ど違和感が無くなってきました。                    ただ、未だに疑惑が解けないのですが・・もし、この疑惑が真実だったとして、何故にあの程、映像技術が進んだ本作でピア ノ線未処理と云う失態が生じたのでしょうか?                          昔のような技術的限界はなくましてピアノ線処理など 朝飯前の筈なのに・・。例の如くB級性を残す為にワザとしたのか?はたまた、見落とし・・チェックミスなのか?前者だとすれば、怠慢も甚だしく特撮映画 を創る資格なし!!後者であるとすれば、人間である以上、ミスは付き物と言いますが映画は興業製品と云う観点から・・創り手の注意義務の欠如が問題となり ます。                                        これについて、皆様の御意見を仰ぎたいと思います。何分、宜し くお願い致します。    

262  Re:特撮が歪められている? 殿様ギドラ  2004/02/02 15:05
  男性 41歳 O型 
 GMMGでピアノ線がバレているカットがあったとしても、それはチェックミスだと信じたいです。
G×Mでのピアノ線バレは確か見落としだったはずです。
決して作り手がわざとピアノ線を残したわけではないと思いますよ。

とはいえ、うーん、本当にどなたか四式戦車(チト車)さんの疑問に答えられる方はいらっしゃらないのでしょうか。
GMMGでの潜水艦とゴジラ、および機龍がバックユニットを射出するカットでピアノ線が見えていたか否かというあたり、はっきり覚えている方はいらっしゃ いませんか?


246  結局、観ませんでした ゴジラ坂のクマ   2004/01/24 01:18
  男性 49歳 B型 
 殿様ギドラさん、今回の書き込みに一番乗りしたクマです。憶えていらっしゃいますか。我々の町では、先週、ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京 SOS」は終わりました。年末年始、多忙を極め、結局、観ませんでした。1985年「ゴジラ」から、再び、見続けていた者としては、皆さんの仲間になれ ず、一緒に今回の作品を語れないことを残念に思っています。おそらく、来年のDVD発売を待って、50周年記念作の前に今回の作品を観る事になるのでしょ う。
GMG170万人→GMMG119万人の減少分に加わったのか・・・。
話は変わりますが、アメリカで1985年「ゴジラ」のビデオを買ってきました。レイモンド・バーが1954年「ゴジラ」の続きとして出演します。そして、 全く別の味を持った作品になっています。僕は、今回の作品を観ていないので、何も語る資格は無いかもしれませんが、GMMGもゴジラに視点を変えて、編集 すれば、本来のゴジラ映画に変えられるかもしれませんね。

247  Re:結局、観ませんでした 殿様ギドラ  2004/01/24 17:30
  男性 41歳 O型 
 覚えてますよ、しっかりと!

ご覧になれませんでしたか。
それは残念です。
私はGMMGをつまらなかったと書いていますが、
ゴジラファンの方がゴジラ映画を見逃すというのは残念なことです。

この掲示板は「東京SOS」を語るための場ではありますが、今年がゴジラ50周年であり、記念作品も準備されていることを考えれば、
GMMGに限定せずにゴジラ・怪獣・特撮一般のお話に広げても問題ないと思います。
ゴジラ坂のクマさんにも、ゴジラや怪獣への思いを語っていただければ幸いと思います。

『ゴジラ』(84)の海外版『ゴジラ1985』(でしたっけ)はまだ見ていないんですよ。
うわさでは国内版よりうまくまとまっているとか。
うーむ、なんとかして見ないといけないですね。


248  本日は 殿様ギドラ  2004/01/25 12:31
  男性 41歳 O型 
 毎年書いていますが、円谷英二監督のご命日です。

円谷英二監督がいなかったらゴジラはもちろん、特撮映画がどうなったかわかりません。

その偉業を思い返すべき日です。

249  Re:本日は つつ書記長あるいはマイク水銀   2004/01/25 21:12
  
 そうなんです。そしてこの円谷監督がもし存在していなかったら日本はおろか世界の映画も今のようなものにならないのではないか?と思うと重大 な問題です。是非ともこの監督の偉業について考えてみる一日ではないのか?と思ってしまいました。そしてこれを機会にゴジラの未来について考えてみるの も・・・。

250  Re:本日は だがや   2004/01/25 22:26
  男性 44歳 O型 
  円谷監督の命日ですか。それは知りませんでしたが故人の業績は日本の特撮ファンに限らず、海外の映画人にも広く影響を与えたことは万人が認 めることと思います。
 ただ最近の東宝関係者はその評判だけを評価して、その業績は時代遅れな物と考えているのでしょうかねえ?
優れたアナログの技が細かいだけで工夫の足りないデジタルより古くて劣るのかという議論と、技術や方法は千差万別だがそれを使って何を見せるのか伝えるの かという思想について、こちらではさんざん語られてきました。
 円谷監督ならCGという技法は認めても、その使い方にもこだわりを見せてくれた事と思います。

253  Re:本日は 殿様ギドラ  2004/01/26 20:04
  男性 41歳 O型 
 みなさん、レスありがとうございます。

映像表現に使える機材が発達して表現の幅が広がったはずなのに、
少なくともゴジラ映画に関しては、進歩が感じられません。
デジタル合成とCGIという新テクノロジーが付け加えられただけで、
映画の基本テクニックであるカメラワークや編集の技はもちろん、
ミニチュアセットの作り込みですら円谷時代より劣っているように思います。

その上、作品を通じて何を見せるのかというもっとも大事な部分も
円谷時代の傑作から引き継ごうとしていないのではないか。

ゴジラを使うことの意味をもっと考えて欲しいです。
円谷監督の遺志を継ごうという映画人はいないのでしょうか。

円谷監督はとうとう思い通りの作品作りは出来なかったのではないでしょうか?


259  マタ、更新しやした。 WARASI   2004/01/31 10:53
  男性 43歳 O型 
 このサイトでも、戦争映画が少しブ~ムなので、調子に乗って戦争映画のコンテンツを少し増やしやした。お暇な時にド~ゾ!あまり関係の無い事 でいつもスイマセン。

261  Re:マタ、更新しやした。 殿様ギドラ  2004/02/02 14:56
  男性 41歳 O型 
 行きましたよーん。


263  またまた、おじゃま虫。 WARASI   2004/02/03 17:40
  男性 44歳 O型 
 ども、ストーカーのように何度も出現して恐縮ですが、ここん所ヒマしてるので、戦争映画祭り、更新しやした。「南海の大決闘」の真実もBBS で書いてますので、またお暇なときにドーゾ。

264  Re:またまた、おじゃま虫。 殿様ギドラ  2004/02/03 18:06
  男性 41歳 O型 
 すごい偶然。

WARASIさんがこちらに投稿している間に、そちらの掲示板に書いてました。


265  なーんか言い足りない感じ 殿様ギドラ  2004/02/04 18:20
  男性 41歳 O型 
 2月に入り、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS』の記憶もだんだん薄れて来ていますが、
ここで力を抜いてはゴジラに申し訳がありません。

結局のところこれまでどこかで書いたことの繰り返しにならざるを得ませんが、
私がどこで何を書いてきたかなんて多くのみなさんに知られているわけでもありませんから、
どこかの誰かに「あいつまた同じこと書いてやがら」と笑われることを覚悟の上でゴジラへの思いを述べてみましょう。

私がゴジラを好きなのはなぜか。

ゴジラが特撮映像と結びついていることが大きいのは確かです。
特撮そのものが好きであるということは大いに認めます。
機関車が走っているというだけの映像でも、ミニチュアによる特撮だと気づけば心が騒ぎます。
ゴジラが現れるとき、そのすべては特撮によって描かれます。
非日常的な映像に直結しているのがゴジラでもあります。

ゴジラの姿形が好きでもあります。
どこにもあんな姿の動物はいません。
毛が生えていないところから爬虫類のようにも見えますが、その顔立ちには哺乳類のような印象もあります。
外観は作品によって違いがありますので、すべてのゴジラに当てはまりはしませんけれど。
しかし、姿形そのものが本当に好きなのかどうかには確信がありません。
はじめてゴジラを見たのがあまりにも幼い頃だったので、ほかの怪獣・怪物との比較以前に刷り込まれているようでもあります。
犬や猫、はたまた人間の「形」が好きかと自問するのに近いです。

その大きさ、強さ、不屈さもまた大好きなところです。
ゴジラの中に究極の自由を感じるように思います。
何者にも屈しないし、不死身だし、使命や義務に縛られることはありません。
いやなことはしないのがゴジラ。
ゴジラを見ていると心が軽くなるのです。

そして、なによりそのまっすぐな性格です。
ゴジラは陰に籠もったり、謀(はかりごと)をするような性格ではありません。
怒りも喜びも直球勝負。
このストレートさが見ていて気持ちいいのです。
多分ゴジラは人間に対する怒りを持っているでしょう。
けれども、それは恨みとは違う感情ではないでしょうか。
(人間に殺されてしまった初代ゴジラの感情はまた別かもしれないけれど)
『三大怪獣地球最大の決戦』で人間に対し「勝手にしやがれ」と言い放つゴジラが好きです。
人間なんか眼中にないよと突き放す態度に、人間であり人間のしがらみから逃れられない私は喝采するのです。
ゴジラが姿を見せるたびに執拗に攻撃してくる人間だけれど、ゴジラを殺傷することは出来ない。
ゴジラにとって人間とは恨むほどの存在ではないと言えるのではないか。
(ゴジラが核実験をどのように捉えているのかは謎である。←機龍シリーズが初代ゴジラを持ち出すなら、ここを掘り下げるべき企画だったのではないか)

また、どこかひょうきんな仕草をするところも好きなところです。
初代ゴジラであっても見境なく破壊や殺戮をするわけではなく、気を抜いてのんびりする様子が見受けられます。
2代目になって作品を重ねていくとさまざまなシチュエーションでの感情が表現されていって、その性格が掘り下げられていきます。
キングコングとの最初の対面で自分のほうが強いことを見せつければ、腕を振り上げて示威行為しつつ去っていくコングを追うことはしません。
『モスラ対ゴジラ』での石油コンビナートに対する放射火焔には何かいらだちのような物を感じますが、その後の城やタワー&ビル破壊は「お間抜け」と言える ような動きです。
そして『三大怪獣地球最大の決戦』ではラドンと凸凹コンビぶりを見せてくれます。
このラドンとの戦いには相手を殺そうというような緊張感はなく、どつき漫才を見るような楽しさがありました。
そんなある種の「緩さ」を残した性格が一番好きなところなのです。

また、そんなゴジラが登場する映画はどんな味わいに仕上がっているか。
怪獣をおぞましく描くことがありましたか?
破壊の悲劇を描くことはあっても、怪獣に陰鬱な印象がありますか?
怪獣は巨大な体を持つだけで大規模な破壊を引き起こすのであって、自然災害と同じような印象になるのは怪獣に「悪意」がないからでしょう。
(もちろん攻撃されれば反撃しますから、そのときには人間に対する敵意はあるでしょう)
怪獣映画の成立を社会心理学的に分析すれば、そこに人間の破壊への衝動とか時代性に結びついた政治的背景などが見えてくるかもしれません。
しかし、劇中で描かれる怪獣そのものが人間の闇を体現したものではなかったはずです。
怪獣は野性であり自然です。ゴジラには科学技術の誤用という概念も含まれていますが、ゴジラ自身がそれを自覚しているわけではありません。
「怨念」や「加虐趣味」という意識はないのが怪獣です。
私は、怪獣は「陽」であるという成田亨さんの考えを支持します。

怪獣が「陽」であり自然の物であるなら、怪獣と対峙する人間ドラマがどうなるか。
名作といわれる怪獣映画が人間たちにどんなドラマを描かせているか。
登場人物個人の感情が怪獣と対立するようなものがどれだけあったか。
『ゴジラ』でさえ、芹沢の葛藤はオキシジェンデストロイヤーを発見してしまったことに向けられていて、実は怪獣ゴジラに対する意識は少ない。
怪獣退治が主軸になった作品であっても、怪獣を恨むような人物が出てくることは非常にまれです。
(『ゴジラ』での新吉にかすかに恨みが見えるようですが、それ以外に例が思いつかない・・)
地震や台風に感情をぶつけたところでどうにもならないでしょう。
(もちろん、怪獣が特定の個人を狙うことはない)

怪獣映画で「陰」を担うのは人間であったはずです。
人間が対立すべきは人間。(宇宙人であっても広い意味での人間の範疇に入る)
個人が立ち向かうのは、人間相手のこと。
怪獣対策は社会の役目。
そんなストーリー構造だったから「個」と「集団」を同時に描くことに成功したのではないか。
映像だけでなくストーリーにもパノラマ感があったことがゴジラ(怪獣)映画を好きになった理由のひとつです。

そして、感情的に怪獣を否定するような内容ではなかったからこそ怪獣に嫌悪感を感じないし、見終わったときに清々しい印象が残るのではないか。
(ガイラには嫌悪感を感じる。それは、ガイラの態度をイヤな奴として演出しているからでしょう。意図的に嫌悪すべき怪物として描いているはずです。
これは、同じく人間を食べるバラゴンとの印象の違いを考えればわかりやすいはず。バラゴンはイヤな奴ではない)

と、ここまでは私が好きな怪獣映画の話であり、「昔の作品」についてです。

ゴジラの性格はいろいろいじられてきましたが、「2000ミレニアム」以降(除くGMK)のゴジラはすこし持ち直したように見えます。
(デザインもモスゴジぐらいに戻してくれないものか・・)

いまのゴジラ映画に感じる最大の不安は、人間によってゴジラが倒される、ないし鎮圧されることにしか結末を見いだしていないこと。
そして、個人が怪獣と対等な位置に置かれていることです。
平成vsにその萌芽は見えましたが、「×メガギラス」以降、ゴジラは人間に倒されて当たり前という作品ばかりです。
(「×メガギラス」では倒されてはいないものの、人間の武器によって退場させられている)
そのうえゴジラ退治で重要な役割を果たすのが、特定の個人ばかり。
ゴジラがどんどん「小さく」なっている。
そんなゴジラ映画は見ていておもしろくない。
『ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃』が踏み込みそうになった、怪獣の「陰化」はなんとか回避したようではありますが、
ゴジラ映画からパノラマ感が失われている現状は受け入れがたいです。

機龍シリーズに至っては、セリフでは人間の罪をなじるようなことを言わせますが、ドラマで人間の「陰」を批判する姿勢が全く見えない。
人間同士の対立は子供じみた敵意だけ。
人間批判の視点がないのでは、怪獣という異類を登場させることに意味がない。
(機龍を作ったことでどんな災厄があったというのか?)

また、怪獣が人間に倒されてばかりでは、人間を超える者(動物)を見る楽しみなどありはしません。
ゴジラ映画には観客の「強さ」への憧れを満たすことも必要なのではありませんか。
人間の努力を描くのも大事だけれど、それで怪獣を倒してしまうのでは人間に勝てる者はないという表現になってしまう。
それでは怪獣映画として弱い。

もともとのゴジラ映画とは発想が違う作品ばかりが横行しているのはなぜだ!


268  音楽  殿様ギドラ  2004/02/09 12:13
  男性 41歳 O型 
 さて、映画にとって非常に大事な要素である音楽についていままでほとんど触れずに来てしまいました。

私は音楽は聴く一方で、感想意見を出そうと思っても感覚的抽象的なことしか書けない恐れがあったため、
もっと詳しい方(ご自身で作曲なさる方など)のご意見が出てこないものかと待っていたところがありました。

でも、この掲示板の開設期間も残り少ないので待ってる場合ではないですね。
ということで「東京SOS」の音楽について感じたことを書いてみます。

全体の印象として、特に悪いということはありませんでした。
音楽がまずい映画にありがちな、とりあえずBGMを鳴らせばそれでいいだろ的なうるささなどはなく、
シーンに合わせた曲が当てられていたと思います。

しかし、どうも映像に従属するばかりの音楽の付け方であったようにも思います。
シナリオを読みながらのストーリー分析で少し触れましたが、
怪獣バトルを背景にして人間の行動がインサートされるようなときに、映像がバトルから離れると音楽もバトルを忘れています。
怪獣が戦っているという緊張状態の中で、人捜しをするとか機龍の修理に向かうという行為が平行して行われているのに、
音楽がバトルの緊張を維持してくれないためにゴジラの戦いと義人の動きがまったくバラバラの物語に見えています。

映画音楽には、ストーリーを牽引する役割もあるはずです。
映像がさまざまな場面に切り替わっても、時間軸がひとつながりになっているならその連続感を音楽が表現できるのです。
(一例として『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ』のクライマックスを思い出して欲しい。
サンダとガイラの戦いにアケミとスチュワートのやりとりが挿入されますが、そのとき伊福部音楽がどんな設計になっているか)

それから、怪獣たちに当てられた音楽にもあまり感心しませんでした。
どうも人間くさいのです。
どうしてそう感じるのか、音楽理論がわからないので言葉で表現することがうまくできません。

まずゴジラ。
導入部にはゴジラの大きさや得体の知れなさが表現されていると感じましたが、
それはあくまでも人間側から見たゴジラという印象です。
昨年も書きましたが、手塚ゴジラでのゴジラのテーマ音楽は、「×メガギラス」冒頭の大阪戦が基本になっていて、
ビル陰から現れそうなゴジラ、進撃してくるゴジラ、ゴジラを迎え撃つ人間という流れを音楽が表現している形ではないでしょうか。
これは、ゴジラの内面から出てくる音楽ではないです。
つまりゴジラそのもののテーマになっていないと思われるのです。
たとえば、ゴジラが人っ子一人いない山奥をのしのし歩いているシーンに大島版ゴジラのテーマがマッチするかどうか・・。
ゴジラのテーマ曲に関しては、もう悪あがきしないで伊福部ゴジラテーマをずーっと使い続けるということでいいんじゃないでしょうか。
(もちろん、映画『ゴジラ』のテーマ曲ではなくて、怪獣ゴジラに当てた曲のほうです)

そしてモスラ。
怪獣の野性を表現しえていないと感じました。
モスラに当てた音楽は、どうにも線が細くて、「優しさ」のみを売っているように思いました。
モスラが優しさを持った怪獣だとしても、必要とあれば破壊もするし暴力で戦うこともあるのですよね?
ゴジラ相手に大立ち回りを演じるのですから、その激しさを音楽面でも表現する必要があるのではないでしょうか。
バトルにはバトルのテーマといえるような勇ましい曲が使われていましたが、
それだけではなくモスラという怪獣の個性を音楽で表現すべきで、その荒々しさも「聴かせる」べきだと思うのです。

最後に機龍。
そりゃ、ストーリーが悲しげな展開になれば悲壮な音楽が出てくることにはなっていたと覚えています。
しかし、機龍発進とかゴジラにアタックする様子には、ただひたすら「かっこいい」音楽を当てていませんでしたか?
機龍の内実を音楽面から表現しようという意志が見えませんでした。
機龍には初代ゴジラが入っているのでしょう?
GMMGでそれが明らかになるのは最後の最後ではありますが、機龍という存在を音楽が定義づけることも必要だったのではありませんか。
ただこれはストーリーとの兼ね合いで難しい部分ではあります。
機龍は人間のロボットでありながら初代ゴジラを内包するという複雑な存在ですが、
劇中の動きは人間のロボット(奉仕する者)でしかありません。
設定から考えればゴジラと機龍が戦うことには悲劇性が生まれるはずなのに、
初代ゴジラの意志が途中で顔を出すこともなくそれゆえ戦わされることへの苦しみもなく、初代ゴジラが目覚めたときにも人間に対する批判や怒りはどこにもあ りません。
そうなると音楽側も機龍をあくまでも人間の味方、頼れる奴としか表現し得なかったのかもしれません。

音楽を別にしても機龍に怪獣を感じることがないので、機龍に当てた曲が怪獣っぽくなくても仕方ないということになるでしょうか。

と、いろいろ不満を書きましたが、手塚ゴジラ映画には相性の良い音楽だったか、とも思っています。
あくまでも人間中心の作風に対し、あまり怪獣を際だたせないような音楽設計であるというのは正解なのかもしれません。

269  Re:音楽  四式戦車(チト車)   2004/02/14 18:40
  
 私は音楽が好きなもので特にオーケストラが大好きです。伊福部先生をはじめ邦人音楽家の作品の殆どを聴きました。伊福部先生の曲は編成も大き く壮大なスケールと土俗性を持った素晴らしい音楽です。これは私的意見でありますが・・こと、ゴジラに関して言えば、伊福部先生を超えるインパクトを 持った音楽は無かったと思います。最近では服部さんや大島さん、大谷さんといった若手の方々がゴジラを手掛けられましたが・・ゴジラと云うものをよく理解 していないように思われます。服部さんは伊福部先生を非常に意識なされた作風でしたがあく迄、意識の域を超えるものではありませんでした。大谷さんはガメ ラ三部作で独自の世界観を創造しましたが・・ゴジラではやはり、伊福部先生の影が余りに大きく、安易に電子音(テクノ)へとはしる始末!編成的にも薄い オーケストラへあからさまにテクノを多用している為、不自然でなりません。大島さんは割切がよく伊福部先生の存在にも影響されずに自己の作風を押し通しま した。オーケストラの編成も厚く、アーミーマーチ的で気に入っています。しかしながらギドラさんの言う通り、音楽はあく迄も人間が主体で怪獣の表現性に乏 しいと思いました。・・伊福部先生は怪獣の表現が天才的でそれがゴジラ=伊福部たらしめた所以であると思うのです。伊福部先生のインパクトを凌ぐゴジラ (怪獣)音楽は未来永劫に渡ってないでしょう。最後にギドラさんは伊福部先生の純音楽はお聴きになった事はありますか?

270  Re:音楽  殿様ギドラ  2004/02/14 21:55
  男性 41歳 O型 
 四式戦車(チト車)さん、音楽にもお詳しいのですね。

怪獣映画音楽で伊福部音楽を超えるものは聴いたことがないです。
伊福部音楽が怪獣に合うのはなぜなのか、また、怪獣に限らず伊福部映画音楽の優れた点はどこか、という分析なしにゴジラ映画の音楽を作ることは出来ないと 思っています。

伊福部音楽が優れているといっても、映画音楽の場合、シーンごとに作曲すべきものですから、
すでにある伊福部音楽を流用するのは間違っているし、
さらに伊福部先生の曲を誰かがアレンジして使うというのも原則的には間違っているはず・・・。

伊福部映画音楽の表面的な物真似ではなく、その方法論を研究した上での新たな怪獣映画音楽(特撮映画音楽といってもいい)創造ということを考えて欲しいも のです。

しかし、ゴジラのテーマ曲に関しては、ゴジラとのつながりが密接すぎてもはや変えることが出来ないんじゃないかとも思うのです。
(大島版テーマ曲を聴いて連想するのは、あくまでも「×メガギラス」であり機龍シリーズでしかない)

基本的に管弦楽は聴かない私ですが、伊福部先生は別格です。
純音楽作品も数多く聴いていますよ~。
特に好きなのは、「シンフォニア・タプカーラ」、「交響じゅげ釈迦」(漢字が出ないや)あたり。
もちろん「SF交響ファンタジー」も好きですが、あれは映画音楽を再編集したものですから別扱いでしょうね。


272  CGI・デジタル合成とミニチュアワークについて 四式戦車(チト車)   2004/02/16 17:31
  
 改めてガメラ三部作を観ました。デジタルは余りありませんが・・アナログ(ミニチュアワーク)の使い方が巧みですね。ゴジラの比じゃあ りません。思うのですが、ゴジラは2000以降の復活シリーズではガメラの撮り方を意識し、ミニチュア自体は精巧なものとなりました。(GxMは除く) でも、馴染みという点で何かが違うのですよ。デジタルが発達している分、余計にミニチュアワークの甘さが気になります。但し、ミニチュアへ実景が合成 された画は凄く良いのです。だから、ミニチュアを基本としながら、実景を合成するとかして味付けする事が一番なのではないでしょうか?今の時代、撮切りの みで突き通すのはもはや通用しないと思うのす。あの超大作、ロードオブザリングでさえミニチュアワークは健在でそこへデジタルを付加すること で絶妙な画を造り出しています。・・無論、日本はハリウッド程の製作費は出せませんがアイディア次第では如何ようにも出来る筈。やはり、ゴジラの製作 陣もデジタル至上主義に陥るだとか、迫力追求の為、撮切りを重視するといった変な拘りは捨て去り、デジタルとアナログの高密度な調和に努めるべ きだと思うのです。結局の処、デジタルとアナログが分離しているが為に馴染みが甘くなっているのではないでしょうか?今回の東京SOSにしても前作 のGxMGにしても撮切りの画は非常に弱いです。第一、怪獣の巨大感に乏しいですね。アナログの分野にも積極的にデジタルを絡ませ、デジタルの 分野ではそれを更に昇華させて両者を自然な形で巧く馴染ませることが重要だと思います。これが先に述べたデジタルとアナログの高密度な調和なので す。・・ガメラ3ではそれが出来ていたと思われます。(CGI・デジタル合成のカット数や技術自体はゴジラに及びませんが)

274  Re:CGI・デジタル合成とミニチュアワークについて 殿様ギドラ  2004/02/17 17:39
  男性 41歳 O型 
 おおーっと、ナイスタイミングにびっくりしてます。
私もミニチュアワークがらみのことを書こうと思っていたところでした。

前作もそうだったのかもしれませんが、都心部のミニチュアセットは実際の町並みを再現したものではなかったようですね。
パンフレット付録のCD-ROMを見ていたら、セットの設計図にありものビルを設置することが指定されていました。

製作費、製作期間の問題からそのような処理が必要になってくる事情はわかります。
しかし、それでは、東京のミニチュアとはいえません。

本来なら実際の町を再現できないとなったところで、戦いの舞台を変更すべきはずです。

ミニチュアを使った破壊の美というのは、実体を持った何かが壊れるところにおもしろさがあり、そこがCGIによる破壊とは違うところです。
(CGIの場合は実写よりアニメに近くなる)
ですからミニチュアにこだわって映像作りをするのは間違っていないとは思います。
しかし、ミニチュアとはなにかの縮小モデルというのが本来の姿でしょう。

見たこともない鉄塔が壊れるより、東京タワーが壊れたほうがショックが大きいのはなぜか?
同じことが町並み全体にも言えるはずです。

以前、奥日光へ行ったとき、『キングコング対ゴジラ』で見た景色が目の前に広がっていたことに衝撃を覚えました。
あの作品では中禅寺湖周辺の自然の景観をミニチュアで再現していたのです。

また『ゴジラvsメカゴジラ』に千葉市幕張界隈が登場したときも、「確かに幕張だ!」(千葉に住んでいたことがある)と思いました。
それがミニチュアセットの本来の姿でしょう。
(「vsメカゴジラ」の幕張セットをおもちゃっぽいと評する意見を読んだ覚えがありますが、だって、本物がきわめて人工的で生活感のない無機質な街なので す)

そして、四式戦車(チト車)さんの意見と同じことになります。
映るもの全部をミニチュアで作れないなら、実景との合成を積極的に取り入れるべきではないでしょうか?
もちろん、第一義は実写に見えること。
そう考えれば、ミニチュア破壊の質感やダイナミズム、そして怪獣が芝居するための舞台を大事にしたとしても、必要に応じて合成を使わざるを得ないのでは?

*注・「怪獣が芝居するための舞台」とは、なんでもかんでも合成で処理してしまうと演じるときに対象物が見えなくなり、自然なリアクションが出てこなくな る恐れがあるため、舞台としてのミニチュアセットも必要ではないかという私の持論による。

かつてどこかであまり合成に頼りすぎるのは良くないと書いたことがあります。
それは、合成を重ねすぎると奥行き感が損なわれて平板な画面になることが多かったからです。
合成に見えない自然な処理が出来るなら、合成を否定する理由はありません。

GMMGにおいて、品川に自衛隊が集結する一連のシーンに、
一番奥に建設途中のビルが見え、手前に車両や自衛官が配置されているカットがありました。
これはいくつかの素材を合成しているカットだったはずです。
どうも失敗カットに見えました。
奥行き感を出そうとしたのだと思いますが、背景をぼかしすぎていて小さいものを接写で撮影したような見え方になっていました。
さらにデジタル処理でフィルムの粒子風の荒れをつけたしているようでしたが、これが前後の合成のないカットよりひどく荒れていて不自然でした。

そんな計算をぬかりなく行った合成を見たいものです。(きっと合成だとは気づかないでしょう)

またモスラが中條家の別荘に現れるシーンで、モスラに降り注ぐ雪が大きすぎませんでしたか?
また対象物との距離に対して雪の層が薄すぎませんでしたか?
降りしきる雪の中で遠景を見ているとは思えませんでした。

非常にキツイ言い方になりますが、馴れ合いに陥っていないでしょうか。
特撮はこうやるもんだ、特撮はこんな風に見えるもんだ、という。
(作り手だけでなく見る側も)
いつかどこかの特撮作品で見た光景を再現するのではなく、ストーリーに応じた現実を作り出すために特殊技術を使うのだと考えて欲しいです。

(平成ガメラでの特撮って評価が難しいですね。確かにディティールにこだわった濃密な映像で、見ていて驚きがあります。が、もうひとつムービーとしての流 れが巧くないというか、カットの連続性にあまり気を配っていないような・・・。最近CS放送から録画し直したのでまた見てみようかなー)
 

276  最近のゴジラ映画のミニチュアについて マイク水銀つつ書記長   2004/02/21 14:21
  
 私も最近の作品でのミニチュアについて一言。確かに技術面では昔とは格段に良くなりましたが、さて実際に撮影されたものを見ると昔の作品より もミニチュアを実景に見せる技術は相当落ちてるように思います。「これが特撮なんだ」とかいいながら見せてるのは如何にもスタジオで撮りましたといわん ばっかりの特撮シーン。で、しかもこれにデジタルとかCGIで加工されたポストプロの処理・・・。しかもこれまたいかにもCGIなCGI・・・。何だかそ のどれもが実景に馴染んでおらずどちらかというとアニメを見ている感じなんですよね・・・。「映画のリアリテイ―」を無視したような。
「ラドン」の福岡市街、「モスラ」の渋谷、「ゴジラ」の東京全景、「ゴジラの逆襲」での大阪市街、「地球最大の決戦」でのギドラに破壊される鳥居や東京。 これらはどうだったでしょうか?正に撮りきりの「画」でもきちんと「映画の実景」に見えたではありませんか。「太平洋の嵐」でのミッドウェイや真珠湾のミ ニチュアの見事さ。最初見たときはその空間の広さ、視点(誰から見た視点でのカメラ位置)、ミニチュアを実景に見せるレイアウトの巧みさ。これこそがミニ チュア撮影の基本ではありませんか。つまりは第一に「実景」に見せること。でも最近のはどうもこの点がおろそかになってはいませんか?(それをいうと前作 の「MG」での冒頭のシーンはきちんとしていてちゃんと「実景」に見えました。メーサー車の重量感とかでもその後が・・・。)思うに例えCGIの技術が導 入されていて実景とのデジタル合成がなされていても同じことの繰り返しで「如何にも云々・・・」だと思うのであります。それよりも寧ろもっと基本的なこと から見なおしたほうがいいのではないかと最近思うのであります(そう思ってアンダーソン作品に注目してるのであります。「スーパーカー」からこの点に関し てはあ、いやいや「ト―チー」、「魔法の拳銃」からだった・・・。きちんとしてますよ。無論「サンダーバード」、「スカーレット」、「ステイングレイ」、 「UFO」なんかもですが・・・。如何に空想的なメカやキャラクターをリアルに見せるか。第二次怪獣ブームでの刺激的でその為には基本をおろそかになって も構わないという事は最早通用しません。現在も恐らくそれを引きずっているのでは?)

277  Re:最近のゴジラ映画のミニチュアについて 四式戦車(チト車)   2004/02/21 18:59
  
 どうもこんばんは。マイク水銀つつ書記長さんにお聞き致します。先にも投稿しましたが・・ガメラ三部作について、ゴジラよりデジタルの使 用は遥かに少ないのですがミニチュアワークはしっかりしています。(但し、画面構成が人間の視点からキャメラ位置を主体にして組まれているので画面に空間 の広がりがなく窮屈な感じもします)ミニチュアセット自体は2000以降、ゴジラも精巧に造られ、ガメラにも負けないと思います。では、何故、両者に差が 生じてしまったのでしょうか?・・どうも今回の東京SOSでは撮切りの画に力が感じられないのですよ。又、前作の冒頭ではミニチュアと実物の違和感がなく メーサー車にもそれなりの重量感がありました。それをずっと、最後まで持続すればよいものを後になるにつれ・・だんだん、モチベーションが低下していく のです。これは平成~復活ゴジラシリーズの特徴とも言えます。これらが疑問でなりません。

279  Re:最近のゴジラ映画のミニチュアについて マイク水銀つつ書記長   2004/02/22 22:06
  
 これは私が思うに前半に比べて後半になると怪獣さえ見せれば後はどうでもいいように思うのです。怪獣のバトルのみに気を取られて肝心の「巨大 感」がおろそかに感じます。プロレスにおけるマットのような。つまりは特撮監督がその点をおろそかにすればあの様になるのは当然。(平成ガメラの場合、怪 獣のみならず破壊されるミニチュアのシーンにも気を使ってますよね。どうやら怪獣に過剰な思い入れがある人ほどその他がおろそかになりがちなのです。)無 責任な意見ですけどどうもそうとしか思えなくなってます。

280  Re:最近のゴジラ映画のミニチュアについて 殿様ギドラ  2004/02/23 14:18
  男性 41歳 O型 
 うーむ、興味深いお話ですね。

たしかに、最近作(特に「2000ミレニアム」以降)の冒頭にかなりいい特撮シーンがありながら
フィルムが進むにつれて映像の気合いが抜けていく感じは私も同感です。
『ゴジラ2000ミレニアム』について、さまざまなゴジラ映画のパターンを一本の映画に取り込んでみたという
コメントを読んだ覚えがあります。

あの作品では冒頭の根室が相当良い感じだったのに、同じような密度を感じさせるシーンがその後は出てきません。
「もし日常生活にゴジラが踏み込んだら?」というイメージを見せるシーンは根室でやったから
あとは別のノリでやりましょうということだったかと想像されます。

しかし、それは大間違いです。
一本の作品の中でリアリズムのレベルを統一しないのでは、見る側が混乱してしまいます。

ある特定のシーンで写実的な特撮カットを使い、ドラマも怪獣に直面した人間(群衆)を丁寧に描写したなら
別のシーンでの同様なシチュエーションも同じ姿勢で演出するべきです。
ただし、一度見せたことをそのまま繰り返すべきではないので、見せ方のバリエーションや省略に気を配らなければならないのです。

「2000ミレニアム」を引き合いに出すと、クライマックスでのゴジラ東京上陸には一般市民のリアクションがまるで描かれず、
(いや、なぜか自動車ディーラーのショールームにいる人が出てきますが・・)
無人の街でゴジラとオルガがどったんばったんやることになる。
(それでもミニチュアを実景に見せようという意志は機龍シリーズより感じられた)

どうも映画の基本がおろそかになっているように思えてなりません。
もしゴジラ映画ではなく、大地震の映画だったらどうしますか?
ビルが倒壊したり火災が起こるのは同じです。
その破壊に映像で迫真力を与えるためにはどうしますか?
問題の建物が壊れる様を見せるだけでは迫真的にならないのです。
破壊にも広い意味でのドラマが必要であり、観客に「本物」を感じさせなければ迫力は出ません。

GMMGはどうも怪獣映画ではビルを壊すものだという「お約束」を見せられているようでした。
また怪獣はビル街で戦うものだという「お約束」も。(それは70年代テレビ特撮のお約束ですよ)

それが自然なカメラワークやリアルな照明を阻害していたということはないでしょうか。
作品的には嫌いですが、米版「GODZILLA」はいかにも怪獣映画を知らない人が作ってしまったという感覚にあふれていて、
最初に大イグアナくんが上陸するシーンはお約束を知らないからこその自然な映像で、
怪物の大きさや倒壊する建物の大きさがきちんと感じられました。
そんな基本をもう一度考え直すべきです。

基本に則った演出は最初の「掴み」で使えばそれでいいと思っていないでしょうか。
あとは「お約束」演出・映像を見せておけば、怪獣映画マニアは「安心」して見てくれる、と。
(そんなはずはないと信じたいですが)

マイク水銀つつ書記長さんのおっしゃるように怪獣さえ見せておけばそれでいいだろうというような雰囲気は確かにありますね。
しかし、私はそれを怪獣への思い入れが強いせいだとは思わないです。
真に怪獣に入れ込んでいれば、怪獣の見せ方に関する研究にも抜かりないはず。
機龍シリーズにはオタクっぽさは感じるものの、ゴジラ映画に関する研究の成果を感じることはほとんどないです。
オタクさんたちはデータ収集には熱心ですが、集めた資料を総合して真理を探ることまではしませんから。(大抵は誰かの意見を剽窃してますな)

がはははは。また敵を増やす発言をしてしまった。



278  ゴジラにおけるVFX 四式戦車(チト車)   2004/02/21 19:53
  
 去年、初めて本BBSへ参加させて戴き、ギドラさんはあの時、今作のVFXは前作に比べずっとよいと話して下さり、ガメラ3、GMK、今作を 順位付ければ、今作が一番であるとおっしゃいました。内容は別としてVFXに関しては確かに進歩しているなと感激しました。しかし、2度目を観るとピア ノ線未処理疑惑だとかベタな画でオリジナル性が殆どなかった点に少し遺憾を感じました。冒頭のF-15とモスラの空中戦などはアナログとデジタ ルが高密度に融合し、迫力満点でしたが・・あれもガメラ3の空中戦と同じ趣向ですね。違う点はデジタル技術が向上しているか否かのみ。特に後半の主人 公を機龍が放出するシーンでは某アニメの終わりそのものでした。あそこもアナログとデジタルがよく融合してはいましたが・・。今後、デジタル技 術が発達していく中、ゴジラはミニチュアワーク(アナログ)を効果的に活用し、それを最大限に発揮するには一体、何が必要なのでしょうか?私は現代的な デジタル主義者ですが・・アナログの利点も知っております。つまり、ミニチュアワークは決してなくなりませんし、なければ、真の味は出ないと思うの です。しかし、マイク水銀つつ書記長さんの御指摘でもあるようにミニチュア自体は精巧でもそれを本物に見せる技術は低いと言わざるを得ません。これに最新 鋭のデジタル技術を乗せるのですから両者が調和せずに分離してしまうのは当然です。・・・最後に変な質問でありますが、近年、リターナーとかドラゴン ヘッドなる大作がどんどん日本映画界へ進出しています。ここで、今作と上記二作を比較し、内容は別としてVFX(CGI・デジタル合成)の順位を付け るとすれば・・どうでしょうか?お教え下さい。

281  Re:ゴジラにおけるVFX 殿様ギドラ  2004/02/23 14:30
  男性 41歳 O型 
 どうも貶すために貶していると受け取られかねないのですが、
私も一回目に観たときより2度目3度目の印象が悪くなる一方なんです。

G×MGよりカットの繋がりがずっと良くなっていたために、映画として自然に観ていられたのが大きいかもしれません。
しかし1カットごとの仕上がりにまで気が回るようになると、どうもいけません。

なかなか良いと感じたカットが、うーんいまいちと感じたカットよりずっと少ないのでありまして・・。

それでも総合評価(カットの繋がりも含めたムービーとしての評価)では
G3、GMKと比べた場合、GMMGがトップと言っていいと判断しています。(G3はとにかくひとつのシーンでの特撮カットと本編カットの連携が悪すぎま す)

で、「リターナー」も「ドラゴン・ヘッド」も観ていないんですよ・・。(とほほ)
観る気はあったんですが、万難を排してまで、というほど興味の湧く作品ではなかったんです。(もちろん機会があったら観ますよ)
どなたかご覧になった方のご意見を拝聴したいです。
あ、四式戦車(チト車)さんご自身の評価はいかがでしょう?

283  Re:ゴジラにおけるVFX 四式戦車(チト車)   2004/02/23 16:29
  
 私は三者(東京SOS、リターナー、ドラゴンヘッド)を観まして(VFXのカット数は東京SOS・約500カット、リターナー・270 カット、ドラゴンヘッド・約500カット)総合評価すれば、リターナーが一番バランスがとれていて良かったかな!?と思います。東京SOSでの冒 頭の空中戦や海中でのフルCGIゴジラや品川上陸等、非常に密度の高いVFXへ感激しましたが・・ピアノ線未処理疑惑や撮切り映像の物足りなさといった 点から評価は大分、低下しますし・・ドラゴンヘッドはハリウッド映像を意識してかCGI合成によるマット画を多用し、壮絶なVFXシーンの連続で したが量は多くても質が伴わず、映像に奥行き感がなく、デジタルアニメ的で平坦なものだったと記憶しております。やはり、アナログ(ミニチュアワー ク)が無ければ味は出ないですね。但し、ゴジラのようにミニチュアを本物に見せる技術が乏しければこれも又、問題です。今後の課題は際限なく発達するデ ジタルと古典的なアナログの差を極力なくして、自然かつ高密度な融合を計る事であると思います。このままでは両者の差が開く一方です。それにプラス して御都合主義的内容の改善が要されこれらをクリアしてはじめてゴジラは真の復活を遂げると言えるのではないでしょうか?で、少し、内容的な話をすれば ドラゴンヘッドも東京SOSと同様に場当たり的・・御都合主義的なきらいがあったと思います。無意味な演出も際立ちます。 ギドラさんも今週(金) にレンタル開始ですので是非、ドラゴンヘッドを御覧になられてみては?・・本BBSもひとまず終わりのようですから、最後にギドラさんの三者におけ るVFX評価を拝見できれば光栄な次第であります。

284  Re:ゴジラにおけるVFX 殿様ギドラ  2004/02/24 10:07
  男性 41歳 O型 
 四式戦車(チト車)さん、ありがとうございます。
大変わかりやすい評で、「リターナー」や「ドラゴンヘッド」の映像が想像できました。
(「ジュブナイル」は観ているので、「リターナー」が全体に破綻のない画作りであることは予想していました)
レンタルで鑑賞して週末にはなにか書けるように努力してみますね。


282  あと一週間を切りました 殿様ギドラ  2004/02/23 14:40
  男性 41歳 O型 
 この掲示板の開設期間も残りわずか。
常連の方はご存じだと思いますが、今年初めての方もいらっしゃるので一応閉鎖の段取りをご説明しておきます。

2月いっぱいでまず書き込み禁止にします。
ギドラの巣にログを採録したところで、掲示板を閉じます。
ただしhttp://bbs7.otd.co.jp/gmm/bbs_treeではアクセスできなくなるというだけで
当面は削除まではしないのでotd掲示板リストには残ると思います。

今年は発言数が少なかったけれど、アクセス数は例年より多いぐらいでした。
不思議な現象ですね。

さて、「東京SOS」を踏まえて最後になにを言うべきか、なかなか考えがまとまりませぬ。


285  VFX再考! 四式戦車(チト車)   2004/02/27 00:10
  
 ドラゴンヘッドをレンタルして再見しました。やはり、VFXの多くが平坦で奥行きがなく密度の低いものでした。内容面でもダラダラとした シーンが続き、登場人物はギャーギャー奇声ばかりあげるので改めて、イライラした次第であります。これといった迫力のあるシーンもありません。それか ら比べると東京SOSのVFXは密度が非常に高かったと思います。それなりに迫力のあるシ-ンもありましたし。これは私の独断と偏見ですが・・CGI・ デジタル合成の質のみで言ったら東京SOSが三者の中で一番かな?と。リターナーも再見しました。VFXは画に破綻がなく安定かつハリウッド調でと ても良かったです。又、私なりに考えた末、総合評価すればリターナー・東京SOS・ドラゴンヘッドの順になるかと・・。東京SOSはもっとミニチュアワー クを昇華させ、ピアノ線疑惑さえ無ければ間違いなく映像面では日本最高の出来だったと確信しています。・・・最後にギドラさんへもう一つお聞きしますが G3の空中戦と東京SOSの空中戦はどちらが迫力・VFXの密度共にレベルが高かったと思いますか?これと三者のVFX評価とを併せて、御意見を戴けれ ばこれ以上の喜びはありません。

287  Re:VFX再考! 殿様ギドラ  2004/02/27 17:45
  男性 41歳 O型 
 『リターナー』DVDの鑑賞は完了しています。
『ドラゴンヘッド』はさすがに新作ということで、DVDはレンタルできず、しょうがないのでテープ版を借りることが出来ました。
明日には書けると思います。

G3、東京SOSそれぞれの空中戦については、
シチュエーションは似ていても、作品全体の中で占める役割が違っているので比較は難しい面があります。
戦闘の緊張感はG3のほうがうまく出せていたと思いますが、
なにか細切れで一続きの動きをカット割りしたようには感じられなかったように覚えています。
そしてG3は画質が実写よりアニメに近く、(すべてではないけれど)空中戦のカットだけが浮いているような印象でした。
と、いうわけで総合すると東京SOSのほうが良くまとまっていたと思いますよ。(イリスの実在感よりモスラの実在感のほうが圧倒的である)


286  いまさらながらですが エクセルシオール   2004/02/27 12:57
  男性 24歳 A型 
  いまさらながらとも思いますが、昨年から抱いていた疑問について述べます。本作および前作におけるメカゴジラは、初代ゴジラの骨を使って作 られたという設定ですが、私はその設定に「おいおい」と思いました。たしか1954年の『ゴジラ』において、オキシジェンデストロイヤーをくらった初代ゴ ジラは「骨も残さず」溶けてしまったはず、なんで骨が残っているのか困惑しました。なにも初代ゴジラを持ち出してこなくても、普通にメカゴジラを作ったで よかったと思います。これは限度を超えた不整合だと思うのですが・・・。

 今のいわゆるミレニアムシリーズは、全て54年の『ゴジラ』の独立した続編という形式をとっていますが、肝心の初代ゴジラに悪影響がでるような展開にす るのは間違っていると思います。スタッフは誰か問題に気が付かなかったのでしょうか。ゴジラには長い伝統があります。「なんでもあり」は好ましくありませ ん。初代「ゴジラ」との最低限の整合性は保ってほしいです。


 なお、実はGMKでも同じような疑問にぶち当たった事があります。この作品では本当は芹沢博士がオキシジェンデストロイヤーでゴジラを倒したのに、防衛 軍が倒したことにされていました。つまり防衛軍は芹沢博士の功績を横取りしたわけで、それだけでも十分にひどい話です。しかし、よく考えれば芹沢博士がゴ ジラを倒したことは、山根博士を含めた多くの人が知っていたはず(アナウンサーが全国中継してました)、どうやって彼らの口をふさいだのでしょう?それを 考えるとなんか嫌な気分になりました。

288  Re:いまさらながらですが 殿様ギドラ  2004/02/27 17:55
  男性 41歳 O型 
 そりゃもう、昨年のG×MG掲示板でさんざん叩いたんですよ。
初代ゴジラの骨問題。

ストーリー上の整合性の問題と同時に、先達の作品世界を引き継ぐとはどういうことかという製作上の精神性の問題もはらんでいるはずです。

結局、世間一般では『ゴジラ』(54)が傑作であるということが定説になっているのでその続編だという「看板」を掲げているだけに見えます。
中身をちゃんと引き継いでいないのに、同じシリーズだと言うのは変ですよ。

機龍シリーズ2部作を総合すると、私も初代ゴジラの骨を持ち出す必要があったとは思えません。
初代ゴジラの骨なしでも同じ内容を伝えることはできます。
(機龍って、その描写を見る限り初代ゴジラではないですし)


289  真の特撮映画を見たいなぁ、という気分になった 殿様ギドラ  2004/02/28 14:17
  男性 41歳 O型 
 『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOS』と『リターナー』『ドラゴンヘッド』のVFX比較に入ります。

最初に用語その他のお断り書きを・・。
「東京SOS」は最後に観てからそれなりに時間が経過しているので、記憶が曖昧になっている部分があります。
また、『ドラゴンヘッド』はレンタルDVDが出払っていたため、やむなくレンタルVHSで鑑賞しました。
そのため相当画質が悪い状態で観ています。
文中にリアリティという言葉を使いますが、これは現実に起こりうるかどうかという意味ではなく、
劇中の出来事にどれだけ実在感を持たせるかという意味で使います。
また映画の映像というのはストーリーから完全に切り離すことは出来ませんので、VFX比較というお題ではありますが、ストーリーに関わる話もしています。
それから、「特撮」と「VFX」という用語は、感覚的には別の技術を指すような気もしますが通常の撮影では得られない映像を作る技術という意味で同義とし て使っています。

『リターナー』全般。
この作品は、まずデジタルありきで発想しているように思いました。
極力造形物(ミニチュアなど)を使わずまずはCGI。
どうしてもCGでは描けない部分に支援的に造形物を使っているようです。
そのため造形物の質感をCG側に近づけようとする意図を感じました。
合成は緻密に丁寧に行っているので、合成素材同士の融合はうまくいっていたと思います。
しかし、異星人やそのメカに実在感がない。
現在のCGIでは固さや重さを感じさせるのは難しいです。
肉体の重さ、機械の重さ固さを映像から感じられないために、「まさにそこに存在する」という感覚を作り出せていないのです。
また爆破された研究所(壊れた部分を実写に合成している)や未来世界の廃墟になった都市もCGIで表現されていて、これもリアリティに乏しい。
こりゃいかん、と思ったのですが・・・。

ストーリーおよび登場人物にリアリティが足りないので、作品が要求する基準を満たした映像だったのかもしれないと気づきました。
たとえば、キーになる異星人がどんな存在なのかといった部分はストーリー上切り捨てられていますから、そこに実在感がなくても
『リターナー』という作品の中核を揺るがすことはないと製作陣は考えたのかもしれません。
観客に見せる気のない部分は軽く済ませるのが基本ですから、画作りとしては正解なのか?な?
しかし、たとえ作品の核が人間同士の交流や銃撃戦を見せることでも、そんなシーンにリアリティを作り出すには周辺の事物にリアリティがないとまずいはず。
この作品、3作の中ではもっとも空想度の低いストーリーなのに、それに見合ったリアリティがありません。
比較的にリアリティを感じたのは、青年と少女の交流における感情の流れでしょうか。
ミヤモトとミリが仲良くなっていく様子だけ見せれば作り手の気が済んだんじゃないかと感じました。
ならばSF風味も裏社会ネタも無用ですよ。←特撮など要らない。

『ドラゴンヘッド』全般。
これは映像を評価するのが難しい作品ですね。
空想にリアリティを持たせたいのか、空想のまま悪夢として見せたかったのか判然としません。
そのため実在感のない映像が正解なのか、欠陥なのか判断できないのです。
ストーリーから離れて絵柄だけのことを言えば、写真より絵画に近く多分に記号的でした。
奥行き感が足りず、書き割りのような印象の合成カットが多かったです。
問題はそれがまずいのかどうか。
行き当たりばったりに進むストーリーから考えれば、「夢の論理」でことが進む作品であるとも考えられるので地に足のつかない映像で正解です。
しかし、部分的に主人公の生活感を出そうとしたり精神的成長を盛り込んだりしようともしています。
そうなると幻想的なだけではだめなんですよねぇ。
VFXではありませんが、本編セットには気合いが入ってましたね。
冒頭のトンネルと新幹線をフルスケールのセットで表現していたのには驚きました。
まーしかし、そのセットで延々何十分もごたごたやるとは思いませんでしたが。

ということで、GMMGとの比較です。
上記二作とGMMGは全く性質の違う映画なので、どっちが上と決めるのは非常に難しいです。
今回取り上げている3作はどれも多数の特撮カットを使った作品ではあります。
しかし、GMMGでは特撮が見せ場となるシーンが多いのに対し、
『リターナー』『ドラゴンヘッド』は特撮が主役になっているシーンがきわめて少ない。
皆無とは言わないけれど、作品全体のピークが特撮シーンにはないことは断言できます。

特撮映像に破綻を来すことが少ない順は『リターナー』『ドラゴンヘッド』『東京SOS』となり、(やはりミニチュアがオモチャに見えてしまうカットがある のは痛い)
特撮映像から広い意味での感動を受ける順は『東京SOS』『ドラゴンヘッド』『リターナー』となりました。
(爆発・倒壊といったテンションの高い映像は実体のある造形物を使ったほうが効果的である。また、『ドラゴンヘッド』『リターナー』には怪獣を超えるほど の驚異を感じさせる映像はない)
特撮が良かったかどうかを語るには、目指した映像をどれだけ正確に作り出したかと同時にどんな映像を目指したかという点も重視すべきです。
そういう点では、『リターナー』の特撮映像にはさほど見るべき点がありませんでした。
技術的に精確でも「何を描いたか」という最重要課題が落第です。
(ラストの飛行機が変形するシーンに劇的効果はまるでありません。CGIを使えばこんなことが出来ますよ、というショーケースレベルである)
作品全体としては『ドラゴンヘッド』はどうしようもなくつまらない映画ではありましたけれど、火山弾による破壊をある程度はっきり描写したあたりは評価し ます。
(しかしまー、もっともスペクタキュラーに見せるべきだった噴火による造山シーンをまったく投げやりに大まかに見せるだけで悲しくなりました)

またデジタルとアナログの融合(CGIと造形物の融合という言い方でもいいかも)をうまく処理していた順は、
『東京SOS』が一番でしょう。『リターナー』と『ドラゴンヘッド』は同点か?←デジタルに偏りすぎ
とはいえ、GMMGが素晴らしかったと言いたいのではありません。
まだまだですぞ!

290  Re:真の特撮映画を見たいなぁ、という気分になった 四式戦車(チト車)   2004/02/28 15:12
  
 本BBS最後の節目にギドラさんの実に密度の高い御考察を拝見でき、感動しております。私も全く同感であります。50周年記念作が公開される かは定かではありませんが・・その時、又、本BBSに足を踏み入れたいと思います。その時は何分、宜しくお願い致します。・・又々、つまらぬお話ですが、 私は2000のミニチュアワークは中々、良かったなぁと思うのですが回を重ねるごとに悪化の一途を辿るように思えてならないのです。確かにGxMは例外と してミニチュア自体の精度は良いのですが・・それを本物に見せる技術が低下・・あるいは、おざなりにされているように感じました。それはCGI・デジ タル合成技術の向上に起因!?・・・仮に50周年記念作の公開が決し、予算も大幅に増加されるとして、(映像の観点から)ミニチュアワークが改善されるで しょうか?VFXは間違いなく東京SOSを超えるでしょうが・・ミニチュアワークの改善がなければ、デジタルとアナログは更に差が開いてしまい観客 に映像の感動を与えなくなると思います。ロードオブザリングが何故、人々に感動を与えたか、それは内容もさりながら、デジタルとアナログが 高密度に融合していたからです。日本ではハリウッドのようにはなりませんが・・アイディア如何で何とでも出来る筈。日本の製作陣は少々、柔軟な発想に 乏しいと思います。私もデジタルとアナログが高密度に融合した真の特撮映画というものを見たいと切実に思う次第であります。

291  Re:真の特撮映画を見たいなぁ、という気分になった 殿様ギドラ  2004/02/28 20:18
  男性 41歳 O型 
 四式戦車(チト車)さん、最後までお付き合いいただきまして感謝いたします。

円谷監督の時代でも、ハリウッドの大作映画に比べれば東宝特撮は低予算であり短期間で製作されていました。
それでも世界の映画人から円谷特撮は高く評価されていました。
それは金や時間に左右されない部分に円谷特撮の優れたところがあったからでしょう。
(カメラワークや編集を含めた演出でありましょう)
そのお手本作品を直接継承するべきゴジラ映画には本当にがんばって欲しいのです。

50周年記念作がどうなるのかさっぱりわかりませんが、公開された暁には再び特設掲示板を作ります。
そのときは是非またいらしてください。

・・・明日の特撮のために

295  Re:真の特撮映画を見たいなぁ、という気分になった だがや   2004/03/01 01:44
  男性 44歳 O型 
 「リターナー」はレンタルビデオで見ました。
一言で言えば「マトリックス」のようなアクションをやりたかったので「ターミネータ」の設定をパクリました、と言った印象でした。
銃撃戦だけ力を入れて、ミヤモトとミリの交流を描ければそれで良いやといった感じ。
樹木希林や岸谷吾朗がせっかく熱演していたのに設定自体が薄っぺらなのでもったいない限りです。
金城武も黙って立っていれば甘いマスクのいい男なんですがねえ(笑)。

前に言ったことの繰り返しになりますが、「お気に入りのシーンを再現したい」といった同人誌的二次創作物はそのシーンだけを作りこむのに精力を傾けて他が お座なりになりやすい。
そうした独りよがりな作品作りはアマチュアのやることでプロの仕事ではないですね。
 先回のGxMGでも、MGがゴジラ似の形態をしている理由を「ゴジラの骨で作られている」という設定を思いついたからそれだけで映画を作ってしまったと いう印象がありました。
 東京SOSでは「先回の設定でモスラを出演させて客を呼ぼう。それならゴジラ対モスラのリメイク路線で」と言った感じかな?

> 50周年記念作がどうなるのかさっぱりわかりませんが、公開された暁には再び特設掲示板を作ります。
> そのときは是非またいらしてください。

そのときはまた遊びに来させていただきます。
殿様ゴジラさん他の皆さんにいろいろ教えていただきありがとうございました。

> ・・・明日の特撮のために

明日の特撮のために!


292  ごあいさつ 殿様ギドラ  2004/02/29 14:53
  男性 41歳 O型 
 4ヶ月にわたって運営してきた当掲示板も今日でおしまいです。
今夜の零時に終了したいところですが、私のスケジュールの都合で零時ちょうどに閉めることが出来ないので、明日の午後までは書き込みも出来るでしょう。
「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ東京SOSを語る」掲示板はこれで終了ですが、映画・映像作品に関する話題は引き続き映像作品掲示板で取り上げていきますの で、ゴジラの話をやめてしまうわけではありません。
映像作品掲示板
http://bbs3.otd.co.jp/eizou/bbs_tree

GMMGを十分に楽しんだ方がいらっしゃることもわかります。
怪獣映画の表層(巨大生物がビルを壊したり、兵器相手に戦闘する)には普遍的なおもしろさがあるはずです。
「筋」を問わずに表層だけを見ることで楽しめる映画ではあったのでしょう。
しかしそれは、もともとのゴジラ映画のあり方ではないし、もっと広げて日本怪獣映画の本来の姿でもないはずです。

「筋」を通しても怪獣映画の表層が阻害されることはありません。
どうか安易な道に流されず、深みを持った怪獣映画を創造してほしい。
その深みとはストーリーだけでなく映像も含みます。

東宝webサイトによると、ゴジラ50周年記念作品は今年ではなく来年のラインナップに入っているようです。
年末公開だと2005年の正月映画という扱いになることもあるのでは、と思いましたが、GMMGは2003年の作品ということになっているので、現状では 50周年記念作は2005年に公開されると判断していいようです。
2004年に無理矢理間に合わせるより、来年公開でいいですから良い作品を作って欲しいです。
昨年12月の時点では2月には何らかの発表をするということでしたが、まだ何の動きもないようですね。
これを、じっくり企画を練っているからだと受け取りたいです。

また今年の春には全米で日本国内版の『ゴジラ』(54)を上映する計画があるとのことです。
いっそ日本国内でも上映すればいいんじゃないでしょうか。
カラー化はしなくてもいいですから、傷その他の劣化を補修したニュープリントでリバイバルするべきです。
ゴジラの原点を見直す機会が必要だし、第一作に貼り付いた通り一遍のレッテルを剥がすことにもなるでしょう。
ゴジラが有名怪獣でも、『ゴジラ』をきちんと見ている人はまだまだ少ないのではないでしょうか。

ああ、しかし、GMMGの興行成績が悪かったことで次回作が棚上げになってしまう可能性もあるのですね。
それもまたやむなしか。
映画は慈善事業ではないですから・・。

最後になりましたが、当掲示板に参加してくださったすべての方に厚く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
ご投稿くださった方はもちろん、お読みいただいた方にも感謝いたします。

では、この書き込みを私の最後の投稿とさせていただきます。
明日の特撮のために!!

293  Re:ごあいさつ ほりぴー   2004/02/29 18:11
  男性 48歳 A型 
 殿様ギドラ様
お疲れ様でした。そしてありがとうございました。

本日DVD「妖星ゴラス」を見ていました。
私は公開当時には分からなかった芳醇なイマジネーションと
円谷特撮の真骨頂に改めて居住まいを正す思いがしました。

また語り合いましょう、明日の特撮のために!!

294  お疲れ様でした。 WARASI   2004/02/29 22:15
  男性 44歳 O型 
 ども、お疲れ様でした。私は、自分のHP作りの方にシフトしてましたので、あまり参加しませんでしたが、皆様の熱意には、感心、勉強させられ ました。私個人的な考えとしては、特撮映画は特撮のためのそれになってはいけないと思っています。「ドラゴンヘッド」もレンタルDVDで観ましたが、その 猛たる物であると思います。(特に最初の40分位は、劇場で観た方はよく耐えられた、、、といた内容でした。)SFXはその作品の内容をフォローするもの であって、それ以上でもそれ以下でもいけないと思います。最近の作品はSFXだけが先走りしてしまっている作品が多く、観てると非常に疲れます。
過去の名作群は、本編と特撮の融合に心血を注いでいる面が多い事が、DVD等できちんと見直して見ると良くわかります。
それは、技術的な事ではなく、それが稚拙であっても取り組む姿勢が、かなり違う様に思うのです。たとえば、「モスラ」!はでなビル破壊よりも、かえって、 小さな民家や畑等のディテールに目を凝らせば、その汚れ方、古び方、質感などまさに驚異的な職人技である事に気づきます。
今のやたら簡単にデジタル合成して済んでしまう作品達を、将来、見直して、これだけの感動が受けられるのでしょうか?
と、小言を言っていたらキリがありませんので、とにかく、古くからの特撮ファンとしては、なんやかんや言ってもできるだけ良い作品にめぐり合う事を夢見 て、これからもマッタリと模索していく毎日でしょう。
また機会ありましたら、参加させていただきます。また、宜しくお願い致します。


296  閉めました 殿様ギドラ   2004/03/01 13:37
  
 レスをいただいたみなさんにお返事を

>ほりぴーさん
『妖星ゴラス』は素晴らしい作品でしたね。
(私はDVDを予約していたに、ショップの手違いかなにかで未だ入荷せず)
無理矢理怪獣を出せと言われたにもかかわらず、ストーリーに溶け込ませる努力をした上で登場させています。
(ジェットパイプの工期が遅れたら大変なことになる、という状況に呼応している)
登場怪獣を指定されたことを言い訳に使うような後ろ向きの発想ではない。
そしてゴラス接近による潮汐力で海水面が上昇することなどを見事に映像で表現する「科学的な特撮シーン」に感激です。
円谷特撮映画を継ぐ作家が現れるのはいつになるのでしょう・・・。

>WARASIさん
特撮映画も劇映画である以上、まずドラマありきでなければなりませんよね。
そして特撮使用映画ではなく、特撮映画と呼べる作品は特撮を使わなければ描けない驚異の物語であるべきです。
山場が特撮シーンにあり、かつそこに至るストーリーに説得力があるもの。
そんな映画を再び新作映画で見たいと切望しています。

>だがやさん
わかります。わかります。
商業映画なのに、アマチュア根性で作ってしまった映画のなんと多いことか。
表現者としてちゃんと自立したプロの映画を見たいです。
創作とは何かという問題を突き詰めて考えていれば、安易な模倣は出来ません。(最近はオマージュという言葉で正当化する風潮がありますね。そのほとんどが パクリでしかないのに)
また、先人の作り上げたシリーズ作品を引き継ぐときには自分勝手な改変など出来るはずがないです。
オリジナリティを出すのだ、と言えば聞こえは良いですが、ゴジラを使うということは主役に関して己のオリジナリティを発揮するわけにはいかないことに気が 付くはず。
さらにシリーズのアイデンティティは何かという問題も考え抜いた上で仕事に取りかからなければならないはず。

それではみなさま、また会う日まで!
(映像作品掲示板はいつもやってます)




戻る