ヴィドライーター

 

                         津川 康

 

   プロローグ

 

 木星遊覧船ジュピター三世は地球への帰路、火星軌道を横切ろうとしているところだった。

 二十一世紀半ばの慣性制御装置の発明によって、きわめて高速な惑星間移動が実現していた。それは同時に太陽系 の資源開発も促進し、宇宙旅行のコストダウンに寄与することにもなったのである。

 とはいえ木星旅行が二・三日で終わるはずもなく、ジュピター三世に乗っているのは有閑階級の者ばかりであっ た。

 いま乗客の多くは中央ホールに集合していた。地球から送られてくるマックスウェル号の発進セレモニーを見るた めである。

「生中継ではありますが、当ジュピター三世はいまだ地球から数億キロも離れておりますので、タイムラグが三十分 ほどございます」

 船長の田村も正装して大スクリーンの横に浮かび、司会の真似事をさせられていた。地球からの放送はいつものフ ライトでも受信しているが、こんなに盛り上がって乗客みんなで見るようなことはしない。しかし、マツカゼグループの総帥が乗り込んでいては、パー ティー好きの金持ちたちが黙っているわけがない。

「あら、船長。いまは火星の軌道あたりなんでしょ。タイムラグが三十分って、かかり過ぎじゃありません?」

 このパーティーの発起人、綾部夫人が目線だけ田村のほうへ向けた。

「おお、奥さま、いいご質問ですね」と受けながら、田村は心の顔をしかめた。

 この大スクリーンはさっきまで、惑星の位置関係とジュピター三世の現在位置をグラフィック表示してたんだが な。見てなかったんだろうが、いちいちうるさい客だ。

「この時期、木星は太陽を挟んで地球とは反対側にあるのです。その木星から帰ってきたわれわれは、火星軌道の地 球から最も遠いあたりにさしかかっているわけです」

 とりあえず笑顔は崩さずに説明したものの、田村が言い終わるまえに綾部夫人は興味を失って、隣の若者に声をか けていた。

 船長の悲しみとも怒りともつかない表情を遠目にして、松田洋平は手にしたカクテルパックで口元を隠した。船長 を笑いものにするのは忍びなかったのである。

 それにしても…

 と、洋平はスクリーンに映し出されたマックスウェル号を人々の頭越しにじっと見つめた。

 とうとう実現するのだ。役員会を説得するのにも骨が折れたが、なによりマックスウェル号の建造にかかった費用 が馬鹿にならん。いくら世界的に企業の文化活動が奨励されているとはいえ、何の役にも立たない金星有人探検にあれほどの資金を費やすとは、松ジジイが ボケたといわれても仕方ないだろう。しかし、無人探査では意味がないのだ。すべてが計算され尽くし、危険などどこにもなくなった現代に冒険を復活させ てやるのだ。

 スクリーンではマックスウェル号が、地球の軌道ドックからゆっくりと離れ、カメラの前でターンしていた。これ は放送上の演出である。船体に施されたさまざまなスポンサー企業のマーキングをよく見せるためである。洋平としてはマツカゼグループ一社提供のイベン トにしたかったのだが、資金不足を解消するためには複数社の相乗りはやむをえなかった。

 まあ、メインカラーは我がマツカゼの緑と青だから宣伝効果は十分だろう。ふふ、こんなカラフルな宇宙船はほか にあるまい…。宇宙のフォーミュラワン・マシーンだな。

 洋平は若いころ、というより子供のころテレビで見たことのある自動車レースを思い出していた。そのF‐1も 2020年ごろには廃止されてしまった。F‐1だけではない、すべてのモータースポーツや格闘技など危険とみなされるものは、二十一世紀後半には人々 の目に触れることはなくなっていた。

 磁力靴をうまく扱って地上のように歩きながら、綾部夫人が洋平のもとに近づいてきた。

「主役がそんな後ろのほうにいては困りますわ」

 この御婦人、どういう魂胆かマツカゼグループ総帥に取り入るつもりらしい。胸の大きく開いたドレスを意識し て、洋平の正面にまわると両手を肩にかけた。洋平が綾部夫人の顔を見下ろすと、同時に胸の谷間が目に入る寸法である。

「いや、わたしは目立つのが嫌いでしてね。本当ならいまも地球にいてマックスウェル号の発進に立ち会うべきとこ ろを、この船に乗って逃げ出したようなわけで…」

 洋平はすでに九十代の半ばを過ぎていたが、前世紀の五十代男性ぐらいの体力は持ち合わせていた。まあ、現役と いうことである。

 さて、誘いに乗ったものかどうか、と考えてパックからカクテルを一口すすったところに邪魔が入った。

「おじいちゃん、遅くなってごめん」

 孫娘の瑠奈(るな)がホールに入ってきた。「松田老人」はいろいろと無茶をする癖があったので、木星への旅に あたって一族がお目付け役として派遣したのが、瑠奈であった。

「あら綾部さん、すみませんね。おじいちゃんのお守りをしていただいちゃったかしら?」

 瑠奈は綾部夫人を牽制しつつ二人の間に割って入った。

「いいえ、とんでもない。わたくしは松田さんがすみっこで遠慮してらっしゃるようだったので引っ張り出しに来た だけですのよ」

 ほっほっほ、と笑いながら夫人は去っていった。これまでもさんざん瑠奈に邪魔されていたので悪あがきはしない という感じである。

「瑠奈、あまり年寄り扱いするな。わたしがあの御婦人とどんな関係になろうとお前には関係ないだろう」

 洋平はさほど立腹していたわけではないが、憤慨するふりをしていた。孫に甘えていることになるかな…、と思い つつ。

「あの女ちょっと怪しいよ。資産家だって言うけど、貴族じゃあるまいし仕事もしないで遊びまわれるなんてね。歳 もいくつかわかったもんじゃないわ。ひょっとしたらおじいちゃんより年上かもね」

 瑠奈は洋平の耳元で囁くと、手を取って歩き出した。

「さ、もっと前へ行って見ましょ」今度は周りに聞こえるような声だ。

 洋平は奇妙な気分に満たされた。もう何十年も前、女房が生きていて二人ともまだ若かったころを思い出した。

 隔世遺伝というやつかな。瑠奈はだんだんあいつに似てきたような気がする。

 スクリーンではマックスウェル号の船内の様子が映し出されていた。

「…おおむね半月後に地球と金星は内合、つまり金星が最も地球に近づくのです。そのタイミングを狙って、そして 人類ではじめて金星の大地に足を踏み入れるのは、この五人だ」

 気張ったナレーションに紹介されて五人の男女が映し出された。彼らは科学者ではない。科学調査が目的であれ ば、無人探査機でことは足りるのだ。洋平は五人の姿を目にして、満足そうに微笑んだ。彼らに求められているのは、金星の地表を眺め、歩き、人間が何を 感じ何をするのかを世界の人々に伝えることなのだ。公募で選ばれ、訓練を積んだ彼らは、マックスウェル号のミッションから「タレント」という職業に就 くことになる。うまく行けば金星から帰ったあとも人々の人気を得て、テレビやネットで活躍することもできるだろう。

 瑠奈に引きずられるようにホール中央へ出ていった洋平に人々は軽く会釈したり、ドリンクパックを持ち上げて微 笑んだりしてくれた。松田老がこの計画にいかに情熱を燃やしたかは周知のことであり、木星見物に出かけようなどという物見高い人々にとっては金星探検 も興味を引かれるイベントであったから、洋平は少なからず尊敬のまなざしで見られていたのだ。

 カメラは再びマックスウェル号の外観に切り替わった。全体のシルエットは細長い紡錘型をしており、後方にはエ ンジンの反応炉とプラズマ反射板が突き出している。本体は慣性制御フィールドに包まれるが、噴射による反動を減じないためにエンジン部だけはフィール ドの外に出るようになっている。全長は二〇〇メートルほどだろう。本体中央部には二機の着陸艇グラ号とシフ号が嵌め込まれている。

「おじいちゃん。マックスウェルのクルーは、……大丈夫だよね」

 瑠奈の声がひどく真剣だったので、洋平は思わず孫の顔を見た。

「グラもシフも過酷な耐圧耐熱試験をクリアしたんだ。万が一にも事故が起きる危険はない。…お前なんでそんなに 心配するんだ?」

「えっ」瑠奈はひどく慌てた様子で、明るい調子を装った。

「危険がないんじゃ、おじいちゃんがいつも言ってる、人類に冒険を取り戻させるっていう役には立たないんじゃな いのお」

 スクリーンのマックスウェル号に目を戻した孫娘に、洋平は開きかけた口を閉じた。その時、誰も気にするものは いなかったが、スクリーン横に浮かぶ船長に一人の船員が耳打ちしていた。

 一瞬顔色を変えた田村は、その船員とともにスクリーンから離れて壁伝いに出口へ向かった。宇宙船乗りらしい素 早い動作で磁力靴を使うことなくホールをあとにした田村たちは、操縦室へ向かうエレベーターに乗り込んだ。

「状況を報告しろ」という田村の問いに若い船員はまともに答えることができなかった。

「だめですだめです。あと…一分。間に合いません。困りました困りました」

 田村は大きく息を吸い込んで、部下を怒鳴ることをやめ、同時に自分の中の恐怖を押さえつけた。

 ホールにいた田村が聞かされたのは、「未知の天体が衝突コースで本船に向かっています」ということだった。

 操縦室は騒然としていた。田村が入っていっても副長以下顔を上げる者もいない。

「慣性制御フィールド励起間に合いません」「主エンジンスタンバイOK」

 逃げられないか…。しかし何かできるはずだ。何をすべきなんだ。

「副長、どうなっている?」

 船長の問いに、さすがに副長は冷静に答えた。

「ジュピター三世の後方、海蛇座方向より直径五〇〇メートルの隕石状の物体が相対速度秒速四〇〇キロで接近中。 八十秒以内に衝突の可能性があります」

「なぜもっとはやく探知できなかった?」

 それにはレーダー係が答えた。意を決するように席を立って船長の目をまっすぐ見る。

「突然現れたのです。現れたときにはすでに現在のベクトルを持っていました」

 田村は身振りで席につけと命じ、副長に向き直った。

「対応は?」

「姿勢制御エンジンを使いながら主エンジンで軌道を変えるのが精一杯です。その作業は実行中ですが、慣性制御 フィールドが展開されていないので、加速度は微々たるものです」

「ぶつかるか?」

「恐らく」

 田村は再び深呼吸をして操縦室を見まわした。パイロットたちがコンピュータとやり取りしながら最良の回避コー スを探っているが、いずれにしても推力が足りない。

「客室区に警報を鳴らせ。客室区緩衝バブル噴射、隔壁閉じろ。主エンジン全開」

 この状態では主エンジンの力でも0.01Gの加速がやっとである。さらに船体の向きが十分変わっていないの で、後方から近づく物体に対しての回避行動としてはまったく不充分だ。

 田村は、豪華客船の船長になったことを呪った。鉱物資源を運ぶ輸送船なら、慣性制御フィールドが無くても積荷 を切り離しさえすれば10Gは出せる。それならこのタイミングでも楽に逃げられるのだが…。

「あと三十秒」

 主任パイロットは不正確な言い方をした。「衝突まで」とは言えなかったのである。

「地球に向けて、物体のデータを送っておけ」

 田村は船長席にベルトで体を固定しながら、通信士に最後の指示を出した。

 レーダースクリーンに映るその物体は、まだ光の点にしか過ぎない。しかし、一秒に四〇〇キロというスピードで こちらに近づいているのだ。

 あの大きさで、質量がほんの五グラム、なんてことはないよな。

 操縦室は静まり返った。歯を食いしばってレーダースクリーンを見つめる者や、手を合わせてなにかに祈っている 者もいる。田村の耳には自分の呼吸音だけがうるさく聞こえていた。

 ジュピター三世の後方に向けられた光学モニター画面にきらりと光るものが映った。次の瞬間、モニター画面が 真っ暗になり、再び何事もなかったかのように星空が映し出された。オレンジ色にぼんやり光っているのは木星だ。

 ジュピター三世のクルーたちは、息を殺したまま互いに顔を見合わせた。

「躱(かわ)しました」

 半信半疑という面持ちでパイロットの一人がぽつりと言った。

「いや、躱されたんだ。やつは、本船の手前八〇キロあたりから減速して、五〇メートルまで近づいたところで旋回 している」

 レーダー記録を調べながら先ほどのレーダー係が呆けたような声を出した。

「奴は今どこにいる?」

 考え込む田村をそのままに、副長が尋ねた。

「奴は…。本船を追い越して、…わずかに向きを変えています。わし座方向に、すでに八〇〇〇キロ離れています。 再び加速したようです」

「光学映像記録は出るか?」

 田村の声で正面のメインスクリーンに後方カメラの映像が映し出された。

 物体の反射光が認められてから、それが画面を覆い尽くしジュピター三世をかすめて飛び去るまでがスローモー ションで何度も再生された。

「色はグレー。岩の塊という感じですね」

 副長のいう通り、特に変わったところのない岩塊である。推進ジェットのガスも見えない。その航跡にイオン反応 もない。一体どうやって加減速を行ったのか。

「われわれは宇宙に化かされたのかもしれんな。しかし、報告はしないわけにいかんだろう」

 田村がベルトを緩めたとき、天井の呼び出しランプが明滅した。客室区からのものである。

「船長、どうなっているんですの? 説明してくださらない?」

 スピーカーから綾部夫人のヒステリックな声が響き渡った。

 客室区中央ホールでは悲惨なことになっていた。警報とともに緩衝バブルが室内を満たし乗客を「保護」したかと 思うと、今度はそれが水で洗い流されて全員びしょぬれになってしまったのである。これはホールに限ったことではなく、客室や廊下も同じ目に会っていた のだが、もっとも早く反応したのが綾部夫人だったのだ。

 松田洋平は孫の瑠奈に支えられながら、なんとか磁力靴を床に貼り付けなおした。

「なにかGが懸かっている気がしたのだが、うう、それほどおおごとではなかったようだな。もういい、大丈夫だ」

 圧力をかけた水の噴射と、それを排出するための激しい空気の入れ替えで服も髪も乱れ放題に乱れている。マック スウェル号の発進を見るために集まった人々は、口々に不満や驚きを表明しながら無重量状態で体勢を立て直していた。泡のかけらや水滴がまだ空中を漂っ ている。

 大スクリーンでは、マックスウェル号が地球を背景にプラズマ反射板を広げようとしているところである。

「さあ、いよいよ発進のときが迫ってまいりました。時は二〇九八年九月一九日であります。…」

 ジュピター三世のアンテナは忠実に地球からの電波を受信していた。

 

 その後、ジュピター三世の船長と副長は客たちへの謝罪と説明に忙殺されることになった。そしてジュピター三世 とニアミスを起こした物体は忽然と姿を消し、ほかの宇宙船や天文台にも発見されることがなかった。

 どうにも納得できないレーダー係は、物体の光学記録を何度も見なおしていたが、そのうちおかしな錯覚にとらわ れるようになった。何度見ても、物体の中央付近に一対の目玉があるように見えてならないのである。

 

          第一部

 

   1.マックスウェル号

 

「平田よ、お前、松田のじいさんに会ったことあるか?」

 斉藤ディレクターは大あくびをしていた。金星に着くまではヒマでしょうがないのだ。

「いや、会ったことはないですね。でも、ずいぶんメディアに登場してるから、親近感はありますよ」

 平田三十郎は読んでいた台本から目を上げた。平田は、この金星行きではじめて2Dカメラに挑戦するのだ。3D 記録であれば、どの方向から見るか、どの部分を見るかはユーザーの操作次第だが、2Dとなると送り手の演出で映像を切り取らなければならない。3Dの ように漫然と記録範囲を調整するやり方では通用しないのだ。そんな緊張から、たいして内容のない台本でも熟読せずにはいられなかった。

「熱心だねえ。どお、ヒラちゃん、僕のホンはおもしろいでしょ」

 その内容のない台本を書いた、作家のQ太郎が、風船のような体を揺らして戸口に現れた。個室でなにか食ってく るといっていたが、食べるのにも飽きたのだろう。ミーティングルームの様子を見に来たようだ。

「Qちゃん、いいの? そんなのんびりしてて。タレントさんたちのキャラクター掴んでんの? グラ号の方じゃ、 いまちょっと揉めてるみたいなんだけどさ」

 ネット中継モニターをチェックしている技術部黒田女史がコントロールスティックを弄びながら、鼻にかかった声 を出した。目の前の画面ではグラ号のミーティングルームが縦横にぐるぐる回転している。

「こら、文 (あや)っ。まじめに仕事しろ。ネット中継はあと一時間あんだぞ。データ送信の乱れはねえんだろうな」

 斉藤Dは眠そうなようでも、スタッフの仕事ぶりはちゃんと見ているようだ。

 しかし、「で、揉めてるって、何で?」とすぐ間抜けな声を出すあたりが、厳しいようでも嫌われない性格を表し ているようだ。

 この金星探検はテレビとネットで詳細に放送される。金星に到着するまでは、探検隊、というより出演者が搭乗し ている着陸艇グラ号の内部から3Dデータが地球に送信され、ネットで生中継される。また地球のスタッフが編集したものをテレビ番組として放送するので ある。

 もう一機の着陸艇シフ号に番組スタッフが乗り組んでいるのだが、彼らが本格的に動き出すのは金星に到着してか らだ。

「いまごろ松田のジジイ、かんかんだろうな」

 テーブルの縁を掴んで体を固定しながら、斉藤Dが伸びをした。ゆらりと体が浮いて逆立ちの姿勢になる。

「え? なんでです? 斉藤さん」

 平田としては、マツカゼグループ総帥の金星にかける情熱を形にしたこのミッションになぜ、当の松田老が怒り出 すのかわからなかった。

「なあ、平田。あのじいさんがなんて言ってたか覚えてるか? 人類に冒険を取り戻させるとかなんとか言ってた ろ。あれ、マジなんだよな」

「いいじゃないですか。これ、冒険でしょ」

 平田三十郎は、二十代の後半である。ふた回りも歳の離れている斉藤の言わんとすることが、もうひとつ分かって いない。

「あのなあ、松ジジイが言う冒険ってのは、危険なことをやるって意味なの。誰もやったことのないことをやるって いうのとは、少し意味が違うんだよね」

 今世紀に入ってからも冒険と称してマグマに潜ったり、一人乗り宇宙船で冥王星の周りを回ってくるなどというイ ベントはあったが、それらはすべて安全性を確保した上での挑戦であり、目新しい景観を観客に提供するものでしかなかった。そして、人々はそれが冒険だ と思いこんでいた。

 結局、マックスウェル号のミッションも安全が確認された手段で行うという点では、その他の「冒険」と変わりが ないのである。松田洋平氏がどんな構想を抱いていたとしても、人間の生命が危険にさらされるような計画が社会的に認められるはずがない。

「たぶん、ネットかテレビで見てるだろうけど、僕らの演出には、ほんと頭に来てんじゃないかなあ。笑わそうって いうのが、はっきりしてるもんね」

 そんなふざけた台本を書いた本人であるQ太郎は、あくまでも無責任な態度だ。

 平田には何が問題なのかさっぱりわからない。Q太郎とは十歳ほど離れているが、世代が違うということだろう か。

「文さん、俺わかんないですよ。マツカゼグループが世界に向けて発信するメディアイベントとして、笑える冒険旅 行のどこがいけないんでしょうね」

 比較的歳の近い黒田女史に助けを求めるが、文はなにも言わずにモニターを見ているだけだ。

「ふられてやんの。…いいか、平田。昔は人間が危ないことをして喜んでいる時代があったの。命懸けてたの。そん なのを松田のじいさんは期待してんだよ。あの人、へたすると前世紀生まれだからな。でも、そんなの会議で通るわけないじゃん。しかも、金星に人を降ろ すとなると、機材の開発費を含めて莫大な費用がかかる。ほかの冒険イベントと同じようなことをやっても、元が取れないわけだ。そりゃ建前は企業の利益 を文化活動で社会に還元するんだよ。でも、どうせやるなら宣伝にならなきゃな。人気のあるイベントを開催した企業は売上が伸びるのさ。企業イメージが あがるってわけだ。で、金星探検で人気を得るにはどうするか、と考えたときに面白い奴に金星へ行ってもらおうてなことになったのさ。金星という過酷な 環境でくっだらないゲームやコントをやらすなんて、なかなか思いつかないよ。そして視聴者はそれを求めてるのさ。意味ねーって叫べるような下らないも のを、な。その企画は俺が考えたんだけどな。その線で役員会は納得したわけだ。よその冒険ものはひねりが無いんだよ。いまさら、苦労の末にやっと成功 しました、なんて演出かましても、視聴者はお見通しだよ。みんなメディアスタッフの演出なんだから、感動なんかしねえっての。……で、何の話だっ け?」

 話が自慢話へ移行しつつあるところで、斉藤は軌道修正をかけた。

「洋平じいさんは、命がけの冒険を期待しているらしいが、じいさん以外の役員が共謀して、本当の企画内容を教え ずにここまで来ちまったわけよ。洋平じいさんは強力な拒否権を持ってるから、マックスウェルが発進する前にばれたら初めからやり直しになるかもしれ ん。そしたら、マツカゼは大損害だ。やるとなったら最後までやらなきゃな。ま、笑える大イベントって奴は俺の長年の夢でもあったわけで、松田のじいさ んが言い出したことかもしれんが、結局は大マツカゼグループをうまく操って、夢を実現させたのは俺ってことになるかな。一介のメディアディレクターで あるこの斉藤浩二さまが、やってのけたわけさ。あーっはっはっは」

 やはり最後は自慢話であった。

「松田さんが期待したものとは正反対なものを、僕らは送り出してるってわけ」

 Q太郎は床をひと蹴りしてテーブルの真上へ飛び上がると、天井でバウンドして黒田文の後ろに着地した。それを ぐるりと目で追った平田は、ふたたび台本に目を落とした。

 確かに探検とは言いがたい内容かもしれない。金星でのゲーム大会や金星人コントでは、ひょっとすると一般の視 聴者にも受けがよくないかもしれない。それでも、平田には面白そうな企画であったし、綿密な市場調査の結果GOサインが出たはずだから松田老のお気に 召さないとしても、やる価値のあるイベントだろう。

「Qちゃん、こんなの台本にあったっけ?」

 モニターに映し出されるグラ号のミーティングルームでは、誰がリーダーになるかで、掴み合いの喧嘩が起こって いた。文の後ろから覗きこんでいたQ太郎は、「はて」という顔で斉藤のほうを見た。

「Q太郎のホンじゃ、ここでリーダーを決める、としか書いてなかったよな。それをここまで膨らまして、どたばた を演じてくれるんだから、さすが厳しいオーディションを勝ち抜いた連中だね」という斉藤の言葉を受けて、

「そ。アドリブってこと」とQ太郎はまるで自分の功績のような顔をした。

「よーし、こっちもアドリブ演出と行こうか。平田、お前グラ号へ行って来い」

 斉藤はさも良いことを思いついたという風情で、エアロックへの入り口を指差した。着陸艇は中心にミーティング ルームがあり、その後方が個室区域で、前方に外部へ出るためのエアロックがある。いまはまだマックスウェル号の胴体に格納されているので、エアロック は通路に連結され、ハッチは開放されている。

「え? なんで俺が行くんですか?」

 平田は斉藤の顔とエアロック入り口を交互に見遣った。

「喧嘩を止めにスタッフ乱入だよ。ハプニングぽくていいだろ。お前はあくまでも冷静に対処することだ。演技なん かすんな。地のままでやれ。とにかく喧嘩を止めろ。いいな」

 そう言って、斉藤Dは顎をぐいっとエアロックへ向けた。

「えーっ。俺、タレントじゃないですよ…」と言いかけた平田を黒田がきっと睨んだ。

「ヒラちゃん、番組はみんなで作るの。あんたに出来ることがあるんだから、それをやりなさい」ゆっくりと噛んで 含めるように言う。

 平田は助けを求めてQ太郎のほうを見たが、その太った男は眉を持ち上げると目玉をぐるりと回しただけだった。

「俺はカメラマンなんだけどなあ」と呟きながら、しぶしぶエアロックへ向かう三十郎であった。

 着陸艇のエアロックは三重になっている。金星の表面温度は摂氏五〇〇度近い。エアロックが一重では、一つ間違 えると、五〇〇度の熱風が室内に吹き込まないとも限らない。また断熱装置のために着陸艇の外壁は数メートルの厚みがあり、それは大きく分けて三つのブ ロックから構成されているので、ブロックごとにエアロックを設定しているのだ。もちろん、九〇気圧という高圧に対処するために三段階に加圧、減圧をす るためでもある。

 平田はエアロックを通りぬけて、マックスウェル号本体の通路に入った。電力を節約するために照明は光っていな い。

「平田さん、明かりをつけますか?」

 平田の耳元で中性的な声がした。マックスウェル号をコントロールするAI、通称マックスだ。

「当たり前だろ。人間は真っ暗じゃ、なにも見えねえんだよ」

 つい乱暴な口調になってしまったが、マックスが気分を害することはない。

「いらいらしていますね。時間が空いたときに、カウンセリングを受けることをお勧めします」

 通路に白い光りがあふれた。平田はため息をひとつつくと、手すりを握って体を前へ進めた。

 斉藤さんは人遣いが荒くていけないよ。だいたい、本当に喧嘩してるんだったらどうするんだ。それこそディレク ターの出番じゃないか。俺はカメラマンだぞ。演出部じゃないんだ。AD代わりに使いやがって。文の姉御も助けてくれりゃいいじゃないか。技術の仕事も 手伝ってやってんだぞ、こっちは。

 などとぶつぶつ言いながらも、グラ号艇内にどんな感じで入って行こうかと思案していた。

 グラ号の入り口が近づいてくると、艇内の声が聞こえてきた。シフ号と同じくエアロックのハッチは開け放してい るようだ。

「あー、わかったわかった。騒ぐな騒ぐな。リーダーはやっぱり知識と経験がないと務まらんだろ。わしがやるから 文句をつけるな」

 あのだみ声は最年長のバーニー服部だ。バーニーの言葉に一斉にブーイングが起こる。

「あんたは歳食ってるだけでしょう」「経験って何? あなたに何ができるっていうのさ」「やっぱり体力でしょ う。僕のように若い者ががんばらないとねえ」「あたしはだれでもいいよ」

 とりあえず「掴み合い」は終わったらしい。平田は公正な審判員というキャラクターで突入することにした。なに しろこの模様はネットで生中継されているわけで、平田の彼女も見ているかもしれないのだ。あまり無様な姿はさらせない。

「みなさん、落ち着きましょう。話し合えば、誰がリーダーにふさわしいか、結論は出るはずです」と平田がグラ号 のミーティングルームに滑り込んでみると、「探検隊」のうち四人までが「掴み合って」いた。

 元気な六十代、バーニー服部の妙に黒々とした頭髪を掴んでいるのは年齢不詳の熟女、太田摩湖。服部の襟首と太 田の袖を両手で押さえて、服部の毛が抜けないようにしているように見えるのは山西悟である。山西は服部の子分的存在なのだが、リーダー争いでは自分も 主張することにしたらしい。その山西の胸倉を掴みつつ、服部に腹のあたりを足蹴にされているのが、平田より少しだけ年下の土屋紘一である。立体パズル のように組み合ったまま、四人が一斉に平田を見た。

「これはこれは平田さん」「ん? 何の用だ」「邪魔すんな」「何とかしてくださいよ」と口々に勝手なことを言 う。

 四人は中央のテーブルの上に浮かび上がってゆっくり回転していた。どうしたものかと困り果て、視線を泳がせた 平田は自分の右手、入り口横の隅に矢部百合子が我関せずの表情で天井を見上げているのを見つけた。

「百合ちゃん、なんでこんなことになっちゃったのかな」

 平田はどうも十代のお嬢さんが苦手である。何を考えているのか掴めないので、いちいち慎重な物言いになる。

「あれ? いま放送中でしょお。平田っち、モニター見てないんだ。仕事さぼっちゃ、いけましぇーん」

 色白で整った顔立ちではあるが、頭の中は空っぽかもしれない。百合子は平田の顔を見ることもなく言い放った。 平田は百合子に構ったのが失敗だったと思いつつ、(グラ号内部からは、3Dセンサーのデータをまるごと地球に送信するの。簡単なチェックだけでいい の。それは黒田文姉さんがやってるの。俺はカメラマンなの。いまは仕事がないの。君に注意される筋合いはないの。俺は君より十歳も年上なの。平田っち というのはやめて欲しいの………。)と、どうでもいいことでも気になって話が出来なくなるのである。

 平田が小娘相手に固まっているのを見かねたのか、バーニー服部が事態を動かそうとした。

「あー、平田くん。君は誰がリーダーに相応しいと思うかね」そう言いながら、山西に目で合図を送る。山西も心得 たもので、黙って太田の袖を掴む手を緩め「掴み合い」はここまで、という空気を作る。自然に四人は分離して、ミーティングルームの中に散らばった。

「ここはひとつ、私なんかの意見を聞くより、せっかくネット中継しているんですから、視聴者の皆さんの投票で決 めるというのはどうでしょう」

 自分の意見なんか言わされてたまるか。それをネタに、今度は俺を巻き込んでひと悶着起こそうってのが、「タレ ント」たちの思惑だろう、と考えて無難に視聴者投票に持ち込んでみたが、頷いたのは土屋だけで、あとの服部、山西、太田は渋い顔だ。

「服部さんは、あんたの意見を聞いてるんだよ。視聴者にお伺い立てるかどうかは俺たちが決めることなんだよ」と 山西が凄む。

「ま、ほんとに決めるのはディレクターの斉藤さんじゃありませんこと」太田が混ぜ返す。

 タレントたちの冷たい態度に、平田は、なにかしくじったな、と感じていたが何がまずかったのかわからないので 余計あせった。

「ま、いいじゃないですか。ネット中継を見ているみなさんはもう数日にわたってこのグラ号の様子を見ているわけ ですから、公平な立場で…」平田が言い募ろうとすると、甲高い声がさえぎった。矢部百合子である。

「だから平田っちはだめなのお。視聴者投票は着陸地点を決めるときに使うんだよ。いまやっちゃったら、ネタがか ぶるじゃん」

「あ、そうか」と言ったのは土屋紘一である。

 平田は声を出さずに「あっ」と口をあけて固まった。そうだ。視聴者投票はこのあと使うのだった。しかし、いま 自分が、リーダーを決めるのに投票はどうでしょうと言ってしまったので、ネットにかじりついている連中は早速投票を始めているだろう。そうなると投票 は受け付けませんと言ったところで、効果なしだ。逆に投票で決めろ、と騒ぎ出す奴もいるだろう。もう後には引けないぞ。投票だ。なんでもかんでも投票 すりゃいいじゃないか。

「まあまあ、百合ちゃん。そう堅いこと言わないで。このマックスウェル号ミッションは基本的にネット生中継なわ けで、それは視聴者のみなさんに一緒に体験してもらおうという趣旨からだから、現場で決められないことは投票で決めてもらうってことでいいんじゃない かな。ねえ、みなさん」平田は一同を見まわして、「にやっ」と笑った。

「ま、それはそれで、そういうことにしますかな。なは、なははははは」

 バーニー服部が天井を片手で突いて、テーブルの席に着いた。磁力靴がかちりと床に固定される音がする。あとの メンバーも完全に納得しているわけではなさそうだが、とりあえず矛を納めたかっこうだ。

「それじゃ、着陸地点の話が出たところで、投票してもらうにしても、どの辺がおもしろそうかってな話でもします か」

 土屋が給茶機からコーヒーのパックを取り出した。全員を見まわしてほかに欲しい人はあるかと目で問い掛ける。

「おう、その機械は酒を出せねえのか。俺はビールが欲しいんだがな」という山西のリクエストに土屋は苦笑いで応 え、太田は「おやおや、下品ですこと」とそっぽを向いた。

 さて、事態は収まったな、と平田は退散するタイミングを計ってエアロックの縁に手を掛けた。

「あたしは、金星っていっても、マックスウェル山しか知らないから、きっと地球のみんなもそんなとこなんじゃな いの」

 百合子のぽーっとしたしゃべりに、土屋が同調する。

「そうだねえ。マックスウェル山といえば金星で最も高い山だし、この船の名前でもあるから、降りる地点としては いい感じじゃないかなあ」

「それなら、シフ山やグラ山はどうだ。着陸艇はこっちの名前だぞ。で、シフ号をシフ山にグラ号をグラ山に降ろせ ばいいだろ。そこで平田くんの腕の見せ所だ。望遠でグラ山頂のグラ号をばっちり捉えてもらうと、きっといい映像になるぞ」

 服部の発言に一同は大きく頷いた。

 平田は、わが耳を疑った。こいつら、訓練で覚えたのは着陸艇や金星スーツの操作と演技だけか? 金星について の知識は教えてもらわなかったのか。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。それは、いろいろ問題ありますよ。えー、金星の大気は地球ほど澄んでいない ので、シフ山からグラ山が見えるかどうかわからないし、それよりもなによりも、シフ山やグラ山、それにマックスウェル山はいまは夜です」

 すると、太田摩湖が「ぼうや、何を言ってるの」とばかりに横目で平田を見た。

「いまが夜ならどうだというの。明けない夜はないじゃない。止まない雨はないじゃない。夜明けを待って着陸すれ ば良いことでしょ」

「摩湖さん、違います。金星の夜は長いんです。地球の時間でほぼ二ヶ月は夜が続くんです。われわれが金星に滞在 するのは九月二八日から十月五日の予定です。その間は、いま話に出ていた地域はみんな夜です」

「おいおい、俺たちをあまり馬鹿にするなよ」山西が、指先でテーブルをとんとんと叩いた。

「それぐらいは、知ってるっつーの。金星は自転周期がすんごく遅くて、しかも地球とは逆向きに回ってるんだろ。 昔、なにかの衝撃で自転軸が逆立ちしたんじゃないかともいわれてる。太陽は西から東へ動く、と」山西は、どうだとばかりに胸を張った。

「知ってるなら、なんで夜の側へ降りる話なんかしてるんですか」むっとする平田に、山西は、がはははと笑った。

「そりゃ、いまどこが夜なのか知らなかったからに決まってるだろ」

「わしのじいさんが、こんな歌を唄っていたな。♪西から上ったお日様が、ひがしーに、しずーうむー」バーニーは 突然唄い出す。

「夜の側に降りてもさあ、照明で何とかなるんじゃないの」百合子の間延びしたしゃべりに平田は爆発寸前だ。

「なんともならないの! そんな強力な照明機材は持って来れなかったの。それに、持ってきたとしても金星環境 じゃすぐ壊れるの! 照明は着陸艇の探照燈しかないの」

「まあまあ、平田さん。落ち着いて、落ち着いて。こんな話がヒントになって、視聴者のみなさんがいい着陸場所を 考えてくれますって」土屋紘一は落ち着き払っているが、彼は分別があるわけではなく、ただ、どーでもいいや、と考えているだけだった。

 

「平田を行かせたのはいまいちだったかな。どうよ、Qちゃん」

 シフ号ではあとのスタッフが、平田が焦るさまを大笑いしながら見ていた。

「投票っていいだしたときは、ちょっと困ったけどねえ。まあ、あの展開に関しては、ヒラちゃんより百合子が問題 でしょ。着陸地点の選定を投票でやることバラしちやんの」Q太郎は自分のメモパッドを眺めてこの先の構成をどうしようかと考えている。

「でも、僕らが見て笑えたんだから、視聴者的にもオッケーでしょ。ヒラちゃんもなんだかんだで、いままでもちょ こちょこ顔出してたから、タレントみたいなもんだし」

 斉藤は「まあ、そーだなー」と呟いて、首の後ろを掻いた。

「あらら」黒田文がぽちぽちとキィボードを叩きながら、裏返った声を出した。

「斉藤さん、リーダー投票の票が集まり始めてるんだけど、いまのところ土屋くんが一位だって。いいんですか」

「つちやあ? あの坊やが票を集めてるのか。まったく人気ってのはわからねえな。いいだろ。投票の結果でリー ダーなんか決めちゃえ。どーせ、ほんとのリーダーは俺様だからな」と言いながら、土屋紘一をリーダーに据えれば、バーニーおやじが納得するはずがない から、そこに葛藤が生まれて笑いがとりやすいかもな、などと計算している斉藤Dであった。

 

 マックスウェル号の操縦室には明るい太陽の光が溢れていた。窓は遮光スクリーンで覆われているが、地球を出て からほぼ太陽に向かって飛びつづけているので、その日差しは強烈だ。計器パネルとスイッチに囲まれた操縦席に二人の男が座っている。

「マックス。報告せよ」

 船長の命令にAIが答える。

「異常ありません」マックスの声は、相手の耳元で聞こえるように音場が調整される。

「ヒマですなあ、船長。ジュピター三世が遭遇したっていう隕石でも現れませんかね」副長の桜井が隣を見た。

「こら、桜井君。何事もないことを喜び給え。旅が順調なら、すべてマックスの操船だけでことは終わるんだ。われ われの出番があるとすれば、それは、緊急事態ということになる」船長、野々山恒夫五四歳は真面目一徹の宇宙船乗りである。副長桜井と組んでからすでに 二十年になる。

「それに、中継衛星を金星の静止衛星軌道に乗せるという重要な仕事があるではないか。あれは我々の船外活動に拠 るところ大である。気を抜いてはいかんぞ」

 桜井は、きっと太陽を睨みつけているような野々山の横顔を見て聞こえないように溜息をついた。

 なんでこの人と二十年も一緒にやって来れたんだろう。真面目もいいけど、疲れないのかね。

「ねえ、船長。メディアスタッフの黒田っていうねえちゃん、色っぽいと思いませんか。ちょっときつそうだけど、 そこがまた…」桜井が言いかけたところを野々山は怒鳴りつけた。

「さくらいーっ。貴様、なんてことを言い出すんだ」そして、声を押し殺した。

「いいか、あの女はおれがものにするんだ。お前は矢部とかいうしょんべん臭いのを相手にしてろ。摩湖ってのも四 十すぎらしいがちょうどいい熟れ具合だからおれの物だ」

 こんな会話を誰かに聞かれたら、裁判沙汰である。彼らが主に宇宙で過ごしてきたからこその暴言だろう。

 桜井は「せーんちょう、そりゃずるいですよ。どっちか分けてくださいよ」と嘆願しながら、だから二十年一緒に やって来れたんだ、と思うのであった。

 付け加えると一般的に宇宙船乗りは女のことになると口ばっかりで、彼らも例外ではなかった。