9.人は変わるもの

 

「ヴィドラはLP三号からエネルギーを吸収していたんじゃないですか? そして、過剰な分をレーザー光にして排 出していたんです」

「反論。だったら、なぜ反射膜で防御したのかわからん」

「LP三号がエネルギー供給源なら、どうしてそれを破壊したのか。よく考えてから発言して下さい」

「全部説明できなくても、気が付いたことは発表するべきじゃないかな。みんなの知恵を合わせて問題を解決しなく ちゃ」

「わたしは日本に住んでいないので、詳しくはわかりませんが、避難は順調に進んでいるらしいですね。いっそのこ とイーターを飼い慣らすというのはどうですか。ヴィドラは明らかに人類に敵意を持っているようですから、ヴィドラ退治にイーターを利用するんです」

「馬鹿なことを言うな。ヴィドラよりイーターに殺された人の方が多いのだ。ヴィドラのパルスレーザーより、イー ターの岩石弾の方が被害が大きい。それに奴が着地するとそれだけで街が壊滅するんだ」

「国際レスキュー隊はまだホッケンハイム号の乗組員を救出できないんですか。わたし、野々山船長のファンなんで す。彼の元気な顔を早くみたい」

「徹底抗戦だ。平和主義なんて言ってる場合じゃない。対策会は速やかに武器の開発を進めて、怪物を抹殺すべきで ある」

 様々な意見が飛び交っていたが、解決策は見いだせなかった。

 

 イーターは川越市に着地して動きを止めていた。ヴィドラ来襲の予定は次の日の午後である。もはや対策はない。 避難民は海岸沿いに集められ、輸送船やタンカーを改造した避難船に乗せられて海に出ることになっていた。それでも、イーターがどこへ行くかはわからな いので、世界中から集められた宇宙服が日本国内のイーターに近い地域から順番に配られた。宇宙服を身につけていれば、火災に巻き込まれても窒息するこ とはないし、ある程度の熱には耐えられる。

 平田たち斉藤班は久しぶりにMMC本社に戻っていた。イーターには別班が張り付いている。休暇ではないが、こ のところきついスケジュールで動いているので、プロデューサーが打ち合わせと称して本社に呼び、実質の休息をとらせているのだ。

「土屋君や山西君もやられてしまったな。せっかくマックスウェル計画で人気が出てきたのに残念なことだ」

 プロデューサーがあまり感情のこもらない声で、そして誰に向かってでもなく言い放った。斉藤以下、平田、黒 田、中沢の現場組は苦々しい思いで互いに顔を見合わせた。

 MMCビルの社員食堂は、仕事が不規則なためにいつ来てもタレントやスタッフで混み合っていた。特に今は昼時 であるため、見学者も食事に来ていてごった返している。彼らは社外の人間に見つからないように広い食堂の隅に席を取っていた。

「マックスも回収される前にシステムがダウンして、死んじゃいましたよ」

 黒田がぽつりと言った。プロデューサーは黒田に目を向けることもしないで、平板な口調で言った。

「それは残念。ヴィーナス社はマックスの開発にそうとう予算をつぎ込んだと聞いているからな。ゆくゆくはAIタ レントの道もあったかもしれないんだが」

「あのお、」斉藤がおずおずと口を挟んだ。

「金星でやれなかった企画を、別の形でやれないでしょうか」

 プロデューサーは一瞬も考えなかった。

「それはないね、斉藤君。さて、ここは私が持つから君たちはゆっくりしていたまえ」

 といって、さっさと席を立つと食堂から出ていった。

「なーんだよ、あの態度」

 プロデューサーの姿が見えなくなったのを確認して、平田は椅子にふんぞり返った。

「偉そうに、ここは私が持つって、社員食堂じゃないか」

 平田は何かに八つ当たりしたくてたまらなかったのだ。土屋や山西、マックスまでも犠牲になり、そして瑠奈の安 否もわからない。

「そーだよな。安いんだよ。部下の労をねぎらうんなら、もっとちゃんとした飯食わせえっての」

 斉藤もまた平田に同調した。プロデューサーとディレクターという関係であるが、実は同期入社なのである。斉藤 としては、現場を離れるのが嫌だからディレクターを続けているつもりなのだが、やはり社内での権限はプロデューサーのほうが強く、いままでもなにかと 気に障ることがあった。

「どうよ、中沢。あんなんなっても、お前プロデューサーになりたいか?」

 斉藤に聞かれた中沢は、しゃあしゃあと答えた。

「斉藤さん、あんな態度がとれるから、僕あ、Pになりたいんですよ」

 もちろんこれは冗談であるが、斉藤も心得ているから、中沢の頭をぱしっと叩いて、

「裏切り者!」と一言加えた。

 平田のコミュニケーターが小さく呼び出し音を鳴らした。電話が入っているらしい。

「あ、失礼」と席を立って、平田は窓際に移動して電話を受けた。

 空中像ではない本体の表示部に現れたのは、松田洋平氏だった。

「あ、総帥。え、こ、こんにちは」

「平田君、急いで千葉のマツカゼ病院に行き給え。私もすぐ出発する。仕事のことは心配するな。私から会社に言っ ておくから大丈夫だ。瑠奈が見つかった。国際レスキュー隊がロケット機で病院に移送中だ」

 瑠奈!

 平田の目の前で、窓外に林立する高層ビル群が踊りだした。どんよりと曇った空もピンク色に見える。

 

 瑠奈とトーマス・ハント博士が見つかったのは、タイタン墜落現場より南東に六〇〇キロも離れた海上だった。二 人はタイタンの脱出カプセルに乗り込んで、イーターがもっとも海面に近づいたときに脱出したのだが、それは降下してきたイーターが水平飛行に移る瞬間 であり、その衝撃波に海面が乱されて激しい波と水しぶきが高く上がった。そのため追尾していた放送宇宙船のカメラにもカプセルが捉えられなかったので ある。さらに悪いことには、着水の衝撃で装置が故障したために救難信号が発射されないままになっていたのだ。それに気が付いて修理する間に、海流に よってかなり流されてしまったのでそんなとんでもない場所で見つかることになったのだった。

 車を急がせるだけ急がせて病院に到着したのは、午後一時三〇分というところだった。病院の建物が見えてくる と、屋上のヘリポートからレスキュー隊のロケット機が補助ロケットで浮上しつつ、翼を広げて主エンジンに点火するのが見えた。引き上げるところらし い。

 やったー。瑠奈が生きていた。早く会いたい。話がしたい!

「おい、タクシーもっと急げ」

 平田の命令に対して、タクシーの人工知能はサービス内容の変更を伝えた。

「これ以上スピードを出すと、機関の消耗が大きいので有料となります。あなたの給与から差し引くことに同意しま すか。これは車両のメンテナンス費用となります」

「ああ、わかったわかった。さっぴけさっぴけ!」

 瑠奈は一応入院扱いで病室に入れられていた。先に到着した松田洋平が話を通していてくれたらしく、殺到してい るメディア関係者は足止めされていたが、平田はすぐに瑠奈の病室に案内された。

 病室に飛び込んだ平田の目にまず入ってきたのは、ベッドを囲む社長と社長夫人だった。ベッドはもう一つあり、 その傍らには総帥がかがみ込んでいて、寝ている人物となにやら話しているようだ。

「あっ。社長」と言ったきり平田は硬直した。

 そりゃそうだよな。親なんだから、社長が来ているのはは当然だ。総帥なら直接仕事がらみじゃないからまだいい が、社長となると、なんて言えばいいんだ。なんで俺がここにいると思われてるんだろ。総帥がうまく言ってくれたのかな。

 と洋平氏の方をちらりと見たが、老人は隣のベッドの白人男性と話し込んでいて、平田に気づいた様子もない。

「大丈夫だ。君のことはさっき聞いた。事情はわかっている」社長のほうから平田に話しかけてきた。「…一通りの 検査は済んだ。消耗してはいるが、身体に異常はないそうだ。ああ、瑠奈が君に話があるそうだから、私たちはちょっと席を外すよ」

 平田はこれまで何度か社長と話す機会があったが、これほど優しい口調は初めてだった。

 平田に声を掛けた洋一社長は、夫人の肩を叩いて促すと部屋を出ていった。

 ベッドに横たわって平田を見上げているその顔は、紛れもなく瑠奈だった。やつれた感じはあるが、それほど顔色 は悪くない。

 平田は瑠奈の顔をじっと見下ろしたまま、しばらく言葉が出てこなかった。瑠奈もまた、黙って彼を見つめてい る。

「体、大丈夫?」そんなことしか言えなかった。

 瑠奈は「ええ」と短く答えて、考え込むように視線を外した。

「よかった。無事で」

 平田は彼女の手を握りたいという衝動にかられていたが、同時に、触れてしまうと目が覚めて全てが夢になってし まうような恐れも感じていた。

「漂流している間にいろいろ考えて」瑠奈は、暗記した台詞を話すように淀みなく話しはじめた。

「あなたに大事なことを伝えなきゃいけないの」

「え?」大事なことってなんだろう、と早く先を聞きたかったが、平田は隣で話している総帥とベッドの人物が気に なって、ちょっと待って、と瑠奈を両手で押さえる仕草をして軽く総帥たちの方へ首を振った。

「大丈夫。トムは日本語が分からないの。いまは翻訳機も外しているから私たちの話の内容はわからないはずよ」

 そういえば、総帥が話しているのは英語のようである。

「え、でも、おじいちゃんには…」

「いいの。おじいちゃんは知ってる話だから」

 そういうことなら、ここで聞いてもいいだろう、と思って平田は「じゃ、聞こう」と先を促した。

「海の上を流されながら、わたし、自分の仕事のこと、生活のこと、将来のこと、いろいろ考えたの。そして結論が 出たわ。結婚することにしました」

 結婚! 平田の頭の中で、ガーンと効果音が鳴り響いた。

 今までそんな話は出たことなかったな。それにしても、まだ早いだろう。俺たちはまだ二十代なんだぞ。まあ、三 十過ぎまで二人のつきあいが続けば、結婚を考えてもいいだろうが、まだまだ修行中の身で所帯を持っちゃうというのは、どうもなんか、落ち着かないな あ。いや、待てよ、結婚すれば二人で暮らすということだろう。それはそれで楽しいかも知れないな。あ、でも俺はまだMMC社員だ。せめて、フリーに なってからのほうが…。

「結婚かあ。まだ早いんじゃないかな。昔と違って、五十過ぎになっても子供は作れるんだからさ」

 結婚話を否定しながらも、平田は顔に笑みが広がるのを止められなかった。瑠奈が結婚まで考えてくれるように なったのが嬉しかったのだ。

 平田の表情を見て、瑠奈は、はっとして苦しげな顔をした。

「瑠奈、どこか痛むのか」

 気遣う平田に、彼女は半分頷いた。

「そう。胸が痛むわ。ごめんなさい。勘違いさせる気はなかったの。わたしが、…結婚…するのは、トムと、なの」

「はあ?」

 平田は口を開けて固まった。

 なんだ、トムって。瑠奈は何を言っているのだ。結婚の話じゃなかったのか。え? いつから近所の猫の話になっ たんだ。いや、近所の猫はタマだ。勘違い? 勘違いしたのは俺? 何を勘違いしたんだ。瑠奈が俺と結婚することに決めたんだろ。ああ? それが勘違 い。いいじゃないか。結婚はまだ早いだろう。じゃ、トムってなんだ。結婚はするんだろ。俺じゃないの? トムとだって。つまり、瑠奈はトムと結婚する のか。おいおい、俺はトムじゃないぜ。えー、俺とは結婚しない。そうだよ、結婚はまだ早いっていってんだよ。だから、瑠奈はトムという俺じゃない奴と 結婚するという話だろ。あー、なーるほど。……なんだって! トムって誰だっ。

 平田の頭の中がぐるぐる回っている間も瑠奈は用意した台詞をしゃべり続けていたらしい。

「…トムと一緒だとすごく落ち着く自分に気が付いたの。彼と一緒じゃないと生きられないんだって思うようになっ たんだ。彼も結婚に賛成してくれたわ。平田さんとのつきあいも楽しかったけど、もう、いままでと同じようにはつきあえない。でも、いまでも平田さんの ことは好きよ。それは友達として。だから、これからもお友達としておつきあいしていきましょうよ。ね」

 瑠奈の言葉はひどく時間差を持って頭に染み込んできた。一つ一つを咀嚼するのに、やけに手間が掛かる。

 トムというのは、タイタン実験リーダーのトーマス・ハント博士のことか。丸十日の漂流中に愛が芽生えたって か。

 ずーっと黙っている平田に、瑠奈は右手を差し出した。

「これからもお友達でいましょうよ。だから、友達の握手」

 平田は彼女のほっそりとした腕に見とれた。金星に行っている間、そしてこの十日間、いつも瑠奈のことを考え、 この手に触れることを夢に見ていた。もう触れることが出来ないのではないかと思っていた瑠奈の素肌、体がここにある。いま、手を伸ばせばまたそれに触 れることが出来る。

 平田は、「ふーっ」と息をついた。視線は彼女の右手から離れなかったが、自分の手を差しだそうとはしなかっ た。

「俺は、女としての、君が好きだった。…俺は、男として、君に好かれたかった。君とは、それ以外の関係はいらな い」

 絞り出すようにそういうと、くるりと背を向け病室から出ていこうとした。それを松田洋平が呼び止めた。

「おお。平田君、来ていたか。瑠奈との話は済んだか? そうかそうか、ま、そういうことだ。まあ、聞き給え。 イーター対策に大きな進歩があったぞ。ハント博士のアイディアは素晴らしい」

 長身の老人は、平田の反応など確かめもせず、身振りも交えてこれから進める対イーター作戦を説明しはじめた。

「対策会では、イーターを宇宙へ追い出すためにタイタン実験用にいくつか製造されていた大型慣性制御装置を応用 した作戦を考えていたのだがな…」

 そこへドアを開けてメディア取材陣が雪崩れ込んできた。洋一社長が頃合いを見計らって取材許可を出したよう だ。

「お話を聞かせて下さい」「ルナさん、何が起きたんですか」「ハント先生、お怪我はありませんか」「近くでイー ターを御覧になりましたか」………

 取材陣と一緒に入室していた洋一社長が仕切って、インタビューや撮影の整理を始めた。平田ははじき出される形 になって、部屋の外へ出ていた。

 生きていてくれてよかった。俺にとっては、死んだも同然の女だが、もし、あのまま死なれていたら、俺は一生瑠 奈にこだわって生きて行かなきゃならなかっただろう。これでよかったんだ。これで次のことが考えられる。…それにしても、…ちくしょー!

 

   10.押し潰せ

 

 ヴィドラの降下周期が乱れた。それまでの周期通りなら、十月三十一日の午後には現れるはずだったが、ヴィドラ は軌道を離れようとしなかった。受けたダメージが大きかったのだろうか。

 十一月二日に軌道上のヴィドラに対して、これまでは予算の問題で実行できなかった攻撃が仕掛けられた。もう予 算の心配をしている場合ではない。爆発物を積んだ複数の無人宇宙船を誘導して突撃させたのだ。

 しかし、これはもっと早い段階で実行すべきだっただろう。ヴィドラは人類の「機械」を危険なものと認識してし まったらしく、宇宙船は近づいただけでことごとく破壊された。

 それでも、ヴィドラが降下してこなくなったお陰で、対イーター作戦は進展を見せていた。

 

 二〇九八年十一月六日木曜日正午、川越市に居座っているイーターに対してトーマス・ハント博士による慣性制御 攻撃が加えられようとしていた。指揮所は東京のマツカゼビルに設置され、ハント博士以下、プロジェクトチームはそこから作戦を指揮していた。

「これまであまり研究されていなかった分野ですが、」指揮所からの生放送でハント博士が作戦を解説している。

「慣性制御技術を使えば、慣性質量を減らすだけでなく、逆に慣性質量を増やすことも出来るのです。ヴィドラ・ イーター対策会はイーターを宇宙に追いやる方法を考えていたようですが、そのための大型慣性制御装置を利用してイーターの慣性質量を増大させ、地球の 重力でイーターを押しつぶそうというのが今回の作戦です」

 矢部百合子と二人の友人は百合子の部屋でテレビに見入っていた。三人はそれぞれコミュニケーターからネットに アクセスして、テレビ放送では流されていない川越からのネット放送も同時に見ていた。

「ハント博士とルナの婚約発表見た? 派手だったよねー」

 ミキが話しかけても、百合子は川越からの放送に気を取られていてそれどころではないようだった。レイは「だめ だめ」とミキに向かって首を振った。

「ユリは〝彼〟が出てくるのを待ってんだから」

 その言葉に百合子は敏感に反応した。

「なにそれ。彼って誰よ。そんなんじゃないですよーだ。…あっ、出た出た。平田っちー!」

 ネット放送の画面に平田の顔がアップで映し出されていた。百合子は、コミュニケーターの上に空中像となって浮 かぶ平田の顔に手を振っている。

 

 平田は金星服を改造した取材機動服を身につけて、取材ヘリの前に歩いてきた。放送では取材ヘリを中心とする半 径十メートルの3Dデータとイーターの遠景、そして平田の表情を捉えた顔カメラの映像が配信されている。

 平田が放送用コメントをしゃべっている。

「この取材機動服は、特製の小型慣性制御装置が装備されていて、金星服がもともと持つ動力性能と背中に取り付け た宇宙遊泳用ロケットを合わせて、地球上でもスーパーマンのように飛び回ることが出来ます。この機動服を駆使して、イーター攻撃の模様を間近に捉えて ご覧に入れましょう」

 平田にはスーパーマンがどんなものなのか判っていなかったが、斉藤に言わせれば平田の勉強不足ということにな る。

 取材ヘリの中では斉藤たちが送出作業に当たっていた。

「しっかし、平田があんなことを思いついたのも妙だが、社長や総帥までGOサイン出して、金星服を改造する予算 を出したのはどういうわけなんだろうな」

 モニター画面を見ながら斉藤がしきりに首をひねっている。

「ぼかあ、よく知らないですがね、なんか、平田の奴、総帥にコネがあるらしいですよ」

 すべてを知る中沢がすっとぼけると、斉藤は難しい顔をした。

「そうなのか。それじゃ、あまりあいつをこき使うのはよくねえか…」

 イーターを取り巻くように、世界中から集まったメディア取材班がそれぞれの取材基地を設営していた。小江戸と 言われて古い街並みを保存してきた川越市ではあったが、十月二十九日の惨劇で街のほとんどは焼け野原となり、あちこちにイーターの岩石弾で出来たク レーターが穿たれている。

 市の東にあった古寺、喜多院を押しつぶして着地したイーターは、時折重低音のうなり声を発するだけで微動だに しない。岩石で出来た体は、岩盤が隆起しているように見えた。

 イーターの上空に五機のヘリコプターが飛来した。それぞれ機体の下に大型慣性制御装置の筐体を抱えている。そ の直径五メートルのドーム型をした装置は、半径一〇〇メートルの空間で慣性質量を五万倍に増大させることが出来た。

 平田は、金星服の動力で強化されたジャンプ力を使って数十メートルの高さに飛び跳ねながらイーターに近づいて いった。頭上では各社の取材ヘリが忙しく飛び回っている。

 正面にイーターの頭が見える。丸い岩の塊であるが、閉じられた口の割れ目の上に、目と思われる二つのくぼみが 横に並んでいる。

「さて、対策会のヘリはイーター上空に整列しました。私はイーターの正面に陣取って、その表情を撮影したいと思 います。ま、イーターに表情があるとは思えませんがね。うっひゃっひゃっひゃっ」

 その平田のコメントを聞いた黒田文が、不思議そうにつぶやいた。

「ヒラちゃんって、あんな軽かったっけ?」

 イーターに接近する平田の後を追うように飛び立ったMMCの取材ヘリは、イーター全景を横から捉えていた。慣 性制御装置をぶら下げた対策会のヘリは均等に間隔をとってイーターの真上にいる。空はどんよりと曇っていて鉛色だ。

 イーターの頭部から尾に向かって順番に慣性制御装置が投下された。装置は可動式の整流板で空気の流れを調整し て、裏返ることなくまっすぐイーターの背中に落ちていった。

 ばしっ、ばしっ、ばしっ、と音を立てて慣性制御装置はイーターの体表に食い込んだ。接地用ニードルが突き刺さ り、その後でしっかり固定するための岩盤ボルトが自動的にねじ込まれる。

 全長一キロメートルのイーターにとって装置が打ち込まれることなど何でもないようだ。平田の目の前にある巨大 な顔にはまったく変化がない。

「さて、いよいよ質量増大作戦が開始されます。ハント博士の目論見では、たとえ岩石部分の破壊が出来なくても、 イーターの内臓をぐっちゃぐちゃにできれば、この怪物を葬り去ることが出来るだろうということですが、はたして、どうなりますか」

 平田は、右腕に仕込まれた2Dカメラをイーターの頭部に向けた。

 上空のヘリから慣性制御装置のパイロットランプが緑色に光るのが確認できた。フィールド励起開始だ。

 高さ一〇〇メートルのいびつな鏡餅のような頭部が、僅かに持ち上がった。イーターも何か感じているようだ。

 平田はぴょんぴょん飛び跳ねながら、頭の横に回った。イーターの首の付け根に喜多院の残骸が積み重なっていた が、その木材の塊がばきばきと割れて地面に押しつぶされていく。

「おおっと、イーターの首まわりは少し細くなっているので、慣性制御フィールドがはみ出しているのでしょう。そ の強度を超えて重くなった物が、破壊して地面に押しつけられていきます!」

 緑のランプの隣に赤いランプが灯った。慣性制御フィールドが定常運転に入った印だ。

 イーターの全身がぎりぎりと軋む音を立てていたが、五万倍に重くなった体が、地盤に沈み込む気配はない。

 

 東京の指揮所では、現場からの報告を聞いて慣性制御の専門家たちが首をひねっていた。

「装置は正常に働いている。もし、岩石に隠された本体を潰すことが出来なかったとしても、増大した質量のために 脇腹の岩石が剥がれ落ちてもいいはずだが、それもないのはどういうわけだ」

 ハントは各計器をチェックし、異常がないことを確かめたが、イーターにも異常がないというのには納得できな かった。

 部屋の片隅では瑠奈と松田洋平が見守っている。

 部屋全体に警報が鳴った。

 ヴィドラ監視班から緊急報告が入った。

「ヴィドラが高度を下げ始めました。イーター襲撃に向かうものと思われます」

 

   11.決戦

 

 ほこほこほこほこほこほこほこほこほこ………

 重い重い重い。反撥反撥反撥。

 流れ込む流れ込む流れ込む。

 ほこほこほこ……

 成功、歓喜、雄渾。

 敵、敵、敵。

 

 ヴィドラ来襲の報を受けて、各メディアの取材陣はイーターから遠ざかった。ヴィドラに撃ち落とされる危険を冒 すわけにはいかない。

「平田ーっ。引け、引けーい」

 取材機動服に通じる回線を開いて斉藤が叫んでも、平田は動じなかった。

「斉藤さん、大丈夫大丈夫。取材ヘリに比べれば、はるかに的が小さいんだから、レーザーなんか当たりっこありま せんよ。それに、金星服を改造してもらったのにはヴィドラ取材も視野に入れてのことです。おれの考えでは、表面の断熱樹脂があれば何発かレーザーを食 らっても平気なはずです。ここは地球ですからね。金星と違ってもともとの温度が低いんですよ」

 そしてイーターの周りを飛び回りながら、その様子をカメラに収めている。

「どうなってんだ。金星じゃ、もうヴィドラに近寄りたくない、なんて泣き言いってた奴がえらい変わり様だな」

 平田が送っているイーターの映像を見ながら斉藤は、大丈夫っていうなら大丈夫なんだろ。平田が頑張ってくれれ ばイーターとヴィドラの至近映像はMMCの独占だ、などと考えていた。

 雨が降ってきた。細かい雨粒が霧を吹いたように空間を満たす。

 上空の雲に明るい光が射してきた。雲を破ってヴィドラの噴射ガスが噴き出し、怪物が降りてくる。ヴィドラの周 囲はもうもうと水蒸気に包まれていた。

 平田は力一杯ジャンプすると、ロケット装置を納めたバックパックから翼を広げた。これで滑空しながら撮影が出 来る。必要に応じてロケットエンジンに点火すれば、速度を増すことも高度を上げることもできる。

 八日ぶりに現れたヴィドラは、すっかり反射膜も再生し、胴体の損傷も復元しているようだった。

 ヴィドラはイーターの背後から近寄ってきた。体をまっすぐ立てて主エンジンで浮いているので、地表は吹き飛び 高温のガスで火がつく物もある。

 イーターが浮上した。しかし、その動きは緩慢で、高さも二、三〇メートルに過ぎない。ヴィドラの首が一斉に イーターに向けられて、十二本のパルスレーザーが発射された。雨粒に反射して、ピンク色の光条がはっきりと見える。イーターの尾の付け根から岩砕が飛 び散り、煙が上がった。

 ヴィドラは首の内数本を天に向けて上昇し始めた。残りの首でイーターの様子を窺いつつ、急降下に入る。首をぴ んと伸ばして、その間隔を僅かに開いている。イーターの背中に突き刺すつもりだ。

 イーターは「ぐるるるる」と唸って、弾かれるように前進した。目標に逃げられたヴィドラは体勢を立て直すこと が出来ずにそのまま地面に突き刺さった。瓦礫と土壌が爆発的に飛散する。

 イーターの急激な動きとヴィドラの激突による衝撃波で、滑空中の平田は激しく揺さぶられた。

「わわわっ。危ない危ない。まだ、イーターには余力が残っているようです。私が金星で目撃した限りでは、ヴィド ラの突き刺しレーザー攻撃にはかなり威力があると思われるのですが、今回はうまく行かなかったようです」

 

 マツカゼビルの慣性制御攻撃指揮所で、松田洋平氏がハントに歩み寄った。

「ハント君、フィールドの出力を上げることは出来ないか。イーターの動きを止められれば、ヴィドラが奴を始末し てくれるかもしれん」

 ハントは、計器パネルに目を走らせて、

「そうですね。あと一.五倍に増やすことが出来ますが、…保って一〇分でしょう」と答えた。

 

 ヴィドラは首の付け根から推進ガスを噴き出して必死に首を抜き取ろうとしていたが、なかなかうまく行かないよ うだった。その隙にイーターが体を巡らせて、ヴィドラに頭を向けた。

 そこでイーターは力尽きたように地面に落ちた。上空を旋回している平田のカメラには、慣性制御装置の緑のラン プが消えて赤いパイロットランプだけが点々と並んでいるのが写っていた。

 イーターの頭と、もがくヴィドラの距離は五〇〇メートルほどだ。そこへ一機のヘリコプターが近づいてきた。赤 と青のラインが入っているところを見るとNNAの取材ヘリだろう。

 イーターが口を開けた。ずどんという音を発して、岩石弾が一発発射された。それは逆立ちしたヴィドラの胴体に 当たった。

 ヴィドラの体は岩石弾を弾き返したものの、激しく仰け反り、その勢いで首の一本が地面から抜けた。その首はく ねくねと辺りを見回してイーターの位置を確認したようだ。それから軽く横に振ると、パルスレーザーを一閃した。

 ヴィドラの首とNNAのヘリとの間にピンク色の線が結ばれて、火花を散らしたヘリはゆるゆると墜落していっ た。

「おーい。平田、お前は大丈夫なのか」

 インカムに斉藤の声が響いてきた。ヘリが撃墜されるのを見て、平田も肝を冷やしていたが、これまで平田を狙っ て撃ってこなかったということは、ヴィドラは平田を認識していないか、問題にしていないということである。

「おれは平気ですよ。気にしない気にしない。ま、見ていて下さいよ」

 ヴィドラは間欠的にロケットを噴射して胴体を揺すっている。少しずつ首が抜けてきたようだ。それに対して、 イーターのほうは続けて岩石弾を発射することもなく沈黙している。

 雨が激しくなってきた。視界が悪くなり、すべての物が灰色に染まっている。

 ぶるるるるるるる。ぶるるるるるるるるる。

 イーターがうなり声を上げ始めた。空気が振動して、改造金星服の中でも体がびりびりするのがわかった。

 カメラをイーターの頭部から後ろへパンしていくと、慣性制御装置のパイロットランプが一つ見えない。故障か、 と思って見ているうちに、もう一つ消えた。カメラにズームをかけて、まだ光っている真ん中の一つをアップにしてみた。旋回しながらではフレームを固定 するのは難しかったが、補正回路によって問題なく捉えることが出来た。

 雨のせいであまりはっきりした画像ではなかったが、装置の丸い形が判るぐらいには見えた。

 イーターの背中で慣性制御装置のくっついている部分が、ぼこっと陥没した。その穴は周りの岩石が寄り集まって きてすぐに修復され、装置はイーターの体内に吸い込まれていった。

 設置された慣性制御装置が次々と姿を消した。

 ようやくヴィドラが地面から首を抜いて、まっすぐ起きあがった。

 平田は、ヴィドラのレーザーを警戒して怪物たちの横に移動した。イーターは雨に濡れて黒ずんでいる。向き合う ヴィドラは銀色の体が湯気に包まれてぼやけて見える。

 イーターが岩石弾を三発連射した。続いて軽々と体を持ち上げると、南東に向きを変えて前進した。ヴィドラは イーターが口を開けると同時に上昇して攻撃を躱すと、イーターの後を追って南東に飛んだ。

 

 慣性制御攻撃指揮所では撤退準備が始まっていた。怪物たちが向かっている、川越市の南東方向には東京がある。 もしイーターとヴィドラがこのままの進路で進んでくれば、東京も怪物の闘争に巻き込まれるのは必至だ。

「ハント君、諦めよう。また別の方法を考えるべきだ」

 洋平の説得にトーマス・ハントは頷きながらも、茫然と計器パネルを見ている。

「おかしい。装置から送られてくるデータを見ると、イーター内部には重力がない…」

 傍らのネット端末にはMMCニュースサイトが映っていた。

「イーターの速度は時速五〇〇キロに達しています。私もロケットに点火して追いかけていますが、この速度では三 〇分しか飛べません。いっそヴィドラの背中に乗って連れていってもらおうか、なんてなことも考えたりしますが、そいつは止めといたほうが無難でしょ う」

 イーターを追いかけるヴィドラを横から捉えた映像に、平田のコメントが被さっている。

 瑠奈はハントの手を引いて、部屋の出口に向かった。もう残っているのは洋平、瑠奈、ハントの三人だけだ。

「屋上に行こう。私の自家用ヘリがある」洋平の言葉に瑠奈が首を横に振った。

「おじいちゃん、ヘリは危険よ。車を使いましょう」

 二人がどうやって逃げるか相談している間も、ハントは一緒に歩きながらぶつぶつ独り言をいっていた。

「時速五〇〇キロということは、イーターの運動性能は落ちていない。まだ慣性制御は働いているはずだが…」

「トム、少し静かにしてよ」

 たまりかねて瑠奈が注意した。ハントは呟いているだけなのだが、翻訳装置を装着している瑠奈にはまともな音量 で日本語化されたハントのセリフが聞こえていたのだ。

 三人はエレベーターで地下駐車場へ向かった。

 

 イーターの高度は一〇〇メートルから二〇〇メートルというところだ。眼下を田園風景が滑るように流れていく。 ヴィドラはイーターの前方には出ないように飛び回りながら、相変わらずレーザー攻撃を続けている。しかし、イーターは進行方向を変えずに体を巡らせて 時々岩石弾を発射している。相手を牽制しているようだ。そのため、地上に落ちた岩石弾が破壊と火災を呼んでいる。

 平田は怪物が巻き起こす乱気流に巻き込まれないように、ある程度の距離をとって並行していた。

 雨粒のおかげで気流の乱れがはっきり見える。イーターやヴィドラの後方には巻き込む煙のように雨が渦を作って いた。そして、ヴィドラのレーザーがピンク色の稲妻となって辺りを照らし出していた。

 前方にぼんやりと高層ビル群が見えてきた。もう東京都心が近い。

 

 マツカゼビルの地下駐車場には車の列ができていたが、なかなか動き出そうとしなかった。地上の道路も相当混雑 しているらしい。ヴィドラ・イーター対策会のネットサイトでは、もっとも効率的に自動車の誘導を行っていることを強調しているが、実際に車の中で待た されている身にとってはいらいらするばかりである。

「ご主人様。動きます」

 自動車が洋平に報告すると、三人が乗る自動車は駐車場内の通路を動き始めた。

 車内のテレビには平田が送ってくる怪物のライブ映像が映っている。

「あっ。イーターは高度を上げません。ぶつかる!」

 平田が叫んでいる。画面には、池袋辺りの高層ビルに激突するイーターの様子が映っていた。最上階から十階分ほ どに頭突きを食らわして、鉄筋コンクリートが粉々になる。そこへヴィドラがレーザーを浴びせたためにビルの中腹から炎が吹き出した。散らばった破片が 近隣の建物や高層ビルに突き刺さったり、降り注いで被害が拡大する。

 回り込んだヴィドラは別の高層ビルを掩蔽物にして体を隠し、首だけ出してレーザーを放った。イーターは苛つく ように前足を二、三度振り回してからヴィドラめがけて岩石弾を撃った。ビルもろとも吹っ飛んだヴィドラは、さらに別のビルに突っ込んで倒壊させた。

「なんということでしょう。避難は済んでいたのでしょうか。粉塵か煙か、黒い雲が地上から沸き上がっています。 怪物は速度を緩めたようですが、さらに南東、都心の方向へ進んでいます」

 興奮した平田の声が震えている。

「平田くんは、頑張っているね。僕が調整した小型慣性制御装置も正しく働いているようだ」

 ハントは直面する危機を意識しているのかいないのか、のほほんとテレビを見ている。もうイーターに攻撃が通じ なかったことは考えないことにしたらしい。

「ほんと。よくやるわ」瑠奈はハントの手を握りしめた。

「うわっ。これはまずい。イーターの進路にMMC本社ビルがっ。…おーい、ヘリはいまどこだ。本社がやられた ら、」

 平田のコメントはそこで途切れた。映像もなくなり、すぐに放送衛星スタジオに切り替わった。ニュースキャス ターが映り、本社からの中継電波が途絶えたことを伝えた。続いて、取材ヘリからの映像に切り替わった。

 自動車は地上に出る坂道を上っているところだ。地響きで車が揺れる。怪物はすぐ近くにいるのだ。

 前の車がゲートをくぐって表通りへ出ていったとき、突然真っ暗になった。同時に鼓膜が破れそうなほどの轟音が 起こった。

 巨大な破片が降ってきたのだ。MMC本社ビルのものかどうかは判らないが、鉄骨が突き出したコンクリートの塊 が行く手を塞いでいる。そして、自動車を通じてマツカゼビルのセキリュティーシステムが報告してきた。

「火災発生です。速やかに退避してください。消火システムは稼働しておりますが、危険な状態です」

 そんなことを言われても、である。

「車から降りるか」洋平があとの二人に意見を求めて車内を見回したとき、がらがらという音を立てて、降ってきた 破片が動いた。何者かが駐車場出口から押し退けているのだ。

 ビルの破片は右から左へ移動して視界から消えていった。それは白い巨人の仕業だった。

 身長二メートルを超す白い巨人は、某タイヤメーカーのイメージキャラクター、ビバンダムくんに似ていた。

 洋平の自動車は前へ出ると、巨人の横で一旦止まった。

 松田洋平は窓を開けた。雨が顔に当たる。

「平田君、助かったよ。ありがとう」

 取材機動服のスピーカーから平田三十郎の声がした。

「あ、総帥。早く逃げてください。マツカゼビルには相当火が回ってますよ」そして、窓越しに瑠奈とハントに頭を 向けて、

「お幸せに」と親指を立てた。

 平田の背後にビルとビルの隙間があった。そこに垣間見える空をイーターの黒い影が横切っていき、時折ピンクの 閃光が走った。

「それじゃ」と言い残してロケットに点火した平田は、雨を切り裂いて上昇していった。

 

 イーターとヴィドラは東京の中心部を横切って、東京港の上空に出てきた。怪物たちが通り過ぎた後には黒煙が上 がり、ヴィドラを警戒してなかなか近づけなかった消火ヘリがようやく集まり始めている。怪物の通り道から外れたところにもイーターの岩石弾が落下し て、無惨な穴をあけていた。

 雨に煙る東京湾は、対岸の港も見えず灰色一色である。

 イーターは海に出ることを狙っていたかのように、埋め立て地の上を通り過ぎて東京湾のほぼ中心で停止した。そ の周辺を上下左右に飛び回りながら、ヴィドラは狂ったようにレーザーを浴びせ続けている。

 平田はイーターから三キロほど離れて左回りに大きく旋回しながら、怪物たちの闘争の様子を映像に納めていく。 すでに生放送はされていないようだが、金星服に内蔵されている記録装置に収録されているはずだ。

 おおおおおん、おおおおおおん、うるるるるるるる

 イーターが呻り始めた。そして、ごつごつした尾を腹に巻き込むと、背中も丸めて頭部を抱え込むような姿勢を取 り始めた。岩と岩がぶつかり、砕けながら、しかし剥がれ落ちることなくくっついていく。最後には、ジュピター三世が遭遇したとき、金星近傍に現れたと きと同じように隕石状の丸い塊になってしまった。

 お。何かやるつもりだな。

 平田がイーターの様子に注目して、カメラの倍率を上げたとき、ちょうど向こう側にいたヴィドラがレーザーを 放った。運悪く、イーターから逸れた光線が平田をかすった。

 じゅっ、という音が聞こえたような気がして、取材機動服が白い煙を上げた。飛行するためのバックパックに異常 がなかったのは幸いだったが、ヴィドラのレーザーでカメラが焼けてしまった。それでも、平田の視覚を確保するための外部モニターカメラは生きているの で、その映像を記録装置に回すことで対応した。しかし、拡大は出来ない。

 頭を無理やり左に曲げて、「目」がイーターを向くように頑張っていると、そのイーターの姿が波打つように歪ん だ。

 装置の不調か? いや、子ヴィドラの柱がこんな風に歪んだあとでイーターが現れたんだ。

 と、みしみしとバックパックが音を立てた。

 おや、と首を傾げた平田は、首が重くなっていることに気づいた。

慣性制御が効いていない? いや、それなら金星服の重さに翼が耐えられず、落下するはずだ。そうじゃないとする と…。

 ヴィドラが苦しんでいる。十二本の首が地表に引っ張られているように下へ向かって垂れ下がっている。反射膜も くしゃくしゃと縮んで下向きになっていた。主エンジンでホバリングしていても、胴体がわずかに縦に潰れているように見える。

 そうか、巨大な慣性制御フィールドに包まれているんだ。それは慣性質量を減らすんじゃなくて、ハントがやろう としたように質量を増やす方向のものだな。取材機動服はもともと質量を減らされていたから、いまは大体普通の重さになっているが、バックパックは通常 よりはるかに重くなっているはず。大気の質量も増えているから、翼の揚力は重さに見合っているわけだ。

 彼は軽くロケットを噴かしてみた。背中にばりばりとひどい振動を感じて、あわててスロットルを絞る。

 ロケットの推進剤も重くなっているから相対的に推進力に違いはないが、機材の強度が上がっているわけじゃない から、ロケットを噴射するとものすごく負荷がかかるんだ。

 ヴィドラに起こっているのも同じことだった。ロケットで重力に抗して浮くことはできるが、体には大重力場で静 止しているのと同じ負荷がかかっている。

 ヴィドラは力を振り絞って一本の首を持ち上げようとするが、イーターに向けることまでは出来ず、虚しく海面に 向かってレーザーを発射した。鉛色の海が泡立ち、蒸気が上がる。

 そして、ヴィドラは苦しさのあまりロケットを止めて落下した。慣性制御フィールドは海中までも達しているらし く、激しく水面に叩きつけられたヴィドラはもがくことも出来ない。ヴィドラの体温で蒸発した海水が白く噴き出して、海面に雲を作った。

 丸くなったイーターは、空中に浮いたまましばらく様子を窺っているようだ。

 雷鳴が轟き、ヴィドラの周りに出来た雲から海面に雷が落ちている。青白い光のフラッシュがイーターの下半分を 照らし、平田の目を撃った。

 取材機動服の内側に体が押しつけられる感じが、すーっと和らいだ。どうやらフィールドが消えたらしい。それと 同時に、イーターが加速しながら上昇していった。イーターはあっというまに雲に突っ込んで、見えなくなってしまった。

 海面の沸騰が静まってきた。蒸気に隠されていたヴィドラの体が見えてくる。ヴィドラは海中に没することなく 漂っていたが、首がちぎれてばらばらになっていた。

 平田がヴィドラの上空に向かって近づいていったとき、形を留めていた胴体が炸裂して粉々になった。中から強烈 に明るい青白い光の球が飛び出して、イーターの後を追うように空の彼方に飛び去っていった。

 平田が見守るうちに、ヴィドラの残骸は海水に溶けて跡形もなく消えてしまった。

「おおい。平田あ、聞こえるか。大丈夫か」

 インカムに斉藤の声ががんがん響いてきた。取材ヘリが近くにきているのか。陸地に向けて旋回した平田の目に、 もくもくと煙を上げる東京の遠景が飛び込んできた。

 生放送で斉藤がリポートする声がインカムを通じて聞こえている。

「イーターは宇宙へ去り、ヴィドラは海に消えました。しかし、ヴィドラは死んだのでしょうか。最後に飛び出した 光の塊は何だったのでしょうか。多くの謎を残して怪物たちは姿を消しました」

 ここで斉藤は、使い古したフレーズをしつこくぶちかました。

「ひとつ判っているのは、ヴィドラにはヘソがないこと! 何しろ卵生ですからね。がーはっはっは」

 斉藤さん、まだ言ってる。平田は苦笑した。

 いつの間にか、雨は止んでいた。

 

   エピローグ

 

 宇宙歴502.3445。タムラ部隊は、作戦宙域に向けて攻撃艦モガミを移動させていた。敵の偵察機が徘徊し ている可能性はあったが、いま発見されても敵の主力部隊を呼び戻すには遅いだろう。

 部隊長タムラはモガミの作戦司令室で、星図を睨んでいた。メフィスラ連合の主星系を攻撃するのは初めてのこと であり、各部隊の緻密な連携でここまでくることが出来た。

 索敵部署から連絡が入った。

「所属不明艦発見。位置、α4008、β355、γ6。速度、S280、X3、Yマイナス5、Z2」

 タムラは第一警戒態勢を発令して、操縦室へ向かった。彼は艦長も兼任している。

「報告せよ」

 タムラの命令に、コンピュータは艦長席のディスプレイに各種の情報を表示した。艦載機の発進準備が整い、モガ ミの武器システムも正常に働いている。

「艦長、不明艦はこちらの呼びかけに応答しません」

 通信士の報告に、タムラは躊躇することなく攻撃命令を下した。

「ポジトロン魚雷装填。一番、二番撃て」

 モガミの進行方向を映し出しているメインスクリーンに、二つの小さな光が前方へ撃ち出されるのが映った。

「スクリーンエンラージ」

 魚雷の標的が大きく映し出された。見たこともない型の宇宙船である。特徴的なのは、巨大な放熱板か。慣性飛行 中らしく、推進ガスの類は見えない。

 画面がぱっと真っ白になった。

「魚雷命中。直撃です」部下の報告にタムラは軽く頷いて、スクリーンを注視した。

 ポジトロン魚雷の光が消えたあとには、無傷の不明艦がこちらに向かって進路を変える様子が映っていた。

「艦載機発進。AY砲照準合わせ」

 次の命令を下しながら、タムラは索敵係に訊いた。

「敵は防御シールドを張っているのか」

「いいえ。少なくとも、我々が知っているシールドは検知しませんでした」

 シールドなしにポジトロン魚雷を跳ね返したのか?

「コンピュータ、情報検索。不明艦に類似したものを探せ」

 不明艦は、艦首から多数突き出している細長いチューブをうねうねと蠢かせている。

 モガミから小型の戦闘艇が次々と発進していった。

「AY砲発射準備よし」

 そこにコンピュータが報告してきた。

「不明艦に適合する情報発見。不明艦は〝ヴィドラ〟と判明。詳細はディスプレイをご覧ください」

 ヴィドラ? タムラが首を傾げたとき、不明艦がレーザー攻撃を仕掛けてきた。

 

 攻撃艦モガミがどうして撃破されたのか、ついにわからなかった。作戦行動中の通信管制下にあったため、総司令 部にはモガミからの報告は一切なかったのである。

 ただ、その宙域で激しい戦闘があったことは確かである。たくさんの艦載機が破壊されて漂い、モガミの船体に は、大穴があいて焼けた後が残っていた。