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●エッセイ・コンピレー ション企画
ゴジラサイト管理人 ゴジラへの愛、かく語りき
ページ7 ♯3


ghidorah●私と円谷特撮(あるいはゴ ジラ) ♯3
4. 青春苦闘期

 1982年春。大学進学した私は、学生自治会の大学祭実行委員会に入りました。
 よその大学でもやるのだと思いますが、5月に新入生歓迎のお祭りを開催する大学でした。私は新入生ではありましたけど、実行委員ですから企 画を考えなければならないハメになり、ぜひにと希望して映画上映企画の担当にしてもらいました。
 私のほかに二人の新入生が映画企画担当になったのですが、新入生ですから学部やサークルやいろんなしがらみのイベ ントが目白押しでなかなか 学祭実行委員の仕事に手が回らないという状態です。(そりゃ、私も同じことだったんですが)
 私には野望がありました。この機会に円谷特撮映画の上映を行い、世間に円谷特撮をアピールするのだ、ついでに自分が長年見たかった映画を上 映作品にして自分の欲望も満足させちゃえ、という、またまた特撮怪獣バカ発想です。

 あとの二人がだんだん顔を出さなくなり、映画上映に関しては私の独壇場となり、上映作品の選定も私一人で決めてしまえることになりました。
 もちろん、二人にも承諾は求めましたけど、ほとんど仕事を出来ない状態の二人が口を出せるものではありません。

 私が考えた上映ラインナップは、『ゴジラ』、『宇宙大戦争』、『博士の異常な愛情』、『西部戦線異状なし』(モノクロ版)でした。
 本当は全部円谷作品で埋めたかったのですが、さすがに諸先輩の反対もあり、しょうがないので評論家も褒めていて、かつ私も見たい作品を混ぜ ておきました。
 ホームビデオが一般化されていない時代ですから、『ゴジラ』は一度観たきりでしたし、『宇宙大戦争』は未見の円谷作品の中で一番観たい作品 でした。
 ところが、フィルムレンタル会社をリサーチしてみると『ゴジラ』を持っている会社は全部先客がいたのです。
 1982年の5月には全国あちこちで『ゴジラ』が上映されていたというわけです。
 あとの作品はめでたく予約。では、『ゴジラ』の代わりはどうしようと考えましたが、もう絶対にゴジラ映画を外すわけにはいかないと考えた私 はゴジラシリーズ最大のヒット作『キングコング対ゴジラ』をぶつけることにしました。
 私自身、市の子供映画会で見たのが最後でしたから、もう一度観たいという思いも強かったです。
 でも、このときはキングコングがでかい猿だということがいまいち気に入らなくて、出来れば『怪獣大戦争』にしたかったように思います。それ が、『ゴジラ』なら反戦とか第一作目であるというステイタス(?)がありますし、『キングコング対ゴジラ』には世界で認められたゴジラという ニュアンスが含まれるので話を通しやすかったですが、「~大戦争」はお前の趣味だろ、と一喝されたか、されそうだったので提案しなかった か・・、です。

 このときの前売り券原稿が出てきたので、画像を掲載してもらうことにします。

 1982 年に私が仕切った上映会の前売り券です。
  このゴジラは、どうも初代ですね。

 ひどい手書きですねぇ。
 これ、下書きのつもりだったと思うんですが、清書の時間がなくてこのままコピーして売りさばいたように覚えています。
 もちろん、私が描きました。
 初日は『キングコング対ゴジラ』一本で押してますが、二日目は三本立て。で、スタンリー・キューブリックや西部戦線は一回しかやらないのに 『宇宙大戦争』は二回やってるのも微笑ましい。
 前売り券販売所にも私が張り付いて、必要に応じてゴジラ映画名場面を一人芝居で演じたりして拡売に努めました。実演販売ですね。(学祭実行 委員会ではゴジラと呼ばれるようになってしまった。おれはオバQのガキ大将か)

 そんなこんなで忙しく駆け回っていたある日。
 高校時代の友人から電話が入りました。彼は東京の予備校に通っていたのですが、私がゴジラマニアだと知っていて連絡をくれたのです。
「池袋の映画館で『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』二本立てがあるぞ」と。
 なにーーー!!行く行くーぅ、と無理に演技しているAVギャルのように絶叫して青森を離れてよかったなーと実感。
 あ、書き漏らしていました。私が入学した大学は千葉市にあります。
 といっても、東京の映画館なんてどこになにがあるのかさっぱりわかりません。上京した田舎者の基本を守って雑誌ぴあを購入。映画インデック スで『ゴジラ』と『ゴジラの逆襲』を探したら・・・・。
 か行、か行と・・・・。んんんんんんん、海底軍艦!?浅草で上映だとーーーーーぉ!!!!
 浅草東宝の特撮オールナイトとの出会いです。
 そのときは『海底軍艦』『空の大怪獣ラドン』『ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘』あと2本がなんだったか、さすがにもう覚えていないで すなー。
 浅草東宝で5本立てオールナイトを観てからそのまま池袋へ回って『ゴジラ』『ゴジラの逆襲』2本立てを朝から晩まで観るというとんでもない ことをやりました。
 でも、そんな怪獣バカは私だけじゃなかったんですよ。
 浅草東宝のオールナイトが終わって、どんなルートで池袋へ回ったのかもう覚えていないですが、池袋文芸座前へ到達すると、浅草東宝で見かけ た人が幾人かすでに列を作って座り込んでいました。
 なんか、すごく嬉しく思ったのを覚えています。
 私も列に加わって、開場まで居眠りしたっけ。
『ゴジラ』は十数年ぶり、『ゴジラの逆襲』は初めて観ました。アンギラス初登場の「~逆襲」は期待が大きかっただけにかなりがっかりしたっけ なぁ。

 大学での上映会もまずまずの成功をおさめ、初見の『宇宙大戦争』が大変におもしろくて大満足。
 特撮オールナイトが浅草だけではないことも知って、それからの約10年は浅草東宝と池袋東宝に通うことになります。
 ビデオソフトが手に入るようになってからはペースが落ちましたが、初期のころは浅草と池袋を合わせると2週に一度は東宝特撮オールナイトを 観に行っていたはずです。
 年間25回、一回あたり5本観ますから、一年に延べ125本の東宝特撮映画を観ていたことになります。というのはちょっと大げさですね。実 際は帰省して観にいけない期間があったり、特撮オールナイトがお休みということもあったでしょうから、まあ、一年に100本というところだっ たでしょうか。
 そんなペースは4~5年ほど続いたと思います。ですから、同じ映画を何度も観ているわけです。
 ほかにも新作映画も観るわけですから、貧乏の極地ですよ。おまけに大学2年のときから映画製作も再開して、もーなにがなにやら・・・・・。

 特撮オールナイトを観にいくと必ず開場前から並んでいる人がいたっけなぁ。
 また、その列の人々に「日東新聞」を配っていた人たちはその後どうしているのでしょう。(特撮ライターとかになったんでしょうか)
「日東新聞」というのは、特撮ファンが作っていたと思われる新聞形式の同人誌で、スタッフインタビューなどが充実していました。特撮オールナ イトで無料配布していたのです。川北監督インタビューがおもしろかった!

 このオールナイト上映に足繁く通った時期は、私にとって最高の財産です。
 大好きな映画をなんどもなんども劇場の大スクリーンで見ることができたのです。その後、貧乏ながらもビデオデッキを購入してビデオソフトも 集めるようになりますが、スクリーンで繰り返し見ていますから、ビデオで観るのは代用品だということがよくわかりました。
 ソフトもビデオテープから始まって、LD、そしてDVDと進化しています。いまでは大型ワイドテレビも普及していますからDVDでの鑑賞は かなりいい線まで来ているな、と思っています。

 おっちゃんも少年時代にこんなテクノロジーがあれば、もっともっとたくさんの映画を観て、才能不足を努力で補うことが出来たかもしれないん だけどなー。若者よ、がんばれ!学校の勉強もせにゃいかんけどね。

 私のような体験を出来た人は少なからずいたと思いますが、日本全国で考えれば少数だったでしょう。「鬼のように」特撮映画を観ることが出来 なかった人には、「こりゃ、申し訳ない」と頭を掻きます。

 しかしながら、1983年の夏には東宝がゴジラ復活フェスティバルと題して、旧作10本をニュープリント、全国的に上映したので(2002年当時)30代以上 の方ならその気さえあれば、大スクリーンで東宝特撮映画を見直すチャンスがあったはずです。
 この企画もまたうれしいものでした。
 特別オールナイトでは、チャンピオン祭りで使った短縮版か、初公開時の褪色著しい損傷の激しいフィルムしか上映されませんから、全長版の ニュープリントがまとめて観られるなんて夢のようです。

ラインナップは、「特撮映画予告編集」(電送人間なんかも入ってました)『ゴジラ』『怪獣大戦争』『モスラ』『三大怪獣地球最大の決戦』『キ ングコング対ゴジラ』『海底軍艦』『キングコングの逆襲』『ゴジラ対メカゴジラ』『空の大怪獣ラドン』『モスラ対ゴジラ』です。
(注・『キングコング対ゴジラ』のみ全長版ネガが発見されず、短縮版であった。また『怪獣大戦争』には内容が全長版であるにも関わらず、タイ トル部分が『怪獣大戦争キングギドラ対ゴジラ』のフィルムを使っているバージョンもあった)

 ここで指摘しておきたいのは、復活フェスティバルゴジラ1983というイベントタイトルであるにも関わらず、ゴジラが出演していない作品が 4本も入っていることです。
 このころは、たとえゴジラシリーズというような括りで語っても、モスラ、ラドン、バランなどが単体で出演している作品もシリーズのひとつと 見なされていたのです。はっきりした定義づけはなくとも東宝特撮、というより円谷特撮作品は大きなひとつの世界だったのです。
(戦争ものやファンタジーものが除外されているのはもちろんです。しかし、本来別世界として構想されたと思われる海底軍艦やフランケンシュタ イン2部作に関わっている怪獣が『怪獣総進撃』に出演していることを考えてください)
 私だけでなく、当時の多くのファンが望んでいたのはゴジラの復活と共に円谷SF怪獣映画の復活だったのではないでしょうか。

 現在はどうなっているか。東宝のオフィシャルサイトを見ても、ゴジラが出演した作品とそれ以外のものは明確に区別されています。そのやり口 が、ゴジラのみをブランド化させ、作品内容よりも看板が先行する風潮を呼んでいるのではないか?ゴジラシリーズの内実に目を向ければ、ゴジラ が出演していなくても確かにゴジラと世界を共有する作品があることに気がつくのではないか?

 1980年代前半に私が認識を新たにしたことを列挙しておきます。

*円谷監督が関わった特撮映画は周到な計算の上で絶妙なバランスを保っている極上の映画である。(本多作品、福田作品に関わらず)
*本多作品には2種類ある。円谷特撮シーンに最大の盛り上がりを作るものと本編ドラマが作品の中核を成すものに分けられる。
*特撮は、実写の代用品ではなく、特撮それ自体にも価値を持ち得る表現である。
*怪獣バトルは、躍動する肉体(着ぐるみであっても)を見る快感を伴うものであり、カンフー映画のアクションやひょっとすると舞踊にも通じる 芸術である。
*伊福部音楽は怪獣を音楽面からサポートするための最高の形式を持っている。
*馬淵脚本より関沢脚本のほうが、特撮スペクタクルを快感に昇華する力を持っている。
(一時、馬淵脚本の独特の深みに、より価値を見出していましたが、馬淵・関沢、双方資質が違うだけでどちらも同等の完成度を持っているように 思います)
*円谷特撮は小さい画面で見るより、大画面で見たほうが荒が目立たない。
*円谷特撮映画の醍醐味は、大規模なものを見る快感にあり。(スペクタクルである!!)
*東宝特撮映画といっても、円谷監督が関わったものとそうでないものには脚本の構成にまで違いがある。

 上記の中で、怪獣アクションに関する認識を新たにするきっかけとなったのは、『さよならジュピター』でした。この映画の中で登場人物のホ ジャ・キンが宇宙ステーションの自室で『三大怪獣地球最大の決戦』を見ているシーンがあります。小説版では未来まで延々と続いているスター・ ウォーズシリーズの一本を見ているという設定でしたが、さすがに東宝映画でスターウォーズを持ち出すわけにもいかなかったということかもしれ ません。
 ホジャは、ラストの怪獣バトルシーンをまるでボクシングの試合を見るかのように、やれー!行けー!と興奮しているのです。
 それまで私は、たとえ怪獣バトルであっても特撮による映像の驚異を感じることしか頭になかったような気がします。しかし、怪獣同士の戦いそ のものから得られるカタルシスもまた重要であると気がつきました。組み合う、蹴る、噛み付く、尻尾で打つ、岩を投げる・・・・。
 この快感に気がつかない人もいるのは仕方のないことではあります。肉体感覚に乏しい人がいるのは事実です。しかし、自分にわからないからと いって、怪獣バトルを蔑むのはやめていただきたい。

『さよならジュピター』を初めて観た時は、泣きました。ああ、日本でも宇宙をまともに捉えたSF映画が作られるようになったのだなぁ、と。火 星の極冠爆破、そして木星に接近する宇宙船のシーンでは涙がこぼれてきました。エンドマークが出たときには、その涙もすっかり乾いていました けれど・・・。

 もうひとつ。伊福部音楽について書いておきます。
 東宝特撮に代表される特撮映画音楽としての伊福部音楽はずーっと大好きでした。それは、映画と連動して好きだったということです。
 ところが、復活フェスティバルで『海底軍艦』を観たとき、ニュープリントになって音質もよくなったのでしょうか、メインテーマ曲の聞こえ方 がそれまでと違っていたのです。
 とくに、主旋律が低めの音で繰り返されたあと、トランペットが高音で入ってくるところにはあまりのかっこよさに魂を抜かれたようになってし まいました。
 そのときの映像は揺れる海面をバックに文字が出ているだけですから、これはもう音楽の力としか言いようがありません。
 結局、そのときの『キングコング対ゴジラ』『海底軍艦』2本立ては朝から晩まで3回みました。とにかく『海底軍艦』のメインテーマ聞きたさ だったと思います。
(その日の夜もオールナイトを観にいく予定だったので、復活フェスティバルは多くても2回だけ見て休憩するつもりだった。伊福部音楽にノック アウトされた結果、24時間で延べ11本の映画を見るというバカ第二弾でした)
 その後、伊福部先生の純音楽作品も聴くようになり、伊福部音楽だからという理由で鑑賞した映画もたくさんあります。(『海底軍艦』、 5.1ch化してDVDリリース希望!)

 誤解があるといけないので、蛇足かもしれませんが、付け足しておきますね。
 私は特撮映画ばかり観ていたわけではありません。極力名作と言われる映画は観るように努力しましたし、ヌーベルバーグだのアートシアター系 の映画もみました。その上で、円谷特撮映画の評価をしています。(いや、でもまだまだですよ。映画100年の歴史を辿るのはそう簡単に出来る ものではありません)

 そのころの怪獣バカエピソード。
 1984年の夏ですね。もーとにかく貧乏ですから、一日の食費は250円以内、というルールで生活していました。その日、どうしてそんな魔 が差したのか、夕飯の買出しにスーパーへ向かう途中、本屋に立ち寄ってしまったのです。
 そこで秋田書店のムービーコミックスという本を発見。これは、映画フィルムからスチール写真を焼いて、漫画のコマのように並べて映画を再現 している本でした。
 ジャッキー・チェンの映画なんかがラインナップにあったようですが、私の目を釘付けにしたのはゴジラシリーズ!!2~3種あったでしょう か。1冊790円。
 わあああああああああああああああ。一冊買うだけでとんでもなく予算オーバーではないか!!
 しかし、まだビデオソフトを手に入れていないものがある。『三大怪獣~』があるじゃないの。オールカラーじゃないのさああああ。
 その日の晩飯はあきらめました。『三大怪獣地球最大の決戦』ムービーコミックスを買って、ボロアパートに帰ったのでした。
(同じようなことはその後2、3度やってます)

 ここで特撮映画を目指すお若い方に年寄りからアドバイス。
 私のような生き方をしてはいけません。ものには限度ということがあります。特撮映画観たさ、作りたさにすべてをなげうって、食うものも食わ ず、若者らしい遊びもせずに修行僧のような生活を送ってしまった私は、10代のころ鍛え上げた肉体が20代の十年間ですっかり消耗して病弱に なってしまいました。
 人生は芸術を極めるには短いです。それゆえ、死ぬまで元気でいなければ納得行く活動は出来ないでしょう。
 最低限、食べ物はちゃんと食べるようにしましょう。若いころは無理が利きますから、気力でなんとかなることが多いですが、歳をとってからツ ケが回ってきます。これは、絶対です。
 それから、自主製作映画にのめりこむのはほどほどにしましょう。得られるものは大きいですが、映画製作は大変に精力を使うものですから、自 分の作品のことばかり考えているとプロの映画業界に入るチャンスを逃す可能性が高いです。自主製作映画が認められて映画界入りした人材も確か にいらっしゃいますが、例外中の例外と考えたほうがいいです。
 プロのスタッフを目指すなら、専門教育をしてくれる学校に入ることをお勧めします。(私にはこれが出来なかった)
 そして、もっとも大事なことは、自分の頭で考えて方法論を見出すことです。誰かの意見を取り入れることも必要ですが、ちゃんと自分で考えて 納得出来たら取り入れましょう。
 ということで、私からのアドバイスもひとつの考え方として消化吸収してくれればいいです。納得できないと思ったら、さらに上の考えを模索し てください。

 1984年暮れに突入する前に、もうひとつ象徴的なエピソードを。

 1983年の春だったと思いますが、ある女性が池袋のデパートでゴジラ展が開催されていることを教えてくれました。私は自主製作映画の仲間 とその女性とともに池袋へ行きました。
 マニアが作ったというモスゴジスーツ(品田さんが作ったもの?)が展示され、ビデオモニターには『三大怪獣地球最大の決戦』が映し出されて いました。
 そのときはまだ三大怪獣~をそれほど繰り返し鑑賞してはいなかったので、私はあとの連中が呆れているのも意に介さず、じーっと三大怪獣に見 入ってしまったわけですが・・・。
 そんな情報を教えてくれた彼女には大変に感謝もし、ひょっとしたら自分の特撮バカを理解してくれる人かもしれない、などと淡い期待を抱いた りしたのです。
 その1年後だったでしょうか。再び彼女と会う機会がありました。
 彼女は開口一番、
「ねぇ、Tくん、ゴジラは卒業した?」と尋ねてきました。
 彼女にはなんら他意はなかったと思います。ただ、ゴジラというのは一生を懸けるようなものではないという大前提があったのでしょう。私が映 画製作に血道をあげていることは知っていたので、次の段階に入っているのではないかというニュアンスもあったように思います。
 私は、
「ぜんぜん。おれ、ガキだから」と答えておきましたが、埋めがたい溝を感じたことを覚えています。
 私にはゴジラを卒業するとはどういうことなのかわかりません。
 これだけ全身に染みついたゴジラ体験を捨てるにはどうすればいいのでしょう。また、どうして捨てる必要があるのでしょう。
 好きだったけど、あるときふと興味がなくなった、という事態が起こったとすれば、そんなのもともと大してゴジラが好きだったわけではないの です。
 私にとってゴジラとはマイブームなどという言葉で片付けられるようなものではありません。
 恋と愛は違う、ということです。

 1984年、ついに東宝は新作ゴジラ映画を製作しました。
 長年の夢が叶ったのです。しかし、事前情報によると怪獣はゴジラしか登場しない、ゴジラの恐怖を描く、怖いゴジラが帰ってくる、などなど。
 このころは、第一作目のみを傑作としてあとの作品は蛇足だという論調が強かった時期です。
 しかし、私は特撮オールナイトによって自らの目でその他の作品を繰り返し鑑賞し、認識を深めていました。当時の私の考えでは、ゴジラ一匹の みの作品は『ゴジラ』以外にはいらない。怪獣映画の核心は怪獣対決ものにあり、でした。
 それでも、ゴジラ映画の新作が発表されれば、円谷特撮映画の再評価、さらには日本特撮映画の復興も期待できるだろうと歓迎したのです。
 ゴジラこそもっともわかりやすい形で円谷特撮映画世界を背負う怪獣ですから。

『ゴジラ』(84)はいかなる映画だったのか。
 日本沈没的社会シミュレーションを取り入れたのはいいでしょう。ゴジラ一匹しか登場しなくてもいいです。構成がまずい、ゴジラが不細工、メ カ描写がなっとらん、音楽が腰砕け、そんなこんなは瑣末な問題です。
 ゴジラは1954年に東京に上陸してから、その後一度も現れていない、とはどういうことか。
『ゴジラの逆襲』から『怪獣総進撃』(『オール怪獣大進撃』は別枠の作品である)までの物語をばっさり切り捨ててしまったのです。
『怪獣総進撃』は東宝怪獣シリーズの掉尾を飾るものとして本多・円谷(監修です)コンビが、未来世界に設定した舞台で人類と怪獣の理想的な共 存を描き出したものですから、何人たりと総進撃の続編などは作りえないし、正統なゴジラシリーズであれば怪獣総進撃の手前の物語にしかなり得 ないので、総進撃が除外されるのは構いません。
 しかし。
 私には、84ゴジラは円谷監督の作品群をないがしろにした映画としか思えませんでした。
 円谷監督の特撮映画シリーズとは別の土俵で戦いたいのなら、ゴジラを使ってくれるな!

 84ゴジラはゴジラという名前を世間に思い出させる役には立ちましたが、円谷特撮の味を世間に思い出させることはありませんでした。

 今回の私の追想はここまでです。
 1984年に感じた私の失望は今にいたるまで続いています。
 平成vsシリーズには価値があります。その変遷を見守ることでより深く怪獣映画を考えることが出来ました。数少ない日本特撮映画としても貴 重でした。
『ゴジラ2000ミレニアム』に始まる新シリーズが今後どうなっていくのかわかりません。
 一作ごとの評価は出来ると思いますが、残念ながらシリーズ作品の態を成していません。
 いま、ゴジラは迷走しています。

謝辞
これまで全世界で製作された特撮映画とそのスタッフに敬意を表します。
見たことのない作品、嫌いな作品もあります。しかし、特撮映像でなにかを表現しようとしてくれたことだけで賞賛に値します。

そして、これまで特撮研究本、関連本の執筆編集に携わった方々にも厚く御礼申し上げます。
映画作品を考えるとき、作品そのものが最大のテキストであります。それでも、別の人の感じ方やスタッフの意図などを知ることで作品に向き合う ときの幅が広がりました。
なにより作品目録が書籍にまとまっていることで作品鑑賞の手引きになったことは非常に大きいです。

「大特撮」日本特撮を系統立てて見ることを可能にした最初の本。

「東宝特撮映画全史」『スター・ウォーズジェダイの復讐』劇場パンフレットにその予約通販広告を見つけたときは震えました。

「円谷英二の映像世界」&その増補改訂版。自分の作品作りにも大きな力となりましたし、円谷特撮映像の理解を助けてもらいました。『ゴジラ』 企画時に円谷監督が腹案として持っていた怪獣映画が大ダコものではなかったことを知ったのも大きいです。

「翔びつづける紙飛行機」&「特撮の神様と呼ばれた男」鈴木和幸著・円谷監督の人生を垣間見ることが出来ました。著者が須賀川の方なので、 「人間」円谷英二を知る資料としては一級。

「夢は大空を駆けめぐる」うしおそうじ著・円谷監督の現場での様子を知ることが出来ました。貴重な図版も多く、ゴジラ以前の作品がどんな風に 作られていったかが伝わりました。『キングコング』に衝撃を受けた円谷監督を活写したくだりは直接お話を聞くことが出来た方ならではです。

そのほかの書籍によっても貴重なインタビューやデータを知ることが出来ました。
資料収集という点では、竹内博さんに最大の感謝をささげなければならないでしょう。
円谷監督が雑誌などに発表した原稿を集めたり、写真をまとめたりしてその成果を出版してくださったことには深く深く感謝いたします。

そして、このたび、このような場を与えてくださったイカ課長さんに感謝します。
似たような回顧録を自分のサイトコンテンツにしようかなどと考えてはおりましたが、意図的に自分のサイトを怪獣一色には染めないようにしてお りますもので、お客さんも特撮系の人がほとんどいらっしゃいません。
ゴジラファンの方が多数ご覧になると思われるwebマガジンに寄稿させていただけたこと、望外の喜びです。私の転落人生とその過程で考えたこ とは、その是非は別にしても特撮や怪獣と真剣に向き合っている人には刺激になるはずだと確信します。
(昨年末の新作ゴジラ映画にはずいぶん厳しいことを申し上げておりましたから、単にゴジラで遊ぶという観点からは私のような者に物を書かせて はいけないはずです。それを敢えて私に依頼なさった決断にはありがたいと思うと同時に、こういう方が積極的にゴジラ普及活動をなさってくださ るなら希望はある、と喜びました)
ありがとうございます。

5.おわりに

円谷英二様

お誕生日おめでとうございます。(注・2002年7月に発行されたので)
今回、監督の作品との関わりを軸に人生を振り返ってみました。勘違いしていることもたくさんあったと思います。そんな勘違いを正すよう、今後 も努力&勉強していきますのでどうか長い目で見てやってください。
それから、文中で特撮、特撮映画という表現を使ってしまったことをお詫びいたします。
やっぱり小さいころから使い慣れた言葉でもあり、ほかのみなさんにもわかりやすいと思ってその言葉を使ってしまいました。
監督が「特撮」と言われることを嫌っていらっしゃるのは承知していましたが、ついつい・・。ごめんなさい。
監督がおやりになっていた仕事は撮影だけのことではないので、特殊技術、特技と表現するのが正しいのですよね。

監督の作品のお陰でいろんなことを教わりましたし、人生が価値のあるものだということも実感できたと思います。
監督の作品を鑑賞できる時代に生まれたことを天に感謝しています。

残念なのは、とうとう弟子入りできなかったことです。
きっと厳しい師匠でいらっしゃるのだろうな、と想像しています。
監督がこの世を去ってからは、やたら温厚な人だったという話ばかり広まっていますが、中野昭慶さんが初めて助監督としてついたときの厳しいお 言葉やモロボシ・ダンの瞳の光りかたを変えさせたこと、伊福部昭さんが「口は悪いけど、映画のことには詳しい人だなぁ、と思った」とおっ しゃっていることなどを考えると、とても苛烈な部分を持った方だったんじゃないかと思っています。
自分が納得できないことにはとことん反対したのではないか、と。

そうそう、私もへたくそながらも映画を作ったり小説を書いたりしてきましたので、激しい場面を描くにはたとえ文章で書くだけでも体力・気力を 使うものだということがわかってますし、そんな激しさを持ち合わせていなければ描けないということもわかりました。
そう考えると、監督の中には普段はあまり見せないとてつもない激しさがあったとしか思えません。

『モスラ』のニューカークシティ破壊シーンは、やっぱり突然の企画変更に対する怒りの表れなのでしょうか。

弟子入りして、波がうねるだけなのに人の心を動かす映像に仕立ててしまう本当の映画技術を盗みたかったです。昨年、30年来の悲願が叶って、 三菱未来館の映像を拝見しました。特技のシーンもストーリーと絡まなければ感動には結びつきにくい、と思っていましたが、やはり監督の映像は 別格ですね。伊福部さんの音楽も無視できませんけれど、波浪だけで感動させることも可能だとは新しい発見でした。

それから、怪獣のこともいつかお話を伺いたいです。
監督は怪獣たちを無垢なものとして演出なさったのではないかと思っています。
昨年、須賀川の円谷英二展へ行ってまいりました。
そこで読むことが出来た、監督が少年時代にお書きになったショートショートや漫画には動物好きの面が色濃く現れていて、動物観察眼が怪獣演出 にも生きているのだとわかりました。

私は怪獣が人間の建物や機械を壊すシーンが好きです。そこに映画特殊技術の巧が見えることももちろんですが、破壊には緊張とその開放があるよ うに思います。
そんな破壊シーンで昂揚するのは事実なのですが、怪獣を好きだなぁ、と思う瞬間は別のところなんです。
ゴジラに限定すれば、
『ゴジラ』で、東京湾にひょっこり顔を出したゴジラが、とくに何をするでもなく尻尾をひるがえして再び海に沈むところ。芹沢がオキシジェンデ ストロイヤーを持って近づいていったとき、海中でのんびりしているゴジラ。
『キングコング対ゴジラ』で、なぜか富士山をえっちらおっちら登っているゴジラ。
『モスラ対ゴジラ』で、名古屋タワーに尻尾をひっかけて、倒れてくるタワーにびっくりするゴジラ。
『三大怪獣地球最大の決戦』ではモスラの説得にあごを上に向けて首を左右に振るゴジラ。こういう身振りって人間だけじゃないんですよね。犬も 似たような動作をします。
『怪獣大戦争』の尻尾を抱いて寝ているゴジラ。
『南海の大決闘』でよっこらしょと座るゴジラ。
『ゴジラの息子』の尻尾を踏まれて、薄目を開けるゴジラ。
『怪獣総進撃』ではヘリコプターを見上げているゴジラ。

気を抜いているゴジラを見ると、こいつも仲間だ友達だと思えてきます。
ゴジラというのはそんな存在だったはずですよね。
『ゴジラ』でのゴジラだって、ゴジラに共感できる部分がなければ作品が成立しないはずだと思ってます。

小学時代の悩みなのですが、怪獣映画はどうして怖くないのだろう、と不思議に思っていました。
あんなでっかい、暴れん坊の生き物が出現したら本当ならものすごく怖いはずなのに映画を観てもちっとも怖くない。
監督、それって、わざとですよね。
『空の大怪獣ラドン』のDVDについてきた公開当時の本多猪四郎さんのコメントを読むと、怪獣を描くにあたって怖がらせることは考えていな かったと思われるのですが、違ってますか?
怪獣映画は恐怖映画じゃないですよね。

そうそう、DVDといえば『三大怪獣地球最大の決戦』オーディオコメンタリーで若林映子さんが、
「円谷一さんが、英二さんの怪獣演出は俺たち息子を見てヒントにしたんだ、と言ってました」というようなことをおっしゃってます。
やっぱり、怪獣って「子供」のような存在であると考えていいのでしょうか。
そう考えれば、すごく小さい子供にも怪獣がすぐに受け入れられることに説明がつくように思います。
うちの息子はもうすぐ2歳です。まだあまり監督の作品は見せていないのですが、もう怪獣のことは覚えてしまって、怪獣の写真や人形を見ると 「がうーがうー」と叫んで興奮しています。

『ゴジラ2000ミレニアム』と『ゴジラ×メガギラスG消滅作戦』に出てきたゴジラには無垢な感じがありました。監督はどうお感じになったで しょうか。

怪獣の円谷と言われることがお嫌だったと聞きました。
それでも怪獣が嫌いだったわけではないですよね。
怪獣映画を作り続けることは正しいのでしょうか。
あるいは、怪獣を人類の敵として描くことは正しいのでしょうか。

きっと監督の中にはきちんとしたお考えがあるのだと思います。
そのお答えをお聞きできないことが悔しいです。

いずれ私もそちらへ行くことになると思います。
そのときはどうか一緒に映画作りをやってくださいませんか?
特技は円谷監督、本編は本多監督、怪獣映画ならゴジラ役を私がやるわけにいかないので・・・・・・、ゴジラと対戦する新怪獣の役をください。 キングギドラと並ぶような強力なライバル怪獣を考えましょう。
もういちど体を鍛え直して、スーツ演技に耐えられるようにします。
それとも、スーパーメカものがいいでしょうか。
今度は宇宙にも飛び出しましょう。
艦長役には田崎潤さん?それとも藤田進さんで行きますか?
科学者には平田昭彦さんですよね。
私の役は、関沢新一さんと相談して決めましょう。

監督とお会い出来る日まで、いましばらくの時間が必要みたいです。
もう少しこの世で踏ん張ってみます。
監督が残した傑作映画の数々を鑑賞して精進します。
これまでのご恩に感謝いたします。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

                               2002年7月   ghidorah(英二の馬子)




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