いまは亡き友へ

 

                              津川 康

 

 久しぶりに、本当に久しぶりにこの山へ登る。私がこの手で君を埋葬した山だ。あの頃は人も世の中も乱れ ていて、我々のような根無し草が葬式なんかやれる時代じゃなかった。

 秋の陽光はわずかに西に傾き、柔らかな暖かさを肩に感じる。木々を見上げ、鳥の声に耳を傾けるとあの頃 に戻ったような錯覚にとらわれる。しかし、頭上の爆音がその錯覚を蹴散らした。小型機がアクロバット飛行の練習をしているようだ。いつのまにか個 人が飛行機を持てる時代になってしまったのだ。眼下に広がる盆地にも道路網が走り、疾走する自動車のボディがきらきらと輝いている。

 君がなぜ殺されたのか、ついに私には判らないままだ。目撃者はいたが、その男も逃げるのに精一杯で詳し いことは何も知らないと言っていた。犯人が罰せられる事もなかった。

 君は自分の死をどう思っている? 「どうせいつかは死ぬのさ」というのが君の口癖だったな。だが、納得 して死んだのではあるまい。絵描きになるという夢は果たされないままだったじゃないか。人が人を殺すのは馬鹿げたことだろう? それとも、人間と はそういうものだと言うのだろうか。

 山頂が近づいてきた。かつてはここに鳥居があって、その先、道が山頂へ向かって曲がるところに小さな社 が建っていた。いまは神社の代わりに送電線の鉄塔が脚を下ろしている。

 私が記憶の中の神社を確かめながら道なりに左へ向きを変えると、視界に小さな緑の光が点滅した。電話が 入ったようだ。たぶん明日のことだろうが、いまは誰とも話す気にはなれない。電話には電脳人格に出てもらうことにしよう。君には信じられないだろ うが、いまは誰でも自分の「影武者」を持っているんだ。

 ニヒリストを気取る君は、学問が人を変えるかも知れないという私を嗤(わら)ったものだ。「学問なんか 何の役に立つんだ。自然の仕組みが判ったところで、なんにも変りゃしないよ。いろんな道具を発明しても生活が複雑になるだけで、結局は食って寝て 子供作って死ぬんだ。そして、強い者が弱い者から何でも奪い続けるのさ」と。あのころは、私にも確信はなかった。君が正しいと思えることの方が ずっと多かったから。確かに君も命を奪われた。

 頂上に立ったとき、太陽は遥か西の山脈に引っかかって今日最後の輝きを見せていた。その太陽にも、昔は なかった人工惑星が群がって人類のエネルギープラントとなっている。あの頃とは何もかもが変わってしまったんだ。学問は道具を作るだけじゃない。 病気に罹る人も少なくなったし、社会制度や道徳も変わった。人間は死ぬために生きているんじゃないんだ。一人一人が理想を追い求めれば、きっと、 少しづつでも人類は善いものに変わっていくだろう。なあ、そうじゃないか。

 もう君の墓標にした石は見つからない。それでも、私の腕や肩は君の骸(むくろ)の重さを覚えている。私 もずっと迷っていたのだ。人類はこの宇宙の中で価値あるものなのか。本当のところまだ迷いはある。しかし、そろそろ人類は次の段階へさしかかって いるようだ。食って寝て子供を作ることにだんだん興味を示さなくなっているらしい。というより、学問や芸術、経済活動、それにもちろん遊びに費や す時間のほうを大事にするようになったんだ。その結果人口が減りつつある。そのうえ、恒星間航行の画期的な方法が発明されてしまった。このまま人 類が宇宙へ広がっても拡散するだけで、種族の活力は失われてしまうのではないか。一人の人間にはもっと長い人生が必要だ。知的興味も享楽も子育て もすべて満足させるべきだ。

 君の笑い声が聞こえる。「どんな奴ももうじき死ぬから許せるのさ」ひょっとすると、人類もこのまま拡散 して消え去るのが正しいのか。人類が宇宙の害虫であるかもしれないのだから。それでも、私は人間を信じたい。私は年寄りだ。物事が変わっていく様 子をいろいろ見てきた。人間は頑張っていると思うよ。国家間の戦争もなくなったし、人種差別も消えつつある。そう、なんといっても、〝侍が絵描き を志す宿無しを斬り殺しても何の沙汰も受けない〟なんてことは絶対にない。君のように殺される者は一人もいなくなったのだ。

 明日、私は長年の研究の成果、そして私の体の秘密を公表しようと思う。この私の、不死のメカニズムを。

 いつか人類は時間をも操れるようになるだろう。そのとき、もう一度君に会いに行こう。千年の時を越え て。