谷岡研究所セット
このあたりになってくると記憶が曖昧になってしまうのです が、
87年から特撮部分の撮影に入ったはずです。

阿久田研究所セット
夏には追加シーンや取り直しシーンの撮影もありま したが・・・
なんというか、映画を作る病にかかっている感じでいつ果てるともしれない作業を続けていたような気がします。
あ、Nくんの受験の話はいつの間にか消えてなくなりました。

全自動火箭発射車撮影

阿久田研究所炎上

幻の東京タワー倒壊シーン。
ビームを発射したあと、熱で溶けたタワーが
崩れ落ちるという設定だったのですが、
タワー土産のプラモデルは着火が良すぎて爆発的に炎上。
そのカットは使いものになりませんでした。

この写真は89年夏のものです。
一度撮影してあったラストシーンが気に入らないため、
シナリオを書き直してリテークしましたときのものです。
多分、この日が演技に関してはクランクアップだったと思われます。

はて、88年には何をやっていたの か???

フィルム版の完成は1989年の9月 か10月だったはずです。
(そうそう、録音も大変だったんですけどね)
公開は89年、12月16・17日恵比寿にて。
奇しくも5年ぶりの新作ゴジラ『ゴジラvsビオランテ』の封切りと真っ向勝負となりました。

85年の春から89年の秋までかかっ たわけで、そりゃもう様々な人の力を借りました。
いまはもう連絡の取れなくなった人がほとんどですが、感謝の気持ちは今でも変わりません。
いや、製作に一所懸命だった当時より、現在のほうがその有り難みを重く感じています。

みなさま、本当にありがとうございま した。