6.電撃
「…ねえ、さんちゃん。わたしの大胆な仮説を聞いてほしいんだけど、ヴィドラって、ヴィーナスドラゴンの略よ ね。ひょっとしたら、ほんとにドラゴンじゃないかって思うのよ。つまり、いままでわたしたちが見たことのない生き物じゃないかってこと。生命が惑星の 上だけで発生するとは限らないでしょ。無重力空間で進化したなら、移動するためにロケットを持っていてもおかしくないんじゃないかな。マックスウェル 号に近づいていったのも、同類を見つけたと思った、っていうのはちょっと強引かなあ。…おじいちゃんはジュピター三世の船長にかけあって、地球帰還を 急ぐつもりらしいです。余分にかかった燃料代ぐらい払ってやるって息巻いてます。でも、あとのお客さんがどう思うか問題よね。船内のイベントスケ ジュールなんかもあるし…」
松田瑠奈から平田三十郎への私信より。
ヴィドラは再びクレオパトラクレーターに降下していった。そして、マックスウェル号を見つける前と同じく、透 明な巨塔上空を旋回し始めた。
グラ号からの報告で、クレオパトラクレーター一帯が異常な高温を示しており、さらにクレーターの中心に捻れた 巨塔が屹立していることを知ったミッションコントロールからは、至急シフ号を降下させてその景観を地球へ送れという指示が下った。
「どうなんだろうな。プロデューサーはすぐ降りろっていうが、夕べヴィドラと遭遇して、今朝は宇宙でヴィドラと 鬼ごっこだろ。詰め込みすぎだよ。幸いグラ号には、あー、推進ファンと通信機材以外には異常がないんだから、もう少し間を空けてから次の展開に持って いった方がいいんじゃねえかな」
シフ号の操縦席で斉藤がぼやいている。グラ号の無事が確認されて、かなり余裕が出来てきたらしい。プログラム 全体の演出を考えている。
「でもね、斉藤さん。グラ号から、あの真っ赤に焼けた地表とクリスタルの塔の映像をちらっと見せちゃいましたか らね。ネットじゃ、もっと見せろの大合唱ですよ。行かないわけに行かないでしょう」
斉藤の後ろに相変わらず窮屈そうなQ太郎が座っていた。
平田と黒田は、二度目の降下も放送するためにカメラ操作と映像音声調整に追われていた。彼らの席も斉藤の後ろ だが、Q太郎に背を向けて横を向いている。
「おれ、斉藤さんのいいたいことわかりますよ。あまり続けていろんなことが起こると、視聴者は驚かなくなっちゃ いますからね」
「お、平田。お前演出の心が判ってきたな。そうだよな。嘘でもいいからなにか理由つけて、降下まで引っぱったほ うがいいよな。あ、文、艇内の音声は流してないよな」
黒田は黙ってOKサインを出した。
マックスウェル号から分離したシフ号は、金星の大気圏目がけて垂直降下を行った。その後マックスウェル号はエ ネルギー節約のために、再び地上一〇〇〇キロを周回する衛星軌道に移動した。
シフ号は、ヴィドラに見つからないようにグラ号に近づくためマックスウェル山の西側を目指して降下した。クレ オパトラクレーターはマックスウェル山の東側の山裾にあるので、一旦山頂の西側に降りてから、地表近くを移動してこっそりグラ号に近づこうというので ある。
マックスウェル山は高さ一万一〇〇〇メートルという金星一の高さを誇る山である。金星には海がないので、高さ といっても金星の平均面からの高さである。この山は、地球の山に比べると非常になだらかな傾斜を持っていて、それで高さが十一キロもあるということ は、山裾がとてつもなく広いということである。それは極めて大まかにいえば、長径一〇〇〇キロ、短径五〇〇キロの楕円形をしており、北西から南東に斜 めに広がっている。マックスウェル山は、東経五度前後、北緯六〇度から七〇度という高緯度地域にある、大地の皺のような山であった。
「おおっ」
平田は思わず声を上げた。硫酸の雲を抜けて減速しはじめたシフ号の眼下に広がるのは、一面の赤い大地だった。 どうやら、温度が上昇しているのはクレオパトラクレーターだけではないようだ。少なくともいま見える範囲の地表はすべて赤い光を発している。特にマッ クスウェル山の山頂付近がより強く光っているような気がする。いや、山頂というような尖った部分はないので、強く光っているところが山頂のように見え ただけかもしれない。
「見るからに熱そうじゃねえか。大丈夫なのか」
斉藤は、汗などかいていないのに額を拭う動作をしていた。
「大丈夫ですよ。グラ号の報告では六〇〇度ぐらいなんでしょ。着陸艇の限界は八〇〇度だって聞きましたよ。それ に、グラ号はちゃんと耐えてるじゃないですか」
と笑って見せたものの、平田にも大丈夫という確信があるわけではない。
シフ号は慎重に減速して、地表から一〇メートルの高さにホバリングした。各システムに異常はない。これから マックスウェル山のだらだら続く斜面を登って、山の向こう側にあるクレオパトラクレーターを目指すのだ。
「いまマックスウェル山の西側に降りた。あと一時間ぐらいでそっちに着けると思う」
斉藤からの通信を聞いて、グラ号の〝タレント〟たちは安堵のため息をもらした。
「あー、もういやですわ。こんな地獄のようなところに立ち往生するなんて、思ってもいませんでした。だいたい、 あれ(と、ヴィドラを捉えているモニター画面に顎を振った)に光なんか当ててみるからいけないんですわ」太田摩湖はそう言って、山西を軽く睨んだ。
「あれええ。摩湖さんよ、勘違いしないで下さいよ。光を当てようっていったのはリーダー土屋だぜい」
山西悟は、聞こえない振りをしてマルチスクリーンの前に立っている土屋紘一に食べ終えた食料パックの容器を丸 めて投げつけた。ぽこん、と音を立てて頭に当たっても、土屋は微動だにしなかった。
「ふーむ。一時間経って、シフ号が来たところで、しばらくはここから動けないんじゃないかの」バーニー服部は渋 い顔で天井を仰いだ。
「地球からはもっと映像を送ってこいと言われているようじゃないか。動けなくなったグラ号からわしらを助け出し たとしても、そのままここで仕事を続けるんじゃないかな。斉藤くんはそう考えているだろうな」
服部は、どうも気に入らない、と口をへの字に結んだ。
「あれ?」スクリーンを睨んでいた土屋が不安げな声を上げた。
「みんな、ちょっと見て下さいよ。ヴィドラに動きがありますよ」
グラ号の外部カメラの一つは、塔の上空を旋回するヴィドラを向いていたが、その画面にヴィドラが映っていな い。
「あ、いなくなっちゃった」
百合子が土屋の後ろに寄ってきた。あとのメンバーも何事かとマルチスクリーンの周りに集まる。
「どうしたんだね。…山西、カメラの操作できたな。もちょっと引いてヴィドラを探してみなさい」
服部に言われて山西が操作パネルをいじると、画面のフレームが変わって塔の中央部から上を捉える広い画面に なった。透明な塔は地表の光を反映して赤く光っているが、空は真っ黒だ。
「ヴィドラが上昇していったんですよ。まさか、またマックスウェル号にちょっかいだそうっていうんじゃないで しょうね」
土屋の不安は外れたが、といっていいことがあるわけでもなさそうだ。画面にヴィドラの推進ジェットがフレーム インしてきた。山西が仰角を調整したらしい。
「あら。空中に止まっているみたいですわね」太田摩湖が画面上のヴィドラを指さす。
「山ぴょーん、もっと寄ってみてよゥ」
百合子にかかっては強面の山西も「山ぴょん」である。山西は、顔中皺だらけにして「んあ?」と口を開けたが、 怒鳴ることもなくおとなしくヴィドラにズームインした。
いまヴィドラは塔の真上、五〇〇メートルのところ、地上一〇〇〇メートルに浮かんでいた。十二本の首はすべて 塔の頂上を向いている。根元から折り曲げて、本体を囲むように真下を向いているのだ。
一同がヴィドラの動向に注目していると、マックスウェル号から通信が入った。といっても、船長でも副長でもな い。
「グラ号のみなさん。いかがお過ごしでしょうか。こちらはマックスです。ただいまクレオパトラクレーターから発 振されていたマイクロ波が停波しました。この通信が届くまでの時間を加算するとみなさんにとってはおよそ十秒前のことになります。なにか変わったこと はありませんか」
マックスが言い終わるのと、画面のヴィドラがエンジンを止めたのは同時だった。
「落ちるぞ」
土屋の言葉に合わせるようにヴィドラがすーっと下へ動き始めた。山西はカメラを引いて、その姿を逃がさないよ うにする。
ヴィドラは姿勢をまっすぐに保ったまま二〇〇メートルほど落下した。そこで、ヴィドラの首の先端から塔の頂点 に向けて稲妻が走った。
青白い光の筋がヴィドラと透明な塔を結んだ。
グラ号の分厚いボディを通して、雷鳴が響いてくる。
電撃を受けた塔の頂上部から光の塊が下っていった。捻れた塔の形に合わせて回転しているように見える。塔は地 底深くまで突き刺さっているらしく、その黄色い光の固まりが基部を過ぎて地面に消えても、地下から赤い光に混じって黄色い光が射している。
ヴィドラはロケットをひと噴かしして高度をとると、再び落下しながら放電した。
雷が塔に当たり、塔の中を光の塊が落ちていくというプロセスが繰り返される。
「おいおいおい。今度は何事だ。冗談じゃねえよ。もう金星にいるのはたくさんだよ」
山西は、間断無く聞こえてくる雷鳴に少々おびえているようだ。
「マックしゅー。聞こえてるー。変わったことあったよ。ヴィドラがクリスタルタワーに雷落としてるよー」
百合子だけは、何が起こっても楽しそうだった。
「服部さん!」
突然強い口調で太田摩湖がバーニーに詰め寄った。
「推進ファンの修理は出来ないんですの。このままあたくしたちはここから動けないんですの」
服部は何か言ってやらねば、と口をぱくぱくさせて言葉を探したが、摩湖はそんな服部にはお構いなく一人でまく したてはじめた。
「ああそうよ。動けないのよ。そしてあいつの雷にあってみんな黒こげになるのよ。助けに向かっているはずの斉藤 ディレクターはそれを狙っているんだわよ。そうよそうよ。人が死ぬところを放送するのよ。それで松田洋平さんも大喜び。世界のみんなも残酷だとかなん とかいいながら、興奮興奮大騒ぎ。それもこれも戦争がないからこうなるんです。死が必要なんだわ。あーいやいやいやいやいや」
服部は、これはいかんと一発怒鳴りつけることにした。彼が肺一杯に息を吸い込んだところで、太田摩湖が手のひ らを突きだし、
「ストップ」と言った。
それから深呼吸をひとつすると、
「みなさん、お騒がせしました。ちょっとパニックになりそうだったので、自分でわざと錯乱したんですの。こうす れば、ほんとうにおかしくなることはありませんわよ。一度お試しあれ」
と何食わぬ顔で椅子に座ると鼻歌を歌い始めた。
「摩湖さーん」
土屋がへたりこんだ。
「おお?」
計器盤の近くにいる山西は、艇外環境モニターに目をやって不審そうな声を出した。
「どうした山西」
とバーニー服部が近寄ってみると、山西は地表温度計を指さした。
「服部さん、温度、上がってませんか」
「どれどれ。うううむ。摂氏五八六度か。まあ、上がっているといえば上がっているが、二,三度だろ。大勢に影響 はない。気にするな。大丈夫だいじょうぶ。がははははは」
ヴィドラの電撃はまだ続いている。
7.武器はある
クレオパトラクレーターは二重リング型で、中に入るためには二つの縁を乗り越えなければならなかった。シフ号 は順調にグラ号目指して近づいている。
赤光を放つ岩盤を見て、斉藤が興奮している。
「いいねいいね。きれいじゃねえか。それもどこか不気味なところがまたいいね。『二〇〇一年』の最後のほうに、 こんな感じのカットがあるんだよな。平田、頼むぞ。いい画を押さえとけー」
斉藤ディレクターはとりあえず赤い光で興奮しているようだが、事態はあまりよろしくない方向に動いていた。
ヴィドラによる電撃が始まってから、「塔」近辺の地表温度が上昇しはじめており、先ほど着陸艇の限界である八 〇〇度を超えたらしいのだ。慣性制御フィールドの効果で伝導熱はかなり軽減されていたが、赤外線等で運ばれる輻射熱は防げない。そして着陸艇は熱電池 や真空断熱層などで外部の熱を艇内に伝えない設計になっているが、完全に断熱出来るわけではない。さらに内部で発生する熱を艇外に捨てる必要もあっ た。それは乗員の体温や機材が発する熱である。外気温が八〇〇度以下なら冷却装置で艇内の余分な熱を捨てることが出来るが、それ以上になるともう艇内 を冷やすことが出来なくなるのだ。
「こちらグラ号。かなり暑くなってきました。気温も八〇〇度に近いようです。推進ファンが動かないんで、電力消 費が少なくって、熱電池の断熱効果も下がってるみたいです。慣性制御フィールドは全開だし排電レーザーも発射されてますが、熱電池の起電力のほうが おっきくなっちゃいました」
土屋が半泣きで報告してきた。もうグラ号とシフ号は中継衛星を使わずに直接交信できる距離まで近づいている。
「土屋くん。あと数分でそっちに着くから、みんな金星服を着て待機しててくれ」
平田の指示で、グラ号では金星服装着に大わらわとなった。
シフ号の前方で青白い光が点滅するのが見えてきた。ヴィドラが「塔」に対して行っている放電の光だろう。それ がぐんぐん近づいてくる。そして、透明な捻れた直方体も見えてきた。その中をエレベーターが下るように黄色い光の塊が地面に落ちていく。
シフ号は推進ファンを逆に向けて減速すると、ゆっくり塔に近づいていった。辺りの気温は八〇〇度に近いので、 シフ号も長居は出来ない。
グラ号が確認できた。「塔」の左側にうずくまった亀のような機体が見える。その尾部から上空へ向けて緑色の光 条が伸びている。熱電池が発生する電力を廃棄するための排電レーザー光だろう。
「こちらグラ号。シフ号が見えます。早く来て下さーい」
通信スピーカーから土屋の声が響いてきた。グラ号から送られてくる映像には、金星服に着替えた五人がミーティ ングルームでうろうろしている様子が写っていた。やはり顔の部分にはそれぞれの似顔絵が描いてある。
シフ号がグラ号まであと五〇〇メートルに迫ったとき、ずうっと続いていたヴィドラの放電が止んだ。ヴィドラは 下に向けていた首を持ち上げて、機体を水平にするとシフ号目がけて降下してきた。
「ちぇっ。見つかっちまった」
操縦桿を握り直して斉藤が舌打ちをする。
「しかも、放っといてくれないみたいですね」
平田は、カメラのフレームにヴィドラを捉えながら、大きく深呼吸した。
ヴィドラはシフ号の進路を断ち切るように真正面に降りてきた。機体を水平にしたままなので、「首」の先をシフ 号に突きつけるような形だ。着地することはなく、激しく胴体下方からガスを噴射して宙に浮いている。
斉藤の操縦でシフ号はヴィドラを迂回してグラ号に近づこうとするが、ヴィドラもそれに合わせて横に移動した。
「グラ号に近づけないつもりかなあ」
Q太郎が言わずもがなのことを言う。黒田文は少し違う見解のようだ。
「さあ? 塔に近づけたくないんじゃない。どっちでも同じだけどね」
斉藤はシフ号を左右に振ったり、上昇させてみたりしたが、ヴィドラはぴたりと付いて来た。その位置は常にグラ 号あるいは塔との間に入るようにしている。
「やっぱり…」
平田は瑠奈からのメールを思い出していた。
「あの動き方をみると、ヴィドラって生き物じゃないですかね」
「生き物でも機械でも関係あるか。このままじゃグラ号の連中を助け出せないぞ」
斉藤はかなり焦りはじめていた。
「ちきしょー。俺たちになんの恨みがあるってんだ」
グラ号の船外カメラでシフ号とヴィドラの様子を見ていた山西は、金星服を着たまま頭を掻きむしった。
「ヴィドラを一時的にでも追い払うことが出来れば、その間にシフ号に乗り移れるというものだが…」
バーニー服部はなにか考えを巡らせているようだ。顔は見えないが、声の調子が沈んでいる。
「つっちー、なんかいい方法思いつかないの? あたし、金星服ってキライなんだよねー。だいたいあたしの似顔絵 ぜんぜん似てないしぃ。はやくシフ号に行って脱ぎたいの」
百合子につつかれても、土屋には何も考えつかない。
「百合ちゃん。あんまりばたばたしないの。動くと体温が上がって、金星服を着ていられる時間が短くなるんです よ」
太田摩湖は母親のような態度で百合子を窘めた。実際、ふた回りも年上である。
「よし、決めたぞ」
服部がぽんと手を打った。
「なんすか、服部さん」
土屋が問いかけてもそれには答えず、服部はシフ号に向かって話し始めた。
「あー、斉藤くん。服部だ。ちょっといいことを思いついた。なんとかヴィドラを追い払えるかもしれん。われわれ は外に出て待機するから、ヴィドラが逃げたら、こっちに来てくれ」
シフ号はとりあえずヴィドラと見合ったまま停止していた。斉藤は操縦桿を保持して、通信用カメラに顔を向け た。
「いいこと? ヴィドラを追っ払うんですか?」
横から平田も口を挟む。
「外に出て待機するって、いまの地表温度じゃ、金星服はたいして保ちませんよ。大丈夫なんですか?」
「ふん。だめならまたグラ号に逃げ帰るしかないだろ。そのときは、また何か考えればいいだろ。とにかく、ヴィド ラに隙が出来たらこっちに来てくれ」
グラ号のみんなは服部に急き立てられてエアロックへ向かった。金星服を着ると図体が大きくなるので、エアロッ クの一区画には二人しか入れない。まず土屋と百合子が第一区画に入り、加圧を終えて次の区画に移ってから山西と太田がエアロックに入った。
服部は四人がエアロックに入ったのを確認して、ミーティングルームの床に四つん這いになった。しかし、膝の関 節は伸ばしている。
「金星服脱衣」
彼の音声コマンドで、金星服は機能を止めて背中の蓋をぱっくり開けた。バーニーは補助動力が切れて固まった金 星服から身を持ち上げると、開口部の縁に手をかけて体を抜き出した。それから階下の操縦室に降りて席に着いた。
「おおい、服部さんはどうした」「えっ? 山西さんと一緒だったんじゃないんですか」
金星服との通信回線を開くと、外に出たみんなが服部不在に気が付いて騒ぐ音声が聞こえてきた。
「みんな、聞こえるか。わしは操縦席にいる」
服部は忙しくグラ号の機能チェックをしながら、四人に指示を出した。
「みんな出来るだけグラ号から離れなさい。これから姿勢制御ロケットを使って機体を動かす。噴射ガスで吹き飛ば されないようにしろ」
「服部さーん、何をしようってんですか」
山西は無線通信であるにもかかわらず、遠くへ呼びかけるように叫んでいた。
「ヴィドラの奴に、グラ号の排電レーザーをお見舞いしてやるのだ」
着陸艇の尾部には熱電池による電力の余剰分を消費するためのレーザー発射機がついている。これは電力を使うた めだけのものなので、特に熱エネルギーの大きな波長を使っているわけではないが、いまは限界出力に達しているのでかなり「熱い」ことは確かだ。しか し、排電レーザーはその発射口を動かすことが出来ないので、グラ号そのものを傾けてヴィドラに当ててやろうというのが、服部の目論見である。
「マックスウェル号のプラズマジェットで動きがおかしくなったらしいから、尻に火がつけば奴だって逃げ出すだ ろ。その隙にシフ号に来てもらうのだ」
服部の右手のスクリーンには塔の方へ退避する四人のタイヤ男―ビバンダムくんが映っている。反対側のスクリー ンにはヴィドラの後ろ姿が映っていた。いまは機体を水平にして胴体に無数に開いている小型ロケットの噴射で浮いているので、主エンジンのノズルがよく 見えた。どういう設計なのか、大小さまざまな擂り鉢状の穴が胴体断面にランダムに並んでいる。
「さて、行くぞ」
バーニー服部は操縦桿を握りしめた。
グラ号は機体右側に数基ある小型ロケットを地面に向けて噴射した。そして左側の推進ファンユニットを軸にぐ ぐっと傾いた。それに連れてまっすぐ空に向けて伸びていた緑のレーザービームが地表に倒れてきた。
続いて機首から機体に対し垂直にロケットを噴射すると、左後部の推進ファンユニットを軸にゆるゆると回った。 レーザービームは水平から僅かに上を向いた角度でヴィドラに近づいていった。
「シフ号へ。こちら服部。もうじきレーザーがヴィドラに当たる。ヴィドラが動いたときにビームが当たらないよう に出来るだけ高度を落としてくれ」
バーニー服部は慎重にグラ号を動かして、レーザーをヴィドラに近づけていった。ヴィドラが上へ逃げるか、左右 のどちらかへ行くか、それも考慮して頭の中で操作をシミュレーションする。
金星の大気で散乱したレーザー光は緑の棒となってヴィドラの真後ろに突き刺さった。レーザーが当たった瞬間、 火花が散ったように見えたがそのあとは反射光も見えず、ただ吸収されているようだった。
「服部さん、どうです? うまいこと当てられましたか。こっちからは見えないんですよ」
シフ号から平田が聞いてきたが、服部は「むむ」と唸ることしかできなかった。
失敗か…。奴にはレーザーは効かないということか。
服部はロケットの推進剤残量を考え、うまくやれば主エンジンの推力でヴィドラに体当たりが出来るかも知れない と考えていた。
その時、ヴィドラが動いた。
「首」の一本が背中越しに後ろを向くと、すーっと垂直に上昇した。服部はグラ号の角度を変えてレーザービームで ヴィドラを追いかける。
前を塞ぐものの無くなったシフ号は、乗降タラップを展開しながら巨塔目指して突進した。その根元近くに四人が いる。
「服部さんも早く出てきて下さいよ」
山西が叫んでいるが、まだヴィドラを完全に追い払ったとはいえない。ヴィドラはレーザー光を避けているようで はあるが、逃げることはなくグラ号の上空を行ったり来たりしていた。
シフ号が助けを待つ四人の元へ到着したとき、大地が突き上げられるように揺れた。それに伴ってどおおおんとい う地響きも聞こえた。地面の光が少し強くなったようだ。
地面が揺れて暴れるグラ号を服部はなんとかねじ伏せて、前後左右に機体を傾けながらレーザービームをヴィドラ に向け続けた。
「や、ここまでか」
ついにロケットの推進剤が無くなった。軽いショックとともにグラ号が地面に落ちる。慣性質量が減少していなけ れば、機体の損傷や怪我は免れないだろう。
「こちらシフ号。四人ともエアロックに入ったぞ。服部さんも早く!」
斉藤が怒鳴っていた。
「わかった。こっちももう燃料がないから何もできん。これから外へ出る」
服部は急いで階上へ昇り、再び金星服の中に収まった。
「あ、ヴィドラが降りて来るぞ」
平田が操作するカメラに、グラ号の前方から斜めに降下するヴィドラの姿が映っていた。
「斉藤さん、服部さんが外に出るまでなんとかヴィドラを引き離せないですかね」
ヴィドラはグラ号の正面に着地すると、首でグラ号をつつき始めた。突然動きを止めたグラ号の様子を見ているよ うにもみえる。
通信スピーカーから服部のうろたえた声が流れてきた。
「いまエアロックに入った。おおっ。何事だ。機体ががんがんいってるぞ」
「服部さん、まだ外へ出ないで下さい。奴が目の前にいます。…斉藤さん、なんとかなりませんか」
と平田に言われても、斉藤にもどうしようもない。
「うるせえな。…文、バッテリーの充電量はどうだ。むりやり排電レーザーを発射することはできねえか」
「推進ファンを止めれば、グラ号並みのレーザーを発射できますが、それだとヴィドラに当てられませんね」
「グラ号と同じく姿勢制御ロケットを使えば…」
「だめだよヒラちゃん。いまロケット燃料を使っちゃうと、金星から出られなくなるだろ」
一同が思案している間に、ヴィドラはグラ号のボディをばしばし叩き始めた。ゆで卵の殻を押しつぶしたように表 面にひびが入ってくる。
「服部さん、まずい。一か八かだ。外へ出ちまいましょう」
斉藤の言い方は無茶苦茶だが、このままグラ号に留まっていたのでは、下手をするとヴィドラに押しつぶされる。
「何が起こっとるんだ。ものすごい音が聞こえるぞ。…外へ出て」
服部がそこまで言ったときぷつりと音声が途絶えた。グラ号の通信機材が壊れたらしい。金星服からシフ号への中 継が出来なくなったようだ。
「ああっ」
Q太郎が素っ頓狂な声を上げた。いままでグラ号とヴィドラを映しているスクリーンしか見ていなかったが、Q太 郎が指さしているのは、マックスウェル山方向を向いたカメラの映像だった。
傾斜が緩やかなため、長い坂道にしか見えないマックスウェル山だったが、その頂上部が火を噴いているようだ。 ぼんやりと霞む火柱がゆらゆらと伸び縮みしている。そして、また地響きを立てて地面が揺れた。
ヴィドラが数本の首をマックスウェル山へ向けた。マックスウェル山の噴火を確認したためかどうか、グラ号には すっかり興味を失ったようにエンジン全開で飛び立った。
「服部さーん。いまだ! 逃げろ」
聞こえるはずもないのに平田は叫んでいた。しかし、その平田の叫びが聞こえたようにグラ号のハッチが開いた。 そしてバーニー服部の似顔絵を頭部に描かれた金星服が姿を現した。
服部の金星服が青白く光った。ヴィドラが塔に対する電撃を再開したのだ。地響きに混じって雷鳴も轟く。
シフ号操縦室の天井ハッチが開いた。顔を覗かせたのは山西である。
「服部さんは?」
「心配するな。いま出てきた」
斉藤はシフ号をグラ号に近づけていった。平田は服部の姿をカメラで狙っている。どうやらグラ号の慣性制御装置 もいかれてしまったらしい。服部はやけに慎重にタラップを降りている。地表の光がますます強くなって、グラ号も服部も真っ赤に染まっている。温度も相 当上がっているらしい。金星服の耐熱樹脂が蒸発してできた雲が服部の周りにたなびいている。
「ようし、もう少しだ。あと五段…」
外に出たことで金星服との通信が回復した。服部の独り言がシフ号操縦室に聞こえてくる。
斉藤はグラ号の乗降タラップにシフ号のタラップがくっつくほどぎりぎりに寄せて着地させた。
大きな地震が襲った。
服部は足元を乱して手摺りに掴まった。シフ号グラ号の真下に巨大な地割れが走った。
斉藤は咄嗟に推進ファンを稼働させて空中に飛び上がった。地割れから、真っ赤に焼けたマグマが噴き出すのが見 えた。
平田のカメラは下方を捉えるものに切り替わり、服部の最期をスクリーンに映し出した。
マグマは脈打つように、どくんと地表に飛び出してきた。それは一瞬グラ号を持ち上げてから飲み込んだ。タラッ プの最下段に近いところにいた服部は、マグマに脚をすくわれ転倒して、波にさらわれるように姿を消した。
シフ号に届いたバーニー服部の最期の言葉。
「はうっ。やっぱり…。オリビア、済まない」
8.大噴火
誰も言葉を発することが出来なかった。言うべきこともなかった。
斉藤はシフ号をさらに上昇させて、塔の周りを旋回した。平田は塔の全景やその上で上下動を繰り返しながら雷を 放っているヴィドラの姿を撮影した。黒田もまた、黙々と送出信号の調整を行うだけだ。Q太郎は、ただうつろな目で天井を睨んでいた。
「なんだ」誰かがぽつりと言った。
「何が起こった?」
山西は天井のハッチから顔を出したままだった。操縦室のスクリーンで一部始終を見ていたはずだが、目にしたこ とが何を意味するのか図りかねているようだ。
「斉藤さん。なんで飛び立ったんですか? だめでしょう。まだ服部さんが乗ってないですよ」
山西の言葉は力が抜けていて、斉藤を責めているようには聞こえない。本当は彼にも判っているのだろう。
シフ号ががくんと揺れた。大気が衝撃波で震えている。地表にはいたるところに地割れが走り、マグマが染み出し ている。
「こちらマックスウェル号。いまそちらの上空へ向かっている」
野々山船長から通信が入った。
「放送は見ていた。服部さんのことは、なんと言ったらよいやら、…残念だった。あー、とにかく、すぐに金星を離 脱してくれ」
野々山から引き継ぐようにマックスが報告した。
「レーダー探査と赤外線測定によると金星全域で地表温度の上昇と大規模な噴火活動が認められます。今後何が起こ るか予測できません。直ちに金星から退避するべきだと思います。マックスウェル山は火山ではないと思われていましたが、山頂部に亀裂が走り溶岩が噴き 出しています。またマックスウェル山付近の温度上昇が激しいので、大きな爆発があるかもしれません」
「わかった。金星から離脱する。山西くん、ミーティングルームのみんなに伝えろ。席についてベルトを締めろ」
斉藤は無表情に言い放つと、シフ号の機首を持ち上げた。その額には汗の玉が浮き出ている。冷却装置の限界を超 えてからしばらく経つので、艇内の気温がかなり上がっている。
シフ号は機体を垂直に立ててぐんぐん上昇していった。塔とヴィドラの姿がどんどん小さくなっていく。電撃はま だ続いているようだが、その青白い光も塔を駆け下りていく黄色い光も、灼熱の大地が放つ赤い光が背景では目立たなくなってしまった。雲も地表の光を反 射して、赤黒く染まっている。
「シフ号を捕捉しました。ドッキングプロセスに入ります」
マックスウェル号がマックスのコントロールでイシュタール大陸上空に到達したとき、ちょうどシフ号が化学ロ ケットエンジンの力で大気圏外へ上昇してきた。
「なんとか無事上がってきたみたいですね」
桜井が外部モニタースクリーンに映るロケット噴射の光を見つけた。シフ号はすでにマックスのコントロール下に おかれ、複雑なドッキング運動のために補助ロケットも細かく噴射している。
「金星に何が起こっているんだろうな。まさかいきなり大爆発なんてことになったら、このマックスウェル号も危な いぞ」
野々山の不安は半ば的中した。
「報告します。金星地表で大規模な爆発が観測されました。マックスウェル山を含む直径五〇〇キロの地域が〝吹き 飛び〟ました」
「なに!」
野々山の驚きをよそにマックスは淡々と報告を続けた。
「噴出物の初速度は秒速三〇キロ。これは金星の脱出速度を超えています。大気による減速を考慮してもわれわれの 軌道高度まで火山弾が飛来する可能性があります」
野々山は目を見開いてスクリーンに注目した。シフ号がこちらに近づいてくる―マックスウェル号が近寄っている ―のが見え、その向こうに雲を突き抜けて立ち上る煙のようなものが確認できた。それは赤道方向に斜めに傾いていて、どうやら金星の公転軌道面に対しほ ぼ水平のようだ。
「マックス、こっちに飛んできているものはないか」
「いまのところありませんが、爆発はまだ続いているので今後こちらに向かって飛んでくるものもあるかもしれませ ん」
「平田ーっ。あの煙みたいなものを狙え。爆発そのものを撮れなかったんだから、その痕跡でも撮っておけ!」
操縦から解放された斉藤ディレクターが叫んでいる。しかし、マックスウェル号とドッキングするためにあちこち からロケットを噴射して、複雑に姿勢や速度を調整しているシフ号から超望遠で撮影するのは至難の業だった。対象が画面に入ったと思うとすぐ角度がずれ てフレームアウトしてしまう。
「くそっ。うまくいかない」
悪戦苦闘しながら平田がちらりちらりと画面に捉える金星からの噴出物を眺めて、Q太郎が首を傾げた。
「マックスの報告では、火山性の噴出物だよね。それにしちゃ、あまり光ってないよ。溶岩なんかだったら、真っ赤 に光っててもいいんじゃないの」
確かにその通りで、金星から噴き上げてくる「それ」は雲を通して射してくる地表の光を反射しているだけに見え る。
「それに、あんなにまっすぐ打ち上げられるのはおかしくない?」
黒田文も不思議そうに遠景を捉えた画面を見ている。
「よし、いいぞ。安定した」平田は一旦カメラをワイドに引いた。シフ号の速度調整が終わったらしく、機体が「ぶ れ」なくなったのだ。こうなればクローズアップを撮るのも難しくない。
平田は、金星からするすると伸びてくる煙のような柱にフレームを合わせて思い切りズームアップした。
「ややっ」「えっ」「そうか」「なんで」四人が一斉に口走った。
噴出物のクローズアップを捉えたスクリーンに映し出されたのは、ヴィドラの大群だった。
しかし、見慣れたヴィドラとは少し形が違う。首のようなチューブが一本しかなく、翼状の板も付いていない。ど うやら、彼らが遭遇したヴィドラよりかなり小型のようだ。
「やっぱり、奴は生き物だったんですよ。子供を孵化だか羽化だかさせるために金星に来たんですよ」
という平田に、「そうかあ?」と斉藤は首をひねった。
「ま、あれがヴィドラに似ているのは認めるが、だからといって親子だと言えるかどうかわからんよ」
小型ヴィドラは文字通り無数に金星から打ち出されてきた。映像を解析したところ、その大きさは五メートルほど であることがわかった。みな首を進行方向へ向けているが、推進力は持っていないらしく、打ち出されたときの勢いだけで宇宙空間へ飛び出している。
「あ」斉藤がゆるい声を出した。
「マックスは金星全域で火山活動が起こっていると言ってたな。そしたら溶岩が地表に溢れているんじゃないの か。…何億年か前にも同じことが起こっていれば、…金星の地表は新しい岩石で覆われて、古いクレーターを埋めちまってさ…」
「そうですよ。前にもヴィドラは金星に来てるんですよ」平田は勢い込んだ。
「金星がヴィドラの繁殖地なんですよ。金星の地中に卵を産みつけるかなにかして、時が来たら親ヴィドラが生まれ るのを手伝いに来るんです」
「ふーん。そうすると、ヴィドラの電撃は、卵の殻を破るためってことになるのかな」
Q太郎の考えに黒田が付け足す。
「殻を破るというより、子供たちを宇宙に打ち出すための爆発を起こすきっかけじゃないの。あの透明な塔を通して 地下にある一種の信管に点火したとか」
「いやー、まてまて」と斉藤が激しく首を横に振った。
「それにしたって、金星全体が火の玉になるほどのエネルギーを使う必要があるか? ヴィドラと噴火は偶然の一致 だろ」
子ヴィドラの群を映し出していたスクリーンが何かに覆われたように暗くなった。そして、シフ号に軽い振動が 走った。
「お疲れさまでした。マックスウェル号とのドッキングが完了しました」
マックスの声が通信用スピーカーから聞こえてきた。さらに、マックスは続けた。
「みなさんの会話をモニターさせていただいておりましたが、黒田さんの意見は興味深いものだと思われます。いま 金星から射出されている物体の総量はまだわかりませんから、打ち出すためにどれだけのエネルギーを使うのか判定することは出来ません。しかし、私の観 測ではマックスウェル山の爆発がロケットの働きをして、金星の自転軸が傾きつつあります。これだけの運動エネルギーを…」
「なんだと」斉藤がマックスを遮って叫んだ。
「自転軸が傾き始めたぁ。文、ぼやぼやすんな、回線切り替えてマックスウェル号のカメラを使えるようにしろ。平 田、わかってるな」
斉藤以下メディアスタッフは忙しく動き始めた。作家であるQ太郎はこういうとき何もやることがない。
「えーと。金星の自転は公転とは逆向きで…。ええーっ。ヴィドラの繁殖で自転軸が逆立ちしたってえの」
Q太郎が一人で興奮していると、天井のハッチが開いた。顔を見せたのは、矢部百合子である。
「みんな、忙しそうだね。ねえ、ドッキング終わったんでしょ。あたしたち相談してさ、バーニーさんのお葬式をや ることにしたんだけど、どう思う?」
百合子は泣きはらした赤い眼でスタッフ一同を見回した。
シフ号の操縦室は不意を突かれて凍りついた。