第二部

 

   1.イーター

 

 山西以下、〝探検隊〟の面々はシフ号のミーティングルームで斉藤Dに詰め寄っていた。

「服部さんがあんなことになったってえのに、まだ放送を続けるんですか。いったいあんたの頭の中はどうなってん ですか」

 放送機材のコントロールはミーティングルームの調整卓に移されており、平田と黒田は無言で撮影送出を行ってい た。

 平田には、山西の怒りがよくわからなかった。服部の死は悲しむべきことではあろうが、放送を止めたところで服 部が生き返るわけでもないというのが彼の考えだ。とにかく、いま金星から噴き出している「子ヴィドラ」の映像をたくさん収録しておくのが、このマック スウェル計画のスタッフとしての務めだと思っていた。

 斉藤は、とりあえず「まあ、まあ。地球のプロデューサーからの指示だから仕方ないのだ」というような言い訳で 誤魔化している。事実、プロデューサーからは燃料の続く限りこの怪現象を追えという命令が出ていた。

「船長」平田は小声でマイクに囁いた。

「もう少し近づけませんか?」

 斉藤がタレントたちの相手をしているので、〝画作り〟も平田が考えていた。金星から伸びる〝子ヴィドラの柱〟 はすでに五万キロもの長さになっている。飛び出した子ヴィドラの数はおよそ十億匹というところだ。マックスの報告によると金星地表での噴火活動は終息 に向かっているとのことなので、子ヴィドラの噴出もそろそろ終わりかも知れない

「よしわかった。ヴィドラの群の向きに合わせて加速しながら近づいてみる」

 マックスウェル号は金星の上空三〇〇〇キロで、子ヴィドラの柱から一〇キロ離れたところに位置していたが、最 大に望遠をかけても一匹一匹のディティールを見ることが出来なかった。

 マックスウェル号は子ヴィドラの速度に合わせて上昇しながら徐々に近づいていった。

「この計画は失敗したんだよ。さっさと地球に帰って、服部さんの家族に謝罪するべきだろ」

 山西の口調がだんだん荒くなってきた。

 平田は居心地の悪い思いをしながら、なんとかカメラの操作に集中しようとモニター画面に身を乗り出した。マッ クスウェル号が接近するにつれて解像度が上がってきた。レンズによる光学的なズームだけで〝子ヴィドラの柱〟が画面一杯に捉えられるようになってき た。背景を覆っていた金星がフレームから出ていくと太陽が顔を出して、子ヴィドラたちは銀色に輪郭を輝かせた。〝柱〟の内部にいるものたちは、まわり の仲間からの反射光で逆光の中でもレフ板で手前から照らされるようにはっきりとその姿を見せた。

 おや。

 平田は目をこすった。モニター画面が霞んできたのだ。編集でエフェクトをかけたように像がぐにゃりと歪んで渦 を巻いた。

「姉御、なんか変」と黒田に言いかけると、画面全体が真っ黒になった。

 平田は、見えなくなったらカメラを引け、のセオリーに従ってズームを一杯に引いた。それと同時にマックスウェ ル号ががくんと揺れた。

 マックスウェル号と子ヴィドラ柱の間に、大きな岩塊が浮かんでいた。

「重力波の乱れを感知しました。本船の左五キロメートルに異物発見。その接近を探知できなかったことをお詫びし ます」

 マックスの声はいつもより以上に平板なアクセントになっている。レーダーの記録をどう調べても、その岩塊が接 近してきた様子はない。しかしマックスは岩塊がどこかから飛んできたはずだという考えしか持てないので、レーダーの故障も含めて様々な可能性を調べる ことに全力を使っていた。

「こちら操縦室。マックスは間違っている」

 野々山が呼びかけてきた。

「操縦室の窓から見えた。あれは、空中に湧いて出たんだ。飛んできたんじゃない。突然現れたんだ」

 その言葉に斉藤が敏感に反応した。

「なに? 船長なにが起こったんです。…平田、見せろ」と平田の後ろから首を突きだしてきた。

「斉藤さん、話はまだ終わっちゃいないぜ」と怒鳴る山西にもお構いなしだ。

「斉藤さん、これです。多分、直径五〇〇メートルぐらいだと思いますが」

 平田が指さした画面にかなりいびつな岩の塊が映っていた。画面上でただ浮いているように見えるということは、 マックスウェル号と同じく子ヴィドラ柱と同じベクトルで動いているということだ。

「報告します。情報を検索した結果、ヴィドラ群と本船の間に出現した異物はその形状からジュピター三世が遭遇し た小天体であると思われます」

 マックスが興奮しているように聞こえるのは気のせいだろうか。

「よっしゃあ。またまた大ネタいただきだーっ」

 斉藤は目をぎらぎらさせて首を小刻みに震わせた。そしてタレントたちに一瞬視線を投げたが「すぴっ」と息を 吸って首を傾げると、

「文、ネット生中継やるぞ。俺様がレポートする」と言ってマイクを掴み上げた。

 黒田が送出のためのセッティングをやっているうちに、岩塊に変化が起こった。

 初めは全体が膨張したように見えた。次に割れて分離するように見えたが、それは握った手のひらを開くように展 開していることがわかった。

「お、お、お、お、お」「なんだありゃあ」「怪物!」

 黒田が口走った「怪物」というのが最適な表現だろう。確かに岩の塊ではあったが、どう見ても四本の脚があり、 尾があり、頭があった。背中が盛り上がった大サンショウウオという形だ。そして頭の先から尻尾の先までがほぼ一キロメートルもあるのだ。

 怪物は短い脚をほぐすように伸び縮みさせると、すーっと体の向きを変えて子ヴィドラ柱へ頭を向けた。そして、 ロケット噴射も何もなくヴィドラの群へ突進していった。

 平田のカメラは怪物の後を追って子ヴィドラの群にズームインした。

「あっ。食ってる」

 怪物は二〇〇メートルもありそうな頭の幅一杯に広がる大きな口をぱっくり開けて、子ヴィドラ柱を横切りながら 行ったり来たりした。そのたびに網にすくい取られるように子ヴィドラたちは怪物の口の中に姿を消した。

 怪物の乱入でヴィドラ柱は形を崩し、はじき飛ばされた子ヴィドラが列を乱して散り散りになった。

「ありゃー。…あ、ネットにアクセスしているみなさん。これはマックスウェル号からの生中継であります」

 斉藤が思いだしたように喋りはじめた。

「ジュピター三世が遭遇した巨大隕石は、巨大怪物でした。そしてそれは、ヴィドラの天敵であったと思われます」

 怪物は自由自在に宇宙空間を飛び回り、次々とヴィドラの子供を「食べて」いった。

 その様子をはっきり捉えるためにマックスウェル号は、「怪物」の進路に入らないように接近していった。ヴィド ラの幼生はまだ自分では動くことが出来ないのか、逃げるわけでもなくただ食べられるままになっていた。

「ヴィドラ接近、ヴィドラ接近」

 マックスが警告した。金星方向から高速で近づいてくる物体がある。親ヴィドラが上昇してきたらしい。

 平田は、もう一台のカメラで金星の方向を押さえた。金星の地軸が倒れだしたといっても目で見てわかるほどでは なく、マックスウェル山の辺りは陰に入ったままだ。しかし、現在のマックスウェル号の高度からは、北極近くに夜と昼の境目が見える。その明暗境界線を バックに親ヴィドラのロケット噴射がちらちらと瞬いていた。

「船長、すこし距離をとりましょう。ちょっとこれはやばそうだ」

 斉藤に言われるまでもなく、野々山はマックスウェル号を怪物から遠ざけ始めていた。

 マックスウェル号が子ヴィドラの群から十五キロほど離れたとき、親ヴィドラが下から突き上げるように怪物に激 突した。怪物は金星に背を向ける体勢で飛んでいたので、その山のように盛り上がった背中にヴィドラが突き刺さった。ヴィドラは十二本の首をぴんと伸ば して剣山のように突き立てたのだ。怪物は身悶えするように体を揺すってヴィドラを振り払おうとしているらしい。しかし、大口を開けて子ヴィドラを頬張 ることを止めようとはしていない。ヴィドラが主エンジンを噴かしても、怪物の進路を変えることが出来ないようだ。

 怪物の背中が赤く光った。それと同時に突き刺さっていたヴィドラがぽろりと外れてその場に漂った。ヴィドラの 頭の先には溶岩が付着している。そして、怪物の背中には赤く光る十二個の穴が開いていた。ヴィドラが何らかの方法で怪物に熱を加えたようだ。

 怪物は激しく体をくねらせた。全長一キロもあるとは思えない素早い動きである。マックスウェル号から観察する 人間たちには、背中が熱くて苦しんでいる動きに見えた。怪物の動きに合わせて、その体のあちこちから岩のかけらが剥がれ落ち、辺りに浮遊した。

 怪物は大きく口を開けるとヴィドラの頭からかぶりついた。失神したように動きを止めているヴィドラは逃げるこ ともできず、首の部分をすべて飲み込まれてしまった。怪物の口の両端にヴィドラの「翼」が引っかかっている。首と胴体だけなら一度に全部飲み込めたの だろうが、翼は大きすぎて口に入らなかったのだ。

 怪物は閉じた口をもぐもぐやっていたが、そのうちヴィドラの胴体から姿勢制御ロケットが不規則に噴射されるの が見えた。すると、怪物は首を振ってヴィドラを吐き出した。怪物の口の中からぱっと煙が拡散する。

 ヴィドラは首の付け根から白熱したガスを噴き出して怪物から後退した。怪物はヴィドラに尾を向けて逃走しよう としている。子ヴィドラを遮蔽物にするつもりか、またはまだ食べ足りないのか、子ヴィドラ群の中に入って上昇していく。

 ヴィドラも後を追って群の中に躍り込んだ。

「船長、後を追ってくれ」

 斉藤が怒鳴る。マックスウェル号は距離を置きながら子ヴィドラの柱と平行に前進した。

 怪物の尻尾が、ぱぱぱっと光った。そして砕けた岩石が飛び散る。煙か砂粒が怪物の後方にたなびいて、ヴィドラ が頭の先から光線を発射しているのがわかった。真空では見えなかったピンク色の光条が粒子に当たって見えるようになったのだ。その光線は相当なエネル ギーを持っているらしく、怪物の表面を焼くだけでなく通り道に浮遊する粒子も加熱されて赤く光っていた。

 怪物が子ヴィドラを食べながら前進していたので、その後ろにはぽっかりと空間が開いており、ヴィドラの攻撃は 簡単に当たっている。それに気がついたのか、怪物は口を閉じて四肢を使い、子ヴィドラを後方のヴィドラ目がけて掻き出し始めた。

「これ、ほんとにヴィドラの子供なんですかね」

 訝る平田に、

「何言ってんだ。子供だって言ったのはお前だろう」

 と斉藤は平田を小突いたが、黒田が、

「でも」と画面を指さした。

 ヴィドラは目の前に飛んでくる子ヴィドラに構わず光線を発射し続けている。ヴィドラの光線は子ヴィドラにも容 赦なく当たり、何匹もの子ヴィドラが真っ赤に焼けている。さらにヴィドラは進路に飛ばされてくる子ヴィドラを跳ね飛ばしながら怪物を追いかけているの だ。

「えー、子供を守るために飛んできたと思われていたヴィドラですが、ちょっと様子が変です」

 放送口調になって斉藤も首を傾げた。

「イーターにしましょう」

 個室区画の入口にQ太郎が立っていた。斉藤とタレントたちの諍いに耐えられず自分の個室に引き上げていたのだ が、ネット放送の内容はチェックしていたらしい。

「大口開けてヴィドラを食っちまうんだから、イーターでいいでしょ」

 怪物の名前を思いついて出てきたようだ。しかし、出入り口のすぐ横に立っていた太田摩湖が、彼の目を覗き込ん で、

「あら、Q太郎さん。あなたはバーニーさんのことをどうお考えですの」と詰め寄ったために「それはそのー、僕と してはみなさんの意見に賛成なんですが、多数決で決められる問題でもないし」とかなんとかぶつぶつ言いながら、再び自室に姿を消した。

「イーターか。ひねりがないが、しょうがない、それでいきましょう」

 斉藤がスタッフに話しているのか、視聴者に話しているのかわからない調子でQ太郎の命名を採用した。

「斉藤君、このまま追いかけていくのはちょっと無理になってきた」

 操縦室から野々山が通信してきた。

「怪物とヴィドラは加速しっぱなしなのだ。もうマックスウェル号のエネルギーに余裕が無くなってきた。追跡はこ こまでにしたい」

 それを聞いて斉藤Dは頭を掻きむしった。

「くー、万事休すか。用意していた金星での企画もほとんど出来ず、せっかく現れたヴィドラだのイーターだのって 怪物の取材も満足に出来ずだ。ちくしょー、うまくいかねえなー」

 そんな斉藤の脇腹を平田が、つんつんとつついた。斉藤は、ふざけるな、と平田を睨んだが、平田が視線で示すほ うへ目をやると、ミーティングルームの反対側から、山西、土屋、太田、矢部の四人が氷点下の眼差しで彼を「観察」していた。

 その後、ヴィドラとイーターは子ヴィドラの柱を抜けて速度を増しながら金星から飛び去っていった。そしてマッ クスウェル号は、地球への帰路に就くしかなかった。

 

   2.逢瀬

 

 松田洋平は居並ぶ社長たちの顔をぐるりと見渡した。

「諸君には、まんまとはめられたよ。わたしがメディア嫌いなのを知っていながら、マックスウェル計画の宣伝にさ んざん利用しておいて、実行直前に木星行きの切符を差し出してところ払いとはな。やはり仕事というものは最後まで現場に立ち会わなければならんものだ な」

 と顎を突き上げた。

 グループ各社の社長たちは恐縮する身振りとしてうつむいた。洋平氏はすでに名誉職でしかない総帥なので、いき なり首を切られることもないし逆鱗に触れたところで実害はない。しかし、彼らは皆若い頃、松田老人には薫陶を受け世話になった者ばかりなので、感情的 に正面切って逆らうことが出来ない。

「まあいい。結果として宇宙の驚異に遭遇することが出来て、計画は大成功だ。しかしまだ終わったわけではない ぞ。ヴィドラとイーターは金星軌道と地球軌道の間を飛び回っている。そして各企業はヴィドラとイーターを核に据えたイベントを企画中らしい。我がマツ カゼグループでは何をすべきだ?」

 会議用マルチスクリーンで社長たちが一斉に首をひねった。マツカゼグループは世界中に広がる多国籍企業グルー プなので、社長たちが実際に一堂に会するのは困難なことだった。それでも、洋平氏は全員東京に来いと主張したのだが、集まるのに時間が掛かりすぎると いうことで却下されたのだ。

「総帥」マツカゼ北米パイン社のムーアが手を挙げた。

「我が社では、児童向け商品としてヴィドラチョコとイータークッキーを企画しております」

 洋平は天を仰いだ。

「グレッグ、そんなことは君の会社が好きにやればいいことだ。グループ全体として何をやるかという話をしたい」

 それを聞いて、日本のマツカゼフーズ社長がおそるおそる手を挙げた。

「総帥、それはやはり利益を生まない、社会還元活動としてですか」

 洋平はぴくりと眉を上げると「んー」とのどを震わせて間をおいた。

「マックスウェル計画でかなり資金を使っているのはわかっている。そうだな。利益を生む形で何か企画を立てた方 がいいだろうな」

 洋平がマルチスクリーン全体に目を配りながら、コーヒーを一口すすったところでMMC社長が挙手することもな くしゃべり始めた。

「大した利益にはならないが、もう一度マックスウェル号を発進させてヴィドラとイーターの動向をネットとテレビ で放送することは出来ますよ。MMCのマックスウェル号担当プロデューサーにはそんな案があるようだ。これなら投入する資金も僅かで済むし、他社には あれだけ放送機材が充実した宇宙船はないから、最高の放送が出来るでしょう。どうですか、マックスウェル号をもう一度飛ばすのになにか技術的な問題が ありますか?」

 MMC社長松田洋一は、マックスウェル計画のために設立されたヴィーナス社代表に意見を求めた。

 洋平は、息子の洋一の態度にいまさらながらいらいらしていた。

 洋一の奴め。また私を無視するような態度だな。メディア関係の仕事をしたいと言ったのはお前だろう。私がマツ カゼフーズの社長を降りるときに、後釜に納まれなかったことをまだ恨んでいるのか。

「ヴィドラとイーターは金星よりはるかに近いところにいますから、近くに飛んでいくだけなら問題はないですね。 しかし、奴らに合わせて激しい加減速を繰り返すことが出来るかどうか、その場合どれだけ燃料が保つかが問題でしょう」

 ヴィーナス社代表はあとの社長たちに比べるとかなり若い。マックスウェル計画が終了すれば解散することがわ かっている会社なので、マツカゼグループの幹部候補生が研鑽のために据えられているのだ。

「あ」と欧州パイン社のデュパイエが手を挙げた。洋平が頷くのを待ってしゃべり始める。

「マックスウェル号を再び飛ばすのは、それはそれでいいですが、どうでしょう、何とかしてあの小さいヴィドラを 捕獲できないでしょうかね」

「ほほう。それはおもしろそうだな」と洋平は身を乗り出した。

 

 十月も半ばを過ぎて、時折冷たい風が吹く季節になっていたが、今日はよく晴れて、通り過ぎた夏が少しだけ後戻 りしてきたような陽気であった。

 二人はとくにあてもなく平和公園のなかを歩き回っていた。ここは東京の中心に位置する広大な緑地で、かつては 一般市民の出入りは出来なかったのだが、忌まわしい戦争の後で解放されることになったのである。

「なんかまだ地球に慣れないよ」

 木立と青空を見回しながら、平田が立ち止まった。

「何言ってるの? さんちゃん、地球になるつもり? どゆこと」

 瑠奈の口調は、からかっているのか、本当に勘違いしているのかわからない。日差しに目を絞って平田を見上げる 彼女の不思議そうな顔を見て、彼はどっちでもいいや、と思った。

「金星から帰ってからずーっと特番やらなんやらに引っぱり出されていたから、重力以外の地球に触れるチャンスが なかったんだよね」

 帰還してからの忙しさは、金星での本番を上回るものだった。タレントたちだけでなくスタッフやパイロットも ヴィドラやイーターの目撃者としてメディアに引っぱり出されて、「タレント活動」をさせられたのだ。

「そうね。放送は見てたよ。マックスウェル号が予定より早く金星を引き上げちゃったから、結局ジュピター三世の 帰還の方が遅くなっちゃったものね。なんとかお出迎えしてあげたかったんだけど」

 瑠奈は平田の腕に軽く自分の腕を絡ませた。その感触に、この場で彼女を掻き抱きたいという衝動に駆られたが、 辺りには散策する人々の姿もあり、また近づいてこないまでも先ほどから自分たちが人々の注目の的になっているのは自覚していたので、ぐっとこらえた。

「ところで、おじいちゃんはなんて言ってた?」

 平静を装って歩き出しながら、平田は彼女の手をそっと握った。

「基本的には喜んでいるみたい。宇宙の神秘に触れたとか何とか言ってるよ。でも、やっぱり、バーニーさんのこと で落ち込んでた。御遺族に補償金を出そうと考えてるらしいよ。保険とは別にね」

 バーニー服部の死で、平田も考えさせられることは多かった。地球への帰路、マックスウェル号ではタレントたち による服部の告別式が催されたのだが、メディアスタッフと違って、オーディションから訓練、本番中も常に行動をともにしていたグラ号のメンバーは服部 の不在を非常に大きな「欠落」と感じていた。一人一人が服部の思い出を語ったが、平田のまったく知らない様々なエピソードが次々と出てきて、驚くこと ばかりだった。

「そうか。そうだな。バーニーさんが死んだあとも、放送を続けたわけだけど、タレントさんたちは猛反対したん だ。おれはさ、仕事を止めたってなにも変わらないと思ったから、山西さんがなんであんなに怒っているのかわからなかったんだけど、あとで考えると、身 近な人が居なくなる、それも永遠にってことはすごく辛いことで、冷静じゃいられないんだよな。おじいちゃんは家族を亡くしたことがあるんだよね」

「うん。わたしが知ってるのは、おばあちゃんが亡くなったことだけだけど、おじいちゃんが若い頃は、いまよりた くさん人が死んだ時代だから、きっと仲間や友達で死んじゃった人って多いんじゃないかなあ」

 平田は想像するしかなかったが、きっと松田洋平氏にはタレントたちの嘆きがわかるのだろう。小説や映画がすっ かり廃れてしまった時代の若者である平田や瑠奈は〝作り物〟の死にすら触れたことがない。

 二人は公園内にある平和祈念館の前へ出てきた。その入口脇に小さなオープンカフェがあった。

「お茶でも飲むか?」

 テーブルは十個ほど並べられていたが、客の姿は少なくて彼らが席に着くと二人のウェイトレスがそれぞれ一部づ つメニューを抱えてやってきて、

「いらっしゃいませ」と声を揃えて元気よく囀った。

 平田の方を見て二人ともにこにこしている。さすがにサインをくれというほどずうずうしくはないようだが、有名 人を目の前にして、何か面白いことでも起こらないかと期待している様子がありありだった。

 注文を受けて二人のお嬢ちゃんが、くすくす笑いながら店の奥へ引っ込むと、瑠奈が手を伸ばして平田の鼻をひ ねった。

「あーら。モテモテじゃない。メディアスター顔負けね」

 平田の脳裏に、ゆうべ友人の中沢と一緒に行ったクラブの様子が浮かんで、一瞬鼻の下が伸びそうになったが、上 唇に力を入れてしかめ面を作った。

「モテてるわけじゃないよ。おれ、あんまりいいとこ見せられなかったからね。おもしろがられてるだけさ」

 と平田が謙遜して見せたところに、

「サインして下さい」という子供の声が聞こえた。

 二人が声の主を見ると、十歳ぐらいの男の子が小さな手帳とペンを持って立っており、三歩ほど離れたところで両 親らしい男女が申し訳なさそうに頭を下げていた。

「すいません。息子が大ファンなもので。プライベートにお邪魔しまして…」

 母親がもう一度頭を下げた。

「ええ、いいですよ」

 子供は大事にしなくちゃ。寿命が延びたのはいいけど、子供の数はどんどん減ってるから、このままじゃ、日本、 いや世界の将来が危ないよ、とかなんとか考えて、平田が男の子に手を差し伸べようとすると、少年は瑠奈に手帳を差し出した。

「あら、坊や、ペンなんか持ってるの。えらいね。字が書けるんだ」

 瑠奈は、平田に勝ち誇った視線を送ってから少年の手帳にサインを書いてやった。

「いやー、どうもありがとうございます。こいつ、ルナさんのネットマガジンばっかり見てるんですよ」

 父親が頭を掻いて見せたが、どうやらファンなのは父親の方らしい。

 その親子三人が去ってから、平田は「へへっ」と照れ笑いをして見せた。

「勘違いしてしまいましたとさ。メディアスターのルナ様とご一緒させていただいておりましたな。あっはっは」

 それを聞いて彼女は少しふくれた。

「なによ。いやな言い方。まだスターなんて言えるほど有名じゃありませんよーだ」

 瑠奈は、MMC社長令嬢であるのだが、自立するために家を出てメディアタレントになる道を選んでいた。MMC 社長の娘でありマツカゼグループの跡取りになるであろうことは隠せなかったが、瑠奈は決して父親や祖父の権力に頼ろうとはしなかった。マネージメント 契約を結んでいる会社もマツカゼグループとは無関係のタレントプロダクションである。平田とは仕事を通じて知り合ったのだが、世事に疎い平田はつきあ うまで、瑠奈が社長令嬢であることを知らなかった。

 平田のエスプレッソと瑠奈のアイスティーは、先ほどのウェイトレスが一人づつ別々に持ってきた。その度に平田 は、色紙にサインでも頼まれるのでは、と目を泳がせたがそんなことはなかった。

「明日から仕事が入っちゃったんだ」

 そう言って、瑠奈はストローから一口すすった。

「え」瑠奈の休みは明日までだと聞かされていた平田は、さすがに落胆の色を隠せなかった。

「それじゃ、今夜は…」と言いかけると、

「大丈夫。仕事は午後からだから…」と瑠奈は囁くように告げて、にっこりと笑顔を見せた。

 彼女の微笑みに体中がぐにゃぐにゃになった平田は、少しばかり声がうわずってしまった。

「で、明日は、どんな仕事?」

「ネットマガジン用の取材。聞いたことあるでしょ。超大型慣性制御システムの研究やってるって。その実験があっ て、同乗記をネットでリポートすることになったの」

 洋平じいさんの付き添いのために、何ヶ月か仕事を離れていた瑠奈は、現場に復帰するのが楽しくて仕方がないよ うだ。平田に仕事の内容を詳しく語りだした。

 慣性制御の出力向上とより細かな調整技術を確立するために、巨大で複雑な形の模擬宇宙船を建造して、月まで往 復する実験が行われるということだった。瑠奈がその実験飛行に同乗して、素人にも分かりやすく内容をリポートするのである。

「ヴィドラとイーターは三日ぐらい前から、地球に近づいてきてるみたいだから、その実験船で遭遇できるかもね」

 彼女は何気なくそんなことを思いついたが、平田は震え上がった。

「おいおいおい。冗談じゃないぜ。そんなことになったら、心配でしょうがないよ。ヴィドラはイーターに攻撃し続 けているらしいじゃないか。とばっちりを食ったら大変だよ」

「心配性なんだから。宇宙は広いのよ。たかだか一キロか二キロの大きさの物がそんな簡単に出会うわけないで しょ」

 瑠奈は、平田の反応を面白がっていたが、ヴィドラの得体の知れ無さを実感している彼にとっては笑い事ではな かった。それに、ジュピター三世に接近していったイーターの行動は偶然ではないだろう、とも考えられた。

「しかしね」さらに不安を口にしようとする平田を封じて彼女は立ち上がった。

「ね。平和祈念館に入ってみない。子供の頃見学に連れてこられたとき以来来たことないの」

 前世紀の世界大戦の記憶を後世に残そうというのが平和祈念館である。全国、全世界に同様の施設が作られて、そ れぞれの地域にとっての戦争の記録を展示解説してある。一〇〇年以上昔に建てられたものなので、まだ国家がそれなりの力を持っていた時代の施設であ り、提供企業のイメージカラーで塗られたりはしていない地味な建物であった。現在も管理は日本政府が行っている。

 祈念館に入るとすぐ、焼け野原になった東京中心部の精巧なジオラマが展示されていた。このジオラマは3Dセン サーで捉えられており、ジオラマの台を取り囲むように設置されている数台のスクリーンを操作することによって、人間の目線でジオラマの中に入り込んだ 映像を見ることが出来た。現在の技術ならジオラマそのものをデジタルデータ化してディスプレイ装置で見ることも出来るのだが、戦後まもなく作られたジ オラマの歴史的価値と実際に手で触れられる模型の実在感を大事にした演出である。

「改めて見ると、やっぱり、よくぞ人類は絶滅しなかったものだと思うね」

 平田がミニチュア内での視点を操作して、二人はかつての東京の残骸を見て回った。

「通常爆弾での空襲も何度か受けた後に、核分裂弾を落とされたんだから、なんにも残らなかったのよね。あ、 ちょっと止めて。そこにあるの人じゃない?」

 瑠奈が画面を指さした。子供の頃は気が付かなかったが、このジオラマには炭化した遺体も配置されていたのだ。 出来うる限り精巧に作ったというふれこみなので、こんな殺されかたをすると、人間は炭で作った人形のようになってしまうということなのだろう。

「ひどいな。ひどすぎるよ。昔の人間はどうしてこんなことが出来たんだろう。…悪いのは日本人なのかな。一説に よると、アメリカは広島と長崎にしか核分裂弾は使わないつもりだったそうじゃないか。ところが、日本が報復としてアメリカ本土や中国大陸に核分裂弾を ばらまいたから、アメリカも最後の力を振り絞って東京爆撃に及んで、それに刺激されてドイツもイギリスも核攻撃を始めたっていうことをいう人もいる し」

 ジオラマの次には写真パネルと動画ディスプレイで第二次世界大戦の流れを解説するコーナーがあり、天井には超 大型爆撃機富嶽の縮小モックアップが逆さまに吊されていた。

 ドイツにはVロケット、日本には富嶽があった。これが世界中に核分裂の劫火をまき散らしたのだ。もちろんアメ リカのB‐29も忘れてはならないが。

「日本人が悪いとか、ドイツ人が悪いとかいう問題じゃないと思うよ。人類が馬鹿だったのよ」瑠奈はきっぱりと言 い放った。

「戦争を始めたのは、戦争に関わった全部の国でしょ。どっちが先に攻めたかなんて関係ないよ。この時代は戦争が 悪だってことに誰も気が付いていなかったんだから。アメリカだって、戦争したかったんでしょ。日本がアメリカに攻撃せざるを得ないようにずいぶん工作 したらしいじゃない」

 彼女は自分の言葉に興奮して息を荒らげた。

「おいおい、落ち着けよ。いまはもう戦争がないんだからさ」

 平田が瑠奈の肩を抱くと、彼女は「ふう」とため息をついた。

「…やっぱり一方的に日本が負けた方が悲劇は少なくて済んだのかもね」

 平田は、平和祈念館に入ったことを少しばかり後悔していた。彼も子供の頃見たきりだったので、こんなに動揺さ せられるとは思っていなかったのだ。

「うーん。いや、もし連合国側の勝利という形で終わっていたら、人類は反省なんかしなかったんじゃないかな。戦 争で国家の主張を押し通すやり方が続いて、やっぱりたくさん人が死んだんじゃないかな。それに、日本はアメリカに占領されて、いまごろは日本語を使う 人間が誰もいなくなってるよ。勝った国がなくて良かったんだよ」

 二人は、戦争に明け暮れていた時代の人類とはどんな人々だったのか、などと話し合いながら人気の少ない平和祈 念館を見て回った。

 

 その夜、瑠奈は平田の部屋に泊まった。二人は、会えなかった時間を取り戻そうとするようにあらゆる手段で触れ 合った。