7.マックス、土屋、山西、そして多くの多くの人々

 

 マックスウェル号の改装はぎりぎり間に合った。

 ヴィドラ降下の周期から考えると、あと一時間ほどで次の襲撃が始まるはずだ。その前にマックスウェル号を使っ て、軌道上でヴィドラの反射膜を破壊するのが対策会が考えた作戦である。それでも降下してきたら、再びLP三号でレーザーを照射する手筈になってい た。ヴィドラがどんな反応を示すのかわからなかったが、まず邪魔な反射膜を破ってしまおうという考えだった。マックスウェル号は数少ない操船人工知能 搭載機であり、その中でも一発でヴィドラの反射膜を全壊させるだけの大きさを持っている唯一の宇宙船だった。もちろん、左右二枚の膜を破るには二度の アタックが必要となるのだが。

 十月二十九日午前七時三十分(日本時間)。ヴィーナス社の管制室は、管制員のほかにメディア関係者が多数詰め かけてごった返していた。かつてはマックスウェル計画のために運用されていたが、今度は軌道上でヴィドラに攻撃を仕掛けるための作戦本部となってい る。

 イーターに張り付いていたMMC斉藤班は、プロデューサー判断で出演者としてヴィーナス社に送り込まれてい た。マックスウェル計画の現場組だからマックスウェル号、というよりマックスと「親しい」だろうという計算である。視聴者もマックスと斉藤班の再会を 楽しめるはずだ。

 放送では軌道上のマックスと斉藤班のやりとりがひとしきりあって、テレビはスタジオでの解説、ネットは演出無 しの現場そのまま(マックスのカメラや放送宇宙船からの映像も自在に見ることが出来る)映像に切り替わった。

 スタッフではない平田は、管制室の片隅でコミュニケーターを使い、過去に瑠奈からもらった文書、音声、ビデオ メールをこっそり見ていた。

「…それじゃ、平田さんもお仕事がんばって下さい」

 これは付き合い始めて間もなくのものだ。さんちゃんと呼ばれるようになったのはいつだろう、なんてぼおっと考 えていると、彼の耳に素っ頓狂な声が飛び込んできた。

「平田っち、みっけー」

 慌ててコミュニケーターのメール再生モードを切って目を上げると、何が嬉しいんだか、にこにこ笑う矢部百合子 が立っていた。

「なになになに。何見てたの。ラブレター?」

 椅子に座っていた平田と同じぐらいの高さに目線がある百合子は、からかうように彼の目を覗き込んだ。

「あれ? 君もいたの」

 いるに決まっている。山西はLP三号、土屋は軌道上の取材船に付いていたが、残る太田、矢部の女性陣はヴィー ナス社からの放送に呼ばれていたのだ。ついでにQ太郎も来ている。

「ひっどーい。あたし、ずーっとまっくしゅとおしゃべりしてたじゃなーい」

 そう言いながら、百合子は馴れ馴れしく平田の上着を引っ張った。

「な、なんだよ。人が一杯いるんだから、…変に思われるだろ」

 百合子の手をふりほどいて辺りを見回すと、ほとんどの人間は正面の大スクリーンに映るマックスウェル号を見て いたが、平田とは反対側の隅でなにやら食べているQ太郎と目が合った。Q太郎は、何のつもりか、平田に向けて親指を立てると食べ物を頬張ったままで、 にかっと笑った。

「ねね、船長と副長は来てないの?」

 百合子はしばらく平田にまとわりつくつもりのようだ。

「え? 知らないの。野々山さんと桜井さんは、子ヴィドラ捕獲作戦で何日か前に輸送船で飛んだよ。もうじき子 ヴィドラ柱に到達するはずだ」

 そんなことも知らないんだもんなー。この子は、普段テレビやネットを見ないんだろうか。何考えてるかわかんね えなー。

 平田が苦り切っていると、中沢が呼びに来た。中沢はヴィーナス社からの放送でアシスタントディレクターをやっ ている。

「百合ちゃーん。そろそろスクリーン前に行ってちょーだーい。平田っ。出番だ、早く来い!」

 

 マックスウェル号の軌道ドックはヴィドラの軌道より外側にあった。

 慣性制御フィールドで機体を包んだマックスウェル号は、タイミングを測って発進した。ヴィドラの軌道高度に達 したときに、ちょうどヴィドラが回ってくるようにするのだ。ヴィドラが突進するマックスウェル号に気づいて回避運動をする可能性はあったが、金星での 〝鬼ごっこ〟ではマックスウェル号のほうが優れた機動性を発揮したので、少なくとも第一撃は成功するだろう。

 ヴィドラは、ほぼ赤道上を東から西に回る軌道を取っている。地球の夜側を抜けて、高度を落としながら太平洋上 に姿を現した。やはり、これからイーター襲撃に向かうつもりらしい。

 マックスウェル号は、最大加速でヴィドラに近づいていった。金星着陸艇は外されているが、その抜けた穴にはカ バーが掛けられていて機体のシルエットは綺麗な流線型を保っている。先端には大型振動鋸が何列も取り付けられていて、これでヴィドラの反射膜を破ろう というわけだ。

 青い海の上に雲が白くたなびいている。それをバックにして銀色の蝶ネクタイが浮かんでいる。太い円柱形の胴体 に頂点で接する二枚の三角形が反射膜だ。遠くから見ると蝶ネクタイの結び目のようにも見える。そのヴィドラを遠巻きにして人類の宇宙船が数隻見守って いた。

 そこへマックスウェル号は秒速一〇〇キロを超えながら突っ込んでいった。

 ヴィドラは気づくのが遅かったようだ。主エンジンが火を噴き、胴体からも方向を変えるためにガスを噴射してい たが、間に合わない。

 マックスウェル号もスラスターで微妙に向きを変えながら、正確に一方の反射膜を貫いた。船体の大部分は慣性制 御フィールドで軽くなっているが、ICフィールドからはみ出しているエンジンの噴射部だけでも無人飛行機以上の質量がある。その重さと振動鋸の働き で、ヴィドラの反射膜は大穴を開けられた。穴の直径は五〇メートルにも達する。

 ヴィドラは十二本の首をざわざわと蠢かして、通り過ぎていったマックスウェル号に狙いを定めた。マックスウェ ル号は一八〇度回頭して、安全限界を超える主エンジン噴射を行った。それは一五〇Gもの加速度を生みだし、ヴィドラから遠ざかる速度を殺して、あっと いう間に再びヴィドラに向かう速度を与えた。

 まっすぐ突っ込んでくるマックスウェル号に対して、ヴィドラはパルスレーザーの集中砲火を浴びせた。マックス ウェル号の機体から火花が激しく飛び散ったが、速度が緩むことはなかった。

 そして、見事もう一方の反射膜にも船首を突っ込むことに成功した。いくつかの振動鋸が故障したらしく、綺麗な 穴にはならなかったが、幾筋もの破れ目が出来て反射膜はぼろぼろにちぎれた。

 マックスウェル号が反射膜を抜けて後ろを見せたとき、そのエンジンが噴射する高温プラズマを浴びながらも、 ヴィドラはパルスレーザーでさらに反撃した。

 マックスウェル号の主エンジンブロックが爆発を起こした。その反動で、マックスウェル号はくるくると回転しな がら地球から遠ざかっていく。

 

 それは一瞬のことだった。

 マックスウェル号がヴィドラに向けて加速を開始し、二枚の反射膜を破って逃げようとしたときに爆発が起こっ た。実際には、それらの出来事は三十秒ほどの時間をかけて起こったことなのだが、ヴィドラとマックスウェル号の接触は行きも帰りも本当に一瞬のことで あった。

「マックスと話せますか?」

 平田が管制員の一人に訊ねると、その若い女性は計器ディスプレイにちらりと目を走らせて無言でOKサインを出 した。

「マックス、聞こえるか。平田だ。大丈夫か」

 斉藤班の面々も管制員やメディアスタッフたちも、マックスの答えを待ってじっと耳を傾けた。

「こちらマックス。マックスウェル号は主エンジンを失いました。ですから、大丈夫ではありません。しかしなが ら、私の機能は失われておりません。宇宙船としてのマックスウェル号は機能停止に近いですが、人工知能マックスは正常です。電力が保つ限り考えること は出来ますが、行動することは出来ません」

「ちきしょー。相変わらず回りくどい奴だな。頭脳は無事なんだな。頑張れ、きっと助けてやる」

「私は、意識の緊張度によって性能が変わることはありません。頑張れという命令には従えないと思われます」

 平田とマックスの会話を聞いていた管制室の人々は、くすくすと笑う余裕を取り戻した。

 放送を意識して、斉藤が「なはははは。作戦成功ですな」と大声を上げた。

「これで奴の次の降下が楽しみになってきた、って、どうです? 奴はイーター目がけて降り続けているのかな。ま あ、これでまたひとつヴィドラについてわかったのは、奴も傷つくということですな。えー、これまでにわかっていることの最大のポイントは…」

 と、またまたさんざん放送で言い続けてきた得意のフレーズを斉藤がぶちかまそうとしたとき、管制室が騒然と なった。

「放送宇宙船が攻撃を受けています」誰かが叫んだ。

 メディア各社の放送をモニターしている画面が次々と暗くなり、続いて地上のスタジオに切り替わった。

 

 これまでヴィドラが人類の宇宙船に攻撃を仕掛けることはなかった。そこでヴィドラ付近には常に何機かの宇宙船 が張り付いて監視してきた。いまはマックスウェル号による攻撃を取材するためにいつもより多くの宇宙船が集まっていたのだが、数キロの距離を置いて見 守っていた小型の宇宙船たちに対してヴィドラがレーザーを浴びせかけたのである。

 マックスウェル号ほどの大きさをもたない監視艇や放送宇宙船は一撃で大破した。命を失った人々も少なくない。

 それから破れた反射膜はそのままで、ヴィドラは地上に向かって降りていった。

 人類のレーザー照射装置LP三号は、ヴィドラに照準を合わせて待機していた。

 前回と同じく地上一〇〇キロから三〇キロまでを照射区間として、宇都宮上空に飛来したヴィドラに強力なレー ザーが襲いかかった。

 ヴィドラは再び反射膜を丸めて体を覆ったが、大穴が開き、破れてぼろぼろになっているのでレーザーのほとんど は胴体にヒットした。

 空に第二の太陽が昇ったような凄まじい光がはじけた。アーク放電のような青白い光だった。地上からはまだヴィ ドラの姿は見えないが、その光でLP三号が見事に機能していることがわかった。

 しかし、ほんの数秒で天の光は消えてしまった。まだレーザー照射は続いているはずだ。

 そして、地上に炎が降ってきた。宇都宮を中心に半径二〇キロほどの地域があちこちで燃え上がった。鹿沼、真 岡、茂木、今市などの街が火災に見舞われた。火元は全部で十二カ所。それが地上を舐めるように蛇行しながら移動していく。

 ヴィドラを監視するために成層圏を飛行していたロケット機の観察では、レーザーを受けたヴィドラは激しく火花 を散らして発光したが、やがて光は収まりレーザーが当たった所に溶けて変形したような擂り鉢状の窪みが出来ただけだった。LP三号の照射が続いていて も、レーザーの散乱光も認められず、何ら変化はなかった。

 というのは大きな勘違いであった。

 ヴィドラの頭にある発光体が、攻撃用のパルスレーザーと同じ出力で、しかし連続的にレーザーを放射していたの である。それが地上に当たって大規模な火災を巻き起こしていた。

 地上三十キロを切って、LP三号の攻撃が止むとヴィドラの連続レーザーも止まったので、それ以上新たな火災は 起こらなかったが、すでに消火システムが追いつかないほどの範囲に火の手は広がっていた。

 ヴィドラは陽炎に包まれて降下してきた。破れた反射膜を広げ、主エンジンを下にして降下速度を落としながら イーターの上空に降りてくる。首は根元から下向きに曲げて、イーターを窺っているようだ。

 秋の終わりの北関東は、よく晴れていて北風が吹き始めているが、地上で燃えさかる炎とヴィドラが放つ輻射熱で 大気が揺らめいている。

 全長一キロメートル、背の高さが二〇〇メートルを超すイーターは、宇都宮の中心部にうずくまり、東西に伸びる 小さな山脈のように動かなかった。

 イーターから北にずれること一キロメートルの地点にゆっくりと降下してきたヴィドラは、首を敵の方に向けてじ りじりと近づいていった。高度はおよそ三〇〇メートル。すでに廃墟と化している市街地がヴィドラの噴射ガスでさらに粉々にされる。

 ヴィドラは試すように数発のパルスレーザーを放った。イーターの横っ腹で岩石がはじける。

 岩が軋む音を立ててイーターが口を開けた。

 おおおおおおおん。おおおおおおおおおおおおおおん。

 イーターが喉の奥を鳴らすと、辺りの物がぶるぶる震えた。

 それを見たヴィドラは、体を倒してイーターに突進しながらレーザーを乱射した。しかし、イーターはふわりと浮 き上がってその攻撃を躱した。空気が乱されて、イーターが座っていた所に付近の瓦礫が吸い込まれるように集まった。

 浮上したイーターは水平に体を回転させた。太い尾がヴィドラを薙ぎ払う。危険を察知したヴィドラはロケットを 噴かして上昇したが、僅かに間に合わなかった。胴体の端を岩の塊に弾かれて、大きく体勢が乱れる。体の回転を止めるためにヴィドラの胴体からは細かく 小型ロケットが噴射された。

 それでもヴィドラの首は可能な限りイーターの方を向いてレーザーを発射し続けた。尾打ちを仕掛けてからぐるり と回って、ヴィドラに頭を向けていたイーターから激しく岩砕が飛び散った。それには構わずイーターはヴィドラに向かって大口を開けた。真っ暗な口内で 赤い光がちかちかするのは、ヴィドラのレーザーが当たっているのだろう。

 ここぞとばかりにヴィドラはイーターの口を狙ってレーザーを撃った。

 そのヴィドラが、どん、と後ろに突き飛ばされた。地上に直径三〇メートルほどの丸い岩塊が落ちて、燃えていた 瓦礫を粉微塵にした。

 イーターの口から、岩石の砲弾が打ち出されていた。姿勢を乱したヴィドラに、続けて二発の弾が当たった。

 ヴィドラは混乱したように首を振り乱したが、素早く上昇するとイーターの正面を避けるように飛び回った。それ を追ってイーターも体の向きを変えながら上昇し、岩の弾丸を狙い撃った。

 

 ヴィーナス社の管制室では全員がメディアモニターに見入っていた。

 テレビはもちろんのことだが、ネット上でもヴィーナス社からの生放送は扱いが小さくなり、イーターを撮影して いた取材ヘリからの映像がメインになっている。ヘリコプター群は大気圏外でヴィドラが宇宙船を破壊したという情報を受けて、ヴィドラ降下とともに大き く距離をとっていた。

 コミュニケーターとなにやらやりとりしていた斉藤が、こっそり平田に囁いた。

「土屋君は、だめらしい」

 平田がびくりと斉藤に顔を向けると、斉藤はまわりにいるマックスウェル計画のあとのメンバーを素早く見回し て、首を横に振った。まだ誰にも言うなということらしい。それから斉藤は、黒田の耳元で同じように告げている。MMCの社員だけには伝えておくつもり のようだ。矢部百合子や太田摩湖にこの場で取り乱されてはたまらないという考えもあったかも知れない。

 土屋紘一は、軌道上からマックスウェル号の攻撃を中継する宇宙船に乗り込んでリポーターをやっていたはずだ が、ヴィドラのパルスレーザーで船が破壊されたのだった。

 土屋くんが、やられたのか。ヴィドラに撃たれた宇宙船で死者が出たらしいという情報は流されていたが…。

 平田にとって、土屋はいつも笑っていたような印象があった。そして、金星行きで唯一「平田さん」と呼んでくれ るのが土屋紘一だった。

 MMCのテレビ放送を流しているモニターからリポーターが叫んでいる。

「ヴィドラとイーターは、激しく空中を動き回りながらレーザーと、えー、岩を撃ち合っています。そして先ほど地 上で起こった火災はますます燃え広がっています。消火活動も行われていますが、これでは、まったく役に立ちません」

 画面には、燃える大地の上空で鋭角的に宙を舞うイーターとそのまわりをひらりひらりと飛び回るヴィドラの姿が 映し出されていた。遠距離から望遠で撮影されているので、画面全部が揺らめいている。火災による大気の乱れが大きいようだ。ヴィドラよりイーターの方 が数倍大きいのだが、ヴィドラからは噴射ガスが伸びているので同等の大きさに見える。

「ヴィドラとイーターは南西方向に動いています。進路にあたる地域の住民は、避難して下さい」

 リポーターの言葉を受けて、Q太郎が呆れたように鼻を鳴らした。

「避難だって? どこに逃げればいいんだい。それに奴らは飛んでるんだよ。車じゃ間に合わないさ」

 それを太田摩湖がきっと睨んだ。

「あなたはいつもそういう風に、傍観者を気取るんですのね。逃げないより、逃げたほうがいいに決まってるじゃあ りませんか」

「海!」

 突然百合子が大声を上げた。

「海に逃げればいーんだよ。ヴィドラはイーターを狙ってんでしょ。んで、イーターって海には入らなかったじゃー ん」

 この発言もネット放送には残っているはずである。ひょっとすると今後の対策に生かされるかも知れない。しか し、いま起こっている惨事には対処のしようがない。

 

 ヴィドラとイーターは互いの隙を窺って、自分の尻尾を追いかける犬のようにぐるぐる回りながらゆっくり移動し ていた。ゆっくりといっても、その移動速度は時速二〇〇キロにも達する。

 宇都宮の西に位置する地蔵岳の山裾をかすめて南下し、まっすぐ秩父方向へ向かっている。その高度はおおむね五 〇〇メートルというところだ。

 怪物たちが通ったあとは、破壊と火災に見舞われた。

 イーターが発射する岩石弾はヴィドラに当たっても当たらなくても地上に落下して、その運動エネルギーを吐き出 した。それは地面を爆発させ、熱に変わった。また、ヴィドラのパルスレーザーもイーターの上空から発射されたものが的を外すと地上に炎を呼んだ。

 地蔵岳の麓はもちろん、小山、佐野、館林といった都市で破壊が起こった。

 岩石弾の落下による衝撃波は、数十キロ離れた場所でも、どん、という空気の振動として感じられた。

 

 遠雷のようにごろごろと轟く音が聞こえている。イーターの岩石弾が落下する音か。

 また車の窓が振動した。風が強いのだろうか。原因は分からないが、ひどく不気味な感じがする。

 群馬県館林市に住む佐藤一一家は、怪物たちが南下し始めたという情報を聞くと同時に車に乗り込んだので、なん とか移動手段を確保できた。それも午後から一家揃って鴻巣の親戚宅へ行くことになっていたからこそ、予約して呼んでおいた車だった。いまは自家用車を 持つ者などほとんどいない。一般的にレンタカーで済ませるのが当たり前だ。

 いまその自動車は、ヴィドラ・イーター対策会が配信する情報に従って西へ逃げていた。東方向は、イーターが北 上したときに食い荒らして道路が分断されているので、あまり遠くへは行けないらしい。

 さすがに道は混んでいた。たまたま手元に自動車があった人たちがニュースを見て飛び出したのだろう。しかし、 車がないとか、高をくくっていて逃げ遅れた人のほうが多いはずだ。

 車内のテレビによると、そろそろ怪物は館林上空にさしかかるらしい。佐藤一家が車に乗り込んでから十数分しか 経っていない。

「ご近所の人たち、大丈夫かしら」

 一の妻が後ろを振り返った。列をなした自動車は交通管制システムの制御を受けているので、渋滞することもなく 時速一〇〇キロを超すスピードで走っている。

「お隣の村瀬さんには声をかけたんだけどな」

 一の耳に隣の奥さんの「そんなに心配しなくてもいいと思いますよ」という言葉が甦ってきた。確かに怪物が飛来 したからといって、必ずしも家が焼けたり岩が落ちてきたりするわけではないだろう。彼の家族もあまり危機感は持っていないようだったが、車が走り出し てからテレビで地上の惨状を目にして、逃げて良かったと思っているらしい。

 今日、家にいられて本当に良かった。

 一は、不安そうに妻の腕にしがみつく小さな娘の姿を見ながら、安堵の溜息をついた。

 もう怪物たちからは一〇キロ以上離れているだろう。大丈夫。逃げられる。

 そのとき、車全体が、ぶん、という振動で揺れたような気がした。次の瞬間、前方で爆発が起こった。地面が波打 つのが見えたような気がしたが、そう思ったときには車ごと宙に舞い上がって、くるくると回転していた。

 一家は車内で天井や床に叩きつけられて、何が起こったのかを考える余裕もなく、さらに痛いと感じる前に地面に 激突した。

 イーターが放った岩石弾の一発が的を外れて、館林市と伊勢崎市を結ぶ国道に落下した。激しい衝撃とともに付近 の地表がえぐられて、多数の車両と沿道の住居が吹き飛んだ。

 

 救急消防隊の池上は、消火ヘリの中で身を震わせていた。パシフィック電機が運営するこの救急消防隊は、機材や ユニフォームがそのイメージカラーである赤と白に塗り分けられているが、そんな鮮やかな色がひどく場違いに感じられる。

「どうすりゃいいんだ。手の打ちようがない」

 大きな体を縮めている池上に、パイロットが報告する。

「これ以上高度を下げられません。上昇気流が激しくて、姿勢が安定しません」

 地上には、黄色い絵の具をぶちまけたように炎が燃え広がっている。市街地自動消火システムも働いているはずだ が、初めの何カ所かに有効だっただけで、次々に新たな火元が発生するともう消火剤が足りなくなってしまった。

「この高度から消火弾を投下するとどうなる」

 池上の問いに、オペレーターは渋い顔をした。

「そりゃ、これだけ広い面積が燃えてますから、当たるものもあるでしょうけど、気流に流されてどこに落ちるかわ かりませんよ。それに、数が足りませんね。我が隊のものだけじゃなくて、よその消防隊の装備を全部突っ込んでも、おそらく…」

 確かに、池上が乗るヘリだけではなく、近隣から駆けつけた多数の消防隊が火災上空に飛んでいるが、ほとんどは 手をこまねいているだけのようだ。

 ちくしょう。ミサイル式消火弾が認可されていれば、すくなくとも狙いは正確に発射できたんだが。

 ミサイル式消火弾は、兵器転用が容易であるという理由で禁止となっていた。

 司令部から命令が下った。

「各機はこれから指示する座標上空から消火弾を投下せよ。最も有効な投下ポイントの算出が出来た」

 ヴィドラ・イーター対策会がとりまとめた情報を元に各社の消防隊が連携して、考えられる限りに合理的な消火弾 の投下を行ったが、到底消し止めるには至らなかった。

 あとは地上班が延焼を防ぐための工作をするのが精一杯だった。

 

 宇都宮の人々はイーターが居座った時点で疎開していたので失われた人命は少なかったが、近郊の都市では、降下 してきたヴィドラが放ったレーザーでいきなり火災が始まったために最悪の事態となっていた。レーザーの直撃を受けた家屋にいた人々は、逃げることなど 及びもつかなかったし、逃げ出した人もどこに逃げれば助かるのかわからない。車両は、通りに溢れた人をはねないように停止してしまった。

 宇都宮付近だけで十数万人の人々が犠牲になった。

 ヴィドラとイーターが移動しはじめてから一〇分も過ぎると、各レスキュー、消防隊が駆けつけたので大規模な延 焼は避けられたが、やはりパルスレーザーの直撃や岩石弾の落下による被害は食い止めることが出来なかった。

 不幸中の幸いは、イーター移動に伴う避難誘導と消火のために、人類が保有する救助隊消火隊の相当数が日本の関 東地方に集結していたことだろう。

 

 茨城県の太平洋岸、日立市にあるLP三号コントロールセンターでは、技師長ジョージ・ブルックスが頭を抱えて いた。

「だめだったのか。LP三号の出力でも、奴を破壊できなかったというのか」

 テレビにはヴィドラとイーターの争いに巻き込まれて、破壊炎上する町の様子が映し出されている。

 オーストラリアにある本物のコントロールセンターに比べるとはるかに狭い仮の建物で、POL社の技師たちは押 し黙って計器に目を配っていた。監視レーダーからはヴィドラの位置情報が刻々と入り、LP三号はロックオンしたままじりじりと回転しているはずだが、 敵の高度が低すぎるので発射することは出来ない。

「くそっ。奴が軌道へ戻るときに、もう一度やって下さい。発射できるんでしょう」

 目を血走らせて、メディアリポーターの山西という男がブルックスに詰め寄った。

「それは、本部がどう判断するかにかかっているよ」

 ブルックスの一存で発射できるわけではないが、彼ももう一度試してみたかった。彼はLP三号が怪物退治の道具 ではないと思っていたが、目的を達成できなかったとなると穏やかではいられない。

 山西は技師長に背を向けて、押し殺した声で独り言を言っている。

「服部さああん。仇は必ず討ちますよおおお。見ていて下さあああい」

 テレビによると秩父に達した怪物は、山々を避けるように南東へ転進したようだ。いよいよ人口の多いところへ侵 入することになる。そして、怪物の進路の先には東京がある。

 そこへ対策会本部から連絡が入った。ヴィドラ上昇に際して、LP三号による攻撃を再度行うようにという通達で ある。

 POL社レーザー推進実験班の面々は改めて機器の調整を行い、次の発射に備えた。

「技師長、大丈夫ですよ。さっきの攻撃で、奴はダメージ食らって変形したらしいじゃないですか。今度はやれる。 こんどこそ倒せます!」

 山西はぎらぎらした目で唇を舐め回している。

 ブルックスは、しかし、と考えた。

 効果があったと思えるのは初めの数秒だけで、あとは敵に何の変化も認められなかったというではないか。不明な 点があるままで再び同じことをやって良いものだろうか。対策会としては、数秒間でも奴を痛めつけられれば良しとするというところなのだろうが。

 ヴィドラは、埼玉県川越市上空に達したところで、今回の攻撃を止めたらしい。これまでの降下に比べて、少し時 間が短いようだ。

 テレビの画面には、揺らぐ空気を通してヴィドラが主エンジンを激しく噴射する様子が映っていた。街並みの上に 浮かぶイーター上空で、ぱっと火球の白い花が咲き、そこから急上昇するヴィドラの姿が見えた。

「よーし、撃つぞ」

 ブルックスのかけ声とは関係なく、自動化された装置はヴィドラの高度が三〇キロを超えたところでレーザーを発 射することになっている。

 しかし。

 ヴィドラは垂直上昇しているわけではなかった。いつまでたっても高度が三キロを超えない。さらに、その進路は 北東、どう見てもまっすぐ日立市を目指している。

 部下が報告する。

「ヴィドラはぐんぐん加速しています。音速を超えました」

 ブルックスは、一部の自動装置を解除した。高度が三キロでもこちらに近づいてくれれば、発射角度は大きくな る。十分引きつければ、安全な角度で発射することが出来るはずだ。

 ブルックスは部下の一人に命令した。

「君が射手をやれ。仰角が四十五度を超えたら発射だ」

 そんなやりとりを背景にして山西が興奮してしゃべっている。ネット生放送がLP三号に回ってきたらしい。

「ヴィドラがわれわれのいる日立市の方向へ飛んでいます。あと数分で上空に来るでしょう。さきほどブルックス技 師長が、手動発射を決断しました。もう一度LP三号の力が試されます。ええーい、ちきしょう。こんどこそヴィドラの奴をぶっ殺してやる。金星の恨みを 晴らしてやる。天国の服部さん、見てますかあああ」

 やはりヴィドラの目標は日立市だったようだ。その手前で減速し始めたのだ。そして、主エンジンでホバリングし ながらゆっくり近づいてきた。忙しく首が動いていて、何かを探しているようだ。

 LP三号に張り付いていたメディアのいくつかは、待機させていた取材ヘリで飛び立った。イーターとヴィドラの 闘争を撮影していたヘリコプターは、完全にヴィドラに置いていかれてしまったのだ。しかし、山西はコントロールセンターに残ることを選んだ。自分が操 作していなくても、ヴィドラを攻撃する装置のそばにいたかったのかも知れない。

 飛来したヴィドラは、マックスウェル号によって反射膜がぼろぼろになり、LP三号のレーザーとイーターの岩石 弾で胴体がぼこぼこに変形していた。

 ヴィドラが市街地上空に達したとき、LP三号の仰角が四十五度を超えた。

 近隣の蓄電基地と太陽電池から集められた強大な電流が、整列した光となってLP三号から噴き出した。

 それはヴィドラの正面から襲いかかった。

 辺りが真っ白になった。

 露出を絞った取材カメラには、青白い光を放って体勢を乱すヴィドラが映っていた。その胴体が僅かに溶けて、へ こむのがわかった。

 しかし、そこまでだった。

 ヴィドラの胴体から発した強い光は萎むように小さくなり、空の青い色が見えてきた。続いてヴィドラの発光体が 連続的にレーザーを発射し始めた。ヴィドラの頭が向くと、至るところが爆発し発火した。

 日立市もまた、炎に包まれた。

「そうだったのか!」

 ブルックスが気付いたとき、ヴィドラの視線のいくつかがコントロールセンターの上を横切った。一瞬にしてLP 三号のコントロールセンターは破壊された。

 LP三号からのレーザーが停止して、ヴィドラの連続レーザーも治まったが、それからヴィドラは十数分に渡っ て、LP三号と日立の街をパルスレーザーで蹂躙し尽くした。付近にいた航空機は、取材ヘリはもちろん、救急隊や消防隊のヘリもすべて撃墜された。

 地球周回軌道に戻ったヴィドラに近づく船はひとつもなくなった。

 

   8.標本採取

 

「おっ、見えてきた見えてきた」

 コメット運輸の輸送船ホッケンハイム号の操縦室で、桜井が外部モニタースクリーンを見つめていた。

 子ヴィドラの柱は金星から打ち出されたときに比べると、その間隔を広げて密度が低くなっているが、太陽光に照 らされて遠くからでも視認できた。

 マックスウェル山の大爆発による初速と金星の公転速度を合わせたスピードで飛んでいる子ヴィドラたちは、すで に地球軌道を遙かに越えて火星軌道に迫る位置に来ている。ただし、火星そのものは太陽を挟んで反対側に位置しているので火星に所属する船を使うより地 球から飛んでいった方が早かった。

「速度修正完了」

 コメット運輸社員であるパイロットが報告した。雇われ船長の野々山は、「了解」と応えて頷いた。

 ヴィドラ・イーター対策会に加盟しているコメット運輸は、ヴィドラ幼生の捕獲を請け負ったが、直接の利益を生 まず、危険度の高いこの計画に自社の船長、副長クラスの人材を派遣するのがいやだったらしい。表向きは、野々山と桜井なら金星ですでに子ヴィドラを目 撃しているので、「慣れている」人間がいいと言うことになっているが、フリーの船長なら何が起こっても先々の補償に煩わされることがないというのが本 音だろう。野々山たちにしてみても、高額なギャラをもらえる仕事だから、断る理由はない。そういうわけで、ホッケンハイム号に乗っているのは野々山、 桜井の他は、コメット運輸社若手の志願者たちであった。

 ホッケンハイム号はじりじりと子ヴィドラ柱の最後尾に近づいていった。金星を飛び出してから一ヶ月近く経っ て、子ヴィドラたちにも変化が起こっている。一本しかない首はそのままだが、反射膜が芽を出していて胴体に突起が二つあった。しかし、まだ自力で動い てはいない。

 ホッケンハイム号は船首に操縦室を含む居住区を持ち、長さ一〇〇メートルほどの荷室を挟んで船尾が動力部であ る。いま荷室には強化コンテナが五個納められている。もし、捕獲した子ヴィドラがあとで暴れても逃がさないように、かなりの爆発にも耐える設計だ。

「さて、それでは捕獲開始といくか」

 野々山の号令でホッケンハイム号は荷室の屋根を大きく開いた。荷室は円筒形をしており、その側面が全長に渡っ て縦に割れると一八〇度開口した。中にはシャッターを開いた四角いコンテナが、懸架装置に支えられて並んでいる。

 ホッケンハイム号はマニピュレーターを伸ばして子ヴィドラたちの最後尾側方から近づいた。慣性飛行を続けてい るだけの子ヴィドラを捕まえることなど、わけもないことだった。

 次々と五匹の子ヴィドラをつまみ上げて、一匹ずつ荷室のコンテナ内に放り込む。自動的にコンテナの頑丈な シャッターが閉じる。

「簡単なもんですね。これで、これ、がっぽり」

 マニュピレーターの操作を担当していた桜井が、指を丸めた「金サイン」を懐に突っ込む動作をした。

「さくらいーっ」

 野々山が怒声を張り上げた。

「お前はそんな気持ちでこの仕事を引き受けたのか? ヴィドラの弱点を研究するための大事な標本なのだぞ。いい か、我々が出発した後で、ヴィドラは人間の宇宙船や飛行機も襲いはじめたというではないか。それだけではない。ヴィドラ攻撃用のレーザー発射装置の破 壊のためとはいえ、日立市を壊滅させているのだ。ヴィドラをなんとかせにゃならんのだ。我々の仕事に人類の未来がかかっていると言っても過言ではな い!」

 桜井は、うんざりしたように軽く首を振ったが、野々山の耳元に口を寄せて、

「マックスウェル計画のギャラも入りますからね。そしたら、これもんのこれもんですよ。いっひっひっひ」と小指 を立ててもう一方の手のひらで覆い隠すと、なにやら不審な動作をして見せた。

「む。そうか。ふむ、そういうこともあるかな。…うっしっし」

 野々山もすっかり鼻の下を伸ばして、下品な妄想に浸っている様子だ。

「船長、慣性制御フィールド励起完了してます」

 社員パイロットが、呆れ顔で報告した。それを見た桜井は、

「君もフリーになりなさい。楽しいよお」とにやにや笑いかけた。

 野々山は、咳払いをしてたるんだ表情を直すと、帰還命令を下した。あとは全速力で地球に帰るのだ。

 ホッケンハイム号が機首を巡らせて子ヴィドラ柱に背を向けたとき、機体が激しく揺れた。

「どうした」

 慣性質量が減少しているので乗組員に怪我などはなかったが、動力部の故障かもしれない。

 野々山の問いに、機関士は「異常ありません」と答えたが、レーダー係と桜井が同時に震える声で叫んだ。

「ヴィドラの群が動力部に群がっています」

「コンテナ内のヴィドラが、暴れてます」

 後方を確認する外部モニター画面に、星ではない無数の白い光が見えていた。何万キロにも伸びる子ヴィドラの群 が、ロケットを噴かしてホッケンハイム号に向かっているのだ。近くにいたものは、すでに動力部のボディに貼り付いている。

「主エンジン点火できないか?」

「だめです。すでにノズル内にも侵入されているので、点火したら爆発です」

 船長と機関士のやりとりをよそに、コンテナをチェックしている桜井も恐慌状態に陥っていた。

「だめだ。コンテナの強度が保ちそうもない。船長、コンテナを放出します!」

「待て、副長っ。貴重な資料…」

 野々山が言い終わる前に、ホッケンハイム号の荷室全体が大爆発を起こした。五個のコンテナが次々と破裂したの だ。居住区と荷室・動力部を繋ぐフレームが破壊されて、船首だけがくるくる回転しながら現場を遠ざかっていった。コンテナから飛び出した子ヴィドラも 動力部に取りついたようだ。

「回転を止めろ」

 もはや慣性制御は効いていないので、遠心力で飛び出しそうになる体をシートに押さえつけるのにもかなり力がい る。

 ホッケンハイム号は事故があった場合を想定して、船首の居住区だけでも独立して機能するようにシステムが組ま れているので、命の危険はないだろう。しかし、船首部分の補助ロケットでは回転を止めるのにも時間がかかった。

「やはり、あの化け物は捕獲できるような代物じゃなかったということか」

 野々山は険しい表情で天井を仰いだ。

「子供があれじゃ、親をやっつけるにはどうすりゃいいんですかね」

 桜井は呆然としながらも、これでは成功報酬はもらえないのだろうか、と考えていた。