189 返信 ギエロン星獣 高原竜 2003/01/01 18:10

男性 37 B

あけましておめでとうございます。

Lansさんのご意見を拝読させてもらって、セブンのギ エロン星獣を借りてきて観ました。

この歳になってやっとギエロン星獣の意味が少し解かりました。

近々、G×MG、やっとこ2回目観てきます。

 

191 返信 Re:ギエロン星獣 兄貴(赤) メール 2003/01/03 00:44

男性 42 O

こんにちは、兄貴(赤) です。

ギエロン星獣だけに止まらず、昔のウルトラ(Q、マン、セブン)には、人間のエゴを痛烈に批判するものがありまし た。

ギエロンもそうですし、セブンにおける「ノンマルトルの使者」などは、その最たるものです。

最近のゴジラの欠けているモノの一つには、そういった部分があります。

人間の視点からだけ描いてはいけないと思います。

無論、人間の視点からも描かねばなりませんが、それを超越した視点を感じさせなければ怪獣映画はダメだと思います。

怪獣ってなに?その存在って?人間と怪獣の関係は?色々な事を、考えさせる作品でなければ「怪獣映画」とは言えない と思います。

怪獣映画とは、そもそも何なのか?

人類の科学や知識を超越した存在が出現した時、人類はどうするのか?

また、その存在の意味は?

怪獣映画とは、非常に深い部分があると思います。

 

192 返信 Re:ギエロン星獣 高原竜 2003/01/03 16:42

男性 37 B

 

兄貴(赤)さんお言葉ありがとうございます。

「ノンマルトルの使者」も観てみたくなりました。今息子はツタヤで借りるウルトラセブンのビデオの最後のウルトラ ファイトにはまっているので、上手く誘導すれば来週には観れそうです。

 

> 人間のエゴを痛烈に批判する

 

というのはなんとなく解かりました。

G×MGでは、

初代ゴジラを兵器として復活利用することはエゴですよね。それを正当化し全面的に支持するだけだからその部分はダメ なんだと思ったりします。

ペットを飼うのはエゴだと聞いた事があります。でも子供がハムスターを欲しがって与える親はエゴだとか考えてないで しょうね。飼ってる子供達も。

買うから飼うへ、ペットに対する生命の尊厳だ。と生涯学習の講義で聞いたことがあります。その誰だか忘れましたが先 生が、ペットを飼う事がエゴであると認識してなければ、ペットに対して責任がとれない。と言ってたような。

とっとこハム太郎を観てる親子は初代ゴジラを復活利用することをどう思っているのでしょうか?

怪獣はペットじゃないですよね。でも

G×MGの生命の尊厳って良くわからなくなってきました。

 

193 返信 Re:ギエロン星獣 兄貴(赤) メール 2003/01/04 22:52

男性 42 O

今晩は、兄貴(赤) です。

是非「ノンマルトルの使者」もご覧下さいね。

いえ、それだけではなく、Q、マン、セブンの頃の作品は、怪獣と人類はどうあるべきか?という疑問が含まれています から、全部見て欲しいですよ。

 

ウルトラシリーズは、ウルトラマンや人間が怪獣を毎回退治してしまう話ですよね。

対して、ゴジラシリーズは、毎回怪獣を退治出来ない話です。

全く反対なんですよ、でもねそこに怪獣と人間との関係が見えてくるんです。

ウルトラは、人類のエゴで抹殺してしまった怪獣に対し、これで良いのかという疑問を投げかけ、ゴジラでは、人間の英 知では歯が立たない相手に対し、人間はどう対応し、その存在の意味は難なのかを問います。

両者、根底に流れる思想は同じだと同じだと思います。

その、根底にあるものが、今の作品には欠けていると感じます。

 

 

さて、ここで、本流とは関係ない話ですが、ここの管理人に対して一言。

自分で企画したものなんだから、ちゃんとしろよ。

正月だかなんだか知らんが、パソを全く立ち上げない日があるなんて信じられんよ。

私は、もうWeb上でゴジラのことは語り尽くした感があるし、今更スタッフ連中にナニを言っても無駄って気分だか ら、あまり多くは語らないですよ。

それに私にとって、ゴジラは人生じゃないよ、だからここの管理人とはスタンスは違うよ。

でも、ゴジラは好きだし、最高のエンターテーメント映画だと思っているから、言いたい事があれば書き込みもします よ。

でも、それは不規則なものですよ。

 

でも、管理人は、そうじゃないでしょ?

毎日チェックし、書き込みが無くても自らの発言をするべきだし、ましてや書き込んでくれた方には、レスするのが当然 の事でしょう?

今の管理人は、ただの「ヲタ」ですよ、自分のことしか眼中にないですね。

これじゃ、世論は動かせません。

 

 

196 返信 Re:ギエロン星獣 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/06 12:29

男性 40 O

高原竜さん、兄貴(赤)さん今年もよろしくお願いします。

 

怪獣と人間の関係をどう捉えるかが、分かれ道なのだと思います。

なにかと批判の多い平成VSシリーズですが、少なくとも人間には克服不能の存在という観念を打ち出していたところは正統派だったと思っています。

 

あ、すいません、ひとつ突っ込みを。

昨年のGMK掲 示板でも同様のタイトル間違いをなさっていたように思いますが、

「ノンマルトルの使者」ではなくて正しくは「ノンマルトの使者」ですので。

(揚げ足を取るみたいですいません)

 

管理人の意見に対する反論はもちろんですが、掲示板運営のやり方に関する批判も受け付けますので、

兄貴(赤)さんのような書き込みもアリです。

で、反論としては、全体の流れにそってお話したいので、自分の論評をずんずん書いていくやり方はしたくない ですし、しょっちゅう管理人が顔を出すと多対多のやり取りではなくなり、個(管理人)対多のやり取りになってしまう恐れがあるので正月をきっかけに「引い て」みました。

この件、みなさんのご意見も伺いたいです。(別スレ立てますので)

 

200 返信 Re:ギエロン星獣 Lans 2003/01/06 17:37

男性 37 O

>高原さま

血を吐きながら続ける悲しいマラソン・・・

 

私も正月明けに、

謎の円盤UFO「月 基地攻撃指令」を中古で発見確保して・・・

(ストレイカー司令官が任務を優先した結果、息子を助けられなかった話とか入った奴です)

地球0年 のコミックを見かけて購入一気読み・・・

最終兵器彼女も全話一気に観て・・・

とどめに日本沈没のTV版 みて・・・

 

手元に世界大戦争がなかったのがせめてもの救いかも(w

(これまで観てたら、もう立ち直れないです・・・(自爆)

 

やはり、映像だけ作品というのは、その場は爽快なのですが、

数年たつと、他の作品に抜かれて、あっというまに廃れていきます。

 

そうならない作品は娯楽性だけではない、なにかを持っている

と改めて思いました。

 

ps:

ノンマルトは私もお勧めです。

「我々の前に人間がいたなんて・・・そんな馬鹿な。やはり攻撃だ!」

ほかにもペガッサシティーの悲劇とか・・・

セブンは深い作品が非常に多いです。

一見、娯楽系の話かと思っても、実は根底に・・・ってのが・・・

地底GoGoGoで したっけ?

プラチク星人の?

娯楽性の強い話だと思いますが、あれも意外と・・・栄光に目を奪われた男の悲劇・・・

固いなぁ・・・

 

後、帰ってきたウルトラマンの

「怪獣使いと少年」も定番ですので。ぜひ。

 

子供の頃に見た、これらの作品はやはり心に残っています。

子供の頃には娯楽部分しか、記憶に残らないことも多いですが

一度、心に残ると、その時は、まだ理解できなくとも

大きくなった後で、もう一度見るチャンスは増えるはずです

(本人に、懐かしい、良かったという記憶が残るため)

そして、もう一度観たときに、その本当の意味に気がつく。

そして、そこで初めて名作の位置におかれるのです。

 

初期東宝特撮や円谷作品は、このような過程を経て、ゆっくりと認識し継承していける作品群だと思います。

(結局、円谷作品が素晴らしかったのは、娯楽性で子供を引き付け、テーマで大人を引き付ける。さらに、この2つを完全に両立させていた点だと思います。)

 

1発かぎりの作品なら、その場限りの娯楽大作でよいと思 います。

しかし、シリーズとして、長く続けてもらいたい作品ですから

ゴジラには、なんらかのテーマ性は内包していて欲しいです。

(テーマが中心って程じゃなくても、なんらかの最低限の明確な意思表示は欲しいと思います・・・)

 

それは、好むと好まざるに関わらず、

既にゴジラという特異なキャラクター性に内包されてしまっているとも思っています。

 

それを明確にした上で、キャラクター性を発展させなければ・・・

間違った継承は、その間違いを正統として進めてしまい・・・

魅力の不完全な継承は、最終的にそのキャラクターを忘れ去られた存在へと・・・

 

うう、恐ろしい事です・・・

(作品サイクルの早いゲーム業界では、わりとよく起こってしまう悲劇です)

 

なんか、今回はばらばらっと書いてしまいました。

(読みづらい文章ですいません)

 

202 返信 Re:ギエロン星獣 高原竜 2003/01/07 11:03

男性 37 B

>殿様ギドラさん。今年もよろしくお願いします。

>兄貴(赤)さん。怪獣と人間の関係よく考えて作 品を鑑賞するようにします。

>Lansさん。

> 血を吐きながら続ける悲しいマラソン・・・

すごいセリフですね。リスが回し車を回しているのが印象的でした。芹沢博士の死はこのマラソンを止める目的だったと 解釈して良いんでしょうか?

原爆書簡にサインしたアインシュタイン博士らの道義的な責任の有無に対する、被爆国日本の回答のひとつが芹沢博士の 死だと伺ったのは、去年のGMK掲示板でしたか?他のサイトか?なんかの青書か?出典を忘れましたが、G×MGの感想で殿様ギドラさんやLansさんが問題とされたことで、ちょっと意味を理解できたよう な気がします。

 

> プラチク星人の?

ギエロン星獣のビデオに入ってました。ライダーマンみたいな人のエゴな名誉欲を追求する話しですね。

 

> 「怪獣使いと少年」も定番ですので。ぜひ。

ありがとうございます。近々鑑賞します。

G×MG鑑賞以来、毎週水曜(安い)のビデオレンタルを息子は遊戯王からウルトラ系にスイッチしてますので、チャン スです。

実はセブンのギエロン星獣と帰マンのべムスターの入ったやつ2本を借りてるんですけど、べムスターよりエレド-タス(怪獣少年の復讐)の方が今見たら面白いです。子供向けなの にすごい内容ですね。

なんか新しい発見があってワクワクしてきます。

 

203 返信 Re:ギエロン星獣 Lans 2003/01/07 12:26

男性 37 O

>芹沢博士の死はこのマラソンを止める目的だった と解釈して良いんでしょうか?

 

私は、少し違った解釈です。

芹沢博士の死は、せめてマラソンの加速を留める程度にすぎません。

諸外国は核開発に狂奔する中、芹沢博士は、その「拡大を防ぐ」為に死んだのです。

ただ、これが日本の回答とは思いません。

あくまでも、個人の人間の意志、登場人物としての芹沢博士の意思として

行われた事に意味があると思っています。

 

なぜなら・・・

芹沢博士自身が原水爆を超える兵器として流用可能な物質を発明しているからです。

 

もし、個人がそのような力を手にしても、

それを公表すれば、科学者として脚光を浴び、それなりの功績を称えられる事になったはずです。

しかし、彼はそれの危険性を自覚し公表せず、さらに未完成の兵器として公開しなければならない現実に対し、自らの命 を絶つ方法で、全ての人類に対する責任を果たそうと考えたのだと思います。

 

つまり、どのような大成功を前にしても、彼は人間としてやってはいけない事を自覚していたんです・・・

 

そりゃ、映画の登場人物だから、単なる理想像に過ぎないことも承知です。

実際にそんな決断を迫られることなんて、ありえないですしね(w

でも、私は、そんな芹沢博士の無骨な生き方に惚れちゃいました。

 

んで、余計にその死の意味を否定されちゃうと・・・

 

いや、ホント。GMGがわざわざ芹沢博士を出さなければ・・・

その死の意味に触れなければ・・・ここまで言わなかったんですが・・・

 

しかし、作品に出してしまったいる以上、それに目をつぶることは出来ないんです。

 

ちなみに、私がUS版 に寛容なのは、初代、いや、日本のゴジラとは一切関わりを持たない形を取っているからです。

 

その割り切りを容認した感じです。

あくまでもアメリカ人から見ればこうなんだろうって

(でも、倒される事自体は、US版掲示板も頃から反意を表明していますけどね)

 

でも、今回は、流用シーンまであって・・・とてもじゃないが割り切れません(泣

 

>子供向けなのにすごい内容ですね。

新マンは初期グループにすごいの多いですよ。

後期は、それこそ「いろいろ」と混合してますが(w

 

よって、よく昭和ウルトラを

Q~セブンと

新マン以降に分ける考えが見受けられますが

私は、新マンは、双方の過渡期として、混合してると思っています。

 

204 返信 Re:ギエロン星獣 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/07 13:27

男性 40 O

Lansさ ん

『世界大戦争』(ステレオ版)を送り付けましょうか?(むふふふふ)

 

高原竜さんとLansさ んのお話し合いを読んでいて、いまいちどきちんと『ゴジラ』という作品を考え直すべきではないか、という思いを強くしました。

『ゴジラ』についてはたくさんの書物に論評が載っていますし、怪獣映画の最高傑作であるという評価が定説になってし まっているので、

なにか、イメージだけが一人歩きしていて、どんな作品なのかということを深く掘り下げて考える場がなかったように思 います。

 

かくいう私も、見るたびに新たな発見があったり、やっぱりすげーや、とは思うものの本気でひとつひとつの要素を考え 抜いたことがあるか、

と言われると自信がないです。

 

核実験で住処を追い出され、核兵器に耐える生命力と核兵器と同等の破壊力を持つとされるゴジラ。

それは二足歩行であり、爬虫類より哺乳類に近い顔立ちをしていること。

 

そのゴジラを葬るための唯一の武器として提示されるオキシジェンデストロイヤー。

その効果が熱や爆発ではなく、溶解であること。

原理の科学的説明が一切ないこと。

 

ゴジラによる東京蹂躙というスペクタクルは中盤に処理されて、後半に芹沢の苦悩を持ってきていること。

 

その他その他・・・・。

いつかやりたいですね。

 

(「帰ってきたウルトラマン」前半はいいですよねー。SFアイディアの切れはQ・ マン・セブンに負けますが、怪獣ドラマの作り方がうまい!怪獣事件と人間生活の絡み合いがちゃんとドラマになってます。

それに、演出・演技も厚みがあったと思ってます。ドラマ性においては、Q~セブンの作品より好きかもしれません。アキちゃん可愛い!)

 

209 返信 Re:ギエロン星獣 高原竜 2003/01/08 17:13

男性 37 B

間違いました。プラスチック星人の入ってるビデオは先々週に借りた、リッガーとアギラの入ったやつでした。ギエロン 星獣の入っているビデオには入ってませんでした。ギエロン星獣も今日返却してノンマルト借りました。

 


190 返信 月並みですが・・・。 つっつ メール 2003/01/02 22:12

男性 32 A

あけましておめでとうございます!昨年は私の陳腐な意見に付き合ってくれてありがとうございました。昨日は又見てき ました。ですが印象は初回と全く変りません(汗)割と楽しめたにも関わらず途中で飽きました・・・・。

思えばストーリーが平板な印象は抜くえず・・・。結果的に見せ場ばかり優先しすぎて肝心の中身は底抜けだったので は・・・。

(本多作品は実に「映画」だったなあ・・・。ストーリーもバラエテイー豊富だし・・・)

さすがに悪口ばかり言うのはちょっと気がひけるのですがこのままだと・・・。

 

 

195 返信 Re:月並みですが・・・。 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/06 12:15

男性 40 O

つっつさん、今年もよろしくお願いします。

そう・・・、派手な絵柄は多いので視覚聴覚を刺激されたなー、という後味は残るのかもしれませんが、ドラマを感じら れるかどうか、ですよね。

作品の批評は、論拠をちゃんと示せば、貶すことになっても悪口ではないですから気がついたことはどんどんおっしゃっ てくださいね。

 


194 返信 ゴジラの存在感が…… AKIT 2003/01/05 01:16

男性 34 O

 ギドラ様、掲示板をご覧の皆様、お久しぶりです&あけましておめでとうござい

ます。

GMKでは長文を熱く書き込める掲示板として利用させて いただきました。今回は立た

ないかな?と思っていたので、再びこういった場を設けてくださったことを喜んで

おります。

 しばらく2ちゃんに入り浸ってたので言葉遣いを直すのが大変でつ()

 

 ……で、G×MGを観て参りましたが、私の評価は「×」でした。

 GMKは観ている最中に呆れ果てて、途中からお笑いモードで鑑賞してたのです

が、G×MGはわずかながら気に入らない点があるシーンが90分続いて、後から

おさらいしたら「×」評価をくださざるを得なかったという感じです。

 既に細かい点をリストアップしてファイルにまとめていたりするのですが、まだ

過去ログを読んでいませんので、一つだけに留めておきます。

 おそらくは既出だと思いますが、「ゴジラの存在感が薄い」ことが一番の不満点

です。メカゴジラが細かく描写されているのに対して、単に強い敵くらいの扱いで

しかないので、どうにも盛り上がりません。

 メガギラスで生物感たっぷりにゴジラを演出してくれたのは、他ならぬ手塚監督

なだけに意外というか残念というか失望感に教われました。

 

 これ以上の批評に関しては過去ログを読んでから、また出直してきます。

 今年も(今 回も)よろしくお願いします。

 

197 返信 Re:ゴジラの存在感が…… 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/06 12:33

男性 40 O

AKITさん、お久しぶりです。

そうですね。

部分部分にはいいところもあるけれど、全体を見渡すとなんじゃこりゃ、という作品かもしれません。

メガギラスとの比較で考えるとゴジラ演出の違いは特技監督の違いかも・・・・。

 


198 返信 本日より復帰 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/06 12:39

男性 40 O

熱くなりすぎても空回りするかもと思い、お正月はなりをひそめていた殿様ギドラです。

 

しかし、193番 で兄貴(赤)さんよりお叱りを受けました。

管理の仕方に問題を感じている方はこの機会にぜひご意見をお聞かせください。

気がついていないことがあれば正しますし、不明瞭なことがあれば出来るだけご説明します。

 


199 返信 おめでとうございます Lans 2003/01/06 16:56

男性 37 O

Lans復活でし。

といっても、まだあまり書き込みできませんが、よろしくです。

(年始の仕事は溜まりやすいなぁ(泣

 

そういえば、非常に気になる書き込みを2ちゃんねるのGMGスレでみかけました。

 

それは、周囲の旧作ファンの呼びかけで、新参のファンが

旧昭和作品のビデオを見て「よかった!すばらしい」とのお礼を返していたものなんですが・・・その中に・・・

 

初代だけは、探しても見つからなかったんですよ

 

という一文が・・・(がーん!しょーっく!)

 

周囲からも、それは珍しいと言われてましたが・・・

そういえば、私の周囲のビデオ屋も10年以上前からある老舗にはありますが

最近進出してきた大型店には入っておりません。

 

やはり、リメイクは欲しいなぁ・・・ファンの再定着の為に・・・

 

201 返信 Re:おめでとうございます 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/06 18:02

男性 40 O

お忙しい中、すいませんです。

今年もよろしくお願いします。

 

で、『ゴジラ』のビデオを置いていないレンタル屋がありますか・・・。

うぐ~。

『ゴジラ』と同質のゴジラ映画はもう作らなくてもいいのだ、というのが基本的な私の考えではありますが、

『ゴジラ』を知らない人に『ゴジラ』を見てもらう手段がものすごく狭まっているというのは由々しき事態です。

そうなるとLansさ んの主張を受け入れざるを得ないことになるか・・・。

もうちょっと考えてみます。


205 返信 ちょっとめんどくさい話 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/07 13:35

男性 40 O

189番「ギエロン星獣」スレを読むうちに、考えたこと です。

(変だと思われるところにはぜひ突っ込みを。映画ってなんだという認識を深めたいです)

 

 

「娯楽性」という用語って、すごく曖昧に使われているような気がします。

「楽しいこと」「心が軽くなること」のみが娯楽なのかどうか・・・。

ものすごい悲劇を見て、大泣きして、そのうえで心が洗われたような爽快感を感じることもありますよね。

これも娯楽なのではないか、と思うわけです。

 

作品中になんらかの教条が含まれていて、いままで気がついていなかった認識を教えられた、という場合も快感を感じる わけですから、

これまた娯楽性なのではないか、と。

 

そこで、殿様ギドラとしては、劇映画の2大要素として「感覚刺激」と「論理刺激」に分けてみたいと思うのです。

この二つとて、互いに絡み合いながら相乗効果を出しますから、分離したものではないです。

 

感覚刺激とは、形・動き・色・光・音によって直接感情を刺激するものであり、ドラマなしでも成り立ちます。

(テーマパークのアトラクションみたいなもんです)

論理刺激とは、言葉による説明のみならず、劇中の事象から因果の連鎖や意味性を見出せるような刺激です。

(物語にはすべからく論理性がある)

 

傑作というのは、上記の二つが緊密に結びついて全体を構成しているのだと思います。

で、映画というメディアの特性(体験的である)から考えれば、「感覚刺激」がうまく出来ていることが優先されるのか もしれません。

しかし、感覚刺激のみの作品は、Lansさんがおっしゃるとおり、見終わった後で何も残りませんし、「論理刺激」がない分、物足りないと感じるわけです。

(私の考えから行けば、娯楽性が足りないということになります)

 

論理性を備えた作品は、見終わった後でも言葉に置き換えて反芻することが出来ます。

まさに、お楽しみはこれからだ、の状態になるはずです。

ところが、感覚だけの作品は、上映が終わってしまえばその「良さ」を思い出すのは困難です。

真冬に真夏の暑さを思い出しても体は熱くならないということです。

 

ただ、非常に危険なのは、映像と音を備えた体験的芸術である映画を語ろうとしたとき、

言葉を使わざるを得ないためにその論理性にばかり目が行ってしまうことでしょう。

そのため怪獣映画は長く不遇の時代を過ごしているのではないかと思うところもあります。

怪獣という出てくるだけで強い刺激を与える存在が中心になるために、作品が含む論理性にまで気が回らず、

論理性に弱い作品群であるという烙印を押され、

わずかながら怪獣映画を評価する動きがあっても、やたらと論理性や意味性が強い作品ばかり褒める結果になっているよ うな気がします。

 

私も「セブン」や「帰ってきたウルトラマン」の意味性の強い作品は好きですし、見事な作品だと思います。

それでもシリーズ中の異色作という位置付けで良しとするのです。

(もし、「帰ってきたウルトラマン」が「怪獣使いと少年」みたいな作品で埋め尽くされていたら好きにはなれないで しょう。なぜか、を説明するとまた長くなりますので、いまは割愛)

 

もっと危険に感じているのは、上記とは真逆の動きです。

映像作品とは感覚だけでいいのだとばかり、意味のつながらないストーリー、性格破綻しているような人物、倫理観など どこ吹く風の作品でも、

見ている間に「おどかし」や「浮遊感」(これ、人間にとって結構重要な快感らしいです)などをちりばめて飽きさせな ければ「無意味」な作品でも傑作だと誉めそやす動きがありませんか?

これは、人間の根源的な能力である論理思考を使わない見方であり、そんな作品ばかり見ていると簡単に言って「バカ」 になります。

極めて危険です。人間が論理性を失ったらどうなることか・・・。

 

と、「×メカゴジラ」そのものの話ではないですが、関係は深いと思います。

 

206 返信 Re:ちょっとめんどくさい話 Lans 2003/01/08 12:35

男性 37 O

> 「娯楽性」という用語

「感覚刺激」

「論理刺激」

 

同意です。

さらに、両者に密接な関係がありというご意見にも激しく同意します。

 

> それでもシリーズ中の異色作という位置付け で良しとするのです。

> (もし、「帰ってきたウルトラマン」が「怪 獣使いと少年」みたいな作品で埋め尽くされていたら好きにはなれないでしょう。なぜか、を説明するとまた長くなりますので、いまは割愛)

 

これも同意。いやぁ、まさか、全部がその方向では、重すぎて爽快感が・・・

言って見れば「感覚刺激」が足りなくなってくると思います。

 

セブンやマン、帰マンは、毎週のショートシリーズの集合作品として

話数単体ではなく、シリーズ全体で捉えられますので、どちらかに偏った話もOKだと思うのです。

 

これはゴジラシリーズにも言えるとは思いますが、TVで毎週定期的に無料で見られたウルトラシリーズと違って、各作品の独立性は桁違いに高いと思いますので、ゴジラには作品単体ご とに総合的なバランスが必要だとおもいます。

 

さらに、いくらバランスとはいっても、作品ごとに、どちらかに偏るのも、これまたOKと思います。

 

ただ、シリーズ物として、やってはいけないお約束があるとは思っています。

 

 

207 返信 Re:ちょっとめんどくさい話 Lans 2003/01/08 12:57

男性 37 O

少し話しが変わりますが「感覚刺激」「論理刺激」について、少し

 

私の専門分野は、そもそもゲームなのですが、同じような事はゲームにも当てはまります。

ただ、ゲームの場合は、どちらか片方だけでも、成立はします

 

感覚刺激=シューティングゲーム

(我々は視聴覚的娯楽とも言います)

 

論理刺激=シミュレーションゲーム/ノベル型アドベンチャー

(我々は知的娯楽とも言います)

 

共に娯楽としては完全に成立します。

しかし、しかしながら・・・

 

ここ最近、完全なシューティングやシミュレーションは売れなくなっています。

 

しかし、その中でも売れてるものもあります。

それは複合型です。

 

つまり、シューティングであってもストーリー性や論理性が取り入れられたり

シミュレーションにアクション要素や派手な戦闘を取り入れていっているのです。

 

ノベル型アドベンチャーに関しても音や映像に重点が置かれていっています。

 

つまり、2つ の要素の両立した方が売れてるのですねぇ(w

 

私は、この事実を深く受けとめております。

(そりゃ、それこそ飯のタネですから(自爆

 

208 返信 Re:ちょっとめんどくさい話 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/08 14:49

男性 40 O

テレビシリーズと劇場用映画のあり方の違いも、Lansさんのご意見に同意です。

 

劇場用映画のバランスのとり方のお話もよくわかります。

総合的に、といってもなにもかも詰め込んで、どれも均等に描いてしまったら、

それこそどの要素も中途半端になってしまいます。

ですから作品の主軸がどこなのかに合わせて、重心位置を変えることが必要なのだと思います。

 

そういった意味では、『ゴジラ×メカゴジラ』は怪獣バトルを主軸に見せるのだ(私もそうだとは思ってるんですよ)、

という観点に立てば、社会背景や人物描写の突っ込みはあの程度でも問題ないとは思っています。

ただし、突っ込みの浅い深いと正しいか間違っているかは別問題ということです。

(まだ人物造型の話はほとんどしていませんけど)

 

また、ゲームの分類、そしてその「進化」のお話には膝を打ちました。

かつて映画が歩んだ道をゲームも辿っているように思えます。

つまり、写真が動くという驚きだけで興行が成り立った時代(まさに感覚刺激のみ)から、

演劇や小説からストーリーというものを取り込んで知的娯楽の要素も備えていったのが

映画ではないでしょうか。

 

そんな映画から知性を奪ってよいものでしょうか?

たとえ多くの観客が知的表現など求めていないとしても、そんな時代だからこそ、表現者は知的娯楽を提示してみせる必 要があるのではないでしょうか。

 

210 返信 Re:ちょっとめんどくさい話 高原竜 2003/01/08 17:20

男性 37 B

勉強になります。

感覚刺激。論理刺激。

殿様ギドラさんとLansさ んが意見交換されると解かってきたような気になります。

 

212 返信 Re:ちょっとめんどくさい話 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/09 10:08

男性 40 O

高原竜さん、ありがとうございます。

抽象的な話をしだすと拒絶反応を示す人が多いので、ちゃんとお読みいただけていることがわかって嬉しいです。

 

一生懸命考えたすえのことを書いていますが、考え不足の点、説明不足や間違っているところもあるかもしれません。

みなさんから質問や反論も出していただけるともっと嬉しいです。

 


211 返信 割と面白かったです ガバラバラ 2003/01/09 00:31

男性 18 O

はじめまして、ガバラバラというものです。

え~、GMGなんですが、僕は割と楽しめました.

メガギラスとGMKがまれに見る低得点をたたき出してくれた、

というのも有るのかも知れませんが(あくまでも個人の感想です)

まあそれは置いといて。

GMG鑑賞後に初ゴジを借りて見たんですよ。

そこで疑問がひとつ出てきまして。

 

ゴジラの骨って消えたんじゃあないんですか?

 

・・・嘘です。そんなくだらないことは聞きません(爆)

 

改めて質問を。

芹沢博士は、オキシジェンデストロイヤーが、もし、

兵器に応用されようが無い、とっても便利な薬品だったら

躊躇せず使ったか?又は使うべきだったか?

ということです。

なかなかこの問題にうまく答えが出せずにいるので

演出次第だ、なんてのも含め

忌憚の無い御意見お待ちしております

 

 

213 返信 Re:割と面白かったです 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/09 10:34

男性 40 O

ガバラバラさん、いらっしゃいませ。

どうか、また来てくださいね。

 

> ゴジラの骨って消えたんじゃあないんです か?

 

この疑問、ぜんぜんくだらないことじゃないと思いますよ。

ごく普通の感覚で『ゴジラ』と『ゴジラ×メカゴジラ』を両方見れば、当然沸いてくる疑問だと思います。

私も、そこを激しく突っ込んでいます。(過去ログ見てね)

 

オキシジェンデストロイヤーが、もし、平和利用しか出来ないものなら・・・・。

(これは、ひとつの思考実験ですね。ゴジラを殺す能力を持っている=兵器転用可能ということではありますが、芹沢の 心理を探るための前提と考えましょう)

うーーん、私は躊躇なく使ったと思います。そして自殺はしません。

芹沢は決して他者の痛みに鈍感な男ではないです。

ゴジラによる惨状をみて、沈痛な表情をするという描写がありますし。

そして、人類に害をなさないものであることがはっきりしているなら使うべきであろうと思います。

(実際はそういう都合のいいものではないからこそ『ゴジラ』は優れた物語になったわけです)

 

で、付け加えて、『ゴジラ』で芹沢が死を選ぶ理由は、オキシジェンデストロイヤーを封印するためという倫理観だけで はなかったと思っています。

彼には、人間個人の生活を潤わせる「幸せ」がなくなっていたはずです。

恵美子の心が自分から離れてしまったことも大きいのではないでしょうか。

オキシジェンデストロイヤーの実験を恵美子に見せたのは、彼の精一杯の愛の表現、

しかし、恵美子は尾形に秘密を漏らし、あろうことかその尾形と二人がかりでオキシジェンデストロイヤーの使用を迫っ たのです。

芹沢の科学者としての倫理観とは別のところでも、彼が感じた寂寥、絶望、孤独を思うと死にたくもなるだろうな、と思 います。

(恵美子にふられたことが主な理由なのだという論評をどこかで読んだ覚えがありますが、私はどちらが主でもなく複合 だったと感じています)

 

あ、ガバラバラさんにお願い。

『ゴジラ×メカゴジラ』の良かったところを出来るだけ具体的に書いてください。

(○○のシーンでの誰々の表情がよかった、とか、特撮映像の良かったものとか、ストーリーで「おもしろい」と思った 展開とか・・・)

 

214 返信 Re:割と面白かったです Lans 2003/01/09 12:08

男性 37 O

ども、はじめましてLansと申します。

 

> 芹沢博士は、オキシジェンデストロイヤー が、もし、

> 兵器に応用されようが無い、とっても便利な 薬品だったら

> 躊躇せず使ったか?又は使うべきだったか?

 

この件ですが

初代作品中に芹沢が使用を迫られたシーンで

「もっていけるなら、僕はまっさきに持ち出したはずだ・・ああ、こんなものさえ造らなければ!」

(言葉の詳細は記憶違いもあると思います(汗)

 

というようなセリフがあったはずです。

 

よって、私は躊躇なく使ったと思います。

 

ですが、作品論としては、オキシジェンデストロイヤーが未完成の諸刃の剣であった事自体に大きな意味があると思って います。

 

そのゴジラ同様に矛盾するその存在、それを前にしたときに人間がどのような選択をしていくのか?

そこにひとつの物語の核心が生まれていると思います。

 

芹沢博士の直面した問題は、過去も、今も、厳然と我々人類の上に降り積もり続けている問題だと思います。

 

そう、いってみれば、ゴジラが原爆とすれば、オキシジェンデストロイヤーは水爆なんですね。

(作中では、ゴジラが水爆大怪獣ですが、相対的な力関係は、こうだと思います。)

 

ここで、ひとつ意思表明

私も、よくゴジラを核の象徴的に書きますが、

決して、ゴジラという生物自身を核の具現化とかは思っていません。

 

あくまでも、「ゴジラ」という作品内の意思というか要素として

核兵器を「象徴」するものにすぎないと認識しています。

(なんか人間天皇みたい(w

 

あくまでもゴジラは核の被害者である一生物。

そう、あくまでも「被害者」なんです。

どっちかというと、核の具現化は「オキシジェンデストロイヤー」であると認識してます。

 

理由は・・・ゴジラは破壊しか生み出しませんが・・・

実際の原子力は発電などの平和利用も、存在します。

で、オキシジェンデストロイヤーですが・・・

あの時点では、単なる破壊兵器にすぎませんが、芹沢博士はあくまでも平和利用の道を探っていました。

 

この図式は、現実の核開発と全く同じです。

最初は破壊兵器(原爆)・・・次に平和利用(発電)

 

このあたりも、最近のゴジラに持つ不満なんですけどね。

ぶっちゃけちゃうと

 

今のゴジラは、ゴジラ自身が単なる加害者でしかありません。

もうちょっと、原点を見直してほしいなぁ・・・

 

被害者なんだけど、同時に加害者である。

ゴジラを倒す事自体にまつわる矛盾・・・

 

考えれば、考える程、初代ってのは矛盾と矛盾がせめぎあう作品です。

 

ゴジラの存在自体の矛盾

それを倒さなければならない矛盾

その倒す方法自体が内包する矛盾

 

やっぱ、すげーや

 

リメイクが駄目なら、新作と併映みたいな感じでもいいから

再度の全国公開してくれないかぁ・・・

今こそ、多くの人に見て欲しい作品です。

 

215 返信 追加 Lans 2003/01/09 12:27

男性 37 O

ゴジラは被害者と書きましたが、追加で・・・

 

ゴジラの表すものは被害者の怒りだと思います。

これは、人間、自然に関わりなくです。

 

不当に虐げられた者の怒り

 

しかし、それを、他の多くの者の繁栄の為に抹殺しなければならない。

そういった矛盾の象徴だとも思います。

 

だからこそ、あまりにも哀れで・・・

原作者も、最後にゴジラを殺してしまった事に後悔したのです。

 

しかし、殺すことを後悔しなければならない存在

それを忘れてはならない存在

 

それがゴジラの一面だと思います。

 

でも、これは、ゴジラを殺さずとも主張できる要素だとは思いますので

ゴジラのキャラ性、そして正統な怒りを抹殺してしまう事に対する嫌悪感などからも、

なによりも、忘れることの出来ない存在として、ゴジラは倒されることのない、永遠の被害者でいて欲しいです。

 

と、作品意味的には思います。

 

一方、それを多くに人が認知してもらう為には、多くの人に見てもらわなければなりません。

で、その為に娯楽性(この場合は感覚刺激に重点)が必須です。

よって、上記に基本さえ外さなければ、怪獣バトル大いに結構!

望むところです(w

 

これが全くない、ただ問題提議だけのゴジラ・・・

見てみたい気もしますが、絶対につまらないでしょう(w

 

同じように、破壊だけのゴジラもつまんないです。

 

216 返信 Re:追加 Lans 2003/01/09 12:45

男性 37 O

そうそう、大事な事を書き忘れていました。

 

初代当時、まだ安全な原子力発電は一般事業化されてなかったはずです。

(研究段階、それも核分裂炉(原爆技術)ですから・・・)

(融合炉(水爆技術)の一般事業化は・・・今も・・・)

 

217 返信 Re:割と面白かったです ガバラバラ 2003/01/09 16:04

男性 18 O

なるほど・・・やはり使いますか。

僕がなんでここに引っかかったのかというと、

 

躊躇無く使う=ゴジラは殺しても問題無い

 

という図式が成り立つのではと考えたからです.

僕の中ではゴジラは『核の被害者である一生物』と

とらえております。ほぼRansさんといっしょだと思われます。

だから、人間を殺したゴジラは死んで然るべきだ。という考えを

あまり認めたくなかったのです。

前のスレだとわかりにくかったかもしれません。

 

つまり、ゴジラを殺すのに兵器を開発する、という問題と、

人間自ら産み出したゴジラを容赦無く殺す、という二つの観点が

GMGと初ゴジを見て浮かび上がってきたということです。

 

何の害も無いゴジラを殺す道具を持ってゴジラと対峙したときに

躊躇無く使う、というのはやはり納得できません。

しかし人が大勢死んでいく中で使わないのもおかしいです。

 

初ゴジをリセットするのならここら辺も突っ込んでもらいたいなあと

感じました.

 

 

骨について.

僕がくだらないと思ったのは,あくまで間違い探しとしての

疑問です。

一応監督はパラレルワールドだと言いきってましたので(^^;

気を悪くされたら申し訳ありません。

過去ログの感想はまた別の機会にさせてもらいますm(__)m

 

 

219 返信 Re:割と面白かったです Lans 2003/01/09 17:16

男性 37 O

> 躊躇無く使う=ゴジラは殺しても問題無い

> という図式が成り立つのではと考えたからで す.

> だから、人間を殺したゴジラは死んで然るべ きだ。という考えを

> あまり認めたくなかったのです。

 

実は、この考え方自体は、私は支持します。

しかし、その結果ゴジラを実際に倒せるかどうかは、別ですけど(w

 

この考え方にも、一つの矛盾がありまして・・・

ゴジラを倒そうはいいとしても、その方法は・・・

下手すると、ゴジラ以上の災厄を人類に投げかねないものである

 

という点がミソになります。

 

ゴジラを倒すために、もっと恐ろしいものを造ってしまう可能性

それが、「ちゃんと」描かれるのであれば、

作中で人類がゴジラを倒そうと躍起になるもの、私は可です。

 

> つまり、ゴジラを殺すのに兵器を開発する、 という問題と、

> 人間自ら産み出したゴジラを容赦無く殺す、 という二つの観点が

> GMGと初ゴジを見て浮かび上がってきたと いうことです。

 

GxMGは深読みすれば、これが見えてくるのですが・・・

普通に見た場合・・・そこが隠れてて全然、見えてこないんです・・・

ラスト付近なんか特に・・・

そこが大不満

 

> 何の害も無いゴジラを殺す道具を持ってゴジ ラと対峙したときに

> 躊躇無く使う、というのはやはり納得できま せん。

> しかし人が大勢死んでいく中で使わないのも おかしいです。

 

この場合は、演出として、

大幅にゴジラに同情が集まるような作りであれば、私はOKかな。

そうなると、人類側が完全に悪人側になるでしょうね。

(作中の登場人物はそこに気がつかずに必死で対ゴジラに邁進してもいいのですが、そこを明確に観客が理解できるよう な演出が必須かと)

 

まさしく観客が「納得できない」と思わせれば

作品意図(科学万能、軍備博大に対する警鐘)として成功だと思います。

反面教師的な手法ですね。

 

でGxMGは、そのような意図が見え隠れしながらも

観客にその部分をアピールしきれていないのが、またまた不満

 

> 初ゴジをリセットするのならここら辺も突っ 込んでもらいたいなあと

> 感じました.

 

激しく同意

 

222 返信 Re:割と面白かったです(時間がないので短く書きます) 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/09 17:50

男性 40 O

Lansさんのご意見と基本的に同じことになってしまう のですが、

私が、芹沢なら使うだろう、と考えるのは、あくまでも劇中の人物・芹沢博士ならそうすべきだし、使うだろう、という ことです。

しかし、観客までもが躊躇なくオキシジェンデストロイヤーを使ってしまえ、という気分になるような演出をするのはダ メです。

(今回の×メカゴジラは、結局そういう形になっている)

 

んで、『ゴジラ』を再び全国公開するというのはナイスアイディアだと思いますよ。

ゴジラ50周 年には、『ゴジラ』その他の名作をレストアして最高の状態で上映するってことでいいかも、なんて思います。

「復活フェスティバルゴジラ1983」の再来です。

いまなら、デジタル技術でニュープリントにするだけでなくフィルムのキズや褪色も直せますから。

(新作を作るよりよりそっちのほうがゴジラの将来のためにはいいかも)

 

225 返信 Re:割と面白かったです ガバラバラ 2003/01/09 18:23

男性 18 O

丁寧に答えてくださってありがとうございます。

だいぶ自分の中でも落ち着いてきました。

観客に伝えたい意図を映画の中にどのように表すか

というのが問題なのですね.

ストレートに出すのか、裏を返して他山の石とするのか。

台詞で言ってしまうのか、暗に匂わすのか。

そしてその意図も、直接ゴジラと絡ませるのか、

ゴジラから派生したものにするのかetc,etc。

いやぁ~ホント奥が深い。もう大好きです、ゴジラ(w

 

GMGはここの議論を踏まえて作りこめば

化ける可能性がありますなぁ。つくづく惜しい。

しかし今までよりも到達度は数段進んでると思います.

今年を踏まえて50周年作品が本当に楽しみです。

・・・いや、恐ろしい気持ちの方が多いかも(^^;

東宝さ-ん口よりも予算だしてー(爆)

 

 

 

226 返信 Re:割と面白かったです Lans 2003/01/09 20:50

男性 37 O

> 観客に伝えたい意図を映画の中にどのように 表すか

> というのが問題なのですね.

 

もう一個足すと

 

最終的に観客に伝えたい意図が伝わるかどうか?です。

 

せっかく映画の中で表しても、観客に伝わらないのでは意味ないです。

(今回のGxMGは、 それどころか逆方向に伝わりかねないです・・・)

(というか・・・途中はどうあれ、ラストはどう観ても、そういうエンディング)

 

>殿様ギドラさん

復活フェスティバル再来ですか!

それもいいですね。

思えば、あの時は、各名画座でも上映がさかんでしたし

 

復活フィスティバル以外でも、東宝50周年かなにかで

「ゴジラ」「モスラ」「ラドン」のリマスター上映さえしましたもんね。

 

どうせやるなら、高品質化によるステレオ化も

(そういや、当時、ゴジラのステレオ意化音声ドラマLPでてたっけ・・・)

(欲しかったなぁ(w)

(着色カラー化もいいかな?)

(でも、以前に史上最大の作戦がデジタルカラー化されたとき、偉い制作費がかかったと聞きました・・・でもカラー初 代・・・観たいな)

(もちろん、モノクロの味てのも大好きですけどね)

 

でも、リメイクまでいかないと・・・

レンタル屋にまでは回らないかな・・・という不安も多少残ります。

 

せめて、最近よくある2000円台の廉価版DVDが 出ればぁ!

(でも・・・あ・の・東宝じゃ無理か・・・はぁ)

(公式掲示板の壊滅もDVDの価格が原因だったしね)

 

PS:

そういえば、下で書いて頂きましたが

「世界大戦争(ステレオ)」お持ちですか

これ家の周辺にはなくて・・・

以前すんでいた所のレンタル屋は地球防衛軍、宇宙大戦争、世界大戦争と揃ってたんですが・・・

今の周囲は全部なし

マタンゴやギララはあるというのに(w

 

228 返信 Re:割と面白かったです 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/10 11:42

男性 40 O

ああ、もろもろ考えると、オキシジェンデストロイヤーの影響で怪獣が出現してしまうという発想だった「vsデストロ イア」も大化けする可能性を秘めた映画だったんですよねぇ。

まあ、あれは、ゴジラの死を描かなければならなかったのでそんなテーマ性に踏み込めずに終わった感じがします。

(デストロイア単体で一本作ってからゴジラとぶつければよかったのに、とは以前どこかで書きましたけど)

 

『ゴジラ』カラー化というのは川北監督が何かのインタビューで「やりたい」とおっしゃっていたと思います。

結果的にはモノクロで正解の映画だとは思いますが、本多監督がモノクロにこだわったために白黒になったわけではない とも思うので、試みとしてはアリかなと思います。

しかし、本多監督の監修で色指定しないとなー。

 

50周年イベントとして考えれば、完全に同じシナリオで 今の役者・技術を使ってカラーワイドの『ゴジラ』を作るもアリかな?

あまりいい作品にはならないでしょうけど、あくまでもイベントとしてです。

 

(あ、今後『世界大戦争』がDVD化されれば、オリジナルの多元磁気立体音響が収録できるはず!それも楽しみ)

 


218 返信 感想 ガ バラバラ 2003/01/09 16:38

男性 18 O

GMGがよかったところ.

 

最近の作品では、ゴジラのテーマ性と人間側の話を

半々ぐらいで表していたように思われます。

だから僕はどうしても中途半端感が否めなかった。

はっきりいってゴジラを核の象徴と捉えつつ

人間ドラマを持っていくのは至難の技だと思います.

今回のゴジラは機龍の製造と家城の立ち直りに重きを置いていました

だからその二つがうまくからんで言いテンポを産み出していました。

途中までは。

初ゴジと暴走を持ってくるならちゃんとオチ付けないとなあ。

切るんだったらそこんとこまでちゃんと切ってしまえばよかったのに。

そうすれば『感覚刺激』に傾いた名作になったのになあ・・・

感覚刺激だけではいけないというのもわかりますが、

最近の作品はそれ以前にまとまっていないものが多かったので

僕の中では高評価です.

 

シーンで言えば

1、家城の演技

  これは完璧に予想外でしたね。ホント表情の見せ方はうまかったですよ

  機龍隊配属が決まったときとか特に。全く期待してなかったので

  嬉しい誤算です。台詞を減らした監督の勝ちかな?

2、嵐の中の攻防。

  細かいことはわかりませんが。久々にゾクゾクきました。

  音楽もあってて好いシーンです。

  でも一軒屋つぶすゴジラって・・・あまり怖くない(^^;

3、機龍暴走

  良い!このシーンもうだいすきです。

  ただ惜しむらくは、映画の中で使いこなすのは至難の技だということです

  使うならもっとゴジラを正面に据えてないとダメデス

4、暁の中のラストバトル

  きれいだったし、夜に決着がつかないのは新鮮でした。

  前二作のラストに吐き気を覚えたので◎です。

 

結論を言えば、単純化してうまくまとめた良作。

ただ、暴走と初ゴジを使うのはまだ早い(^^;

まず、感覚性、倫理性に特化した作品をうまく作ってから

その上で融合させてくれ.

という風に感じましたがいかがでしょう?

 

 

220 返信 Re:感想 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/09 17:41

男性 40 O

感想をわかりやすくまとめてくださって、どうもありがとうございます。

私も釈ちゃんの芝居はすごく良かったと思いました。

とくに、子供に対したときの「柔らかさ」に上手い!と。

(メガギラスでの桐子は子供相手でもどこか固さが抜けていなかった。意図的なものかもしれないけど)

ただ・・・。

後日まとめて書いてみるつもりですが、家城茜という人物の作りこみがいい加減に見えるところも・・・。

 

「×メカゴジラ」、昨年の作品に比べれば論理性もちゃんとしていたと思います。

もう一押し、メカゴジラの成り立ちをちゃんと表現していればなぁと思います。

(シナリオにはあったけど、最終的にカットされたという初代ゴジラの骨格を仕込んでの建造過程とか)

 

もちろん、初代ゴジラが背負う物語や初代ゴジラの心まで持ち出して、怪獣バトルの快感を中心にしようとしたところに 無理があったわけですけど。

 

> 初ゴジと暴走を持ってくるならちゃんとオチ 付けないとなあ。

> 切るんだったらそこんとこまでちゃんと切っ てしまえばよかったのに。

このご意見に賛同します。

 

221 返信 Re:感想 Lans 2003/01/09 17:46

男性 37 O

私も、文句ばかり言っていましたけど

今回、かなり良い見せ方をしてるとも思いました。

 

主な点は、他のBBSなどでも見られる、良いテンポです。

 

1)初手で対ゴジラ戦を見せ、一気に観客を興奮させる。

2)初手の自衛隊敗北でゴジラの強さをアピール

 

この2点 は大正解です。

(細かい部分では自衛隊の運用に文句ありますけど・・・(w)

 

このように初手で観客を引き込むことは非常に重要で、

この点に関しては、下手すると昔の東宝特撮よりも秀でていたとも思います。

 

また、中盤の八景から機龍暴走で、中だるみを防ぎ、

機龍の威力をアピールしたのも大正解と思います。

(この時のゴジラ仁王立ちは、MGに同族を嗅ぎ取った事を表す演出意図があった事が、某掲示板の演技者ご本人による 書き込みで確認されています。)

(でも、正直言うと・・・機龍の威力に飲まれてしまい、全然伝わってこなかったです。あの状況なら、もっとあからさ まにアピールしないと、観ている観客は機龍に惹かれて気がつきもしなくなります。あきらかに失敗です)

 

このあたりのテンポの良さが、この作品を最後まで引っ張る原動力になっていたと思います。

 

223 返信 Re:感想 Lans 2003/01/09 18:03

男性 37 O

で、問題はラストバトルですが。。。

 

実は、互角の力で正面きってのバトルは不毛になりやすいんです。

ただ、遣り合ってるだけで終わってしまう可能性が・・・

 

本来、戦いというものは、弱いものが、なんとかして強いものに勝とうとするから面白くなるんです。

 

それは、そこに駆け引きが発生するからです。

 

私は、もう少し弱い機龍が、他の一般自衛隊と協力、一致団結してゴジラに対するのを期待していました。

 

人間11人は弱いです。

でも、その意思や力が集まって戦う。そんな姿が感動を呼ぶのです。

そこで、その他大勢を自衛隊が演出、その力を傾けられる焦点を機龍が背負えれば・・・

 

よく、今回のゴジラは、ガメラ2ほど燃えないとか聞きます・・・

なぜ、燃えなかったのか・・・

 

多分、ラストバトルの自衛隊の介入の差です。

2で は、ラスト、自衛隊が、本来は敵であるガメラと

敵味方を超えた同じ目標を持って一致団結して事にあたった

という部分で観客は燃えたのだと思います。

 

今回、機龍の停止時に、メーザーやシラサギの援護がありましたが

その程度では、人類の希望や期待を一身に・・・というのには足りません。

 

やはり、主要な登場人物以外の「その他大勢」の協力や期待を感じられないといけないと思うのです。

その中でこそ観客はその他大勢の1人として劇場で一体感を味わえるのでは?

 

そこだ、いけ!俺も応援するぞ!ってな感じですね。

(結構、平成ウルトラのティガやガイアが成功してたように思います。)

(ガイアの場合、その他大勢を地球怪獣に投影させてましたけど)

 

ここはGMKも駄目でしたけどねぇ(w

 

224 返信 うーん、やっぱり言っちゃえ Lans 2003/01/09 18:14

男性 37 O

>このあたりのテンポの良さが、この作品を最後まで引っ張る原動力になっていたと思います。

 

このテンポの良さに引きずられて、多くの観客は、そのまま騙されてます(w

 

(または、作品の抱える問題に気がつかない・・・良い面も悪い面も)

 

良い面=隠された武力問題

悪い面=ラストバトルの表現不足

 

229 返信 Re:感想(追加でーす) 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/10 11:46

男性 40 O

そうだ、冒頭の自衛隊対ゴジラですが、繰り返し見ても、新型メーサー車の発射カットにはうるうるしてしまいました。

そんなに緻密に描かれたシーンでもないんですが、稲妻状の光線を発射している「カット」になにかさまざまな思いをか きたてられるみたいです。

『サンダ対ガイラ』でのメーザー攻撃のほうが数段迫力があるし、緊迫感もあるわけですが、合成のハードウェアが進歩 した結果、×メカゴジラでのメーザーのほうが形状がきめ細かだしきれいに合成されています。

それが、オリジナルのメーサー車とほとんど変わらない姿の「新」メカから発射されていることが(あくまでも旧メー サー車にこだわりがある者の)感動を呼んでいるのではないかと思っています。

 

私としては、柳沢慎吾(ん、字が違ってたらごめんなさい)さんのシーンは好きです。

家一軒つぶされることでも誰かの人生を変えているのだ、と短く効果的に伝えていたと思いました。

(そのノリを全編に渡って貫いてくれればよかったのに・・)

 

それから、多分ミスタイプだと思うのでいらぬ指摘になってしまうかもしれないのですがROMの方のことも考慮しまして・・。

 

ガバラバラさんの

>感覚性、倫理性に特化した作品をうまく作ってから

というご発言は

「感覚性、論理性に特化した作品をうまく作ってから」と捉えていいんですよね。

すいません。

倫理と論理では意味が違ってきますもので。

 

付け加えると、私も感覚に訴えるものを重視した作品と論理(知性と言ったほうがわかりやすいかも)の快感を重視した ものの両方あっていいと思います。

それでも両者は密接に関係しているのですから、視聴覚刺激で快感を与えようとするならそこにいたる論理(ストー リー)をしっかりしなければいけないし、

論理の美しさを表現するにしても映画にする以上、映像や音響がメタメタではやはりダメだということになってしまいま す。

 

以下、Lansさ んのご意見に刺激されて考えたことです。

 

最近作では、ゴジラをとにかく早い段階で登場させて客の気持ちを掴むという手法を多用していますね。

それはそれで間違いではないのですが、映画全体の「掴み」をゴジラにしてしまうとその他の枝葉を持ち出してきたとき に、あからさまにわき道へ入った感じがして気が殺がれてしまうということもあるかと思います。

そのためかどうか、結局すべてがゴジラを軸に回る(それもゴジラ退治。×メカゴジラですらメカゴジラが中心とはい え、その存在理由を考えると打倒ゴジラになってしまう)ことになり、

直接ゴジラと関係を持たないものがどのようにゴジラと関係していくか、というドラマを作れなくなっています。

関沢脚本の優れた点は、ゴジラとは全く関係ないところからドラマを開始してかつ、そこにちゃんと客の興味を引くよう なドラマ性を持たせていたことだと思います。

こうすると、ゴジラ以外の要素を描いてもわき道へ入った感じがしませんし、またいざゴジラ登場というときには「つい に出た!」という盛り上がりも作れます。(ゴジラ登場シーンに凝ることも出来る)

馬淵脚本のほうは、かなり『ゴジラ』的なんですよね。

早い段階で怪獣が登場し、あくまでも怪獣事件を追っていく形が多い。そして、テーマ性(意味性)が強いですよね。

 

>八景島のゴジラ

やはりそうですか。

確かに芝居はそうなっていたように思いますが、やはり見せ方ですよね。

ドラマを伝える映像構成になっていないですよ。

とにかくゴジラの表情アップの使い方が的確でなかったという気がしています。

 

>バトルの描き方

Lansさんのご意見にかなり賛成。

それでも、互角な者同志の戦いでもちゃんと駆け引きを持ち込んで、「戦いのドラマ」を見せることは出来るんじゃない かと思います。

ただーし、今回のメカゴジラをどう扱うかについてはLansさんのアイディアが正解だと思います。

さらに、

>人間11人は弱いです。

>でも、その意思や力が集まって戦う。そんな姿が感動を呼ぶのです。

このご意見は、バトルのみならず、怪獣映画における人間たちの描き方として使わなければならない発想です。

個人が怪獣と渡りあっても意味無いんですよ。

怪獣が巨大なのはなんのため?

強力な破壊力を持っているのはなんのため?

劇中の設定の話ではありません。怪獣がドラマ上果たすべき役割って何?って話です。

社会が動いて怪獣に立ち向かうという構図を感覚的に描かなければならないのです。

ですから、今回の機龍もその建造、整備などにもっと名もない作業員をたくさん出さなければならなかったはずだし、大 量の資材が工場に運び込まれるというような描写が必要だったはずです。

もし予算の問題が・・、などと言い訳されるなら、メーサー車の再現なんかやめちまえばよかったのだ、というのが私の 回答です。

 

なんにせよ、ラストバトルを一個人とゴジラの対決という構図に持っていってしまったのは大失敗ですよ。

(前例「vsキングギドラ」「×メガギラス」「GMK」)

 

そして、90分 なり120分という時間を「飽きなかっ た」という理由だけで傑作だと思っちゃう観客の存在が映画をダメにしたのです。

(わーーー、言っちゃった)

 

 

231 返信 Re:感想(追加でーす) ガバラバラ 2003/01/10 13:15

男性 18 O

 

> ガバラバラさんの

> >感覚性、倫理性に特化した作品をうまく 作ってから

> というご発言は

> 「感覚性、論理性に特化した作品をうまく 作ってから」と捉えていいんですよね。

はい、ミスタイプです。面倒かけてすいませんm(__)m

倫理、論理全然違いますね~。読み方も(笑)

キーボードのせいにできない。

こんなことやってるから最近の若者は・・・

なんて言われちゃうんですよね。

 

論理性と感覚性。

どっちか100%なんてのは不可ですけど

重点をおいて納得できる作品を作っていって、

徐々にレベルアップして欲しいですね-

 

 

 

233 返信 Re:感想(追加でーす) 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/11 07:30

男性 40 O

ガバラバラさん、あまりお気になさらずに。

ちゃんと流れを読んでいればわかることですので。

 

ROMだと断片的にしか読まない人もいるかと思ってのお 節介でした。

 

別枠で映画表現の倫理性も語らなければならないことでもありますけど。

(このあたりはLansさ んがすでに触れていますね)

 

236 返信 Re:感想(追加でーす) Lans 2003/01/14 20:30

男性 37 O

> 最近作では、ゴジラをとにかく早い段階で登 場させて客の気持ちを掴むという手法を多用していますね。

> それはそれで間違いではないのですが、映画 全体の「掴み」をゴジラにしてしまうとその他の枝葉を持ち出してきたときに、あからさまにわき道へ入った感じがして気が殺がれてしまうということもあるか と思います。

 

これも、一つの方法論としてはアリだと思います。

特に、子供を対象に考えた場合、初手のバトルで主役の登場は魅力的です。

(大人に対しては必要ないですし、他の方法もあると思います)

(あくまでも、対子供観客戦略としてですが、映画の興行「成功」の為には非常に重要と思います)

(ゴジラ以外でもバトルは成立可能ですけど、子供達の期待はゴジラですから)

 

でも、毎回使ったら、飽きられるのは確実という諸刃の剣ですけどね。

 

> なんにせよ、ラストバトルを一個人とゴジラ の対決という構図に持っていってしまったのは大失敗ですよ。

 

これも、方法はあると思うのですよ。

あくまでも、一個人に周囲が全てを託すという演出があれば。。。

その個人が全て希望を背負って戦うという構図は作れると思います。

TVティ ガのラスト付近がこのノリかと・・・)

(アルマゲドンとかも、結構、このノリに近いかな。あくまでもノリとしての話ですけど)

 

238 返信 Re:感想(追加でーす) 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/15 10:17

男性 40 O

Lansさんのおっしゃることもわかるんです。

どんな展開でもきちんと成立させるための持っていき方はあるわけで。

 

私が問題視しているのは、怪獣の特性を生かしやすい展開になるのかどうか、というあたりなのです。

つまり、巨大でありその行動が大きな破壊をもたらし、文明世界に出現したときには常に社会問題になる、というあたり を感覚的に伝えるためのストーリー構成はどうあるべきか、と。

 

最初からゴジラ(ないし怪獣)を前面に出してしまうと怪獣事件であおりを食らう人間生活というものを描きにくくなっ てしまいます。

(対怪獣のドラマが作品全体を牽引することになり、直接怪獣に向き合ってはいない人々の行動がいかにも軽い扱いに なってしまう)

もし、『三大怪獣地球最大の決戦』でど頭にゴジラ&ラドン出現を見せてしまって、そのあとでサルノ王女の話を持ち出 したらその後のストーリー展開や印象がどうなってしまうでしょう。

(本多・円谷コンビの作品でも初期のころはあくまでも怪獣絡みの事件から話を展開していますが、だんだん怪獣から離 れたエピソードを出発点にするようになる)

 

対子供戦略を考えても、怪獣なしで子供すら引き込む力強い物語を創案することが大事なのではないかと思います。

子供たちだって、怪獣ものや変身ものばかり見て育っているわけではないですから、怪獣が出なくても「おもしろい」ス トーリーには引き込まれるはずだと思います。

(あまりにも未熟でストーリーを追えないほど小ちゃな子供にはとりあえず怪獣を出すしかないのかもしれませんけ ど・・。そのあたり対象年齢をどう考えるかの難しいところですが、ストーリーを理解できないほど幼いお子様には無理に映画を見せなくてもいいんじゃないか なぁ)

 

もちろん、たまに掴みを怪獣にする作品があってもいいと思います。

(とにかく、このごろはそればっかりで・・)

 

最終的に一個人が怪獣と戦う、という展開については、

 

> あくまでも、一個人に周囲が全てを託すとい う演出があれば。。。

> その個人が全て希望を背負って戦うという構 図は作れると思います。

 

このLansさ んの提言がぎりぎりの手法だと思います。

そして、×メガギラス、×メカゴジラともにそれを狙ったものと思います。

しかし、ゴジラに挑むというストーリー上の重さを一個人に担わせるためには主人公の内実に分け入っておく必要があ り、人間的成長とか個的目的と絡めていくことになるので、社会対怪獣という感覚を伝えるのが難しくなってしまうのではないでしょうか。

(ティガのラスト・・・、あまり良く覚えていないんですが、はっきりと多くの人間の祈りが結集したという映像表現が ありましたよね。それを言えば、G2も そうなのかな?と、考えるとうーーん、いくら多数の人間の意志が結集したとしても「人間の意志」で他の怪獣ならいざ知らずゴジラを制してしまうのは違うよ うな・・)

 

『キングコング対ゴジラ』でコングとゴジラを対戦させようという人間の企みが成立していく過程が良かったと思ってま す。

桜井がファロ島の祈りを思いつき、多胡がファロラクトンを用意して、眠ったコングを藤田の新繊維で縛りつけるのは多 数の自衛隊員。

人間の思惑で戦わされるコングとゴジラですが、両者の闘争そのものには人間の意志など関係なくて、いわば人類の埒外 で闘うので感覚的に人間を超えたものを観ることになっているはずです。

 

繰り返し主張することになってしまいますが、

怪獣映画は、人類(文明)には手の届かないものがあるという感覚を伝えていなければダメだと思っています。

 

239 返信 Re:感想(追加でーす) Lans 2003/01/15 12:17

男性 37 O

> 私が問題視しているのは、怪獣の特性を生か しやすい展開になるのかどうか、というあたりなのです。

 

私も、それわかります。

だから、常に最初からバトルで決まりとまで言うつもりはないです。

ただ、効果的手法ではあると思います。

で、昭和期には、あまり使われていない方法であったとも思います。

(一部例外ありですが、あまり使われていなかったという表現に注目(汗

 

で、平成期では多用しすぎな上に、成功したと思う例はあまり見かけないのが鬱です。

その意味では、今回は稀有な成功例とは思います。

(ただ、もっと盛り上げる手法はあったと思いますが、それは尺や作品重点も関連しますからねぇ)

 

> (あまりにも未熟でストーリーを追えないほ ど小ちゃな子供にはとりあえず怪獣を出すしかないのかもしれませんけど・・。そのあたり対象年齢をどう考えるかの難しいところですが、ストーリーを理解で きないほど幼いお子様には無理に映画を見せなくてもいいんじゃないかなぁ)

 

言いたくはありませんが・・・最近は・・・これ・・・

お子様だけの問題じゃないような・・・

世間的に映画に深い味わいを求めない人が増えているように思えます。

別にせつなの快楽だけで映画を見ることは否定しませんし

そんな作品もありだし、私もたまには、そういう気分で映画を見る場合もあります。

で、そのような人(浮動票)も取り込めなければ、それは作品として興行成功になかなか結びつかないというのが最大の 問題かも・・・

実は、すごい深刻な問題・・・

(ああ、また問題発言を(汗

 

> もちろん、たまに掴みを怪獣にする作品が あってもいいと思います。

> (とにかく、このごろはそればっかり で・・)

同意(w

 

>いくら多数の人間の意志が結集したとしても「人 間の意志」で他の怪獣ならいざ知らずゴジラを制してしまうのは違うような・・)

 

別に、対抗しようとするだけで、

最終的に制する事に失敗しても良いと思います。

それこそ、ゴジラを生んだ人類の愚かさを強調する意味で・・・

「造りだしてしまってからじゃ、遅いんだ」って感じですね。

でも、それだけじゃ悲しすぎで救いがないから

なにかしら、希望は残しとく必要もあるとは思います。

 

これに多少関連する雰囲気として

vsメカゴジラの

「もう駄目だ、奴はもう、誰にも止められない」

のあたりは結構好きだったりします。

 

(個人的には、救いのないゴジラも見てみたいですけど・・・)

(でも、そんなの評判悪いだろな(w

 

> 『キングコング対ゴジラ』でコングとゴジラ を対戦させようという人間の企みが成立していく過程が良かったと思ってます。

 

そうです。過程大事です。これこそが観客にストーリーを理解させる最良の手法です。

映画館では、小説やビデオじゃないんですから

判らなくなったといって、ページをめくったり、まき戻して

「あれ?ア レはどうなったけ?」と確認する事はで きないのですから・・・

(あ、最近の手法無視はビデオ感覚の影響もあるんですかね?

(うーん、流石にこれは考えすぎか・・・)

 

> 怪獣映画は、人類(文明)には手の届かない ものがあるという感覚を伝えていなければダメだと思っています。

 

完全に激しく同意いたします。

 

240 返信 Re:感想(追加でーす) Lans 2003/01/15 12:41

男性 37 O

>> あくまでも、一個人に周囲が全てを 託すという演出があれば。。。

>> その個人が全て希望を背負って戦う という構図は作れると思います。

 

>このLansさんの提言がぎりぎりの手法だと思います。

>そして、×メガギラス、×メカゴジラともにそれ を狙ったものと思います。

 

これですが、xメガ、GMK、xMG全 部そうだとは思うんです。

で、なぜ、これが上手くいかなかったかというと、

周囲のサポートが薄いんですよ。

たんなる言葉の投げかけだであったりして・・・

もっと具体的に周囲がサポートを行わないと・・・

その周囲の全力のサポートに観客が同調するくらいでないと・・・

で、その為に、重要人物クラスの登場人物だけでなく、なるべく多くの人間が関わる方向にもってくと、観客は燃えやす いです。

 

ただ、見てるだけの応援はいくらあっても無意味です。

(より効果的にする為に犠牲は必要、その意味で葉山(弟)の犠牲的行動は良いんですが、こいつが観客が感情移入でき ないキャラと役割だったので、効果半減(w

 

希望としては

1)釈登場後も一度倒れた事で、ゴジラの声に反応して暴 走しかける機龍

2)外部からアクセスして、リアルタイムでCPUに介入する開発スタッフ

3)そででも、暴走を止められそうにない・・・

4)「あの鳴き声さえ、なんとかなれば・・・」と苦悩す るスタッフに

大きな雑音を混入させることを誰かが提案。

5)どうやって・・・自衛隊指揮官が残存戦力に指令

「奴が口を空けたら、全力で射撃せよ」

6)鳴こうとする度に顔面に猛撃を食らうゴジラ(ダメー ジは殆どないけど(w

7)怒るゴジラの反撃で損害を出す自衛隊、しかし、分散 しつつしぶとく射撃

(このあたりの戦車隊やメーザー車隊の隊長の熱演が欲しいとこ(w

8)戦闘騒音の中、復帰する機龍

9)バトル再開(その最中も度ある毎に顔に着弾するゴジ ラ)

(その最中、やはりおされ気味の機龍を援護して葉山(弟)の特攻もありで(w

で一気にラストまで・・・みたいな(大笑

 

241 返信 Re:感想(追加でーす) 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/15 18:58

男性 40 O

うんうん、Lansさ んのご意見にかなり頷いています。

 

最初からゴジラ退治をストーリーの主眼にする(×メカゴジラだけでなく最近作はそればっかりなんですが。あ、2000ミレニアムはちょっと違ったかな)場合は、

物語の動機としてゴジラ出現を持って来なければならないので、必然的に最初からゴジラが出てきてしまうことにもなる んですよね。

 

>お子様だけの問題じゃない

ぐ。(言いたかったけど、遠慮してしまったことを・・・)

映画観客の審美眼を上げるのが必要なことだけど、それはすごく難しいと1993年時点のインタビューで黒澤明監督もおっしゃってました。

なぜこんなことになってしまったかについての私なりの考察は、その一部を昨年のGMK掲示板の最後のほうでちょろっと書いてます。

 

ゴジラを制する、という表現には殺すことだけではなくて行動に制限を加えることも含んでいました。

(そう考えると、高圧電流で東京進入を阻まれるキンゴジはどーなのさ、とセルフ突っ込みも出てきますが)

今回のラストは、ゴジラを倒したわけではないけれど、劇中の首相がいみじくも言うように、ある面人類の勝利とも言え る結末だったように思います。

そのあたりも面白くなかったところなんですよねー。

vsメカゴジラではラドンと合体というトンデモ技炸裂で一旦殺されたゴジラが復活。

(そーなんですよねー、あの映画でも実はゴジラを殺しているんですよねー)

ちゃんとメカゴジラを焼き尽くしてくれるので、まだ救われていたと思います。

 

人類対ゴジラという構図を持ち込んでも、ゴジラが殺されたり、逆に人類にとって救いのない物語になったりしないため にも、

ゴジラ退治以外の部分に全体のベクトルを持っていったほうがいいんじゃないかと思います。

(vsメカゴジラではベビーを奪還することでゴジラが退場できるような作劇になっている。成功してます)

 

×メカゴジラのラストバトルに関するLansさんの改定案はなかなかおもしろいです。

そんな風に多くの人間の知恵と努力に支えられた戦闘であることが伝われば、もっと充実したでしょう。

今回もやけにラストバトルに尺を割いてますから、それぐらいのドラマを織り込むことも出来たんじゃないでしょうか。

私から案を付け足せば、ラストバトルでも最初はゴジラに戦う意思はなく、必死にメカゴジラに呼びかけていることにし ます。

ところが人間たちの努力(というか邪智)でついにゴジラ意識を封じられてしまうメカゴジラ。

それを察知したゴジラは怒りと悲しみで、メカゴジラをめちゃくちゃに粉砕!!っつーのは、ダメ?

 

でも多分、作り手はわざと多数の人間の協調より、茜個人の戦いに見えるように誘導していたのでしょうね。

 

242 返信 Re:感想(追加でーす) Lans 2003/01/16 11:27

男性 37 O

> 私から案を付け足せば、ラストバトルでも最 初はゴジラに戦う意思はなく、必死にメカゴジラに呼びかけていることにします。

> ところが人間たちの努力(というか邪智)で ついにゴジラ意識を封じられてしまうメカゴジラ。

> それを察知したゴジラは怒りと悲しみで、メ カゴジラをめちゃくちゃに粉砕!!っつーのは、ダメ?

 

これは、八景の初戦でやりたい所かも(w

八景も、ゴジラが攻撃を受けて、一旦は反撃しようとするが、途中でやめる

というような、あからさまに「ゴジラの態度がおかしい」と思わせる作りが欲しかったです。

 

ここで、ゴジラの機龍(初代ゴジラ)に対する呼びかけをもう少し行って

その効果=暴走を見届けた上でゴジラが下がっていれば

ラストバトルで再び初代の意識が封印(今度は呼びかけに答えない)された事にゴジラが怒り狂うという方向にもってけ たかと思います。

 

> でも多分、作り手はわざと多数の人間の協調 より、茜個人の戦いに見えるように誘導していたのでしょうね。

 

それも判りますが、それだと単なる復讐劇にしかならないので

もっと孤独なヒーロー(ヒロイン)にしないと・・・

作中、結構 茜を手助けする人物が多く、しまいには

隊員から帽子を贈られ認められてますからね。

 

この時点で作品の方向は、復讐から強調に変わってしまっています。

茜も、それを拒絶してないですし・・・

 

この茜が強調に走った時点で、茜個人の戦いを強調するのは破綻してしまった

とか思います。

 

個人の戦い(復讐)は大規模集団(正規の組織とか)のサポートを受けてしまうと魅力半減だと思いますが・・・

 

もし、茜個人の戦いにしたかったのなら、

もっと茜は周囲を拒絶するべきだったんではないでしょうか?

徹底的に周囲を拒絶した後に、逆に周囲の協力で助けられ

それを茜自身が認識して、あらたな気持ちでゴジラに対する

というような話にしないと・・・まずかったのでは・・・

 

つまり茜と部隊の和解が早すぎたんではないかと・・・

(葉山(弟)との和解だけが後から来ましたが・・・)

 

うーん、こう考えると

やはり葉山(弟)の使い方が、うまくいってないのかなぁ・・・

というか、その存在にひっぱらっれて、作劇の手順が壊されているというか・・・

 

でも、こいつの存在が、xメガギラスとの類似を避けるポイントでもあるし・・・

 

そうなると、今回もヒロイン復讐物してしまった事自体に波及するなぁ・・・

 

うーん、下手すると、なにか根本の設定で大きな問題を抱えていそうな感じ・・・

 

243 返信 Re:感想(追加でーす) Lans 2003/01/16 11:45

男性 37 O

>徹底的に周囲を拒絶した後に、逆に周囲の協力で助けられ

それを茜自身が認識して、

 

書き忘れましたが、この件は、

戦闘中、茜がピンチに陥った段階で助けられて、初めて最大の効果を生みます。

 

それまで、茜の復讐だけで、個人として戦おうとするが、それでは全く歯が立たない

でも、周囲のサポートを茜が認識し、一体となって初めて・・・

その上で、周囲の期待と応援は茜の援護に団結し

それを一身に受けた茜が機龍で最後の攻撃に挑む!

(茜でないと機龍は動かせない。つまり、最後の戦うのは、茜1人に絞れます)

ここで「行くよ!機 龍!」のセリフが入れば

つかみはバッチリかと(w

 

個人的には、このような「型」の方が個人の戦いも逆に強調されると思います。

(非常に「少年ジャンプ的」お約束展開ですが、この型の展開を観客が好むというのも事実ですし、私も結構好き(w

 

ただ、この場合の弱点が一つ・・・

えー、この場合も初代ゴジラの意思は封印されて無視されちゃいます(w

(この燃え状態で、入れる隙がないです(自爆)

 

あくまでも、戦闘後に初代の意思がまだ完全に消滅していない事を見せる事が必要になってしまいますけど・・・

 

そうですねぇ・・・

 

茜の奮戦で機龍有利に戦況は変わるも

最後の最後で、結局、初代の意思復活により機龍は停止(暴走までは、なんとか人類側が阻止)

それを確認したゴジラは、機龍に止めを刺そうとするが

初代の意思に気がつき、それを止め、海に帰る

 

残されたのは、暴走の危険をはらみつつも

唯一ゴジラ撃退の可能性を持つ機龍という名の兵器・・・

 

みたいなのかな?(大 笑

 

244 返信 Re:感想(追加でーす) 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/16 16:06

男性 40 O

そうなんですよね。

 

どこか一点が「外れている」という感じではなくて、なにかその都度持っていきたいほうへ持っていっているというか、 人物であれ出来事であれ各々の「筋」を通していないというか・・・。

 

茜にしても、復讐という意図すらなかったんじゃないでしょうか。

機龍に対する共感みたいなものは、かろうじて「望まれない命云々」で説明されているような気もしますが、そのくせ機 龍を人間の勝手で変異させてしまうことに対する茜の憤りなんかないですし。

ゴジラに立ち向かっていく意思は、まあ、自衛官としての使命感なんでしょうか。

 

その後、もう一度鑑賞してみましたが、どの要素も消化不良という思いは変わりませんでした。

で、何度観てもゴジラへのこだわりのなさ、機龍に含まれた初代ゴジラへの思いやりの無さが致命的に気に入らないで す。

 

ぎりぎり最後まで沙羅だけはゴジラや機龍を思いやっているような描写(説明されませんが、決戦が終わった後で彼女は 泣いている)があったかと思いきや、

エンディングクレジットの後のドラマ部分でゴジラとリターンマッチだと息巻く茜と思いっきり意気投合しているのです から、何がなんだか・・・。

 

ほんとうに、せめて怪獣たちのドラマに筋を通してくれればなぁ、と思います。

結局ゴジラが機龍にどんな思いを抱いていたのかすらわかりませんよ。

 


227 返信 メガギラスも見ましたよ~ ゴジゴメ URL 2003/01/10 05:01

 

ギドラさん

今年もよろしくです。

×MGを劇場で見た数日後 ショップにDVD、×メガギラスが売っていました。今回のはその×メガギラスに 似ている云々とあちらこちらのサイトで目にしていましたが 人によっては×メガギラスのが良かったという人もいて未見なこともあって 気になって買ってし まいました。東宝のは高いという事は知っていて一つも持っていなかったのですが トールサイズで新しく出た製品の様でした。

 

 

≫公式掲示板の壊滅もDVDの価格が原因だったしね

Lansさん、そうなのですか?そういえば見当たらないと思っていました。

高いうえ 頑固にジュエルケースだったでしょう。いろいろ理由はあるにせよ×メガギラスはトールなので本やVHS テープといっしょに本だなに置けて重宝しております(^^)し かし高い。

 

 

×メガギラス、同じ手塚監督の作品ということで正月見ていたのですが テンポの良いのは×MGと同じですが いやぁ 明るくカッコイイ展開でした。

明るい展開なので たとえば本来辻本が上官を死なせてしまったのは自分の責任と思いこむシーンは重厚なはず で 夜カップルが一人づつ路地裏でメガヌロンに食べられてしまうシーンとかはグロいはずなのに 作品自体が明るく感じられてしまっている為に良いのか悪い のか結果としてその2シーン頭に残らなかったです。

監督が楽しかった頃の昭和の特撮を意識されて作ったのでしょうね。

 

伊武雅刀氏演じる長官の「どこの国にも表沙汰にしたくない思惑があるものだ。すべて国益のためなんだよ!」、「しい ては自分のためにね」と皮肉まじりに星由里子氏がダメ押ししましたが。

ここではじめて×メガギラスの映画としてのメッセージが解った次第です。

DVDで繰り返しにして見たので解ったので 劇場で見てたら見過ごしていたかも知れません なにせ短いシーンでした ので。

 

まだ気になった点たくさんありましたが 二年前の作品ですしこちらは×MGを語るBBSですからこれで終わりますが  明るくカッコイイ展開でメッセージ性が少しかすんでしまっているという印象を持ちました。

そして対比して似ている部分もあることはあるのですが メッセージ的に見た場合×MGは×メガギラスとは異なる別映 画だと思いました。

 

 

230 返信 Re:メガギラスも見ましたよ~ 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/10 11:48

男性 40 O

こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願いします。

 

実は、私もメガギラスのほうが良かったと思っている一人です。

 

メガギラスの大きく気に入らない点としては、シリーズ作品としての筋の通し方(やっぱり過去の作品とはつながりがな い。つーか、『ゴジラ』の物語もないことになっている。初代ゴジラは死んでいないのです。メガギラスに登場するゴジラが1954年にも現れているという話なんです)と

ゴジラにはっきりした目的意識(エネルギー施設を襲う)を持たせてしまったこと、最後にメガギラスを死なせてしまっ たこと、ぐらいでしょうか。

 

さまざまな要素が緊密につながって破綻なく話を進めていくところは見事だと思います。

ゴジラ退治が中心で、かつ、主人公がひとりゴジラに立ち向かうという構図では『ゴジラ×メガギラス』が限界ではない か、とまで思いました。

 

まー、繰り返し見るうちになにか窮屈なものを感じるのも事実ではあるんですが・・。

このあたりは、なにもかもがゴジラゴジラで進んでいくのが一因ではないか、主人公が固すぎる人物だということも問題 か、などと思っています。

 

(あー、メガギラスのときも「語る掲示板」をやればよかったなー)

 

>公式掲示板

確かにUS版 のDVDが発売になったとき、値段が高 いとえらい騒ぎになったんですよ。

その騒ぎ方が問題で・・・。

同時進行でDVDの 値段のことだけではなく、とにかく東宝を糾弾するみたいな輩が多数出没。

とても話し合いをするような場ではなくなってしまったのです。

どうして、個人サイト以外だと突如傍若無人な人が増えるんでしょうね。

それと、はっきりものを言うことと、相手を罵倒することの区別がついていない人も多かったみたい。

(特撮ファンの民度の低さを見ちゃった気がします。わが身も振り返らなきゃ)

 

メガギラスで伊武雅刀さんが演じていた人物が背負うテーマはなかなか納得できるものでした。

まあ、浅い突っ込みでも現実社会が抱える問題を唐突ではなく背景に据えておいて、最後にセリフではっきり表明してい たので、あれはあれで良かったかな、と思いました。

 

DVDのケースサイズなんですが、私としてはジュエルサ イズのほうが助かるんですよねー。

なにしろ、本・ビデオテープ・レコード・レーザーディスクと貯まるものばっかりでとにかく小さいほうがありがたい。

取り扱いはトールサイズのほうがやりやすいんですけど。

(はやく円谷作品の続きをリリースしてよ~)

 


232 返信 メーサー車とパルジ ゴジゴメ URL 2003/01/11 05:48

 

また来ました すみません。

GMKでは防衛軍でしたがD-03という先端がサンダーバードのMOLE(ジェットモグラ)の ようなドリル状のミサイルが出てきました。

最初の方ですね バラゴンが通ったために土砂、岩石崩れがおこりトンネルの中に生き埋めになっていると思われるバイ クの連中を救出するため、交通の往来を平常時に戻すためにD-03を発射するシーンがありましたよね。

パワーショベルやラフタークレーンのような一面、つまり 防衛軍とはいえ対怪獣攻撃ばかりではなく 復旧作業または 緊急救出の際にも活躍するんだぞという印象を観客の脳裏に焼き付けるのが目的の場面だったように思えました。

しかしこれはこれでいい場面ですよね(後に控えるオーラスへの伏線としてみても)。

 

 

そして今回の×MGでは 冒頭の台風のシーン牽引されたメーサー車が早々と登場しました。

東宝怪獣映画の伝統戦闘熱戦車両であり 懐かしいなぁと思ったのと同時にホントに実在していたら異常時以外は どん な応用されているのかなんて一瞬思ってしまいました。

対怪獣専用みたいな兵器、子供の頃は 単純に「カッチョいい~」でしたが年齢重ねるごとになんか見てて辛いんですよ ね。

そういうシーン嫌いではないのですが スターウォーズと違ってゴジラワールドは荒唐無稽な世界での話ではなく現実に 限りなく近い設定ですので GMKの最初の方のD-03の シーンのようなまさに絵空事でない復旧作業的な場面でのメーサー車の活躍も今後期待したいです。

 

 

正月の深夜 こちらで話題になっていたH・フォンダ、C・ブロンソン出演の実話に基づいた「バルジ大作戦」を見まし た。

60年代のハリウッド映画特有のカメラアングルによる人 物描写ゆえ どうも役者の感情表現がこちらに伝わってこなくて 戦車×戦車戦を単純になにも考えず見てました。

ところがラストの方でドイツのヘスラーの一言が印象に残りました。「この戦争は最初から負けると解ってい た。 戦争が長引けば軍人を続けられる。失業しないですむ。」セリフ、チト異なるかも知れませんが ドイツの上官って表ではナショナリズムを国民にたきつ け 本音は個人的な経済的理由で戦争してたんだというのが解りました。

こういうのも怪獣映画でも使えるテーマのような気がしますね。

 

234 返信 Re:メーサー車とパルジ 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/11 07:48

男性 40 O

おお、バルジをご覧になりましたか。

あの映画もなかなか語れる作品だったと思います。

 

GMKD-03

私も、対怪獣兵器ではなく防衛軍の通常装備という設定だったことに感心しました。

GMK掲 示板大全ご参照のこと。「映画祭から封切りまでその1」 の59番投稿)

それと、

>ゴジラワールドは荒唐無稽な世界での話ではなく現実に限りなく近い設定

という受け止め方は私もまったくその通りだと思います。

そのための作品同士の「ゆるやかな連続性」も大事だと思っています。

(これまたGMK掲 示板大全「上映終了後その1」の413番以下を読んでみてください)

 

GMK掲示板大全は、URLをクリックしていただけるとトップページへ行けます。

 

>バルジ大作戦に絡んで

私は、軍人個人の経済的理由により戦争を続けていた、というより、組織はそれ自身を守ろうとするということかな?と 受け止めました。

軍隊という戦争のためにつくられた組織があれば、戦争をすることによってアイデンティティを守ろうとするのではない か、という考え方です。

 

237 返信 Re:メーサー車とパルジ Lans 2003/01/14 20:52

男性 37 O

>ホントに実在していたら異常時以外は どんな応用されているのかなんて一瞬思ってしまいました。

 

大きさ=巨大

機動性=牽引車両として、基本は静止射撃

装甲=まったくなし

能力=メーザー(電磁波の誘導放射)=直線的な射撃で掃射可能

 

と考えると、固定設置型の大型対空兵器として使用が最適かと

(対空レーダー車なども必須になりますが、数台で布陣すれば鉄壁の対空防御網が構築可能と思われます)

 

> スターウォーズと違ってゴジラワールドは荒 唐無稽な世界での話ではなく現実に限りなく近い設定ですので

 

基本的に同意ですが、多少の超兵器は欲しいです。

理由は、あくまでも通常兵器が大して効果を持たないのが、既に周囲に認識されてるので・・・最低でも、見た目だけで も現実感のあるデザインがいいとは思いますが・・・

 

余談になりますが、海底軍艦や緯度0の艦艇は、現実感を出すために、実際の艦艇にあるような記号的ルールを取り入れた部分があります。

 

それが、平成以降(84S-Xを含む)記号的ルール無視のデザインに走ってるのは・・・

ウルトラシリーズなら、それでOKと思いますが・・・

 

>GMKの最初の方のD-03のシーンのようなまさに絵空事でない復旧作業的な場面での メーサー車の活躍も今後期待したいです。

 

メーザー車は、戦闘以外には、ちょっと無理かもしれませんね。

でも、対怪獣以外の用途を本来とした、それらしい運用を魅せてくれると

現実感がUPし て、嬉しいです。

そういう意味で、対怪獣専用の特殊部隊っての自体が、そもそもゴジラワールドに似合わないとか思っています。

 

>「バルジ大作戦」を見ました。

 

ああ、考察が置き去りになってます(汗

ごめんなさい、なんとか時間を見つけて、まとめますぅ

 

> ところがラストの方でドイツのヘス ラーの一言が印象に残りました。「この戦争は最初から負けると解っていた。 戦争が長引けば軍人を続けられる。失業しないですむ。」セリフ、チト異なるか も知れませんが ドイツの上官って表ではナショナリズムを国民にたきつけ 本音は個人的な経済的理由で戦争してたんだというのが解りました。

 

それは、あくまでもドイツ将校の一部に過ぎません。

あの表現は、それよりも戦争に取り付かれた1人の男の末路なんです。

実は、放送ではカットされていましたが、前半ではへスラー大佐は、なかなかの部下思いの有能な実戦将校として描かれ てます。

それが、成功を目前にして豹変していく・・・

その辺りに戦争というか大きな成功に対する魔力めいたものを感じます。

(戦争にかぎらず、大きな成功に目をくらまし、最後に自滅というのは往々にしてあることで・・・)

(しかも、この場合、大抵が部下に見捨てられるとか(w

 


235 返信 人物について 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/14 14:35

男性 40 O

では、人物の描き方について気になった点を。(いいところも悪いところも取り混ぜて)

 

湯原博士

研究室のシーンでいきなり三枚目っぽい芝居があって、学者といっても堅物ではないのだな、という印象作りに成功して います。

その後、沙羅との朝食のシーンで父と娘の二人暮しであることがわかり、娘の生活を第一に考える人物であることがわか ります。

(ここで、機龍プロジェクトへの参加を父に勧める沙羅も描かれていて、一生懸命精神的に自立しようとしている娘の心 情も伝わります。この感覚があるため、その後機龍隊の食堂で働いている沙羅にも納得できました。きっと自ら志願したんだろうな、と)

しかし、大きく違和感を感じたのは、茜へのあからさまな興味です。

作品で見る限り、湯原の茜への興味は「いい女を見つけた男のすけべ心」でしかないです。

エピソードが連ねられるうちに、茜の孤独に気がついてより深く接近するようになるのはわかりますが、初めて茜を見た ときから色目を使うというのは人間像として特殊ではありませんか?

そんな人物も現実にはいるでしょう。

しかし、男手ひとつで娘を育ててきた人間としては、変な感じがしました。

そこを違和感なく描くためには湯原の人間像を伝えるシーンを増やさなければならないはずですが、湯原を描くことがこ の映画の主眼ではありませんから、もっと「普通に」茜と湯原が近づく作劇をすべきだったのではないかと感じました。

(沙羅を接点にすれば簡単では?)

さらに、後段になって沙羅の母親との死別という重い過去話も出てくるので、一層変です。

(この過去話をイメージ映像と語りで処理したのは正解だと思います。あくまでも湯原家の体験談であり、そんな個的事 情を観客に対して事細かに感じさせる必要はない)

妻が悲劇的な死を遂げてから10年も経っていないんですよね。

湯原にとって、妻の存在はなんだったんでしょう?

 

葉山(弟)

あれはないですよ。

自衛隊の精鋭部隊である機龍隊に配属されるべき人物ではありません。

メンタリティがキレる中学生レベルです。

兄の死を茜のせいだと思っていてもいいんです。

しかし、その思いの発露があんなクソガキレベルでは・・・。

茜との対立を描くにしても、もっと大人のやり方があったはずです。

 

家城茜

わかりません。

どういう人間なのでしょう。

葉山(兄)が踏み潰されるのを見て動揺する表情、告別式会場でひとり沈痛な面持ちで座っている様子、査問されて一切 言い訳をせず処分を受け入れる姿勢、しかし、資料課にいっても体を鍛えることをやめない自主性・・・。

ここまでは、不言実行の人物というか、己の立場を受け入れその範囲で最大の努力をする人間という人間像が見えます。

さらに富樫が「迎えに来た」シーンでの感情の動きには、決してニヒリズムには陥っていない、人間同士の信頼関係とか 仲間を大事に思う心に感度がある人間とされているはずです。

しかし。

その後セリフで吐露される茜の思いと食い違いを見せます。

「戦うことで自分の居場所を勝ち取る」などというセリフがありますね。

これ、ひとり体を鍛えることを怠らないという戦士としての自分を大事にしていたはずの茜が、「責任を問うわけではな く、原因を知りたいのだ」と表明している査問の場で弁明することもなく意に添わない資料課へ転属されることを受け入れる姿勢と結びつきません。

また、「生きていてはいけない命もある」という過激なセリフも飛び出します。

茜の過去に何があったのかを描く必要はないですが、ここまでの過激なニヒリズムを抱えた人物だということを感覚的に 伝える演出がありましたか?

沙羅の考えと対比するために無理やり言葉だけを持ち出したように見えました。

演技演出をセリフが補強するならともかく、なんとも一致しないように感じました。

断片的には、機龍の中で絶叫する演技はすばらしかったです。

前後のドラマとは関係なく、極限状態であることが感覚的に伝わりました。

(これは、前作メガギラスでの宮川の死に直面した桐子の絶叫も同様でした)

 

葉山(兄)

ゴジラを目の当たりにして、「あれは・・・」と絶句する様子が良かったです。

ゴジラを知ってはいる、しかし、ゴジラが出現するとはまったく思っていない(昭和29年以来現れていない)という心理が良くわかりました。

あそこで、「ゴジラだーーーー」などとやっちゃったら、ものすごく安っぽい芝居になったと思います。

 

怪獣映画なのだから、人間はどうでもいい、ということはないです。

人間描写に割く時間が少ないのだから、必要以上に複雑な人物は出すべきでないし、軽く流すにしても人物像は納得でき るものでないとドラマ全体がウソになってしまいます。

 


245 返信 ラストバトルについて 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/16 16:11

男性 40 O

もう一度見直したところ、

これまで映像構成の組み立てがまずいんじゃないか、と思っていたんですが、それよりもアクション演出の問題のほうが 大きいような気がしてきました。

 

怪獣(一応機龍も怪獣ということにします)が倒れるとか、大きく動くところに人間側のカットが挿入されるので、怪獣 バトルに集中できなくなっていると考えていたのです。

しかし、そのあたりは機龍の戦いを人間の戦いであると見せるための編集だったように思いました。

(怪獣バトル映画で戦いに人間がでしゃばることの是非は別として)

 

そのように認識してもラストバトルに熱くなれない・・。

どうも、格闘のスピード感のなさも問題みたいです。

やたら大きな動きはするものの、攻撃手数がすごく少ないです。

組み合うと二匹でおしくらまんじゅうをしているみたいです。

決めの攻撃というのはいくつかあって、尻尾を使ったり殴打したりというのがあるんですが、構成上、ゴジラと機龍が組 み合ってます、とだけ見せればいいと思われるカットになると俄然手抜きになってしまう感じがしました。

そんな、ただ組み合ってますというカットが緊張感を殺いでいます。

 

激しく争うものの躍動感を伝えるためには、(いくつかのパートに分けたとしても)ひとつづきのアクションをマルチカ メラで撮影して編集段階でアングルやサイズを切り替えたほうがいいと思うし、

それが東宝怪獣映画の特徴だったとも思うんですが、マルチカメラを使わなかったか、生かしていなかったか・・・。

カット同士のつながりがどうにも良くなかったように感じました。

 

それと、機龍の再起動だなんだという劇が挟まってきたとたん、ゴジラがどうしているのかまるで伝えようとしなくなり ますね。

立ち上がった機龍に背後から放射火焔が襲いますが、機龍がぶっ倒れている間ゴジラはなにをしていたの?

さらに、その放射火焔で倒れた機龍に対してゴジラがどうするのかもわかりません。(気を失いそうになった茜がなんと か踏ん張る様子になってしまう)

 

こんなんでどうしてバトルで燃えられるんでしょう。

 

ゴジラ対機龍より、機龍に乗り込んで再起動させようとする茜の動きのほうがよほど細かくカット割されて丁寧に描かれ ていたように思います。

(もちろん、カット数が多ければいいというものでもないですが)

 

葉山の飛行機をくわえたゴジラが、ボディを叩き壊して落とした後でもずーっとコックピットをくわえているのもわかり ません。

そんなものすぐ捨てりゃいいでしょ。

 

それと、今回登場したゴジラそのものは嫌いではないし、ゴジラに見えましたので、その腕に電撃剣(設定ではなにか名 称があるんでしょうね)みたいなものを突き刺すシーンは、「嫌」でした。

ミサイルや光線も受ければ苦しいのでしょうが、刃物を刺すという映像はどうにも感覚的に痛いので、ゴジラがそんな目 に遭わされるのをみるのは辛いです。

 

246 返信 Re:ラストバトルについて 兄貴(赤) 2003/01/16 17:53

男性 42 O

ラストバトルについて、私も少々モノ申します。

 

平成シリースのバトルに対し、怪獣の動作が鈍すぎる、重厚感を出す為の演出だとは思うが、昭和の怪獣バトルを見れ ば、時として非常に素早い動きもしている。

昭和の作品では、高速撮影と低速撮影を上手く使い分けて、バトルに緩急を付けていた。

という内容の事を、あちこちで言っておりました。

 

今回のバトルは、動きが速すぎると感じました。

だから、巨大感が伝わってこないんです。

速く見せる場面と、ゆっくり見せた方が効果がある場面があると思います。

結局、緩急が無いという事なんです。

カメラも駄目です、寄りのショットばかりなんですよ。

二匹の怪獣は、お互い同じレベルの大きさですから、画面内でこの二匹が取っ組み合っていても、大きさは感じないので す。

そのために、引きの画が必要なのです、ずうっと遠くからの画があれば、周りの建物や風景の中に、いかに巨大な怪獣が 存在しているかが、感覚で見てとれるのです。

 

それに、あれほど大きな生き物が、街の中で取っ組みあって暴れたら、周りの建物に与える影響は、どれほどのものなの かも考慮されていません。

そういった、細かなとろへの気配り(演出)がないから、散漫な感じのバトルシーンになってしまったのではないでしょ うか?

 

 

247 返信 Re:ラストバトルについて 殿様ギドラ(管理人) メール URL 2003/01/17 10:56

男性 40 O

>兄貴(赤)さん

上で私はスピード感がないと書いてしまいましたが、ちょっと表現を間違えたみたいです。

やはり緊迫感がなかったというのが正しいようです。

 

それでですね、よく注意して見直してみたら、全体に速いばかりでもなかったんです。

一応、引きの画ではゆっくり、寄りの画ではすばやくという原則は守られていたみたいなんですが、

ゆっくり動かす段になると動きそのものがなくなってしまう感じでした。

(押し合うだけ)

もちろん、連続した動きを引きと寄りの両方でカットをつなぐ場合にはその速度を一致させなければカットの連続性が損 なわれますから、撮影速度の選び方はケースバイケースではあります。

 

ゴジラと機龍が接近戦になって、相手を殴りつけるようなアクションが中心になるとバストショットだけで処理されてい たようです。

これがまた巨大感と躍動感を損なっていました。

腕を使った攻撃でも、全身が動いているのだという感覚がないみたいです。

 

そして、怪獣が宙を舞うときの速度は絶対に速すぎます。

空気抵抗のこと、重力加速度のことをちゃんと考えてないです。

映像を見たときに即座に理詰めで落下速度などを計算するわけではありませんが、映像作りを考える段階でそんな理詰め の作業をやっていれば、その表現が最終的に感覚として巨大感や重量感を伝えるはずです。

(凍ったビルの粉砕やラストの氷柱の粉砕も正直言って、ヒドイです)

 

怪獣の巨大感を伝えるための引きの画は、たしかになかったですね。

ビル街と両怪獣を全部フレームにおさめたフルショットはありましたが、それは状況説明のための引きであって、怪獣の 大きさとは関係なかったと思います。

 

夜間であり、激しく引いてしまうと動きが見えなくなるという危険はありますが、幸い両怪獣ともに光線技を使うわけで すから、『ゴジラ対ヘドラ』での富士の裾野の大ロングみたいな映像を挿入することも考えられるのでは?

(これも以前から繰り返し主張していますが、小さく映して大きく感じさせるというセンスが大事です)

 

> それに、あれほど大きな生き物が、街の中で 取っ組みあって暴れたら、周りの建物に与える影響は、どれほどのものなのかも考慮されていません。

 

このご意見、実はバトルだけの問題ではないです。

怪獣による破壊を描くシーン全般に当てはまります。

アクション・リアクションの原則が守られていないのです。

『ゴジラ』で勝鬨橋がひっくり返されたあとに、その余波(まさに波)で岸に係留されている船が翻弄されるというカッ トが挿入されます。

『モスラ』では羽化したモスラが飛び立つとき、その風圧で車両が宙に舞い、水道管に当たって水が噴出するという演出 があります。

そんな現象の連鎖をきちんと描くセンスがなかったです。

 

このあたりは別立てで書こうかとも思っていたのですが、ここで書いておきましょう。

ゴジラの熱線で戦車が爆発するシーンがありましたね。

戦車に熱線が当たって光るところまではありました。

しかし、戦車が溶け出すという描写はありません。(戦車のリアクションが足りない)

突如、引きの画になって、ビル陰で爆発がぼんぼん起こるだけです。

昔のテレビ特撮じゃないんだから、そんなごまかしはやめて欲しかった。

最低一台でいいから、戦車が破壊される過程をちゃんと見せてから、引きの画に持っていくべきだったのでは?

 

メカゴジラの都市破壊シーンでも、武器の発射と破壊が関連なく映像的に列挙されるカットつなぎを最初に持ってきてい ます。

このやり方は激しい破壊による混乱状態を示すやり方ではありますが、最初は発射・着弾のプロセスをちゃんと見せて、 どのように建物が壊されたかを描写してからエスカレートした結果混乱状態になった、と見せるべきでしょう。

逆になってます。

 

そりゃ、映像表現に絶対正しいという「解」はないのかもしれません。

それでも、今作の特撮シーンは円谷特撮をあまり研究していないのだな、と思わせるものでした。