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ゴ ジラ×モ スラ×メカゴジラ
東京SOSを 語る掲示板
劇場公開中その2
シナリオ決定稿を参照しながらのストーリー詳細分析あり
シ ナリオ決定稿を読みながらPart1
シ ナリオ決定稿を読みながらPart2
シ ナリオ決定稿を読みながらPart3
シ ナリオ決定稿を読みながらPart4


114  シナリオ決定稿を 読みながらPart1 殿様ギドラ   2003/12/19 12:52
  男性 41歳 O型 
 では、主にストーリーに関する問題点を書いていきます。
区切りにしているシーンナンバーは決定稿のものなので、完成作のシーンナンバーとは違っているかもしれません。

また、基本的には脚本の問題を考えていますが、適宜別の部分の突っ込みも入れてます。
断定的な物言いをしているところが多々ありますが、私のレベルでそのように断定したのですから、いちいち「私は~思います」などといういわずもがなのくど い言い回しを排除した結果です。

シーン1からシーン25まで

冒頭、機龍のDNAコンピュータをシステムに接続するシーンに続けて海底のゴジラが目を開けるシーンを繋いでいます。
これは、ゴジラがDNAコンピュータに反応しているというきわめて強い映像表現でしょう。

ところが、前作では1999年の段階でゴジラが上陸しています。
(そのときゴジラがなぜ海へ去ったのかがまたさっぱりわかりませんが)
DNAコンピュータ稼働前に昭和29年以来現れていなかったゴジラが現れたわけです。
そうなると初代ゴジラの骨を人間が持ち去ったことがきっかけかと思われます。
(ゴジラが仲間に会いたくて骨を探しているのなら、45年間も海底にあった骨に接触していないわけがない)

しかし、先ほど述べたように、本作ではあくまでもDNAコンピュータに反応しているのだという表現になっています。
それはなぜか?
前作の一年後の話にしたかったからでしょう。
ゴジラが初代ゴジラの骨に反応しているなら、もっと早く再び機龍のもとへ戻ってくるはずではないですか。
それを機龍が出動可能なぐらいに修復されていないと「まずい」ので、DNAコンピュータが稼働するまではゴジラも来ないという言い訳をしているように見え ました。
(初めからDNAコンピュータに反応するということにしておけば良かったのに。しかし、それでは、前作の冒頭でゴジラ対メーサー車という「夢」のシーンを 描けなくなるのですよね?)

こういうところが場当たり的だと申し上げているのです。

まだまだありますから、順を追って気がついたことは全部書きます。

そのゴジラに続いて、「カロリン群島云々」という字幕の入った草むらのカットがインサートされます。
そしてその草むらが風に揺れる。
マニアなら字幕を見て、モスラのいるインファント島だな、と気づきますよ。
それでも非常に狭い範囲の草むら(人一人が立って見下ろしているレベルの画面である)が揺らいで見せてもモスラが飛び立ったことを感じさせることは出来ま せん。
もちろん、マニア以外にはモスラとの関連がわからないシーンなのですから、削除しても問題ないです。
(これで何秒か無駄にしているのです)

そこから米空軍、自衛隊と連携してモスラにスクランブルをかけるシーンになっていくのですが、ここでのセリフが説明的すぎます。
大枠で何が起こっているのかは十分伝わっていますから、もっと簡潔な言葉のやりとりにして緊張感を高めるべきだったのでは?
もちろん、現実の自衛隊がスクランブルをかけたときに指揮所ではあのようなやりとりが行われるというのであれば、そのままでいいです。
不満に思ったのは私の無知故ですから。

モスラを追うパイロットに「歌」が聞こえるというのも不要です。
モスラが戦闘機を振り切るのに有効だったわけでもなく、もともとモスラにそんな設定があるわけでもないのですから。
(かえってモスラであるという雰囲気を壊している。ガンダムのララァをやりたかっただけ?)
無駄は省くべきです。

モスラが消えたところでタイトルが表示され、中條の別荘へと転換します。

ここにはさほど問題を感じませんでした。(映像のことはまた別です)
今回の小美人が43年前の小美人と同一人物であるのかどうかというのは、うまくぼかしているなと思いました。
たしかに「一族がお会いしてから43年」と言っていますが、「お久しぶりです」というのは同一人物であるともとれるのです。
しかし、小美人はテレパシーが使えるのですから、世代を超えて記憶を共有していてもおかしくはないです。
ただし。
ストーリーの問題から離れますが、小美人は双子でないとまずいでしょう。
そこに小美人のアイデンティティがあるのではないですか?
『南海の大決闘』ではザ・ピーナッツが降板してペア・バンビが小美人役をやりました。
正直、ペア・バンビの小美人はあまり魅力的ではありませんでしたが、双子であるという設定が守られていたことのほうが重要だったと思います。
今回、小美人役の女優さんには同じ衣装を着せて、ザ・ピーナツばりに目尻に同じほくろまでつけていて見た目はそっくりな二人としたかったのが伝わりまし た。
それでも、お二人の体型があまりにも違うので(しかも露出の多い衣装なので余計に目立った)衣装やメークの努力は水の泡になっています。
小美人キャスティングは大失敗では?

このあと、修復中の機龍の様子と、記者会見する土橋の様子がしばらく続きます。
ここでは、機龍の必要性というのがじつに曖昧にされているのが問題でした。
土橋の言うことは、修復はまだ途上であるという事実を隠して、「機龍は出撃可能」といい、
同時に「一年前にゴジラを撃退して以来、索敵活動にも関わらずゴジラは見つからない」とも言う始末。
(完成作では削られていたように思いますがシナリオでは、もっとはっきり「ゴジラ出現の可能性は低い」ということを言っている。
これはのちに土橋会見を伝えるテレビワイドショー内で「ゴジラ出現の可能性は低い」と土橋が言ったとフォローされている)
政府は国民に対して何をアピールしたいのでしょうね。
ゴジラが来ても機龍があるから大丈夫と言いたいの?
それとも、機龍は壊れているけどゴジラは来ないから大丈夫と言いたいの?
ここで表現されていることは役人というのはいい加減なものですということだけです。
日本政府の方針や国民の意識などを織り込むいいチャンスなのに、「役人はいい加減」ということしか伝えていない。
そして記者の一人が「ゴジラの骨がゴジラを呼び寄せているという説もあるが、それについてはどうお考えか」という質問を投げかけますが、土橋がなんと答え たのかは伏せられます。
この流れでは、国民は機龍をあまり信用していないという表現になってしまいますよ。
せめて土橋がきっちりとその説を否定してみせれば、こうやって政府は国民を誘導するのだな、という表現になり得たのに。

しかし、決定稿より完成作のほうがセリフが整理されていて簡潔になっていたのは良かったです。(特に梓との再会シーン)


118  ようやく見てきました Lans   2003/12/20 23:09
  男性 38歳 O型 
 ご無沙汰してます。Lansでし。
本日、ようやく見てまいりました。
今回は、事前情報を極力取らずに見てみました。これは今作が純然たる「続編」だからです。
(とは言っても我慢できずサントラだけは既に…でサントラの曲名である程度推測できてしまいましたが…(汗
では、最初の感想として…

おしいx子一時間

今回は80点を出しちゃいます。
た だ し 前作と加えての話ですが…
今回だけなら…40点まで下げます(w

特撮関係は…画面のミニチェア感が感じられたのは残念ですが、前作に多かったCGによる不自然さが殆どなくなり、非常にすんなりと見れたのは高く評価いた します。
これは私としては昭和以降、感じられなかった事であります。

斬新な構図や演出はあまり感じられませんでしたが、自然に見れる…
つまり特撮の本分に立ち戻ったような気がしてなりません。
本来、特撮とは特撮を見せるものではなく、あくまでも劇中の事象をありえないモノでも自然に観客の見せるモノであったはず。

それでこそ、観客はストーリーを追う事が出来るはずです。
最近のゴジラにはそれがなく、不自然な特撮、合成、CGがストーリーへの興味を断絶させていたのではないか?と強く感じていただけに、この点は非常に大き な前進ではないかと感じました。

84ゴジラ以降、特撮や合成、とくにCG関連には、いつも非常に不自然さを感じておりました。
これが解消されただけでも、今回は賞賛に値します。
(まあ、細かい点では…やはりありますが…それでも許容範囲)
(さらに円谷時代は、それが普通に行われていたのですが…)
(ようやく本分を思い出してくれたとして、今回は褒め讃えます(汗

自衛隊の行動も、いつもな並んで撃破される戦車隊以外には、大きな文句はありません。
前回、文句を言いまくったSSM-1の運用も改善されています。

さらに、ゴジラが機龍に惹かれてやってくる(性格には骨にですが)。
つまり安全の為の武力の獲得維持のはずが、逆にそれが危機を引き寄せかねないという矛盾に、はっきりと目をあてた部分も評価いたします。

テンポも良く、最期まで一気に見る事ができました。
(なんと観客の子供らも、今回は誰一人として騒ぐ事無く真剣に見入ってたのが印象に強く残っています。)

総合的にみれば、私にとってのゴジラ映画の上位にランクします。

しかし…この映画…どうしても許せない部分があります。
とりあえず、ここはほめるだけほめておきます。

(批判は後ほど…(w
 

119  Re:ようやく見てきました Lans   2003/12/20 23:40
  
 さて、批判部分に行きましょう。
これは、今作としてではなく、機龍シリーズとしての批判になりますが…

1)機龍の意味
これは、前回の批判で、散々言った事なのですが…
機龍の存在は強大な武力の獲得に他なりません。
前作では、この保有に関する矛盾が無視され、あろう事か、それを肯定する内容に、私は激しく反発した訳ですが…
今回はのっけから、その矛盾に焦点をあててきました。

これはこれで嬉しいのですが…もう遅いです。
これはあくまでも映画に対する私の持論になってしまうのですが…
このような、あきらかに作品に根本にかかる問題に関しては「1作品内」に収めなければならないと思います。
理由は簡単。
観客は両方を見るとは限らないからです。

今回の機龍シリーズは2部作に分けてはならなかったと思っています。
特に今回の後半~ラストには大きな不満を持っています。

機龍とゴジラの戦闘は、ほぼ前作と同様の流れです。
一旦機龍が破損し、外部から浸入し復帰させるというものです。

それこそ2部作に分ける必要はないでしょうに…

本来なら、機龍シリーズは分けてはいけないモノだったのではないでしょうか?
最期に関しても、私は機龍が人類に別れをいうのに強い疑問を持ちました。
そりゃそうでしょう。なにが悲しくて初代ゴジラの意思が復活した機龍が人類に別れを告げなくてはならんのですか?
なぜに人間を助けなくてはならんのですか?
初代ゴジラファンとして理解できません。

機龍は初代の写し身でありながら人間に利用され同属と戦わされているのですよ?
なにが悲しくて人間を助けるのですか?

茜は壮行会の後「機龍はもう戦いたくないのかも」と言っていますが…
本来であれば、この言葉は前作において、茜が機龍に乗りゴジラと戦っている間に気がつかなければいけない事だったのではないでしょうか?

そして機龍が人間に別れを告げるのではなく、茜自信が自分の意思で機龍を「捨てる」必要があったのではないでしょうか?

今回の流れでは、人間の意志ではなく、機龍の意思で、その強大な武力が人間から失われる事になります。
しかし、本来は人間の手で、人間の意志で、機龍を、その強大な武力を捨てる決断をはっきりと示す必要があたっと思うのです。

120  Re:ようやく見てきました Lans   2003/12/20 23:53
  
 2)主人公の交代
これは、先ほどの批判にも繋がるのですが…

茜こそが、一番に機龍の力を欲していました。
だからこそ、茜自信がその手で機龍を捨てる必要があったと思うのです。
(今回の主人公もパイロットもゴジラに対し明確な敵意を抱いておりません)
(これは主人公達にゴジラに立ち向かう明確な理由がない事になります)
(これは機龍のテーマに踏み込むのに、あきらかに役不足です。)

それでこそ、
ただひたすらに力を欲する人類、
しかし、それを捨てる事も出来るのだと言うことを
茜にかぶせる事によって見せる事ができたものを…

今回の作品からモスラを排除し、前作と融合させたら…

ど れ だ け 良い作品になった事か…

正直、悔しい程です。

121  Re:ようやく見てきました Lans   2003/12/21 00:12
  
 3)モスラの存在
私はモスラ自体は大好きです。
しかし、今回、モスラは邪魔なだけです。

これまた上記の批判に繋がりますが…

せっかく機龍の存在意義の矛盾に迫りながらも
モスラの登場により、テーマが
「兵器の持つ意味と、それに頼らなければならない人類の矛盾」
から
「死者の冒涜、命の意味」
に挿げ替えられてしまいました。

ちょっとまってください。
これは「ゴジラ」の映画ではないのですか?
初代ゴジラが「核兵器」に関わり、機龍も直接的に初代に関わる以上
この部分を無視しちゃいかんと思うのです。
それこそ初代の存在に関わる部分なのではないでしょうか?
(初代=核とは限定したくはないですが、切っても切れない繋がりなのは事実ですので…)

しかも、モスラを助ける為に起動した機龍に対し
小美人は、一瞬悲しみを見せますが、途中からそれを認めてしまっています。
彼女達は、決してそれを認めたり賞賛してはならないのではないでしょうか?

モスラを助ける為に起動した機龍に
モスラが助けられ、共に助けあいながら戦ったとしても、
あくまでも、機龍と、それを起動させてしまった人類を
悲しみの目で見続けなければならなかったのではないでしょうか?

最期にいたっても、最終的に機龍は人類に破棄される前に
自分自身で人類の手から去っていきます。

その後、小美人達は、モスラを助けようと機龍を動かした事に
感謝しつつも、それを悲しまなければならなかったのではないでしょうか?

そして悲しみを持ったまま、次はモスラが再び人類の敵になる可能性を秘め
去っていかねばならなかったのではないでしょうか?

今回のモスラの存在は機龍の存在を中途半端にしてしまったと思います。

122  Re:ようやく見てきました Lans   2003/12/21 00:29
  
 以上の点から
機龍シリーズとしては、その可能性も含め80点
単体では40点と言うことです。

しかし、
モスラの危機にあえて出撃する機龍。
被弾し片目となった機龍。
(メカを強調する良い演出だと思います)
など、私にとって燃える部分も非常に多かった事も事実です。
(前述の自衛隊運用の改善や本分に立ち戻った特撮なども賞賛します)

しかし…
ホントに後半の決戦は前作と同じですな…
被弾し動けなくなる機龍。
それを助けに搭乗する主人公。
それを助ける機龍隊と自衛隊部隊。
(今回は周囲の協力や一体感は前作より改善されてますが、これは本来、前作でもやれた事…つまり、前作でやれなかった部分を作り直しただけとも言えます が…これはキツイ言い方かもしれませんけど…)

後半の脱出劇も、前作でやろうと思えば出来たこと。
いや、登場人物の関係から言えば、
今回よりもはるかに劇的に見せることが出来たと思います。

さらに、茜が機龍を自ら捨てる事が出来ていたなら…

ああ、いっそ機龍シリーズを再構成して欲しいです~
くぅ~、ここまで来ていながら…悔しいぃ~!!!

あ、明日の特撮の為に!

(でも、今回ここまでこれた事に、改めて将来に期待出来るようになりました(w

123  Re:ようやく見てきました Lans   2003/12/21 01:06
  
 追加
ああ、忘れてました。
今回、モスラや小美人が語らねばならなかったのは
ゴジラの骨を返す意味を
「生命は定められた時の中にこそあるべし…」
などという命の尊厳を建前として語るのではなく、
「人類の手にあまる力の放棄」
にはっきりと焦点を当て続けるべきであったと思います。

確かに、暗にそれを物語っていますが
劇中において、この言葉が繰り返される為に
その言葉通りの意味が前面に立ってしまい
本来の意味がぼやけてしまっています。

さらに小美人の態度もそれをぼやかしてしまいました。

いいんでしょうか?それで…(悲
少なくとも私には納得いきませんです。

131  Re:ようやく見てきました 殿様ギドラ   2003/12/22 16:18
  男性 41歳 O型 
 Lansさーーん、お久しぶりですぅ。
詳細な感想あーんど分析に感謝いたします。

2部作にする必要はない、特撮が自然になってきたなどなど同意点多数です。
ストーリーに関しての私の詳細な意見は、シナリオを読みながらシリーズでやりますのでLansさんとの相違点を今は書きませんけれど、
大枠のところで疑問符をつけるなら、
2部作あわせて80点という高評価というあたりになります。

>今回の流れでは、人間の意志ではなく、機龍の意思で、その強大な武力が人間から失われる事になります。
>しかし、本来は人間の手で、人間の意志で、機龍を、その強大な武力を捨てる決断をはっきりと示す必要があたっと思うのです。

>テーマが
>「兵器の持つ意味と、それに頼らなければならない人類の矛盾」
>から
>「死者の冒涜、命の意味」
>に挿げ替えられてしまいました。

引用したLansさんのご意見に大賛成です。
そして、深いテーマを描きうる題材を得ていながらそれに無自覚な作品であったと思われます。
どれほど無自覚なのか(なんにも考えていないか)はシナリオ詳細分析でやりますので。
となると将来への期待を抱くわけにもいきません。

機龍二部作のやり方を受け入れるわけにはいかないというのが私の立場になってしまいました。
(どう考えてもGMMGはG×MGのリテイクであります。作り直しの機会を与えられながら、前作にあった大事な要素を別の物にすげ替えているので は・・・)


125  ああ、自己紹介を忘れていました(汗 Lans   2003/12/21 12:58
  
 新しい方々もいらっしゃるようなので、改めて自己紹介いたします。

私はLansと申しまして、毎回、この特設掲示板が開設される度に参加させてもらっている者です。

今回は忙しさと、あくまでも作品が直接の続編と言うことで
実際に鑑賞するまで、この掲示板を覗く事も避けておりました。
(いつもは事前情報を入れてから観にいくのですが…)

殿様ギドラさんとは、US・GODZILLA公式掲示板からの論戦相手なのですが、別に敵対者という訳では全くありませんです(w

私も、かなり厳しい批判をするとは思いますが、殿様ギドラさんと同様にゴジラを特撮を愛するが故の批判と考えていただければ幸いです。
(お互いに細かい主義主張に違いはあれど、共に目指すモノは基を一にしていると思っております。)


明日の特撮の為にっ!

132  Re:ああ、自己紹介を忘れていました(汗 殿様ギドラ   2003/12/22 16:19
  男性 41歳 O型 
 これはご丁寧にご挨拶までいただいちゃって恐縮です。

思えばもう5年半になりますね。
Lansさんとこうしてゴジラ映画論を戦わすのは。

US版についての激論から日本のゴジラ復活という流れになり、これまたほぼ毎回別物になって公開されるもんで、ゴジラは混迷の一途をたどってます。
それなのに、とりあえずイエスと言ってりゃいいさみたいなファンの方も多いのが悲しいですね。

私が目指すのは、より優れた特撮映画に出会いたい、これに尽きます。
ゴジラそのものも好きですが、ゴジラと名付けられた怪獣が出てきただけでは満足できません。
(ん~、ゴジラマニアではないのかな?)
ストーリーも映像も音響もちゃーんと出来たゴジラ映画を見たいと思っております。

どこかで誰かが私のことを「アンチ」と言ってるようですが、私の書くことをちゃんと読みやがれ!
どこがゴジラ映画に反対の立場だと言うのか。
なんてそんなアフォは放っておきましょう。

さあて、Lansさんも「東京SOS」をご覧になったということは、この掲示板も激しくなるぞーー。

明日の特撮のために!!


126  再度、失礼いたします。 WARASI   2003/12/22 03:09
  男性 43歳 O型 
 ども、ギドラ様、三沢狸様、何時もマメな返信、有難うございます。
なかなか、できぬ事と感心させていただいております。これからも宜しくお願い致します。
で、また、失礼ながら、とりとめのない、よもやま話をさせていただきます。
今の、東宝映画は、錆付いた鎧を着た亡霊!だと思います。
そもそも、今回のモスラだって、前回は、スター怪獣のMGを手塚に撮らせたら、ヒットした。今度は、モスラを混入すれば、女性客も呼び寄せられて、もっ と、いけるっだろう!
なーんて、安易な意図がミエミエのような気がします。
で、出来上がった絵が、過去の名シーンのなぞりだけでなく、貧弱なイメージばかりで、イマジネーションと技術の限界を露呈していては、話にもなりません。
はっきりいいまして、過去の栄光におんぶに抱っこするのは、やめたほうがいいと思います。スター怪獣を出すと、過去のイメージを追うだけで、終わってしま うケースが多い様だからです。多少、興行的リスクは負うとしても、新怪獣で勝負することもたまには必要だと思います。そうすれば、新しいイメージを作るの に皆、必死になって考えると思います。過去に、「ビオランテ」や「メガギラス」等、私が思うに作品的には成功している作品もあると思います。かなり、斬新 なイメージもあり、話も結構まとまっていたように思います。(マア、これも賛否両論だと思いますが、、、、)
そして、都市破壊やバトルが、イマイチ現実味を帯びて来ないのは、庶民の葛藤が無いからの様に感じます。家や職場を破壊されているのは、誰でしょう?何よ り、そこに住む民衆です。ゴジラの進撃の下の地下で、子供を抱きしめながら震える母親!大事な工場や会社を、一撃の下に破壊されて途方にくれる社長!そん な民衆の叫びや、怒りのドラマが無くて、どうして、ゴジラに怒りや、MGに感情移入できましょう。
単に箱庭のようなセットで、暴れまくるプロレスを見ているだけのような感じがします。
初代「ゴジラ」には、こんなシーンがあります。東京を破壊しまくり、満足げに海に去ろうとして行くゴジラを、セイバー戦闘機がミサイルで追撃します。それ を見ていた民衆が、
やれー!ヤレーやっつけろ!とみんなでエールをとばします。民衆の怒りがもろ伝わってくる値千金とも言うべき名シーンだったと思います。この作品の価値は こんな所にもあります。
私は、今回の作品もこのセイバー戦闘機をMGに置き換えたような演出が必要だったように思うのです。この民衆の怒りがMGの背後にオーラの様に光る事で、 作品のエキサイト度も、違ってきたように思います。
後、子供のオプションである、ママやパパを、映画館に走らせようとする、安易なキャスティングもやめていただきたいです。演技やドラマがウスペラになりま す。あくまで、適材適所で選ぶべきです。
と、取り留めなく書いてしまいましたが、他にホームシアターの事でも書きたかったのですが、書くのを許していただけるようでしたら、長くなりましたので、 次回にします。
宜しかったらまたお付き合いください。すいませんでした。



 

127  Re:再度、失礼いたします。 兄貴赤   2003/12/22 04:56
  男性 43歳 O型 
 WARASIさん、始めまして、兄貴赤と申します。
私と同じ年齢、血液型、そしてホームシアターを実践され、しかもゴジラ好きとは・・・
色々、共通の話題がありそうです。


>他にホームシアターの事でも書きたかったのですが、書くのを許していただけるようでしたら、長くなりましたので、次回にします。

私のHPでは、ホームシアターをメインにしておりますので、宜しかったら覗いてください。
ここのリンクページから飛べますので・・・

今回の映画は、今日見に行きます。
感想などは、後日ということで・・・


PS:Lansしゃん、どもでし。
長文カキコ、ありがとね~
 

134  Re:再度、失礼いたします。 殿様ギドラ   2003/12/22 16:21
  男性 41歳 O型 
 たしかに、過去の栄光にしがみついている感は否めませんね。
それならそれで、きちんと過去の名作から作品作りのフォーマットも学べばいいのに、
スター怪獣を借りてくる、名場面をなぞってみせるというレベルのことばっかりやっているように思います。

形だけいただいて、精神を引き継ごうとしていない。
(これ、多くのファンの見方にもありはしないか?形さえ同じなら昔の有名怪獣と同じ物と考えていないか?)

いま書いている「シナリオ決定稿を読みながらシリーズ」(本日投稿分)中でWARASIさんと同じことを指摘しています。
都市破壊や怪獣バトルに現実味を感じるのは何故か、というあたり。
私も同じ思いです。
(すこーし違うとすれば、必ずしも観客は打倒怪獣という劇中人物の思いに共感しなくてもいいじゃないかと思っているところ)

私も「vsビオランテ」と「vsメガギラス」は非常に優れたシナリオ構成だったと思っています。
問題があるとすれば、シリーズ作品のひとつとして過誤があるというところですね。
あと、どちらも怪獣より人間に劇的役割を負わせてしまっているのが不可。
それでも新怪獣待望は私も同じ思いです。

えーと、それで、ホームシアターのことなんですが、すごく興味深い話題ではありますが、
この掲示板はあとでHPコンテンツとしてログを採録しますので、
GMMG感想・意見・分析に絡まないお話は避けていただけると幸いです。
私のサイトであれば、ギドラ掲示板は雑談板ですし、GMMGに限定しない「映像作品掲示板」というのもありますので、
映像・音響一般の話はそちらでもオッケーですよ。
もちろん、兄貴(赤)さんはAVマニアなので兄貴(赤)さんの掲示板ならどんどんディープな話が出来ること請け合いですよん。

つーわけで、兄貴もようやく「東京SOS」を見に行くわけですな。
いろんな意味で感想が怖いですぜ。
あれ?この掲示板には今回初登場では?>兄貴(赤)さん
投稿するときにURL欄にも書いておけば、あとはクッキーちゃんが毎回入力しなくてもHPリンクを作ってくれますよーん。


128  ゴジラの目的 Wilt   2003/12/22 15:07
  男性 22歳 
 はじめまして Wiltと申します

 先日 映画館で見てきたのですが機龍がゴジラと共に沈んだときゴジラの目的はなんだったのかと考えたのですが、

 初代ゴジラが出現してから巨大生物が出現するようになったこと、GMGで二代目があまり戦いで積極的ではなかったこと、常に初代の骨に向かっているこ と、敵性存在以外には熱線をほとんど撃っていないことから私はこう思ったのですが、

 ゴジラは人間と自発的に戦う気は無い、二代目は常に初代の解放を求めて戦っていて殲滅よりも初代の覚醒による解放をむしろ望んでいたと、八景島でも機龍 覚醒と共に撤退してますし、それでもダメだったからやむなく再度戦いに来た、初代の襲撃も巨大生命最初の来襲だったのは核を使い自然を壊していく人間に対 する怒りもあるだろうがこれから来る巨大生命達の存在を警鐘だったのではと、初代はある程度暴れた後はオキシジェンデストロイヤで溶かされたとき船団に対 して攻撃をしませんでした。二頭いたゴジラは歪められてしまった生命たる自分達は警鐘を鳴らした後は消える事を望んでいて二頭目はそのまま眠り続けるつも りだったのでは、しかし初代の骨が引き上げられ眠りを妨げられたとき、それを救うために目覚めた。

瀕死の体をモスラの繭に包まれたゴジラが悲しげに鳴いていた声は初代を救えなかった事を嘆く声だったように思えます。

GMGで望まれない命などないと言っていましたが消えることを望む人の罪より生まれた命は何が正しい道なんでしょうか

135  Re:ゴジラの目的 殿様ギドラ   2003/12/22 16:27
  男性 41歳 O型 
 Wiltさん、ようこそいらっしゃいました。
怪獣たちは言葉を発しませんから、いろんな想像を許容してくれるんですよね。

うーん、しかし、ゴジラが人間に警鐘を鳴らすとも思えないんですよ。
私もゴジラがむやみに攻撃してくる怪獣だとは思えないです。
第一作『ゴジラ』でもゴジラが攻撃してくるのは、なんらかの怒りを感じたときだという表現がきっちりできていたと思います。
(船を襲ったのは、うるさかったからかなぁ?)


136  シナリオ 決定稿を読みながらPart2 殿様ギドラ  2003/12/22 16:29
  男性 41歳 O型 
 決定稿シーンナンバー26より42まで

瞬が学校から帰ってきて、中條信一からモスラやインファント島のことを聞くシーンになります。
ここでテレビに土橋の会見を伝えるワイドショーが映っています。
土橋が「ゴジラ出現の可能性は低い」と発言したことが伝えられ、それを受ける形でコメンテーターが
「だったら機龍修復より被災地復興を優先すべきだ」と発言。
当然の流れですね。しかし、前作でも今作でも政府は、初代ゴジラの骨がゴジラを呼び寄せているのではないか、
ということにうすうす気づいているわけです。
この後のシーンで土橋自身、ゴジラ出現に危機感を持っていることが描かれるのです。
いったいこの日本政府は何を考えているのか?
国民に対してゴジラ出現はない、と発表すれば機龍不要論が出てくるのは当然。
(予算不足でアブソリュート・ゼロの修復が出来ないのでしょ?)
ゴジラに対して危機感を持っているくせに、機龍を修復できない方へ世論を誘導している。(この段階では政府がゴジラに対して危機感を持っているのかどうか は曖昧にされていますが)
おかしいでしょう!!!
ここに、物事の自然の流れより製作側の都合を優先させる意識が見えるのです。

つまり、今作ではアブソリュート・ゼロ以外のガジェットを見せたい、ということでしょう。
(ほかにもいろいろ都合はあるでしょう。アブソリュート・ゼロが使えるとなると格闘が成立しなくなりますからね。
今回はモスラがいますから、出撃してモスラもろともアブ・ゼロを撃ち込めばジ・エンドですし)
だから機龍修復が不自由な状況作りをしたい、と。

登場人物や社会組織の自然な反応を作り手の都合でねじ曲げていませんか?(全編通して)

さて、このワイドショーでは機龍擁護派の意見もちょろっと出てきます。
「たとえゴジラがいなくなったとしてもほかの巨大生物に使えるんじゃないか」と。
この発想をもっと大事にせんかい!
ここまでは思いついたんでしょう。なら、機龍という武器を人間がどう使うんだろうということをちゃんと考えなさい。
私は、機龍を使えばモスラは人類の敵になる、というのは裏返しの言い方であって、機龍はモスラをも撃滅するために使われるだろうという意味だと思いました よ。
ところがそんなドラマはどこにもありません。

ここまでを見ていると、機龍がお荷物扱いになっているように見えます。

さて、瞬と信一の対話。
どうしてここに瞬の母を出さないの???
まるで祖父と二人暮らしをしている少年みたいです。
中條家も信一の書斎しか出てこないので、生活感ゼロ。
怪獣映画には登場人物の生活感が大事です。それを感じさせなければ、怪獣による都市破壊に重みが出ないのです。
『モスラ』に出てきた新聞を再現するという小技をやっている暇があったらもっと劇的要素に凝ってください。

また、ここで信一は「別荘でのことをみんなに伝えねばならん」と言っていますが、実際にやったのは友人である総理に直談判しただけ。
広く世間に訴えるという行動は全く描かれません。
これが登場人物の活動範囲が狭いということです。
(『モスラ対ゴジラ』で熊山が街宣車に乗って静の浦ハッピーセンターを宣伝するシーンがちょろっとだけありますね。尺は短くてもそんな様子を見せることが 大事です)

次に家城たちの壮行会のシーン。
そもそもこのタイミングで家城たちを研修に出すというのがおかしい。
政府も完全にゴジラ出現がないと考えているならともかく、本音のところではいつゴジラが現れるかとびくびくしている状態なのでしょう?
それなのに、経験を積んだオペレーターを海外研修に出すとは不自然すぎる。
もちろん、「オトナの事情」で前作の出演者を出せなくなったから研修に出すことにしたのでしょうが、もっと自然な設定を考える努力をしてほしいです。
壮行会でのやりとりにも不自然さがあります。
義人が秋葉の操縦技術にケチをつけますね?
そりゃ、映画というのは時間を省略する芸術だというのはわかっていますから、観客に見せなかったところで義人は秋葉の操縦を見たのだろうと想像は出来ま す。
それでもここで梓が秋葉を義人に紹介しているということは初対面に近いということがわかりますし、
飛行訓練シーンがまったくないままに「機体の扱いが荒い」などと具体論を言われても、義人に理があるのかどうかわかりません。
(そこまでで義人の整備士としての腕前がわかるシーンも皆無である)

次に壮行会を抜け出した義人と茜の対話になります。
ああああああ、もう。ひどいひどい。
義人が小美人の言葉を反芻して気持ちが揺れているのはいいですよ。
問題は茜。
「機龍を残して行くのは残念。ゴジラとの決着はまだついていない」というのは自然です。
前作のエンディングからちゃんとつながっています。
しかし、そのあと続けて「機龍はもう戦いたくないのかもしれない」と言い出すのはどういうことですか?
いいですか、茜はゴジラ映画を見続けている観客ではないのですよ。
ただの一本もゴジラ映画を見たことがない人間です。
そして一年前機龍を使ってゴジラと戦いました。その結果、機龍は大きなダメージをくらって修復中です。一年間機龍は出撃していないのですよ。
さらに茜は機龍に初代ゴジラの意識が宿っているかもしれないということも知りません。
ゴジラへのシンパシーもない、その後機龍を操縦してもいない人間がなんで機龍に対する意識を変えるのですか。
(ここで茜が機龍の気持ちとして述べていることは、機龍に投影した自分の気持ちでもあるはず)

さらに、観客の意識に与える影響を考察します。
前作を見た観客は機龍が初代ゴジラの意識を宿すことを知っています。(うーん、それも常時ではないんですが)
ゴジラ同士が戦いを望むはずがないというのはドラマで見せてもらう以前の常識といって良いでしょう。
それをこんなに意味ありげに言われても、しらけますよ。
しらけないのは義人と同じレベルで考えている観客でしょう。
機龍がゴジラを倒すべし、と思って見ている人もいるでしょうから。

そして、前作を見ていないお客さんに茜がどう映ったのでしょうね?これも大いなる疑問。

この映画のクライマックスは義人が初代ゴジラの意識に気がついて、「戦いたくなかったのか」と驚くシーンでしょうから、
(このシーンにも問題山積)
先輩主役の茜を「お見通しウーマン」にして茜ファンに喜んでもらおうという考えだったのでは?
(人物の自然な反応を作り手の都合で曲げてませんか?)

つづいて中條と五十嵐の対話です。
いやはや・・・・。
五十嵐が中條の話(モスラと小美人が警告に来た)を信じるのはいいでしょう。旧友なのですから。
しかし、まったく理解できないのは、五十嵐が「いつか機龍を放棄しなければならない」と発言すること。
なんで?
小美人が来たことを信じたとしても、その警告を聞き入れる気はないのでしょう?
つまりゴジラが現れれば機龍で戦うのでしょう?
さて、機龍は対ゴジラ兵器として作ったのでしょうけれど、ほかの怪獣にも有効なのは間違いないこと。
「いつか」というのはすべての怪獣を葬り去ったときという意味でしょうか?
五十嵐をこんな態度保留の人物にしたのは、観客にとって悪者には見えないようにするためと推察しましたが違いますか?
観客は中條&小美人、義人側に立ってストーリーを追っています。
そこで、小美人の警告を一切聞き入れない人物は分からず屋のだめな奴と見える可能性があります。
それを避けたかったと見ましたがいかがか。

多分、「×メガギラス」で伊武雅刀さんが演じた人物を単純な悪役だと思ってしまったお客さんが多いのでしょうね。
そんなレベルの低い見方に合わせる必要はないです。
たとえ中條の前で「機龍は放棄するつもりだ」と発言しても、その発言に信憑性がないことも同時に伝えなければ五十嵐という政治家の理性が疑われます。

お待たせしました。
ここでカメーバ登場です。
これはすぐ次の潜水艦のシーンとセットで考えなければならないでしょう。
どちらももうじきゴジラが出現するぞという前触れですから。
どうしてカメーバと潜水艦を続けざまに見せたのでしょう。
この二つのシーンの後もしばらくゴジラ登場はなく、別の芝居がつづくのに。

まずカメーバ、少し間をおいて潜水艦のエピソードと構成するならだんだんゴジラ登場シーンが近づいているぞ、という感覚になるはずですが、
この二つを続けてしまうと、ゴジラ出現の前触れを二つにする効果がないです。
ほかのシーンとの連携上、潜水艦のシーンがここに入らないとまずいというのはわかりますので、カメーバをどうしても出したいならもっと早い時期では?
(私ならカメーバはカットします。ドラマ上まったく問題ありません)
また、カメーバのシーン終わりにカメーバを殺した生物はなんだろうという疑問が出され「たとえばゴジラ」と声を張るのはやりすぎです。
観客はその結論を自ら出していますから、そんなに重々しく言われても困っちゃいます。
台詞で言わせなくても、「おそらくほかの巨大生物に襲われたんでしょう」というセリフを受けて梓が「ほかの巨大生物」と反復し、あとは画面に映っている人 物の表情だけで十分だと思いました。

潜水艦の後に再び修復中の機龍。
ここではっきりと政府がゴジラに対してかなり危機感を持っていることが描かれます。
潜水艦が襲われたという報告が来る前から機龍修復を急かしているのです。
でも予算が足りないとか・・・。(じゃ、国民にもっとゴジラ危機を訴えれば?というのはもう書きました)
うがって考えれば、カメーバ漂着と潜水艦襲撃には時間的に開きがあり、カメーバ発見によって政府の危機感が増したと考えられないことはないです。
しかし、カメーバと潜水艦のエピソードが連続していることから、印象としては特自によるカメーバ調査と潜水艦爆発はほぼ同時という印象になっています。
どうしても最初から政府内ではゴジラに対する危機感が強かったとした思えないです。

さて、ここではアブソリュート・ゼロが使えないということと機龍が不完全であるということの説明に終始しています。
それも機龍そのものの動作などは一切見せずに人物のセリフのみ。
一つのシーンに複合した意味を持たせる技を使って欲しいものです。
ここを機龍の作動テストのシーンにでもすれば、同じ内容を含んでかつあとで出てくる駆動系統の問題や秋葉・梓の腕前も見せられるでしょう。
(胸の部品をつけないと歩くことも出来ないってわけはないですよね)

このあと、機龍シリーズ恒例義人と秋葉の中学生レベルの喧嘩。
要らないです。
自衛隊という命がけの特殊な仕事に就いている人の凛々しさを描く気はないのでしょうね。
秋葉と喧嘩しなくても秋葉(父)からの呼び出しはあり得ますし、梓との対話も挿入可能でしょう。
さてこのシーン、シナリオには完成作にはない部分がありました。
秋葉「別荘にモスラが現れたんだって?」
望月「モスラ?お前、なに言ってんだ?」
義人「・・・・・どうしてそれを?」
というやりとり。

中條信一が五十嵐を訪ねたことを秋葉が知っていることに義人が驚くという芝居があるのです。
そばにいた同僚もモスラのことを言い出した秋葉に驚いているわけです。
ドラマのここまでの流れを考えれば自然なやりとりです。
中條信一の五十嵐訪問はあくまでもプライベートなものであるという雰囲気作りが出来ていますし、
中條がマスコミなどを使ってモスラの警告を世間に訴えるという動きもないのですから。
なぜカットされたか。
芝居のテンポを速めるというのが一番の目的だったように思いますが、
これ、誰も知らないことを秋葉が知っていると言うことは、誰が漏らしたのかという疑問を呼びます。
五十嵐が側近などにぺらぺらしゃべったのか?と思わざるを得ません。
中條がいろんな人に広めようとしているなら、秋葉が知っていることに誰も驚きはしませんから。
そんなこんなでカットになったのだろうと推察されますが、時すでに遅しです。
シナリオを読む前から、秋葉親子が別荘での出来事を知っているのは変だと思いました。
機龍推進派の五十嵐が小美人の警告を漏らし、機龍反対派の耳にまで入っていたとしか思えませんでした。
とはいえ一国の総理大臣がそれほど軽率だとも思えず、大変不自然でした。
(中條信一がモスラの警告を世間に喧伝していれば、このあたりの不自然さは解決するし、後半の展開も楽になるのに)

つづく、義人と梓の対話がシーン42です。
これもなー、防衛庁内局からの呼び出しがかかっているぞという上司の知らせと複合させているのでしょうがないと言えばしょうがないですが、
ここで「オフ」の義人と梓を見せることが出来たのではないでしょうか。
制服を脱いだ二人を見せることで、生活感の表現・梓の色気を見せるシーンになり得たと思われます。
(実際には梓が上着を脱いでいることで胸のラインを強調するところまではやっている)
また、「防衛庁内局」という言葉にはなじみがなかったので、シナリオを読むまで「防衛庁ほにゃらら」がなんと言っているのかわかりませんでした。
ここではもっとわかりやすい言い回しを使ったほうが良かったのではないでしょうか。
「(身振りつきで)“上”から呼び出しがかかってるぞ」とか。
神崎の義人に対する態度はかなりフランクなものですから、そんな砕けた言い方でも不自然ではないでしょう。
つづくカットで防衛庁の門が映るのですから、「内局」などという言葉を使わなくても事態は伝わるはずです。

以上シーン42了


138  兄貴赤さんへ WARASI   2003/12/23 08:18
  男性 43歳 O型 
 返信、ありがとうございます。年齢等のシンクロの件、奇遇ですネ。でも、コアなゴジラファンて私なんかの年齢が多いかもしれませんね。この掲 示版を見てもそう感じます。で、今の私の仕事は夜勤あり、16時間労働ありと、古代エジプトの奴隷のように(笑)働いていますので、ご連絡の方は、変則的 になるかもしれませんが、必ず差し上げたいと思いますので、宜しくお願いします。前述の通り、苦労に苦労を重ねた、防音設備付のAVルーム{くれぐれもア ダルトではありませんヨ!でもホントはそっち系も好きです(笑)}のみならず、特撮を中心にした日本、海外の映画などのマニアックなAVソフトも膨大に、 集めておりますので、{なんせ、余生はAVソフトに埋もれて息絶えるのが夢です(笑)}その手のお話は、また後日いたしましょう。で、HPも拝見したいの ですが、入り方がよく分かりません。宜しければ教えてください。後、GMMGのご感想もお待ちしております。どもども。

142  Re:兄貴赤さんへ 殿様ギドラ メール  2003/12/23 14:46
  男性 41歳 O型 
 あ、兄貴(赤)さんのURLはこちらです。

http://anikiaka.gooside.com/


139  ゴジラ映画の音響効果について。 WARASI   2003/12/23 10:12
  男性 43歳 O型 
 ども、今回は、ゴジラ映画の音響効果について最近、気が付いた事がありますので、書かせていただきます。ただ、私は三沢狸さんの様に専門的な 知識は、あまり持っていませんのであくまで推察になりますので、ご了承ください。
で、私は前述の通りAVが趣味ですので、映画の映像と音については、非常にうるさいです。特に、音に関しては映画館は音響効果で選んでいる程です。
それで、前に書きました、「G×MG」のDVDですが、この5.1サラウンドには、モノスゴイ音響効果が入っています。私はびっくりしました。私のAV ルームには、10畳のスペースに、NHTのスピーカー、ウーファーを含め、11個をへばり付けて、ちょっと頭ダイジョウブ?な状態(笑)で鑑賞しています が、そんな環境で聞くと分離感、重低音、中低音も抜群で、館山上陸、最後の決戦など画面を盛り上げる臨場感は十分です。
この映画、去年はイクスピアリで観たのですが、少なくとも音に関してはいいと言う印象は受けませんでした。(イクスピアリの映画館の音響効果はあまり良く ない事を後で知りましたが、、、、)
で、ここぞ!という映画鑑賞は、ワーナーマイカルで観る事に、最近しているのですが、(マイカルは、三沢狸さんが、ご指摘されていた要素を極力満たしてい る素晴らしい映画館だと思います。特に音は良いです。)今回のGMMGもマイカルで鑑賞して、マイカルですので、グッドな音質パフォーマンスを期待してい たのですが、良い事は良かったのですが、
イマイチ、DVDのと比べると、重低音、ボリュームも控えめな印象でした。
まだ、ハム太郎の方が、音のボリュームが大きくギャンギャンうるさかった様です。
(これは、一緒に観たウチのカカアも「なんかハム太郎の方が音がうるさかったね」なーんて言っておりましたから、まず間違いないです。)
はてさて?なんで?ハム太郎の方が音響が強いのダ???????????
もう、頭は金田一耕介状態です。そこで、私はある結論を考えました。
前、エクスピアリで窓口に券を買う時に、「この映画は、音響効果が強烈な迫力のある映画ですので、お子様と鑑賞する際には、お気をつけください」なんて張 り紙がしてあったのです。つまり、キーワードは子供!なんだと!
ハム太郎は、作品内容がマイルドですので、音を強くしても鑑賞自体に支障は無いと思いますが、ゴジラのようなコワモテ作品は、子供にとって、映像でさえも 怖いのに、音響があまりに強烈だと、泣くか、逃げてしまいます。うちの子供なぞそうです。音が怖いからと言って、映画館に行きたがらないのです。
ですから、場合によっては、ピカチュー騒動なども引き起こしかねないので、映画館のほうで、故意的に音や重低音などのボリュームを結構、下げているのでは ないでしょうか?
だとすると、これは、ゴジラ、映画ファンにとって、由々しき問題だと思います。
いい映画館でも、最良の状態で映画が鑑賞できないのですから。
マア、怪獣映画は基本として、子供対象でしょうから、しょうがないと言えばそうですが、
だとすると、やはり自分でホームシアターなんぞを構築して、完全体を目指すしかないのですが、私とて、AVルームを作ってはいますが、まだ色々な問題を抱 えていて、悩みは尽きない状態でとにかく大変です。
最近の東宝の映画素材やソフトは前に比べると、品質が向上してきているので、惜しい限りです。とにかく、普遍的に最良な状態で映画が鑑賞できる環境を作っ てもらいたいものです。
 

140  Re:ゴジラ映画の音響効果について。 三沢狸   2003/12/23 12:52
  男性 O型 
 ども、WARASI様、なんだかすごいシステムで見られている
見たいですね。(^◇^;)私は浅薄にしてNHTって知らないんですが、
どっかで視聴出来るかしら。

さて、音響効果に関して、日本映画はプアだと感じています。
それは残念ながら、金のかけ方の問題なのです。
映画関係者から聞いた話なのですが、予算が不足した場合、
一番最初に削られるのは「音」関係なのだそうです。
「ゴジラ」シリーズもおそらくは同じ筈です。
しかし、映画制作者としては「迫力」は出したい訳です。
するとどうするか。「音色や音質」はプアで「音量」を強める。
「低音」をイコライジングして強調するとごまかせるわけです。

私の自宅付近には「ワーナーマイカル」と「ヴァージンシネマ」が
ありますが、音質的には「ヴァージンシネマ」の方が上でした。
まあ、「ワーナーマイカル」でも各地の劇場によって音質が違いますので
一概に悪いとか良いとか言えません。残念ながら個々の劇場エンジニアが
どういうチューニングをしているかによります。

「東京SOS」の音響効果ですが、あまり、効果的に作られているようには
聞こえませんでした。サウンドデザインも映像同様チープに感じたのです。

例えばゴジラが出てくるシーンも重低音を聞かせて、前振りを作り、
映像をかぶせるとか、リアのサラウンドを効果的に利用して
残響音を聞かせるとか、余り感じられませんでした。
例えば地下鉄のラインをバイクで走るんだったら、もう少しリアの残響音を
効かせればいいのにと思いました。

ちなみにお台場の「メディアージュ」は東宝直営のシネコンですが、
音的にはあまり感心しませんでした。これも、個々の劇場のチューニングに
よります。もっとシビアに言えば、掛ける映画毎にチューニングすべきです。
まあ、無理でしょうね。

ではでは
 

143  Re:ゴジラ映画の音響効果について。 殿様ギドラ  2003/12/23 14:52
  男性 41歳 O型 
 おお、音響についての深いお話ですね。
そっちのほうは詳しくないので、ROM専になっちゃうかもしれませんがお気づきの点はなんでも書いてください。

私がGMMGを見たときもあまり音は良くなかったですね。
オーチャードホールはもともと映画館ではないので残響がきつすぎるのが毎年不満。
ハム太郎を見に行ったときは、某、いや言っちゃってもいいでしょう、歌舞伎町のコマ東宝だったんですが、
確かにハム太郎のほうがメリハリのあるちゃんとした音に聞こえました。
それに対して、ゴジラは全体にヌルい音というか、高音も低音も足りない感じで、さらに右チャンネルから恒常的に高周波ノイズが・・・。
(劇場施設案内ではドルビーSRDと書いてあったはずなんですが)

145  Re:ゴジラ映画の音響効果について。 三沢狸   2003/12/23 15:15
  男性 O型 
 オーチャードホールは時々コンサートを聴きに行くのですが
あまり良いホールとは思えませんでした。
すごい音だなと感じたホールは「サントリーホール」と
「紀尾井ホール」ぐらいでしょうか。
「オペラシティ」もあまり良いようには思えないのですが、
これは体調の問題もあったかもしれません。
風邪引いて鼻がぐずぐずいっている時に見に行っても
集中できないですから(^^;)

もっとも人のいり具合で音響も変化するので、微妙なところです。
音というのは煮詰めるとすごくなってしまうので
何とも言えないのですが、映画の魅力を十分発揮する為に
制作者の方々は努力して欲しいと思います。
ではでは


146  今日、もう一度見てきました。 コクラ   2003/12/23 15:51
  
 さて、見てきたところで、問題のラストシーンについてもう一度書きたいと思います。

国際映画祭のときとは違い、今回は機龍とゴジラの行動をじぃーっくり見てみました。
以前私は、「機龍はゴジラといっしょに海に帰った」と書きましたが、少ないながらもその辺の描写はなされていました。倒れたゴジラを抱きかかえる機龍。そ のときのゆったりとした動作には、母親の優しさが見え隠れしていたように思えます。殿様ギドラさんが「自然な受け止め方をすれば、機龍は人間のためにゴジ ラを排除したと考えるのが妥当では?」とおっしゃいましたが、覚醒した初代ゴジラからすれば、深手を負い、糸でグルグル巻きにされた瀕死の我が子をみてど う思うでしょうか?恐らく、これ以上傷つけたくないと思うはずです。時間から考えて、機龍の残存エネルギーは少なかったと思われます。それをすべて使い 切って、動けないゴジラを海へ連れて行ったと考えられます。
よく「機龍が人間を助けるなんておかしい」といわれますが、義人を助けたのは、今まで自分を見てくれたほんのお礼程度で、「人間」という種族に対しての怒 りの炎はまだくすぶっていたと思います。

追記
機龍の記憶に関しては、前作の1シーンで機龍の内部にニューロン(脳細胞)があることが確認されています。そもそも劇中での描写は少ないのですが、機龍は 手塚監督によると「クローンゴジラを鎧で覆った」ということですので、脳も復元されていたようです。

それでは、失礼しました。

147  Re:今日、もう一度見てきました。 殿様ギドラ  2003/12/23 19:17
  男性 41歳 O型 
 どーでしょうかねー。
ラストの流れをおさらいすれば、
ゴジラが倒れたのは機龍の攻撃によってです。
モスラ幼虫は倒されたゴジラをぐるぐる巻きにしたにすぎません。
もちろん、ゴジラにとどめを刺せという命令に逆らったのは同族を殺したくはないという意識の表れでしょう。

しかし。
ゴジラを助けるために日本海溝に飛び込むという理屈は通らないのでは?
機龍が攻撃しなければ、ゴジラは傷つくことはないのです。
ゴジラを助けようというならまずはモスラの糸を外してやるのが筋でしょう。
(失礼ながら、機龍とゴジラが親子であるという描写は皆無なので、それを前提するのは変ですよ)

また日本海溝というのはとてつもなく深い海という象徴的な意味合いもあるはずです。つまり通常の生物が生息出来る場所ではないのです。
(ゴジラは通常の生物ではありませんが、核実験の影響で住処を追い出されたという山根説を信じれば、絶対に日本海溝で生活していたはずはない)
永遠に人間たちの前から姿を消すという意味でしょう。

それをゴジラが望んでいるのか?

機龍シリーズのゴジラは、同族に会うためだけに人間界に現れていますから
元祖ゴジラとは別物ではありますので、機龍と一緒になりさえすればもう我々の世界に出てくる必要がないのかもしれませんけど。

義人を助けた件。
これは以前も書いていますが、通常の機龍には意志がないのです。
(ゴジラの攻撃を避けるという行動すらオペレーターの操作に頼らなければならない)
初代ゴジラの意識を宿した機龍に義人への感謝の念など湧こうはずもないのでは?

コクラさんもおっしゃっていますが、人類への怒りの炎があるのなら、やはり最後の行動は変でしょう。

さて、機龍がゴジラのクローンではないことは前作ではっきりと述べられていますよ。
また、以前も書いたように出来事に対する判断能力を必要としないロボットに大脳の機能はいらないです。
DNAコンピュータというのは、大脳をシミュレーションするようなものではないですよ。
もし、機龍にニューロンがあると示す映像があったとしたら、(あの初代ゴジラの記憶が蘇るシークエンスの最初に映る繊維様のもの?私はDNAを見せたのか な、と思っていた)観客に対する裏切りですね。
湯原がゴジラのクローンを作るのか?といったとき、明確に「クローンではない」と否定しているではないですか。
そのセリフが嘘だったとでも言うのでしょうか。

148  Re:今日、もう一度見てきました。 殿様ギドラ  2003/12/23 23:25
  男性 41歳 O型 
 上の書き込み、最後のほうがちょいとキツイ書き方になってしまいました。
どうかお許しを。

機龍がゴジラを日本海溝へ連れて行くくだりについての私の受け止め方は、詳しいことを「シナリオ決定稿を読みながらシリーズ」でまた書きたいと思っていま す。


149  全体を思い返して 殿様ギドラ メール  2003/12/23 23:33
  男性 41歳 O型 
 連載(?)中の「シナリオ決定稿を読みながら」シリーズを書きながら改めて思うのは、
つくづく怪獣をないがしろにした映画だったな、ということです。

たとえば、ゴジラが初代ゴジラの骨を目指して日本に来ているのではないかという説明はあるものの、
映像構成としてゴジラが機龍に執着しているような見せ方がないのです。
ゴジラと機龍の出会いは(前作も)機龍がいきなりゴジラにアタックするような形になっていて、機龍を目の前にしたゴジラが何を感じているのかを丁寧に感じ させるような作りになっていないです。
(前作の八景島は少しましだったか)

今回のモスラも人間にとって都合良く動くだけ。

怪獣の心を本当に考えているのでしょうか?
それぞれの立場によって行動が変わってくるのは人間も怪獣も同じはず。
ストーリーを考えるときに、真に怪獣の立場に立ってその行動を考えたのでしょうか。

そこに疑問を感じます。
(ストーリーの問題はそれだけにとどまらない・・・)


150  えーっと、 コクラ   2003/12/24 01:25
  
 >ゴジラを助けようというならまずはモスラの糸を外してやるのが筋でしょう。
ゴジラはその時には既に、立ち上がる力すらないほどの重傷を負っています。糸を外したところで、ゴジラは自力で海へ帰れたでしょうか?

>機龍とゴジラが親子であるという描写は皆無
劇中では説明なされてませんが、設定ではそうなっているようです。(パンフレット参照)映画のみの描写を頼りにすれば、ただの同族と言うことになります ね。
(この関係こそ小美人に言わせるべきだったのでは・・・?)

>「クローンではない」と否定しているではないですか
「生体ロボット」というのは、前作での説明があるように、足りない部分を機械で補っている生き物のことです。あれは「完全なクローンを造るのではない」と いう意味だったのではないでしょうか?実際、予算の関係でシーンにはされなかったのですが、前作では水槽の中で、初代ゴジラの骨に筋肉等の肉体組織が付い ていく場面が予定されていました。

反論になってしまい、申し訳ありません。

151  Re:えーっと、 殿様ギドラ  2003/12/24 15:01
  男性 41歳 O型 
 ぐるぐる巻きのまま海に落ちるよりは、糸を外してやったほうがいいんじゃないでしょうか・・。
このあたりの詳しいことは「シナリオを読みながら」のラストで詳しく書きますので。

確かにゴジラを抱えるときの機龍の動きには柔らかさがあったとは認めます。
親子かどうかは置いておくとして、それでも機龍(初代ゴジラ)が現ゴジラを助けるつもりで海へ連れ去ったのではないことはシナリオを読みつつ、ほぼ確信し ました。

えーと、機龍の成り立ちについてですが、生体ロボットであることが脳も再生したことの証明にはなりませんよ。
機龍においては、制御系にDNAコンピュータを使っており、その行動はすべてオペレーターの操作によるのですから、脳は要らないんですよ。
いらない器官をわざわざ搭載するはずはないでしょう。
普段の機龍にはいかなる意識もないと思われますよ。


152  シナリオ 決定稿を読みながらPart3 殿様ギドラ  2003/12/24 15:04
  男性 41歳 O型 
 シーン43から101

秋葉の父に呼び出されて別荘での出来事について尋ねられる義人。
(秋葉の父が別荘にモスラが来たことを知っているのは不自然であるとはすでに書きました)
シナリオではかなりはっきりと機龍反対派の活動であることが書かれていますが、
完成作では少しぼかしてあって、モスラがゴジラと戦ってくれるなら機龍は要らないことになるんじゃないかとほのめかす程度。
それはいいんですが、よくわからないのが「別荘でのことは本当にあったことなのかね」という秋葉(父)の問いに
義人がなんと答えたのかを伏せていること。

義人をどういう人物に見せたいのでしょうか?
実直な正直者なのであれば、事実を事実として認めるのは当然でしょう。
別荘にモスラと小美人が現れたのは事実である、と認めることにもったいをつける必要がどこにあるのでしょう。
もし、質問が「君は機龍を必要だと思うかね?」というものだったなら、作品の根幹に迫る質問ですから
義人の答えを観客に教えず、客の判断にゆだねるというやり方もあるでしょう。
しかし、そういうことではありません。

さらに続くシーン45・46がまたわけがわかりません。
中條信一が防衛庁に現れるのはどうして?
何しに来たの?
普段義人は八王子にいるのですから、義人に会いに来たとは思えません。
さらに、モスラの警告を世間に広める活動もしていないのですから、防衛庁に直訴に来たとも思えません。
二人の会話は、信一の
「それで義人はなんと答えたんだ?」から始まりますから、秋葉(父)の質問でカットアウトしたシーン43の続きを信一が尋ねていることになります。
それにもやはり義人は答えません。
モスラと小美人が来たのか来ないのかと聞かれただけなのに、なんでその答えをそこまでして隠す必要があるのか???
挙げ句、「おまえはおまえが正しいと思うことをやればいい」って、なにがなんだか話が全然つながりません。

きっと観客には全く見せていない秋葉(父)とのやりとりがあり、それについて信一が感想を述べているんでしょうね。
理解不能です。
そして最後まで信一が防衛庁に来た目的もわかりません。

次のシーン47以降でゴジラ登場となります。
哨戒機が発見して、艦船による攻撃となるわけですが、さらにその先の品川上陸シーンと合わせて、すごく惜しいです。
品川上陸時には、凪いだ海面に敷設機雷による水柱が上がるという形で海底をだんだん近づいてくるゴジラというものをうまく表現していました。
歩哨に立っている自衛隊員の目の前で海面が盛り上がり、「出たーーー、ゴジラだーーー」という感覚を作り出すことに成功していたとは思います。
が。
さて、海上での攻撃シーンへと戻ります。
ここで、すでにたいした盛り上げもなくゴジラが顔を見せてしまっているんですよ。
自衛隊員の驚きもなく、あっさりゴジラが出ましたとマスコミも報道しはじめる始末。

これでは品川の驚きも間抜けになってしまいます。

あくまでも品川に上陸するまでは、ゴジラかどうかわからないということにすべきだったでしょう。
海面には潜行波が見えるだけで、海中に何か大きなものがいるということが水中探知機には映っている、と。
それに向かって魚雷や爆雷を放つ形で良かったのでは?

ゴジラ以外の怪獣が頻繁に現れる世界なのですから、相手がゴジラでなくても戦いやすい品川に誘導するのは当然ですし。
しかしゴジラを品川へ誘導せよ、という作戦はオッケーなんですが、どうして誘導するさまを見せないのですか!
指揮官がセリフで命令を出すだけでは描写といえません。
ゴジラが品川に上陸したのが、自衛隊による誘導の結果だということを覚えている人はほとんどいないと思われます。
映画というのは見せてナンボのもんですよ。

ゴジラ出現を受けて、機龍の出撃準備が整えられます。
この段階では五十嵐も機龍でゴジラを迎え撃つつもりのようです。

さて、ちょっと前後しますが、避難命令が出されて、自衛隊が各地に展開し・・・・。
中條家も避難しようかな、というところでまたもつまづきました。
瞬がいないことを母親が信一に伝え、信一は単身で瞬を探しに行くというくだりは無理がありますよ。
母はほとんどドラマに絡みませんから、ここから先のあれこれに母親を絡めるべきではないのは当然。
しかし、ゴジラ接近で避難命令が出されているときに息子が行方不明になっているのに、
おじいちゃんから「先に避難所へ行ってなさい」と言われただけで一緒に探しに行くのをやめる母親ってなんでしょうね。
細かいことではありますがどうでもいいことではありませんよ。
こういうところで人間の心理を正確に描かないと真実味が出ないのです。
瞬を探しに行くのをおじいちゃん一人にしたかったなら、もっと自然な流れでそうなるようにストーリーを作りましょう。
(だぁかぁらぁ、母親の登場はもっと早い段階で済ませておいて、ここでは母親不在のときに避難命令が出され、瞬が見あたらないことに信一が単独で気づけば いいのです)

瞬くんは校庭にモスラの紋章を描いているわけですが・・・。
なんで机を並べる必要があったんでしょう。
ひどく不自然でした。
そもそも中條信一やスッポンの善ちゃんたちは滑走路に塗料で紋章を描いたんですよ。
その話を聞いているはずの瞬くんが、わざわざやりにくい方法で紋章を描くとは・・・。
学校であり、校内に侵入することに成功しているのですから、体育用具置き場からグラウンドのライン引き(白い粉が出る奴ね)を持ってくれば済んだでしょ う。
わざわざ机を並べさせたのは、何年か前に実際にあったいたずらがヒントになっているのでは?
おもしろくもなんともないです。

この様子を上空の報道ヘリが捉えているというのは、うまいやり方でした。
(GMKでも酷似したシーンがありましたが)
これによって、自然にカメラポジションを俯瞰にすることが出来ています。
せっかくのモスラの紋章を上から見下ろさなければ意味ないですから。

夕日の中、モスラ出現。(いままで何をしていたんだという疑問はあるが、それはさほど問題ではない)
ゴジラ対モスラが始まります。

(ゴジラがモスラの脚を食いちぎるのはイヤなシーン。モスラを見失ってしばしきょろきょろするゴジラのカットはテンポ悪すぎ・・・)

そのとたん、五十嵐は機龍を使うのをやめてしまいます。
これは、モスラを信用したということなのでしょうか?
それにしてもわからないのは、機龍を使わないのはともかく、それ以外の兵器も完全沈黙。
自衛隊は一切モスラの援護をしません。
無人の町でゴジラとモスラがやり合うだけ。
これではウルトラファイトだと言われてもしょうがない・・・。

五十嵐から機龍に待機命令(なんで総理から命令が来るのかなぁ)が出されたところで再び秋葉(父)登場。
シーン75です。
このシーンもよくわからなかったです。
信一と瞬が校庭にいるところを捉えた報道VTRを自衛隊が入手しているようですね。
モニターにタイムコードが表示されているので、原版のコピーでしょうか。
速っっ!!夕方撮影されたものをあっという間にテレビ局からダビングしてもらったのでしょうか?
しかも、報道VTRはそう簡単にほかの会社組織にダビングするものではないでしょう。
言論の自由を守るために、厳しい規定があったはずです。
なんのことはない、テレビ番組を録画したビデオということで十分だったはず。
それにしても、秋葉(父)はゴジラ出現、機龍が出撃するかもというときにモスラの紋章がテレビに映ったからといってわざわざ八王子まで来たんでしょうか。
秋葉(父)ってなんでしょうね。←最後まで役職がわからなかった。
結局、このシーンで秋葉(父)がなにしに機龍隊まで来たのかさっぱりわかりません。
さほど緊急性もない質問を義人にするだけです。
これまた、ものごとの自然な流れより作り手の都合を優先した結果であります。

義人に、叔父と甥が行方不明になっていることを教えるシーンを作りたかったのでしょう。

つづくシーン76も良くない。
すでにゴジラとモスラが都内で戦っているんですよ。
事態は急を告げているはずです。
それなのに、富樫と義人が廊下で秋葉(父)の立場を想像したりして、緊張感をそぐこと甚だしいです。
このシーン、映画祭で見た後しばらく経ったときには、最初に防衛庁で秋葉(父)に呼び出されたエピソードのすぐあとだったように記憶が書き換わっていまし た。

そのあと画面はゴジラとモスラに戻るのですが、人間側の芝居が差し挟まれてかなりの時間経過があったと思われるのに、
ゴジラ対モスラの戦況に変化が見られないのはいかがなものか。
それ以後も同じで、人間側の芝居が挿入されている間、怪獣たちは動きを止めてカメラが戻ってくるのを待っているように見えました。
二匹の戦いにカメラが戻ってきたところで鱗粉攻撃が始まります。
鱗粉の誘爆(?)が起こったところで、東京タワーに設けられた指揮所から自衛隊が撤退します。
この撤退、早すぎますよ。
あとの東京タワー倒壊と絡むことです。

さて、鱗粉攻撃を見た中條信一による解説もありました。
この解説シーン、映像構成が悪かった!
まず画面下手(左側)から中條の顔がフレームインします。視線は上手(右側)へ向けている。
中條の視線の先にゴジラとモスラがいるらしい。
そうなると、中條はゴジラとモスラの方向へ移動しているように見えました。
二匹の戦況をよく見るために近づいていっているのか、と。
しかし、最終的には振り向いて反対方向へ去っていく。
最初のカットで大失敗しています。
画面上手からフレームインして、下手まで移動したところで怪獣たちの方を振り向くべきだったでしょう。
最初のカットのせいで、私は状況が飲み込めず混乱しました。

また、ここでモスラの鱗粉攻撃がどんな意味を持つか、なんてことを中條に解説させる必要もないです。
そういうことは映像で見せればいいのです。
中條がモスラの鱗粉について詳しい知識を持っているのも変でしょう。
小美人と会うのも43年ぶりであり、この世界のモスラは43年間インファント島から外へは出ていないと思われますが?
(『モスラ対ゴジラ』にも似たような解説セリフがありましたが、状況が全然違います。小美人による説明があってしかるべき状況になっていました)

また、カメラ前から去っていく中條と瞬に、走り続けた疲労がぜんぜん感じられませんでした。
(学校から去ったのは夕方。ここではもうあたりは真っ暗である。何時間走っていることか)

小笠原のモスラの卵がインサートされて、いよいよモスラが負けそうというくだりになりますが・・・。
この、小笠原に産卵しましたというストーリー、なんとかならなかったのでしょうか?
冒頭、小笠原上空で姿を消したモスラが、曾孫島で産卵してました、ということなのですよね。
それから何ヶ月経ったのでしょう。
モスラの卵は産卵してから何年もかけて土の中で大きくなるものなのですよ。
せっかくちゃんとした設定があるのに、それを無視して突っ込みどころを増やしています。
あんなでかい卵がモスラのどこから出てくるのか?小さい状態で生んだとしてもほんの何ヶ月かで何十倍にも膨れあがるのか?
きっと、幼虫モスラが駆けつけるタイミングを調整しようと思って東京に近いところに生み付けたことにしたのでしょうね。
そんな小手先の技を使うより、劇中での孵化のタイミングを調整すればインファント島から泳いで来ても大丈夫ですよ。
(インファント島は日本から見て地球の裏側というほど遠いわけではない。少なくともオーストラリアより近いのである。
さらにモスラ幼虫の泳ぐ速度は人間の船よりずっと速いと思われるが?)

さあ、シーン82、機龍出撃を決断する総理です。
これはまったく納得いきませんでした。
まず、機龍発進をやめさせたのは、五十嵐です。
これは中條から聞かされたとおりモスラがゴジラと戦いに来てくれたからだと思われます。
ということは、モスラ&小美人を信用したのですよね。
小美人はなんと言ったか。
「ゴジラが現れたときは、モスラが命を賭けて戦います。機龍を捨てないならモスラは人間の敵にならねばなりません」
五十嵐が機龍発進を決断したときの言葉を思い出しましょう。
「今後どれほどの災いが降りかかろうと、我々のために戦っている仲間を見殺しには出来ない。我々は臆病者ではない」
だそうです。

まず、モスラは死を覚悟してまで機龍を使ってくれるな、と言っているのです。
それをモスラが死にそうだからと機龍を使うのはおかしくないですか?
さらに、五十嵐の個人的な感情はどうあれ、日本国民を守らねばならない立場にあるんじゃないですか?
「今後どれほどの災いが降りかかろうと」とはよくも言ってくれましたね。
モスラを助けるという名目で日本人に玉砕せよと言うのですか?
(なーんか、似たような論理が昔まかり通っていたようにも思いますが)
「我々は臆病者ではない」ですと!
臆病とか勇敢とかそういうレベルの見栄で軍隊を動かす戦闘をされたのではたまりませんよ。
そんなに男気があるなら、通常の兵器やメーサー車でモスラ援護をやらなかったのはどうしてさっっ。

ぜんぜんダメ。

ということで、めでたく機龍発進となるわけですが、その発進直前にも余計なやりとりが・・・。
またしても廊下。
梓や秋葉たちに義人が呼びかけるところです。
機龍の駆動系統がどうとかと運用上の重要な問題を出撃直前のパイロットに廊下で教えているわけです。
機龍はゴジラ出現の時点で出撃準備が出来ているのです。
五十嵐の命令で出ていかなかっただけなのです。
そんな大事な連絡事項は正式なブリーフィングで済ませておきやがれっ!
およそ緊張感のない出撃でした。
大体、機龍オペレーターはしらさぎのコックピット内で待機していなさい。
(通信機で義人がなにかしらメッセージを送るならともかく・・)

ああもう、問題はまだまだ続きます。
機龍発進(これを見上げる秋葉父。これで父の出番はおしまい。なんのために出てきた人物なのか??)ののち、シーン87。
神崎曰く「発進までが俺たちの仕事だ。ここはもういいぞ」だそうで。
ちょっと待ってくださいよ。
整備班だからといって、発進した後はお役ご免ということはないでしょう。
八王子からそんなに遠くないところでこれからゴジラと機龍が戦うのですよ。
待機でしょうに。(実際、このあと機龍修理の必要に迫られる)
挙げ句の果てに、叔父と甥を捜させるために車のキー(この鍵がやけにでかく見えた)まで貸すとは。
職務怠慢ですね。
これも、義人にヒロイックな活躍をさせたいという作り手の意図が見えてイヤでした。
信一と瞬の救出こそ、消防隊や警察といった社会的活動にゆだねるべきだったはずです。
人の波に逆らって瞬を探しに行く信一に対して避難誘導の婦警さんが「おじいちゃん、危ないですよー」としつこく叫んでいたではないですか。
さらに、二人の姿をテレビが捉えているのですよ。
ここに名も無き「ヒーロー」たちの活躍をほんの少しでも描いておけば、怪獣出現という事件のスケールを感じさせることが出来たでしょう。
義人には、このあと機龍修理のために単身危険区域へ乗り込むというシーンがあるのですから、同様な行動を二回もやらせなくていいです。

それから東京タワー倒壊になるわけですが・・・。
あっさりしすぎですよ。
倒壊の直前にタワー指揮所の撤退を持ってくれば良かったのに。
ゴジラ、モスラが東京タワーに近づいてくるのを受けて撤退命令発令、しかし、自衛官たちが完全には逃げていないうちにゴジラの放射火焔で
タワーが炎上倒壊、となれば緊迫感も出たでしょうに。
(なんで大展望台があんなに激しく爆発するんでしょう。自衛隊は撤退していますから、弾薬があったとも考えられません。熱線で鉄骨が溶けるという描写を見 たいものです)

さて、シナリオではわりと機龍とモスラが連携して戦っているような書き方をしているのですが、完成作にはそんな印象がないです。
機龍登場と同時にモスラの存在が希薄になってしまっていたように覚えています。
また、機龍が出撃したことを曾孫島で感知する小美人にも注目しておきたいところです。(かなりの感知能力がある)
そして、機龍が出撃したにもかかわらず、モスラが人間の敵になることもありません。


義人が信一たちを探しているところを挟みつつ、モスラの卵孵化。
どうしてなのかなぁ。なんで小美人にそれぞれ名前を付けなきゃいけなかったのかなぁ?
シナリオにはそんなセリフはないです。
小美人というのは、二人で一人。全く同一のパーソナリティを持つものではないでしょうか?
それが互いを区別するための別の名前を持っているというのはなんだか変ですよ。
もちろん、今回の小美人は双子ではないので、まったく同様には見えないわけですが。
なんだか平成モスラシリーズのイメージを取り込もうとしているように見えました。

義人による叔父・甥探索にも問題を感じました。
物語には偶然による劇的作用というのは必要なことではあります。
しかし、偶然を重ねすぎると現実味がなくなります。

紋章を描いた校庭に碑文の石が落ちているというのが相当苦しい偶然です。
そんな大事なものを瞬が落としたのですね?
しかも、先行するシーンに落としたことを伝えるカットもなかったはずです。
真っ暗になってから二人を探しに来た義人が偶然、小さな石を見つけるのも苦しい。
そのうえ、碑文の石が二人の居所を案内するとはやりすぎでしょう。
もともと不思議な現象を起こす石だという触れ込みならまだしも、なんのネタ振りもなく突然主人公の望みを叶えるのでは・・・。
小美人が幼虫モスラに乗って東京に急ぎながらテレパシーで義人に二人の居所を伝える、というぐらいでも良かったんじゃないでしょうか。
(私は義人が二人を捜すことに大いなる不自然さを感じたのでどちらでも同じようなものですけど)

そして、瓦礫に埋まった二人を発見するのがシーン101。
機龍とゴジラの戦いが差し挟まれますが、どうも、その戦闘シーンのテンションが義人の探索行に引き継がれていないです。
まったく別のストーリーを無理矢理繋いだような印象でした。
(義人の近くで戦いが行われているフシもあるんですが、雰囲気がつながっていないんですよ)

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153  Re.えーっと コクラ   2003/12/24 19:23
  
 >それでも機龍(初代ゴジラ)が現ゴジラを助けるつもりで海へ連れ去ったのではないことは
>シナリオを読みつつ、ほぼ確信しました。
では、殿様ギドラさんの考えはどのようなものなのでしょうか?

>制御系にDNAコンピュータを使っており、その行動はすべてオペレーターの操作によるのですから、
>脳は要らないんですよ。
機龍の詳しい構造としては、「しらさぎからのコマンドを内蔵されたスーパーコンピュータで処理し、それをDNAコンピュータの驚異的な速度で伝達すること で、生物のような滑らかな動作を(以下省略)」ということです。DNAコンピュータは4つの塩基で演算処理力が驚異的に高いコンピュータで、使われている のは伝達系ですので、お間違いがないように。

ゴジラマガジンの脚本の三村さんへのインタビュー文に、こんな記述がありました。

--でも、DNAは全部の生物にあるわけで。ゴジラのDNAでなくても稼動ネットワークは作れますよね。
三村
そうそう、そこはだから、適応性だよね、骨との適応性を考えた場合、ゴジラのDNAを使うのがベストじゃないかと。それが一番、機敏な反応が可能になるだ ろうということですね。
--なるほど、ゴジラの骨は、ゴジラで動かせ、と。じゃ、機龍の中身、骨の関節などは完全に生きてるわけですね。
三村
そう、生きてる。
--ゴジラの筋肉組織や神経組織も完全に再生されてるわけですか。機龍の中では。
三村
うん、そこも始めは書いてあったんだけどね。ホンに。撮影の都合かそれはなくなって。はじめはきちんと、機龍が建造されていく過程を見せようという話も あったんだよ。それはゴジラの再生プロセスでもあるけど。そのディティールを細かく描こうと。筋肉が、こうついていくとかね。だんだん水槽の中でゴジラに なっていくというね、そういう経過を描こうともしてたんだけど、予算の関係か、結局は、ほぼ完成して登場することになった(笑)。だから最初は、ハムス ターの場面と、茜が走ったりトレーニングする場面と、さらに機龍の開発過程をカットバックする予定だったんです。3つのカットバックで、3年間を描こうと していたわけですね。でも、機龍は割愛になった。まあ予算面かな。機龍は、ゴジラが鎧を着てるようなもの。でも、中身は…今回は見せなくてもいいかなと。

こういうことだそうです。微妙ですね。(笑)というより、そんな重要なシーンが潰れてしまったのは非常に残念です。

154  Re:Re.えーっと 殿様ギドラ  2003/12/24 20:26
  男性 41歳 O型 
 >「しらさぎからのコマンドを内蔵されたスーパーコンピュータで処理し、
>それをDNAコンピュータの驚異的な速度で伝達することで、
>生物のような滑らかな動作を(以下省略)」
   ↑
これ、パンフレットからですね。
コンピュータについての概念が間違ってるんじゃ・・。
伝達系にコンピュータを使うというのはどういうこと?
機龍におけるDNAコンピュータは制御系に使われているのでしょう?
劇中ではそのように解説されていたと覚えていますよ。
(またそうでないと高速、というより並行処理が得意なDNAコンピュータを使う意味がない)

三村さんの適応性の解説も科学的ではないです。
DNAコンピュータというのは、生体組織ではありません。
たとえ骨の中にDNAコンピュータを仕込んだとしても、それが体組織の一部になるというようなものではありません。
伝達系の神経ならゴジラの骨や筋肉との適応性が問題になるかもしれませんが、それはDNAコンピュータとは無関係です。

いずれにせよ、ゴジラの脳が再生されているという話はどこにもありませんね。(もちろん脳というのが神経細胞の集まりであることは知ってますよ。念のた め。使わない無駄な器官をわざわざ再生しないでしょ、ということです)

まあ、骨以外のゴジラの体組織も利用しているなら、そこを映像で見せるべきではありましたね。

機龍の最後の行動については、「シナリオ決定稿を読みながら最終パート」にまとめます。

それから同じ話題の続きの場合は「返信」を使っていただけるとありがたいです。


155  シナリオ決定稿を読みながらPart4(最終・長いよ!) 殿様ギドラ  2003/12/25 09:32
  男性 41歳 O型 
 ふう。疲れた。
ようやくエンディングまで来ました。
ま、毎回すごい長文ですから読んでいる人は少ないんでしょうね。

では、ラスト!

シーン102以降最後まで

ここで、機龍とゴジラの格闘をしばらく見せる形だったと思います。
機龍による背負い投げはいまいち感(ゴジラが持ち上げられるアクションに重量感がないか?)がありましたが、尻尾打ちはなかなか良かったです。
そして、迫る機龍にゴジラが尻尾で足払いをかけ、倒れ込むところに放射火焔を撃つという一連の動作はかなり良かった。
(前作でのゴジラの尻尾足払いを機龍がジャンプしてかわすという似たようなアクションより格段にカット割りが良かった)

機龍が損傷して動けなくなったところでモスラ幼虫到着。

幼虫モスラ対ゴジラの流れの中で、親モスラが焼き殺されるという描写。
(これがいやであることはすでに書きました)
幼虫モスラの怒りの表現と言うことで、目の色が変わる(青から赤へ)ようすがありましたが、うーん、そんなことしなくても良かったんじゃないでしょうか。
もともとモスラには赤目のものと青目のものがいたのでしょう?
それを明確に感情で目の色が変わるのだ、とやってしまうと、たとえば『怪獣総進撃』に登場するモスラは怪獣ランドにいるときも常に怒り狂っていたことに なっちゃいますよ。

さて、故障した機龍を現場で修理しなくては、ということになります。
(うーーーーーん、そういう事態は事前に予測出来るんじゃないでしょうか。最前線に整備班がいないというのも変な感じが・・・。メンテナンス部隊が配置さ れるべきでしょう)
まあ、偶然日比谷公園指揮所にいた義人が修理を買って出ることになります。
そこで前線の部隊は全力でこれを援護せよ、という命令が出されています。

そして、義人と援護隊が機龍に向かうのですが・・・。

私も出発するシーンでは不自然さに気がつかなかったのですが、ジープとたしか何か四駆の車2台に分乗していたと思います。
それが、戦闘の影響で道路が瓦礫に埋まっているために先へ進めなくなるという事態が。

これは不自然でしょう。
自衛隊の連絡網が混乱しているということはありませんし、戦闘地域の状況把握はなされていなければならないでしょう。
(描かれていませんが、航空機による監視も行っているのでしょう?)
出発前にすでに機龍に近づく道筋は決定されていたのではないですか?
予想外の事態で進行できなくなったとは思えません。
さらに、建物が多数崩壊している地域へ行くことは最初からわかっているのですから、なぜ不整地での行動を専門にしたバイク部隊を使わなかったのか?
特自は対怪獣の戦闘に慣れているはずです。市街戦でどうなるのかは熟知しているはずです。
バイク隊(ないし荒れ地を移動できる車両)を配備していなかったとするとそれも問題。

これも結局、機龍に乗り込むのを義人一人にしたかったという「都合」を優先させた結果ではありませんか?
(援護隊と協力して機龍修理に成功するという形のほうが、怪獣映画における人間の活躍にはふさわしいのに)

それから、ゴジラを機龍から引き離すために航空機による攻撃を加えるのはいいでしょう。
その囮役をなんでしらさぎがやるのですか!
しらさぎが撃ち落とされれば、機龍は動かなくなるのですよ。
機龍が直るまではしらさぎは退却するべきでしょう。

前線の部隊が全力で援護する話はどこへいってしまったのでしょう。
地上部隊も唐突にメーサー車が一台顔を出すだけ。

また、このゴジラ引き離し作戦も、ゴジラの周りをしらさぎがうるさく飛び回って弾を撃ち込むだけ。
ゴジラがどこへ向かっているのか、しらさぎがゴジラをどっちへ誘導したいのか、という大事な劇的要素を伝える映像がない。
作戦のようなものが何も感じられません。

さあ、乗り捨ててあったバイクを使って義人一人で機龍に近づいていきます。
地下鉄の線路づたいというのはいいでしょう。
その天井が地上の戦闘の影響で崩れる・・・。
どうもこのあたりも、義人の描写に入ったとたん、ゴジラ・モスラ・しらさぎの戦いが忘れられているような感じでした。
義人がバイクで走っている間も音や振動が激しく伝わってくるべきなのに、妙に静か。
(音楽の責任もある。音楽によって映像に関連が無くても同時進行のシーンであることを伝えることが出来るはずなのに)

ここでまたもわけのわからないシーンが。
瓦礫に埋まって荷物を見失った義人を小美人が助けるのです。
これから機龍を修理しようとしている人物を助けるとは?
モスラは機龍を廃棄させるために命がけで戦っているのではないですか?
ゴジラの骨で戦いの道具を作ったのは間違いなのではないですか?
この小美人の心変わりに納得のいく説明はなにもありません。
義人の命を助けるというような行為ならいいでしょう。
そうではなく、機龍を修理するための工具箱を見つけてやる必要はどこにもない!

また、このシーンでの義人のセリフもとんちんかん。
「機龍には日本人みんなの想いがこもってるんだ」とは?
まったくそんな雰囲気作りは出来ていませんでしたよ。
それどころか前半で描かれた機龍を取り巻く世論は、機龍を邪魔者に思っている感じが強いのですよ。
このセリフは、義人が勝手な思いこみの激しい人物であると言っているようなものです。
(また、ちゃんと日本人の総意で機龍が戦っているのだというドラマ作りが出来ていたほうが作品に筋が通るのですが・・)

機龍を修理するくだりは、シナリオ決定稿より完成作のほうがずーっと良かったです。
(シナリオではなにもかも義人一人の力でやってしまう)
整備班本部と無線でやりとりしながら、複数の人間の知恵で解決していくという演出はオッケーです。
(そういう感覚があるなら、機龍に取り付くところまではチームで動いていてもいいのに)

修理が完了した後で機龍内部に閉じこめられるのも、それをごまかして機龍隊に戦闘開始させるのも良いドラマでした。

それがねぇ。
機龍が動きだしたとたん、幼虫モスラがなにをしているのかさっぱりわからなくなってしまうんですよ。
シナリオでは、逃げる幼虫モスラを追ってゴジラが国会議事堂で向かうとなっているんですが、
完成作では機龍を目の前にしたゴジラがなんで議事堂へ向かったのかさっぱりわかりませんでした。

このあたりも、ゴジラが機龍に執着している感覚がぜんぜんないのです。
(もし私の見落としている点があるならどなたか指摘してください)

クライマックスであるにもかかわらず国会議事堂の崩壊にもなんら象徴的意味合いはないし・・・。

そして非常に不愉快な、ゴジラの肉体を切り刻むシーン。
ここも、実に重要な観念が含まれています。
機龍に初代ゴジラの骨が埋め込まれているとしても、その攻撃力はあくまでも人間の科学力の産物。
その機龍に、「ゴジラは負ける」のです。
あれは完全にゴジラの負けでしょう。
モスラの助太刀によって機龍がようやく勝ったという描写はない。

結局やってることは前作と同じ。
人間にはゴジラを倒すだけの科学力があるのだと言っちゃったわけです。
ゴジラ映画としてロボコン零点ですね。

もはや動けなくなったゴジラにモスラ幼虫が糸を吐いてぐるぐる巻きに・・・・。

おっと少し前後しました。
ゴジラが三連ハイパーメーサーを食らったところで、初代ゴジラの記憶が機龍の中に蘇り(茜のことを覚えているのは変)、それを義人が感知します。
(前作での湯原による改造は無効だったようですね。それなら前作のラストでも初代ゴジラの意識が目覚めるという展開をやるべきだったしょう。で、今回と同 じエンディングに持ち込めば一作で済んだ)
ここからすごいですよ。
よーく頭を整理してお読みください。

茜のセリフ「機龍はもう戦いたくないのかもしれない」を思い出しつつ、
義人は自分が機龍のことをわかっていなかったのだと気づくわけですが・・・・。

ちょっと待ってください。
義人は技術者であり、もともと機龍には意識などないことをよーく知っているはずでしょう。
エンジンが泣いているだのなんだのというのは、機械にのめり込んでいる自分の錯覚であることぐらい知っている人物でないとおかしいです。
機龍に対する思いも、良くできたマシーンに対する思い入れであり、その機能を十分発揮させてやりたいというエンジニアのものだったはず。

それが、機龍に何者か(初代ゴジラ)の意識が宿っていることを知ったときの反応が、
「お前のことを何も解っていなかったんだ」ではないでしょう。
機龍に意識があったことに驚きましょう。
その驚きが先で、初代ゴジラにはいままで接したことがないのですから解っていなくて当然なんですよ。
ここでは、
「お前は、機龍じゃなくて、ゴジラだったんだな!」という驚きにならねばなりません。
そのほうが観客に対してより正確に機龍が何者なのかを伝えるシーンになります。

さらに、「お前は眠りたかったんだ」という独白に続けて小美人の
「ゴジラの骨を海に返してあげてください」のセリフ。

このつなぎ方は、小美人が機龍を廃棄せよと言ったのは、初代ゴジラの望みが「静かに海の底で眠ること」だからと読めます。

そーゆーレベルのお話だったのか!
つまり他人のいやがることはやめましょうという倫理の話なんですな。
これまた怪獣映画を根底からひっくり返してくれますね。

怪獣映画は、人間も生きたい、怪獣も生きたい、しかし、怪獣がいると人間の生活が脅かされるから怪獣を殺すしかないという構図の中で展開するものでしょ う。
あるときは人間が大自然の力も借りて怪獣を撃滅し、その生存のための相克に涙する(『空の大怪獣ラドン』)ストーリーとなり、
またあるときは人間には怪獣撃滅は不能で怪獣同士の闘争にしか解決法がないことに人間の無力感を感じる(『キングコング対ゴジラ』)というものじゃないの でしょうか?

それを初代ゴジラが寝たいと言っているんだから寝かせましょう、というレベルの話をされてもねぇ。
じゃあ、現ゴジラによる破壊は見過ごすしかないの?
(あああああ、機龍シリーズでは機龍さえ作らなければゴジラも来ないのか。狭いストーリーですな。これではどうしようもなく人間が悪いだけですね)

我々が毎日のように食べている豚さんや牛さんは食べられることを望んでいるのか?という突っ込みも可能です。

さらに、この初代ゴジラが眠りたいと思っているという発想はどこから出てきたのか。
少なくともシリーズのここまでの流れからは予測できません。
(核実験で安住の地を追い出され、ちょいと上陸してみたら人間に攻撃され、海の中でまったりしていると変な装置で全身を溶かされてしまった。
はっと気がつくと町の真ん中に立っていて、むしゃくしゃするからあたりを壊していたのに、力が抜けて気を失い今日に至る・・なのに)
初代ゴジラには争いを避ける心があり、平穏を好む性格であってほしいという作り手の願望を段取り無視でぶち込んだだけに見えましたよ。
初代ゴジラには平穏に眠っていて欲しいと思ったのなら、そこへ向かうドラマを構築しなければならないでしょう。
それがおもしろい怪獣映画になるとも思えませんが。

あ、それは無理ですね。そんな初代ゴジラに対する思いやりがあったならメカゴジラの中にその骨を仕込もうなんて発想が出るはずがないです。

さあ、すさまじいシーンはまだ続きます。

そこに小美人のテレパシーが伝わってきます。
劇中の主な人物すべてにひとしく聞こえているようです。
またも死者の魂に触れるべきではない、という曖昧模糊とした主張。

ここでの問題は、五十嵐とその周囲でしょう。
五十嵐は聞こえてくる小美人の声にショックを受けた様子で、モニターに映るゴジラを見つめます。
「人間は自らの過ちに気づかないほど、愚かな生き物ではないはずです」と言われて苦しんでいるゴジラを見るわけです。
この映像構成では、ゴジラを苦しめたことが「過ち」であると受け取れるのですが、違いますか?
ここでゴジラに攻撃を加えている機龍を見ているなら別の意味になる。
その上で、五十嵐が発する言葉が
「ゴジラにとどめを」ですよ。
ずっこけました。
続けて「それで、機龍の使命は終わる」と言い放ち、となりの土橋がぎょっとするわけですが、
土橋の驚きが機龍の使命が終わることに対してであろうとは、シナリオを読んではじめて気がつきました。
映画を見ているときには、ゴジラに哀れを感じていると見えた総理が、「とどめをさせ」と言ったことにぎょっとしたのかと思いましたよ。
で、「作戦終了後、機龍を投棄する」と命じることになります。

さて、事態はなーんにも変わっていませんね。
もともと対ゴジラ兵器として作られた機龍。
総理もいつか機龍は廃棄するつもりだとは最初から言ってます。
ゴジラを倒したら投棄することになんの不自然もありませんし、何かを反省したということもないでしょう。

たとえ何かを反省したのだとしても、そのきっかけが小美人の呼びかけでしかないのです。
(苦しむゴジラは前作でも今作でも十分見ているでしょう)
これでは、ここまでの約90分はなんだったのということになります。
冒頭、五十嵐の頭の中に小美人がテレパシーを送れば万事オッケーじゃないの?

そのあと、とどめの三連メーサー発射コマンドを無視して機龍は勝手に動き始めます。
ゴジラを抱きかかえて、海へと飛んでいくわけです。
(初代ゴジラが海の底で眠りたいと思っていたとしても、現ゴジラがどう思っているのかは別である)

このあとの人間の反応は自然です。
「ゴジラを逃がそうとしているのか?」「機龍を撃ち落とせ」というセリフがあります。
前作での「暴走」から考えれば、人間を裏切ってゴジラを助けようとしているのだと考えるのが妥当ですよね。

ところが、ここに義人からの通信が入るのです。
「待ってください」と。
機龍はゴジラもろとも日本海溝に沈むつもりだから攻撃するなというわけです。
義人は初代ゴジラの意識と一瞬であれ、シンクロしたわけです。
ここでは初代ゴジラの代弁者という役割になっているのです。
(初代ゴジラが義人の意識を読んだかどうかはわからない)

作品の演出を整理しますよ。

機龍がゴジラを逃がそうとしているように見えたから、攻撃命令が出されました。
それを機龍の心に触れた義人が止めています。
まともに考えれば、義人は「機龍はゴジラを逃がそうとしているのではない」と言っているのと同義です。
「機龍はゴジラと一緒に日本海溝に沈むつもりなんです」という説明は、
逃がすのでなければ何をするのだ、
という疑問に先回りして答えているわけです。

相当はっきりと、初代ゴジラは現ゴジラをも葬ろうとしているのだという表現になっていると思われます。

義人の脱出劇の後、水没する直前に機龍の体からスチールワイアのようなものが多数発射され、ゴジラをさらに堅固に縛り付けるのです。
身投げした後、ゴジラが逃げないようにするためと思われますが?
(しかもゴジラはモスラの糸でがんじがらめになったままである)

これは明らかに人間のためにゴジラを排除する行動でしょう。
そこまでするなら三連ハイパーメーサーも撃てば?
(まあ、直接痛めつけるのは忍びなかったんでしょうね)

なんで初代ゴジラが仲間を海に投棄するんじゃ!(怒・怒・怒)

別の記事でも書きましたが、ストーリーをすべて取り扱うつもりなので、ここでも義人の脱出劇について触れましょう。
まず劇構成として、ここで人間にドラマの緊張感を担わせた結果、ゴジラと機龍の「心」を慮る「間」を無くしています。
もちろん、義人は脱出するべきでもないです。
ゴジラも機龍も深海深く沈んでいく(親モスラに至っては平穏な死を許されず、焼き殺されている)のに、
主要な人間にいっさい犠牲がないというのはひどすぎます。
脱出しようとする義人の動きを助ける初代ゴジラの意識も理解できません。
義人の存在にはついさっき気がついたばかりなのですよ。
普段の機龍には初代ゴジラの意識はありません。あるなら黙って操られているはずがない!
モニターに映し出される「SAYONARA YOSHITO」のメッセージは本当に余計でした。
これをやってしまったため、初代ゴジラが義人を助けたのだということに疑問の余地がありません。

実は、シナリオでは違っています。
機龍の機体が回転したのが初代ゴジラの意志によるものなのか偶然なのか、ある程度ぼかされているのです。
(書いた人ははっきり初代ゴジラが助けたのだと考えているようですが、劇を通じて明確にする気はないような作りです)
もちろん、モニターに映るメッセージもありませんから、初代ゴジラが義人を認識していたのかどうかわからない作りになっています。

海上のゴムボートでのセリフも完成作では
「機龍が助けてくれたんだ」と断定しているのに対し、シナリオでは
「機龍が助けてくれたのかな」と疑問型になっています。
このぐらいの曖昧さを残したほうが余韻が深まったはずです。

そして行動を見る限りなにも反省しておらず、予定通りゴジラを倒し、機龍が自らを投棄したのに、五十嵐総理は
「過ちを認める勇気を得た」などとまるでなにかいいことをしたかのような口ぶり。
五十嵐さんに説明して欲しいものです。
なにが過ちであったのか、これからどうするのか。

小美人もひどい。
「あなたがたの勇気に感謝します」とは?
人間が何をやったというのですか?
最後まで機龍を戦いの道具として使おうとしたではないですか。
そして「死者の魂は、時のゆりかごの中で永遠の眠りにつくことでしょう」なーんて、なにもかも終わったような態度。

バカ脚本もいい加減にしましょう。
エンドロールの後にどんなシーンがありましたか。
あれほどなにもかもお見通しだった小美人が、保存・研究されているゴジラやカメーバのDNAに気がつかないわけですね。
全体を見渡さずに、場当たりで書いた脚本の典型です。

エンディングは、モスラ幼虫が怪獣DNAの研究施設を破壊する様子でないといかんでしょう。
(モスラや小美人が死んだ生き物を人間がいじり回すことに嫌悪を感じるのは、まあ、納得できる)

そして、最後まで来たところで、冒頭の小美人の警告について。
小美人は不親切ですね。
機龍シリーズにおいては、ゴジラの出現はすべて初代ゴジラの骨のせいです。
初代ゴジラの骨を引き上げたことでゴジラが現れ、機龍を作ったことでさらにゴジラをおびきよせているのです。
機龍を捨てられないことの理由は何だったでしょう。
「ゴジラに対する唯一の対抗手段」
しかし、その機龍がゴジラを呼んでいるのですから、小美人の警告、というよりアドバイスは
「機龍を海に捨てなさい。そうすれば二度とゴジラは現れません」となるべきでしょう。
(ゴジラの心もテレパシーでわかるのでしょ?)
それを信じない人間たちとの対立になるべきでは?

筋が通らないことばかりで疲れる映画でした。

158  Re:シナリオ決定稿を読みながらPart4(最終・長いよ!) 通りすがり(以後のHNはコクラ)   2003/12/26 18:01
  男性 A型 
 > これから機龍を修理しようとしている人物を助けるとは?
> モスラは機龍を廃棄させるために命がけで戦っているのではないですか?
> ゴジラの骨で戦いの道具を作ったのは間違いなのではないですか?
> そうではなく、機龍を修理するための工具箱を見つけてやる必要はどこにもない!
これからの文はあくまで私の推測ですので、まじめに取らなくても結構です。

中盤のシーンにある、小美人の「機龍が動いてる!」という台詞は、もしかすると機龍自身が動いてるのではなく、「機龍の心」が動いてるという意味だったの ではないでしょうか。(機龍の意識については、下で詳しく書きます。)小美人は最初のうちは、機龍をただの「人間の戦いの道具」と取っていたのではないで しょうか。それがあの瞬間、機龍の中の意識を感じ取り、機龍(初代ゴジラ)の望み(望みがなんであれ、動けなければ話になりません)を叶えるために、小美 人はあえて工具箱を見つけさせたのではないでしょうか?

> 相当はっきりと、初代ゴジラは現ゴジラをも葬ろうとしているのだという表現になっていると思われます。
>> 義人の脱出劇の後、水没する直前に機龍の体からスチールワイアのようなものが多数発射され、ゴジラをさらに堅固に縛り付けるのです。
> 身投げした後、ゴジラが逃げないようにするためと思われますが?
> (しかもゴジラはモスラの糸でがんじがらめになったままである)
> これは明らかに人間のためにゴジラを排除する行動でしょう。
> そこまでするなら三連ハイパーメーサーも撃てば?
> (まあ、直接痛めつけるのは忍びなかったんでしょうね)
> なんで初代ゴジラが仲間を海に投棄するんじゃ!(怒・怒・怒)
今日、新しい考えが浮かんだので書きます。
もしかすると、あの時点(海に没する瞬間)で、ゴジラは既に死んでいたかもしれません。機龍がゴジラを眺めるシーンの時点で、ゴジラは正に死の一歩手前の 状態だったので、死んでもおかしくありません。(殿様ギドラさんの言うように、人間の力がゴジラを超えたという決定的欠陥は否めませんが)死んだ同胞と共 に海底で眠るために、一緒に連れ去ったのではないでしょうか。


機龍の意識に関してですが、機龍は通常、処理されたコマンドをDNAコンピュータで伝達することで動きます。機龍が、クローンゴジラを素体とした生体ロ ボットである場合、「意識」はクローンゴジラ自身が持ち得ます。この時点で、コマンドと機龍本来の意識は完全に切り離されています。そのため意識がどんな に働きかけても、通常はコマンドによる行動がなされてしまいます。最初の暴走の際、機龍がゴジラの咆哮を受けた瞬間、意識が「記憶」を取り戻すと同時にゴ ジラの声がDNAコンピュータにも干渉を与え、「意識」の支配下におかれたと考えられます。当然、DNAコンピュータその他各機械部分は電力で動くので、 最終的に機龍は停止してしまいます。
品川での戦いの中、機龍の遠隔操作システムは故障します。はたしてこれは本当に、熱線によるものだけなのでしょうか?戦いを拒む「意識」が働きかけて、遠 隔操作出来なくしたとも思えます。しかし、中に入った家城と向き合うことで、「意識」は人間の別の部分も見て、再び動き出したと思います。

長文、失礼しました。

159  しまった! コクラ   2003/12/26 18:03
  男性 A型 
 昔のHNが残ってました。すみません。

160  Re:うむむむ 殿様ギドラ  2003/12/28 06:49
  男性 41歳 O型 
 コクラさんが、まじめに取らなくてもいいとおっしゃっているのでレスするのも野暮なんですが・・。

機龍の中にクローンゴジラがそっくりそのまま入っているんじゃないかとか、
普段の機龍にも抑圧された意識があるんじゃないか、というのはかなり無理があるように思いますよ。

今回より前作のほうが機龍のメカニズムを類推するためのヒントが豊富だったと思います。
前作での機龍の描かれ方を子細に検討してみたいと思っていますが、年末年始のばたばたする時期に入ってしまったので、年明けまでお待ちください。

(伝達系に使われるコンピュータって意味がわからないっすよ。パンフの解説がいい加減なんだと解釈してましたが)

レスの続きはこちら


156  かっこよかった・・・のに りれう   2003/12/26 02:16
  女性 14歳 O型 
 はじめまして。学校も部活もおわり、やっと今日見に行きました。
前にかきこみされた方々の文章は一応読んだのですがそれを気にしてしまうと何も書けなくなってしまうのでわたしが思ったことなどを単刀直入に書いていきま す。
まず、最初に書いておきます。わたしはだれが監督をした、とかフィルムやらフィルターがなんちゃら、なんて全然分かりません。ただ、感動した、とか見にく かった、とかあれ?と思った所を書いていくだけです。
この映画を見て始めにおもったことは、「戦闘シーンが長いなあ。」です。
前作では、メカゴジラを作る計画から始まり暴走、暴走した原因をつきとめるなどドラマっぽいところが多くわたしはけっこう好きでした。
「モスラ対ゴジラ」もけっこう長いと思ったのですがこれほどではなかったです。
実はわたし宣伝などを見て今回は「なぜゴジラは日本を襲うのか」がはっきりするのだと思ってました。しかし劇中ではそのことについてはほとんどふれません でした。ゴジラの骨がゴジラを呼びよせている、というのは何か違う気がします。
次にモスラです。わたし、モスラ(特に成虫)が大好きです。今回もモスラをかなり楽しみにして見にいきました。しかし、前半はけっこう目立っていたのです が後半になるとどんどん影が薄れていき、いてもいなくてもいい存在になっていったのは悲しかったです。
小美人も何がしたいのか何を止めたいのかわからない感じでどうも違和感がありました。
と、ここで思った事なのですがなぜ小美人はモスラ(幼虫)が双子だとわかったとき悲しそうな顔をしたのでしょう。あと、「モスラが人間の敵になる」とは具 体的にどういうことなのか分かる方は教えてください。

あえて年齢や性別を明かしましたが、「こどものくせに」とかは思わないでください。たしかにわたしはこどもですがその前にみなさんと同じようにゴジラやモ スラが大好きな人間でもあるからです。

157  Re:かっこよかった・・・のに 殿様ギドラ メール  2003/12/26 10:19
  男性 41歳 O型 
 りれうさん、はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。

お若いことを気にしていらっしゃるご様子ですが、大丈夫ですよ。
私は年齢で差別するようなことはしません。
この掲示板に年齢・性別を表示する欄を作ったのは、根掘り葉掘り聞く前にある程度書き込む方のスタンスが見えるんじゃないかと思ったからです。
ただ、未成年の方の書き込みには大人の責任として指導みたいなことも言っちゃうかもしれません。
どうか、うるさがらずに参考にしてくださいね。

>わたしはだれが監督をした、とかフィルムやらフィルターがなんちゃら、なんて全然分かりません。

わからないことはわからないで構わないのですが、ちょっと書き方が投げやりになってますよ。
この書き方では、「監督」「フィルム」「フィルター」といった映画の要素を考える気はない、と読めてしまいます。
きっとそういうつもりではないのだと思いますので、誤解されないような丁寧な文章を心がけたほうがいいと思いますよ。

さて、りれうさんの感じ方は私にもよくわかります。

>戦闘シーンが長いなあ。
そうなんですよね。
だらだら戦い続ける感じになってるんですよ。
これは、怪獣の戦いと人間の動きを交互に見せていくとき、同時進行で事態が推移しているという雰囲気作りが出来ていないことが問題だったと思います。
人間側を見せているときは戦いの緊張感が完全になくなっているし、怪獣の戦いにはまったく人間が関わらないので関係ないお話をバラバラにしてくっつけた感 じになっているのです。

>ゴジラの骨がゴジラを呼びよせている、というのは何か違う気がします。
おっしゃるとおりです。
ゴジラの骨がゴジラを呼び寄せている、というのは言葉(セリフ)でいわれるだけで、具体的な描写(ゴジラの動きや鳴き方)でそれを見せようとはしていな かったですね。
今回は、ゴジラが八王子(機龍がいるところ)に向かうので、前作よりは少しましになっていますけど。

それからモスラがいてもいなくてもいい存在になっていったというのも大賛成。
小美人が何をしたかったのかは私にもよくわかりませんでした。
(ゴジラの骨から戦いの道具を作ったのは間違いだ、と言うわりに機龍の修理を助けるんだもんなー)

モスラ幼虫が双子であるとわかったときの小美人の表情をどう読むかは難しいところですね。
うれしさのあまり泣いていたとも見えないことはないです。

そして、りれうさんの疑問は私の疑問でもあります。
どなたか、「東京SOS」においてモスラが人間の敵になるとはどういうことなのか教えてください。
(映画の中では敵にはならなかったですよね?)



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