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開設しました [No.4]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/10/22 (月) 10:30

 

 

GMKの東京国際映画祭でのお披露目まであと2週間を切りました。

ネタばれOKですので、劇場公開より先に見た方の感想をまずはいただきたいと思います。(ネタばれ投稿の場合 は文頭にネタばれありと明記してねん)

また、まだ見ていない方でも事前情報から思うところがあればどんどん発言してください。

 

 

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ところで [No.5]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/22 (月) 11:16

議論歓迎とトップコメントに書きましたが、なにも堅苦しい場にするつもりもありませんので、

バカ話も歓迎します。

とはいえゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃(GMK)に期待するも、不安を持つも、また観賞後に満足した とか、怒り狂ったとか感想は正直に書いて欲しいです。

意見交換も必要ですし、感想が食い違ったとき、議論討論に発展するのは当然ですが、

話題が映画・芸術一般から外れた場合には該当記事を削除します。

管理者としては、まじめに特撮映画、怪獣映画、ゴジラ映画を考える場にしたいと思っています。


足跡をつけにきました(^^) [No.6]

投稿者:祝 二十郎 2001/10/22 (月) 23:05

 

 

どーも、ご無沙汰しちゃってすいません(^^ゞ

新掲示板が出来てる、ってんで早速やってきました。

金子監督は「ハム太郎目当てに来る子供には、GMKの内容は・・・」という

ニュアンスの発言をしてますけど、実際にどのようなモノに仕上がっているの

かどうか、11月3日にはきっちり観てきたいと思います。

では、また!

 

http://www.godzillamovies.org/

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いらっしゃ~い(三枝師匠) [No.8]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/23 (火) 09:06

さっそくのご訪問、ありがとうございます。

当掲示板は、GMK応援BBSではなくてGMKについて語ることをきっかけとしてゴジラ映画、怪獣映画、特撮 映画、さらには映画について考える場にしたいと思っておりますので、歯に衣着せぬ論評を期待しています。

どうぞよろしく。


こんばんわ [No.7]

投稿者:タコラ(ミレニアン) 2001/10/23 (火) 04:42

 

 

お久しぶりでございます。何時の間にか新しい掲示板が出来てますねえ。

現時点でも言いたい事は色々なんですが取りあえずは物を観てからという事で。

噂によれば画も話もけっこういいらしいそうですが果たして・・・?

ああ、また今宵も不安な夜・・・。

 

http://www2.odn.ne.jp/guccya-strange/

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ど~も~(芳村真理) [No.9]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/23 (火) 09:12

お久しぶりぶりです。

まあ、あと10日あまりですからねぇ。

でも観る前の事前情報からの印象も大事かも。

画も話もいい、というあたり、「話」がおもしろい、ということを構成が巧みということと混同している向きもあ りますから・・・。


GMKを観る前に [No.10]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/10/24 (水) 09:28

 

 

まずはゴジラ映画ってなんだ、という問題提起をしたいと思います。

シリーズ物にはなんらかの共通項があるからこそシリーズと言えるのだと思います。

ゴジラシリーズであれば、単純にゴジラが登場するからゴジラシリーズと呼ばれているわけです。

しかし、ゴジラが登場すればすべてゴジラシリーズなのか?

「快獣ブースカ」第一話にもゴジラが登場します。

それを以て、ブースカ第一話をゴジラシリーズの一本とみなせるのか?

私は否と考えます。

少なくともゴジラシリーズと呼ぶためにはゴジラが主役でなければならないと考えます。

この主役というのは、通常の物語の主役とは少し違っています。

人間が物語を見聞きして楽しむのは、先天的に持っている論理性をくすぐられるからです。

あるキャラクター、ある出来事が提示され、それが予想通りに動いたり、予想を裏切ったりすることで理性を刺激 されて「楽しむ」のです。

また、その出来事の連鎖からなんらかの「意味性」を見いだして「認識の快感」を感じることも物語の楽しみで しょう。

通常は、この物語を推進するキャラクター、出来事の推移を見渡しているキャラクターが主役となります。

ところがゴジラは、言葉を話さない(一部例外有り)ために観客に対してその物語の論理的な部分を提示すること が出来ません。←「言葉」は論理的なものです。

そういう意味で通常の主役とは違うと考えています。

ゴジラ映画におけるゴジラは、その動向が物語の主たる興味になるという意味で主役なのです。

その観点ではひょっとすると『日本沈没』の主役は日本列島かもしれません。

しかし、ゴジラと日本列島の決定的な違いは、ゴジラは言葉を持たなくても、確実に意志を持ち、性格を持つ存在 であることです。

私たちは、言葉が通じなくてもその意志や感情が見える存在には共感や反感を持つことが出来ます。

そして主役として認知するためには観客が「共感」出来ることが必須条件ではないかと考えています。(たとえ、 劇中では極悪な存在でも)

もし、いくら劇中頻繁に登場し、ストーリーの軸を担っていても、

一切親しみを感じない存在であれば、観客の意識はそのキャラクターから遠ざかり、忌避するようになるでしょ う。

そんな存在を主役として認知できるでしょうか?

(あるいはそんな存在が人気を得られるのか、と言い換えてもいいです)

エイリアンシリーズでは、一見主役に見える怪物(エイリアン)ではありますが、 あのキャラクターには共感のしようがありませんから、リプリーを事実上の主役にしています。

さらに、エイリアン4に至り、エイリアンに共感出来るような演出を持ち込んでいますね。

(あー、でもエイリアン1~3のエイリアンにも人気はあったのかぁ)

ということで、

ゴジラ映画とは、見終わったときに一番印象強いのがゴジラであり(物語の主たる興味がゴジラの動向である)、 かつゴジラを身近に感じる(共感する)ものでなければならないと考えています。

ゴジラと名付けられた怪獣が登場すればそれでゴジラ映画になる、という考えは、いささか単純すぎるのではない かと思いますが、いかがでしょうか。

 

 

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基本的に [No.11]

投稿者:Lans

- 2001/10/24 (水) 12:04

ghidorahさん、新BBS解説おめでとう御座います。

お祝いを兼ねて、早速いかせて頂きます!(笑)

私のスタンスは「正式公開」を観てから語る。

なので、GMKについては、いまは深く語りません。

ですが、ghidorahさんのおっしゃる事には激しく同意します。

ただ、主役というよりはストーリーの「キー」もしくは「コア」という言い方の方が認識しやすいように思えま す。

(単に表現の方法論にすぎませんが・・・)

この意味で、私はエイリアンを1作目からキーと認識しております。

あの作品はリプリ-を描く為の恐怖・重圧・ライバル・試練といったものとして、対極にエイリアンを置いていま す。

と言う事はリプリ-は単独では存在できないのです(キャラが起たない)

その意味でエイリアンはキーであり物語のコアなのです。

そして、作品中で最大の存在意義を有するキャラクターとして君臨するのです。

「リプリ-が居なくてもエイリアンという映画シリーズは存在できるが、エイリアンなしには存在できない」

私はゴジラも同様の存在であると考えています。

(その意味で私は「怪獣総進撃」や「平成ゴジラVSモスラ」などは、危ういギリギリな作品であったと感じてい ます。)

 

 

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恐縮です [No.12]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/24 (水) 16:33

Lansさん、GMK公開前からの書き込みに感謝します。

エイリアンシリーズに関する分析、異論はないです。

Lansさんご指摘の通り、リプリーのみでシリーズを存続させることは無理でしょう。

同時に、エイリアンのみで続編を作り得なかったということも事実ではないかと思います。

(ここいらへん、実は日本の怪獣映画の発想をもってすれば可能だったのではないかとも思うんですが)

なぜかと考えてみると、やはりエイリアンとリプリーがセットになって初めて「映画エイリアンシリーズ」として 認知されるからではないでしょうか。

観客に脅威を与える存在としてのエイリアン、

観客の共感(感情移入と言ってもいい)を呼ぶ存在としてのリプリー。

この二つが揃ってシリーズ物の同一性を保てたのではないかと思うのです。

そして、もし、第一作のエイリアンがどこかに観客の共感を呼ぶ存在であったならリプリーなしで続編が作られた のではないかと推察します。

そんな存在が、ゴジラではないでしょうか。

ゴジラの逆襲にこそ山根博士が登場しますが、基本的にゴジラシリーズには人間のキャラクターが続投することが ありません。

(vsシリーズの三枝未希が例外中の例外か)

ゴジラのみで、脅威と共感両方を感じさせることが出来るわけです。

傑作といわれるゴジラ映画では、観客の視点は劇中の人間と怪獣の間を行ったり来たりします。

その多面性が魅力でもあるはずです。

そう考えると、Lansさんがおっしゃる通り、

「怪獣総進撃」「vsモスラ」はゴジラ映画としてはかなり危ないですね。

「怪獣大戦争」もやばいです。

「vsモスラ」は構成が甘いのでそっちのほうが問題ですが、

大戦争、総進撃は非常に優れた作品であるために、ゴジラ映画としての弱さが見えにくくなっています。

この2作に不満を訴える人も確実にいると思いますが、多分、問題は宇宙人の侵略テーマを持ち込んだとか、ゴジ ラがシェーをやったということではなくて、

ゴジラがストーリーの本当のキィにはなり得ていないことではないでしょうか。

私は大戦争も総進撃も大好きな映画ですが、ゴジラ映画としてはあくまでも変化球であって、正統だとは思ってい ません。

まあ、あの時代のゴジラ映画は円谷特撮が売り物であって、その看板スターがゴジラであるという位置づけだと思 うので、いまほどゴジラが重く扱われてはいなかったのも成立背景にありそうですね。

怪獣総進撃の位置づけに関連して思うことがいろいろありますが、それはまたの機会に。

 

 

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怪獣大戦争は [No.13]

投稿者:Lans

- 2001/10/24 (水) 16:56

怪獣大戦争や対ガイガン、対メカゴジラなどの昭和後期の侵略物では

ゴジラを「宇宙人から見て侵略の脅威になる」という視点で

宇宙人側が対ゴジラ対策に走っているので

まだぎりぎり「キー」かな?と思います。

(宇宙人にとっての倒す目標)

それよりも、対へドラや南海の大決闘のほうが、ゴジラの影が薄いような・・・

(そういうとゴジラの息子もミニラがキーですが・・・)

うーん、作品的には面白くても「ゴジラ映画」らしいというのは

意外と平成シリーズの方が深いのかも・・・

(作品の構成・演出・特撮の問題は別として・・・(笑)

総進撃、私も好きなんですけどね。

オールスター映画として

あれは一種のファン感謝デーみたいなもんと思ってます。

(実際、企画の発端がそんな感じと聞いた事があります)

(最後の花として制作・・・でも、意外とうまくいったので続投決定みたいな(爆)

 

 

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あ、いま思い出した [No.14]

投稿者:Lans

- 2001/10/24 (水) 17:06

エイリアンですが・・・

リプリ-と分離して発展していた時期があります。

「エイリアンvsプレデター」

ご存知でしょうか?

アメコミとして出現し、一時期はアニメ放映も行われ、アクションフィギュアも多数でており、ゲーム化もされて いました。一時期は映画化の話も上がっていました。

これは、十分にエイリアン単体での存在可能を証明したように思えますが。

(このエイリアンフィギュア、通常型のギミックが体爆発で大好きでした)

(背中のボタンを押すとエイリアンがバラバラになるというおばかギミック)

(相手はプレデターや宇宙海兵隊の猛者でしたからね(爆)

 

 

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うんうん [No.15]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/25 (木) 10:02

確かに、よりゴジラが中心的である、という意味では平成vsシリーズのほうが突っ込んでますよね。

作品によってブレはあるものの概ね登場人物の目線は常にゴジラに向いている。

じ・つ・は、私の主張はそれがまずかったんじゃないか、というところへ向かうのです。

この項目、ゴジラ映画ってなんだ、という一文から始めましたが、

東宝怪獣映画が大らかな広がりをもってさまざまなバリエーションを生み出し得たのは、ジャンルとしてゴジラ映 画ではなく、特撮映画という括りで考えられていたからではないか、と思ったりするのです。

ゴジラが登場する特撮物とそうではないもの、という判別の仕方はあるものの、

ゴジラが登場しないからと言って、ゴジラ物と明確に差別化されていたわけではない、ということです。

海底軍艦のマンダやフランケンシュタインのバラゴンが総進撃に登場することにも見て取れますし、

当時の作品リスト(決戦!南海の大怪獣パンフ)でもゴジラシリーズと同列にラドン、バラン、モスラはもちろ ん、地球防衛軍、宇宙大戦争、妖星ゴラスが並べられています。

(変身人間ものは含まれていない)

ゴジラは大物ではあるものの、ゴジラ映画という捉え方はされていなかったと思われるのです。

現在ではゴジラシリーズとそうでないものは明確に差別化されています。

ひょっとするとファンの意識もそうかもしれません。

作られる作品もゴジラ映画にするために、どうしても人類対ゴジラの攻防に傾いてしまう。

そのため、最近作のほとんどはゴジラが倒されるのか否か、にしか興味の焦点がないのです。

非常にうまく構成されていた「×メガギラス」にしてもそんな構造から脱することは出来なかった。

(やろうと思えば、ゴジラとメガギラスどっちが強いか、というドラマに出来たはずです)

ゴジラのみを中心とする発想がストーリーの幅を狭め、袋小路へと向かわせる原因ではないかと思います。

といって、ゴジラがキィにならなくてもいいと言いたいわけではありません。

ゴジラに共感したり感情移入出来るように演出しなければ、ゴジラはスターではなくなってしまいます。

みなさん、いかがでしょうか。(どなたが読んでいるんでしょ。まだまだマイナー掲示板)

おっと、「エイリアンvsプレデター」ってタイトルだけは聞いたことがありました。

その内容を知らないので、なんとも論じようがないのですが、

あのー、やっぱりプレデターとセットにしないとエイリアンだけでは成立しなかったのでは・・。

(プレデターって、「1」しか観てないのですが、結構性格が見える奴でしたよね)


続いて・・ [No.16]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/10/26 (金) 14:43

 

 

一体、ゴジラってどんなものでしょう。

といっても、核兵器の象徴だとか、安保体制におけるアメリカだぁ、などという解釈のお話じゃないです。

私は非常に幼い頃(3~4才ごろ?)初めてゴジラに接したので、疑問の余地なくその存在をそのまま受け止めて しまったのでしょうか。

ゴジラはゴジラであって、野生の巨大生物であり、核爆発にも負けない生命力を持つもの。形態には多少のバリ エーションがあるものの、「あの」姿がゴジラである。という認識なんです。

その性格は怒りっぽいものの、ふざけたり、遊んだりすることもあり、弱いものいじめが嫌いな男気のある奴、と 見ています。

(これまでの作品に描かれたゴジラの様子から、そのように感じています)

もちろん、1954年に日本に初めて姿を現したとか、その後もう一匹が大阪でアンギラスと闘った、などという エピソードも含めてゴジラだと思ってます。

虚構の中にしか存在しないキャラクターをその物語とともに楽しむためには、

劇中の設定や出来事を本当のことだと思って受け止める必要があるのではないでしょうか。

そうしないと疑似体験としての虚構が機能しなくなるはずです。

もちろん、あまりにも現実の約束事(法則と言ってもいい)からかけ離れた設定や出来事が起こってしまっては理 性が拒否してしまうので、そこをうまく作り込むことが大事ですけど。

そんなわけで、頭では実在しない生き物だとわかっていても、

私にとってはゴジラというのは揺るがしがたい存在感を持つものなのです。

ゴジラになんらかの寓意を読みとったり、観念を読みとったりするのはどうも得意じゃないですね。

野生のライオンに、一体どんな寓意を読みとればいいんでしょう。

いくら『ゴジラ』におけるゴジラが核兵器の象徴だったとしても劇中のゴジラは核兵器と同一ではなく、あくまで も動物ですよね。

作品が内包しているテーマみたいなものを読み解くなら、ゴジラにさまざまな解釈を与えることも出来るのかもし れませんが、

それは作品の「鑑賞」の領域であって、劇中のキャラクター設定とは別物だと思うのです。

ゴジラは、あくまでも虚構の中にしか存在しない動物ですから、

作り手の考え一つでいかようにも変化させることが可能です。

(84年に原子炉を抱えたときには参っちゃったよなぁ。そして、アメリカ版も名前はゴジラだったし)

うーん、しかし、可能であることと正しいことは別じゃないでしょうか。

特に、ゴジラのようなほんとうに虚構存在でしかないキャラクターは、

どんなにいじられても本人が文句を言うわけではありませんから、「都合によって」で変えていったら内実が空洞 化して、なんでもゴジラであり、どれもゴジラじゃない、という事態になりかねません。

見た目と中身、合わせてゴジラだと思うのです。

ここをお読みのみなさんにとって、ゴジラとはどんな存在ですか?


あいさつをば [No.17]

投稿者:K4 2001/10/26 (金) 22:02

 

 

ご挨拶遅れました。

ghidorahさんは映画祭は行かれるのですか?

私は不確定要素が多く、 今だ微妙な状況なのですが。

最近、ゴジラについて語ってなかったような気もするので

ここで語って行ければいいな、と思ってますです。

 

 

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ありがたや! [No.18]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/27 (土) 19:18

K4さん、いらっしゃいまし。

勝手に行間を読まさせていただきまして・・。

私のスタンスももちろん、作品は見るまでわからない、です。

映画祭には・・・・、行けるかどうか・・・・。未だ不透明なのです。

GMKを語る掲示板ではありますが、その公開前の助走期間として

ゴジラ観、ゴジラ映画観、怪獣映画観、特撮映画観、もっと進められるなら映画とは?ってなところまで話し合え ればいいな、と思ってます。

(そこまでは無理かぁ。もう時間がないですね。国際映画祭でのGMK上映が済んだら、そんな一般論ではなくて がんがんGMKについて語って欲しいです)

ひとりひとりが違った観点で作品を鑑賞しているのは当然ですが、

みんな人間である以上、感動する(おもしろいと思う)要素や展開には共通点があるはず。

そのあたりをゴジラ映画に限定してでもなんらかの見解やヒントが見えてくるなら本望です。

多くの人から反感を買うかも知れませんが、私は「なんでもおもしろい」と感じるなら、それは「なにもおもしろ さがわかっていない」ことではないかと思っています。

なにかをおもしろいと感じる感性には、同時になにかをつまらないと感じる感性が含まれていると思うのです。

なんて、話がずれました。

かつての「GODZILLA」掲示板みたいにがっつんがっつん行きましょう。

 

 

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あ [No.19]

投稿者:K4

- 2001/10/28 (日) 09:43

>勝手に行間を読まさせていただきまして・・。

深い意味はないですよ(^_^;)

いち早く見に行かれるのなら、いろいろ感想を聞けるかと楽しみなくらいです。

下のghidorahさんの問いかけを読んで、そういえばUSゴジラの時は

「ゴジラ」とはなんぞや?って話をしていたのに、日本のゴジラ復活が

決まってからは、そういった話をしてなかったな、と思いました。

で、また何か言葉を選ぼうと、すぐにその問いかけにも答えられなくなって

しまってる自分に気づいたりして…

作品はみてから評価すればいい、というのは私も同じ思いです。

私のように金子ゴジラを待望していた、というようなことを書いていた者に

金子監督に対して不安に思ったり、今回のプロットから不安に思ってる方は

どう映ったかはわからないのですが、私が金子ゴジラに期待を表明したのは

1999年当時、怪獣映画を誰に撮らせたいか、といわれ名前を挙げることの出来る

数少ない監督だったこと(当時。今なら手塚さんもいますね)。

もちろん平成ガメラシリーズを通して、これはちょっと違うよ=怪獣映画を

わかってないというお話も聞かせていただき、なるほど…と思ったりもしました。

反論はあるとは思うのですが、どの時代でも通用する怪獣映画の普遍性、フォーマット、

本多-円谷両監督の築き上げたものがある一方で、時代にあわせ変化していく

柔軟性も併せ持たねば、怪獣映画は生き残れないのではないか、という

思いもあるわけです。

成功するか、失敗するかはわかりませんが、金子ゴジラは今後のゴジラ映画に

いいか悪いかもわかりませんが、なんらかの影響を残すだろう、と思うのです。

そこから、次の怪獣映画のあり方が見えるのではないかと。

でも、それで怪獣映画をボロボロにしやがって、という思いが生まれないとも

限らないのですが…でも、あえて、ブレイクスルーする時期があってもいいのかな

とも思います。

あ、ゴジラとは?という問いにも答えず、色々書いてしまいました。

申し訳ない…

 

 

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ゴジラって「劇映画」のキャラクターですもんね [No.20]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/29 (月) 11:58

どーも、毎度めんどくさい話ばかりしてしゅびばしぇん。

まあその、楽しみ方はいろいろあるとはわかっているんですよ。

グッズ情報やイベント情報もファンには必要だろうし、関連グッズをコレクションするのも楽しいことです。(私 だって、ソフビや食玩を持ってますもん)

それでも、ゴジラが好きだ!と思うのは、やっぱりゴジラが登場する「劇」(物語)がおもしろいからであって、 映画表現として「良い映像」が見られるからなんですよね。

ですから、基本として作品内でのゴジラってものを一番に考えたいです。

てなわけで、

円谷時代に形成されたと思われる「怪獣映画」のフォーマット(人智の及ばぬ、異形の巨大生物が人間社会に脅威 をもたらす)が現在では通用しないのか否か、ということをよく考えないと、怪獣映画の変容が必要なのかどうかが見えてこないと思います。

(既成の怪獣キャラクターを改変する問題は、上記にも絡みますがまた別の問題をはらんでいる)

怪獣映画の魅力ってなんだ、ということを考えることでもありますし。

巨大な怪物が現れて脅威となる、という物語の魅力となると、

やはり人間誰しもが持つ、「大きさ」への憧れや「強さ」を求める心を満足させるからでしょう。

それから、破壊スペクタクルの快感もあるでしょう。

このあたりが年少者への「惹き」を強くする要素でもあると思います。

子供(といっても、その定義をはっきりしないと議論にはならないのですが)こそ、大きくなりたい、強くなりた いと思うものですから。

しかし、ただでっかい怪物が現れるだけでは、現実離れしていて世慣れた大人たちには受け入れがたい設定になっ てしまいます。

そこで、太古の恐竜が生き残っていたとか、放射線の影響で巨大化したなどという理屈付けが必要になってきま す。

そして、物語の締めくくりとして怪物は倒されるのが通常でした。

(怪物を倒すために、その性質や生態、弱点などが劇中で分析される)

そんな怪物映画の系譜に超特大のブレークスルーをもたらしたのが、

『モスラ』ではないかと考えています。

巨大怪物の物語が、常に最後には怪物が倒れることで決着をつけるなら、

それは「大きさ」や「強さ」への憧れをきちんと満たすものにはならないわけで、

モスラにおいては怪獣は倒されることなく自分の世界に帰っていきます。

そんな物語を成立させるために、『モスラ』では人間側に明確な悪役がいて、モスラが倒されてはいけない、とい う構造を作り出すことに成功しています。

(あ、『巨大怪獣ゴルゴ』のほうが『モスラ』より先だ!怪獣が死なない物語の先駆は洋画にありかぁ)

ただし、『モスラ』の物語にもいまいちな部分がありました。

それはモスラが小美人とテレパシーで繋がっていて、小美人の動向がモスラの意志を左右してしまうことです。

これでは、「人智の及ばぬ」という要素を完全に満たすことが出来ません。

たとえモスラ退治が不可能であったとしても、小美人を通じてひょっとするとモスラをおとなしくさせることも可 能なのです。

人の言うことを聞いてしまっては、「強さ」の表現として弱いです。

(強いということは、屈しないということを含んでいて、誰の言うことも聞かない、というわがままさにも繋がる でしょう)

そんな風に展開していった怪獣映画がひとつの到達点を見いだすのが、

『キングコング対ゴジラ』であったはずです。

怪獣は倒すことが出来ない。そんな怪獣の出現と退場を物語にまとめるには怪獣同士が闘って決着をつけること で、その対決の結末をストーリーの結末として組み立てる方法があったのです。

(まあ、キングコング対ゴジラでは勝ち負けははっきりしないのですけど)

この怪獣対決路線にはアクション映画としての要素も加わることになります。

巨大怪獣が闘争する映像には肉体の躍動感も取り入れる事が出来ました。

私としては『キングコング対ゴジラ』で出来上がったフォーマットはまだまだ通用すると考えています。

科学技術の進歩で生活が便利になり、自然界の謎もつぎつぎと解かれていますが、それでも人類の知識や技術は大 自然を完全に理解したり制御する事は出来ません。

そんな現実を極めて象徴的に表現できる「怪獣映画」は21世紀に入っても十分通用するのはないでしょうか。

人類の科学が通用しない存在が怪獣である、という理念に基づけば科学理論で説明出来なくていいし、科学で説明 出来る程度のものでは怪獣としては不十分となります。

しかし、ここで間違ってはいけないこととして、科学で説明できない=心霊現象ではないということ。

あくまでも解明し尽くされていない自然現象としての怪獣ですから、心霊という考え方を持ち込むことでその存在 が大自然ではなく、人間の不思議という領域に押し込められてしまいます。

『ゴジラ』(84)以降の怪獣映画は、改革を謳いながら実は退化しているだけだと思っています。(惜しい作品 もあると思うけど)

怪獣映画に変革を起こすなら、怪獣映画の特質を理解し、それを深化・展開させなければいけません。

で、K4さんへの問いかけになってしまって申し訳ないのですが、

怪獣映画のフォーマットを変えなければならないと思うとしたら、どのあたりになるのでしょう。

もちろん、K4さん以外でもご意見のある方はぜひ書き込んで下さい。

 

 

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柔軟性 [No.23]

投稿者:K4

- 2001/10/29 (月) 20:24

ghidorahさんの書きこみを読むと毎度のことながら唸らされますね。

ゴジラ誕生から、モスラ、キンゴジに至る怪獣同士の対決に至る

フォーマットについてはなるほど、その通りだと思いました。

さて、私が書いた事を補足すると

>怪獣映画のフォーマットを変えなければならない

のではなくて

>どの時代でも通用する怪獣映画の普遍性、フォーマット、本多-円谷両監督の築き上げたものが

>ある一方で、時代にあわせ変化していく柔軟性も併せ持たねば、怪獣映画は生き残れないのではないか

ということを感じているのです。

同じ型に当てはめるだけでは疲弊していくだけではないか、という危惧もあります。

そうしたフォーマットをその時代にマッチした柔軟性を生かしていくことが必要なのではないかと

いうことです。

今の流行りを入れるだけでは、陳腐なものになりがちかもしれませんが、そうしたものは

後の時代に、その作品が発表された当時の社会の空気を映し出す様な気がするのです。

「時代にあわせ」ることは、科学なり文化、文明の進歩で人間側の見る視点が60年代とは

違ってきているからということもあるでしょうし、日本人自身が受動的から能動的に

変わってきていることもあるかもしれません。

ゴジラに直接、能動的に働きかけるのは防衛軍であり自衛隊。間接的にゴジラが来たことにより

右往左往揺れ動く人間、ここぞチャンスとばかり能動的に動き回る人もいますし、それが魅力というのもありま す。

さて一方で、今現在はテレビやインターネットで世界の事件を自分自身が

主体的に受け入れることが出来る時代になってきたのではないかと思います。

GMKの【ライブ中継】といったような発想はなかなか面白いのではないか、と思ってます。

そういった意味での柔軟性は必要、という意味です。

レスをあれこれ考えているうちに、上で兄貴さんが書かれていることも、また考えなくてはいけない問題ですね。

怪獣自体の属性…。兄貴さんのおっしゃっている部分がghidorahさんにとっても今回のGMKにとっては

最大の、避けて通れない大問題なのでしょうね。

というよりも従来の怪獣映画を見てきた人にとっても最大の問題もここなのでしょうけど…

この辺は自分でもワケがわからないうちにここまで来てしまった、というのも

事実ですが、冷静に整理してくることにします。

 


攻撃レベル「ショートソード」 [No.21]

投稿者:兄貴(赤) 2001/10/29 (月) 15:24

 

 

今回の映画は、ハム太郎と同時上映なので、劇場に観に行くのが恥ずかしいという意見を耳にします。

ゴジラなら恥ずかしくないけど、ハム太郎は恥ずかしいのでしょうね。

私達ゴジラファンは、黄金時代のゴジラを知っていて、それは円谷、本多監督らが作り上げた、極上の娯楽映画で ある事を知っています。

だから、ハム太郎とゴジラでは、同じ土俵で比べるべき物ではないと思っています。

しかし、ゴジラを知らない人達から見ればどうでしょう。

大の大人がゴジラを見に行くのも、ハム太郎を見に行くのも同じレベルで捉えていると思うのです。

所詮、世間の認識などその程度なのです。

大人になっても、ゴジラを観に行く人は「特別」な人なのだと思います。

では、何故ゴジラを観たいのでしょう?

特にGMKに期待を寄せている人達は、ゴジラにどういう魅力を見出しているのでしょう?

今回のGMKは、私の価値観からすれば、アウトです。

無論、観てみなければ分らないじゃないの、という意見もありますが、現時点で分っている情報だけで十分「ダ メ」なのですから、どうしようもありません。

ゴジラが怨念の集合体、モスラ、バラゴン、キングギドラが日本を守る怪獣…

この情報が嘘であったのなら、希望もあります、しかし、今のところこれを否定する情報がありません。

と、なると、映画の出来(話しの組み立てや演出)がどんなに優れていようが、ゴジラ映画とは認められないとい うのが私の意見です。

面白ければなんでも良い、というならハム太郎でもOKじゃないですか?

今回の映画に期待する人達は、ゴジラのなにをもってして魅力を感じているのでしょう?

形さえゴジラならOKなのでしょうかね?白目でも良いのかなぁ?

怨念の集合体でもゴジラだと認められるのかなぁ?

キングギドラが日本を守ってもいいの?

モスラが出るのに、インファント島も小美人も出なくて納得できるの?

私は納得できません、彼ら怪獣達はその一匹一匹に個性があり、その個性や形や属性全て含めて一つの怪獣を形成 しているのだと思います。

その個性が、作品ごとに丸で違うものになってしまったら、もはや個性は存在しえないのです。

そうなってくると、ハム太郎に対してGMKの優れている点はなに?

ハム太郎は恥ずかしいけど、GMKは恥ずかしくない理由は?

ハム太郎はお子様むけで、GMKはオトナ向けなの?

ハム太郎は可愛いキャラクターで、ほのぼのした内容だから子供向け?

GMKは白目ゴジラで恐いからオトナ向け?

長い年月をかけて育て上げられてきた怪獣達のキャラクター性を壊してしまったら、

もはやゴジラなど名前だけで、ハム太郎のキャラクターでやっても同じじゃないですか?

いっそ、その方が子供たちは喜ぶかもしれませんね。

つまり、今回のGMKはハム太郎と同レベルの作品でしょう、という事です。

 

 

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ちょっと訂正 [No.22]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/10/29 (月) 18:28

GMKとハム太郎が同レベルというのは、ハム太郎に失礼でした。

それこそ、まだ観ていない訳ですから、すごく面白いかもしれませんね。

仮につまらなかったとしてもそれだけですが、GMKの場合は観ていて腹が立つ可能性大ですからね・・・

ハム太郎の勝ちです(笑)


ちょっと別の話 [No.25]

投稿者:ghidorah 2001/10/30 (火) 17:05

 

 

昨日、DVDで『フランケンシュタイン対地底怪獣』を見ました。

もちろん、劇場・LD含めて何度も見ている作品なのですが、

今回思ったのは、この作品でのフランケンシュタインがきわめてゴジラに似た設定を持っていること。

科学の力で不死性を持っているフランケンシュタインですが広島の原爆に曝されながらも生き延びているわけで す。

劇中、放射線の影響で変異したのかどうかは語られませんが、(ゴジラも放射線による突然変異ではない)

放射線障害を研究する医師が主人公で、フランケンシュタインを研究目的で保護しようとするあたり、『ゴジラ』 での山根博士の立場を展開させたものともいえます。

もし、ゴジラが人類に親近感を持っていたら、

という物語にも見えるのです。

フランケンシュタインはその巨体ゆえに怖がられ、警察や自衛隊に狙われます。

バラゴンの仕業もフランケンシュタインのせいにされます。

それでも彼は、人間のために戦うのです。

(このあたりの感覚を平成ガメラ1では取り入れているかも)

と書けば、ゴジラの物語にはなり得ないと思えますね。

なぜか。

ゴジラは人間に親近感を持ってはいないから。

物語に合わせてキャラクターを変更しても構わない、という考え方であれば、

ゴジラを使って同じストーリーを作ることも可能です。

しかし、それをやってしまっては新作を作るたびにそれまでのキャラクターを否定することになり、決してゴジラ という存在に実在感を持たせることが出来ません。

もうひとつ、この映画、もともとは「フランケンシュタイン対ゴジラ」という企画だったそうで、

海外の有名モンスターとゴジラが戦うというパターンをもう一度やるつもりだったのでしょう。

しかし、ゴジラではなく、バラゴンという新怪獣が相手役になりました。

どうしてゴジラが相手役になれなかったのでしょう。

フランケンシュタインはあくまでも人間であり、それに対抗するキャラクターとしては人間に「明らかに」害を為 す存在でなければならなかったのではないでしょうか。そうしないと、フランケンシュタインが闘う相手として自然に見えないのでは。

そうなると、ゴジラではキャラクターに無理があります。

ゴジラは人を食ったりしませんし、町を壊すのも、人間憎しというより「気まま」の為せる業という感じがしま す。

(『ゴジラ』でのゴジラには異論もあるやもしれませんが)

これまた、キャラクターの中身をいじっても構わないという発想であれば、

なんのことはない、この作品でのゴジラは人間を食べちゃいます、とやっちゃえば成立するわけです。

でもそれって、ゴジラじゃないですよね。

 

 

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なるほど [No.26]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/10/30 (火) 18:29

ゴジラとフランケンの共通点、確かに言われてみればそうですね。

そして、人間に対して親近感を持ったフランケンシュタインは、悲しい結末を迎え、

そうではなく、「人間なんて知ったこっちゃねー」とばかりに自由に生きているゴジラは、

今でも元気だというのは考えさせられますね。

ゴジラが人間を食うなんて、考えただけでいやですねぇ~

GMKの属性変更も、似た様な事だと思いますけどね、どうして平気なんでしょうね?

 

 

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フラバラの対戦 [No.29]

投稿者:Lans

- 2001/10/31 (水) 13:17

>どうしてゴジラが相手役になれなかったのでしょう。

もう一つ理由があると思います。

それはビジュアル的にフランケンシュタインとキングコングが近い事です。

この点でフラちゃんの対戦相手をゴジラにしてしまうと

過去の作品に近いものになってしまい、インパクトに欠けると思うのです。

さらに、相手が巨大人間であれば、

特に特殊能力を持たせるわけには行かないでしょう。

そうなってしまうと、相手がゴジラでは強力すぎます。

これはイメージ的問題もあるのでしょうが、

この時期の昭和ゴジラは、もはや敵なしの状態です。

しかも、設定も人間の見方寄り

(あくまでも「より」です。完全な見方化はもう少し後なので・・・)

という意味で、この時点で悪役には廻せないという判断だと思います。

>ゴジラは人を食ったりしませんし

>(『ゴジラ』でのゴジラには異論もあるやもしれませんが)

兄貴しゃんもghidorahさんも、この部分でゴジラの食人を否定しますが、

初代(原作含む)を冷静に見て完全に否定はしてはいけないのではないでしょうか?

もちろん、直接、画面や設定などで出す必要はありませんが、

「もしかしたら」という部分を残す事でゴジラの「野性」というものが

かえって強化されるのでは?とも思います。

ゴジラの人間に対する敵意に関してもそうです。

普段から敵意をもっている必要はありませんが、

人間のちょっかいによっては猛烈な敵意を示す事もある。

これが、よりゴジラの野性だと思います。

ということで、もしかしたら、私はお二人よりも

「完全な野性」をゴジラに望んでいるのかも知れません。

 

 

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おー、Lansさん [No.31]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/31 (水) 15:02

一度に全部の考えをぶち込む文章ってなかなか書けないものですから、突っ込みを入れていただくと助かります。

>この時点で悪役には廻せないという判断だと思います。

おっしゃる通りでありまして、そんな判断を出来ないようでは、ゴジラのキャラクターががたがたになってしまう ぞ、と言いたいのです。

それから、

>ゴジラの食人を否定しますが、

>初代(原作含む)を冷静に見て完全に否定はしてはいけないのではないでしょうか?

これも認めます。

ゴジラは牛を食べていることがほぼ明らか(劇中にそんなシーンがないので推定ということになりますけど)で、 肉食なのであれば人間を食料として食べる可能性があることを否定は出来ません。

で、ここから先が思考実験ではない芸術としての映画演出ということになるのですが、

Lansさんがおっしゃる

>もちろん、直接、画面や設定などで出す必要はありませんが、

という感覚が大事になると思うのです。

『フランケンシュタイン対地底怪獣』では、バラゴンの食人を決して描写してはいませんが、

状況描写とセリフで人が食べられてしまったことを明らかにしています。

演出としてバラゴンは人を喰う、ということを明示しているわけです。

たとえ、ゴジラの食性から考えれば人を食べる可能性があったとしても、

その映画スターとしての「親近感」を維持するためにはゴジラによる食人を劇中で明示してはいけないのです。

そうすることによって、人を食べることはない、という可能性も残されますし。

(肉食獣があらゆる動物を食べるとは限らない)

私の

>ゴジラは人を食ったりしません

という発言を正確に言い換えるなら、「ゴジラという映画キャラクターは人を食べるような描写をしないものだ」 ということになります。

それと、作品から私が感じているゴジラによる人類観は、

「ちっちゃくて群をなしていて、ろくでもないでかいものをこしらえるのが上手な奴ら。

自分が目を覚まして動き回ると、機械を使って邪魔しようとする。

敵とまで思えるほど強い奴らじゃないけれど、ときどき少しは痛い攻撃をしてくるからそういうときは相手になっ てやる」

てな感じで、Lansさんのお考えとそれほど違ってはいないと思うんですが。

 

 

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激しく同意 [No.33]

投稿者:Lans

- 2001/10/31 (水) 15:40

>そんな判断を出来ないようでは、

>ゴジラのキャラクターががたがたになってしまうぞ、と

>その映画スターとしての「親近感」を維持するためには

>ゴジラによる食人を劇中で明示してはいけないのです。

以上について、私は完全に激しく同意致します(喜)

ですが

>「ゴジラという映画キャラクターは人を食べるような描写をしないものだ」

ゴジラというキャラクターについてなら完全同意します。

でも、その敵対者については構わないと思います。

従来の怪獣でもガイラや新旧ギャオス、

さらにはメガヌロン達などは明確に食ってますからね。

そこで、本来の人類が(一方的に)敵視しているゴジラの活躍で

あからさまに人類に敵対する対象が排除される。

そこにゴジラの善と悪の2面性(つまり自然性・野性)を描いていけるのでは?

という展開に持ち込めますし

(これは、そのまま平成ガメラが持ち込んでいる方法でもありますね。)

(こういう方法は本来ガメラよりゴジラの方が似合うんでは?とも思いますが)

(もしかしたら、このような思いが最近の金子監督信仰に繋がっているのではないかと・・ちょっと思ったりもし ます。)

(で、金子監督本人は、これをガメラでやってしまったが為にゴジラで「どうしよう…本来やりたい事、もうやっ ちゃたぞ?なんとか変えねばならんよな…ファンは期待してくれているし…」の結果が今回のGMKなんでは?)

>「ちっちゃくて群をなしていて・・・(以下略)てな感じで

私も大きく違っていると思いません。同意ですぅ。

これに関しては、公開BBSの場でghidorahさんと語るのは初めてなので、

この機会に改めて書いときました(笑)

このあたりの我々共通の認識はぜひ、多くのゴジラファンに読んでいただき

批判、共感などを得たいと思いますので(汗)

それこそが、このBBSに課せられた使命でしょう(笑)

 


そうそう [No.24]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/10/30 (火) 11:49

 

 

えーと、ちょっとこの掲示板、よそとはちがうところがあるのでご説明しておきます。

新しい投稿が上に来るのは当然なのですが、

下に下がった記事もレスがつくと上へ上がってきます。

ですから、レスのつき方で記事の前後関係が狂っていくことになります。

時系列より、内容の関連を重視したシステムのようです。

これなら、古い記事にレスが付いたかどうかを確かめるためにずーっと降りていく必要がないので、結構便利では ないかと思っています。

というところで。

>兄貴(赤)さん

投稿ありがとうございます。

ストーリー作りのいろんな「手」を考えると、GMKが発表されているストーリーのネタ振り(護国聖獣とか、ゴ ジラが霊の集合体だとか)をひっくり返す展開を見せる可能性もありや?

とは思います。

(希望を言えば、『大怪獣バラン』のように神だとあがめていたものが生物であったという理性の物語になってい ればいいのですが)

それでも、宇宙船の脚本家インタビューを読む限り、

本多・円谷時代のような全方向の娯楽映画にはなっていないことが伺えます。

ゴジラの善悪をはっきりさせないとストーリーが盛り上がらない、という認識でシナリオをお書きのようです。

これは、子供向けの発想ですね。

善悪という二元論は、物事を考える上で初歩的な論理体系です。

精神が未発達な状態では、まず二元論でものを考えます。

全か無かという極端な発想は未熟な心が陥りやすく、手っ取り早い方法なのです。

物語を組み立てるときにも、敵・味方、善・悪という対立構造を中心に据えればとっても理解しやすいお話になり ます。

しかし、怪獣映画の深みはそんな二元論を超えたところにあったはず。

『ゴジラ』におけるゴジラを悪、と捉えてしまったら、ラストのゴジラの死がハッピーエンドにしかなり得ませ ん。

本多・円谷時代の怪獣映画では怪獣を人間の倫理から切り離した、善でも悪でもないものとして描くことで「人を 超えた存在」を描くことに成功しているのです。

怪獣が暴れると町が壊れ、人が死ぬ。

だから怪獣は悪なのか?

小松左京の短編「アダムの裔」にこんなセリフがあったはずです。

「自然を裁くことは出来ない」

GMKだけではなく、最近の映画は二元論に支配されたものが多いような気がしています。

かつては三つ以上の視点を同列に取り入れた映画というのが珍しくなかったと思います。

怪獣映画で考えても怪獣の対立構造が人間ドラマの対立構造と一致しているものはほとんどありませんでした。 (つまり対立構造が2項より多い)

例として、『モスラ対ゴジラ』を考えます。

ゴジラ→自分の興味に沿って、歩き、破壊する

モスラ&小美人→卵を返して欲しい。卵を守るためゴジラを倒したい

酒井→熊山&虎畑の理不尽を打ち砕きたい。ゴジラ被害をくい止めたい

熊山&虎畑→金儲けしたい

どうでしょうか。

単純な善悪の対立にはなっていないと思います。

それが「現実味」を感じさせるのです。

しかし、未熟な精神には理解しにくいのも事実でしょう。

そこで若年者はモスラ対ゴジラのゴジラを「悪」と考えて合理化するのです。

それでも人間側の対立(酒井対熊山&虎畑)と怪獣側の対立(モスラ対ゴジラ)は別ですから物語世界の広がりは 二項対立より大きいことになります。

と、まあ、話を広げすぎましたが、GMKが、ゴジラを悪と規定して善の怪獣がそれと対決するのだ、という話な らハム太郎と一緒でも仕方ないでしょう。

世の中には善でも悪でもないものがある、と気が付いている大人にはひどく薄っぺらなストーリーになっている可 能性が高いのです。

GMKもまたお子さま向けなのでは?(作り手がどう考えているかは別にして)

うーん、強引かなぁ。反論歓迎!

>K4さん

柔軟性のお話は、よくわかります。

そんな柔軟性こそ本多・円谷時代にあって、今はないものですよ。

怪獣出現という事態の中でどんな物語が展開しうるか、という可能性をさまざまなパターンで展開していったのが 昔の傑作です。

人間側主人公の職業もいろいろな職種が取り入れられています。

それが怪獣事件とどう絡むか、で無限のバリエーションが作られるのです。

しかし、最近作はどうでしょう。

すべからく怪獣退治のストーリーなので、人間側には怪獣と直接対決する組織の人間(自衛官だったり、対ゴジラ 組織の職員だったり)か、怪獣を分析・研究する立場の人間(科学者ってことですね)しか出てこないじゃないですか。

(『ゴジラvsモスラ』はそういった点ではほんとに惜しい作品だったと思う)

GMKでの人間側の設定にはそれほど文句はありません。

強いて言えば、かつてゴジラに親を殺された国防軍の軍人という人物が中心的になっていることに不安を覚えます ね。

仇討ち映画にするの?

主要人物にとって仇のゴジラはやっぱり観客にとっても憎むべき存在になるの?

このパターンも最近使われすぎでは。

スペゴジ、G3、メガギラス・・・・・

私が尊重せよと申し上げている怪獣映画のフォーマットは、

・基本的に怪獣は大自然が生み出した動物であること。

(ただし、変化球として出自が自然ではない怪獣も認める)

・個人が互角に怪獣と対決する展開は御法度。

(物語装置としての怪獣には個人の力ではどうにもならないものという観念が含まれるべきである)

・劇中では怪獣の分析は極力行わないこと

(一作限りの新怪獣ならば、それも許容しますが、あまり好ましくない)

・怪獣は人間の価値観を代弁するものではないこと

・怪獣が既存の兵器あるいは既知の科学的手段で傷つきはしないこと

というぐらいでしょうか。

あとは娯楽映画のフォーマットをつけたせば、オッケーじゃないでしょうか。

GMKでは劇中の真実扱いになるのかどうかわかりませんが、

謎の老人とやらがゴジラの正体を解説してくれるそうですね。

そんなの余計なんですよ。

わーーーー、見るまでは控えようと思っていた否定的な意見を書いてしまったぁ。

でもこれが正直なところなのです。

 

 

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フォーマット [No.27]

投稿者:K4

- 2001/10/30 (火) 23:30

>>私が尊重せよと申し上げている怪獣映画のフォーマット

これについては概ね同意致しますです。

人間側主人公についても、単に対ゴジラ的な立場以外の人物であって欲しい

というのもそうですね。

今回のGMKでは親子ということでつながりますが、軍と言う立場の父と

ライブ中継の中から何かを見出そうとする娘、というのをどう仕上げてくるか

注目してますが。あまり娘が日常生活的な部分から離れていると興ざめなんですが。

さて、フォーマットの部分で抱える問題もあると思います。

それはその映画の世界観の中で「ゴジラ」という存在がどのようなものとして、

捉えられているか、という点ではないでしょうか。

何度もゴジラが上陸している、という前提だとその存在に対する捉えられ方が

やはり変わってきてしまうと思うのです。

ゴジラが未知の存在である、と捉えられる世界観は2作目(2度目の上陸)まで

でしょう。

それ以上になると現在の世界においては、ゴジラはやはり研究の対象になり

ビジネスチャンスと捉える人間も現れるだろうし、倒すべき相手、と

捉える人間だって出てきて当然、いや逆に5度も6度も上陸して

対抗手段も考えなければ、うまく利用してやれという人間もでてこないわ

ではおかしいと感じるのではないでしょうか。

研究はされ始めたが劇中それに触れない、というのはありでしょう。

逆に研究していることに触れるとそれが主題の映画になってしまう。

平成シリーズではゴジラ細胞であり、ゴジラの起源であったりしたわけですが。

「これまでの話はなかった」リセットの第2話(84、2000、メガギラス)以外

で作るのなら、ある程度、「ゴジラ」という存在は人々に知れてしまってる

世界観の中でそれをどう描いて行くのか、というのが(その世界観を逆手に

生かせるのがベストですかね)今後の課題ではないですかね。

でも、ゴジラ系BBSによるとGMKでゴジラは休眠してしまうようで。

おそらく再開される時は、またリセットされてしまうんだろうな。

それとも第1作目からのリセットになるのかな?

もっともまだ先の話ですが…

 

 

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感謝・感謝! [No.28]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/31 (水) 11:21

>K4さん

私の七面倒くさい話に根気よくお付き合いいただいてありがとうございます。

そしてそして、さすが、わかってらっしゃる。

>研究はされ始めたが劇中それに触れない、というのはありでしょう。

そうなんです。このバランスをうまくやれば、袋小路に至らずにシリーズ存続が出来るはずなんです。

怪獣映画という枠で考えると、本当にいろんな要素や展開を取り込むことが出来るので、

まずは、ゴジラ(あるいは、ほかのスター怪獣を育てるため)についてという枠でお話しします。

ゴジラ映画が社会シミュレーションという側面を持っていることは否定しません。

ですから、ゴジラ出現にあたってはゴジラ研究を始める人間が出てくるのは当然ですね。

多分、『ゴジラ』の山根博士はその後ゴジラ学の開祖になったと思われますし。

しかし、劇映画というものは、思考実験ではないのです。

物語という仮想現実を通して観客の理性だけでなく感情を揺さぶるのが第一の指名です。

つじつま合わせをするためには、ゴジラ研究という要素を完全に無視出来ないでしょう。

それでも、これまで申し上げてきたように、ゴジラの生態や生物学的出自が明らかになってしまっては、物語内存 在としてのゴジラが機能しなくなってしまうのです。

ですから、ゴジラについて学者が何かやっている、誰かが突っ込んで調べているという展開は背景に押しとどめて おくべきなのです。

この展開を主軸に据えてしまうと、(主役による)ゴジラ研究が正しいか間違っているかを劇中で明らかにしなけ ればなりません。

それでもドラマは作れるんですが、その場合、科学で解明しようとしても解明しきれない存在であるという結論に 持って行くしかないのです。

そういうゴジラ研究ストーリーは一本しか作れないことがおわかり頂けると思います。

逆に、科学でゴジラを追いつめていく、という展開にしてしまうと、平成vsシリーズやミレゴジになってしまう のです。

G細胞とかオルガナイザーG1というゴジラという存在の根幹に関わる設定を作ってしまって、ゴジラも科学で理 解可能かもしれないという大きなヒントを与えてしまっています。

また、「vsキングギドラ」(主役は学者ではなくゴジラを追いかけるフリーライターでしたが)では、ゴジラが ゴジラザウルスなる恐竜の変異体であるという設定を持ち込むことでゴジラを人間が制御可能だという(ひどい)展開にしてしまっています。

(ゴジラ抹殺作戦は偶然の作用で失敗していますが、vsキングギドラの設定を認めてしまえば、タイムマシーン でゴジラを消すことが容易ですね)

科学であれ、兵器であれ、劇中人類がゴジラを追いつめていくというドラマは避けなければなりません。

その先にあるのは、ゴジラが勝つか人類が勝つかという結論しかなく、

そのどちらでも「娯楽」映画としては欠陥品になってしまうのです。

かつての東宝怪獣映画ではそんな袋小路を見事に回避しています。

『キングコング対ゴジラ』にはちゃんと科学者が出てきますが、怪獣に関するマスコミの問いかけに対してはっき りした答えを出せずにうろたえる様を見せています。このちょっとした点描で学者にもよくわからないのが怪獣なのだな、と伝わるわけです。

ただし、ゴジラに対してまったく無為無策ではゴジラの強さのインフレ(fromBSマンガ夜話)が起こってし まってゴジラが神への道を一直線にたどってしまうので、ある程度はゴジラ対策も研究されていることが示されています。

『モスラ対ゴジラ』における人工雷発生装置は、帯電キングコングとの戦いを見て自衛隊が思いついたものでしょ う。

これも、そんな対ゴジラ作戦を主軸にはしないことで怪獣ドラマを邪魔していないのです。

(×メガギラスでのラスト、ディメンションタイドが成功しなかったことを明らかにするのが是が非かで 意見が割れましたね。これは、対ゴジラ作戦をメインに据えてしまったための欠陥なのです。ゴジラ映画でゴジラが負けてしまっては後味が悪い、しかし、BH 砲が失敗となるとそれまで組み立てたドラマが無意味になってしまう・・)

うーーーん、そんなこんなは、昔の傑作にみんな「書いてある」ことなんですけどねぇ。

ゴジラが何度も出現していても、遅々としてゴジラ研究が進んでいないということであれば、

ゴジラに対して「なんだあれは!?」という驚きはなくても

「ああああああああ!ゴジラだぁぁぁ」(田武謙三)という畏怖は継続させられるのではないでしょうか。

そういった感覚は『ゴジラの逆襲』からすでに見られていたと思いますし、

>ある程度、「ゴジラ」という存在は人々に知れてしまってる世界観の中でそれをどう描いて行くのか、

という命題は簡単にクリア出来ると思っています。

ところで、ゴジラ映画という枠を離れれば、

本多・円谷時代にも怪獣を解明して撃滅する物語は作られています。

『宇宙大怪獣ドゴラ』はそんな作品でしょう。

この映画、お話としてはすごく良くできていて、すばらしい出来だったと思いますが、

ドゴラにはあんまり人気が出ませんでした。

それはなぜか?

ドゴラが何を考えているか伝わらないし、なにより科学の力で倒されてしまったことも大きいのではないかと思っ ています。

それと群体生物であったことも災いしてますね。

ドゴラといっても、一個のパーソナリティを持ち得ないですから、ドゴラになってみることが出来ないです。

スター怪獣の条件としては「怪獣ごっこでその怪獣を演じることが出来ること」ではないかなんて思ったりしま す。

 

 

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K4さん、私も話にいれて(笑) [No.30]

投稿者:Lans

- 2001/10/31 (水) 13:56

「怪獣の解明について」

これに対し、私は多少は行うべきだとは思います。

さらに手がかりくらいはつかみたいところです。

これは私が「空想科学映画」として「特撮映画」が好きという部分が

大きく影響しているとは思いますが・・・

ただし、完全に解明できるかどうか?は別です。

通常、ゴジラなどの完全な解明は私も反対です。

しかし、なぜ解明できないか?などの謎を残す為にも

この解明手順は必要だと思います。

あと、通常兵器などでのダメージですが、

これも「ダメージ」までは可と思います。

これは怪獣を怒らせる為にも演出的に使えるのではないかと・・・

(人間のいらんちょっかい、人間の愚かさを表現する為にも)

(初代でも山根博士が品川の警備隊に

「ゴジラはますます怒るなかりです」と訴えていました。)

ただーし!それで致命傷を与えるなどと言うのは絶対に不可!

(私は基本的にGODZILLAは好きですが、全てが良いとは言いません!(笑))

これは不可!

怪獣は人間の脅威であり、

人間には推し量れない野性で動くから、さらに脅威が増すものだと思ってます。

その為には通常の軍事行動によって、多少ピンチになったとしても

(これはストーリー的な盛り上げの為)

自力で振り払ってもらえないと脅威じゃないですものね。

(モスラ対ゴジラでも多少は聞いてますよ。電撃とか)

(でも人間の焦りで失敗しますけどね)

GMKに関しては・・・

(ゴジラ続投が正式に無くなったので・・・もう言おうかな(嘆)

いまの所、インタビューと発表部分に食い違いがあるので

どう解釈すればいいのか問題を感じています。

それは・・・

1「ゴジラ」は怨霊(悪想念)で動いている?

2「ゴジラ」に対し、ラストの盛り上がりでドリル系の実体攻撃が行われる。

1であれば実体攻撃は無意味なはずです。

それなのに、あのドリル艇です・・・

これが意味するものは

1・あくまでもゴジラは生物である。

2・怨霊うんぬんというのは、ゴジラを前にした登場人物たちが、その行動原理を

 イメージ的(観念的)にそう理解しようとした物である

(我々ファンがよく、「ゴジラ=核」というイメージを持ち、作品のバックボーンを語るのと同様の意味合い)

なのかな?と・・・

Lans的には、この部分に一縷の希望を見い出しているのですが・・・

やっぱり・・・ギドラが正義なのは・・・

長年のイメージがあまりにも大きすぎて・・・

そうですな・・・

ラストにどんでん返しでもあって、実はギドラの方が暴走し

悪に近い行動でもとってくれれば・・・

その結果、ゴジラ、ギドラが人間の意志など、なんの関係もなく、

互いの存在を脅威に感じ、本能的に戦ってくれればなぁ・・・

その過程で、人間側はどちらかに「とりあえず加勢」するって感じで(笑)

PS:

ゴジラの白目・・・

私的にはUPでない限り目自体は目立たないので、今回は特に問題にしません。

ただし、この白目では、初代の超然とした態度や平成の挑戦的な態度などの

ゴジラの表情を表現できなくなると思います。

その為、

「否定はしませんが、決して「良い」とは言いません!」

(あえて言うなら「怒り」は表現しますが・・・)

(常に激怒してる生き物なんていないもんなぁ・・・)

(なんか「ありえなさすぎ」って感じです)

(実写なんだから、マンガ的、アニメ的表現に「なりすぎる」って問題です)

(実写の「らしさ」を奪っては実写の持ち味がなくなってしまいます!)

(ちなみに、私はかなりのアニメマニアなので、アニメ表現は好きなのですが・・・)

 

 

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そーですねぇ [No.32]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/31 (水) 15:16

怪獣出現という事態に知的興奮を織り込むとすれば、怪獣の生態解明という要素を取り入れる事が確実な方法では あるんですよね。(これをうまくやったのがガメラ2でしょうか)

それでも、ある程度作品出演を重ねたスター怪獣にはやらないほうがいい展開ではないかと思ってます。

(これ、あくまでも怪獣解明を「主軸」にはしないほうがいい、という意味です)

そんな研究にある程度踏み込むストーリーになってしまうなら、怪獣解明になりうるヒントが、決して決定打には ならないようなはぐらかしをしないといけないように思います。

(vsビオランテで、サンダーコントロール作戦が奏功したのは、抗核エネルギーバクテリアでゴジラの活動を抑 えることが出来るという理論が正しかったからですよね。そういうのはちょっと、と思うんです。あれ?設定違ってましたっけ)

 

 

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抗核エネルギーバクテリア [No.34]

投稿者:Lans

- 2001/10/31 (水) 16:10

>あくまでも怪獣解明を「主軸」にはしないほうがいい

同意です。

解明だけじゃ解決にはなりませんし、話が地味すぎます(笑)

解明しようとする姿勢と描写は必要だと思うのですが、

そこに焦点を当ててはいけません。

単なる、基本設定を観客に説明する役割から逸脱しない範囲が理想だと思っています。

>抗核エネルギーバクテリアでゴジラの活動を抑えることが出来るという理論が正しかったからですよね。

そうです。

抗核バクテリアが低温(ゴジラの体温)では繁殖しない

なら、体温を上げればバクテリアが繁殖してゴジラはエネルギーを奪われる

という考えから行われた作戦でし。

一応、抗核バクテリアに関する「Lansの」解釈と評価は

ゴジラも変なウイルスが体内で繁殖すれば、気分くらいは悪くなるだろう

元気くらいは無くなるだろうと思います。風邪や食中毒ですな。

この程度は生き物としてはあたりませなので、あれでもいいと思います。

ただ、抗核バクテリアで完全長期な無力化(殺す)は却下です。

映像でも最終的には効果なし(回復?)となっていましたし。

ただ、抗核バクテリアじゃ駄目だったと明確な結論を出さなかったのは

vsビオランテの作品的な失敗だと思います。

あそこで、ちゃんと否定してくれれば、ゴジラの謎を継続できたのに…

本来は、あの時点でゴジラは核だけで生きてるのではない!という

一端84で解明されかけた謎を再度、持ち直すチャンスだったと思うのですが…

(ちなみにオルガナイザーG1は通常の観客には「なにがなんだか解らない」ので

そんな物を映画の中心においた時点で却下!って感じです(爆)

(ああ、このBBSは本音で行けるので嬉しいっす(汗)

(管理者が一番辛口だし(笑)