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ブレーク・タイム [No.35]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/10/31 (水) 18:48

 

 

みなさんの書きこみでディープな話が出来て、管理者としては嬉しい限りです。

これからも飛ばしていきますぞーーー。

で、私がもう張本人なのですが、どうしても書きこみが長文になってしまうきらいがあります。

長文大歓迎なのですが、返信まで長いとレイアウトとして見にくいですし、

1ページのデータ量が大きくなって読みこみに時間もかかります。

(実際、あたくしのペンティアム150メガでは読みこんでからの内部処理にけっこう苦しくなっております)

というわけで、誰かの記事に触発されてのレス的内容でも長くなりそうとか複合した内容の場合は新たにスレッド を立てるということでいかがでしょうか。

まあ、おおよそのルールということですので、厳密に考えはしませんけど。

それと、メール通知を希望にチェックを入れると、この掲示板に新たな書きこみがあったときにメールで教えてく れるらしいですよ。

(私はまだ使ってみていないんですけど)

>Lansさん

そうですねぇ。

できるだけいろんな人に読んでほしいとは思うんですが、

よその掲示板へ行ってここを宣伝するというわけにも行きませんしねぇ。

(営業妨害かっ、なんて思われそう)

出来る範囲でサーチエンジンに登録するようにしているんですが、あんまりうまく行ってないみたい。

ここは、みなさんの口コミでぇ。なーんて。

そうそう、vsビオランテの構成が、抗核エネルギーバクテリアで一旦弱体化したゴジラが人間の予想を裏切って 再活発化し、そのあとでビオランテとの決戦になだれ込む、というものだったらもっと印象が違ったはずなんですが・・。

(それとビオランテもちゃんと人類にとっての脅威でなきゃ。バイオメジャーを何人か「絞めた」だけでは、勝っ た方が人類の敵になる、とはいえないっす)

 

 

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vsビオランテ [No.36]

投稿者:Lans 2001/10/31 (水) 20:24

 

 

>抗核エネルギーバクテリアで一旦弱体化した・・・というものだったらもっと印象が違ったはずなんです が・・。

いや、実際そうだったんですが・・・(汗;;;;

一端弱ったゴジラが

とどめを刺そうと焦ったAH-1(攻撃ヘリ)の集中攻撃で再び怒り出して・・・

撃退されるヘリ、そこにビオランテ登場

となってるので・・・

でも、そのゴジラの再起動がうまく表現できてないので

観客に伝わっていないと・・・

(多分、ghidorahさんにも(汗)

そのあたりの「まずさ」が、

あの作品を「おしいっ!」にしてるのだと思います。

観客全てが私のように好意的に深読みする訳がないので(自爆)

説明しなければいけない部分はしっかり説明し描写しないといけないですよ。

ゴジラ再起動の時に一言でいいから

「なぜだ!抗核バクテリアが効いていたのに!」

と言ってくれていれば(嘆)

>勝った方が人類の敵になる

たしかにビオランテの脅威が描かれていないっす。

人間の意志を失って暴れるビオランテが観たかった・・・

(なんか、地底怪生物マントラって小説みたいな激闘を期待してたのに)

(マントラ・・・マイナーすぎかな(自爆)

 

 

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あれぇぇ? [No.37]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/10/31 (水) 20:40

そうでしたか。(vsビオランテをあまり繰り返しみていないことがばれるぅ。許してぇ)

印象強いのは、海岸にゴジラがだらしなく伸びているところなんです。

(ビオランテとの闘いで体温が上がって抗核バクテリアが増殖したとか言ってませんでしたっけ。まあ、ちゃんと ゴジラは起き上がるんですけどね)

その無様さが人間の手に引っかかったためだというのがなんとも情けなくて。

うう、マントラ(真言?ウソ)は知らなかったです。

 

 

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問題点・修正 [No.38]

投稿者:Lans

- 2001/11/01 (木) 10:57

いやー、ビオランテを観ました。そしたら、ちゃんと

「抗核バクテリアが効いてないのか?」

と言っていました。しかし、見返して観て問題もハッキリしました。

問題点1

 抗核バクテリアがビオランテとの激闘中に効き初めてしまう為。ゴジラが途中で戦意喪失し逃亡。さらにビオラ ンテは対戦で致命傷を受け苦しむばかり。

 その為、対戦がうやむやの内にあっけなく終了し観客のフラストレーションが溜まってしまう。

≪やはりトドメの一撃で決着はつけて欲しい。≫

問題点2

 激闘を終わらせたのが結局、抗核バクテリアの為、ゴジラ=核動力説を肯定してしまう。

≪効かないとストーリー展開上まずいのだが、ゴジラにはそれを跳ね返して欲しかった≫

問題点3

 ラストのゴジラ復帰時に

「海水で体温が下がったのか?」

という疑問は出てくるが、その後の登場人物の態度が≪もう、どうでもいいや≫的な態度の為、しっかりと復帰の 謎を提議できていない。

≪ラブラブはいいんだが、肝心のゴジラを適当にあしらうなって…≫

≪ゴジラの復帰に対して驚きと混乱が足りないぞ、少しはうろたえろって…≫

問題点4

 ラストのカーチェイスが蛇足すぎて、終盤の余韻を壊してる。

≪エージェントはさっさと倒して、博士の死とゴジラの復帰、それに対する驚きと困惑にもっと演出を集中すれば よかったのにぃ≫

て感じでしょうか。

>マントラ

朝日ソノラマ文庫でむかーし出てた小説です。小学生の頃、非常に好きでした。

地底のマントル層で繁殖する植物怪獣と人類の攻防です。

ラスト付近でアンドロメダ星人に新兵器を貰って(これには参ったけど)

南極の温暖化(マントラの為)により半分水没したビル街に陣取った残存地球軍と突進するマントラ集団(マント ラは複数存在)の攻防が熱かったんです。


ゴジラの野性 [No.39]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/11/01 (木) 15:56

 

 

No.30のLansさんのお話の中に「ゴジラは野性で動くからさらに脅威は増す」というくだりがあって、 がっくんがっくん赤ベコのように首を上下させてしまいました。

ゴジラの重要な魅力のひとつには「野性」というのもあると思います。

ゴジラの行動に「大義」や「使命」なんかないんです。

それが、毎日義務や責任に縛られている私たちには、とてもうらやましく、開放感を感じさせる要因ではないかと 思いました。

とくに子供たちは、「あれしなさい」「これしちゃだめ」と押さえつけられていますから、余計ゴジラ(というか 怪獣)に魅せられるのでは?

まあ、最近の子供はそんなに抑えつけられていないのかもしれませんけど。

だから、ロボット怪獣でも自律的に動くものはまだしも、人間が搭乗して操縦するものは怪獣の魅力半減(どころ か80%減?)なのでしょう。

さらに、フィクションに登場するキャラクターにもさまざまなタイプがあるわけですが、怪獣はアウトロータイプ の極めつけなのかもしれません。

巨大で、生命力が強く、闘いを好み、完璧に自由です。(繰り返しみたいですが、怪獣にはさまざまな種類がいる ので全部がこれに当てはまるとは限らない)

人間じゃないのですから、アウトローもなにも、話し合いすら出来ない奴ってわけです。

ひょっとすると作り手にもその行動を説明することが出来ないのかもしれません。

ゴジラがなぜモスラの卵に興味を持ったのか?

説明つかないほうがおもしろいです。

そして、それがかっこいいんですよ。

平成ガメラの失敗は、怪獣にちゃんとした野性を与えなかったことではないかと睨んでいます。

設定でがんじがらめになっていて、窮屈な感じを受けました。

特撮マニアであれば、「あの合成カットがすごい」とか「ミニチュアの作りこみが見事だ」なんて視点で見ること も出来ますが、そんな視点を持っていない人には、巨大な怪獣が出てくるのにスペクタクル映画に必要なカオスが表現されていないことが不満に思えなかったで しょうか。

もちろん、きわめて理詰めに構築された設定やストーリーで感心した人もいたとは思いますが、そのおもしろさは 怪獣映画のコアなのでしょうか。

レギオンが唯一、野性動物だったはずですが、レギオンの心が見えなかったですね。

まるで自動機械のような奴でしたから。

何をしでかすかわからないのだとしても、「心」が感じられないと動物って感じがしないんですよ。あまりにも異 質すぎては、「スター」にはなれません。

(ストーリーに従属して使い捨てられるキャラクターならどんなんだって構わないんですよ)

さて、GMKの怪獣たちに野性はあるのか?

>Lansさん

vsビオランテの問題点、同意同意同意!!!

で、なんでそんな問題を残しちゃったかというと、怪獣をストーリーの従属物としか考えていなかったからではな いかと思ってます。

「マントラ」、ソノラマ文庫だと今でも手に入りそうですね。

うーん、しかし、アンドロメダ星人とは・・。今読んでもおもしろくはないんだろーなー。

 

 

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それなりの理由 [No.41]

投稿者:Lans

- 2001/11/01 (木) 19:39

>ロボット怪獣

ロボット怪獣はロボット怪獣の意味があると思います。

それは「自分の自由になる巨大な力」です。

これは「勝手気まま」と対極に位置します。

野性には、憧れを感じます。

しかし、相手の従属は、自分の支配欲を満たしてくれます。

さらに、その力で他を圧するというのは暴力的ですが

人間の根幹的な部分をゆさぶるものがあると思います。

それこそ、実生活では行えません。

自分の自由=野性

相手を自分の自由にする=支配

かなり危険な欲望なのですけどね。

だからこそ、仮想空間やストーリーでしか満たす事のできないものです。

この最たる例は「ガンダム」に行きつきますが…

ということで、これは、これで大きな魅力を秘めていると思います。

ただ、これをやったら「勝つキャラ」でないと魅力半減です。

「負けるキャラ」なんか普通は乗りたくありません。

(例外:世界観に酔えるザクなどは別。このザクの同列には零戦や大和、タイガー戦車などがあり、滅びの美学に 通じます:これはまたの機会に書きます)

>レギオン

>何をしでかすかわからないのだとしても、「心」が感じられないと動物って感じがしないんですよ。あまりにも 異質すぎては、「スター」にはなれません。

はい、そうです。絶対ヒーロー的なスターにはなれません。

しかし、悪役、ライバル、ヒールスターとしては十分にありだと思うのです。

これも、人間は自分が理解できないものに本能的な恐怖を感じます。

敵とするなら十分です。

同一次元として「エイリアン」「ターミネーター(初代)」があたりますよね。

どっちかというとレギオンは、まだまだ不気味さと無機物性が足りてなかったように思います。

(まだ、思い切りが足りないから、中途半端だからスターになりきれない)

(あの種の敵はとことん不気味に描かなくては魅力が伝わりません)

(言い換えれば「不気味」だけが魅力です!)

(あ、Lans的にはヘドラも同列です。そしてヘドラの方が徹底してたと思います)


そうだ、そうだ! [No.40]

投稿者:兄貴(赤) 2001/11/01 (木) 18:37

 

 

おおっ!Lansしゃん大暴れですね。

国際映画祭まで後2日、盛り上がってきましたね。

怪獣映画論については、今までも何度もしましたし、ここで出された意見とほとんど同じなので今回は、あえて申 しません。

ただ、ゴジラが人間を食べる件ですが、確かにLansしゃんがおっしゃった様に、初代ゴジラや逆襲では、「も しかしたら、ゴジラは人間も食べちゃうかも」と思わせる雰囲気でした。

つまり、この2作でのゴジラのキャラクターには、そう言う可能性もあったと思います。

しかし、キンコング対ゴジラ以降は、全く別物だと思うのです。

食べ物欲しさに家畜を襲うようなキャラクターではなかったし、ましてや人間を食べるなど想像すら出来ないと思 います。

キンゴジから明確にゴジラのキャラは変ったと思うのです。

そして、ここが重要なのですが、人間を直接襲う事などないし、自由気ままに振る舞い、そこには愛くるしささえ 感じさせる演出になっていったと思うのです。

そして、そういうゴジラを描いた作品が「黄金期」を築いたのだと思います。

もし、ゴジラのキャラが「人間も食べちゃうかも」と思わせるようなものであったなら、黄金期はやってこなかっ たと思うのです。

観客がゴジラに愛着が湧いたから、皆ゴジラが好きになったのでしょう?

ところが、平成シリーズでは、どうもゴジラの茶目っ気や遊びが無くなってしまって、ギスジスしたものになって しまいました。

これが、子供達から大きな支持を得られなかったのではないかと思うのです。

誤解の無いように付け加えますが、劇中の人間たちはゴジラに対して、恐怖おののくはOKなのです。

しかし、観客がゴジラに対して恐怖する必要はないのだと思うのです。

我々は、傍観者です、自然に振る舞うゴジラの姿が観たいのであり、自由にやんちゃに生きるゴジラを目を細めて 「うんうん、そうか、そうか、今度はそのビルを壊すのかい」と見守っていたいのです。

ところが、GMKのゴジラは白目ですよ。

そんなものに愛着が湧きますか?

昭和時代の怪獣たちは、目の動きで沢山の感情表現をしていました。

当時のきぐるみは、平成の様に顔の形を変えたりできませんでしたが、よっぽど豊かな感情を表現出来ていたと思 います。

K監督は、ゴジラに感情を持たせるつもりは無いという事なのでしょうね。

そんなゴジラに誰が愛着を持つのでしょう?

監督自身が怪獣に対し愛着がないからこの様な事をするのだと思うのです。

怪獣に対して愛の無い人間が作った映画が、楽しい訳が無いと私は思います。

なんか怪獣映画論になっちゃったかも(^^)

さて、あと2日…

 

 

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2種類のゴジラ… [No.42]

投稿者:Lans

- 2001/11/01 (木) 20:21

>なんか怪獣映画論になっちゃったかも(^^)

いいじゃないですか!がんがん逝きましょう!兄貴しゃん!(喜)

(ああ、公式BBSを思い出すでし)

>ゴジラ

私はみんなが望むゴジラには2種類あり、それらはゴジラというキャラクターの2面性を表していると思います。

人類究極の敵ゴジラ

我等の味方ゴジラ

それぞれの時期・時勢により、どちらが望まれるか?

それによりゴジラの属性が決まってくるのだと思います。

世間が、越えるべき壁を感じている時、ゴジラはその壁、敵として望まれ

世間が、甘えを必要としている時、ゴジラは味方として望まれるのではないでしょうか?

過去のゴジラ黄金期、昭和30年代、彼は最大の力の象徴であり、もっとも頼れる存在だったのです。

しかし、40年代になって、彼の地位を脅かす存在が現れてしまいました。

ソレは瞬く間にゴジラの地位を奪っていきました…

ソレはゴジラと同じ円谷英二から生み出されたのです。

「ウルトラマン」

ゴジラと決定的に違い、最初から人類の味方としてだけに生み出された正義のヒーロー。

私は、ウルトラマンの存在が「みんなの味方ゴジラ」を駆逐してしまったと考えています。

それが、40年代になって最終的に昭和ゴジラの衰退に拍車をかけたのではないでしょうか?

さらに40年代は厳しくても、どこか「甘え」が許されていたように思えます。

そして「甘え」の対象としては、途中からなりゆきで変化してきたゴジラより、最初から、それを想定したウルト ラマンの方が確実に上でしょう。

(つらいけど、冷静に考えるとそう思うのです)

しかし「甘え」の一面を奪われたゴジラには敵としての道が残っていました。

84復活の時、世間は冷戦のまっただなか。そして世界のいきづまりを感じはじめていたと思います。さらに平成 からは「バブル崩壊」に続く不況により、その閉塞感は頂点に達しています。

しかし、そこで人間が頼るのはゴジラではなくウルトラマンです。

ガイアの歌なんか、まんまじゃないですか

「ピンチの連続、そんな時、ウルトラマンが欲しい」

となるとゴジラに与えたれる物は壁の役目です。

それも、世間を象徴するような「圧倒的に強力な壁」

「人類の挑戦し超えなければいけない壁」としての存在です。

これが、平成シリーズが「対ゴジラ」に徹してしまった

そしてユーザーが望んでしまったゴジラではないでしょうか?

かつて、ゴジラが持っていたおおらかさ、無邪気さ、楽しさ、面白さは

ぜーんぶ、ウルトラマンに持っていかれてしまったのではないでしょうか?

うーん、書いていてなんですが…悲しいです(泣)

でも冷静に考えると…

今、時代は疲れすぎて癒しを求めています。

で、癒し系ウルトラマンが出てきてしまいました。

その為、ゴジラは癒しに向かっても最大のライバルが既に先行しているので確実に不利です。

ゴジラには人類の敵しか道は無いのでしょうか?

反論プリーズ!

(誰か、私の考えを打破して下さい!お願い!(頼)

(書いてて自分で行き詰まってしまいました(悲)

>愛着について

ゴジラに愛着があり、それを望む人も多く存在します。

しかし、それと同様に人類の好敵手(ライバル)として

それをカッコイイと感じ、そこに惹かれる人達も多いでしょう。

それぞれ、かなりの部分で対照的になっています。

しかし、本当に「野性」で描写するならば、方法はまだあると思うのです。

ただ、そこには基本的に人類の敵ゴジラにはなると思います。

しかし、描写の中に自然な生き物らしい感覚は持ち込めるでしょう。

そして、それを強調する為に無機物的な敵を配すること出来るでしょう。

そこに「生物ゴジラ」を出せると思います。

うーん、敵ならば敵で、まだまだ方法はあるのか…

(勝手に自分で立ち直ってしまった…かな?)

(あ、でも敵からは、離れられてないや…)

敵と味方…でもこの2面性があるからこそ、時を越えて時代に合わせ

ゴジラは生きてこれたのでしょうね。

まだまだ、がんばれゴジラ!

 

 

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詳しくは明日 [No.44]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/01 (木) 21:00

のLansさんのレスに、いろいろ思うことはあります。

ゴジラは大丈夫です。


ちょっと改造 [No.43]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/11/01 (木) 20:50

 

 

1ページに表示される記事件数を減らしてみました。

これで少しは読み込みが楽になるかと思います。

ちょっとだけレス

>Lansさん

搭乗型のロボット怪獣の魅力としてご指摘の要素は、搭乗型ロボットの魅力であって、怪獣の魅力とはちょっと違 うのではないかと思います。

怪獣の魅力がその野性によるところが大きいとすれば、ロボット怪獣として十全たるものになるには、

暴走する機械、というイメージを取り入れる必要があるのではないかと思っています。

そういう点では、傑作ロボット怪獣メカニコングもドクター・フーの意志を代弁しているところに不満を感じてい ます。

また、悪役であれば徹底的に無機質でも構わないというのも、劇中、仇役として機能するにはそれでいいと思いま す。(怪獣でそれをやっていいかという疑問も少し)

また不気味さの表現として、Lansさんご指摘の「理解不能」という要素が重要という点は私も同感です。

しかしながら、たとえ憎まれ役でもスター性を獲得するためには、

やはりそこに「心」があることを感じられなければならないように思います。

理解不能の心が存在しているように見えることが必要では?

(もちろん仇役がすべて理解不能である必要もないですけど)

キングギドラやヘドラには、理解できないけれども「心」を感じませんか?

それに対して、レギオンは。

確信はないのですが、この違いは、「目」じゃないかと思ってます。

目をどうデザインするか、というあたりが重要ではないかと。(それをどう演出するかというのも当然絡みます)

いくら「総進撃」でけっこう重い扱いをしてもらっていても、クモンガはスターになれませんでしたよね。

>兄貴(赤)さん

ゴジラの食人の可能性というのは、あくまでも理詰めの考え方から導かれ るものとして認めざるを得ないかな、と。

ただし、劇中でその可能性を匂わせるような演出をやってはいけないということなのだと思います。

「三大怪獣」ではクジラの群を追ってましたからねぇ。

やっぱりクジラを食うんじゃないでしょうか。

84ゴジラで、ゴジラが原子力で動いているかのような表現をやってしまい、

つづくvsビオランテでそれを裏付けるようなストーリーにしてしまったのも、

円谷時代にゴジラの食事というものを(意図的だったんでしょうけど)すっぱり切り捨ててしまったことを曲解と いうか、いいようにされてしまったというか・・。

私としては、『ゴジラ』で家畜が食べられていることを伝えているのだから、

あとの作品でいちいちゴジラの食性を云々する必要はないと思っているんですが。

 

 

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しまった [No.45]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/01 (木) 21:16

レスが付くと記事の表示順位が変わることをつい失念しておりました。

上の記事中のレス、

Lansさん宛はNo.41のLansさんの発言に対してです。

兄貴(赤)さん宛はNo.40の兄貴(赤)さんの発言へでございます。

あとで読む方、表示の順番が前後してますのでお気をつけて。

(管理者がこんな間抜けなことをやっちゃいかんですなー。がっはっは)

って、このレスでまた順番変わるのね。

 

 

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追いつけないペース・・・ [No.46]

投稿者:K4

- 2001/11/01 (木) 23:28

GODZILLA公式BBSを思い出しますね^^;

>ゴジラの食人の可能性

はghidorahさんの意見に近いです。

というよりも、ゴジラ・怪獣論から離れるところで(演出論)

見せるべきものでない、と思ってます。

円谷さんが怪獣が流血するのを見せたがらなかった、(苦肉の策でゴロザウルス

が泡をふく位に抑えた)という話は、観客の立場、とくに低年齢層を多分に

意識されてのこと、と聞いてます。

怪獣が憎むべき対象というのはありでしょうが、「ゴジラ」という存在は

また違った存在だと思ってます。

ゴジラが人間を食べる、というのは、人間を結果として襲うというのとは

違いますし、見ている側へ与える印象、影響は大きく違ってきます。

GMKに限らず、近年の怪獣映画で怪獣に対する愛情の欠如というのが

少し気になりますね。

ボロクソに言われる「ゴジラ2000ミレニアム」ですがオルガの哀れさは篠田の娘

の悲しそうな表情で何かを感じる事は出来ました。可能性はあるネタだったんだ

けどな>ミレニアム

こう考えてみると兄貴さんのおっしゃる白目のゴジラはその辺が不安かな。

こちら側の感情の入りこむ余地を排除しちゃってるのではないかと。

ま、ま。(行けるかどうか微妙だけど)映画祭まであとちょっと。

公開までは1ヶ月半。GMKについてはまた後々に…

 

 

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気合入りまくりなもんで [No.47]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/02 (金) 10:26

飛ばしすぎちゃってますか?>K4さん

呆れずに、ときどきは合いの手でも入れてくだしゃい。

 

 

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悪役怪獣ぅ [No.50]

投稿者:Lans

- 2001/11/02 (金) 15:02

>搭乗型ロボットの魅力

確かにそうです。

私が書いたのは搭乗型ロボットとして捉えた場合に限定されます。

そして、

自立型型に限定するなら「暴走」などの非従属性の大事さは激しく同意します。

(自立型の暴走と怪獣の野性には感覚的に近い脅威を感じますので)

>「心」

というよりも「書き込み」と「作中の位置」だと思います。

クモンガはやはりストーリーの中で重要ではあっても主要な敵、ライバルではありません。その時点でスターには なれないのです。

ストーリーの中で、あらゆる意味で主役と対になるキーキャラならば

「心」に関係なく悪役スターならば実現できるのではないでしょうか?

(エイリアンやターミネ-ター(初代)、ホラー映画でのゾンビなどがその例だと思います)

>食人

私も、一端書いてありますが

決して映像に出す必要性はないと思います。

でも、たまには食性にも触れないと…

観客が全て過去の作品を把握しているわけではないからです。

過去の設定に関する演出を盛り込む場合、あまりにも有名な設定でないかぎり

(ゴジラが放射能火炎を吐くとかね)

さらり とでも説明する必要があると思います。

(食性や光で凶暴化とか…)

(もちろんあまり突っ込む必要はないと思います)

(過去の例では…程度の説明で)

 

 

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悪役スターとゴジラの食性 [No.52]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/02 (金) 15:56

ふーむ。

確かに、描きこみの深さも影響しそうですね。

それは、作り手のこだわりが反映される部分で、

演出する側があるキャラクターに入れ込んでいれば、

その思いが観客にも伝わり、存在感の大きなものに

なるのでしょう。

そうすれば、ストーリーから独立しても魅力を

放つようになり、別の物語の中でもう一度見たい、

と思われるようになる・・・。

そして、スターになる、と。

ゴジラの食性に関しては、

せめてセリフでいいから、養豚場が襲われたとか、

牛舎が狙われた、とか言っちゃってもよかったかもしれませんね。

ただ、その後つらつら考えてみて、

円谷監督時代のスタッフには、ゴジラから生活感をなくそうという

思いがあったんじゃないかと気づきました。

人間のキャラクターであれば、さすがに飯を食っているのかどうか

わからないというのではやりすぎなんですが、

映画がフィクションの王道だった時代の人気キャラクターたちは

ストーリーにもよりますが、何で稼いでいるのかわからない人物が

多かったようにも思います。

一応設定としてはなんらかの職業についていても、

その仕事をお前はやっとるんかぁぁぁぁ、と突っ込みたくなる人々です。

それと同じように、スター・ゴジラから生活感を剥ぎ取ろうとしたのでは?

(ゴジラの息子で、ゴジラがミニラに施す教育が放射火焔の吐き方ですよ。

ストレートに発想すれば、えさの取り方を教えるべきでは?

また、ゴジラ以外の怪獣には物を食べるシーンがあったりします。ってほとんど

食人かぁ?エビラ・バラゴン・ガイラ・・)

このあたりは確信があるわけではないので、もっといろんなご意見を求む!


No.42のLansさんからお題をいただいて [No.48]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/11/02 (金) 10:30

 

 

>ゴジラの二面性

私もゴジラにはひとつに絞れない多面性があると思います。

私がゴジラのイメージを二つに分けるとすると、以下のようになります。

(あくまでも対人類という関係性において)

・決して人類が克服することが出来ない災い

・同じ地球の生命樹に発生した仲間

Lansさんの分類を言い換えているだけに近いのですが、

「敵」というのと、「災い」というのでは意味が違ってくると思います。

また、同じ立場を共有するというだけでいつも味方をしてくれるとも

限らないのではないでしょうか。

もちろん、上記の考えは作品を通じて導き出したものです。

自分の発想や希望ではありません。

ゴジラが「敵」ではなく、「災い」であるというのは、

ゴジラが、決して人類に対して敵意を持ってはいないということに由来します。

個々の戦闘において、飛行機や戦車に敵意を燃やすことはあるでしょう。

しかし、ゴジラは人類を殲滅しようとしているわけではありません。

(例は多数あります。キングコング対ゴジラにおいて、急行津軽を

脱線させたゴジラは、非難する人間たちを見ているはずです。

しかし、放射火焔を吐くことはありませんでした。

また、「三大怪獣」において、ゴジラは人類への不満をぶちまけますが、

「勝手にしやがれ」と突き放しています。「敵」に対して勝手にしろとは

言わないでしょう)

ゴジラが災いであることでその被害にあった人間の中には

ゴジラを敵視する者が出てくることも否めないのですが、

敵視することと敵であることは別である、と冷静な観察者である

観客は気づかなければなりません。

それでも、1970年代までのゴジラ映画にはゴジラを敵視する

人物は出てきませんでした。

そこに製作者のゴジラへの愛を感じます。

現実のシミュレーションなら、ゴジラを憎む人間を出したくなるのは当然なのです。

事実、84年以降にはその手の人物が頻出します。

つづいて、地球生命の仲間としてのゴジラですが、

この考えが作品の中で初めて取り入れられたのは

「三大怪獣」ということになるのでしょう。

モスラのセリフにはっきりと表れています。

しかし、ゴジラは人類を仲間とは認めようとしません。(わからずやで頑固な奴)

ここでは、いじめられるモスラを助けるために闘います。(弱いものいじめが嫌い)

製作者たちは、宇宙怪獣という地球外生命を登場させることで

ゴジラと人類が同じ目的を持つ状況を作り出したわけです。

この発想は、『地球防衛軍』(以下の空想科学戦争もの)と同じ物です。

ゴジラは決して人類のために戦ったのではなく、

自分のために戦ったのであり、それが人類の利害と一致していただけなのです。

これは、70年代ゴジラであっても変わりません。

対ヘドラもガイガンも、ゴジラは地球を守るために戦ったのであり、

人助けではありませんでした。

(ただし、地球を守る、という立場を明確にした瞬間、ゴジラは不自由になってしまう。

そこに使命が発生してしまった)

ゴジラシリーズの流れを考えると、ゴジラ(怪獣)と人類の共存の道を

探る物語であったはずです。

当時の製作者が考えた怪獣サーガの終着点が『怪獣総進撃』であったはずです。

この作品は冒頭で「怪獣映画」を否定するところから始まります。

怪獣が人類にとっての脅威でなくなったら怪獣映画は成立しないのです。

その平和を破る外敵の登場でドラマが動き出すわけですが、大枠では

「三大怪獣」と同じ構造を持った物語ということになります。

総進撃に先行する2作品で、ゴジラが文明から切り離された場所にいる限りは

人類とゴジラが戦う必要はないのだ、という状況も示されているのです。

上記の考え方から、ゴジラと人類が共存する方法を提示しない限り、

ゴジラは人類には脅威となりうるし、ゴジラが人類を「敵視」していない限り

観客がゴジラを憎む必要もないのです。

(ゴジラをかわいい奴と思って構わない)

さて、そこでウルトラマンとの関係なのですが、

ゴジラが担うべき役割をウルトラマンに取られてしまったわけではありません。

マニアならご存知の通り、ウルトラマンはもし人間に味方する怪獣がいたら、

という発想で企画された「ベムラー」が元になっていると言われています。

これは確かに、三大怪獣や怪獣大戦争でのゴジラから導き出された発想でしょう。

しかしながら、上述したとおりゴジラを人間の味方にしてしまうという

動きはないのです。(なぜならそれをやるとゴジラではなくなってしまうから)

ウルトラマンはゴジラ映画の流れから発想された、別のキャラクターなのです。

当時子供だった私の感覚として、ゴジラとウルトラマンに同じイメージを持つことは

ありませんでした。

ゴジラとウルトラマンはちょうど裏返しの存在です。

同じ地球の仲間なのに衝突せざるを得ない相手と、地球人とはまったく異質な

生き物なのに地球人の味方をしてくれる存在。

ウルトラマンがゴジラ人気を食ったということは、絶対にありません。

付け加えると、ウルトラマンは理性的な存在ですから、そこには無邪気さや

奔放さはないです。(ドラマ「ウルトラマン」はゴジラ的なものを殺してしまう

物語であり、子供たちにひょっとすると行儀よくせえ、と言っているのかもしれません。

もちろん、それでいいのか、という自己批判が初期ウルトラシリーズには含まれていて、

それも魅力でした。当時の子供たちは、ゴジラを見て己の野性を開放させ、

ウルトラマンで理性の側に立つという、相互補完を行っていたのかも。穿ちすぎかぁ?)

しかし、テレビがゴジラ映画の縮小をもたらしたのは事実でしょう。

『怪獣総進撃』で怪獣映画に幕を引こうとしたのは、ゴジラ人気が低迷したからだ、

という説がこのごろまことしやかに流布していますが、『ゴジラの息子』上映時の

劇場がどれほどの混雑具合だったかを知っている者としてはまったく馬鹿げた説と

言わざるを得ません。

ゴジラの人気が低迷したのではなく、映画界全体が斜陽だったのです。

私の親も、「そのうちテレビで放送するよ」という決め台詞でぜんぜん映画を

見に連れていってくれませんでした。

当時、東宝が一旦怪獣映画に幕を引こうとしたのには、二つの理由があったと思われます。

映画収益が減ったため映画製作本数を減らす方向であり、制作費がかさむ特撮映画も

減らさなければならなかった。

もうひとつは、円谷監督が自分に貼られてしまった「怪獣の円谷」というレッテルを

破棄したかった。

特に、製作者側の怪獣映画に対するモチベーションの低下というのが大きかったのではないかと

思います。(それと、もうゴジラに対して攻撃をかけるような映画を作りたくなかったのではないか、

とも考えています。これは香山滋さんの希望とも一致する)

それでもファンの声には逆らえず、

『オール怪獣大進撃』でゴジラ映画を続投させるわけです。

それでも、この映画でのゴジラはあくまでも夢の中の存在であり、

「男はつらいよ」の冒頭の夢にギララが出てきたのと同じような意味しかありません。

ここに製作者の意地を見ます。

怪獣映画はもう終わりにしたのだ。怪獣が暴れて町が壊されることはもうないのだ、と。

『オール怪獣大進撃』は、映像として怪獣が登場しますが、決して怪獣映画ではないです。

と、ちょっと話がずれました。

初めに申し上げたゴジラの二面性を守る限り、いまのところゴジラと競合するキャラクターはいません。

ただし、その二面性はひとつの作品に同時に表れなければなりません。

どちらかに片寄って単純化してしまうと、

ゴジラは人類の敵だ、とか人類の味方だ、という極端なイメージを植え付けてしまい、

ゴジラという複雑な存在を卑小にしてしまうのです。

平成vsシリーズが人類対ゴジラという物語しかつむげなかったのは、ファンが悪いのか、

製作者が悪いのかわかりませんが、ゴジラの中の「災い」であるという要素を

単純化して「敵」と考えてしまったことに起因すると思います。

これも、旧作の研究不足からくる浅はかさだったと思っています。

そんな人類とゴジラの対立ばかりに力点を置いたので、ゴジラが死ぬか、人類が滅亡するかしか

終着点を見出せなかったのです。

さて、時代が元気一杯だろうと、疲れていようと、人類が理性を基本にして社会を構成し

生き長らえている限り、野性への憧れは潰えることはありませんし、

巨大なものが文明を破壊するビジュアルに感じる快感や怪獣同士のバトルがかもし出す

肉体の躍動はいつの世でも映画的快感を感じさせてくれるはずです。

近年のゴジラ映画の低迷は、単純な原因ですよ。

ゴジラの魅力をちゃんと発揮させるストーリーを作らなかったことと

物語構成がうまく行っているものがほとんどなかったこと。

つまり、おもしろくないからです。

 

 

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そうっす。 [No.49]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/02 (金) 14:16

「流石は閣下、よ~く御存知で」

Lansしゃんが書かれた「ゴジラとウルトラの件」に対する私の考えも、上の内容と同じです。

なかなか長文を書く時間が取れないので、助かりました>(ギドラ氏)

ウルトラとゴジラでは、立ち位置が違うと思うのです。

どちらも怪獣というキーワードは同じでも、作品として目指す方向が違っているのです。

だから、ウルトラが放送されたからゴジラ人気が下がったという事は有り得ないと思います。

さらに、当時の子供達(私も含め)が、テレビでウルトラを観れるから、もうゴジラは観なくていいや、なんて考 えたりは絶対しませんでした。

ゴジラはゴジラ、ウルトラとは別物でしたし、ガメラとも違うものでした。

ゴジラ人気が衰退していったのは、簡単に言えば「面白い作品が作れなくなった」からだと思います。

私にとって決定的だったのは「メガロ」でした、あれでもうゴジラ映画はダメだと思いました。

ただし、親としてはウルトラを口実に、劇場に行きたがる子供を騙した可能性はありますねぇ

「毎週テレビで怪獣観れるでしょ、お金払って映画なんか観なくてもいいの!」ってね。

さて、ウルトラとゴジラでは、そのスタンスが違う事は、ギドラ氏の書き込みを読んで頂ければ分ると思います が、一つ重要な共通点があります。

それは、怪獣は必ずしも「悪」とは描かれてない事です。

ウルトラにおいてでさえ、人間のエゴによって怪獣は犠牲になっているのだという思想を底辺に持っていたと思い ます。

その良い例が「怪獣墓場」です。

また、侵略者であっても、悪とは限らなかったのが「メフィラス星人」でした。

セブンの「ノンマルトルの使者」においては、人間の方が「悪」かもしれないと思わせる内容でした。

この様に、傑作といわれる作品は、やはり多視点から物事をとらえており、「善vs悪」のような単次元な考え方 で作られてはいないのです。

しかし、最近の作品では「ゴジラ=悪」とまでハッキリ決め付けてはいませんが、どうしても「人類の敵ゴジラ」 に偏り過ぎていると感じられます。

結果、ゴジラ退治の話しになってしまい、シリーズとして収拾つかなくなりメルトダウンしてしまうのです。

そこで気になってくるのがGMKです。

もし「ゴジラ=悪」「キングギドラ、モスラ、バラゴン=善」という図式で物語が構成されているのならば、ウル トラより低次元のお話という事になるのです。

ああ、いよいよ明日ですね。

 

 

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2面性 [No.51]

投稿者:Lans

- 2001/11/02 (金) 15:36

>ウルトラとゴジラ

ウルトラとゴジラの違いはよく理解しております。

これは、作品的内容や人気の比重とは、ちょっと違った問題なのかな?

とも思えてきました。

また私が言いたかったゴジラの2面性は、

あくまでも作中の人間の視点から見ています。

理由は、

「基本的に観客は作中の人物の視点を通して作品を理解・判断するからです」

我々のようなマニア意識の強い人間は、ギドラしゃんや兄貴しゃんのように

多角的、他方向から観れるので、なんの心配もないですし、

それでゴジラに対する意識が変わる事などないのです。

(なぜなら、既に分析し認識済みだから)

しかし、通常の観客は上記の理論で観ていると思うんです。

さらに、製作者側にも、このように観ている人は多いと思います。

とかく、クリエイターという人種は

他との差別化、特に近いジャンルや過去の名作との違いというものを

過敏に意識し、変えていこうとします。

(私自身、某業界のクリエイターとして、差別化を大きく意識してしまいます)

さらに、営業やなんやらが、それに拍車をかけるのです。

「あれとどう違うの?同じじゃ駄目だよ。インパクトがない。」って(爆)

このあたりにも改革の必要がありそうです。

(私も含めて(自爆)

>兄貴しゃん

たしかに「ゴジラもウルトラも好き」という方は多いと思います。

私だってそうです。めちゃくちゃそうでし(笑)

(大人ファン、現在の子供達も含めて)

しかし、両方好きでも「財布の大きさは変わらないのです」(大泣)

私自身、これで何度泣いた事か…

(あ、親も泣くのか…)

その意味ではウルトラとゴジラは立派なライバルです。

(両方とも好きなら、なおの事…)

最近はウルトラ劇場版も定期的に創られ

さらには、仮面ライダー、戦隊と…

しかも、最近のライダーやウルトラ、結構いい出来と言われ人気あるし

これがさらに「作品ごとの差別化」を助長・推進しているような…

(さらにアニメ作品もライバルたり得ます)

この状況は会社にとっては厳しいですよ

(今のゲーム業界に近いです)

市場投入資金の増加規模よりも新規参入規模が大きければ

単体への分配分が低下します。

これに対抗するためには、市場投入資金の増加加速か

参入量の削減しかないです。

(昭和シリーズの終焉時期も考えてみれば、そういった意味でのライバルが非常に増えていた時期だと思いま す。)

(今回の終焉もそう言う事なのかな?)

 

 

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く~ [No.53]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/02 (金) 16:23

作中の人物を通して物語を見る、というのは

確かに正しいのですが、

映画という表現形式はそのカメラが一般的に

誰の目でもない、究極の客観視であるために

神の目でもあるなどと言われます。

そして、(優れた)怪獣映画ではそのカメラアイが

怪獣の立場に寄り添うことも多いです。

となると、そんな怪獣映画を見るときに、

劇中の人間寄りでしか作品を鑑賞できない人は

感受性が鈍いという結論にたどり着きそうです。

(あーあ、猛反発くらいそう)

さらには、怪獣側に立って物を見られない人には

怪獣映画の本当の複雑さやおもしろさはわからない、

と言っちゃいます。

そして、クリエーターが陥るほかとの差別化問題ですが、

Lansさんの悩み、ちょっとだけわかる気がします。

映画にせよ、ゲームにせよ儲けがないと製作できないわけで、

そうなると広告屋さんとか商売人の発想が幅を利かせるように

なるわけで・・・・。

とにかくいままでやらなかったことを、と迫るんですよね。

芸術って、ある形式の中で展開するものなんですけどねぇ。

その形式に新しいものが生まれれば、エポックメイクになるし、

すでにあるジャンルの作品をつくるなら、その形式(フォーミュラ)

を守らないと的外れな物になっちゃうんですが。

まあ、それにしても、過去の作品との差別化を激しく行っている

ウルトラマンも仮面ライダーも、

いまの作品は、「コスモス」とか「アギト」という具合に、

過去のものとは違うもの、という大前提で改変しているんですが、

東宝怪獣だけは、なぜか、まったく同じ名前でつぎつぎと

別物を出してくるから困った物です。

平成モスラなんか、それこそモスラガイアって名前でよかったんじゃないすか。

ドラッドの変異したギドラは、ドラッドギドラでいいし、

84ゴジラはゴジラ三世ってことで別物にしちゃえばよかったんです。

そうすりゃ、いまごろゴジラ兄弟、ギドラ兄弟、モスラ兄弟がいっぱい出来て

おもちゃも売れるぞーー。

世間から見て同工異曲のものが増えると過当競争が起きて

倒れるものも出てくるというのは、おっしゃる通りです。

その中でゴジラが勝ち組に入るには、優れたゴジラ映画を生み出すしかないし、

その他の特撮物と比べたときにゴジラ映画のほうがより深みのある

表現(内容)を出来るはずだ、と思っているので、私はゴジラファンなのです。

小手先の手管で入場者数を増やしたって、意味ないです。