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怪獣設定について [No.70]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/06 (火) 10:34

 

ゴジラの事を書いたので、次はあとの3怪獣について書くつもりでしたが、

やはり、作品の根幹が狂っていることを指摘しておかなければならないでしょう。

 

もちろん、この映画での怪獣の存在意義についてはセリフで語られるだけなので、

解釈としてはそんな登場人物の推理は全部間違っているのだ、という言い逃れも

出来るということは承知の上です。

(事実、設定を反映した描写がないので、私の解釈では劇中無意味な空論を

しゃべりまくっていただけだとなります)

 

設定として、

日本には護国神獣がいる。

これは、かつて人間に倒された怪物を神として祭っているものである。

神獣は、「くに」(山河などを指す日本古来の概念)の守り神であり、

国家を守るわけではない。

 

ゴジラは太平洋戦争で死んだ人たちの残留思念の集合体である。

ゴジラは、人間が昔の人の心(精神?)を忘れてしまったから日本に来る。

 

神獣には人間の精神が憑依している。

 

ということが語られます。

 

さて、ゴジラが日本に来るから、神獣を目覚めさめなければならないのはなぜ?

ゴジラはなにをしにくるのか。(これがまずぜんぜんわからない)

昔の人の心を忘れた現代人に対して、何をしに日本に来るの?

怒っているの?喜んでいるの?

まあ、そこは雰囲気を読んであげて、怒っているとしましょう。

日本人に鉄槌を下しに来るのですね。

としても、太平洋戦争で死んだ人々(アジア戦線や広島長崎の原爆で死んだ人、米兵まで

いっしょだという)が一緒になって、過去を忘れた日本人に怒るという論理がわからない。

 

そこで謎の老人が神獣を目覚めさせるのだ、といいますが、

ゴジラの怒りに正当性があるなら、ゴジラを阻止する必要はないでしょう。

また、たとえ神獣を目覚めさせたとしても、神獣たちは「くに」を守るのであって、

日本人に怒りをぶちまけに来るゴジラと闘う理由はないのです。

そこで、苦し紛れに、神獣には人間の精神を憑依させているという設定が出てくるわけですね。

だから人間を助けるのだ、と。

そうなると、護国という考え方はどこかへすっとんでしまいます。

 

実際に日本に護国神獣というものがあるなら、それを利用する物語だと考えることも出来ますが、

護国神獣が架空の設定で、さらに架空の設定である人間の精神を憑依させるうんぬんを被せて、

「護国」を無効にしてしまっているのですから、まったく無意味です。

 

いきあたりばったりのご都合主義炸裂でしたね。

子記事

 

 

 

動機付け [No.74]

投稿者:K4

- 2001/11/06 (火) 19:15

反論もあるであろう、ご都合的な好意的解釈と承知の上、とりあえずは

自分の思ってることは素直に書いてみようと思います。

 

前にも書きましたが、台詞で触れられている護国聖獣伝説に基づけば

呉璽羅は古代から三聖獣と「くに」を巡って争いをしてます。

いわばテリトリー争いでしょう。

古代からの日本人はこれらを自分たちを守っての戦いと思い、

神として祭り、ヤマタノオロチをはじめとした日本古来の伝説の

元になった、というところまでは聖獣伝説の説明で触れてます。

54年、そして今回の上陸は第二次大戦における残留思念が呉璽羅を

突き動かし、1万年周期で覚醒する神獣たちが2000年で覚醒した

と考えられます。

呉璽羅を突き動かしているものは英霊かもしれませんが

神獣たちにとっては2000年前の戦いと何ら変わらない「くに」をめぐる

戦いなのではないでしょうか。

呉璽羅が覚醒して日本に向かっているから、三大聖獣も覚醒して

対抗する。それを「くに」の意志が伊佐山という人の姿で現れ

行動をおこした。

つまり呉璽羅の覚醒、活動は英霊たちによるものかもしれないが

覚醒した聖獣たちにとっては過去からの戦いの続きでしかない

と思うわけです。

ghidorahさんのおっしゃっていた

>ゴジラの重要な魅力のひとつには「野性」というのもある

であり、人間が理解できるような

>ゴジラの行動に「大義」や「使命」なんかない

という事だと思います。

 

では、なぜ「護国聖獣伝説」などを持ち出す必要があるのか。

そんな設定を台詞でちらつかせ、見せるから「怪獣設定とその行動描写における不自然さ」

を与えてしまうのではないか。

呉璽羅が上陸してきた。それに合わせるように三大怪獣が現れた。

そこで人間が平行して行動する姿を描けば済む話ではないか、と

おっしゃるかもしれません。

 

私はこれは人間側、立花親子の行動の動機付けだと思ってます。

つまり、今回の主役、立花由里=観客の目線を怪獣の行動に向けるための

動機付けです。

デジタル放送局の人間ではあるけれども、「護国聖獣伝説」というキッカケ無しに

由里はゴジラたちの行動を追いかけようとしたでしょうか?

同行したライター武田のように箱根でのバラゴンとの対決で、危険に遭遇し

一度、体制を立て直して出なおそう、と思うのではないでしょうか?

覚醒しようとしてる池田湖と富士樹海の聖獣は呉璽羅と戦う、という考えが

伊佐山との出会いを通し確信になった。このことが由里のその後の行動を支えた

のではないか、と思うわけです。

 

>「残留思念」とか「護国神獣」という設定は

>作品の意図を邪魔することはあっても、決して盛り上げる役には立っていません。

 

怪獣側のストーリーにおいてはその通りなのですが、立花由里=観客の目線からは

行動(怪獣を追い続ける)を支える重要な動機付けだと思うわけです。

 

PS

祝さんのご自分のBBSの所感part2に対するレスということも念頭において

書いたのですが、ネタバレを恐れている人も多いようなので

こちらだけにしておきます。

祝さんも是非、ご意見を。

 

 

うーーーーん、それは・・ [No.76]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/06 (火) 19:57

やたら早いレスで驚かれるかも知れませんね。

たまたまパソコンに向かっておりました。

 

で、えーと、私の記憶違いかなぁ。

K4さんがおっしゃる、

>護国聖獣伝説に基づけば

>呉璽羅は古代から三聖獣と「くに」を巡って争いをしてます。

>いわばテリトリー争いでしょう。

>古代からの日本人はこれらを自分たちを守っての戦いと思い、

>神として祭り、ヤマタノオロチをはじめとした日本古来の伝説の

>元になった、

 

という説明のセリフはなかったと思うんですが・・。

護国聖獣は、古代人が倒した怪物であり、古代日本の「習慣」では、

滅ぼした敵の魂を慰めるため神として祭るということだったのでは?

(この件に関しては、ギドラの成長が遅い云々と絡んで納得できないことあり)

 

ゴジラが昔から三聖獣と争ってきた、という説明もなかったと思うんですが。

 

それから、由里の動機としては、

前半の居酒屋で彼女が語る、

「世間をあっと言わせたい」というセリフや、仕事に生きる女を目指すような

そぶりで十分なのではないでしょうか。

このあたりは、人間ドラマに関わるので、また別項で書きますね。

 

 

なぜに日本を襲い、また護るのか? [No.78]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/11/06 (火) 23:07

ああ、ご指名ですか(^_^;)。

実はあんまり細かいところまで覚えていないので、自分の中で勝手に作って意見を述べている

部分があるかもしれないのですが、それはご勘弁ということで。

 

自分のところにも書いたのですが、要は話の根幹を成す「怪獣たちの行動原理」が映画を観る

限りではよく判らないのです。

シナリオ上でそれらしい解釈を試みようとしているのですが、その解釈のフォローするような

場面が出てこない。逆に、却って混乱を招くような振る舞いを怪獣たちにさせてしまっている。

これが「GMK」から受けた私の「釈然としない感じ」の正体なのかも知れません。

 

街を破壊し、自らの意思で人を殺すゴジラ(ゴジラ自身の意思なのか、ゴジラに宿る残留思念

のなせる事なのかは不明ですが)と、「くに」を護るためなら人の生き死には意に介さない護

国三聖獣。

ゴジラが人間と人間の作ったモノを憎み、破壊するために日本にやってくるならば、護国三聖

獣はゴジラと戦う必要は、このシナリオから解釈する限りまったくありません。

それなのにゴジラと護国三聖獣は戦ってしまう。

(そういえば、モスラもギドラも街の破壊に関しても、全然躊躇が無かったっすね)

 

そこには、ある程度観客に納得させるような理由があって然るべきなのですが・・・。

 

>台詞で触れられている護国聖獣伝説に基づけば、呉璽羅は古代から三聖獣と「くに」を巡っ

>て争いをしてます。

 

これ、どこかに出自がありましたっけ?

公式パンフでも「昭和29年に初めて日本にゴジラが・・・」とあるので、三聖獣とゴジラと

は今回が初めての邂逅であったと私も思っていたのですが。

 

登場人物の行動原理については、立花由里は「報道人としての職業的使命と自身のプライドの

為」であり、立花准将のそれは「怪獣の脅威から日本と日本人を守ること。そのためには怪獣

を利用することも、自身を危険に晒すことも厭わない、つまりは軍人としての職業的使命」で

十分に説明することが可能だと思います。

となると、伊佐山老人の存在が「浮いて」きてしまうのですが・・・。

http://www.godzillamovies.org/

 

 

記憶違いかな…? [No.79]

投稿者:K4

- 2001/11/07 (水) 08:52

>護国聖獣は、古代人が倒した怪物であり、古代日本の「習慣」では、

>滅ぼした敵の魂を慰めるため神として祭るということだったのでは

 

「護国」ということで私がそう思いこんでしまったのかな…

やはり詳細は本公開観てからですかね。

でもこのように観客が混乱するような描き方だったというのは明らかなのかも。

 

私的には(自分の怪獣への思い入れをおいておいて)このような設定より

バラゴン以降、モスラ覚醒以降のバタバタ感のほうが気になったのですが…

 

 

あ、 [No.80]

投稿者:K4

- 2001/11/07 (水) 09:00

>混乱するような描き方

 

という言い方よりは観客に委ねている、と言った方がいいのかな。

いいか悪いかは別にして。。


三神獣 [No.83]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/07 (水) 13:49

 

>バラゴン

バラゴンの出現から本格的登場までの流れは、最初の目撃者から移動する震源という経過を経て丁寧に描かれて いるので、ゴジラとの対決

が結構盛り上がります。

ただし、まったくのやられ役としか扱われていないので、神獣としてのキャラクターは非常に弱いです。

(このあたりにも護国聖獣伝記の劇中での嘘臭さを感じてしまう)

解釈としては、バラゴンは謎の老人が囚われている警察署に現れるわけで、

そこで老人から人間の精神を授けられた、とも考えられるのですが、

それならなぜモスラ・ギドラが覚醒するまで待たなかったのか?

ゴジラ撃退というはっきりした意志があるなら、そのために必要な行動をすべきではなかったか。

バラゴンの行動もゴジラを嫌な奴に見せるためという演出意図に従属していて、

劇中の実在を感じさせるに至っていません。

対バラゴン戦には映像的になかなか見所が多いだけにもったいないです。

「なんで?」という疑問を抱えたままでは、優れた映像を持つシーンにも感動できません。

付け加えると、あの鳴き声はどうなんでしょう。

牛が締め殺されるような、不快な音声だと感じました。

 

>モスラ

意図的に不良少年たちを殺してしまった段階で、もう訳が分かりません。

「くに」の守護神じゃないの?

金子さんの私憤をはらす道具なの?

幼虫がワンカットだけ顔を出したのはなんのため?

その後いきなり湖上に繭が浮かんでいるのですから、イメージとしては繭の状態で眠っていた、ではいけなかっ たのでしょうか。

幼虫から成虫へというモスラ独特の変化を見せるなら、その過程を見せるべきです。

そんな余裕(映画の尺として)がないなら、幼虫から成虫への変化は諦めるべきです。

モスラを初めて見る人にとっては、ワンカットだけ顔出しする幼虫もまた謎の存在になってしまうでしょう。

 

そして、羽化したモスラがゴジラへ向かって飛び去るシーンに意味ありげな二人の少女が登場しますね。

映像的に極めて印象強くなるように撮影編集されているので、ドラマの重要なポイントになるはずだとしか思え ません。

しかし、この二人の少女はなんの役割も果たさないのです。

作品を極めてニュートラルな見方をすればそうなります。

しかし、私は過去のモスラを知っています。

そこで小美人のイメージが重ね合わされてしまいます。

小美人は登場しないが、それに似たビジュアルイメージを持ってくることで、

モスラをモスラらしく演出したいのでしょうか。

しかししかし。このモスラは従来のモスラとは全く違った物なのです。

悪さをすれば、人間だって殺す奴なのです。(元祖モスラは人間など眼中にない)

従来のモスラとは違うという強烈な主張をしておいて、再び本来のモスラに結びつくようなイメージを持ってく るのは、混乱しか呼びません。

もうひとつ。

この二人の少女が平成ガメラに出演した女優姉妹であることも加味して考えなければならないのでしょうか。

とすると、ファンサービスなのでしょうか。

ドラマを壊してまでサービスしなければならないファンとは、一体誰なんでしょう。

こうなるともう付いていけません。

 

>ギドラ

ギドラもまた、武田の説明を信じるならかつて倒され、眠らされた怪物であるはずです。

倒されたときには、子供だったのでしょうか。

ギドラの成長が遅いとか、完全体になれば無敵だとか説明が入りますが、誰がギドラの成長を確認したのでしょ うか。

さて、バラゴン、モスラのときは、石の地蔵が粗末にされると怪獣が現れました。

怪獣を封じ込めるための一種の護符だったという見方が出来るように構成されています。

ところが、ギドラは自殺志願者がその石の地蔵を踏み台にしても覚醒しません。

ここでまた大きくはぐらかされました。

きっと裏設定がいろいろあるんでしょうけど、地蔵がどうなっても目覚めないことを暗示する描写はなにもな かったはずです。

ギドラは卵の状態で眠っていたわけではなく、ちゃんとギドラの形で寝ているのが映像で示されるのですから。

好意的に解釈すれば、バラゴン、モスラは事前に謎の老人が覚醒の儀式を行っていたが、

ギドラを目覚めさせる前に老人が警察に捕まってしまったので、出来ないままだった、とも考えられます。

しかーし。

冒頭新潟県妙高で老人が目撃され、時をおかず池田湖にも姿を見せるという演出がなされているのですよ。

これを見れば、老人がなんらかの超能力で瞬間移動出来るものとしか考えられません。

留置所にいたって、関係ないでしょうに。

ちゃんと事前の流れを見ていれば、おかしなところだらけなのですよ。

 

>モスラ&ギドラ

モスラとギドラは連携してゴジラに立ち向かっているという表現がされていましたね。

それにしても、二匹とも弱すぎ。

いろんなことに目をつぶって、死んだモスラ(光の霧状になる)がギドラに憑依して突如ギドラが完全体になっ た、と考えましょう。

それでもぜんぜんゴジラには歯が立ちません。

またしてもギドラは倒れます。

そこに、由里が持っていた石が落ちていって、ギドラにさらなる力を与えたように見えます。

これでギドラは光線を吐けるようになります。

少しはゴジラに効いているか?という感じもするのですが、ゴジラは危機に陥ることもなく簡単にギドラを粉 砕!

すると今度は、バラゴンも含めてみんな光の霧になって、合体&ゴジラに突撃。

あれはなんの役に立ったのでしょう。

これも、好意的に解釈すれば、海中には削岩弾をかかえた潜航艇に乗って立花がいたわけで、

その潜航艇をゴジラに飲み込ませるために、三聖獣がゴジラを操ったのだ、という見方も出来そうですが、すく なくとも映画を見ている最中に

はぜんぜんそうは思わなかったです。

 

さて、三聖獣はやられるとみんな光の霧になりました。

この表現から考えられるのは、彼らはもともと生き物ではなかったということです。

かつて古代人に倒されたというのが、単に動きを封じられたのか「殺された」のかが判然としないのですが、光 の霧になっちゃうのでは、GM

Kという物語に登場したときにはすでに霊なのではないかと思われるのです。

あ、おかしいぞ。

ギドラはちゃんと実体をもって寝ていたぞ。

?????

それと、無機物に精神を取り込んで、それを解放して神獣に憑依させるという、なんだかよくわからない説明も あるんですが、

精神を聖獣に憑依させることが出来るなら、一旦石に取り込む理由はなに?

 

なんだか、つじつま合わせの話ばかりしているようですが、

つじつまが合わなくても許されるのは、それによってよりドラマがおもしろくなるときだけです。

GMKは「筋」が通らないことが、明らかにドラマを邪魔しています。


お色気を考える [No.85]

投稿者:兄貴(赤)

2001/11/07 (水) 18:56

 

まずはK4さん、下の私の書き込みに、御賛同いただきありがとうございます(笑)

 

では、折角なので、怪獣映画とお色気について少し書かせて頂きます。

 

かつてガメラシリーズにおいて、金子監督は巧みに女性キャラを配してスクリーンに花を添えていました。

G1では、鳥の研究をしている女性科学者と、ガメラと通じた女子高生。

中山さんに対しては、お色気を感じさせる演出は感じられませんでしたが、藤谷さんにはそうした意図の演出が あったと思うのです。

G2では、水野さんが趣旨ミニスカートでスクリーンに登場してますし、自衛隊員とのはかない恋心も薄っすら 感じ取れます。

G3においては、何も言わなくても皆さん御存知の通りです(笑)

おっと、前田愛ちゃんだけでなく、山崎千里さんを忘れてはいけません。

 

かつて、東宝怪獣黄金時代の作品も、全てお色気を感じさせる演出がありました。

キンゴジでは、キンコングに捕まった女性の悲鳴。

モスゴジでは、女性新米カメラマンと新聞記者との関係に漂う艶っぽさ。

三大怪獣では、サルノ王女の存在自体が色っぽいし、レポーターの星さんが自宅で刑事の兄とチャンネル争いを するシーンでの「いやぁ~

ん、おにぃ~さ~ん」のセリフ!

怪獣大戦争では、波川女史が全編通して色っぽさ炸裂です!(グレーンとのキスシーンまであり)

 

とまあ、数え上げればきりがないのです。

怪獣とはそもそも、巨大、無敵、乱暴、破壊と言ったイメージが強く、非常に男性的なキャラです。

生身の男がいくら束になってもかなわない、強烈な男性的キャラだと思うのです。

そうなると、片方には強い女性を感じさせるものがないと、娯楽映画としてはバランスが取れないと思うので す。

バランスだけの問題でもなく、怪獣の強烈さを引き立てるためにも、反対方向の刺激(女性)が必要と考えま す。

つまり、甘いクリームを作る時でも、塩も使うわけで、砂糖だけで作ったクリームは美味しくならないのと似て います。

もう一つの例として、エロ&グロもそうです。

感覚は、いくら強烈でも同じ刺激ばかりだと麻痺します、ですから、反対の刺激を与えることで際立つのだと思 います。

 

それに、セクシャルなものに対して人間は敏感です、それを上手く取り込む事で映画全体の印象が深まる事は確 かだと思います。

ハリウッド作品なども、印象に残っている映画、面白いと感じた映画は何処かにそういったシーンや演出がある ものです。

 

私は、怪獣映画にエロを持ち込めと言ってるのではありません。

怪獣映画には、女性の色気を感じさせる何かが必要だと主張したいのです。

しかし、平成シリーズからのゴジラには、その様な配慮が感じられません、GMKは金子監督なのでやってくれ るかと思ったのですが、残念

ながらありませんでした。

 

私は、平成ガメラは怪獣映画の王道ではないと批判的ではありますが、お色気に関しては平成ゴジラより確実に 勝っていると思ってます。

ただ、ロリに走り過ぎるんだよなぁ…

新山ちゃんならメチャOKだったのになぁ…残念

子記事

 

 

 

バランス [No.88]

投稿者:K4

- 2001/11/07 (水) 22:25

評判の悪い金子作品ですが、ガメラ2くらいまでは日常の中に

ホッとできるような色気を感じさせるようなシーンがあったのですよね。

G3も長峰の家でマナのゲームベータ版を試すシーンとかがあったか。

綾奈の京都はロリ系ですからね…

そういえば昨年のG×Mもゴジラにしがみついたあとに桐子のシャワーシーンが

あればホッと一息つけたかもしれませんね。打倒ゴジラで、ちょっと

最初から最後まで突っ走りすぎでしたしね。

だからラストシーンが引き立つとおっしゃるかもしれませんが。

 

この辺は、日常と非日常のコントラストを出すことのアンバランスさが

映画の深みを出すのではないか、ということでしょうか。

GMKでは猪突猛進といった感じで、中盤以降怪獣たちを追いかけるわけですが

ひとつひとつのシーンは細かく描くことがあるのに全体の流れをあまりにも

大雑把に流しすぎた感はありますね。

GMKはテンポ的なメリハリがバラバラだったような気もします。

ここでお色気のシーンを挟み、観客をほっとさせることで中盤以降の

非日常性を逆に際立てることができたのかもしれません。

 

 

サインはH!(fromゲバゲバ) [No.92]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/08 (木) 10:26

そうそう!

お色気!!

怪獣映画に限らず、十全な娯楽映画であるためには

絶対必要です!!!

 

K4さんのご意見と同じく、

比較的作品としては気に入っているG×Mでも

お色気が足らーーん。

中盤のトレーニングルームでの汗をかいている

桐子にちょっとそそられるけど、

桐子はキリキリしたままなので、ほっと出来ないのです。

 

GMKでは、映画をたくさん観てきた人だと、

由里と武田には恋愛感情が生まれるのがお約束だろうな、

と思い込んでみてしまうでしょうけど、

実際には演出としてそんなほのめかしは一切ないのです。

由里は徹頭徹尾仕事に生きる女でしかないです。

女の色気やたおやかさを出すシーンがなーーーーい!!

 

きわめて惜しいのは、南果歩さん演じる女性士官(?)。

最後の涙ながらに安堵する表情なんか、すばらしいです。

しかーし、ラスト近く立花が潜航艇でゴジラに立ち向かうことに

なったときに初めて「情」を顕わにするのでは、

ドラマにならんのですよ。

もっと早い段階で立花に対する思慕みたいなものを

演出してあげないとラストが活きないんです!!!!!!

 

このあたりは、人間側のお話をするときにもう一度考えますね。


観にいけなかった [No.81]

投稿者:Lans

2001/11/07 (水) 10:30

 

私は見にいけなかったので、本格的批評は鑑賞待ちさせて頂きます。

ただ私は「ネタバレ可」というか、自分から進んでネタバレを求める人間なので、カキコはしなくても、ここで の討論はROMさせて頂きます(笑)

(平気で鑑賞前にノベライズとか読む方なんで・・・)

(事前情報を得て十分に内容を把握してから画面を見るのが好きなんです)

(その方が、より正確に、その作品の意図も兼ねて鑑賞できると思うので)

 

という事で、しばらく私はROMですが、みなさん、がっつんがっつん行って下さい。がんばって

(それが、最終的には、いい作品への方向論に関与すると信じてますので)

子記事

 

 

 

明日の特撮のために! [No.82]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/07 (水) 12:44

12月15日がはやく来ないかと待ち遠しいです。

Lansさんの批評が頂ければ、より深い議論が出来るのですから。

 

私は、観客の誠意として、おもしろくてもつまらなくても「なぜか」を常に考えます。

 

やはり、作り手は観客の反応を気にしているわけで、

客が「おもしろい」と言ってくれれば、「どこが?」と聞きたくなるし、

「つまんない」と言われてもおんなじです。

そのとき、説明もなにもあるか!と言っちゃうのは、作り手に対して非常に失礼なことだと思っています。

 

また、人間が外界の刺激を受けたときには、感情と論理思考の両面から受け止めているはずです。

先に感情が動く(論理思考を経ずになんらかの判断を下している)場合もあれば、

論理思考の結果感情が動くこともあります。

映画を見たときも同じで、映画作品が目論むのが観客の感情を揺さぶることだったとしても、

必ずその感情には「理由」があるのです。

 

70年代の終わりごろだったでしょうか。

物事を何でも「フィーリング」で片づけた時代がありました。

理屈なんかない、感覚なのだ、という主張だったと思いますが、

考えるという努力を放棄するための「屁理屈」だと思います。

細かい内容は忘れてしまったのですがカントの「純粋理性批判」によれば、

人間は先天的に「論理性」をもって生まれてきます。

その人間が感動するとすれば、絶対に「理由」があるのです。

(突き止められるかどうかは別にしても)

 

もちろん、私も映画を見るときには、

いちいち鑑賞中に分析しながら見るわけではありません。

映画は、同じくストーリーを体験させるメディアである小説より、より体験的だと思っておりますので、まずは 体験してからあとで考える

という段取りを踏んでいます。

ただし、GMKの場合はみなさんおっしゃる「腑に落ちない」点が見ている間にも大きく膨れ上がってくるの で、分析しながら見なけれ

ばならないと言う

「非」体験的な映画だったと思っています。

 

ああ、Lansさんの批評で私の「知の地平」が広がるのが楽しみです!

 

 

明日の特撮の為にっ!! [No.86]

投稿者:Lans

- 2001/11/07 (水) 20:30

>やはり、作り手は観客の反応を気にしているわけで、

>客が「おもしろい」と言ってくれれば、「どこが?」と聞きたくなるし、

>「つまんない」と言われてもおんなじです。

 

私もゲームというエンターテイメントの末席に位置しているのですが

やはりユーザーから「面白い」と言われれば「何処が?」

を聞きたいですし「つまらん」と言われれば「何処が?」

を知りたくなります。

 

これは私の周囲にいるクリエイターも全員そうですし、営業も、場合によっては部長クラスであっても気にしま す。

これは、自分の「次の作品」をより良くしたい。という願望とともに

次はもっと売らないと…給料あげる為にも!

もあります(汗)

 

ぶっちゃけた話…私がいた会社はシリーズ作品の継続に失敗した為に

ゲームから撤退しました。私も含め部門全員が最終的にリストラです。

 

そして、もう、その会社は2度とゲームを再開しないでしょう。

それは人とともにゲーム制作の「技術」を「ノウハウ」を失ったからです。

 

これは今の特撮界における危惧に繋がります。

一度失った技術・有形無形のノウハウを取り戻す事は大きな困難を伴います。

 

このあたりが…私が「ゴジラ映画の継続」を最大目標にみている理由です。

 

東宝社長がゴジラ休眠発言をしてしまいましたが…

(真偽はおいとくとして…)

ゴジラが休眠ししてしまった場合、巨大怪獣映画のノウハウも散逸してしまうのではないか…と恐れています。

そうなった場合…某BBSなどでもさかんに「復活に期待する」というセリフを眼にしますが、その復活が非常 に難しくなるのです。

 

最悪、ほとんど1からの再出発。

 

それで我々が納得するような作品が撮れるのでしょうか?

はなはだ疑問としかいいようがありません。

そこでこければ「やっぱり駄目」との烙印を押され、再び封印の憂き目に…

それにスタッフは特撮がなくなったからといって

ファンのように復活まで待っている訳にはいきません。

 

収入をもとめ(生活する為に)業界から足を洗ってしまう人もでるでしょう。

このようにノウハウが失われてからじゃ遅いのです。

 

その意味からも、我々ファンが能動的に建設的意見を語り、それを制作側に送るなどの方法でアピールする事は 非常に意味が大きい

と思います。

 

という事で、あきらめずに提案は続けましょう!

 

「明日の特撮の為にっ!」

 

 

特撮を絶やしてたまるか! [No.93]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/08 (木) 10:35

そうなんです。

ノウハウの喪失が一番怖いです。

 

そう考えると、東宝特撮映画がとにかく続いてくれないと・・。

 

ゴジラシリーズが迷走してわけがわからなくなるぐらいなら、

一旦シリーズ終結もやむなしと思うのですが、

それによって特撮(怪獣)映画までも休止になるのは

絶対困ります。

そう考えると、どうも怪獣ファンが幅を利かせすぎているのも

問題なような・・・・。(問題発言?)

 

とにかくゴジラを続けろ、というのではまずいほうへ転がったとき

ほんとうに特撮の終焉を招くかも。

 

ゴジラ映画をどう作ればいいのかわからないなら、

ゴジラから離れて、それこそ自由な発想で「おもしろい」特撮映画を

作ってくださいよぉぉぉ。

ゴジラじゃなくても応援します!


面白かったです。 [No.84]

投稿者:イカ課長

2001/11/07 (水) 17:54

 

はじめまして。私は「GMK」掛け値なしに楽しめました。

今は時間がないので、少しだけ。

 

下のghidorahさんのスレッドで気になったことを。

>バラゴンは謎の老人が囚われている警察署に現れるわけで、

>そこで老人から人間の精神を授けられた、とも考えられるのですが、

 

スタッフに限りなく近い立場の方から聞いたのですが、

バラゴンは、留置場を意図的に破壊したそうです。伊佐山老人を逃がすため、

あるいは、老人にギドラの覚醒を急がせるためです。

留置場の窓からバラゴンの目が覗き、伊佐山が視線を返す描写で、

それは語られています。

で、バラゴン自身はゴジラの進撃を食いとめる戦いに、単身挑んだのでしょう。

ギドラが覚醒するまでの時間稼ぎのため、命を捨てたともとれます。

となると、ゴジラが向かっている東京に、三聖獣が守らねばならんものが

あったのか? という疑問に突き当たりますが、映画にのれてた私としては、

その答えはわからなくても不満はないです。

 

バラゴンと老人の意志の疎通の描写がわかりにくかったと

しても、そんなこと抜きにしても面白かった自分としては、文句ないです。

むしろ後から「ああ! そうだったのか!」と感動を新たにしたくらいです。

 

老人が瞬間移動できるなら、わざわざバラゴンに逃がしてもらわんでも、

牢やぶりできるはず、とも思います。が、老人は、聖獣の覚醒の瞬間に

限って移動ができるともとれますし、留置場にまた由里が取材に来て、

メディアを通じて危険を訴えられるチャンスを狙っていたのかもしれないし、

やはり映画の世界にはまってた自分としては、映ってるものがすべてで、

細かいつじつまは気になりません。

 

GMK、本当におもしろかったです。

みなさんのおっしゃることもよくわかり、なるほどなるほど、うんうんと

頷いて読んでいますが、それでも感激が揺らがないことに、自分でも驚いています。

http://ybbs.nazca.co.jp/cgi-bin/bbs.cgi?id=tacopost

子記事

 

 

 

やっぱりそうだったんですね。 [No.87]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/11/07 (水) 22:21

>バラゴンは、留置場を意図的に破壊したそうです。

>伊佐山老人を逃がすため、あるいは、老人にギドラの覚醒を急がせるためです。

 

ここのシーン、偶然なのかバラゴンの意思なのかはっきりしなかったのですが、

やはり伊佐山老人を救うためにバラゴンはここに出現したんですね。

 

となると、伊佐山老人というのは「護国聖獣覚醒のための装置」の一部である

という解釈も成り立ちますね。

ゴジラ出現だけでは聖獣は覚醒せず、伊佐山が立ち会って初めて(伊佐山を媒

介として「何か」が聖獣に作用する?)聖獣は護国のために目覚める・・・。

 

うー、でも映画での描き方だと「だから何なの?」ってことにしかならんので

すが(^_^;)。

伝奇的テイストを生かすのならもうちょっと何とか・・・。

http://www.godzillamovies.org/

 

 

ちょっとバラバラな文章ですが。 [No.90]

投稿者:イカ課長

- 2001/11/08 (木) 00:09

>映画での描き方だと「だから何なの?」ってことにしかならんのですが(^_^;)。

 

いや~、「だから何なの?」って、東宝特撮の長所ではないのかと私は

思ったりするのですが(^^)。

最近、祝さんのBBSでドゴラの「宙を舞う酔っ払い」の話が出ましたが、

ああいう風な、あとで思い返せば「あんまり意味なかったなあ。

でも楽しいよなあ」ってシーンが、東宝特撮黄金期の作品には多かった気がします。

「怪獣大戦争」でも、統制官が一瞬「ううん!?」と首を傾げるシーンの

意味が長年わかりません。自分だけかもしれませんが。

ほじくれば、もっとあるでしょう。

 

でも、そういうおおらかさが怪獣映画本来の魅力って気がします。

そういう余裕が復活したように思えて、私はGMKが好きなのでしょう。

けっこう「王道」かも、なんて思ったりしてます。

もちろん、GMKの「だから何なの?」は、話の根幹につながる部分での

ことなので、上の例とは同列には語れないという意見もあるでしょう。

 

最近の特撮モノは設定が細かくてすごいなとも思うのですが、

話の周辺部分の整合性が高くなるほど、中心にある「怪獣」という大ウソが

浮いてしまってる気がしてました。「G×M」でも、ディメンションタイドは

リアルなウソですが、そのぶん私には、ゴジラとメガギラスが非科学的な

存在に見えてしまいました。

「GMK」は、怪獣以外の大ウソが前に出過ぎてない。つまり、見てる側に

「こういうものだからよろしく」と、お約束を強いるポイントが少ない点で

見やすかったです。

防衛軍というウソにしても、もし一般客が「自衛隊」と勘違いして見ても、

話を追うのに差し支えないでしょう。

 

伝奇的テイストって、「G3」みたいに引っ張ろうと思えばどこまでも

濃くできるものですが、しまいには映画のための設定なのか、

設定のすごさを見せびらかすための映画なのかよくわからなくなったりします。

GMKのストーリーを読んで、私はその辺を危惧してたのですが、

実際見て安心したくらいでした(^^)。

http://ybbs.nazca.co.jp/cgi-bin/bbs.cgi?id=tacopost

 

 

疑問が・・・ [No.91]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/08 (木) 10:26

ども、こんにちは、割り込み失礼いたします。

お話を聞いていて疑問が…

あの老人は、最初デジタルQの取材現場に現れ、次は暴走族がバラゴンの封印を壊す現場、次にモスラの現場に 現れます。

次にデジタルQの取材の時は、警察に捕まっています。

映画を見ていた時、この老人はテレポーテイションか幽体離脱かなにかで、警察に囚われていてもあちこちに出 現していたのだろうと

思いました。

立花達にメッセージを伝えるために、あえて警察に捕まって彼女らを待っていたのかなと思っていたのです。

で、あれば、バラゴンが老人を開放するために警察を襲っても納得できます。

 

ですが、映画後半でデジタルQのスタッフが、あの老人の過去を調べ50年前既に75歳であったことが判明し ます。

どう見ても125歳には見えませんし、そんなに長生きするとは考えにくいです。

やはり、あの老人は亡くなっていたと考えるのが自然でしょう。

ならば、初めから幽霊(精神体)ですから、何処に出現しても納得できるけど、逆にバラゴンが開放する必要も 無くなるわけです。

 

なんか、変じゃないですか?

 

 

ご訪問ありがとうございます [No.95]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/08 (木) 11:02

イカ課長さん、いらっしゃいませ。

 

GMKをイカにして楽しんだかを、

どうかお教え下さいね。

 

>バラゴン

そうだったんですか。

確かに、バラゴンと老人が目と目で通じ合っているのは

わかったんですが、さすがにあれだけではバラゴンが

なんのために来たのかぜんぜんわからなかったです。

それと、ギドラが覚醒するまでの時間稼ぎということなら

単身ゴジラに向かったのも納得??

うーーん、映画を見ているときに、ちゃんと時間稼ぎしているのだと

わからないといけないんでは。

あとでいろいろ解釈して整合するのでは映画を見ている間に

気持ちが離れてしまいますよん。

それに、ゴジラを東京に侵攻させてはいけないというはっきりした

物がないと、時間稼ぎも意味がないです。

ゴジラが上陸した段階ですでに「くに」は荒らされ、人が死んでいるのですから。

おおっと、思い出した。

謎の老人(私は全編見通した結果、あの老人は伊佐山という男ではない

と解釈しています)が

二匹では勝てん、千年竜王までも起こさねばならん、と言ってますね。

そりゃ、ギドラが覚醒すればモスラ・ギドラの二匹でなんとかなるということなんだ、

と解釈できますが、あのセリフを聞いたときには、

モスラ・バラゴンに加えてギドラも共闘させるのだ、と聞こえました。

それが余計、バラゴンの単身挑戦に不自然さを感じさせているように思います。

 

なんて、ついつい突っ込んでしまいましたが、

重ねてお願いします。

イカ課長さんがGMKに乗れたのは、どんな観方に依ってなのかを

時間がかかってもいい(本公開後でも)のでヒントを下さい。


削除記事 [No.89]

投稿者:**

投稿内容削除

2001/11/08 (木) 00:06

                            子記事

どもども [No.94]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/08 (木) 10:43

**さん、要請に応えてくださってありがとうございます。

 

三大怪獣における非日常的日常のお話、鋭い分析だと思います。

あの作品では、そんな観客にとっての日常とは違う世界であることを強く示しながら、同時に同じ世界でもある という反対の感覚をう

まく伝えていましたね。

テレビ番組の司会に青空千夜一夜を出演させていることで、

観ている観客にとっては自分の世界と地続きになる効果があります。

いまでも、三大怪獣を見ると、当時にタイムスリップするような感覚があります。(って、当時を知らないと無 理な感覚ですけど)

 

で、GMKを語るに当たっては、オリジナルストーリーで改革案を提案しちゃうとGMKそのものの問題点がボ ケちゃう危険性がありま

すよ。

慎重にどうぞ。(おせっかいかな)

 

 

三大怪獣地球最大の決戦 [No.96]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/08 (木) 18:33

私も、**さんの話しを聞いて昨夜観てしまいました。

くぅ~、やっぱり素晴らしいです!

で、ちょっと気になるのですが、**さんの書き込みを見ると、三大怪獣地球最大の決戦もオカルトと言ってる 様ですが・・・?

GMKは確かにオカルト色が強いですが、三大怪獣地球最大の決戦は違うと思います。

金星人の設定にしても、太古の昔金星から地球にやってきた金星人が地球人と同化するうちに、優れた能力が退 化して・・・となって

います。

これは、オカルトではなくSFでしょう。

 

あの映画において、異常な状況を表していたのは、真冬なのに日本脳炎が発生し異常に暑いという設定で、非日 常を作りだしてるの

ではないでしょうか?

 

それにしても、二つを見比べてGMKはキングギドラとゴジラの立場を入れ替えただけだなと感じました。

いや、無論映画としての出来栄えは月とスッポンですよ。

三大怪獣では、地球の危機だったのにGMKは日本の危機ですからね・・・スケールダウンです。

 

いやぁ~、それにしても、良い口直しになったッス(^^)

 

 

削除記事 [No.97]

投稿者:**

- 2001/11/08 (木) 22:57

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削除記事 [No.98]

投稿者:**

2001/11/08 (木) 22:59

投稿内容削除

 

子記事

 

 

 

ふむふむ [No.99]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/09 (金) 11:43

三大怪獣地球最大の決戦における人物配置と

ストーリーの有機的な関連についての

分析、大変興味深く拝読しました。

 

傑作には、鑑賞中にそれと意識されなくても、

そんな「美しい」構造が隠れているものです。

 

フォローしますと、

**さんが某所で提案したGMK改善ストーリー案は

護国聖獣にそれぞれ寄り添う人間キャラクターを

配置して、その集結と連携を明確にしたものです。

GMKがセリフで提示した設定を受け入れて、

きちんとした物語にするための改造案としては

納得できるものでした。

 

しかし、**さんの改造案はあくまでもGMKを

ベースにすれば、こういう形を取らざるを得ないという

限界をも示しているように感じました。

結局、GMKの護国聖獣という設定を受け入れてしまうと、

怪獣映画ではなく、妖怪映画というか法力を使った

式神映画にしかならないのではないでしょうか。


(社会)背景の描き方 [No.100]

投稿者:ghidorah(管理者) 2001/11/09 (金) 11:47

 

 

さて、映画冒頭で、ゴジラは50年前に姿を見せて以来、

音沙汰ないことがセリフで語られます。

ここにおいて、米映画『GODZILLA』を揶揄するような

セリフもありますが、

これは余計だったのではないでしょうか。

もともとGMKは、従来のゴジラ像とは違うものを

目指すと言う触れ込みだったのに、

同じく従来のゴジラとは別物であった『GODZILLA』を

からかうようなセリフを吐かせたことの意味がわかりません。

ニュートラルな見方をすれば、この冒頭のセリフを

受けて、これから登場するゴジラはおなじみの

「日本の」ゴジラなのだろう、という期待を煽られることに

なるはずですが、少なくともデザインと「動作」がそれを裏切りますから。

 

冒頭の立花の講義(?)によって、

一度きりしか現れていないゴジラは、その詳細が掴まれておらず、

社会はゴジラをあんまり意識していない世界なのだろう、と

予測しました。

 

ところが、バラゴンを目撃したトラック運転手は、

「ゴジラを見た」と言い、島でゴジラに襲われることになる

若者たちもゴジラのことをちゃんと知っている。

焼津の猟師だって、ゴジラの色まで知っていて、

清水の主婦はゴジラが来たとアナウンスされることで

激しく取り乱す、という具合に点描として出てくる脇役たちが

それぞれしっかりとゴジラを意識しているとは、

どういうことか。

蓋然性の問題もさることながら、演出として大きな間違いではないのか。

 

そんな社会背景を見せておいて、防衛軍内部では

ゴジラ警戒がおざなりにされているという展開になる。

この防衛軍は、国民の意識をぜんぜん掴んでいないのですな。

それを考えると、島でゴジラに襲われる若者たちが

ゴジラ襲来直前に交わす会話で、

「ゴジラは昔、防衛軍が倒した」ということが示されて、

あれ?『ゴジラ』の世界とは別の世界なのか、と思わせておいて、

ラスト近くに、

軍の偉い人が「実はゴジラは未知の化合物によって殺されたのだ」

と秘密を明かす展開もおかしなことです。

これによって、芹沢博士の物語とGMKの物語はつながる訳ですが、

軍が、オキシジェンデストロイヤーのことを秘密にしていたことは

ドラマ上なんの役割も果たしていません。

せいぜい、国家組織の身勝手をさらっと示す程度でしょうか。

しかしですよ。

その未知の化合物によってゴジラが倒されたことを秘密にした理由が、

「軍がゴジラに歯が立たなかったことを知られると、軍不要論が

出てくるから」とは、なんという的外れな理屈でしょう。

防衛軍のほかに、同じ役割を担う組織があるなら、

役に立たない防衛軍より、自衛隊に期待しよう、なんて話にもなるでしょうが、

一国に二つも三つも軍隊があるわけではないでしょう。

ゴジラに歯が立たなかったのなら、一層軍備増強を図るという方向に

社会が動くと考えられませんか?

事実、GMK劇中でも、昔とは火力が圧倒的に違うから軍がゴジラを倒せると

いうようなセリフも出てきます。

初めから、ゴジラは武器では倒せないと社会がわかっているなら、

ゴジラ対策としては軍はいらないということになるでしょうが、

そんなストーリーではありません。

 

社会背景とメインのストーリーを連動させる手腕のまずさは、

ほかにもあります。

箱根で由里が自転車を導入する一連のくだりです。

確かに、病院のシーンでバックグラウンドに聞こえるニュースアナウンスが

「自動車の使用を控えるように」と言っているはずです。

なぜ、それをちゃんと描かないか。

今回、怪獣災害によって交通が麻痺するという背景を受けて、主人公が自転車で

怪獣生放送に奔走するという情報を事前に知っていました。

正直、やられた、と思っていました。

自転車なら生身の人間が災害現場に躍り込む臨場感が演出できるな、と。

ですから、自転車を使うことは問題ないのです。

問題は、由里がなぜ自転車を使わざるを得なくなったかという演出です。

GMKを見る限り、決して災害による交通麻痺のためではありません。

武田が車を貸してくれなかったから、という理由でしかないのです。

この展開も由里と武田のドラマを考える上で問題をはらんでいるのですが、

それは別項で。

渋滞、ないし、道路の分断でとても車に乗っての取材は不可能だという

様子を見せていれば、災害としての怪獣をもっと深く描けたはずではないですか。

 

ちょっと話を戻します。

アメリカゴジラを揶揄したり、脇役までもみんなゴジラを強く意識していたりするのは

何ゆえかと考えました。

いま思いついている理由は、この映画が怪獣ファンしか相手にしていないからではないか、

ということです。

みんながみんなゴジラを知っていて当たり前、という作り方でしょう。

そんな意識が通用するのは怪獣ファンだけですよ。

しかも、意図的にやっているとしか思えない演出として、

ゴジラに殺される人々のほとんどが、ゴジラないし怪獣に理解を示す人々なのです。

「ゴジラを殺しちゃかわいそう」と言った女の子、

「ゴジラは赤くねえ」と指摘する猟師、

「怪獣って案外かわいいのね」という観光客。

いままでのゴジラ像は間違っている、と断じた監督が、従来の怪獣ファンを

切り捨てて見せたとしか思えないです。

「vsキングギドラ」において、ゴジラに親近感を持って対面した新藤会長に

放射火焔を一閃してみせた大森演出と同じ匂いを感じました。

映画は、フィルムが時間とともにつぎつぎと先へ進んでしまうので、

一瞬のワンカットでもどれほどの思考と手間をかけているか伝わりにくいのですが、

作り手の意識が反映されていないカットはひとつもないはずです。

ゴジラ(怪獣)に同情的な人を死なせて見せたのには、絶対に意味があるはずです。

 

それに気がつかないのでは、おめでたすぎませんか?

 

 

子記事 5 10 15 20 25 50 100 無制限

 

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その話題が出ちゃいましたか・・・ [No.101]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/09 (金) 15:13

ん~、この話しはしばらく書かないつもりでしたが、話題として出てしまったので書きます。

 

GMKは「恐いゴジラ」をうたい文句として、劇中も沢山の人を殺します。

当然、劇中の人間にとってゴジラは敵であり憎むべき存在のはずです。

なのに、「人間に殺されちゃってゴジラ可哀相」「恐いけど、結構可愛い」のセリフがそれまでの物語の流れの 中でとても不自然に感じました。

映画を観ていて「あれ?何故こんなセリフを言わせてるのだろう?」と不思議に思ったのです。

しかしその後、怪獣に対して同情、哀れみ、親近感を持った登場人物は皆ゴジラに殺されます。

「ゴジラは赤くない」と言った漁師もそうです。

 

他にもゴジラに殺される人は沢山いますが、彼女らは特に印象的に描かれています。

これこそ、金子監督からのメッセージと私は考えています。

「怪獣が可愛い」「怪獣が可哀相」「怪獣が好き」「怪獣の事が詳しい」これ即ち怪獣ファンの事でしょう。

そんな連中は「死ね」と言うメッセージと受け止めました。

 

私は今まで、愛すべきゴジラを狂暴な破壊神として描くのは反対してきました、しかしゴジラファンの中には、 狂暴なゴジラを望む声も確かにありました。

しかし、求める方向は違っていても、ゴジラファンならスクリーンの中のゴジラは格好良い、ヒーローである事 を望んでいるのではないでしょうか?

 

しかし、GMKのゴジラは白目で不格好で、ちっとも格好良くありません。

これは、ゴジラファンにケンカを売っているのだと思います。

勿論、金子監督自身は怪獣なんか嫌いなのでしょうね。

 

 

 

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私は [No.104]

投稿者:K4

- 2001/11/09 (金) 21:34

>社会はゴジラをあんまり意識していない世界なのだろう

 

この辺はそれほど違和感がなかったのですが。

戦後復興が進んでいた時代にゴジラと名づけられた怪獣が東京を遅い

大災害をもたらした、ということはこの世界でも後の世にとって大きな

出来事だったのではないでしょうか。

戦後の昭和史の最初のページを飾るような出来事だと思うのですけど。

この世界で、なぞの巨大生物がアメリカの原潜を襲ったとなれば、

公式見解がされてなくとも、一般大衆はもしかしてゴジラなのではないか、

と思うのではないでしょうか。

トラックの運転手はそういう情報から巨大生物=ゴジラと連想するでしょうし

50年前のゴジラを間接的にしろリアルタイムで体験した猟師は

ゴジラについては多少意識していたと思われます。

薄れていたのは「ゴジラ」という存在でなく、戦後平和な時期が続き

(ゴジラを含む)危機管理の意識だということではないのでしょうか?

消息が掴めず、防衛線を解除した政府、防衛軍の対応からもこの辺の意識が

弱まっている世の中である、と感じたのですが。

 

 

 

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練る練る練ーるね [No.105]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/11/09 (金) 22:38

この話題が出たので私も参加(^^)。

 

この辺りの「取ってつけた」感は、「シナリオの練り方の不足」の一言で説明がつきそうですよね。

いや、「あなた方も怪獣映画が好きなんだから判るでしょ?」っていうスタンスが多少垣間見えて

しまう、というのもあるのですが。

(顕著な例としては、護国三聖獣は既存の設定とはまったく異なる設定で物語に登場させている訳

ですから、その説明を劇中で一からしてみせなければ本当はいけないのですが、どうもその辺りの

説明を放棄してしまって、観客の知識に頼っているように見受けられました)

 

「アメリカにゴジラに良く似た巨大生物が・・・」

 

「怪獣に呼び名は必要です」「お前、何だか嬉しそうだな」「・・・・」

 

このあたりの台詞のやり取りは映画祭でかなり大受けしていたのですが、「こういうやり取りをさ

させればファンは喜ぶだろう」という思惑が見えすぎて、私はちょっと引いてしまいました(^_^;)。

 

「ファンが喜ぶこと」を数多く並べたのが今回のGMKの脚本なのですが、その並べ方が整理整頓

されていない、ということになりましょうか(人が死ぬことをファンが望んでいたかどうかは別に

して)。

中村嘉葎雄さん扮する猟師がゴジラ(本当はバラゴン)出現の報道を聞いて、「ゴジラは赤くねえ」

と言うところなどは、「過去にゴジラに襲われた歴史を持つ世界」を構築するいい台詞だと思うの

ですが・・・。

 

防衛軍は名称だけで、実態は戦力といい、出動までの手順といい、自衛隊とほぼ同じでしたね。

 

http://www.godzillamovies.org/

 

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削除記事 [No.106]

投稿者:**

- 2001/11/10 (土) 08:30

投稿内容削除

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演出のお話をしております [No.107]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/10 (土) 09:38

日本がアメリカと交戦した事実を知らない若者が居るという現実。

こういう感覚を取り入れるべきではないか、ということです。

 

日本にとっての太平洋戦争は、

劇中のゴジラ東京襲撃より遙かに大きな出来事ではありませんか?

 

いま、サイレンが鳴ったからと言って、

空襲か?と空を見上げる人がどれだけいるのでしょう。

 

清水の主婦に至っては、ゴジラを目視する前に

異常な取り乱し方をするのですよ。

 

GMKの世界では、ゴジラは何度も現れているわけではありません。

一度きりしか出現しなかった存在である、ということを

感覚的に伝える演出がないと言いたいのです。

つまり、ゴジラ映画が何本も公開されてきた「我々の世界」とは違う

という感覚を持ち込めていないのです。

 

私が問題視した、ゴジラメジャー感覚に疑問を持たないことこそ、

ゴジラファンという視点からしか映画を見ていなかったということに

なりませんか?(失礼)

 

私は、蓋然性の問題以上に演出を問題視しているのです。

一般の民衆が、ばりばりにゴジラを意識しているのに、防衛軍が

無頓着という演出にドラマ上意味があったのかと言いたいのです。

(民衆の意識と防衛軍の意識が一致しているほうが、

ドラマの「目的」に合致するはずです)

 

>**さん

劇中でゴジラを科学的に分析してみせるのは作劇的にまずい、

と申し上げているのであって、設定として社会がなにもしていないのが

いいとは一言も申し上げておりません。

もちろん、たとえ設定であってもゴジラの謎が解けているというのは論外ですが。

 

劇中でゴジラ(怪獣)に同情的な人をその怪獣によって殺してみせることは、

観客の怪獣に対する感情移入を拒むことにはなりません。

演出の方法としては極めて稚拙です。

観客が何によってあるキャラクターに感情移入するのか?

その件は、以前申し上げましたので、割愛させていただきます。

 

>祝二十郎さん

そうですねぇ。

ぎりぎり焼津の漁師のみ(もちろん、劇中の登場人物としてですよ)がゴジラを記憶にとどめている、

というぐらいに抑えておけばよかったのでは、と思っています。

 

考えてみれば、

バラゴンを目撃するトラック運転手、結構細かいところまでバラゴンを見ているんですよね。

でっかい口とかでっかい耳とか。

そこまで見ていて、ゴジラだと思うあたりはゴジラをよく知らないのだな、と思わせるんですが・・。

その後出てくる人も、みんなゴジラゴジラだもんなぁ。

 

ゴジラ映画が、ちゃんとした娯楽映画になるためには、

ゴジラファンではない人が見ても、きちんと「わかる」「感じる」映画になっていなければなりません。

 

 

 

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削除記事 [No.110]

投稿者:**

- 2001/11/10 (土) 12:06

投稿内容削除

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削除記事 [No.111]

投稿者:**

投稿内容削除

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答えになりましたでしょうか [No.114]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/10 (土) 13:51

まずちょっと整理しますね。

感情移入というのは、受け手がその対象に自らの感情を投影することであり、

対象の感情を理解することです。

(たとえ、その対象が機械であっても演出しだいでは感情移入の対象になりうる)

 

そう考えると、感情移入不能なキャラクターというのは

劇中でどうでもいい扱いをされているということにつながるのではないでしょうか。

あるいは、徹底的に無機質なものとして描くことです。

何を見ているかわからない、何を感じているかわからない、ただ現象としてそこにある、

という雰囲気です。

 

ですから、例として感情移入不能な過去のキャラクターを探すのは極めて困難です。(なっかなか思いつかな かった。だって、大抵作り手はメインキャラに感情移入させることをまず考えますから)

しかし、劇中重要な位置を占めながら、感情移入されることを目指さなかった例としては、

『キングコングの逆襲』における東京タワーを挙げます。(←逃げ??)

(『モスラ』の東京タワーには、少々「情」が入っているように思います)

 

そこで、GMKでのゴジラを考えると、

作り手は、感情移入を排除というより、憎まれる存在として描きたかったのではないかと

思います。

バラゴンを痛めつける様子には、ゴジラの感情を隠すのではなく、

ゴジラを嫌な奴として見せる意図を感じました。

その徹底が不足であったと思っています。

(ただし、ゴジラを嫌な奴として描くことに賛成なわけではありませんよ)

ゴジラに理解を示す人がゴジラによって命を落としても、

ゴジラ自身が「自分の味方を殺してやったぜ」と意識していなければ、

そこに悪意は出てこないのです。

またたとえ、悪意が表現できてもスクリーンを外から見つめている観客にとってまで

悪い奴に見えるとは限りません。

「悪」の道理が伝われば、観客の心は悪の側に付きます。(というのはGMKとは関係ないですけど)

GMKが行った演出は、結果として災害としてのゴジラを描いたにとどまるのでは。

いくらゴジラに理解を示していても、運が悪ければそのゴジラに殺されてしまうのだよ、

という内容を伝えただけではないでしょうか。

それならそれでゴジラをあくまでも無機質に見せるという方向で成立したはずなんですけど。

(そうなると嫌な奴にみせる必要もなくなる。いやー、無機質も私はいやなんですけどね)

 

社会背景の雰囲気作り演出に関しては、受け止め方がいろいろだということが

わかりましたので、ちぐはぐに感じる者もいればなんら抵抗を感じない人もいるという

結論でしょうか。ほかにご意見のある方は?

 

 

 

--------------------------------------------------------------------------------

 

問題なし [No.429]

投稿者:スットメ

- 2002/02/11 (月) 23:35

ゴジラの意識の仕方は**さんと同じです。

 

全く問題ありません。

 

>私が問題視した、ゴジラメジャー感覚に疑問を持たないことこそ、

>ゴジラファンという視点からしか映画を見ていなかったということに

>なりませんか?(失礼)

 

なりません。

ま、人ぞれぞれですが、そんな感覚をもっていたら否定するのも無理ないなぁと思ってしまいます。


どうも.... [No.108]

投稿者:一読者

2001/11/10 (土) 11:06

 

ghidorahさま。

いつも、ROMさせてもらってます。

さて、いろいろ無理に粗さがしをしなくても、他に比類のないキングギドラファンとして、「いくら属性を変更 するとはいえ、僕の大好きなギドラ

のあの扱いはゆるせない」とおっしゃったほうが潔くて好感が持てますが?

味噌もクソも否定したい気持ちもわかりますが、すこし、不愉快に過ぎる表現がめだちませんか。

結局たいがいの意見は却下では、論陣の展開が単調で......

ご一考いただければ幸いです。

子記事

 

 

 

ありがとうございます [No.112]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/10 (土) 12:52

普段投稿しなくてもお読みになっている方がいらっしゃることがわかり、ありがたく思います。

 

いやー、キングギドラの扱いに対して怒りを表明するという方向をやっちゃうと、

もっときっつい物言いになっちゃうので一生懸命に避けております。

 

出来るだけ感情的な表現は避けるようにもしているのですが、私も神様ではないので不愉快にお感じになる方も いらっしゃるでしょう

ねぇ。

 

この掲示板、管理者は私ですが、支配者になるつもりはなくて、意見を発表するという次元では一参加者と同じ 立場と考えていま

す。

私が却下した意見でもなるほどと思われる方がいらっしゃるなら是非そういった書き込みをお願いしたいです。

 

出来るだけ読む方の感情を逆撫でしないような発言を心がけたいとは思っていますが、

うまく出来なかったときは、何卒ご容赦ををををを。

(具体的にご指摘下さるとありがたいのですけど)

どうか、これからもお読み下さることを期待します。


削除記事 [No.109]

投稿者:**

2001/11/10 (土) 11:10

投稿内容削除

子記事

 

 

 

なるほど [No.113]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/10 (土) 13:06

おー、**さんと私とでは、何をもってゴジラと見なすか、というあたりに

隔たりがあるんですねぇ。

私も初代ゴジラと全く同じ姿形&気質がないとゴジラとは言えないとは思ってなくて、

初代が持っていた要素がどれだけあるかがある種の基準ではあります。

このあたり、初代ゴジラにも生き物としての暖かみを感じている私としては、

二代目以降もそんなに変わったという認識ではなくて、

違った状況に置いてはゴジラも別の側面を見せるのだと受け止めています。

 

平成vsのゴジラはその設定は勘弁してくれよ~~と思うものの、

もともとゴジラが持っていた「威厳」という要素を拡大した存在だと感じているので、

劇中、ゴジラだと思って見ていました。

 

で、「三大怪獣~」でのゴジラもラドンも、モスラの説得には結局耳を貸さないんですよ。

でも、健気に単身キングギドラに戦いを挑むモスラとそれをけちょんけちょんにいじめるキングギドラを見て、 対ギドラを決意するという

演出になってます。

ここで示されているのは、地球外からの脅威に対しては、人類と(地球)怪獣が利害を一致させることもあると いう状況だと思うのです

が、いかがでしょう。


削除記事 [No.115]

投稿者:**

2001/11/10 (土) 17:24

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うんうん [No.116]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/11 (日) 17:03

週末はあまりネットにつなげないので、レスも遅目になってしまってごめんなさい。

 

モスラ・ギドラの薄い印象はほんとに大きな欠陥でしたね。

せっかく丁寧に描いたバラゴンを最終決戦までひっぱらなかったことは、**さんの分析通りに惜しいことだっ たと思います。

旧作で(スター)怪獣が多数出る場合は、シリーズ物として、先行作品の内容を踏まえているから、個々の怪獣 をそれほど丁寧に追

いかけなくてもスター性を損ねずに成立しているのですよね。

三大怪獣では、新怪獣であるキングギドラの登場が一番最後ではありますが、

地球への侵入から登場までを実に丁寧に追っています。

これによって、キングギドラの印象度が大幅にアップしているわけです。

 

旧作のイメージを払拭しつつ、描きこみもないのでは印象が薄いのも当然なのです。(GMKでのモスラ・ギド ラ)

とはいえ、100分ほどの尺で(ゴジラ以外の)3怪獣をすべて丁寧に描くことも無理があるでしょう。

(GMK、まとまりがないとはいえ、冗長なシーンがあったわけでもない)

 

怪獣を見せるべき怪獣映画でタイトルになった怪獣をきちんと見せられなかったことは重いです。

 

私としては、モスラ・ギドラをかわいげのあるデザインにしなくても、その覚醒や行動を丁寧に追うことで充分 横浜決戦を盛り上げるこ

とが出来たのではないか、と思っています。

でも、そうすると尺が足りないのか・・・。

やっぱりバラゴンを最後まで出すべきだったという結論になりますか。