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バラゴンの中身 [No.117]

投稿者:鈴鹿の友

2001/11/12 (月) 13:36

 

週末の報道番組(何だったか忘れました)の中で、バラゴンの中身をやっていた女性の追跡取材がありま した。 GMKの宣伝を兼ねての報

道だったと思うのですが、お子ちゃまも見ている時間帯に中身をばらすのは夢がないなぁ~と思ってしま い、こ こに投稿させていただきます。

別に放送内容に関しての文句は無いんですけどね。

 

ディズニーランドでも、ミッキーやミニーの中身を聞かれたら「みんなの夢が詰まっているんですよ」と マニュ アル化しているくらいなのに、ちょ

っとガッカリしちゃいました。せめて放送を深夜番組の枠にすれば良かったのに・・・。

子記事

 

 

 

ブロードキャスターですね。 [No.118]

投稿者:イカ課長

- 2001/11/12 (月) 15:31

はじめまして(^^)。

 

>せめて放送を深夜番組の枠にすれば良かったのに・・・。

 

う~む、それも一理ありますが、やはり視聴者の多い時間に流した方が

宣伝効果高いですからねえ。子供の夢は壊れちゃうかも知れませんが、

別の意味での夢(苦節を経て、メジャー作品のスーツアクターになれた!)が

ある内容でしたし、いいんじゃないでしょうか(^^)。

http://ybbs.nazca.co.jp/cgi-bin/bbs.cgi?id=tacopost

 

 

これで続きに入るのかなぁ? やり方、分からないです。 間違っていたらごめんなさい。 [No.120]

投稿者:鈴鹿の友

- 2001/11/12 (月) 18:42

イカ課長さん、初めまして。

 

>子供の夢は壊れちゃうかも知れませんが・・・

えぇ~、お子ちゃまの夢は大切にしましょうよぅ~。

私は、特撮モノ・アニメものは、夢を売ることが一番大切だと思っています。

実写ではある程度限界があるでしょうから。そう思っていたのは私だけ?

ちょっと悲しい・・・。

映画作製の舞台裏の特集を見ちゃうと、どんな映画でも見る気が無くなる私なので、余計にそう思ってし まいま す。(1回見た後に、

その舞台裏を知るのは楽しいと思うんですけどね)

 

そうこう言っても、TV放映になったら見てみようと思っている私です。

ゴジラファンの皆様、不謹慎でどうも済みません。

 

 

バラゴンの中身が女性と知っていたためか、余計痛々しかった [No.123]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/13 (火) 09:17

怪獣の中身をばらすのって、難しい部分なんですよねぇ。

 

かつて円谷英二監督は、メイキング写真で怪獣役者が

ぬいぐるみから顔を出しているようなものを

公表することには反対だったと聞きました。

 

ところが、怪獣の中身が人間の役者だったと知って、

ますます特撮が好きになっちゃったアホウがここにいます。

(あたくしでございます)

確かに、種明かしされて白ける子供もいたとは思いますけど。

 

技術論として着ぐるみ方式を明かすのは問題ないけど、

具体的にどんな人が入り、どんな風に作業を進める(着ぐるみの

着脱まで)のか、まであからさまにするのは慎重にしたほうが

いいのかもしれません。

(あ、お子さま向けに、という意味です)

 

それにしても、最近は、公開前にメイキングを公表しちゃうという

妙なトレンドがありますねぇ。

ヘタすると、ストーリーも全部わかっちゃう。

これはやっぱり白けるのでは。

 

豆情報。

円谷監督存命中にテレビ放送された

「太陽のあいつ」という東宝映画のプロモーションドラマで、

サンダ対ガイラの撮影で演技に悩む怪獣役者(中島春雄)を

中心に据えたエピソードあり。

ここで、主人公の雑誌カメラマンが、怪獣演技の極意を

中島氏に伝授するというトンデモ展開があって、

今見ると笑えます。(って、見られねーっつーの)


そこが食い違いかな? [No.119]

投稿者:兄貴(赤)

2001/11/12 (月) 18:25

 

**様

 

> (引用部分削除)

 

私は初ゴジラを「破壊神」とは思ってないのです。

人間が作った核兵器によって生まれてしまい、人間側の都合で殺されてしまった悲劇の存在だと思ってい ます。

ゴジラは、今まで一度も人間に対して、悪意や敵意をもった存在として描かれた事は無かったと認識して いま す。

攻撃されるから反撃したし、光る物が癪に障るから鉄塔を倒したのであって、なにも人間を狙ったもので はない と思います。

だから、無理に人間を敵視したような描き方には疑問を抱きます。

 

また、私が下の書き込みで言った「ヒーロー」とは、なにも人間の味方をする事ではありません。

圧倒的に強く、どんな攻撃も撥ね返す絶対的な強者としての「ヒーロー」です。

ですが、GMKのゴジラは、弱いものいじめ(バラゴン)するし、ドリルミサイルごときで穴開いてしま うし、 カッコ悪いのです。

それが、いやなのです。

子記事

 

 

 

削除記事 [No.121]

投稿者:**

- 2001/11/12 (月) 19:48

投稿内容削除

 

削除記事 [No.122]

投稿者:**

- 2001/11/12 (月) 21:08

投稿内容削除

 

いかんいかん、爆発しそうだ [No.124]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/13 (火) 09:38

うーんと、US版の気に入らないところはまあ、

私もいろいろあるんですが、そこに分け入っちゃうと

話が乱れますので、一点だけ。

現有兵器で殺されてしまったというのが、大きな問題ですよ。

 

GMKでの対バラゴン戦は、ゴジラ、バラゴンを気にしすぎ。

ゴジラの「悪さ」の演出としては、バラゴンをしつこく痛めつける

演出は有効だったと思いますが、

それが逆に圧倒的な強さの表現を阻害しています。

無敵というのは、敵無しなんですから、ザコを気にしちゃいけません。

 

つーか、いやーん。

ゴジラって、あんないやらしい怪獣じゃないよーう。

 

まあ、いままでのゴジラを否定するところから発想した

GMKゴジラだから成立するのかな?

 

だ、か、ら、それはゴジラじゃないの!

 

物語の仕掛けとして、ゴジラが残留思念の集合体であると

セリフで言わせておいて、描写がそれを裏切るというのは

あり得る手法だとは思います。

その場合、劇中、ネタ振りが裏切られたことを明確にしないと

ただ、客を翻弄するだけの結果になります。

 

 

削除記事 [No.127]

投稿者:**

- 2001/11/13 (火) 20:38

投稿内容削除

 

矢でも鉄砲でも・・・・ [No.128]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/11/13 (火) 23:43

いや、でも初ゴジが「オキシジェン・デストロイヤー」という「架空の化学兵器」でのみ

倒されたということは、言い換えれば「現行の兵器ではゴジラは倒すことは出来ない」と

いうことでありまして、昭和29年当時、そして現在にいたるも最強の兵器である「核」

をもってしてもその命を奪い去ることは出来ないものが「ゴジラ」ということになります

よね。

恐らく、現在の地球上にある全兵器を使用しても倒せないもの、それが「ゴジラという存

在(生物であり、同時にそうでないもの)」ということで。

 

トラゴジが米国の現有兵器であっさりと倒された、というのは取りも直さず「トラゴジ=

非ゴジラ」という公式が成り立つと思うのですが。

 

翻って「GMK」のゴジラはといえば、私は今ひとつ理解できていないのですが、あれは

「自壊してしまった」と捉えるのが一番正しいのでしょうか?

つまりは、人間の兵器を持ってしても、ゴジラ以外の怪獣の力を持ってしても、やはりゴ

ジラを倒すことは出来ない、ということなのでしょうか??

http://www.godzillamovies.org/

 

 

削除記事 [No.130]

投稿者:**

- 2001/11/14 (水) 06:56

投稿内容削除

 

GODZILLAに話がそれたので(汗) [No.131]

投稿者:Lans

- 2001/11/14 (水) 11:43

US版に話がそれたので、ちょっと参加します。

(私はまだGMKは観てないので、そちいらについては、まだ言及しません)

 

>(引用部分削除)

 

うーん・・・

初代ゴジラ当時の自衛隊の兵器は当時

「全て、米軍から貰った物」なんですが・・・

 

しかも、F86なんて最新鋭です。

 

M24は軽戦車なので米軍主力戦車より砲力は落ちますが、

砲兵主力であった105mm砲は米軍の標準装備であり

直撃した際の破壊力は十分、主力戦車と張れます。

 

つまり、初代ゴジラに自衛隊(防衛隊)が投射した火力は、

もし、当時米軍がゴジラに対した時に投入が予想される火力に比べて

決して劣るものでは無い!という事です。

 

これは、自衛隊が勝てないという事は米軍も通常兵器では

勝てない事を意味しています。

 

さらに「モスラ対ゴジラ」においてゴジラは

世界最強を歌う「米第7艦隊」の艦砲射撃を受けて、平然としていました。

この事からも、ゴジラは通常兵器が効いてはおかしいのです。

 

「ゴジラは通常兵器が効かないから恐ろしい」

のではないでしょうか?

 

これはつまり

「通常兵器で倒されないからゴジラ」

とも言えます。

 

ちなみに、アイオワ級戦艦の主砲(艦砲)は破壊力だけなら

F-18の発射したハープ-ンより「上」です。

 

ここで改めて、LansのGODZILLAへのスタンスを明らかにしておきます。

 

私はUS版もゴジラの「系譜」として認めてはいます、

さらに、その作品の特殊効果の出来や見せ方なども

日本より上であったと思います。

 

しかし、GODZILLAが米軍の通常攻撃で敗北した事については、

US掲示板のころから批判しています。

(だからと言ってGODZILLAを否定するまでは思っていません)

 

 

地雷を踏んじゃったかな [No.133]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/14 (水) 13:02

『GODZILLA』の話で引っ張るのは「なに」だな、と思うんですが、

ゴジラ映画の将来を考える上では避けて通れない道なんでしょうか。

 

で、**さん。

**さんが『GODZILLA』を弁護する論理は、

アメリカ人の感覚ならこうなるのだ、という立脚点に集約されると

思うのですが、違ってますか?

そうなると、議論にならないのですよ。

『GODZILLA』が拙い怪獣映画であると主張している人の多く(私もね)は

そんなアメリカ人の発想では、ゴジラ映画にならないと言っているわけですから。

 

ですから、議論するなら、米軍に絶対の信頼を置くアメリカ的発想と

軍隊や科学理論でも歯が立たないものがあるという日本の発想と、

どちらがよりおもしろい「映画」を作り得るかという話に進まないと

発展性がないですよ。

 

 

削除記事 [No.137]

投稿者:**

- 2001/11/14 (水) 21:38

投稿内容削除

 

概念ですか・・・ [No.138]

投稿者:Lans

- 2001/11/15 (木) 12:19

>(引用部分削除)

 

はたして、この概念は成立するのでしょうか?

日本が負けた事は事実ですが、いまだ零戦や連合艦隊の主要艦艇などは

日本人に「絶大な人気」を誇り、次々とショーも無い仮想戦記まで出る始末・・・

 

これは日本人が日本兵器を「やられメカ」と認識していない事を証明しています。

 

さらに、零戦などは海外でも一定の人気と評価、そして実際とは大きく掛け離れておりますが「ゼロ不敗 伝説」 が成立しています。こ

れがは現実とは違いますが、おおまかな旧日本兵器への一般的概念だと思います。

 

きつい言い方になるかも知れませんが、日本が使う兵器がやられメカだという概念は、**さん個人の概 念であ るのにすぎないの

はないでしょうか?

 

よって、通常兵器は米軍だろうと、日本だろうと「同じ物」であれば「同じ物」ではないでしょうか?

 

そのあたりの感覚と解釈は、今後のゴジラ映画における兵器の位置として、結構重要だと思います が・・・

(これを間違えるとGODZILLA化してしまう可能性が出てくると思います)

 

そして「やられメカでない、れっきとした最新兵器で倒しきれない」から

怪獣王ゴジラなのでは?

 

 

区別はしなきゃ [No.139]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/15 (木) 16:18

登場した怪物が最後には軍隊や科学の力で倒されてしまう映画。

 

怪物は、人間のいかなる努力(攻撃)も撥ね退けて同類との闘争か、

大自然の力によって鎮められる映画。

 

どちらがより大きな可能性を秘めているか、ということです。

 

前者の枠の中でも、それなりに面白い映画を作ることは可能でしょう。

しかし、そういう構造を持った映画では、人間の「力」や「知恵」を

超えたものの存在を謳うことは出来ません。

 

後者の構造を持った映画が表現する、「人を超えたもの」に接したときの

カタルシスを表現することが出来ないのです。

 

ゴジラも『ゴジラ』や『ゴジラの逆襲』までは、

旧来の怪物映画の構造を変えるに至っていません。

(『~逆襲』には萌芽が見える)

しかし、前述したように『キングコング対ゴジラ』において、

人には征服不能の存在という「物語装置」に発展しました。

怪物映画の可能性を開拓したのですから、先行作と違った構造を

持っていても進歩として認められるわけです。

 

『GODZILLA』の問題は、その内容が、旧来の怪物映画と同等でありながら、

それを改革して見せた怪獣映画のシンボルであるゴジラを名乗ってしまったことです。

 

法的にはあれもゴジラ映画のひとつと認めなければならないでしょう。

そうしないと、『オール怪獣大進撃』や『GMK』もゴジラ映画ではないことになってしまいます。

 

『GODZILLA』はベビーの登場からちょっと眠くなりますが、

全体としてそれほど拙い出来ではなかったと思っています。

しかし、それまでのゴジラ映画から得られたカタルシスはないのです。

別種の映画であることは認めるべきではありませんか。

 

 

削除記事 [No.141]

投稿者:**

- 2001/11/15 (木) 21:06

投稿内容削除


No.141から続く [No.143]

投稿者:祝 二十郎

2001/11/15 (木) 23:36

 

スレッドが伸びきっちゃうので、スレッドを変えます。

 

>(引用部分削除)

 

うーん、これは確信があって語っている台詞ではなくて、「核なら倒せるに違いない」という実

証の無い、あくまで予測から出た言葉に過ぎないですよね。

ですから「いくらゴジラでも爆心地にいては助からない」かどうかは神のみぞ知る、というとこ

ろではないでしょうか?

私は「びくともしない」と思ってますけどね。

 

そういやトラゴジは、ムルロア環礁での核実験の影響で誕生してますけど、画面で見る限り、初

代ゴジラ以上に核兵器の直撃を受けているようにしか思えないのですが、それでも生き延びた生

物がミサイルの直撃程度で死んでしまうってのはえらい矛盾を含んでませんでしょうか?

 

>(引用部分削除)

 

「ゴジラ(54)」より、山根博士の台詞

 

「水爆の洗礼をうけながらも、なお生命を保っている強靭なゴジラを、何を持って抹殺しようと

いうのですか?」

 

「ゴジラの逆襲」より、同

 

「我々の武器、我々の叡智を結集いたしましても、あの恐るべき放射能因子をおびた凶暴なるゴ

ジラの、行く手を阻むことは出来なかったのであります」

 

ご存知の通り、「ステイタスのある旧日本兵器」を投入しても結局日本はアメリカに負けてしま

いました(要因は様々あるにしても)。

で、その「日本よりも強いアメリカ」が作った「地上のあらゆる兵器を凌駕する威力を誇る最新

兵器=核」の洗礼を受けても死なない存在として生み出されたのがゴジラですから、相手が「戦

に負けた日本軍」だろうが、「戦に勝った連合軍」であろうが、ゴジラの前には勝利は勝ち得な

い、とするのが大凡一般的な解釈だと思いますが、どんなもんでしょう?

 

よしんば、「枢軸国が勝利した世界」というものが存在するとしても、今度は、その世界におい

てはゴジラそのものが存在しないと思いますよ。

(日本の、特に初代の)ゴジラは、決して「勝利者」の発想からは生まれ得ないものだと思いま

す。

そして「人間の兵器のあっさりやられる怪物」は「勝利者の発想」から生まれるものではないで

しょうか?

 

そのあたりが、例えば手塚監督の「イグアナ映画」という発言や、今回「GMK」における「我

々はあれをゴジラとは認めていない」という台詞にも現れているんじゃないでしょうか?

いや、実際の話「GMK」でのあの台詞は、(台本は監督やプロデューサーも確認した上で決定

されるのですから)あれは日本のゴジラ映画(関係者)からの、トラゴジに対する「公式見解」

だと受け取っていいと思いますよ。

 

話が「GMK」から大きく逸れてしまいましたので話を戻しますけど、「GMK」におけるゴジ

ラというのは、結局(日本にやってくる)目的が在りそうで無いですよね、映画を観る限りでは。

あのストーリーから「英霊」や「戦死者」を外したとしても、物語はちゃんと成立してしまう、

というのはやはり大きな問題だと思います(^_^;)。

http://www.godzillamovies.org/

子記事

 

 

 

削除記事 [No.144]

投稿者:**

- 2001/11/16 (金) 08:10

投稿内容削除

 

私も最後に一言 [No.149]

投稿者:Lans

- 2001/11/16 (金) 18:28

この辺で、と、と切れてしまいましたので、私も最後の主張にします。

 

基本的に祝さんのご意見に同意します。

(ただし、GDZILLAの出生に関しては**さんを支持します)

 

>(引用部分削除)

 

零戦や大和は結局負けたんです。それはみんなが知っています。

それこそ、零戦や大和が勝つ可能性というのはおかしくなるのではないでしょうか?

 

その勝った側のアメリカ最新兵器を使ってもゴジラは倒せないってのが

「日本のゴジラ解釈」の大枠であると思います。

で、これは「ゴジラとしては」日本だけではなく、アメリカでも半ば公認であった事実のはずです。

(「US公開版モスラ対ゴジラ」で「米第7艦隊」が勝てなかった事をもう一度書いておきます。)

(さらに、日米合作のキンゴジで「北の赤い星の戦車軍団」も敗退しています)(ただし、登場車種は米 戦車で すが・・・)

(そうそう、日米合作のキンゴジでは米原潜も沈んでますね。世界最強アメリカ潜水艦隊の・・・)

 

それを逸脱したGODZILLAは

私も面白いし、いろいろ勉強になるいい怪獣映画だとは思いますが、

ゴジラとして本家にくるむのには抵抗があります。

あくまでも「外伝的作品」として認めたいと思います。


ふと・・ [No.125]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/13 (火) 19:00

 

ひょっとして、ここをGMKをこき下ろす場だと思って(読んで)いる人、いないでしょうねぇ。

 

そりゃ、私はGMKをぜんぜんおもしろいと思いませんでした。

ですから、どうしておもしろく感じられなかったかを書いているわけです。

しかし、逆におもしろいと思った方は、どんどんその感じ方を表明してほしいのです。

 

以前も書きましたが、「つまんない」というのも「おもしろい」というのもそれぞれの感じ方であるのは 大前提 です。

そこで、GMKがどんな作品だったのかを明らかにするためには、

双方から、互いに理解できる(必ずしも共感できなくてもいい)形で(広義の)説明を施して行かない と、なん にも見えません。

 

私の感じ方から行けば、どうしておもしろいと思えたのかわからないのです。

そこが知りたい!

 

ゴジラ映画だからこそ、こんな掲示板を開いています。

GMKが全部新怪獣しか出てこない、まったくの新発想映画ならここまでしません。

私はゴジラ映画の精神を突き止めたいし、出来の悪いゴジラ映画を作らないための方法論を確立しない と、今後 さまざまなクリエーターが

参入すると思われるゴジラ映画が迷走していくのは目に見えています。

それは、まずいです。(私は、100年200年というスパンで考えています)

 

GMKに関する不満点の表明も、ドラマ全体に影響する部分に限定して書いているつもりです。(筆が 滑ったら ごめんなさい)

重箱の隅をつついたら、由里が箱根から横浜までゴジラの歩行速度と同等のスピードで自転車を走らせた のか よ、とか、

あの暴走族はセンスが古すぎるよ、とか、作劇上それほど重要でないことも気にはなっています。(そう いうつ じつまもいいかげんにすべき

ではないけど、あんまり拘泥すべきでもないと思ってます)

 

国際映画祭から時間が経ってきて、劇場公開が始まるまでさらなる感想、分析はお預けでしょうか。

 

おもしろいと感じた方には不快なのかもしれませんが、

まだ私が感じた問題点を全部は書いておりませんので、そのぉ、もうちょっと指摘は続けますよ。

子記事

 

 

 

削除記事 [No.126]

投稿者:**

- 2001/11/13 (火) 20:06

投稿内容削除

 

木を見て森も見る [No.129]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/11/13 (火) 23:48

私は「GMK」を鑑賞した際、部分部分では「面白い」と感じたところも決して

少なくは無かったのですが、全編を鑑賞後に残ったのが「釈然としない」感なの

でありました。

で、何故そう感じてしまったのかを部分を検証することによって考えようと思っ

ているのです。

 

「そんなこと検証してそれで面白いのか?ただ、面白かった、じゃいけないのか?

」と問われると困ってしまうのですが(^_^;)。

http://www.godzillamovies.org/

 

 

あらま [No.132]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/14 (水) 13:00

>**さん

あのー、

>あんまり拘泥すべきでもないと思っています

と申し上げているのですけど・・・。

 

**さんがお住まいの地方には、いまでも

リーゼントでびしっと決めた「族」がいるんですね。

それなら仕方ないです。

新潟にもいるのかもしれませんね。

 

>(引用部分削除)

実例を挙げてください。

(私に思いつくのは、『モスラ』で洋上で姿を消したモスラが

突如ダムに現れる理不尽さぐらいです)

 

>(引用部分削除)

これは『三大怪獣~』のことをおっしゃっていますね。

**さん、勘違いしてますよ。

モスラはちゃんとそれなりの時間をかけて日本に来ています。

もう一度ご覧になってみてください。

 

>(引用部分削除)

GMKだけとは言いません。(本多・円谷時代の作品はこれみよがしでなくとも、

そういった細かいところも投げ出さずに「押さえている」のですが、最近作はちょっと・・。

スペースゴジラでのMOGERA宇宙航行速度、×メガギラスでは渋谷から飛翔したメガギラスが

ゴジラと闘うまでなにをしていたのか・・)

とはいえ、GMKがそういった点でも劣っているのは間違いないと思っています。

 

>祝二十郎さん

臆することなんかないですよ。

映画でも音楽でも絵画でも、能動的に鑑賞することで、

より深い感動を味わえるのではないでしょうか。

また「おもしろい」でも「つまんない」でも、

なぜ自分の心がそのように感じたかを見つめることを

放棄してしまっては、芸術の楽しみは半減します。

どんどん行きましょう。


由里と武田 [No.134]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/14 (水) 13:05

 

武田が、デジタルQの社員ではないことはもうちょっと明確にすべきだったのではないか、

と思っています。

由里が父の質問に答えて、

「取材に協力してくれるライター(だったっけ)」と説明するだけで、

あとは人間関係の距離感がはっきりしませんでした。

ADと対立している雰囲気もありましたが、それは恋愛三角関係において

由里を巡る対立のようにも見えましたので、

逆に気安さがある関係にも見えて、武田が社外の人間であるようには見えなかったのです。

 

そのため、武田に対して「この人、何者?」という疑念がつきまとい、

ストーリーに入りこみにくくなっていたように思います。

 

そして、武田が由里に気があることに、由里自身も気づいている表現が

父の「邪魔したか」という言葉に対して「助かりました」と受けるやり取りにありました。

 

そうなると、この二人の恋愛模様がどう進展するのか、というのも

枝葉とはいえ、ストーリー上の興味に含まれました。

 

その後、立花に二人で会いに行くシーンの後、

由里と武田の考え方の違いが示され、(父の回想を収録した由里に対して

武田は批判的である)

続いてゴジラ対バラゴンを取材するという危機的状況を二人で乗り越えます。

ここで、気を失った由里を武田が助け出して病院へ運び込んでいるという展開になります。

 

おお、二人はこれでいい仲になるのか、と思った私ははぐらかされます。

武田は、もうこれ以上危険を冒すのは間違っている、と由里と決別するわけです。

これはこれで、仕方ないことと感じました。

武田には由里ほどの使命感がないことは事前に明らかにされていましたし、

それぞれの立場で物を考えた結果、違った道を選択したのだ、という結末がついたわけです。

(ここで、車を貸してくれなかった武田に対して一瞬顔をしかめて見せる由里の表情は

さまざまな思いを凝縮した良い顔でした)

 

その後、由里は自転車で単身ゴジラを取材を続けるわけですが、

惜しむらくはその苦労があまり伝わらなかったこと。

ゴジラを追いかけているのはわかりますが、どれほど体力を使っているか、とか、

危ない目に遭っているのかということが伝わりませんでした。

(本当に危ない目に遭うのは横浜に着いてから)

 

由里の放送を車を運転しながら見ている武田がインサートされますが、

いまいち由里の元へ駆けつけなければならないとの決意も見えないのは、

生放送している由里の「苦労」が画面を通じて伝わっていないせいもあるのではないかと

思います。

 

そこで、横浜で軍に拘束された由里のもとへ武田が再び現れるのですが、

(武田がどうやって軍の封鎖を破ったかは置いておいて)

二人は当たり前のように行動をともにします。

(現れた武田を見た由里の顔が泣き笑いのような表情を作りはするんですが・・)

どうも、わからないです。

武田は、もう君には付いて行けない、と車を貸すことも拒否したのですよ。

そのため自転車で取材しなければならず、大変な目に遭ったのではないですか。

しかも、武田はデジタルQの社員でもない。

横浜での由里は武田を拒絶しなければならないのでは?

二人の心理がさっぱりわかりませんでした。

 

さて、以前別の流れでお話した、由里の自転車導入と絡めて

もっとうまく作れたのではないか、と思っています。

箱根で二人は相思相愛になっちゃって構わないのです。

ただし、道路の分断でゴジラの進路を直に自動車で追うことは不可能。

そこで、由里は自転車で取材を続け、武田は車を迂回させて由里との合流を目指す、

という二人の望まざる離別という形にしてもドラマ上なんら問題はなかったのではないでしょうか。

子記事

 

 

 

補足 [No.135]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/14 (水) 13:53

由里と武田の恋愛については、

由里が父と交わす会話にセリフとして織り込まれているだけで、

二人が顔を合わせているシーンに、そのような情を感じさせるような演出が

なかったか、きわめて希薄であったとも思っています。

(ADがやたらと由里に対して(不正確ですが)魅力的だの、かわいいのと

連発するのも、なんだかなー、でしたが)

 

 

お色気にも関係あり [No.136]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/14 (水) 17:59

お色気や艶っぽさを演出する手段として、肌の露出ばかりではありません。

今回のGMKでは、この二人の関係をもう少し艶っぽく描く事で、

お色気を演出できたのではなかったのでしょうか。

人間の心理描写がお粗末過ぎるし、お色気ないし・・・

新山ちゃんは、キャスティングとしては良かったのに、もったいないです。

 

ただ、新山ちゃんの相手役としては、彼ではちょっと不釣り合いかと・・・


三神獣について考えるの巻 [No.140]

投稿者:兄貴(赤) 2001/11/15 (木) 18:32

 

 

下の私の書き込みNo、119が、トラゴジの話しになってしまいました(笑)

トラゴジは、VTRで見直したのですが、毎回小トカゲのあたりで眠ってしまいます。

今後観る事はないだろうと思い、消去しました。

スペゴジも毎回、ラストバトルで眠ってしまいます。

劇場でも眠ったなぁ、ゴジラで寝たのは始めてでしたが、スペゴジVTRは保管してます。

 

さて、GMKの三神獣ですが、ゴジラは理由はどうあれ通常兵器では倒せない。

だから、三神獣が必要だったはずです、実際劇中でも戦闘機からの攻撃では歯が立ちませんでした。

 

そこで、まずバラゴン登場です。

しかし、全然弱いです(笑)直ぐ死にます。

次はモスラとギドラですが、これも負けてしまいます。

で、この神獣って生き物だったのでしょうか?

それとも、精神体か幽霊だったのか?

ギドラは氷の中に閉じ込められていて、確かに肉体がある様にみえましたが、

どうして三匹ともゴジラにやられたら金粉キラキラなのでしょう?

川北特撮時代、しらけるから止めてくれと皆さんおっしゃっていたのですがねぇ。

また、金粉キラキラです。

それに、あれは何ナノでしょう、最後は三匹のキラキラがゴジラに取り付いてどうなったのでしょう。

 

結局、ゴジラを倒す決め手になったのはドリルみさぁ~いる!でしょう。

神獣は登場する意味がないじゃないですか?

中から穴が開けれるなら、外からだって出来るはずですから、ドリルをがんがん打込んで、

ゴジラを蜂の巣にすれば終了でしょう。

 

それとも、あのキラキラが神獣の精神体か何かで、ゴジラの動きを封じたのでしょうか?

そのおかげで、ドリルを打込めたのでしょうか?

もし、そうなら、最初から神獣なんか出現せずに、キラキラだけ出て来てゴジラを

動けなくしてくれたら、あとはドリルで穴開けるだけでOKじゃないですか。

 

怪獣は人間の兵器では倒せない、だから怪獣バトルに意味があるのではないでしょうか?

ところが、GMKでは怪獣(神獣)では、ゴジラは倒せないけど、ドリルは有効なのです。

変じゃない?

 

 

子記事 5 10 15 20 25 50 100 無制限

 

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不思議なもので… [No.142]

投稿者:K4

- 2001/11/15 (木) 23:22

語られてる設定をそのまま鵜呑みすれば、ゴジラは肉体を持たず

眠りについてるヤマト聖獣たちは肉体があるはず。でも描き方はまったく逆。

私は英霊が古代の怪獣を突き動かしていて、現存する肉体を持っていてもおかしくない、

聖獣たちが光のような存在で最後までゴジラに抵抗するのは、「くに」の意志が

そうさせている。

つまり英霊がゴジラという肉体を手に入れ、日本を襲う時には現存する体をもち、

逆にゴジラに撃退された聖獣たちが光のような存在になったのは「くに」の

意志によるもの撃退されて逆に精神体になったのではないか、と

強引に納得してます。

 

ただいつも怪獣というのは人知の及ばない存在で人間がその生態やら正体やらを追求

出来るものではない、と思いながら、なぜか劇中で怪獣たちの存在の描き方、

正体や生態を気にしてしまうのはなぜなんでしょうね(自分へ向けての問いかけ)?

劇中では誰もその正体を突き止められない存在なのに、見ている自分は

やっぱりこういう存在だって、わからなくてはいけないなんて…

 

 

 

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削除記事 [No.145]

投稿者:**

- 2001/11/16 (金) 08:18

投稿内容削除

 

 

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言葉にはウソや間違いが含まれる [No.146]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/16 (金) 11:22

三神獣が肉体を持っていたか否か、も

はっきりしないところがある。

(やられれば「キラキラ」になっちゃうけど、

明かにギドラは覚醒する前から実体を持っていた)

けれども、ひとつの解釈として、

ゴジラは肉体を持つ動物であって、

三神獣こそ霊的存在であったと考えることで、

かなりの不整合を解決することは出来そうです。

 

そうなると、謎の老人がゴジラに関して由里に伝えたことは

虚偽か、間違いであったことになります。

劇中でそれを確認させていないあたりは、非常に不親切な

作りでありますが、客にいろいろ解釈させることを

目指したのなら(好き嫌いは別として)認めざるを得ない作り方

かもしれません。

 

劇中で「昔の人の無念を忘れてしまった現代人」という

雰囲気作りも十全に為されていないことと合わせて考えると、

セリフで膨大に語られる設定じみたことがらには

何の意味もないのかもしれません。

 

映像が何を見せたか?

 

ゴジラが日本を襲う。

謎の老人が関与していると思われる三神獣がゴジラに挑む。

しかし、ゴジラには歯が立たない。

最後は、人間のがんばりでゴジラは倒される。

(たとえ、心臓が残っていて、復活を予感させても

ゴジラの肉体が滅ぼされたことは明らか)

 

ゴジラは人間が倒しましょう、という物語だったと思うしかない

のか・・・・。

発想としては、「ウルトラマン」でのジェロニモンの巻と同じなのか。

 

>K4さん

サスペンスドラマやクイズバラエティ番組が常に人気を博するのは、

人間が理性的な存在だからだと思っています。

謎を仕掛けられると、答えを知りたくなるのが人間の習性なのです。

怪獣映画において、その強さや生命力の謎が劇中で説明されないなら、

観客は答えを求めていろいろ考えるのが当然です。

それもまた、怪獣映画の鑑賞法でしょう。(まあ、謎しかない物語は、

思考するための手がかりがないので、「でたらめ」と呼ばれます)

しかし、そんな発想はあくまでも鑑賞であって、

怪獣映画の創作に使うと「怪獣映画の楽しみ」をひとつ奪う結果に

なるのではないでしょうか。

かつての怪獣映画では怪獣の出自や生態をあまり明らかにすることが

ありませんでした。

それを知りたい、と思う心は「ファン心理」なのです。

昨今の怪獣物ではそんなファン心理から抜け出していない作品が

多すぎると感じています。

それから私としてはGMKでの「くに」という概念も

セリフで語られるだけでそれを伝える描写がなにもなかったのですから、

それこそ劇中の人物が発した言葉に過ぎない、

ドラマ上は実効性のない概念だと思ってます。

謎の老人(ひょっとすると125歳の伊佐山かもしれない)が

個人的な恨みを晴らすために三神獣を目覚めさせたと考えると

一番しっくり来るんですよ。

 

 

 

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GMK所感 [No.147]

投稿者:パシン

- 2001/11/16 (金) 14:10

はじめまして。三十路半ばで妻子持ちのゴジラ好きです。

ちなみに私はGMK肯定派です。

 

>ゴジラは肉体を持つ動物であって、三神獣こそ霊的存在であった

 

HicoさんのネタバレBBSにも同様の趣旨のことを書き込みましたが

私も同じ解釈を持っています。

3聖獣のやられ方(光の粒子化)、伊佐山が実はこの世のものではなかった

というオチ。なにより、ゴジラ自体の生物感に満ちた描かれ方を見るに

今回の話の不整合振りは金子監督が意識して仕掛けたパラドックスではと。

 

おそらく伊佐山は50年前のゴジラ上陸で命を落としている。

霊体となった伊佐山は再度のゴジラ出現を察して自身が生前に研究していた

護国聖獣達に英霊を宿して蘇らせ迎え撃った。

英霊達はくにを守るために戦争で命を落としたものたちであるのでくにを

おびやかし、この世界での唯一の外敵、「戦争」のメタファーといえる

ゴジラと戦う動機は充分である。

そして由里も伊佐山にマインドコントロールされて(とりつかれて)

護国聖獣が軍の攻撃を受けないように、そして共同でゴジラを倒す様に

利用されていた・・・。

 

このように考えるとすっきりしませんか?

(それでもゴジラが何故蘇ったのか。何故日本を襲うのかは謎ですが)

映画自体もそんなニュアンスを散りばめていたように記憶して

いるのですが・・・実はイマイチ記憶があいまいです。

正直、ゴジラ上陸~横浜での地上戦辺りまで映像の迫力に圧倒されて

セリフや細かい描写の記憶が飛んでいます。

まぁ今週末、試写会に行きますんで自説の検証をしたいと思っております。

 

(私は論理的な考えは苦手ですし筆力も無いのでうまく表現できません。

突っ込みどころ満載の駄文だと思いますがお許しを)

 

 

 

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この情熱、このスタミナ! [No.148]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/16 (金) 17:44

>パシンさん

こちらこそ、初めまして。

40目前の妻子持ち(円谷円谷というわりには

若造なんです)ghidorahです。

 

週末の試写会に行かれるのですね。

再見での感想や解釈などありましたら是非書きこんでくださいね。

 

私はGMKをおもしろくなかったと公言してしまっていますが、

新たな見方を知って、楽しめるようになるなら本望です。

これからもどうぞよろしく。

 

 

 

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受け入れられるかの境目 [No.428]

投稿者:スットメ

- 2002/02/11 (月) 23:19

受け入れられるかの境目

 

>ゴジラは人間が倒しましょう、という物語だったと思うしかない

のか・・・・。

>発想としては、「ウルトラマン」でのジェロニモンの巻と同じなのか。

 

ということです。

 

話の骨格が個人としての国防のあり方を問う故、聖獣は単なる助っ人。

 

怪獣映画ってこんなであって欲しい。

ゴジラってこんな(人に殺されない)であって欲しいという人には受け入られない映画なのです。

 

故にストーリーに一貫性がないからではありません。

 

一貫性はあるから。

 

ただ、聖獣が無理矢理出したことに不備はありますので、その不満はあってしかるべきでしょう。

私は単なるサービスとして受け止めているので気になりません。


ラストシーン [No.150]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/17 (土) 11:10

 

心臓だけになったゴジラに(確か)カメラが寄っていったところで

伊福部先生の音楽が初めて流れましたね。

 

それまではゴジラが姿を見せても一切鳴らなかった伊福部音楽が初めて流れるわけです。

 

ここで私は、えもいわれぬ安堵感を感じました。

いろんな意味でずーっと居心地悪かったのですが、最後の最後に「ゴジラが帰ってきた」と感じたわけで す。

心臓だけになったとき、初めてゴジラに会えたと感じたのです。

 

作り手の意図がどこにあったかはわかりません。

あくまでも私の感じ方を書いています。

 

全編を通して、音楽がぜんぜん印象的でなく、腰が砕けた曲ばっかりだったように覚えていますが、最後 のこの 演出を際だたせる効果はあ

ったように思います。

(それでも、モスラがらみのシーンには旧モスラのモスラの歌をアレンジしたような曲がかかっていたっ け。そ れと、ところどころに「いわゆる」

ゴジラのテーマをアレンジした曲もかかってたなぁ。劇中から旧作のイメージを完全に消そうとしていた わけで もないのか・・)

 

以下、極めて感覚的、かつ自分勝手な解釈ですが、

あのラストから私が受け止めたのは、

「ゴジラという材料を使って、好きにやらせてもらったけど、心臓(心)には手をつけていません。今回 採用し たゴジラの姿も壊しました。これ

からはまた本来のゴジラに戻って下さい」というこれまでのゴジラファンに対する気配り、では、ないか と、・・・だったらいいなぁ。

(そんならあとの3怪獣にももうちょっと気を遣って下さいよ、という気もする)


削除記事 [No.151]

投稿者:**

2001/11/17 (土) 14:34

 

投稿内容削除

子記事

 

 

 

時間がないので手短に [No.152]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/18 (日) 09:44

キングギドラは、初代から黒目がありますよ。

前回、ギドラを「白目?」とお書きになっていたときは、議題にそんなに密接な部分ではなかったので 黙ってい ました。(申し訳な

い)

この掲示板でも以前、怪獣のキャラクター性に絡んだお話しのときに、目の重要性について触れられてい たと思 いますので、詳細

は省きますけど、

キングギドラもまた黒目を持っているという事実は、そのキャラクター性を考える上で大事なことと思い ます。

 

それから、GMKに関して現時点で**さんの中で結論が出ていても一向に構わない、というのが私の考 えで す。

なんだかわからなかったというのなら、結論も出ないでしょうけど、

「おもしろい」「つまんない」だって、ひとつの結論なのですから、

実際に作品を見た人が己の中で達した結論を語ることはなにも悪くないと思います。

また、その結論が今後変わっていったっていいわけですし。

 

 

削除記事 [No.153]

投稿者:**

- 2001/11/18 (日) 15:29

投稿内容削除

 

 

書き込み欄が小さくなったぁ! [No.154]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/19 (月) 15:12

なんか、小さいぞ!

 

それはさておき、**さん、上記の分析はおおむね同意します。

特にGMKのキャラが立っていない点は、おっしゃる通りです。

 

で、またギドラの白目の話しで恐縮ですが、三大怪獣をご覧になったばかりであれば、ギドラの顔アップ シーン が何度かあったの

で白目でなかった事はお分かりのはずなのですが・・・

東宝怪獣に白目はかつて存在した事はなかったですよ。

ただ、虫系怪獣とガイガンは目に表情ないですけど。

 

 

削除記事 [No.156]

投稿者:**

- 2001/11/20 (火) 22:28

投稿内容削除


(細かく)よかったところ [No.155]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/20 (火) 14:28

 

『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』という映画を全編見とおして、

トータルで考えたときには、確かにおもしろくなかったんですが、

総評を基本にして書いてしまうとだめだと思ったところばっかり並べ立てることになってました。

 

おもしろいと感じた人に誉める役割をやってほしかったんですが、漠然とした感想しか出てこないみたい です ね。

 

ということで、なんとか私が感じたよかったところを並べてみたいと思います。

(以前書いたことは省きます)

今回はバラゴンがらみで。

 

バラゴン登場の抑制の効いた映像は良かったです。

確かトラックのウィンド越しにうごめく口元が土砂の向こうに見えるというものだったと覚えています。

このチラリズム(古っ)感覚にはぞくぞくしました。

 

また、ロープウェイのウィンド越し(また窓がらみ)に背中が移動して行くのが見えるのも臨場感があっ て良 かったですね。

 

そうそう、警察署に現れたバラゴンに拳銃を撃つ警官も◎です。

同じように怪獣に対するリアクションとしては、山の中を移動するバラゴンが見えるのに先行して鳥が 木々の間 から飛び立つ描写もオッケ

ー!

バラゴンを監視するヘリコプターを配置したのも見事な演出。

劇中に空中から怪獣を見ている存在を配置することで、カメラが怪獣を俯瞰することに自然さが生まれ、 パノラ ミックな感覚を持ちこめてい

ました。

これは、そのあとのゴジラ対バラゴンでのカメラポジションにも影響していて、

地上の視点から離れたカメラポジションに違和感を感じさせない効果を出せたと思います。(報道ヘリが 実況中 継しているというわかりや

すいシチュエーションもあったし)

 

どうでしょう、そんな映像を見るためだけでも特撮ファンなら見ておいて損はないと思います。

子記事

 

 

 

特撮・・・ [No.158]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/11/22 (木) 18:55

確かに、対バラゴン戦は良かったと思います。

ただ、バラゴンが弱くて対等な敵では無かったので、一方的でいやでしたが、それでも特撮は良かったと 思いま す。

逆に言えば、ここだけなんですよ良かったのは、ラストバトルはキラキラしすぎて臨場感ないんですよ。

ゴジラの火炎も、全然「炎」として演出されてなく、ビームなんですよね。

戦闘機を二機撃墜するシーンで、火炎放射しながら首を振るのですが火炎放射が「しならない」のです よ。

一本の棒なんですよ、あれじゃビームですよ。

怪獣に対しても絶大な必殺技になってしまっているし、ほとんどスペシューム光線です。

 

 

対バラゴン戦のあれやこれや [No.159]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/11/22 (木) 23:03

大涌谷での対バラゴン戦、空気感とか色味とかまで含めて良かったと思います(^^)。

いや実際、ここのシーンがこの映画で一番充実していたのではないか、と。

 

バラゴンがあまりに一方的にやられてしまうが賛否両論あるところでしょうが(噂に

聞いていたバラゴンビームはどうなったのか?)、バラゴン人気に火をつけることには

なりそうな(笑)。

http://www.godzillamovies.org/

 

 

ああバラゴン(ぼくのくりくりお目目ちゃん) [No.160]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/23 (金) 12:44

兄貴(赤)さん、祝二十郎さん、レスありがとうございます。

 

バラゴンがらみのシーンにはいいところが多かったですね。

私としては、大好きな『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』

に登場した名脇役バラゴンをいじられてしまったのは、あいたたたた、なんですけど。

 

GMKでのバラゴンがバラゴンのイメージを決定するとしたら

かなり寂しい・・・。

怪獣図鑑なんかでは、別種として分類するんだろうなぁ。

だったら別の名前にすればいいのに。

 

祝さんは12月2日の試写会に招待されたそうですね。

2回目の鑑賞を終えてのご意見、ご感想に期待します。


私は「知りたい」のです [No.157]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/22 (木) 13:11

 

国際映画祭から日にちも経ってきて、試写会の開催もあるようですが、

さらなる感想や意見が出て来るには封切り待ちという感じでしょうか。

 

このごろ、98年に東宝が運営していた『GODZILLA』公式BBSのログを読み返しています。

そしたら、そこで語られている『GODZILLA』への根本的な不満はGMKにも通じるものではない かと思 えてきました。

 

私のこれまでの意見は、GMKがゴジラ・モスラ・キングギドラ・バラゴンのキャラクターを変えてし まったこ とには出来るだけ触れない方向

で書いてきたつもりです。

それは、それぞれの怪獣に特に思い入れのない人もいるという現実を鑑み、無視してはいけない問題だと して も、そこを軸にした話し合い

は物別れになる可能性が高いし、GMKはもっと一般的なレベルで問題の多い作品だと感じたからでもあ りま す。

 

しかし、US版が公開されたときに、あんなのゴジラじゃないという声が多数あがったのも事実。

98年の公式BBSでUS版を否定していた方が、GMKを認めているのはどういうわけなのか、という 疑問も また湧いてくるわけです。

ですから、GMKを楽しんだという方の「声」を聞きたいのです。

語りたくない人に無理にしゃべれとはいいません。

どなたか、GMKの良さをちゃんと言葉に出来る人はいらっしゃいませんか?

 

ああ、「ミス花」さんや「ラブチャル・E」さんはお元気でしょうか。

(別のHNで活躍してたりして)


うーむ、わからない [No.162]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/11/28 (水) 13:21

 

唐沢俊一さんがご自身のウェブサイトでぽろぽろとGMKについてお書きになっています。

 

http://member.nifty.ne.jp/uramono/dialy/diary.html

 

GMKは怪獣映画ではない、というご意見や、怪獣ファンなら義務として観ろ、とかゴジラは日本の文化 財であ るという発言には大いに共

感するものであります。

んが、どうもわからないのは、怪獣映画とかゴジラという枠を離れれば傑作であるというニュアンスがあ るこ と。

私も平成ガメラは怪獣映画として実に物足りないものであったとは感じていて、

それでもガメラにおいては脚本の構成がちゃんとしていて、破綻無くまとまっていることを評価していま した。

 

GMKにも同様な評価が当てはまるのか?

これまで書いてきたように、私にはどうにも、全体の統一もなく、

かっこよさげに見えるシーンをつなぎ合わせただけに見えたのです。

 

怪獣災害をリアルに描いたとも思えないんですよ。

(『ゴジラ』の緻密さを知ってしまうと、あの程度では生ぬるい)

それは、平成ガメラも同じで、怪獣によって人が死んでいくさまを見せただけでしょう。

その被害の重さを伝えるには、破壊の爪痕を克明に見せる必要があるし、

誰かの「死」や「怪我」によって引き起こされる悲しみや怒りを「表現」しなければなりません。

また、怪獣によって人が死ぬことを見せてしまうのが、「怪獣映画」にとってそれほど悪いことだとも思 わない です。

もちろん、瓦礫の下敷きになって血反吐を吐いて死ぬ、なんて「気持ち悪い」描写は論外ですが、怪獣が 暴れる ことによって「破壊のスペ

クタクル」と同時に「破壊の痛み」を伝えることは怪獣映画をより深めるものと思っています。

そのバランスが難しいところなのですけど。

 

例えば、『モスラ対ゴジラ』において、船着き場で島に残された生徒たちを心配する校長先生を登場さ せ、その 後いくつかのシーンを挟ん

で瓦礫に埋まって血を流している校長先生となります。

前後の流れからゴジラの進行によって校長先生が怪我をしたことはわかりますが、

校長が怪我をする瞬間を見せることはしていません。

そんなバランス感覚があれば、怪獣による被害を描くことも悪くはないのでは。

(そうしないと、怪獣映画が、人間が持つ破壊衝動の代償でしかなくなる)

子記事

 

 

 

混乱中・・・? [No.164]

投稿者:K4

- 2001/11/30 (金) 09:28

いろいろな方の評価、見方を読んだり聞いたりして

正直、いろいろ考えは出てくるものの言葉がまとまらなくなって

きてしまいました^_^;

私の一番初めの見終えた直後の「すっきり出来なかった」ものは

過去の自分の中の怪獣というものの捕らえ方だと思っていたのですが

自分の中の考えに自信がないのかかき回されてしまってるようです。。

2回目の鑑賞はまだ先ですが、何か見えてくるかどうか、ちょっと自信が

ないなぁ・・・

 

 

その、すっきりしないのがなぜかを考えれば・・ [No.165]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/11/30 (金) 13:13

>K4さん

あくまでも私のやり方ですが、

映画を見るときは、事前情報がいかなるものであっても、

まずは無心で観るように心がけています。

それは、繰り返し観ている作品でも同じで、

記憶による印象があったとしても

それを出来るだけ忘れて観るようにします。

完全な記憶喪失なんか意識的に出来るわけはありませんが、

登場人物の表情や言葉、映像から受ける印象などを

もう一度見逃さないように細かく味わうようにすると

記憶による印象とは違ったものが見えてきたりします。

なんて偉そうですね。

 

私もGMKの次回鑑賞は封切り後になると思いますが、

評価が変わる可能性を否定しません。

そして、12月15日以後になれば、もっと数多くの意見が出てくるのではないか

と期待しています。


削除記事 [No.166]

投稿者:**

2001/12/02 (日) 10:47

 

投稿内容削除

 

子記事

 

 

 

誠意を持って、長くなっちゃいました [No.167]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/03 (月) 14:09

映画という表現は、時間を操ることに特徴があります。

たとえ上映時間が93分であってもそのフィルムに収められている

物語時間は93分間の出来事ではありません。

 

また、編集によって、出来事の時間的な前後関係を

逆転させることもよくある手法です。

 

それから、ストーリーを効果的に伝えるためには

きっちり描写「すべき」事柄と、

はっきり見せずに「ぼかす」べき事柄があります。

(これは映画に限らずストーリーテリングの基本的なテクニックです)

 

ということをお含みおきいただきたいものです。

 

ということで・・。

 

セルジナ人が日本語を使うことにはなんら問題はないでしょう。

大戦中まで日本に占領されていた国だというほのめかしであると

考えられます。

反王女派のボスがたどたどしい日本語であることからも、

公用語として日本語を強制されたことが伺えます。

同時にマルネスらが日本語しか使えないことをも示しているのでは?

(それが何を意味するかは個人の解釈の範疇でしょう)

もちろん、年若い王女は日本語しか話せません。

 

小美人はテレパシーを使えるのですよ。

人の心を読むことが出来れば、誰かがどこにいるのかわかるのが当然です。

また、テレパシーは予言ではありません、と記者に突っ張るところは、

ラドンの所在や行動を知っていても、人間たちに「教えるべきではない」という

彼女たちの意志を表現している演出ではないでしょうか。

小美人は人間ではなく、怪獣に近い立場であるということでもありそうです。

それでも、続けて「ラドンは必ず現れます」とも教えてくれます。

補足すると、小美人の移動方法も「ぼかされている」ことのひとつです。

三大怪獣~ではそれほどあからさまではありませんが、

モスラ対ゴジラでは、上空をモスラが飛びすぎると、酒井たちの元に

小美人が降り立っています。(飛び降りた??)

しかし、これはきっちり描写すべきではない部分だと思います。

小美人には神秘性が必要なのです。

 

同じ事が王女(金星人)の神出鬼没ぶりにも当てはまります。

まあ、まともに考えれば、お金を調達して電車に乗って移動しているとしか

思えませんが、そんな金星人移動の段取りも「ぼかすべき」要素なのです。

飛行機から飛び降りても怪我一つしていないという事実もあり、

何か尋常ではない存在であるという雰囲気を持続させるためには説明が少ない

ほうが効果的なのです。

宇宙円盤クラブの会長が語る、次元の裂け目説も可能性の一つとして

示されているだけです。

それを信じるのもお客の自由ですが、飛行機が爆発する前に

「異常事態」(王女の心に、誰かの声が呼びかける)が起こっていることを

知っているわけですから、王女自身になにか特別なことが起こっていると

考えるのが妥当でしょう。

(のちに塚本研究所で、王女は地球人と同化した金星人の末裔らしきことが

示され、金星人の「超能力」もほのめかされる)

 

王女の着替えの件は、三角ホテルでのことですね。

これは、私も編集がうまく行っていないように感じていました。

直子が王女をホテルに連れてきたところから、

洋上でのゴジラ出現、黒部の隕石が磁場発生、と来て、

再び着替えを終えた王女に戻るわけですけれど、

この中で黒部のシーンだけが日中なのですよね。

前後の流れを見れば、ホテルに着いた王女が着替えを終えるのは、

同夜のことです。

ゴジラ出現も夜であり、ホテルで進行していることと同時進行であると

考えられます。

ところが、黒部渓谷だけが同時進行ではないわけです。

以前から不自然な構成だとは思っていました。

でもね、決して王女の着替えに丸一日かかっていたわけではないですよ。

 

キングギドラが隕石から出現してから、松本を襲うまでなにを

していたか、って飛び回っていたに決まっているじゃないですか。

しかも、キングギドラが出現した時刻も松本に現れた時刻もはっきりさせていません。

どこがおかしいのでしょう。

キングギドラ出現のシーンにすぐ続けて、松本襲撃になるわけですから、

出現後のギドラの行動を示すのに十分な構成ではないでしょうか。

そこには時間省略がありますが、流れとして出現・襲撃と繋がっているので

松本に来る前までのギドラの行動も同じ様なものだったと考えるのが妥当では?

 

小美人がモスラを呼ぶのは、東京においてです。

モスラが現れるのは、直子たちが塚本研究所に到着したあとです。

また、「幸せを呼ぼう」が歌われるとき、映像はあたかも小美人とモスラの

プロモーションビデオのように構成されています。

(小美人が合成で画面にはめ込まれたりする)

ここは、通常のドラマの流れとは違いますという演出の差別化が行われているわけです。

歌のあと、流れを断ち切るように塚本研究所のシーンに移りますが、

ここで時間圧縮が行われていることを感じられませんか?

この映画ではいちいち何月何日何時何分という表示は出ませんが、

呼ばれたモスラが日本に到着するまでには結構な時間がかかっているということを

ちゃんと伝えているはずです。

構成上も、モスラを呼ぶ「儀式」のあとには研究所での王女の証言、

殺し屋の計略、ラドンとゴジラの闘争などエピソードがいくつか盛り込まれていますから、

呼んだらすぐ来た、という印象にはならないはずです。

間に夜のシーンが含まれなくても、日付が変わっていることはよくあることですよ。

もちろん、モスラの泳ぐ速度がどれぐらいか、なんてさっぱりわかりません。

 

GMKでの由里の自転車移動に関しては、

ゴジラの移動速度に合わせて箱根から横浜まで走りきっちゃうというのはかなり

危ない展開ですよ。

その距離を考えると、おいおい大丈夫か?と思っちゃいましたもの。

それでも、以前も申し上げたとおり、それは問題ではないです。

問題は由里が、(緊張してはいても)疲労感なく中継を続けていることと

ゴジラを遠巻きに見ているだけだということ。

決死の撮影には見えなかったのが問題です。


TVでは宣伝見かけないです [No.168]

投稿者:兄貴(赤)

2001/12/04 (火) 15:30

 

最近は、こちらでも盛んにハム太郎の映画宣伝が行われています。

ゴールデンタイムに数回CMが流れています。

ですが、ゴジラは全くCMがありません。

ハム太郎のCMでも、同時上映には全く触れていません。

なんなのでしょう?わざとゴジラが同時上映である事を隠している様にさえ思えます。

ゴジラの宣伝にお金を使いたくないのなら、CMが流れなくてもしかたありませんが、ハム太郎のCMで せめて 「同時上映ゴジラ」の一言

があっても良さそうなものです。

私の知ってる限りでは、ハム太郎の映画の事は知っていても、ゴジラの新作が上映される事を知ってる人 は誰も いません。

無論、ゴジラファンは皆知ってはいますが、こんな状況で良いのでしょうか?

むしろ、この方が客は集まるのでしょうか?

ハム太郎は観たいけど、ゴジラは観たくないという子供が多いのでしょうか?

とても情けないです・・・

子記事

 

 

 

どーなんでしょう [No.169]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/05 (水) 12:20

子供たちの間でのゴジラ認知度はけっこう高いというのが実感なのですけど。

息子の保育園にたまにゴジラTシャツなんか着て行くと、「あっ、ゴジラだゴジラだ」と指差されます。

宣伝部がゴジラの客とハム太郎の客を分離しようとしているのでしょうか。

今回のGMKがお子様にはおもしろくない映画かも、と考えているとしたら大間違いじゃないでしょう か。

とにかく、ワンシーンが短くてまんべんなく特撮シーンが挿入されていますから、

お子様にもオッケーじゃないかと思ってます。

とりあえず飽きさせない構成になっていれば、お子様たちは喜びますもの。

 

 

いきなりだったから・・・ [No.170]

投稿者:Lans

- 2001/12/06 (木) 10:50

たしか、急に同時上映になりましたよね・・・

って事は、ハム太郎はアニメCMですから対応が間に合わなかったんじゃないですかね・・・

 

それは仕方ないにしても、ゴジラ本体のCMが流れないのは悲しいです。

でもGxMも、お正月付近まで私は見かけませんでした・・・

東宝ももう少し考えてもらいたいもんです。

 

 

Lansしゃん [No.171]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/06 (木) 18:33

お元気してましたか?

じわじわとGMKの封切りが近づいてきましたね。

Lansさんは、いつ頃観にいかれる予定ですか?

 

CMは正月近くなったら流れるのでしょうかねぇ~?

ハム太郎はビシバシCM流れてますが・・・

 

 

あと一週間ですね [No.172]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/07 (金) 12:39

国際映画祭での上映でも「予備脳」フル稼働で見逃さないよう、忘れないよう、

一生懸命見たのですが、劇場公開版も見に行かねばなりますまい。

(ちょっとハム太郎が楽しみだったりする)

 

初日には行けないと思いますが、まあ、なんとか早いうちに見に行くようにしましょう。

さて、Lansさんの鋭く、かつ、私とは違った視点からのコメントに期待してます!

 

 

削除記事 [No.173]

投稿者:**

- 2001/12/08 (土) 07:58

投稿内容削除

 

 

GMK?CM [No.176]

投稿者:兄貴(赤) (203.141.158.142)

- 2001/12/11 (火) 13:56

先週末、初めてGMKのTV-CMを目撃しました。

やっとCMがながれ始めたようですね、果たして客入りはどうなるのかな?


ゴジラが見つからない・・・。 [No.174]

投稿者:小美人

2001/12/09 (日) 17:46

 

新作映画として、GMKがでました。それを記念として、ゴジラのノート型

パソコンが限定品として出たらしいんですけど・・・。なかなか情報が、得られなくてこまってるんです よ ね・・・。ほしくて・・・(笑)だれかおし

えて~?さて、今回の映画は、とってもたのしみっす!モスラに妖精は、でないのか?

なんかちっとがっくり・・・。でもいいか?

子記事

 

 

 

いらっしゃいませ [No.175]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/10 (月) 15:02

初めまして。

小美人さんは、まだGMKをご覧になってはいないんですよね。

(すでに見ているほうが、珍しい部類なのでありますね)

 

ご覧になったら、ぜひ感想など書きに来て下さい。

 

で、ゴジラパソコンですが、限定商品なので店頭小売りはないらしいです。

申し込みや、詳細はこちらへ。

http://121ware.com/godzilla/

最終締め切りは1月15日だそうです。


監督曰くテーマは「反戦」 [No.177]

投稿者:祝 二十郎

2001/12/12 (水) 00:12

 

なんだそうです(^_^;)。

うーん、今週末に観てもう一度検討しましょう(笑)。

http://www.godzillamovies.org/

子記事

 

 

 

わからないですね [No.178]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/12 (水) 10:34

確かに、映画祭の舞台挨拶でも「平和への願い(祈り?)をこめて作りました」とおっしゃっていました よね。

ゴジラに撃ち落とされた戦闘機が民家に落ちるところ?

「実戦経験がないことを誇りに思っていました」と軍人に言わせたところ?

 

 

はんせん? [No.179]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/12 (水) 11:33

今の御時世、「反戦」「反テロ」「平和」などという言葉は、いかにも世間受けする言葉です。

そういった言葉だけ並べられても、あの作品からはちっとも「反戦」なんてメッセージは感じません。

ただいたずらに多くの人が死んでますが、そこに「戦争」を連想させるような演出なんて感じられません でし た。

 

私が感じたメッセージは、「怪獣ファンやマニアは死ね」というものしかないです。

監督が本当に「反戦」を訴えたかったのなら、もうすこしまともな脚本と演出をするべきでしょう。

そのへんを「はんせー」して欲しいものです。

 

 

「8月のラプソディ」 [No.180]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/12/12 (水) 22:12

黒澤監督作品の中ではあまり世間的に評価の高いほうではないですが、この映画

のほうがよほど「反戦」というメッセージは強烈ですね。劇中、まったく死者や

残虐なシーン等が出てこないにも係らず、です。

 

おばあちゃんの傘が嵐の中でバッとオチョコになってしまうシーンでは、何度観

ても泣いちゃいます。

 

人がたくさん死ぬからとか、作品全体に「死」のイメージが付きまとっているか

らといって、必ずしも「反戦」では無いってことですね。

 

っつーか安易に「反戦」みたいなことを言わないで欲しいなあ、と(´д`)。

http://www.godzillamovies.org/

 

 

そんな技量ないんだから [No.181]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/13 (木) 17:47

そうですよ、安易に「反戦」なんて重いテーマ持ち込んだりせず、(全然持ち込んでいる様には見えませ んが)

「明るく楽しい東宝映画」で良いじゃありませんかね。

確かに初ゴジは、そーゆーテーマがありましたが、キンゴジ以降はもっとカラッと楽しい作品でした。

私は、そんなゴジラ映画を観たいですね。

 

 

時流に乗ったリップサービス? [No.182]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/14 (金) 11:04

ある観念を言葉で伝えるだけでは

論文と同じなのです。

たとえ言葉だけで勝負する小説であっても、

言葉を使って出来事を提示して、

その出来事の積み重ねから観念が伝わってくる

のです。

 

ていうか、監督が何を言おうが、

作品に表現されていなければ、それは作品のテーマでは

ないです。

完成した瞬間、映画作品は監督から離れて一人歩きします。

作り手の発言は作品を読み解く鍵にはなるかもしれませんが、

それをもって、作品の評価を決めることは出来ません。

(そういえば、監督さんは今回の作品では「なぜゴジラが武器では倒されないかを

明らかにする」とおっしゃってましたが、それにも失敗したみたいですね)

 

『八月の狂詩曲』のエンディングは見事なカットアウトでしたね。>祝二十郎さん

だけど、『いきものの記録』もそうでしたが、黒澤監督も反戦・反核に踏み込むと、

ちょっと固くなるような・・。

それでも、黒澤監督は、ちゃんと「人の心」を描いて初めて悲劇を描けるということを

わかっているわけで・・・。(あったり前だと言うなかれ。そこんところがわかっていない

クリエーターのなんと多いことか)

 

GMKはテーマが反戦だからいい映画だ、みたいな

鑑賞ナシ思考停止型の評価がまかり通らないことを祈ります。

(GMKのチケットは手配してあるんですが、まだ手元に来ていない)

 

 

やはり・・・ [No.187]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/12/16 (日) 22:31

「反戦」というメッセージを読み取るのは、私には不可能でした(笑)。

物語に「反戦」の願いが込められているのか、ゴジラが「戦争そのもの」なのか

その点は判別つかないです。

 

でも、初日から入場制限が出まくるほどの大入り満員というのはやはり嬉しいも

のです(^^)。

http://www.godzillamovies.org/


カタく考えずに [No.183]

投稿者:誤字ら

2001/12/14 (金) 14:34

 

皆さん、怪獣映画の見方が間違ってるような気がします。

S29年のゴジラは「逆襲」以降のシリーズとは別物で

いわゆる「怪獣映画」ではないと思います。

テーマ云々を語るのはこの1本だけで十分。

あとは着ぐるみの造形と特撮だけを楽しめばいいんです。

僕はそうしています。

その意味ですべての怪獣がかっこよく造形されている

今回の新作は十分満足できる1本です。

アメリカゴジラに対する皮肉ともとれる台詞も

面白かったしね。

欲を言えば、モスラがもう少し動いてくれると良かったかな。

子記事

 

 

 

見方は自由ではありますが [No.184]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/14 (金) 22:59

誤字らさん、いらっしゃいませ。

GMKはすでにご覧になったのですね。

 

この掲示板での話し合いは、

怪獣映画を映画の一ジャンルとして

真剣に鑑賞している者もいるということで、

ご納得いただけませんでしょうか。

 

これまでのログをお読みいただければわかると思いますが、

みなさん、

怪獣映画に社会的なテーマが「必要」だとはおっしゃってはいないです。

(『ゴジラ』がいわゆる怪獣映画のフォーマットではない、

というご意見に私も同意します。ただし、あの作品にはのちに

「怪獣映画」を開花させる芽がたくさんある)

 

それでも「ゴジラの逆襲」以降の作品にテーマが

ないかというとそうでもないと思ってます。

怪獣映画が一番大事にすべきテーマは、

怪獣でしょう。

怪獣をどう捉えるのか、それをどう描くのか、が大事なテーマです。

怪獣を魅力的に描き、お客さんを怪獣で喜ばせる、ということを

ちゃんとやっていたのが円谷監督が関わった怪獣映画です。

その上で、もっと普遍的な「感覚」を伝えられればいいんじゃないでしょうか。

本多・円谷時代(福田監督作品も含む)のゴジラ映画からは、

シリーズ全体として、自然への畏怖、生き物への慈しみの感覚を感じました。

テーマって、必ずしも新聞の一面に載るような議題のこととは限らないですよ。

 

というわけでストーリー無視で映画を見るのでは、ちょっと寂しいように思います。

怪獣のかっこよさも特撮映像の感動もきちんとしたストーリーと合わせることで

より増大するのではないでしょうか。