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面白かったのは何故か? [No.219]

投稿者:gil

2001/12/20 (木) 17:28

 

こんにちは、2度目の書き込みです。前回の書き込みでは、面白かった等と書きながら、どこが面白かっ たのか を書いてなかったので、確

かに何故面白かったのかが解らないですね。で、考えたのですが、何故面白いのか。実は、明確に現せる 面白さ は、この映画には無い

可能性が・・・・・(オイオイ)。皆さんの批評を色々読んでいたのですが、それぞれ映画から出てくる テーマ や技術、構成等の細かい点におい

て深く考察しておられるようで、「ただ見た」だけの私の意見など、入り込む余地すらない感じがしま す。それ でですね、どこが面白かった

のか、私の理由は単純です。「怪獣同士の対決が面白かった」あるいは「防衛軍の対ゴジラ作戦が面白 かった」 といったところでしょうか。

何だか戦いのシーンのみに面白さを見つけてますが、平成のゴジラシリーズのフラストレーションが溜ま りに溜 まっていた私にしてみれ

ば、この闘争本能を爆発させるゴジラこそ、見てみたい映画だったようです。少なくとも今回の映画で は、平成 ゴジラシリーズ以降、遠慮

しがちに描かれていたような怪獣同士の死闘を、見事に作り込んでいたかと思います。細かい点を上げて いけ ば、確かにこの映画は語り

尽くしていない部分や、そこが重要なはずなのに、描き切れていない部分もあります。(何故ゴジラが日 本だけ を襲うのか?といった理由

があまりインパクトが弱すぎて、別にもっと理由があるのかとも思いました。それが別の場面でもっと深 く掘り 下げて語られるとも思ってま

したが、結局、過去の怨念説で結んでしまいましたね。)ですが、これらの点は、過去のゴジラ映画にも 見て取 れた部分ではないでしょう

か。その性で、いつの間にか私に、細かい点を無視する部分が生まれたのかもしれません。それらも含め て、私 は勢いのある怪獣映画に

対しては「面白い」と思うようになったのかもしれません。以上ですが、恐らくこの意見は、完全にゴジ ラとい う作品に飲まれた客観性に欠

けるものだと、最近の皆さんの評価を見ても思えます。ただ単にゴジラが好き、というだけでゴジラ映画 を見て きた私なので、こちらの掲示

板に書かれる方達からすれば、非常に甘い批評なのかもしれません。それでも私にはこの映画は「面白 かった」 と強く残っています。

子記事

 

 

 

すばらしいです [No.220]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/20 (木) 18:42

gilさん、私のお願いを聞き入れて下さってありがとうございます。

そして、語るべき問題をたくさん含んだ書き込みに感謝します。

 

怪獣映画ですから、怪獣の対決に楽しみを見いだすのは当然ですし、

私もすごく重要なことだと思います。

私がGMKでの怪獣対決にもあまり楽しみを見いだせなかったのは、

私が怪獣同士の対決は不死身の者同士の闘争であるべきだと思っているからだったようです。

全部がそういう映画になるべきだとは思わないのですが、

怪獣対決映画の主流としては怪獣が死なないことが重要だと思っています。

そうすることによって、実はイメージとしての神々の戦いを表現できるのではないかと思うのです。

(もちろん、劇中で、怪獣を神だ、なんて言っちゃったらアウトです)

人間たちはそんな不死身の者たちの戦いのあおりを食って大迷惑ってのがいいんじゃないかと。

 

怪獣がなぜ日本に来るのかとか、なぜ戦うのか、というのは

確かに昔の作品でもはっきりさせていなかったことですよね。

昔の作品では、そんな曖昧さが怪獣の神秘性、不可解さの表現につながっていました。

もちろん、それに不満を感じる人がいたのも事実で、怪獣を明確に説明しようとしてうまく作り上げたの が平成 ガメラシリーズだった

のだと思います。

ですから、怪獣の曖昧さに不満を感じていた人が絶賛したのではないでしょうか。

 

GMKではガメラ的に怪獣を説明しようと試みていますが、

残念ながらガメラのように明解に答えを出すことを放棄したか、失敗しています。

ストーリーの「動機」が怪獣を説明することだったのに、それが出来ずに終わっているのですから、好み の問題 を外しても失敗作だ

ったのではないかと考えます。

 

なんて否定的なことを並べてしまいましたが、

gilさんがGMKを楽しんだ理由はよくわかるし、納得できます。

私の場合は個々の怪獣の扱いが気に入らなかったことや対決での演出、映像の不満を外しても大枠で怪獣 対決の あり方で好み

が違ってしまったので、

そこに乗れなかったのだと思います。

(うーん、しかし、横浜で、ちゃんと怪獣と防衛軍の共闘を見せていればもうちょっと点は上がったと思 ふ)

 

 

いらっしゃいませ~ [No.221]

投稿者:兄貴(赤) (203.141.158.142)

- 2001/12/20 (木) 18:50

gilさん、書き込みありがとうございます。

私らの書き込みは、難しい事ばかりで引いてしまうかもしれませんが、根底にあるのは「ゴジラが好 き」って事 なので、気楽に書き

込みしてね。

 

さて、gilさんがどうしてGMKを面白いと感じたのか、興味深く拝見いたしました。なるほど、平成 シリー ズのバトルに不満がお在り

だったのですね。

それに対してGMKは、バトルが良かったと感じられたのですね。

私もバラゴン戦は、良い出来だと思います。

平成シリーズには無かった、ゴジラをちゃんと感情のある生き物として演出されていたからです。

地中に消えたバラゴンの行方を探す仕草など、ゴジラの感情を表す良い演出だったと思います。

 

しかし、ここが問題です。

今回のゴジラは、感情を廃した「破壊神」「恐怖の象徴」という事で、わざわざ白目にまでしています。

それなのに、演出はとても生物っぽいのです。

考えてみると、あの白目でどうやって見ているのでしょうね??

といった様に、設定と演出が噛み合っていないのです。

だから、バトルシーンだけを抽出して観れば、面白いかもしれませんが、映画全体を通して観るとちぐは ぐだら けなのです。

 

とかく怪獣ファンの方は、怪獣の造型やバトルシーンだけで、映画全体の善し悪しを判断する傾向がある 様に感 じられます。

ですが、それでは映画のバランスがとれませんし、それを良しとするなら、今後その様な映画があたりま えに様 に作られる危険が

あります。

ですから、私はこの様なつじつまの合わない映画は、ダメだという事を訴えたいのです。

この件は、話し出すと止まりませんので一旦終ります。

最後に、gilさんは昭和のゴジラはご覧になられてますか?

平成のバトルに不満があったのでしたら、是非昭和のバトルもご覧頂いてGMKと比較するのもよろしい かと思 います。

 

 

私の面白かった部分 [No.222]

投稿者:レグルス (211.2.115.209)

- 2001/12/20 (木) 21:46

GMKの怪獣バトルの面白さを言うとするなら、

怪獣の個性に合わせた戦い方をちゃんと描き分けた、

というところにあるでしょうか。

 

残念なのはギドラです。メインの引力光線が最後まで取って置かれたので、

噛みつきではインパクトがどうしても弱いようです。

けれども、

バラゴンは地中にもぐる能力や、小ささを逆手に取って

ジャンプなどを多用したところ。

モスラは過去の作品にはなかったスピード感が素晴らしいと感じました。

ゴジラの動きや演出に関しては表情の変化まで含めて、90点以上のできだと思います。

あくまでもどっしり構える怪獣王ゴジラに三大怪獣が

挑む、という構図だからこそ、GMKが面白いと思うのでしょう。

 

怪獣達が単に戦うのではなく、三大怪獣を護国聖獣としたことで守るべきものがハッキリし、

その結果gilさんの言われる「怪獣同士の死闘」を感じることができるのでしょう。

 

今回はどの怪獣にも感情移入できないにも関わらず、“燃える”のは、身を挺してでも“くに”を守る、 という 使命を設定から感じるか

らではないでしょうか。

まあバラゴンはあの顔のせいか、感情移入できますが…。ヘリの中継ナレーションの効果ですけど。

 

防衛軍の戦い方は警備の車止めを並べるような細かいシーンを繋ぐところがニヤリとさせられます。

あくまでも戦闘のプロとしてゴジラに勝利する作戦を考える男たちのドラマも“燃える”要素ですね。

唯一の不満はあっさり得体の知れない護国聖獣なるものと共同作戦を取ることですが、

これは時間の関係上切らざるをえなかったのでしょう。

このへんは『ガメラ2』でしっかり描かれているので

もう一度やらなくてもいいという感じもあります。

 

ちなみに、平成ゴジラのバトルで一番燃えるのは『VSメカゴジラ』のラストバトルですね。

http://homepage2.nifty.com/st_reguls/

 

 

うむー [No.229]

投稿者:ghidorah(管理者) (218.42.164.126)

- 2001/12/21 (金) 10:40

いやー、せめてギドラモスラと一緒に

防衛軍がゴジラに攻撃をかけるシーンが

見たかったな、と。

 

ラストバトルは映像が寂しいんですよ。


 

謎の石の謎 [No.224]

投稿者:祝 二十郎

2001/12/20 (木) 23:44

 

瑣末なことばかりに拘るカキコで申し訳ないんですが(^_^;)。

こんなことばかり書いているから「重箱の隅をつつくようなことは止めて、全体

の面白さを観てください」みたいなことを言われたりするのでしょうか?

いや、まだ言われてませんけど(笑)。

 

さて、思わせぶりに登場し、ギドラの強壮剤にもなった(笑)「謎の石」ですが

シナリオ(パンフ付属のCD-ROMに収録)を読み返しても、今ひとつどころ

か、その設定には「?」です。

 

立花由里と武田の推察では、あの石には古代人の魂が電気的に封じ込められてい

る可能性があり、伊佐山翁はその魂をヤマト怪獣に憑依させて「くに」をゴジラ

から護らせようとしていたらしい、ということなのですが、元々ヤマト怪獣は「

くに」を護るために存在している筈なので、霊魂を憑依させるということは「霊

的防御力」を強める為、とかそういうことになっちゃいます。

 

で、その石が何の役に立ったかと言うと、金粉と化したモスラ同様、ギドラをハ

ッスルさせる強壮剤になったのですが、そのすぐ後にギドラはゴジラの放射火炎

を受けて爆発霧散してしまいます。

 

結局、設定も「?」なら、役割も効果の程も「?」のまま石の謎は物語から消え

てしまいます。

この映画って、何故かこういう物語の本筋と絡まない思わせぶりな設定が多いよ

うに思います。

そういうのって観客を混乱させるだけで利は無いように思うのですが、そのあた

りもうちょっと整理されても良かったんじゃないかな、と。

 

今回の脚本は金子監督を含めた3人の手による執筆ですが、インタビューを読む

と脚本家の間でも「怪獣映画観」「ゴジラ観」みたいなものに隔たりがあって、

それを金子監督が舵取りをして一つの物語に仕上げた、ということのようです。

 

私には、その脚本家の間の「感覚の隔たり」が設定の混乱の一因であるような気

がしてならないのですが・・・(^_^;)。

子記事

 

 

 

わっかんないんだよなー [No.231]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/21 (金) 10:45

そうなんですよね。

あの石。

 

以前も書きましたが、あれによってさらに

混乱の度合いが増していて、

石登場以前に表明された設定を無効にしてしまっているわけで・・。

 

どうも、ばらばらの発想で書いた脚本を断片化して

つぎはぎしたような感じを否めません。

まあ、そんなことは作品の成立過程を推理することで、

作品の鑑賞とは別次元の話なんですが。

 

ドラマ上は、あの石はまさにギドラをハッスルさせる役でしか

ないですよね。

あ、これも曖昧ですが、ハッスルしたギドラがぶくぶくと泡を

吹くことによって由里と武田は水面激突を免れるのかぁ。

 

いや、しかし、あの石に念がこもっていると推理する根拠も

不明なんだなぁ。

 

 

石と言えば・・・ [No.233]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/21 (金) 12:54

その石を発見するシーンで、カメラに撮影されていたものが、後で消えているといったエピソードがあり ました ね。

あれ、何だったのでしょう?

なんだか「棒」の様な物が3本くらい消えてたようですが、何が消えたの?

そして、それはどういう意味があるの?

 

それから、石を海中に落とした後、ギドラが元気(笑)になって、海面に叩き付けられる立花達を、

自らの息で発生させた泡で助けましたよね。

あれも、なんで?

ギドラ達聖獣は、「クニ」を守るのであって、人間などお構いなしだったのではなかったの?

 

 

肯定的解釈 [No.237]

投稿者:レグルス

- 2001/12/21 (金) 21:58

「謎の石」についてですが、今回も反則気味に説明してみましょう。

『ガメラ3』です。

この金子監督作品でも、「古の剣」なるものが登場しましたが、

殆ど役に立たないシロモノでした。

それとGMKの石は非常に似た扱いになっていますね。

 

肯定的に解釈するなら、

「謎の石」はギドラの過去の戦闘データを記録した記録メディアであると考えられます。

(ほこらの横にあった「3本の棒」はギドラの3つ首を表し、封印が解けたことを示すものでしょう)

その石によって完全覚醒したギドラですが、それでもゴジラにはかなわなかった、

というだけの単純な解釈ではダメなのでしょうか?

 

私はひねくれ者なので、気合いや友情で簡単に逆転してしまう、という話は好きになれません。

協力しようが、エネルギーをもらおうが、勝てないものは勝てないのです。

だから、お決まりの逆転劇にみえて結局負けてしまうGMKのような作品は好きです。

 

ついでに言えば、由里たちを助けたように見えるのも、別に「護国聖獣は人間を助けるものではない」

という設定に完全に矛盾するものではありません。

別に助けるつもりではなく、気合いを入れて息を吐いたら、

たまたまそこにいた由里たちが助かる結果になった、というだけのことでしょう。

このへんは『ガメラ3』の新宿の子供と同じです。

『ガメラ3』の監督インタビューでこれついて触れていますが、

このあたりは敢えて一見矛盾するような要素を入れて、

物語に深みを与える、という手法だと思います。

 

この2点については、好意的解釈しすぎだとか、

深読みしなければ理解できないような作品は(ましてや子供向け映画には)

完成度が低い、という意見もあるでしょう。

 

この一見破綻してみえる状態を、混乱とみるか深みとみるか…。

子供が映画館で初めて見て理解しづらいのは確かでしょうね…。

全体の雰囲気が楽しめれば、大人になって観かえせばより楽しめるでしょうが。

 

気に入った人がDVDで何回も観るには適当だと思います。

私はそうします。

http://homepage2.nifty.com/st_reguls/

 

 

謎の石 [No.243]

投稿者:K4

- 2001/12/25 (火) 11:00

バラゴン、モスラが現れたときに象徴的に石像が倒されてます。

その倒した人間が聖獣に殺されてしまいますが。

ギドラも自殺志願の男が足の台変わりに使うときに倒されていますが

このときに、一部がかけているのがわかります。

このかけた一部分を由里ははじめに拾い、ずっと持ちながら行動して

いたのですね。(私は2回目の鑑賞で気づいた)

 

伊佐山老人の実体らしき体は、ずっと本栖警察で拘置されてますから

妙高山、池田湖に現れた伊佐山老人らしき影は当然実体ではありません。

バラゴン、モスラ覚醒に際し、人柱ではないですが生贄が必要だったので

はないか、と思います。

本栖警察で由里にギドラのところに行け、と言ったのは、由里(たち)を

ギドラの生贄にしようと実は思っていたのかもしれない。ところが

例の消えた3本の柱で覚醒の前兆を見届けたものの由里たち

や自殺志願の男は覚醒前に生きて戻ってしまった。

バラゴンが本栖警察に伊佐山老人の実体を助けに来て、伊佐山が

例の石像を自ら足元に生贄になったのではないか、と思いました。

(このシーンでも石像の角がかけてるのがわかります)

すでに死んで幽霊になってる伊佐山が生贄になるのか、とか

霊なら警察につかまったりせずに、妙高や池田湖のように霊の存在の

まま行動すれば良かったのに、というかもしれませんが

現世で行動するために、自身が亡くなった時に近い年齢の現世の老人に

憑依していたのではないかと思いました。

 

話が脱線しましたが、この石像のかけた一部には当然、ギドラに憑依させ

ようとしてたなんらかの力が残っていたために、自転車で移動中継中の

由里が伊佐山がギドラを覚醒させたビジュアルをみることが出来たのですよね。

次のシーンで「ヤマト聖獣を防衛軍は攻撃して欲しくないんです」

と察したシーンのところです。

つまり憑依したギドラと由里が持っていた石は、(こういい方をすると

拒否反応する人もいると思いますが)ギドラと由里をつなぐ勾玉の

役割を持っていた、と思うわけです。

 

平成ガメラにおける怪獣の解釈に近いのは確かかもしれません。

 

 

いやー、描かれてないことまで持ちこんでは・・・ [No.245]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/25 (火) 11:24

おお、ちゃんと話し合いが出来そうな雰囲気。

 

>レグルスさん

私も忌憚のない意見を述べますね。

 

作品の解釈というのは、作品に表わされている事柄から何かを導き出すことです。

あの石に関するレグルスさんの設定解読は根拠がないんですよ。

 

劇中、手がかりになるものとして示されるのは、

セリフで「無機物に記憶させることが出来る」「老人は人間の念を神獣に宿そうとしたのか?」

と語られること(不正確ならすみません)と

石に触れた由里がギドラを覚醒させようとしている老人の様子を「幻視」(透視?)すること。

あとは、石によってギドラが元気になったことですね。

これだけの手がかり(そして表現)からは、なんのことやらわからない、というのが

妥当ではないでしょうか。

 

由里たちを助けることになる「泡」については、私も偶然と考えていいのではないか、

と思います。

ギドラが意識的に助けようとしたという描写はなかったと思います。

 

(話がそれますが、G3での渋谷の子供のエピソードは、あんまり感心しませんでした。

偶然にせよなんにせよ、ガメラが子供を助けたという描写がはっきりあればまだしも、

映像からはガメラによって子供が救われたとは見えませんでした。

ただ、セリフで子供が「ガメラが助けてくれたよ」と語るだけです)

 

確かに、非常に微妙かつ複雑な内容を表現するために難解になってしまう映画はあります。

『2001年宇宙の旅』などはそういう意味でわかりにくい映画ではあるのかもしれません。

しかし、「2001年」は決して観客を悩ませるために説明を排除したわけではなくて、

「人間には理解しがたい存在」がテーマのひとつになっているため「わかりにくく」なっているのです。

それでも、作品を鑑賞する手がかりとなるさまざまな謎に矛盾はありません。

いくつもの解釈を生み出すような内容ではありますが、筋は通っているのです。

 

GMKは、示される要素(セリフでの解説や具体的な描写)に矛盾が多く、

どの解釈もそれを否定する要素が存在して、筋を通そうと思えば、

映画には一切描かれない、まったく架空の(複雑な)設定を持ちこまなければ不可能に思えます。

これでは、鑑賞や解釈ではなくてGMKを元にした創作になってしまいます。

と、書いているうちにK4さんのレスが・・・・。

K4さん説で筋が通りそうな気もしますが、やはり、K4さん説を裏付けるような描写がないのでは

なるほどとは思えないです。

地蔵の一部が欠けていたというだけでは・・・。


 

削除記事 [No.228]

投稿者:**

2001/12/21 (金) 07:41

 

投稿内容削除

子記事

 

 

 

削除記事 [No.242]

投稿者:**

- 2001/12/24 (月) 17:58

投稿内容削除


 

読んでくれてありがとうございます。 [No.234]

投稿者:gil

2001/12/21 (金) 13:59

 

どうも、3度目の書き込みです。

書き込んだ後に見て、「これ読みにくい」と思ったのですが、そんな私の駄文をちゃんと読んでくださっ て意見 してくれたこと嬉しく思ます。

 

昭和ゴジラは、全部はまだ見ていませんが、8割くらいは見ましたよ。

ただ、ずいぶんと小さな時に見たものと、いろいろと知識を持ち合わせた時に見た時では、同じように見 た映画 でも、随分と感想が違うの

に驚かされますね。

 

それだけ子供の頃には、純粋に見る事ができたんだなぁと。

 

個人的に面白いと思った昭和ゴジラは、順に「怪獣大戦争」「ゴジラ対ガイガン」「怪獣総進撃」でしょ うか。

 

これらはやはり子供の時に見た映画であり、初めてと言っていいほど、ゴジラを直に見られた作品でもあ りまし た。

 

私がゴジラ映画を知る頃には、怪獣対決ものが主流であり、もしかしたらその時点で、私自身の評価の基 準が、 この対決モノに絞られた

のかもしれません。

 

言ってしまえば、ゴジラを見る感覚が子供の頃と何ら変わっていなくて、高度な見方が出来ないだけなの かもし れませんが・・・・・。

 

兄貴(赤)さんが申しているように、GMKの出来そのままに、これが当たり前では困りますね。

 

ですから、私も、このGMKが必ずしも成功した映画だとは思っていません。

 

私の今回面白かったという評価は、この出来ならば、次作はさらに期待しても良いだろうという期待も含 まれた ものと言えます。

子記事

 

 

 

どうもです! [No.236]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/21 (金) 19:13

どうぞ何度でもいらして下さい。

 

いろんな人ときちんと意見を交換すれば、映画をもっと深く楽しめるようになるはずだと信じています。

意見の対立があっても、相手の言うことにちゃんと耳を傾け、自分の考えを正確に伝える努力をすれば、 絶対に 喧嘩にはならない

です。

(なーんて、偉そうな。とかなんとか言いながら、感情を完全に抑えるのもよくないので、

軽い喧嘩ならいいんじゃないかと思っている不埒な管理人であった)


 

しょうがない。別スレッド立てます [No.232]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/12/21 (金) 10:56

 

ひょっとしてゴジラと円谷英二監督の演出を切り離して考えている人って多いの?

No.227のつづきになっちゃうんですが・・・

 

映画が共同作業であるというのは明白です。

しかし、それぞれのパートが

ばらばらに思うことをやり始めたら

支離滅裂な作品になります。

(自主製作映画の多くが、その

欠点を持っている)

監督が全体を統括して初めて

作品としてなりたつのです。

監督が認めたものがフィルムに撮影されるのです。

例外があったとしても、これが大前提。

 

さて、円谷「監督」は特技監督として

多数の作品を残しています。

これは、特撮シーンの責任を負っている

ということです。

特技監督として携わったゴジラ映画では

ゴジラの芝居も円谷監督の意向を反映したものです。

ですから、円谷監督がゴジラをどう考えていたのかは

残されたフィルムの中に見出せるのです。

残された作品からゴジラやその他の怪獣のキャラクター性を

導き出せ、と申し上げているのです。

(なんでこんな当たり前のことを言わねばならんのだ!)

 

それから、

今般の「ファン」たちが求める「怖い」ゴジラに関して言えば、

ゴジラに「怖さ」は必要かもしれないけれど、

怖いだけではだめであると断言します。

キャラクター論という観点から論じることも出来るでしょうが、

なにより、オリジナルの生みの親(円谷英二監督)が

怪獣一般について

「怖がらせただけでは駄目だと思う。怪獣にはそれぞれユーモラスな

ものがなきゃなんないし、」

とはっきりおっしゃっています。

少なくとも、円谷監督が生み出した怪獣を使うなら、

「怖さだけ」を追及した時点でニセモノになります。

子記事

 

 

 

削除記事 [No.238]

投稿者:**

- 2001/12/21 (金) 22:33

投稿内容削除


 

バトルについて・1 [No.235]

投稿者:兄貴(赤)

2001/12/21 (金) 15:58

 

各スレッドがだいぶ長くなったので、別スレッドで書きます。

 

パシンさん、gilさん、レグルスさん御三方の面白かったというご意見に共通する部分として、バトル が良 かった、萌えた、という点が上げら

れるようですね。

 

私も下の書き込みで、バラゴン戦は良かったと書きましたが、これもラストバトルに比べて良かったとい うレベ ルであります。

怪獣バトルを観て「萌える」要素として、一つに映像そのものから受ける迫力や 破壊シーンがあります。

また、何故戦っているのか、その背景にあるシチュエーションも大事であります。

 

バラゴン戦は、映像面から観ると確かに良かったのですが、いかんせんバラゴンが弱すぎて、怪獣対決と は言い 難いのです。

観ていて、萌えないのです、バラゴンが一方的にやられるだけで、観ていて不愉快になってくるのです。

弱いものいじめを観ている気分なのです。

 

対決の理由と背景から考えると、これまた納得できないのです。

ゴジラは東京を目指している、それを阻止しようとしてバラゴンが挑むのですが、その前の段階で、クニ を守る 怪獣は3匹いる事が語られ

ています。

さらに、千年竜王キングギドラまで参加しなければ、奴(ゴジラ)には歯が立たないと語られています。

で、あるなら、バラゴン単独でゴジラに勝てる訳が無いのは、観ている我々は承知の事なのです。

最初から一方的にゴジラが勝つと分っているバトルなど、萌える事はできません。

 

また、3怪獣はあの老人によって、意図的に復活させられているように見える訳で、それなら、何故、勝 ち目の ない戦いを仕掛けたのか理

解できないのです。

老人の意志によって、3怪獣が統べて復活してから、3匹協力してゴジラに戦いを挑むのが自然です。

なのに、なぜかバラゴンは単独で挑んで、あっけなく死んでしまう・・・

これでは、萌える事はできません。

 

50歩ゆずって、前哨戦としてバラゴンが単独で挑んだとしましょう。

(つまり、ゴジラの実力がどの程度なのか、バラゴンが様子を見に来たって感じ)

その場合、ゴジラにこてんぱんにやられるけど、なんとか地中に逃げて一命を取りとめて、しかる後、3 匹でラ ストバトルに持ち込むのであ

れば、納得できるし一層萌えるバトルとなったと思います。

死んでしまっては、ラストバトルの戦力低下は明らかな事なのですから。

このような理由で、バトルシーンにおいても、「?」マークを抱きながら観ているものですから、面白く 感じら れないのです。

 

次回はラストバトルについて書きます。


 

ご無沙汰しております [No.239]

投稿者:どん亀工房 ・ 2001/12/23 (日) 11:53

 

 

>管理人様

「特設板」ができていたとは知らず、かなり出遅れていまいました。

 

観終わった直後はそれなりに「怪獣映画を観た」満足感に浸っていたのですが、それから数分後には何だ か釈然 としないものが込み上げてきました。

本公開以後他所で他の方の感想を拝見するに、自分にとっては「勘弁してよ」だったシーンやストーリー が絶賛 されていることを知り、いち早く「論争」は放棄したつもりでした。

でもここにたどり着いて多くのログを読むうち、「ああ、同じ風に感じた人がいる」と何やらほっとしま した。 (笑)

 

それなりに「騙してくれた」作品でありましたが、それと同じくらい「イヤな」作品でした。

「イヤな」部分はみなさんが述べられていることとほぼ同じだと思いますが、一応書かせて下さい。

 

作品全体の感じとしては私には他のゴジラ映画と比べるよりは「G3」と比べるのが妥当ではないかと 思ってい ます。

作品全体のテンション(私が感じた)が「渋谷戦」をピークに下がり始めること、ラストを観終えた時の 後味の 悪さなどが妙にシンクロするんです。

しかもさんざん劇中で張り巡らせた伏線がちっとも収束していないというか、G3では多少は感じられた 「方向 性」がこのGMKには全く感じられなかったのです。

まとまりのつかない「本設定」「裏設定」をもてあそんだというのは言い過ぎでしょうかね?

しかもゴジラどころか登場人物の誰一人にも感情移入できませんでした。

某所で「あんなあざとい家族愛はのめり込めない」と書き込んだら、しっかり反撃を受けましたが、そ れって私 が「屈折」してるんでしょうか?

 

昨夜たまたまレンタルで「パール・ハーバー」観たのですが、確かにあれは「愛」を描こうとしてるのは わかり ました。

しかしありがちな三角関係、やっぱりミエミエで無理矢理のオチ、なぜだかGMKの「家族愛」と似たも のを感 じてしまいました。

確かに現代は「愛に飢えている」のかもしれません。

しかし古今映画は多くの愛をテーマにしてきました。

この現代に今更ながら愛を口にするなら語り部たちはもっと言葉を選ぶべきじゃないでしょうか?

安売りの「愛」は「愛に飢えている」時代に果たしてふさわしいのでしょうか?

 

脱線、駄文失礼いたしました。

 

 

子記事 5 10 15 20 25 50 100 無制限

 

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愛はメインテーマじゃないので別にいいのでは? [No.240]

投稿者:レグルス

- 2001/12/23 (日) 20:30

確かに要素をまとめきれていないのは肯定せざるをえないところがあります。

『G3』でも山咲千里なんかの扱いが消化不良でしたし。

 

私は『パールハーバー』は観てませんが、『アルマゲドン』みたいなものと推察してます。

もしそうなら、全然対したことないやん!

まあ好きずきでしょうが、私はあんな単純なストーリーの映画は好きになれません。

それはともかく……

『VSモスラ』以降のゴジラ映画はシンプルなものが続いてました。

 

特に今回は金子監督の初ゴジラ映画ということで気合いが入りすぎた結果でしょう。

(これも好意的解釈?)

金子映画だからといって全部が全部煩雑な映画、

という訳ではないですから。

要素が多いのは『G3』くらいでは?

『G1』はまとまってますし、

『G2』はSF設定の説明が多いだけで、

ストーリーはシンプルです。

 

私は語り切れていない部分も勝手に補完する性格なので、

今回のGMKに関してはマイナスよりプラスが上回りました。

 

http://homepage2.nifty.com/st_reguls/

 

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前後関係がちゃんとしてないと [No.246]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/25 (火) 11:28

>どん亀工房さま

こちらこそお久しぶりです。

なんでもかんでも誉めておけば波風立たないだろう、という一部の風潮に

辟易してあまり特撮系には顔を出さなくなっておりました。

 

>まとまりのつかない「本設定」「裏設定」をもてあそんだというのは言い過ぎ>でしょうかね?

このご意見には賛同いたします。

部分部分ではなにかの可能性を感じさせるものがあるようにも思いますが、

全体を見渡したときにそれらがばらばらになっていると思います。

コマーシャルフィルム的な映像記号の羅列であったのではないか、と疑っています。

(涙を流している人物さえ登場させれば、悲しみの表現になるというやり方です)

 

ドラマの積み重ねがないのです。

 

立花父娘の関係性も、

ラスト近くで二人が通信機を介して思い入れたっぷりの芝居をしてみせるのがその最たるものでしょう。

そこまでの二人の関係を見るに、もっと軽く流していいシーンであると思いました。

最初から仲のいい親子として登場し、その後特にいさかいもなかったのです。

(父が怪獣情報を提供しなかったとか、取材許可を出さずに拘束したとかは、軍人として普通に行動した 結果で す。

あんなことが父娘の溝になると考える方がおかしい)

それをなにやら感極まって、挙句の果てに娘に取材許可を出す始末。

ドラマ上、由里が怪獣のラストバトルの近くにいてくれないとまずいから、そんな展開にしたとしか思え ません でした。

(私が立花なら、絶対に取材許可など出しません)

『ディープ・インパクト』におけるわけのわからない父娘の和解を思い出しました。

 

 

 

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御久しぶりです。 [No.247]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/25 (火) 15:24

そうですか、亀さんもあまり楽しめなかったのですね。

まあ、わたしもGMKにおける親子愛など、ちょこっと添えた飾り物であって、

映画の内容と関係ないモノとして考えております。

ですが、あの無線会話のシーンで「泣けた」とおっしゃる方もいらっしゃるようで、なんとも世の中不思 議な事 もあるものです。

 

本編ストーリーを考えるなら、立花准将は生還してはいけなかったと思います。

殉職するストーリーなら、あの無線会話シーンもそこそこ意味が出てきますが、恥ずかしながら生きて 帰ってき ちゃったものですから、あの会話シーンは何だったの?って思うわけです。

 

さらに、以前も書きましたが、怪獣を「可愛い」「可哀相」などと発言した人間は、ことごとくゴジラに 殺され ています。

劇中、唯一ゴジラに憎しみを持っていた立花准将もゴジラに殺されて始めて監督が公言する「ゴジラは強 きも弱 きも挫く、絶対的な破壊神」という設定が成り立つのに、ゴジラに同情的な人間は殺され、ゴジラを怨んでいた人間が生き残るのです。

これでは、私が何度も申し上げる様に「怪獣ファン(ゴジラファン)は、死ね」と言われてると、私が感 じるの もしかたがないと思います。

 

 

 

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レス、ありがとうございます [No.249]

投稿者:どん亀工房

- 2001/12/26 (水) 00:37

>レグルスさん

初めまして。

私は「監督」で映画を観ることはありませんし、金子監督作品は平成ガメラシリーズしか知りません。

よって金子さんだからといって複雑な話は期待していませんでした。

私はG1、G2は絶賛したものの(私の近年の怪獣映画としてのG1、G2はベストです。)、G3は特 撮の素 晴らしさは認めるものの、作品としては大いに不満が残りました。

私はレグルスさんとは逆で、語りきれない伏線を張りっぱなしにした作品は「失敗作」じゃないのかって 思って るのです。

 

>ghidorahさま

私にはともかくあの程度の親子愛(?)でどうして感動できるのかが不思議でした。

駄作ながら自らゴジラ・ストーリーも書きましたので、確かに主人公達の配置というのは怪獣達の「語り 部」な り「目撃者」にするための「ご都合」の部分ってあるわけです。

そこをあまりに強引に持って行かれるとついつい引っかかりを感じてしまうのですよ。

わかりやすく、かつ自然な「うそ」をついてほしいものです。

怪獣映画なんだからそんなにむきにならなくても・・・って声はわかるんですが、まだまだそこまでの解 脱はで きないです。(笑)

 

>兄貴さん

個人的には人の死で感動を取ろうとすることがミエミエな映画はキライなのです。(笑)

その意味では立花さんを殺さなかったことは評価はしています。

ただし「殺さなかった」ことで感動が無いラストだったことは否定できませんね。(爆)

 

「怪獣ファン(ゴジラファン)は、死ね」・・・ですか。

そういえばかのエヴァンゲリオンを作った庵野さんも、不完全燃焼であったはずのTV版ラストを劇場版 で作り なおす機会に恵まれながら、結局「オタクよ、現実を見ろ!」つうオチでしたねえ。

ある意味「オタクが喜びそうなツボ」をさんざん利用して評判をとり、結局は放り出したことと似た匂い がしま す。(考えすぎ??)

 

 

 

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そうではなく [No.251]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/26 (水) 10:56

私が、立花准将が殉死すべきだったと思うのは、「人の死によって感動をとる」ためではなく、

物語の流れから考え、その方が自然だと思うからです。

監督曰く「弱きもくじく、強きもくじく」のであれば、弱き(一般人)も、強き(軍人)も、皆ゴジラの 前では 無力でしたと演出するべきでしょう。

ならば、立花准将も殉職させるべきではなかったかと思うわけです。

 

さらに、残留思念のゴジラは通常兵器では倒せない事になっている様です。

で、あるなら、軍人である准将が命を捨てる事により、残留思念を鎮めるといった展開の方が「この映 画」の場 合、自然な流れだと思うのです。

勿論、そんなゴジラ映画は大反対です、ゴジラに霊的なものを持ち込む事自体間違っていると思っていま す。

ですが、そうゆう設定を持ち込んだ以上、「ちゃんとやれ」と言う事です。

 

もう一つあります、ゴジラによって沢山の人が死にますが、観客から見てその他大勢が死んでもあまりイ ンパク トがないのです。

悲壮感が薄いとでも申しましょうか・・・

主要登場人物がゴジラによって死ぬ事で、悲壮感も出るし悲惨さも演出されるのだと思います。

それ無くして、言葉だけで「反戦」だとか「反核」とか言われても、伝わらないのでは?

 

 

 

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舌足らずでした [No.255]

投稿者:どん亀工房

- 2001/12/26 (水) 12:29

>兄貴サマ

「人の死で感動を取ろうとする」というのは一般論でして、今回のGMKの事とは関係ありません。

兄貴さんのおっしゃることはわかってるつもりです。

 

以上!

 

 

 

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そうでしたか。 [No.259]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/26 (水) 12:44

早レスありがとうございます。

 

 

 

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親子と立花生還 [No.427]

投稿者:スットメ

- 2002/02/11 (月) 22:53

取材許可拒否はそんなに深い溝ではありません。それぞれが大事なことを抱えていて、少しずれただけで す。

 

 

最後の取材許可は約束をするためです。

俺は国を守るが、必ず生きて帰ると

だから、お前はお前で自分の使命を果たせと。

 

ドラマ上、由里が怪獣のラストバトルの近くにいてくれないとまずいからではありません。

 

GMKにおける親子愛はちょこっと添えた飾り物ではなく、国防の個人のあり方として、立場の違う人を 対比さ せる必要があったからです。

映画の内容と関係ないモノではありません。

本編ストーリーを考えるなら、立花准将は生還しなければならなかったと思います。

 

個人としての国防なのですから、生きて帰ってこそ意味はあるのです。

無茶であっても、責任をとるといった立花は生きて帰って娘を迎えてやるという気迫があったのです。


 

GMKサイコー [No.241]

投稿者:小美人

2001/12/24 (月) 15:19

 

管理人さん、返事書くの遅れてすみませーん。けど、昨日GMKを見にいってきました。最後が、めっ ちゃすご かった。もーたまらん。マニア

にとっては、もうみるべし。ともかく、すごかった。ただ、モスラが、蛾ではなく、蜂にみえた。

(笑)あと、パソコンのことだけど、¥205000は、ちょっと・・・。

(金がない)ということで、宝くじ1億でもあてます!?

子記事

 

 

 

どーもー [No.244]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/25 (火) 11:20

うーん、確かにあのラストはある意味すごかったんですが・・・・。

 

もちろん、私もマニアなら見るべし!と思ってます。

見ないで語るのが一番よくないです。

 

宝くじ、当たるといいですねー。


 

GMKのギドラってどうよ? [No.248]

投稿者:祝 二十郎

2001/12/25 (火) 23:27

 

・・・と、2ちゃんねる風にタイトルをつけてみましたが(笑)。

 

造形についてあれこれ意見の聞かれる今回のギドラですが、あの形にしたのは

要は「ゴジラと格闘させるためには、首が操演のものでは糸が絡まってダメな

ので」という技術的な問題によるものらしいのですが・・・。

 

元々、キングギドラという怪獣は、格闘戦(肉弾戦)を放棄してロングレンジ

攻撃のみで相手に打ち勝つことを前提にしてあるため、格闘に必要な「腕」が

ついていないデザインになっているのですよね。

(そういえば「三大怪獣」でキングギドラが劣勢になったのは、三大怪獣との

近接戦闘を行ったからですね。円谷監督はやはりそこまで考えていたのですね)

 

覚醒前のギドラが短首であり、光線も吐けないから首で格闘せざるを得ない、

というのは判るのですが、それだったらやはり覚醒後は、首も長くして、引力

光線吐きまくりの怪獣にして欲しかったですね。

 

覚醒後もゴジラと取っ組み合いをさせる、というのはキングギドラとしての属性

を自ら放棄しているとしか思えないですねえ。

 

スケジュールの都合とか色々事情はあるのでしょうが、「ギドラ好き」としては

やはり・・・(´д`)。

子記事

 

 

 

ギドラ [No.250]

投稿者:どん亀工房

- 2001/12/26 (水) 00:49

噂通り「ギドラを使え」ってのが東宝のごり押しならもうどうしようもなかったのでしょうね。(笑)

しかし再三にわたってリメイクされ、その度に弱っちくなるギドラは不憫でしょうがありません。

ヒロインに「千年竜王!!」なんて絶句させておいて、やたら派手なCGと共に畳んでた羽広げただけっ つうの はあまりにも・・・・。

(泣)

 

ちなみにあのギドラは「キングギドラ」になれたのですか?

イマイチそれがよくわからなかったのですけど。

もし「なれなかった」のだとしたら、「モスラのふりかけ」やら「謎の石」(笑)はいったい何だったん でしょ う?

せめて「モスラ3」の「グランドギドラ」改造版が千年竜王たる「キングギドラ」としてまばゆい後光と 共に現 れていたらなあ・・・って思

うのは私だけでしょうか?

 

 

ようやく私も意見全開で(汗) [No.253]

投稿者:Lans

- 2001/12/26 (水) 12:07

ども、ようやくGMK観てきましたので私も本格的に行きましょう(笑)

 

ギドラですが。。。今回は日本古来の護国聖獣なんですよね。

さらにヤマタノオロチや龍伝説と関わりが・・・って設定ですよね。

 

なら、なんで顔がvsギドラの系統を引くドラゴン顔なんでしょうか?

昭和ギドラの特徴としては、あの巨大な翼と、龍を思わせる首周りのたてがみ

があったと思うのですが・・・

特にたてがみは龍らしさ、日本らしさを演出する上で必須と思いますが・・・

 

また、今回ギドラは風の神です・・・が・・・なぜ?

はぁ・・・

実は私、オカルト・心霊・神仏関連にも非常に強いのですが・・・

「龍は基本的に水神です!」

本来ならバラゴン(地)はいいとして飛行怪獣のモスラが(風)、龍であるギドラが(水)でなければな らない んじゃ・・・

 

これが護国聖獣自体が説明不足のうえに、通常のイメージともずれる為に・・・

 

はぁ?どうなってるの?なにがなに?

 

になってしまうだけだと思いますが・・・

よく怪獣の属性変更が問題視されていますが・・・実はそれだけではなく

この作品は神としても勝手な属性変更を行なっているのですよ(泣)

(しかも、ろくな説明もなし・・・これじゃ理解できるはずがないです)

 

 

三大怪獣のDVDを見て口直しします [No.254]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/26 (水) 12:28

上層部のごり押しで怪獣を差し換えられちゃったなら、

あてがわれた怪獣に応じた演出を考えるのがクリエーターってものですよ。

 

まあ、ゴジラですらそのキャラクター性を変えてしまえ、という

発想なのですからその他の怪獣の魅力を理解した上で演出していたとは

考えにくいですね。

 

個々の怪獣に思い入れはない、という逃げ口上は、

個々の怪獣の魅力に気がついていない、という鈍感さを説明しているだけです。

(ファンも同じです。個々の怪獣のキャラクター性に興味はない、という

言い方は、怪獣ファンではありません、という宣言に等しい。

もちろん、怪獣ファンではない人が世の中にいることは当然ですよ。

問題は、怪獣ファンではない人が怪獣映画や怪獣についてしたり顔で語っていることでしょう。

ところが、多くの怪獣ファンは、どうしたことか、怪獣ファンではない人の顔色をうかがってばかりい る。

怪獣や怪獣映画の魅力を世間に訴えないでどーすんのよ)

 

と、書いているうちにLansさんのレスが。

うおー。

神話・伝説系には詳しくはなかったのでそこまでの「改変」が行われていたとは気がつかなかった。

やはり・・・。

素人さんがSFに手を出すと、まずは超能力ものを書こうとするきらいがあります。

これって、きちんと科学を勉強しなくても自分でルールを作れる手軽さからなんですよね。

そんなわけで、呪術・魔術系も「勝手に」ルールを作れるので手を出す人が多いみたいです。

(まあ、そういう枠できちんと架空の理論を構築できれば名作になるのですが)

ところが、現実に存在する神話伝説のたぐいを持ちこみつつ、整合させないのでは

意味なーいじゃーん。

とっかかりは現実からもらってきて、あとは勝手にしますってか?

 

 

説明すればいいんですが・・・ [No.257]

投稿者:Lans

- 2001/12/26 (水) 12:37

いくら改変しようと劇中で

「理解できるように説明されれれば」

許せるかも知れないんですが・・・

 

それを行なわない以上、文句をいわれても当然でしょう。今回は

 

この辺りは、また別スレたてて後ほど詳しく述べたいと思います。

 

 

ギドラってどうよ?ダメよ(笑) [No.260]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/26 (水) 13:08

円谷監督が手がけたキングギドラは3回ですよね。

「三大怪獣」「怪獣大戦争「総進撃」

このどれもが、ジタバタしてます(意味不明かな)

 

ところが、カイガンで登場したギドラは硬直しまくりなんですよ。

アレ見たときはショックでした。

本来ギドラの飛行状態は、三本の首が無秩序にくねって、翼はバタバタ、尻尾もバタバタ、足もバタバタ してい て、それが猛り狂う

破壊神としてのイメージを増幅させていたと思います。

 

平成シリーズでもモスラ3でもギドラは登場しますが、その点全然なってません。

でも、造型は悪くなかったと思います。

ところが、GMKのギドラって情けないっちゃ!(byラムちゃん)

あんなずんぐりした不格好なギドラは過去最悪です。

 

だいたい、富士の樹海から横浜まで歩いて来た訳でしょう?

モスラはゴジラに向かって飛んで来る途中のシーンが挿入されているから良いのですが、

ギドラは突然ポコっと現れて、「だれ?」って感じですよ。

羽目をたたんで、よっこらよっこら歩いて来たなんて・・・かっちょ悪すぎ!

途中にあった街とか電線とかどーなったのかな?

踏み潰して来たのかな、それとも「ヨッコラショ!」って、またいだ?

 

 

あれはキングギドラではなく..... [No.261]

投稿者:丹木たぬき

- 2001/12/26 (水) 14:57

すみません。乱入させて下さいませ。

皆様はじめまして。丹木タヌキと申します特撮大好きおじさんであります。よろしくお願いします。

実は、私、今回のギドラ大好きなんです。

デモ、「キングギドラ」好きの心情は管理人さんと同じです。あれは、キングギドラじゃない。

ではなぜ、今回のギドラが気に入っているかと言うと、私が「バラン大好き野郎」だからなんです。

そうーなんです。「バラン大好き野郎」が見たら、あ、れ、は、「バラン」に見えるんです。

最初復活するはずだったバランの特徴や造形がたくさん残っているんですよ。

顔、えらのあたり、目の玉、口元そーっくり。最初飛べないと思われるの同じ。

陸海空を制するの同じ。(キングギドラは陸の王者ではないですよね)

海中で戦えるのも同じ。(キングギドラには一番似合わない戦場です)

そして、とにかく、期待を激しく裏切って弱いのがそっくり。

バラン復活が夢と消えて落胆していた私は、「ギドラ」を見ていて新種の「三つ首バラン」と思ったら大 好きに なりました。

金子監督も品田さんも、あれをバランとして扱っている。「確信犯だな」そう私は思って見てます。すご く生き 物っぽいですよね。

最後は涙ぐんでしまいました。

「あのバランがここまでがんばるなんて.....」

姿を盗まれたキングギドラにはごめんなさいですね。

わたくし変な奴ですか?

 

 

本当にそうなら [No.262]

投稿者:どん亀工房

- 2001/12/26 (水) 18:10

>丹下さん

初めまして。

私も妻1人、子供2人の立派な(?)怪獣キ○ガイオヤジです。

 

で、ですねえ、もしギドラが丹下さんの想像通りだとするとかえって許せません!

怪獣のラインナップを強制的に変更されたからと言ってギドラにバランの設定くっつけちゃったら反発は 間違い ないでしょう?

金子さんの言う「怪獣のキャラには拘りがない」ってそういうこと?

ゴジラが「シリーズ物」であることは事実であって、長期に渡って大事にされてきた(重荷であったにせ よ) 「キャラ」に拘りがないな

どとオープンで発言されること自体、不愉快でしょうがありません。

 

WEBでのファンの声を聞いているとやたら「あれは金子さんの確信犯」っていう擁護の書き込み見るん です が、それが本当ならあま

りにも「確信犯」的部分が多すぎやしませんか?

それを許すならなぜ日本のファンはおそらく同じ「確信犯」であっただろうトラゴジを許さなかったので しょう か?

 

「平成ガメラ」という「子供と怪獣オタクのための映画」によってゴジラ映画の監督の座を勝ち取ったは ずの彼 が、手のひらを返すよ

うにオタクを裏切ったならそれは許されないことじゃないでしょうか?

別スレッドで兄貴さんが述べてらっしゃるように、金子さんが「確信犯」として従来のゴジラ・ファンの 神経を 逆撫でする作品を提示し

て見せたのなら、ファンとしてはそのご期待に添えるように「裏切った部分」はこき下ろして差し上げた いと思 います。(爆)

 

 

始めまして丹下さん。 [No.264]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/26 (水) 18:40

ようこそいらっしゃいました、私、兄貴(赤)と申す41歳のオヤジゴジラ*カです(笑)

丹下さんがGMKのギドラにバランを見出し、それを喜んでらっしゃる事は、人それぞれの楽しみ方とし て何も 申しません。

ですが、その様な形で既存の怪獣をもて遊んだ監督を、許す事はできないのが私の心情です。

 

亀さんの書き込みに、座布団100枚です。

今後、この様な過ちが繰り返されない為にも、こき下ろしてさし上げなければなりますまい(笑)

 

 

ああ、ギドラよ!(よよと泣く) [No.265]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/26 (水) 18:42

丹木たぬきさん、いらっしゃいまし。

怪獣特撮話で燃えてください!

2月末まではここを開いていますので、リピーターになってね。

 

で、そーですかー。

バランとして見るのですね。

うう。しかし、それはあまりにも涙ぐましい楽しむための努力・・・。

あたくしもバラン好きであります。

生まれてから2番目に見た怪獣映画が『大怪獣バラン』でしたので。

(一番目は『ゴジラ』ね。それと、初めて映画館で見た怪獣映画は

『大巨獣ガッパ』なのでした。ひどいオチ)

 

>どん亀工房さま

御意御意御意!

叩いて欲しいなら、叩いてあげないといけませぬ。

さらに言うなら、裸の王様には裸だと言ってあげないと・・。

 

 

天の神:ギドラ [No.268]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/12/27 (木) 01:22

>今回は日本古来の護国聖獣なんですよね。

>さらにヤマタノオロチや龍伝説と関わりが・・・って設定ですよね

 

何でも、「元々は宇宙怪獣だったものが太古のヤマトに現れて、古代人に退治されて、その魂を

鎮めるために神様として祭られた。そして、ヤマタノオロチや龍伝説の元にもなった」という事

らしいのですけど・・・。

 

つまり、「龍=水神」よりなにより、その「龍」の元になっちゃってる訳ですから、現代に至る

どこかで「ギドラ ⇒ 龍 ⇒ 水神(「GMK」では天の神)」となるような「出来事」があっ

て然るべきなのですけど元よりそんな描写などある筈も無く(笑)。

 

それを言い出すと、池田湖のモスラ幼虫が眠っていることすら(;゚Д゚)。

やはりモスラは、イルカに乗った少年同様、誰も知らない南の海からやってこないことには始ま

らないでしょう(笑)。

 

あれ?でも、元々の設定のアンギラス、バランだったとしても、どちらかが水神だったのですよ

ね?まあ、バランは湖に住んでいたのでそれでいいですが、アンギラスが天の神というのも?


 

映像は「賞賛」でも・・・ [No.252]

投稿者:Lans ・ 2001/12/26 (水) 11:51

 

 

ようやくGMK観てまいりました。

 

総評として

映像的には「ほぼ満足」ストーリー的には「理解不能」

特にストーリーの理解不能が厳しいので具体的な総合評価は低いと言わざるをえません。

 

では文句の前に良いところなどを・・・

 

全体的にリアルを目指した映像表現。特に劇中の人物の視点で描かれた部分も多く

「おお、実際に観るとこんな風にみえるんだろうなぁ(喜)」

というようなシーンが非常に多く好感が持てました。

これは従来のゴジラ映画があまり見せなかった部分なので正直に賛辞を送ります。

 

さて・・・上記のようなシーン自体の数も多く、一見圧倒的な映像で最期まで通してくれますので「ス トー リー」さえ気にしなければ「かなり楽しめる作品」でした(笑)

 

正直に映像表現には「ガメラシリーズ」の表現そのままのシーンもありましたが、それでも賛辞を送りま しょ う。

(森の中を進むバラゴンで鳥が飛び立つのはレギオンで既出ですが良いシーンは良いです)

 

でも、その映像でも、いくつか「非常に気になった点が・・・」

1、 モスラ成虫・・・飛行中の首や足が固定され、生き物に見えない。旧モスラでは、やりすぎというほどに動かしているシーンもあるというのに・・・

2、 ギドラ・・・パワーUPで翼を広げますが・・・その時は翼が大きくて迫力あるんですよ・・・でも着ぐるみに戻ると・・・翼が小さい・・・飛行中なんて 旧ソ連映画の「三頭巨竜」を彷彿しました(汗)

 

さて、問題のストーリーに行きましょう。

皆さんも既にお書きの通り「護国聖獣」が判らんです。劇中の説明が無さ過ぎます。

いきなりに「次は富士山」といわれても・・・

まずは各聖獣がどこに封じられているのか、を含め、きちんとした説明は劇中一度もありません。

(示唆するシーンはありますが・・・それだけで基本説明を終わらせるのは疑問が・・・)

せめて、それくらい説明して欲しいものです。さらにヒロインが様々な事態を直感的に「理解できる理 由」が説 明されていません。

老人と手を合わせた時に理解できるようになった・・・と「推測」は出来ますが、これも「基本的」な部 分なの で、はっきりと描いて欲しかったですな・・・

 

などなど、細かい点は幾らでも出てくるのですが・・・

はっきりいえば、この作品はストーリーの「基本的な基礎部分」を劇中で一切と言って良いほど説明して いない んです。

これは絶対的にダメダメではないでしょうか?

事前に情報を得ているファンならば「なんとか理解」できるでしょうが・・・

それでいいんでしょうか?

 

そしてなぜ、その説明が不十分であったのか・・・これは次回突っ込みます(笑)

 

 

子記事 5 10 15 20 25 50 100 無制限

 

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げ [No.256]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/26 (水) 12:37

あたくし、レギオンは4回しか見ていないので、いろいろ記憶から抜け落ちているシーンがあるみたいで すね。 最後に見てからほぼ3年経つし。

(森から鳥が先行して飛び立つカットがあったかぁ)

 

>旧ソ連映画の「三頭巨竜」

キングギドラの元ネタになったといわれているやつですね。

邦題は「キングドラゴンの大逆襲」。

いやー、目眩しそうな映画でした。

 

さあて、Lansさんの批評が楽しみであります。

どんどん飛ばしてくだしゃんせ。

 

 

 

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レギオンの鳥 [No.258]

投稿者:Lans

- 2001/12/26 (水) 12:41

えっと、

巨大レギオンが夜間、山から出現する直前に大量の鳥が飛び立ちますです。

(最終決戦時、自衛隊の前に出現するシーンです。)

 

 

 

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よかった・・・ [No.263]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/26 (水) 18:19

いえGMKじゃないですよ、Lansしゃんが無事に観れて良かったです。

 

さて、怪獣の説明不足に付いては、以前祝さんも指摘していましたよね。

「既存の怪獣だから皆さん分ってるでしょ」という態度で作られていると思います。

ですが、名前だけは既存でも中身は全部別物ですから、新怪獣登場と同じ様に怪獣の個性や

能力を観客に分らせるための演出が必要だったはずです。

しかし、そういった演出は一切無しです。

 

これは、都合の良い時は(ところは)、「既存の怪獣だから皆さん知ってるでしょ?説明いらないよね」

と言いつつ、中身は全然別物で好き勝手やっちゃってるものですから、納得できないモノになってしまっ ている と思います。

 

バラゴン、モスラ、ギドラがどれだけ強いのか、比べる対象がないから、それを倒したゴジラが強かった のか否 か、分らないのですよね。

おまけに、ゴジラは「どりるみさ~いる」で穴開くし・・・

結局、みんな弱いじゃん、と思えるのです。

 

 

 

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護国聖獣はただのサービス [No.426]

投稿者:スットメ

- 2002/02/11 (月) 22:29

護国聖獣に関してはソノシート的サービスです。

話の骨格が非力の国防にある以上、怪獣は助っ人に過ぎません。

なまじ説明があるから、ちゃんと説明が欲しいと感じるかもしれませんが、こういうもんだろう素直に楽 しめま した。

 

ゴジラが「どりるみさ~いる」で穴開くのは、人間が頑張ったから、3大怪獣さえ倒せなかったのにも係 らず、 いつも傍観者だった人類がようやく勝ったというカタルシスを感じて良かったです。


 

そう。涙ぐましい努力です。 [No.266]

投稿者:丹木たぬき

2001/12/26 (水) 19:46

 

「バラン降板」それを聞いていらい、私はいつもより悲観にくれる毎日でした。

「ああ、もう決して二度と復活のチャンスはこないのかもしれない」

亡くした恋人の面影を、ギドラの中に探した結果、金子監督の確信犯的犯罪に気づいてしまいました。も はや私 にはあれは、決してキン

グギドラに見えないのです。

逆に、手が無いのが、電撃を吐くのが、金色なのが、く、首が3本あるのが許せない!!!

私にとって金子監督は好きな監督ではありますが、同時にひどいことを2つ私にしました。

「バラン再生のチャンスを台無しにしたこと」

ちなみにもう一つは「大好きだったギャオスを、唯の変な顔した鳥のお化けにしたこと」です。

わかりにくかったかもしれませんが、皆さんの怒りは私の悲しみに大変近い。

GMKは映画としてある程度完成しているのかもしれないが、

だからといって監督の同世代の怪獣ファンの思い出を、独善的に変えてしまう免罪符とはならない。

それは、映画制作とは違う次元での傍若無人な振る舞いではなかったかと。

子記事

 

 

 

考え様・・・ [No.267]

投稿者:どん亀工房

- 2001/12/26 (水) 22:41

>丹下さん

逆説的に言うなら、GMKがああなったことで、ファンはとんでもないバランとアンギラスを目撃せずに 済ん だ・・・とも言えますよ。

(笑)

 

実はGMK試写があった東京国際映画祭の後の某オフ会で、私は「G×M」に関わったスタッフの方々と 飲む機 会がありました。

あるお方に私が「あのタイトルバックの怪獣の表皮とラストの伊福部音楽はオマージュですよね?」って 振った ところ、「どん亀さ

ん、オマージュととるか、パロディととるかによって受けとめ方は違うよ。」とおっしゃいました。

お調子野郎の私ははっと目が覚めました。

やはりクリエイターの目はシビアなのだと・・・・。(笑)

 

 

端的に言うと [No.271]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/27 (木) 14:07

平成ガメラもGMKも人気キャラクターを「自分だけのもの」にしようとした結果に見えます。


 

怪獣の属性について [No.269]

投稿者:K4

2001/12/27 (木) 13:38

 

映画祭で観たときの私のはじめの感想は

「凄い(おそらく映像に対して)と、なんなんだ?(怪獣の描き方への抵抗)

という気持ちの葛藤」とあちこちで書いてました。

で、2回目、3回目の鑑賞では怪獣の属性についての整理かあきらめか

わかりませんが、比較的すんなりと楽しめた、というのが感想、というのも

書いてます。

皆さんの意見を読んだり、聞いたりして気になってきたことには

映画監督「金子修介」の作り出すものは受け入れられないし、この監督の

映画の手法は好きになれない、というのは人それぞれだと思います。

そう言う考え方もあるだろう、と思ってました。

例の「石」についても、それを匂わせながら、観客に伝えるような

配慮にかけているのでは?というのはなるほどな、とも思います。

ひっかかるのは「怪獣の属性」についての部分でしょうか?

GMKの評価はこの部分に集約されるのかな、という気がしてます。

肯定派の人が言う、これまでの怪獣の属性とは違うものとして、という

意見と、円谷さん、本多さんが作り上げた属性を壊してはいけない、という

部分が微妙にずれていて食いあってないと思ったのです。

「ゴジラ」に関して、「ゴジラの属性」はどこに求めればいいのでしょうか?

肯定派の人は54年版の次に作られた作品として、怪獣の属性をおいて

いると思います。

否定派の人は本多、円谷コンビが作り出した「ゴジラ」というものを

指していると思います。

ところが、厳密にはゴジラは昭和だけでも

・54、逆襲の2作品

・キンゴジ

・モスゴジ

・3大怪獣、大戦争

・・・・etc

と属性はそれぞれ違っていると思うのですが、いかがでしょうか?

否定派の方の語られるゴジラの属性はキンゴジ~大戦争あたりのように

感じるのですが・・・。

後に円谷さんが、ゴジラというものは多くの層の人間が観る映画だから

と映像表現などに配慮されたりしたのは、あくまで初代「ゴジラ」以降

何本かつくられた中でお感じになったことで、その時代にあったものを

作り出していこう、という精神に基づいているのだと思います。

54年のゴジラというものだけを前提に、ゴジラの第2話のあり方として

GMKは、好き嫌いは別に「あり」だと思うのですが。

逆もそうです。

本多・円谷のつくりあげたものを踏襲するような怪獣映画を観たい。

そう思う人がいるのも当然です。

 

私はリアルタイムではメカゴジラやゾーンゴジラがギリギリ。

テレビや映画のリバイバル、そして84へつながる流れでゴジラを

観るようになったため(ずいぶん、冷たいことを言ってくれるな、と

思われるかもしれませんが)「ゴジラ」の魅力はそれこそ、その可能性の

広さだと思ってますので、すべてのゴジラをそれなりに認めてしまってます。

あの形に放射能火焔さえ吐いてりゃいいのか、とお叱り受けそうですが、

はじめに書きましたとおり自分なりにも葛藤はあったのも事実なのです。

 

長文、駄文失礼致しました・・・

 

PS

各雑誌、ホビージャパン等で富山氏がおっしゃっていた通り、

バラン・アンギラスがモスラ・ギドラに変わったのは本当に

ギリギリもギリギリだったと思います。

怪獣の属性が変わってしまいますが、本当にいいでしょうか、と

金子氏も何度も確認してる、というように何にも考えずに

(観客動員だけは考えてますが)ギドラ、モスラを

起用したのは東宝上層部です。観客には何も関係ないところですが。

もっとも、「モスラ・ギドラでない、他の怪獣だったら良かったのか」

と立花准将のように突っ込まれそうですが。

子記事

 

 

 

もっと考察を [No.273]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/27 (木) 14:49

ゴジラの属性に関してだけ。

 

K4さんには以前、別の掲示板で同じことを申し上げているのですが、

ここでは書いていないですね。

 

円谷監督が演出したゴジラの属性(というか性質)が

変化したことはなかった、というのが私の認識です。

もちろん、その出自にも変化なしですよね。

 

直情型で、挑んでくるものとは果敢に闘い、

好奇心旺盛で、感情を隠すことをしない裏表のない奴。

 

これは、初代であっても同じであったはずです。

(初代と二代目は別個体なので性質が違っていてもいいのですが、

ゴジラという生き物をどう捉えていたかには変化がなかったはず)

 

初代やモスゴジは悪?

先入観を捨ててください。

評論家やライターが書いたことを鵜呑みにしないでください。

 

ゴジラ映画にはさまざまな方向があったことは確かです。

しかし、作品の手触りが違うことと、ゴジラのキャラクター性が違っていることは

別です。

作品に応じたアクションをさせたことは間違いないでしょう。

しかし、ゴジラそのものの性格は変わっていません。

 

私が受ける印象において、初代ゴジラと総進撃ゴジラになんの矛盾もありません。

 

実は、GMKゴジラに関しては、その性質はそれほど変えられたとは思っていません。

バラゴンを執拗に足蹴にする描写だけはNO、というところでしょうか。

平成vsゴジラよりむしろ納得できるぐらいかもしれません。

しかし、白目の間抜けさ(決して怖くはない)と体型の無様さ、動きのだらしなさが

ゴジラとして認めがたいです。

放射火焔の描写&効果も変えられています。(これはミレニアムやメガギラスも)

別物であることは間違いないです。

 

さて、逆にお聞きします。

作品によって、ゴジラの性質が違っているとするならどんな描写から言えるのでしょう。

 

 

兄貴(赤)さんより [No.274]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/27 (木) 15:37

レスしたいのに書き込み不能の状態だそうで、メールにて以下のご意見をいただきました。

 

************************************

 

初代からメカゴジラの逆襲までの昭和ゴジラは、基本属性は何も変っていないと思います。

人間の味方で正義のゴジラは、属性変更ではないかとおっしゃるのでしょうか?

確かに、当時劇場で見た時「こんなゴジラはいやだ」とは思いましが、

でも、それは演出や脚本の問題であって、ゴジラの本質は変っていません。

 

すなわち、太古の昔から地球に生息していて、核実験の影響を受けても生命を維持出来る

驚異的な生命力を持った生き物。

ゴジラの行動原理や目的は、人間の計り知れるものではなく、突然現れては人々に迷惑をかけたり、

場合によっては人間の役に立ったりするが、それはゴジラの意志によるものではなく、因果によるもので ある。

 

こんな風に私は思っています。

ですが昭和後期(円谷監督が他界された後に作られたもの)は、私の中では別物と認識しています。

本来のゴジラ映画のクオリティーが維持出来ていないと思うからです。

ですが、けして属性が違っているとは思いません。

 

しかし、平成シリーズから一部変更がありました。

それは、ゴジラが放射能をエネルギーにしているという設定です。

私はこの設定が大嫌いです。

ゴジラは生き物です、原子炉で動いているロボットではありません。

それでも、平成シリーズのゴジラは、その行動原理や目的を明確にしていなかった事で、

あまり大きな違和感を感じずにすんでいます。

だけど、キングギドラの設定などは、明らかに属性変更です。

だから、平成シリーズも基本的に嫌いです。

私が好きなゴジラ映画は、初~総進撃までです。

それ以外は、クオリティーダウン品と、似非ゴジラです。

 

円谷監督が作り上げた「ゴジラを生かす」映画を作って欲しい、と言うのが私の願いです。

監督一個人の好みで、既存の怪獣を別物にしたてた映画を作るのは犯罪です。

詐欺です、ゴジラの名を語ったニセモノです。

どうしても残留思念とか、日本を守る神獣の映画を作りたいのなら、全く別の新怪獣で作るべきでしょ う。

 

 

ゴジラの性質(描き方?)の変化 [No.275]

投稿者:K4

- 2001/12/27 (木) 16:11

>作品によって、ゴジラの性質が違っているとするならどんな描写から言えるのでしょう。

 

悪善などという分け方ではありません。

それぞれ違うと書きましたが、もう少し大きな括りで言いますと

・初代

・逆襲~モスゴジまで と

・3大怪獣以降

では異なってくると思います。

初代に関しては、小鳥の鳴き声に反応したり、動物的な一面を

持ち合わせながらも結局は何を考えてるかもわからない得体の知れない

存在として描かれたと思います。

逆襲~モスゴジは自らに敵対する存在には戦いを挑む動物の本能的な

ものが描かれてきました。

3大怪獣では小美人を介してゴジラが果たして何を考えているか

というのは伝わってくるようになりました。

これにあわせゴジラの擬人化が進んでいったと思います。

いい悪いではないです。

1作目で見えなかったゴジラのキャラクターが次第に見えてきた、

のかもしれませんし、おっしゃる通りゴジラの性格が変わったのではない

と言えるかもしれませんね。(私の表現不足ですね。訂正いたします。)

ただ、一作目を前提にしたPART2であったときであった、

一作目で明らかになった部分だけを引き継いで作っても良いのではないか

と思うわけです。

ゴジラで言えば第一シリーズである逆襲以降で明らかになったゴジラの

性格・性質を、どこまで織り込まねばいけないか、ということです。

一作目の直系の第2話というならば一作目の得体の知れない存在で

ありながらも、どこか動物的な一面を持ってるゴジラであっても良いので

はないかな、とも思ったのです。

怨霊だ英霊だ、といった要素を持ち込み、混乱させる設定がいけない

という意見もありますが、これについては、作り手の演出の範疇、

アプローチ法ではないかと思います。

 

怪獣映画は多くの人が楽しめるエンターテイメントであり、

その可能性の一部をGMKは持っている、と思います。

もちろん、こういう怪獣映画の解釈は嫌いだ、という人はいて当然でしょう。

GMKへの批判的評価を否定するものではありませんので、

念のため。

 

 

レス [No.276]

投稿者:K4

- 2001/12/27 (木) 16:33

書き込みをしている間に兄貴さんのレスをいただきました。

 

>円谷監督が作り上げた「ゴジラを生かす」映画を作って欲しい、と言う

>のが私の願いです。

 

私の書いたことは「ゴジラへの想い」というものを否定するものではありません。

ただ、円谷・本多両氏が他界された今、本当の「ゴジラ」映画は

「総進撃」で終わったものなのかもしれません。

それでもその後「チャンピオンまつり」世代がいて「平成シリーズ」世代が

生まれ、今なお、多くの人がゴジラ映画を愛している、ということは

すばらしいことだと思います。

 

可能性のひとつ・・・といっている通り、私自身GMKのすべてを

肯定してるわけではありません。

別の可能性の中では手塚昌明監督は、東宝で育ったということもあり

その本来の東宝映画を守ってくれるかもしれませんね。

手塚監督がGMKをどのように感じていらっしゃるかは興味深いところ

ではあります。

1から任せて時間もくれるなら、俺ならもっと面白い「ゴジラ」映画を

つくるぞ、と言っているのではないでしょうかね。

 

 

変えすぎなんです。 [No.278]

投稿者:Lans

- 2001/12/27 (木) 19:41

別スレでも書きましたが・・・

私はゴジラの属性は作品ごとに少しずつ、確かに変化していると思います。

でも、その変化はなぜ受け入れられるのか?

なぜ理解されるのか?

なぜ自然に思えるのか?

 

それは全て、説明があるからです。

1回説明した事を各作品でいちいちは説明していませんが

とりあえず変わった部分は説明されているはずです。

 

そして説明できたのは、その部分は少なかったからです。

そして何作も何作も創られ続けるうちにすこしづつ変わっていったのだと思います。

 

だから「受け入れられた」「理解できた」んだと重います。

 

はっきり言って今回は一気に変え過ぎ

説明しきれないんなら、最初から説明しきれない部分は変えちゃいかんです。

 

逆に言うと、説明しきれる部分だけを変えろと・・・

 

私はちゃんと説明されているのなら、多少の属性変更は認めます。

(GODZILLAだって、GODZILLAだけに説明を絞ったから、少なくとも今までのゴジラとは 「ココ がちがう」というのは判りましたよ。で

も今回のは・・・特に護国聖獣側の説明不足は致命的だと思います)

 

 

削除記事 [No.280]

投稿者:**

- 2001/12/27 (木) 23:36

  投 稿内容 削除

 

 

好き嫌いではなく [No.286]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/28 (金) 10:28

怪獣がどうあるべきか、という話にも絡みそうですが、それは項目を改めて掘り下げた方がいいですね。

 

『ゴジラ』の続編である、という発想で作るにしても『ゴジラ』でのゴジラにどんな「思い」が込められ ていた のか、

を真摯に追求する姿勢を持たないとニセモノになります。

ゴジラというキャラクターをどのように捉え、どう展開させるべきかを考えなければならないのです。

その答えは、『ゴジラの逆襲』以降のゴジラシリーズに見出せるのではないですか?

ゴジラを創造した先達は、たくさんのヒントを残してくれています。

ゴジラによって人がたくさん死ぬ暗い映画を作ってもいいですよ。(私の好みではありませんけど)

それでも劇中登場するゴジラが別物になる必要はないでしょう。

また、ゴジラというのが固有名詞であり、基本的にただ一頭の怪獣を指すのですからそのイメージの統一 も必要 です。

いまではいろんなゴジラがいるじゃないか、というのは結果論でしかなくて、

正しいことではないです。

 

私は1962年生まれで、チャンピオン祭り世代です。

「対ヘドラ」も「対ガイガン」も楽しみましたよ。

それでも、リバイバルで円谷作品に触れ、さらにはTV、特撮オールナイト、ビデオで過去の作品をもっ と楽し みました。

もうひとつ、子供のころであっても、元祖ゴジラは円谷監督が携わった(一人で作ったという意味ではあ りませ んよ)ものであり、

それが本物であるという「歴史観」を持っていました。

世代によって、初めて触れたゴジラを「一番正しい」と考えるとすれば、歴史観の欠如を責めなければな りませ ん。

これは、好みの問題なら最初に刷り込まれたものを一番いいと感じる人がいるのも仕方ないですが、

正統なゴジラはどれか、という判断とは別問題でしょう。

 

作り手によってゴジラ像にブレが生じるのは許容しなければならないとは思います。

それでも、正統なゴジラを目指そうとしたか否かは吟味されるべきです。

 

Lansさんの「説明」がうまく行けば変えてもいい、というご意見にはキャラクター展開の一般論とし て賛成 です。

シリーズ作品のキャラクターは、(広い意味で)成長するものですから変化して当然でしょう。

ただし、円谷ゴジラの場合は劇中での役割、または劇中人物の受け止め方(ひいては観客への見せ方)が 変わっ ていっただけで

ゴジラそのものの性格は変わっていないのではないかと考えています。

一部評論家が言うような、「三大怪獣」以降人類の味方になった、という事実はないです。

これも作品が示した状況と劇中のゴジラの意思を混同した見方であると思います。