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くくくkっくくくくくう [No.270]

投稿者:山さん

2001/12/27 (木) 13:42

 

この映画ね、護国三聖獣が早くやられすぎる。もうちょっと闘わないと詰まらん

子記事

 

 

 

そう・・・ [No.272]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/27 (木) 14:12

山さん(さん)初めまして。

 

バトル演出もなんだかなぁ、なんですよねぇ。

不完全燃焼って感じで・・・。


 

なぜに説明されなかったか・・・ [No.277]

投稿者:Lans

2001/12/27 (木) 19:29

 

さて、作品が全体的に説明不足であった事は既に書きました。

では「なぜ」こんな事になってしまったのか?

私は、この説明不足は全て属性変更から来ていると思っています。

 

属性を変更すると言う事は「なにが変わったのかを説明しなくてはなりません」ですが今回のGMKでは全ての 怪獣、全ての世界観を一斉

に変えてしまった為、作品内で説明しきれない事態を引き起こしたと考えます。

 

昭和期のゴジラ作品でもたびたび属性変更は行なわれてきました。特に「地球最大の決戦」においては怪獣が人 類側につくという大きな

変化を起こします。しかもゴジラ・ラドン・モスラを登場させつつ新怪獣としてギドラまで投入しています。

 

しかし、三大怪獣はストーリー破綻を起こしませんでした。それは従来怪獣の説明を必要最小限に抑える事が出 来たからです。地球怪獣

が人類の味方になったといっても、それは「過去の作品に立脚した上での変更」いわゆる「更新作業」に留まっ ていたからです。当時あま

りにも有名であった主要怪獣の基本説明は作中殆ど行なわれておりません。そして更新された部分だけを説明し ています。ですから新怪

獣の登場も含めて作品内で基礎部分の説明が完了したのです。

 

ですが今回のGMKは全てを変更しました。もう更新なんてもんじゃありません。そうなると今まで観客が覚え ていた知識に頼る事は一切

出来ません。ゴジラ・モスラ・バラゴン・ギドラの生い立ちから説明しなきゃならんのです。しかし、作品の時 間は限られています、そして作

品では、全てを描ききれませんでした・・・

 

あくまでも従来の作品は昭和・平成ともに少しずつ変更が加えられていったのです。

ですから説明が間に合ったのです。全てを説明しなくても、過去に説明されていた部分は新たに言わなくても OKで済んだのです。

 

それを、こんなに一気に変えてしまって・・・破綻して当然です。

 

ゲーム制作でもよくあるんですよ・・・

企画書に山盛り盛り込んで、実際には入りきれませんでした・・・

あっちこっちカットして最期は中途半端な作品になりましたってのが・・・

そして、それはクソゲーと呼ばれるんです・・・

 

それにしても、これだけ変えたら時間内に説明出来ない事は判らなかったのでしょうか?

 

ちなみにWebや雑誌記事、インタビュー、解説本などで捕捉されたって言い訳は通じません。

1年後、いや半年後にビデオやDVDになった時に始めて見る人は手元にそんなものは無いんですから・・・

これはTVシリーズなど長期間の連作ではなく、単発の映画に過ぎないのです。

子記事

 

 

 

偏向的変更(笑) [No.281]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/12/28 (金) 00:57

もしかすると、今回の「GMK」がゴジラ映画初見となる子供たちは、ギドラ、

モスラも「ああいうもの」だと理解しちゃうかもしれないですね。

 

そうなるともう、「いや、そうじゃないんだよ」ってところから説明してあげな

ければならない訳で。

いやもう説明自体が、この映画から「ゴジラ世界」に入った子供たちには必要無

いのかも知れないです。

 

で、10年ほど経ってゴジラ系BBSで、「キングギドラって昔は宇宙怪獣だっ

たそうです。皆さんは知ってましたか?」みたいな書き込みがなされる訳です。

 

諸行無常の響きが聞こえてくるお話でした(笑)。

 

でも、私が一つだけ「GMK」のゴジラで引っかかっているのは、清水市襲来時

において、アグレッシブに人間を殺しちゃったところですねえ。

過去のゴジラ映画では、明らかに人間を殺す目的でゴジラが放射火炎を吐いた事

は皆無だった筈で、個人的な要望を言えば、そんなゴジラは「いやーん」です。

アグレッシブに人を殺すって、宅間守じゃないんだから(´д`)。

 

 

ついでに書いておくと [No.282]

投稿者:祝 二十郎

- 2001/12/28 (金) 01:22

清水市襲撃に触れたので、もう1点気になったことを。

 

ことのほか評判のいい、篠原ともえ扮する「山口友恵」の狂気の演技ですが、私

も彼女の演技自体は誉めます。あの恐怖のあまり笑い出す演技は良かったっす。

 

でもしかし、何故ゴジラが迫ってくる病室で彼女はただ独り取り残されていたの

か?医者や看護婦や病院の職員は入院患者をほったらかして逃げてしまったのか?

あのシチュエーションであれば、帰りマンの「決戦!怪獣対MAT」みたいにな

らないとおかしいですよねえ。

 

それを考え出すと夜も寝られなくなっちゃう・・・ではなく、状況の不自然さが

鼻について、なーんかしっくりこないんですよね。

 

 

あのぉ~・・・すんませんが・・・ [No.283]

投稿者:どん亀工房

- 2001/12/28 (金) 02:16

>祝さん

私TVはほとんど観ないたちなのですが「篠原さん」ってのは有名な人なのですか?

歌手とかアイドルさんなのでしょうか??

何やらあのシーンを誉めてらっしゃる方が多いのですが、確かあの方はどこぞの島の民宿にいらっしゃってゴジ ラの被害に遭われ

た方じゃありませんでしたっけ?

何であの人が「ああいう目に」遭ったんですか?

マジさっぱりわからないのですよ。

 

 

無意味な変更 [No.287]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/28 (金) 10:31

GMKで開陳されるさまざまな伝奇的要素は結局整合することなく放り出されています。

そういう場合、作品の受け止め方として放り出された要素はキモではない、と考えるのが普通でしょう。

(それにしても、人間側がそんな放り出された要素を元にして行動していくのですから納得は出来ません)

それでは、作品のキモはなんだと考えれば、怪獣バトルでしかないはずです。

ゴジラが、バラゴン・モスラ・ギドラと闘う、という映画なのですよね。

それがキモなら、怪獣のキャラクター性を変える必要は、全く無いのではないでしょうか?

世界各地で怪獣らしき生物が姿を現しているのでしょう?

その世界観の中で「お馴染みの」ゴジラが出現し、珍しく地底怪獣バラゴンも出てきて、

怪獣災害を何とかせねばとインファント島のモスラに協力を仰ぐものの、宇宙からキングギドラまで来てしまっ て

さあ大変、というのではだめだったんでしょうか。

ゴジラが暴れるのをやめず、モスラ・バラゴンが協力してゴジラを抑えようとし、

キングギドラはゴジラを狙って闘いを挑むという構図でゴジラ対3怪獣になるでしょう。

防衛軍を出したければ出せばいいし、主人公がテレビ局のキャスターで怪獣生中継をやることにもなんら問題あ りません。

 

Lansさんの、変えるならやり方がある、というご意見にも納得ですが、

GMKは怪獣属性を変える必要も無かったと考えました。

 

シノラーのシーンに絡んで申し上げますと、

私は病院に運び込まれて来たときの狂乱ぶりに醒めちゃいました。

「ゴジラが来る~。みんな殺される~」とかなんとかわめきちらしますよね。

 

ゴジラによる恐怖って、そういう類のものだとは認識しておりませんでした。

GMKでは孫の手島のご一行さまが実際にゴジラ被害に遭う描写はありません。

彼らがどんな風にして死んだか、怪我をしたかは想像するしかないのです。

ひとつの手がかりは、トイレで踏み潰される温水さんですが、あのように一瞬にして

建物もろとも破壊されるのであれば、恐怖を感じる暇もないのでは?

 

山口友恵ちゃん(という役名だったんですか!?>祝さん)の恐怖にシンクロ出来なかったし、

あとで考えると、あのようにゴジラの名前を連呼して狂乱するような恐怖って、

ゴジラに執拗に追い回されたとか、ゴジラにつかまってキリキリといたぶられたというような

種類のものではないでしょうか。

 

 

篠原の事は知りませんが・・・ [No.288]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/28 (金) 10:48

亀さん、私もげーのー界には疎いので、篠原の事は知りませんが、

作品世界での話しを申しますと、確かに彼女は「孫の手島」にスキューバダイビングに着ていた若者ブループの 1人です。

 

劇中彼女は、卓球をしながら50年前、ゴジラが近くの島を襲った事を知ります。

そこで「同じ地球に住む生き物なのに、殺しちゃうなんて可哀相」とゴジラを哀れみます。

その直後、ゴジラが彼女らが宿泊している宿を襲います。

 

しかし、彼女は奇跡的に命を取り留め、本土の病院に収容されます。

ですが、結局ゴジラに襲われ死んじゃうのです。

 

非常に印象的に描かれていますね。

その他大勢の「死」とは違います。

また、バラゴンを可愛いと言った女性、赤い怪獣はゴジラじゃないと言った漁師。

みな、怪獣に同情したり、可愛いと言ったり、怪獣の事が詳しかったりした人達が印象的に描かれています。

そして、皆ゴジラに殺されています。

 

怪獣を可愛い、可哀相、怪獣に詳しい=怪獣ファン、マニア

そう私には思えます、そして、監督のメッセージが聞こえてきます。

「おまえら、死ね!」

そうは思いませんか?


 

見当違いの発言? [No.279]

投稿者:レグルス

2001/12/27 (木) 22:57

 

話が脱線するのは分かっているのですが、敢えて言わせてください。

 

それは、「本当に監督だけが悪いのか?」ということです。

もう脚本や造形に手が着いている段階で怪獣の変更を強いるなどした

上層部は批判されるべきではないのでしょうか。

顔が見えないので批判しにくい、というのはあるとは思いますが…。

 

問題になっている属性についても、バランなんかであれば

多分当初のプラン通りすんなり行っていたと思います。

(それを整合性を取れなかった脚本が悪いといわれればそれまでですが)

 

上層部にしても、

金儲け上の理由があるのでしょうが、駄作を幾ら作ったところで

利益を回収できるとも思えません。

毎年連続して制作するのならともかく、『2000』のような時でさえ…。

 

金がかけられない日本映画で、金がかかる特撮映画を

撮ろうというのですから、考えてみれば滅茶苦茶な話です。

せめて2年くらいの制作期間、時間の余裕くらいは与えて欲しいと

切に願っているものです。

 

スタッフも、金はあまりもらえなくてもゴジラ映画なら…

という意気込みの人は沢山いると思います(甘い考え?)。

 

もちろん、今回の特撮の“画”の、ガメラシリーズとの差は

特撮監督の違いだと思いますし、

色々な制約がある中で、それを感じさせない作品を作るのが

監督の仕事なのだとは思いますが…。

http://homepage2.nifty.com/st_reguls/

子記事

 

 

 

監督が悪いです [No.284]

投稿者:兄貴(赤)

- 2001/12/28 (金) 10:21

キングギドラとモスラが人気キャラだからそれらを使え、と強要したのは上層部でしょう。

ですが、GMKに対して私が不満を述べているのは、アンギラスやバランが出なかったことではないのですよ。

これが、当初の予定通りの怪獣で作られたとしても、結局ゴジラは残留思念で他の怪獣は「クニ」を守る神獣に なるわけでしょう?

脚本は金子監督1人で書いたものではないでしょうが、今回のキーワードとなっている残留思念とか神獣といっ た設定は、ガメラシ

リーズを見た人なら金子監督のアイディアである事を疑わないでしょう?

 

私はそれら設定や怪獣に対する考え方に不満を抱くのです。

 

ガメラ1(以降G1)は、私も好きな作品です。

この時は、「金子監督なかなかやるな」と思ったものです。

人間ドラマと怪獣対決を上手くバランスさせていましたし、特撮も良かったです。

(無論、不満点もありますが…)

 

しかしG2から疑問が出てきました。

一つは、ガメラの前足を翼に変形させた事です。

亀なんて元々空を飛ぶはずがありません、仮に前足が翼になっても亀がジェット噴射で空飛ぶ事の説明になりま すか?

怪獣ガメラは、亀の様な形はしているけど、空を飛ぶ生き物なのです、それで良いのです、それが怪獣というも のなのです。

それに対して、ナンセンスな説明を付けようとするから、陳腐な結果になってしまうのです。

 

GMKもそうですね、ゴジラは通常兵器では倒せないのは、昔から常識なのです。

だれも、その理由など求めていないのです。

 

ところが、金子という人は、何にでも説明を付けなければ気が済まない様で、残留思念だとか、そういった無駄 な説明をつけてしま

うのです。

怪獣に存在理由を求めているのですね、金子監督は。ですが、怪獣ほど理不尽な存在はないのですよ。

 

その「存在しえない生き物が仮にいたとしたらどうなるか?」という発想から怪獣映画は出発するべきなので す。

しかし、金子監督は「何故、怪獣はいるのだろう?」という発想で作品を作っています。

 

だから、ガメラでも全ての怪獣が何故存在しているのか説明しています。

そうなると、私の尺度では怪獣映画では無くなってしまうのです。

怪獣は、何故存在するのか、何故空を飛べるのか、何故火を吐くのか、分らないから怪獣なのだと思います。

それらをいちいち説明するような映画は、怪獣映画ではないし楽しくもないのです。

 

だから金子監督は怪獣映画を作ってはいけない人なのです。

正しい怪獣映画のあり方を理解していない人に、怪獣映画を作らせてはいけません。

 

 

デリケートな部分ですね [No.285]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2001/12/28 (金) 10:24

私が「作り手」というときは、作品の成り立ちに影響を及ぼす立場の人すべてを

指しています。

 

「監督」と限定するときは、監督個人の発言などを受けてのことです。

 

土壇場での出演怪獣変更というのは現場スタッフにとってはたまらないことだったでしょう。

それでも・・・・。

バランやアンギラスだったらまともな作品になったとも思えないです。


 

来年もよろしくお願いします [No.289]

投稿者:ghidorah(管理者)

2001/12/31 (月) 17:21

 

この掲示板も開設してから2ヶ月ほどがすぎ、書き込みして下さる皆様のおかげでかなりディープなお話が出来 る雰囲気が出来上がりま

した。

新年を迎えてもいましばらくは運営を続けるつもりですので、

言い足りないこと、話し合わなければならないと思われることなど、遠慮無く投稿してくださることを期待いた します。

 

私もようやく劇場公開版を見ることが出来ました。

その結果、反省&さらなる感想も湧いております。

正月ボケが直ってから再び気合を入れて書きこんで行く所存ですので、

建設的な「突っ込み」「批判」を下さい。

 

ゴジラ、そして怪獣映画の将来を考えるとき、GMKをどう捉えるかは非常に重要な分岐点といっても過言では ないと感じています。

 

衆智が必要です。

多くの意見を多くの判断に曝して、「本物」を探しましょう。

 

明日の特撮のために!

子記事

 

 

 

来年もよろしくお願いいたします [No.290]

投稿者:K4

- 2001/12/31 (月) 20:01

>ghidorahさま、皆さま

 

GMKに違和感を感じながらも、好意的な感想の多い私ではありますが

これも悪いところよりも少しでもいいところを大切にしていきたい

という性格ゆえ。

皆さんのゴジラ、怪獣映画に対する想いを痛感しつつ、どのような

怪獣映画であって欲しいか、考えさせられています。

私の意見に対しては、いろいろ反感もありましょうが

来年もよろしくお願いいたします。

 

皆さま、良いお年を。

 

 

あけおめ! [No.292]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/03 (木) 10:09

あ、どうも。>K4さん

 

いやもう、私もK4さんから反感を買ってるだろうなー、とは

わかっているのですが、

意見交換には対立がつきもので、対立すれば反感が生まれるのも当然。

 

そのとき、反感(不快感と言い換えてもいい?)嫌さに

思うことを言わないのが一番いけないことです。

 

K4さんとは怪獣映画観が違っているかもしれない、

分かり合うことがないかもしれない、

それでも堂々と意見をお話しくださるK4さんとは信頼関係で結ばれることが

出来るはずだと思っています。

 

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

明日の特撮の為にっ!! [No.300]

投稿者:Lans

- 2002/01/04 (金) 13:47

あけましておめでとうございます。

 

私も、ようやく自分の今回作品に対するスタンスと評価が固まったようでし。

 

「中途半端」や「説明不足」なら最初からいじくるな!です。

 

今回は失敗やおかしい点の「なぜ」を究明することにより、

「今後やってはいけない方向」というのを探していきたいと思っております。

やってはいけない方向が固まれば、おのずと進む道もまた見えてくるはずです。

(消去法ってやつですな)

 

そいいった意味でGMKはGODZILLAと同様に

反面教師として、とても「良い素材」に見えます(笑)


 

「大怪獣総攻撃」感想 [No.291]

投稿者:たまこん ・ 2002/01/02 (水) 16:21

 

 

はじめまして、たまこんと申します。

怪獣が好きな、40前の独身男です。

映画にも怪獣映画にもあまり造詣が深くありませんが、ひょっとすると何かの議論の材料になるかも知れないと 思い、今回の「大怪獣総攻撃」の感想を書かせていただきます。

 

 この映画を見て一番感じたことは、「なんで、こんなにわざとらしいのだろう?」ということです。

 

 そう思った第一の要因は、全編にわたって演技がクサすぎたことです。出演者のほとんどがあまり上手くない ということもあるんでしょうが、それにしてもひどすぎると思うのです。冒頭のBSデジタルQスタッフと村長たちのやりとりを見た時点で、どこかシラケ てしまいました。

 

 つぎにシラケるのが、「日本の学者はあれをゴジラと認めていない」のような、内輪受けなのか何かわからな いセリフと描写の数々。私は下衆な人間なので、あの手の下らない遊びは好きなほうです。しかし、本筋の演技がダラダラしているので、その下らなさが 「遊び」ではなく「たるみ」としか感じられなくなっています。

 

 真面目な?セリフでも、引っかかるものばかりです。

 ラストでの「残留放射能の危険がある」にしても、もしも放射能うんぬんを言うのなら、その直前でゴジラが バーストしている以上、あの付近一帯はチェルノブイリ真っ青の状況になっているはずです。直前がどんなシーンだったかも考えずにセリフを書いているの でしょうか?(それ以前に、立花の特攻->生還自体、納得するのは難しいですが。)

 

 演出でも、白々しく思えるシーンが多いです。

 怪獣に殺される人々のうち、その様子が詳しく描かれるのが、「ホラー映画で真っ先に殺されるような奴ら」 ばかりです。そのため、「殺されるために無理矢理出てきた」という感じがしてなりません。

 また、バラゴンとゴジラの戦いに巻き込まれて墜落するヘリコプターにしても、あんな描写を真面目なシーン だとして納得するのは、かなり無理なことだと思います。

 

 演出・脚本とも、ごてごてといらない飾りをくっつけて、やたらとイライラする内容になっていたように思え ます。

 

 怪獣の描写について。

 私は怪獣ファンなので、怪獣がかっこよく描かれていれば、後の部分がボロボロでもなんとなく納得してしま うのですが。

 私の、怪獣バトル映画としての「GMK」に対する評価を短くまとめれば、こうなります。

 

 「バラゴン・モスラ・キングギドラというスター怪獣を使って、昨年の『ラドンの餌』よりはるかに劣るバト ルしか作れなかったポンコツ映画」

 

 金子監督の怪獣バトルに対する考え方が、私の好みとは全く重ならないのは、「ガメラ2」「ガメラ3」を見 て判っておりましたが、しかしここまでへぼく見えるとは。

 バラゴンはいたぶられるだけ、モスラは飛んでるだけ、キングギドラはいいところ全くなし、というのは、い くらなんでもひどすぎるのではないですか。

 そして、肝心のゴジラはドリルミサイルで穴を開けられて、放射能火炎がその穴から吹き出して自爆するので すから、かっこよさもへったくれもありません。

 

 これって、ひょっとしてお笑い映画なんでしょうか。

 「怪獣映画」というものに対するパロディというか、そう言ったものとして見るべきものなんでしょうか。

 そういう疑問が浮かんでしまうくらい、わざとらしさが目につくのです。

 

 

子記事 5 10 15 20 25 50 100 無制限

 

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お正月から書きこみ、ありがとうございます! [No.293]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/03 (木) 10:13

たまこんさん、初めまして。

そして、明けましておめでとうございます。>ほかの皆さんにも

 

まだ正月態勢でじっくり書きこみ出来ませんので、

私の本格始動は週明けになります。

 

>演出・脚本とも、ごてごてといらない飾りをくっつけて、やたらとイライラする内容になっていたように思え ます。

 

>「怪獣映画」というものに対するパロディというか、そう言ったものとして見るべきものなんでしょうか。

鋭い指摘だと思います。

たまこんさんのこのご指摘から思うところもあります。

詳しく考えて、来週以降書きこんでいきたいと思います。

(怪獣映画に溺れすぎて、ジャンルとしての怪獣映画がわからなくなってしまった作品?)

 

さあ、いろいろ圧力もありますが、めげずに頑張るぞーーー!

 

 

 

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はじめまして [No.299]

投稿者:Lans

- 2002/01/04 (金) 13:35

Lansと申します。

 

>真面目な?セリフでも、引っかかるものばかりです。

>ラストでの「残留放射能の危険がある」にしても、

 

私も激しく同意します。

 

でも、もしかしたら、あれは

立花の娘に対する照れ隠しの為の言い訳だったのかも?

(あのまま飛びつかれてもどうすればいいのか判らないから)

 

と、あのセリフにはなんとか説明したとしても

引っかかるセリフは他にもありました。

立花准将らが潜航艇で出撃する際にも、残った兵が涙ながらに

「全部隊は残存する火力を集中しゴジラの浮上を阻止せよ」

という、「俺たちも最期まで戦うぞ」的な、とっても漢なセリフがありました。

ミリタリー的な哀愁と根性と意気込みを感じさせるカッコイイセリフですね。

 

で、ゴジラがラストに浮上した際に彼らは何をやっていたんでしょうね?(笑)

ホントだったら、

 

1)浮上してヒロインらの前にゴジラが立ちふさがる。

2)自衛隊、残存火力で全滅覚悟の集中砲撃

3)ゴジラ、自衛隊方向に向き直り、最大放射しようとして自爆

 

このくらいしないと・・・

「あのセリフはなに?」

となります。

 

また脱出にしても、放射能火炎はゴジラ体内から洩れました。

では、そこにいた立花の潜航艇はなぜ無事なのでしょう。

 

放射能火炎の発生源にいたのに・・・

たとえゴジラがバーストしなくたって無事な訳がないじゃないですか。

 

さらに・・・(キリがないかも知れないです(泣)

 

 

 

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親娘 [No.420]

投稿者:スットメ

- 2002/02/11 (月) 21:11

>残留放射能の危険がある

 

これは離れていても認め合う父と娘を表現しているのでしょう。

 

実務経験のない形だけの自衛隊の中で小型潜水艦に乗りこんで使命を果たし無事帰ってきた父。

同じく家庭で買える程度の機材で、国を守ろうとした父の様子を伝える娘。

 

触れ合うことはなくとも独立した立場でお互いの功績を認め合う様子を表していると思いました。


 

やっと観てまいりました [No.294]

投稿者:もりいくすお

2002/01/03 (木) 22:12

 

以前チラッとカキコしたもりいと申します。

やっと観て参りました。

観て、こちらの書き込み内容をいろいろ思い出し、いちいち

その是非に納得しました。

「ああ、ここは許せないヒトは許せないだろうな」とか

「だれかが言ってたとおりここはいいな」とか。

わたしはかなり好感度の高い映画でした。

とにかく近年のゴジラ映画よりはるかにクリエーターの情熱を感じる。

んま、その、勝手な情熱によって先駆者の築きあげたモノが犠牲になってるところもあります。

その他にも役者のヒドイ演技とか、突っ込みたい脚本いろいろ首はかしげるんですが、やはり総合的に情熱に負 けた。

個人的に嬉しいところがいっぱいあったんです。

スーパーXが出ないだけでまず及第点。ラストにウルフルズとか爆風じゃなく伊福部テーマが来たのもマル。

こわくてユーモアが無くて白目で頭でっかちなゴジラも目をつぶれました。どんな映画もつっこみどころってい ろいろいいシーンがあるとけ

っこう許せちゃうんです。

怪獣総進撃観たとき思ったんですけど怪獣出しすぎたのが失敗だったのかな?ここで指摘される消化不良を残し た。

でも、平成シリーズを観てなかったわたしには「サービス満点」な映画でした。はじめてゴジラ映画を観た25 才の部下(女)も初ゴジラを楽

しんでました。

往年のゴジラを愛する人にはいろいろ大胆な映画だったと思いますが、模型がダメなスーパーXなゴジラがきら いなわたしには楽しめまし

た。

http://www.kusuo.com

子記事

 

 

 

よろしくお願いします [No.302]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/07 (月) 12:13

すっかりレスが遅くなってしまいました。

 

再びのご訪問に感謝いたします。

 

そうそう!

エンディングに流行りのバンドの流行歌をつけなかったのは

良かったところですね。

一歩間違えると、大槻ケンジさんのバンド、特撮あたりが

イメージソングを請け負いそうでした。

(オーケンさんは好きですが、ゴジラ映画に主題歌はちょっと・・)

 

作り手の情熱は、確かに感じました。

力が入っているのだなぁ、とは思えたのです。

けれど・・。

「作品」として成立していなくて、いろんな発想を未整理のまま

並べられたように感じるのです。

これは、脚本だけではなくて、映像構成も全体を見通した統一感がないんですよ。

 

 

最後の音楽 [No.311]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/07 (月) 18:34

もりいくすおさん、こんにちは。

エンディングに伊福部先生の曲を流したのも、素直に喜べないんです私としては・・・

確かに私のような昭和ゴジラファンにしてみれば、伊福部ミュージックが聴けて嬉しいのですが、

それこそ、「あんたら、これが聴きたいんでしょ、聴かせてやるよ」と言われている気がするんです。

伊福部先生の楽曲の数々は、それを聴いただけで興奮するしゴジラを連想してしまいます。

それが、製作者側の目論見とも思えます。

「終わり良ければ全て良し」みたいな狙いがあったのではないか?なんてね。

本編はボロボロだけど、とりあえず最後に伊福部ミュージック聴かせておけば、面白かったような気分になるん じゃないか、みたい

な。

 

伊福部ミュージックで我々が興奮するのは、昭和に作られた作品群の面白さを連想するからです。

GMKは、今までのゴジラとは別物でした。

それなのに、最後に昭和のゴジラを思い出させる音楽を流される事で、益々今観た作品に違和感を感じる私でし た。

 

都合の良いところは昭和の作品に「おんぶにだっこ」で、中身は勝手にいじくり回したって感じです・・・

 

ただ、もりいくすおさんがおっしゃる様に、スーパーXが出なかったのは○です。

でも、もともと昭和作品にはスーパーXは無いですし、比べる対象を平成シリーズにするのか昭和黄金期にする のかで、だいぶ感

じ方が変るところでしょうか。

 

私は円谷監督、本多監督、関沢さんのゴジラが本流と考えますから、それをベースに考えるべきだと思います が・・・

 

 

兄貴(赤)さま [No.323]

投稿者:もりいくすお

- 2002/01/08 (火) 20:58

おっしゃること、ごもっともです。

で、昭和40年生まれといたしましては、

昭和ゴジラ作品と今回のGMKはまったく「別」と考えております。

なぜそうサッサと割り切れたか。

わたしにとって、

「テレテレテレ」と鳴かないバタくさい顔のキングギドラや

双子じゃない小美人、よくわかんないスーパーX。

そしてしょぼいジオラマ!!<こだわりのない模型

なにより、大森一樹のヒトをバカにしたような演出や本。

どれもこれもジェットジャガーを超える迫力で(あ、ビオランテ含まず)

こうした「属性変更」に、ああ、昭和のは昭和のなのだな。

と割り切りました。

だから今回の「GMK」の乱暴なリニューアルも

「勝手にやれば?」とゆったり観てたら意外に面白かったんです。

 

伊福部さんの音楽は平成シリーズこそ、へたくそにインサートしてて

拍子抜けしておりました。

先日、 GMKに一緒に出掛けた部下が「ほかのゴジラ映画も観たい」

というので

うちにあった「モスラ対ゴジラ」数年ぶりに観たんですね。

んもう、音楽の入れ方絶妙で、やっぱここに引き合いに出すのも

ヘンかなと思うほど、素晴らしかった。

金子監督のエンディングタイトルはむしろ

「ヘタな入れ方するなら最後タイトルロールで聴いていただきましょう」

と言う遠慮に感じました。

http://www.kusuo.com

 

 

訂正 [No.324]

投稿者:もりいくすお

- 2002/01/08 (火) 21:07

すいません

勢いで「属性変更」っつってますけど

ほんとは「設定(デザイン)変更」なんですよね。

いま、このBBSで熱い単語をわざと使いました。(^_^;)

誤解のないようにここに訂正いたします。

http://www.kusuo.com

 

 

そ~か~ [No.331]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/09 (水) 17:16

昔のゴジラとは別物と、割り切ってご覧になったという事ですね・・・

ん~、私には出来ないんですよねぇ・・・

だって、ゴジラなんだもんなぁ~

 

 

汚されたショックが初めてではなかった [No.332]

投稿者:もりいくすお

- 2002/01/09 (水) 17:53

汚されたショックは「GMK」が初めてではなかったんですね、わたしの場合。

メガロで顔がヘンなになって、あの内容になったところでまず「?」と幼い心に疑問を持ちました。

そして流星人間ゾーンで巡業に出てるゴジラを観て、わたしの中ではなにげに「本多円谷関谷伊福部ゴジラ」は 終わりました。

田中友幸ってヒトは少し××なんじゃないかな?とかも思いました。

「メカゴジラの逆襲」でじゃっかん丹精な顔立ちになったゴジラ(カラダはちんちくりん)さんは84年絶望的 な作品で帰ってきました。

これがカウンターパンチとなりました。

で、もうすっかりあきらめました。

ここで割り切ったんです。

あとは前のカキコにあるとおりです。

「きえ~」と鳴く西洋くさい顔のギドラが嫌いだったわたしは、今回のギドラが宇宙大怪獣じゃなくてもデザイ ンが気に入ったので許

しました。

昔の鳴き声も少し聞こえてたし(<これがよかった!平成ギドラも実はそうなんですか?)。

なんか乱暴されたあとの無防備状態とお考えください。

 

節操のない東宝のことだからまた次の監督が属性を元に戻した設定で新作をだれかに撮らせるのかな?

などと前向きに考えております。(^_^ )

http://www.kusuo.com

 

 

分ります、分ります。 [No.333]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/09 (水) 18:44

私も「対メガロ」で死んだ口なんです。

私は怪獣の造型より、あの貧乏臭い映像と、あまりにも幼稚なストーリーで子供ながら「もうゴジラは終った」 と思ったのです。

円谷監督亡き後は、もはやゴジラの存続も無理なのかと思いました。

だから、それ以降の作品を観るのを止めてしまいました。

 

後にビデオで「メカゴジラ」を観て、「これなら劇場で観ればよかったな」と後悔したものです。

「ゾーン」に御出演のゴジラ君に対しては、毎週お茶の間でゴジラに会える喜びの方が勝っていました。

でも、流石に途中で飽きてきましたが・・・

 

84ゴジラは「復活」と言う事で、大いに期待したのですが「つまらなかった」です。

エンディングの「歌」でノックアウトでした。

でも、その後少しずつ良くはなってきたんですよ。

満足とは言えないけど、それなりに楽しめる作品でした。

「VSメカゴジラ」「VSキングギドラ」なんか、そこそこ楽しめました。

ちなみにキングギドラの鳴き声はラドンでした・・・(汗)

 

私にとってゴジラ映画のワースト1は「対メガロ」です。

だけど、そのメガロとて映画としては、ひどかったけどゴジラはちゃんとゴジラでした。

その部分においては、GMKより「対メガロ」の方が許せるんです。

 

 

ああ、メガロ [No.336]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/09 (水) 23:45

あの映画を見た後で、泣きながらシャワーを浴びたっけ・・。

 

でも、堕ちてはいけないと必死に自分を励まして・・・。

 

わたしはミル~、夜の女ぁぁぁ。

(なんのこっちゃ)

 

 

ありがとうございました [No.339]

投稿者:もりいくすお

- 2002/01/10 (木) 02:23

管理人さん、兄貴(赤)さん、レスをありがとうございました。

ここまで話してやっぱり「GMK」って禁じ手、ってか失敗というか

とにかくエメリッヒGODZILLAみたいな、

ああだから「大怪獣総攻撃」の看板を「ヨンガリ」とかに変えとけばケンカにならないとか、そういうシロモノ だったようですね…

あまり手放しで「あのゴジラ映画面白かった」って言わないよう慎重に行こうと思います(^_^ )。

http://www.kusuo.com

 

 

お礼を申し上げるのはこちらの方です。 [No.340]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/10 (木) 09:58

こんなヘビーなBBSにおいで頂いて、本当にありがとうございます。

実は先ほど、もりいくすおさんのHPを拝見いたしました。

イラストレータさんなのですね。(すみません知りませんでした)

 

「しゃがみ美人」に萌え萌えしちゃいました(^^)

HPにBBSがあれば、御挨拶をと思ったのですが、無いようなのでこちらに書きました。

 

また、いつでも遊びに来て下さい。

 

(25才の部下(女)の方って、HPで紹介されてるパートナーの人ですか?・・・かっ可愛い)


 

無意味な変更 [No.297]

投稿者:Lans

2002/01/04 (金) 13:02

 

前回のが長くなりましたのでスレを変えます(w

 

今回の属性変更が説明しきれていなかったという点は前回突っ込みましたが、

「説明できればよいのか?」

と言う疑問も頂きました。

そこで、私の考えですが・・・

 

基本的には「説明できれば良い」が私のスタンスです。

ただし!ただしですよ。

これの意味する事は

「説明しきれない事はやってはいけない」

という事につながります。

 

今回のGMKは説明できていませんでした・・・

これが「説明しなかった」のか

「説明できなかった(しきれなかった)」のかで

大きく捉え方は違ってきます。

 

ちなみに私はGMKは

「説明出来なかった」と思っております。

これは全て今回の属性変更の巨大さから来ているとも思っていますので

「説明しきれないなら最初からいじくるな!」

というのが私の最終的な言い分となるわけですね。はい。

 

で、説明しきれる部分だけならOKなわけですが、

1作品で説明可能な範囲はたかが知れています。

もしゴジラの属性を変えるならば

ゴジラ単体で1作品つくるぐらいの意気込みでなければ不可能だと思います。

 

そして、そこまでやるのならば

私は「そういった作品として」評価するのですが・・・

(ちょうどGODZILLAが立場的に近いですかね)

 

この辺りがGMK、GODZILLA共に大きな属性変更を行ないつつも

私が評価を大きく異にする所以でございます。

子記事

 

 

 

架空のキャラクターを「生きさせる」には? [No.303]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/07 (月) 12:20

属性変更の是非論に関しては、

もはやGMKという作品を離れて

劇中キャラクターの一般論とか、

怪獣論、ゴジラのキャラクター性とはなんだ、なんて方向で

きっちり詰めたいと思っています。

 

で、この掲示板、GMKを語るというタイトルではありますが、

GMK作品論を終えたあとで怪獣映画・特撮映画の方法論を

考える場として続けてみようか、などと思っています。


 

で細かい点(その1) [No.298]

投稿者:Lans

2002/01/04 (金) 13:17

 

で、ここいらで細かい点を言ってみます(汗)

 

その1

清水襲撃ですが、兄貴しゃんや大勢の方々が、

ゴジラが積極的に人間を襲った事に異を唱えております。

 

ですが、私には、そんなにゴジラが積極的であったとは思えないんです。

 

あのシーン、おばさんの悲鳴から始まって

上空視点(つまりゴジラ視点)に移りました。

その際に悲鳴やクラクションなどが「不協和音」として

神経をさかなでる、いらつかせるような演出がなされました。

 

という事は、ゴジラにとって

「なんだ、こいつらウザイ!」

というような感じであったと思います。

そこで、今回の不良ゴジラ君は、威嚇を含めて放射能火炎を吐いた

というように思えました。

 

当然、人間ごときに放射能火炎じゃ結果は見えておりますが・・・

 

結局、ゴジラにとって人間は小うるさい蚊とか蟻のようなもんなのでしょう。

人間だって、蚊が耳元でプ~ンとくれば殺虫剤も撒くでしょう。

そんな感じだったんではないでしょうか?

(1作目の発砲警官や群集に吐いたのと同様な理由?)

 

それよりも、私は、この清水のシーンに大きな疑問があるのですが・・・

それは・・・

 

なぜ、あの放射でキノコ雲発生?

なぜ、他のシーンでも何回も放射してるのに

他ではキノコ雲の発生がないの?

 

キノコ雲、あそこで出した意味ってほんとにあったの?

へたに象徴を具現化するのはいいけど、

後々の描写との不都合は無視していいの?

観てる方は「ヘン」にしか見えないよ。

あのシーンだけが作品から浮いてみえる。

取って付けに見える。

 

つまり「白々しくしか見えない」です。

子記事

 

 

 

キノコ雲 [No.304]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/07 (月) 12:25

そう・・。

あのキノコ雲については以前わたしもちらっと書きましたが、

確かに、放射火焔を吐く寸前まで見せておいてから

視点をどんと引いて遠く離れた人物がキノコ雲を見る、

という映像構成の驚きは認めます。

 

しかし、あまりにも感覚的すぎるのです。

その演出を成功させるためには、キノコ雲があがることに

筋が通っていなければなりません。

Lansさんが指摘しているように、その後はキノコ雲が出来ませんし、

ゴジラの放射火焔そのものがキノコ雲を作らないなら、

一発目の雲がどうして出来たのか?

 

ゴジラについての事前知識があると、

キノコ雲があがった瞬間に「変だな」と思いますし、

逆にキノコ雲を不自然に思わなければ、

そのあとの描写に違和感を覚えるのが自然でしょう。

 

私の場合は、キノコ雲を見たとき、

えっ?なんで??と一瞬思ってから、

あ、今度のゴジラはそういうことにしたのね、と頭を切り替えたわけです。

ところが、その後キノコ雲は出てきません。

 

映画において、整合性を破ってまで強引にあるイメージを見せる、という手法は

あり得ます。

しかし、それは一番重要な「なにか」を理屈抜きに訴えるときしか使ってはいけません。

劇映画というのは、多分に現実のシミュレーションという側面を持っていますから、

理由無く理屈に合わないことをやってはいけないというのは、基本中の基本です。

ストーリー展開にしても人物の性格にしても、ある前提(設定)から導き出される

シミュレーションであるべきです。

そんな約束事を守らないストーリーはデタラメといわれるのです。

しかし、一つの例としてチャップリンの『独裁者』(先日テレビで放送していたので

ご覧になった方もいるのでは?)を挙げますと、

主人公の床屋が自分とそっくりな独裁者のかわりに国民を前にして演説するラストシーンは

人物造形の整合性を壊しています。

それまでのドラマからは、あの気の弱い床屋が強い口調で平和を訴える演説をするはずが

ないのです。

チャップリンは、物語を壊してまで観客に訴えることで一番大事なことを強調しているわけです。

これによって、ラストの演説がストーリーから分離し、誤読の余地のないものになるのです。

同じ様な例は『世界大戦争』にもあります。

この映画では、一番最後に字幕で(要約すると)「これは全部ウソの話です。こんなことを現実にしないように

人類みんなで戦争を押しとどめましょう」というメッセージが表示されます。

すべからく物語というものは、お客さんにそのストーリー世界を現実だと思わせるように目論んでいるもので す。

その大前提を打ち壊してまで、訴えたいものがあったということです。

 

では、GMKのキノコ雲はなんだったのか?

ゴジラ登場からさほど時間をおかずにキノコ雲を出していること。

あのシーン以外には核兵器を連想させる描写は皆無であること。

すくなくとも、GMKという作品全体が核兵器の是非を云々するものではないことは

明らかでしょう。

焼津(第五福竜丸のポスターを強調している)から清水(キノコ雲)で初代ゴジラへの仁義をきった、

という程度の意味でしょうか。

その程度の意味合いなら、放射火焔の「効果」には整合性を持たせるべきです。

キノコ雲を見せたかったら、キノコ雲があがるほどの爆発性の対象に放射火焔を吐かせるべきです。

 

 

異議あり!(笑) [No.312]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/07 (月) 18:54

あのシーンまでゴジラは火炎を吐いてないんですよね。

さんざん引っ張って、初めて吐くのが人間に対してなんですよ。

しかも、そのあとキノコ雲・・・

 

演出意図として明らかに、ゴジラは人間に対して敵意を持っていることを表現しようとしていると思います。

そこがヤッ!なんです。

たまたま人間に対しても火炎吐きましたって演出じゃないですよ。

その前も何度も火炎吐いていたなら、Lansさんの説もうなずけるかもしれませんが・・・

 

さらにキノコ雲です、誰が観ても原爆を連想します。(実際かとうかずこさんがセリフでも原爆と言ってます)

多分(推測ですが)、製作者はゴジラ=原爆のイメージを観客にアピールしたかったのでしょう?

 

ですが、今回の作品の趣旨はそーゆーモノではなかった様な気がするのですが・・・

戦没者の思念が原爆のイメージなの(??)訳分りません。

結局、そのシーンごとのイメージだけで撮影してるから、作品全体を統一したものが無くなっている気がしま す。


 

おめでとうございます [No.301]

投稿者:どん亀工房

2002/01/06 (日) 20:05

 

>管理人さん&ミナサマ

遅れましたが、おめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

どうやらGMKはそれなりのヒットは間違いないようでちょっぴり複雑。(笑)

 

あの作品を「手放しで絶賛する」ことはやはりできません。

しかし少なくとも「ああいうゴジラ」を「待っていた」と評するファンが少なからず・・・どころかかなりいた というのは正直意外でした。(笑)

 

でもなあ、「賛否両論真っ二つに分かれる作品」を作っちゃったことまで誉めないで欲しいなあ。

ゴジラは単発ものの映画じゃないんだから。

1作ごとに主役の設定がころころ変わることを肯定してしまったら、いつかは「とんでもない」ゴジラを観るこ とになる危機感は忘れないで欲

しい。

現にトラゴジでそれは経験済みじゃなかったのだろうか?

 

シリーズってことでマンネリを恐れるあまり、表向き「初ゴジ」さえ踏襲していたら「何でも有り」っていう作 りのゴジラばっかり作られていく

ことは、オヤジ・ファンにはかなり辛いんですよね。(笑)

子記事

 

 

 

本年もよろしくお願いいたします [No.305]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/07 (月) 12:31

あけましておめでとうございまーす。

 

私も、あんなゴジラを待っていた的な発言にはびっくり仰天です。

そういう受け止め方をしている人も、

今回のゴジラが従来のゴジラとは「ぜんぜん」違うものだというのは

認めているのでしょうか?

それとも、(少なくとも)初代ゴジラはあんな奴だった、という認識なのでしょうか。

 

どちらにしても、私には理解不能です。

従来のものとは変わってしまった、と認識しているなら、

その人はもともとゴジラが好きではなかった、ということでしょう。

怪獣映画が好きだったとしても、ゴジラシリーズにおけるゴジラという怪獣には

不満を持っていたわけですよ。

つまり、ゴジラとは違う怪獣の登場を待っていた人ではないでしょうか。

(あるいは、ゴジラという名前さえ付いていればなんでもいい?)

 

GMKゴジラを初代ゴジラと同一視出来るとなると、映像を見ていない(外観の違いを

無視している)、芝居を見ていない(ゴジラの性格を受け止めていない)人だとしか

思えないですね。

 

こういう部分を「個人差」で片づけてはいけないです!(きっぱり)

 

 

ども [No.313]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/07 (月) 19:04

シリーズマンネリという言葉をよく耳にします。

マンネリから抜け出るために属性変更もやむなし、という声も聞こえます。

 

先日「怪獣大戦争」を観ました、「三大怪獣」の直後に同じ怪獣を使ってよくぞここまで違う映画が作れるもの だと改めて感心しまし

た。

ですが、怪獣の属性は変っていないですよね。

物語が変っているのですよね。

同じ怪獣を使って、いかに違う物語を作るのか、これが製作者の使命じゃないのかな・・・

 

怪獣を変えて、今までとは違う斬新な映画にしましたって言われてもねぇ・・・

「私は才能無いです」って言ってるようなものです。


 

懺悔と言い訳 [No.306]

投稿者:ghidorah(管理者)

2002/01/07 (月) 14:30

 

改めてGMKを見直した結果、初見では意識に残っていなかった部分があることが判明しました。

 

その1。

K4さんが気が付いたように、謎の石がギドラ用(?)の地蔵の一部であることがかなりはっきりと映像で伝え られていました。

由里と武田が石について話し合うシーンの最後のカットが石のアップで、つぎに自殺志願者のシーンに切り替わ るわけですが、その最初

のカットが一部が欠けた地蔵の頭のアップでした。

もうひとつ、由里が石に触れて老人とギドラを幻視するところでも、

最初に地蔵の頭のアップが光とともに挿入されています。

 

ここまではっきり映像で関連性を伝えていたのに、なぜ一回目に気が付かなかったか。

これは、懺悔。

で、なぜ、と考えてみたら、最初のほのめかしのところでは、石についての話し合いに

石に記憶させる→人間の意識を石に封じ込める→それを解放する→神獣に憑依させる、

という具合にセリフのみで「ちょっと待て、どういうことだ?」とこちらを考えさせる設定が連発されていたの で、考えているうちに石と地蔵の

関連を示すカットつなぎが流れてしまったのではないかと思われます。

次のほのめかしは、光の効果とともに一瞬地蔵の頭が見えるので、

一回目にそれと意識していないとちょっとなんのことやらわからないのではないでしょうか。

 

ただ、あの石が地蔵の一部であることがわかっても、結局地蔵がどういう意味合い、機能を持っているのかが示 されていなければ「ネタ振

り」にもならないんですけど。

 

その2。

由里が自転車で渋滞する車の横を走っていくカットってあったんですね。

もちろん、以前申し上げたように、由里が自転車を買う動機が車での取材続行が不可能(武田が車を貸さないか らではなく)だから、とい

う構成が出来ていないことと、

車が並んでいるカットの画面内に緊張感がない(わりとロングで見せているので車も人も混み合っているという 印象になっていない)ため

に自転車の有用性を示すシーンになっていないです。

いや、まあ、すっかり忘れているカットがあったことは懺悔します。

 

(ここで、懺悔の神様が両腕を×にして、頭の上から生ぬるい水がざばーー!

全裸になった私が懺悔の神様の代わりに台に立って「放送できるもんなら放送しやがれ」と逆ギレ)

 

うーん、ストーリーのおかしな部分はもうわかっているわけですが、今度は映像や怪獣の××なところが意識さ れて、やっぱりおもしろくな

かったですよ。

(詳しくは今後書きます)


 

初めまして。 [No.314]

投稿者:村田 耿介

2002/01/08 (火) 00:49

 

『GMK』公開直前頃から拝見しておりましたが、お初に書き込みさせていただきます。

 皆様の意見交換、興味深くまた大変面白く読ませていただいてます。特に今作におけるゴジラの属性変更につ いての議論には、感銘

を受けました。

 私は77年生まれでして、平成シリーズから入ったクチです。初めて観た時からゴジラは放射能をエネルギー として生きているものでし

た。後に初代を観た時も、そのイメージを引き続き持ち続けていました。平成シリーズが幾作品もかけて作った 「ゴジラ」とは何か、という

設定はリアルタイムで『デストロイア』まで観た当時の私にとってはそれなりに説得力がありました。

 その後に平成シリーズの設定を嫌っている、容認していないという意見に触れ、なるほど旧作のファンの方な らそういう感想を抱くことも

あるだろう、と実感としてではないにしろ、気持ちはわかるぐらいに思っていました。

 

 ところが今作『GMK』における設定の改変は、平成世代の私にもまったく容認しがたいものでした。こちら で既出の御意見ですが、放射

火炎の映像処理。白眼ならば凶悪そうに見える、という安易とも言える発想。また「太平洋戦争の怨霊」という 設定は明らかに初代のテー

マに反するものと思われ、映画誌等で「正しく初代の設定を踏襲している」などという意見を読む度に首を傾げ ておりました。

 自分なりに違和感を処理するまでずいぶんと時間がかかりましたが、こちらでの議論を読むことがずいぶんと 助けになりました。この場

を借りてお礼を申し上げます。

 結局あれは、ゴジラではなくて闇の神「バガン」で良かったんではないかな~などと今になって考えたりして おります。拙サイトにちょっと

した感想を書いております。ほとんどこちらで語られた内容ですが、御一読いただけましたら幸いです。

 

 では乱文ごめん下さい。

 

 

追伸

 下の方にオーケンの話が出てますが、『特撮』が主題歌を請け負った韓国の怪獣映画『ヤンガリー』は、観て いて腹がよじれるほど失笑

したどうしようもない映画でした。ギャグとして観れば大変面白いので、御興味ありましたら御覧になってみて ください。

http://www.ne.jp/asahi/chateaudif/toki0504/

子記事

 

 

 

ようこそいらっしゃいました。 [No.316]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/08 (火) 15:34

村田さん、始めまして、兄貴(赤)と申します。

HP拝見させて頂きました。

GMKに対するご意見興味深く読まさせて頂きました。

まだ御若いようですが深い見識をお持ちで、40男も唸ってしまいました。(むぅ~)

村田さんは、特にゴジラにこだわりを持っている方では無い様ですが、映画や小説等沢山ご覧になられてるので すね。

 

GMKの問題点は「ゴジラ映画」としての問題点以前に、「映画」として破綻している点を指摘しているあたり 感心しました。

この様な映画を「最高傑作だ」などと褒め称えている方もいらっしゃる様で、「映画」「物語」はどの様に表現 するべきかを知らぬ、な

んともおめでたい人がかくも多く存在する事に驚いておます。

 

またいつでも気軽に、遊びにおいで下さい。(あたしゃ、管理人じゃありませんが)

 

 

ごあいさつが遅れました [No.320]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/08 (火) 18:33

こちらこそ初めまして。

本日はあまりパソコンに向かう時間が取れず、未だ村田さんのHPを拝見しておりませんが、

近いうちに必ず読みに行きますね。

 

そうでした。『ヤンガリー』のイメージソングを「特撮」が担当していたのですね。

『ヤンガリー』はとうとう見に行けずじまいだったもので、すっかり忘れていました。

衛星放送で流してくれないかなぁ。

 

また是非なにか書き込みしてください。どうぞよろしく。

 

 

読みました! [No.326]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/09 (水) 09:47

村田さんのGMK評を拝読いたしました。

 

うーん、鋭い!

これまで私が書いてきた方向は、映画作品としての「結構」を論じるという向きであり、

GMKが含んでいる「内容」にはあまり触れないものでした。

怪獣の設定や属性の話は、既存の怪獣を流用しているというシリーズ作品の「結構」としてどうなのかを考えた 結果です。

それは、作品になにを込めるのかは作者の自由であり、その是非は鑑賞の範疇なので出来不出来とは別のことと して考えたいと

いう思いでありました。

 

しかし、しかしですよ。

村田さんがご指摘なさっている欠陥は的を射ています。

「戦争」「平和」「社会」についての洞察が浅い作品であったことは確かだと思います。

みなさんも、村田さんの評論をお読みになることをお勧めします。

 

感情的な言葉遣いもおありですが、その部分で「不快だ」と切り捨てずにきちんと内容を受け止めることを望み ます。


 

視点を変えて・・・ [No.315]

投稿者:K4

2002/01/08 (火) 10:48

 

私がGMKを全面支持ではないものの、こういうアプローチもありだ、と思ったことを

少し違った話題で考えてみたいと思います。

ここにいらっしゃる皆さんはクルマ好きでもあるようなので。

 

現在の「ホンダ」どう思いますか?

私の友人の間やWEB上(YAHOO他)などでも、最近のホンダについては賛否両論に評価が分かれてます。

ホンダ、といえば誰もが真っ先に本田宗一郎氏のことを思い浮かべるでしょうし、

それはホンダ魂(スピリット)ということで表わされるところでもあります。

常に大衆のためのクルマ作りと同時に、市場に対し他のメーカーと違う「挑戦」がそこに

あったと思います。

90年代初めにいわゆるRVブームがあったとき、RVなんかクルマじゃない、と言わん

ばかりに頑なにRV参入をしなかったホンダですが、どうにも行き詰まり94年に

クリエイティブムーバーと称し「オデッセイ」を発売。ここから逆襲に転じました。

一方でタイプRやS2000など、挑戦的なクルマ作りも続けてファンは安心してもいた

のですが、このところの2世代目にはいったラインアップの保守的なモデルチェンジや

モビリオにみられる市場迎合型の新商品にガッカリした人も多いはず。

最近で「らしい」のはフィットくらいでしょうか?それでも・・・なのですが。

「ホンダ」という企業が大企業へ育っていくのは時代の流れ。

それでも「ホンダらしさ」本田宗一郎氏がつくりあげたホンダスピリットというのは

持ち続けて欲しい、と思うのが旧来からのファンの願うところだと思います。

ところが新聞によると、最近の若い人、ホンダに就職する人はオデッセイ以降のホンダしか

知らず、F1に参加していることさえ業績の悪化要因だと反対する人も少なくないそうです。

新入社員が買う車もミニバンが圧倒的に多いとか。

市場の求めるクルマ作りに転換し、業績を大幅に回復、優良企業へと成長したホンダの

やっていることは時代の流れで仕方ないことなのか?

「ホンダ」というブランドを作り上げた「オヤジ」本田宗一郎氏のスピリットを持ち続けた

挑戦的な商品だけを出し続けて欲しい、といういのは古いファンの戯言なのでしょうか?

現在でもホンダスピリットは流れ続けている、という見方をする方もいるでしょうが

現在のラインアップにおいてはそれは薄まっていると言わざるを得ないと思います。

私はワンダーシビックや初代シティ、2代目プレリュードの頃のホンダ車に影響を受けている

世代ですが、今のホンダのクルマに共感できるクルマが少なくなってきています。

(ホンダが作るクルマだから、ミニバンだって他社とは違うんだよ、という人もいるかもしれませんが。)

でも明らかに今のホンダは、時代の流れと共に変わってきています。

世間一般的にそれを支持している人が多いのは、販売台数が増えてきていることで現れています。

これは正しいことなのか?それとも間違ったことなのか?

強引な比較かもしれません。工業製品としての自動車と映画の世界を比較するのは。

でも、人々に支持されている「商品」であり、それを初期の段階に決定付けた

誇るべき「人間」がそこにいる。それを知っている人間は、そこに常に原点を求めるし

それを引き継いで、つくり続けるものにも同じことを求める、もしくは尊重したモノ作りが

されるべき、と考える点で共通するのはファンの想い、ということでしょうか。

正しいのは、古くからのファンなのでしょうか?

ブランドは引き継ぎながらも時代はこういうものを求めていると(思い)

新しい解釈を試みる製作者側なのか?

おそらく正解はないのだと思います。

人によってこうあって欲しいという思いや、理想とする精神、最終的な着地点は違うのでは

ないでしょうか?

 

正直、自分の嗜好とはGMKは少しズレてますし、細かい点で不満や納得いかないところが

ないわけではありません。ホンダもそうですね。

でもまったく理解できないものばかりではないのです。

こういうアプローチもあるだろう、と「ゴジラ」「ホンダ」の可能性のひとつとして受け止める

ことが出来たのです。

子記事

 

 

 

ホンダを変えたもの、ゴジラを変えたもの [No.317]

投稿者:どん亀工房

- 2002/01/08 (火) 16:56

>K4さん

 

ホンダ・ファンの例え、面白く拝見いたしました。

 

確かにゴジラ・ファンと似た部分はありますよね。

 

じゃあホンダに古くからのファンを切り捨てた商品展開に踏み切らせたものは何だったんでしょう?

 

世の中のブーム?他社が作って売れてるからホンダも作った??ホンダも好きだけどトヨタでもいい顧客を取り 込むため???

 

結果的に「商売」でやってるホンダは、不特定多数の顧客の顔色を計算して「変えた」んですよね。

 

これをゴジラに言い換えるとどうなんでしょう。

 

金子さんは「不特定多数の顧客の顔色を計算してああいうゴジラに変えた」のでしょうか?

 

私にはどうも彼が「好き勝手」やった風にしか思えないのですよ。

 

いえ、映画監督というのがそういう権限を持ってるのはわかるのです。

 

いかにも狙ったようなオープニング&エンド・クレジット、トラゴジへの皮肉、やたら目に付いたカメオ出演。

 

確かに「ゴジラ・ファン」が喜びそうな「特別装備」はいっぱい付いていました。

 

なのにその本体ときたら、今までのゴジラが引き継いできたものをばっさり!

 

ああまでする必要があったのでしょうか?

 

あれを絶賛される方はその本体を誉めていらっしゃるのですよね?

 

 

私、GMKを完全否定してるわけではありません。

 

あの日、国際映画祭での上映が終わったとき、それなりの満足感と得体の知れない違和感に包まれました。

 

ここへお邪魔するようになってから、違和感の方は少しづつ解きほぐされていくのを感じてます。

 

しかし、他のBBSでの絶賛される言葉ではどうにも自分があの時感じた満足感を説明できないのです。

 

「こんなゴジラを待っていた」わけでも無かったし、ストーリーは感動どころか笑っちゃってましたもの。

 

どんな発言もピンとこないというか「それじゃないよ!」って感じなのです。

 

私が感じた満足感って何だったんでしょう?

 

本当にだれか的確な言葉で表現してくれませんかね??(笑)

 

 

まとまりのない書き込み、すいませんでした。

 

 

私は、こう思うけど・・・ [No.318]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/08 (火) 18:10

K4さん、こんにちは。

ホンダとゴジラのお話し、楽しく読まさせて頂きました。

私も車好きですし、以前はインテグラに乗っていましたから、なるほどなるほどと、うなずく部分もありまし た。

(まあ、最近のホンダ車にあまり魅力を感じなくなりRX-7に乗り換えたのも事実ですが)

 

さて、私もK4さんに習って少しホンダとゴジラの話しを…(笑)

本田宗一郎さんがホンダという会社を創立しました。

これは、

円谷監督が怪獣映画というジャンルを確立しました。

と同じではなかろうか、と思います。

 

シビックやインテグラ、軽自動車、NSXといった一般大衆車からスポーツカーまで作りました。

 

ゴジラやラドン、モスラ、キングギドラなど色々な怪獣を作りました。

 

ですが、お二人共他界なさいました。その後は…

 

オデッセイやRVも作るようになりました。

 

ガイガンやメガロ、メカゴジラ、ビオランテ、スペースゴジラなどが作られました。

 

これらは、お二人がいらっしゃれば、本当に作られたか怪しいと思いますが、時代の流れでやむなく作ったかも しれないとも思えま

す。

 

ですが、シビックは今でも大衆車ですし、NSXはスポーツカーです。

6人乗りのバスは、オデッセイという車で対応してます。

 

ところがGMKはどうでしょう?

創設者が作ったモノを勝手に改ざんして、NSXという名のバスや、シビックという名の軽トラックを作ってし まったのです。

これは、好き嫌いの問題では無いと思います。

やってはいけない事です。

バスが作りたかったから、ホンダはオデッセイを作ったのです。

ならば、戦没者の思念が怪獣と化す話しを作りたいなら、新しい怪獣でやりなさい、と言う事です。

 

商品やキャラクターには、アイディンティティーがあります。

だからそこに好き嫌いが生まれるのです。

毎回モデルチェンジのたびに、スポーツカーになったりバスになる車は、NSXという名前の意味を失うので す。

 

金子監督はやってはいけない事をやったのです。

円谷監督の墓前に赴きお詫びをするべきです。

 

 

うーむ [No.321]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/08 (火) 18:45

K4さんの考え方、それ対するどん亀工房さん、兄貴(赤)さんのご意見、私からなにか付け加えることもない です。

 

そして、確かに、GMK絶賛という方の発言を読んでも、「それなら納得」と思えるような、私の範疇を超えた 視点がないんですよ。

いやー、皮肉とかそういうのではなく、本当にどうして面白いのかわからないんです。

 

なんとか、どん亀工房さん自らが、ご自身が鑑賞直後に感じた満足感を解明してみるというのはいかがでしょう か。

 

 

長文駄文、多謝・・・ [No.322]

投稿者:K4

- 2002/01/08 (火) 20:13

どん亀さんからのレスを読ませていただきまして、例えの選択をもっとしぼれば良かったかな

と思いました。

ホンダではありませんが「スカイライン」のほうがピッタリかもしれませんね。

ご存知、桜井真一郎氏(これはある特定の年代を更にしぼってしまうか・・・・)

が作り上げた名車中の名車も代を重ねるごとに、マーケットに流されてモデルチェンジ。

社会情勢(オイルショックとか)の影響もありコンセプトもあいまいになったり、

ソフトマシーンになったり。

桜井氏の手を離れ原点回帰をはかったR32と呼ばれる車種は評価が高かった一方で

(声の大きい)マニア向けのクルマとなり、自らの首を絞め市場を縮小させてしまいました。

その後2世代のモデルを送り出したものの、存続か、廃止かという論議がされるまでに

至ります。

結果、これまでの路線を打ち切り、昨年、V35と呼ばれる新世代スカイラインに変わりました。

これに対し、これまでのスカイラインファンは賛否両論になります。

直6じゃないスカイラインはスカイラインじゃない。丸目4灯リアコンビランプでないクルマが

スカイラインなのか?MTないのはおかしい。

「スカイライン」の名を借りたまったくの別物だ・・・

昨年、発売されたスカイラインはこれまでのスカイラインファンをばっさり切り捨てるような

モデルチェンジをしたのです。

時の人、ゴーン氏のなせる業、という人もいますが、彼が新型Zや新型GT-Rに

GOサインを出したように単純に合理化のためだけ行ったものではないと思います。

日産という会社の現状で出来る最良の選択、日産の新世代FRセダンとして

V35=スカイライン襲名を選択したのだと思います。

実際のところは、新しいスカイラインは市場では苦戦を強いられているそうです。

これまでのファンをないがしろにするようなことするから・・・とも言われます。

果たしてそうでしょうか?

今、PGC10やR30、R32を出したら売れるのでしょうか?

私はこれまで連綿と続いてきた路線がもはや限界に達してしまったのだと思います。

仮に従来の路線でモデルチェンジしても結果はそうは変わらなかったと思います。

一度、ブレイクスルーをしなくてはいけないまでに追い詰められていたのではないでしょうか。

プリンス、日産と引き継がれ生まれた育った「スカイライン」の原点は普通のセダン

であるけど、その伝説は無理やり6気筒エンジンを積載した「スカG」であり

「速い箱」にあるわけです。ところが環境問題や嗜好、クルマに対する市場のニーズの

変化(レジャー志向、多人数での移動手段)から、存続自体が危ぶまれるまでになってしまった。

それならば、一度これまでとは違ったアプローチをし、それをファンやマニアだけでなく

あらゆる人に向けて提案して、出てきた反応に新しい答えがあるのではないか、ということです。

新型が出て「スカイライン」と言うクルマが見えてきたところもある。

 

「GMK」には、モスラ、ギドラの起用をはじめ、多くの問題を抱えてますし、要素の詰め込みすぎ

の割には説明不足、矛盾、説明くさい台詞・・・、一作品として抱える問題も多々あると思います。

それでも、これまで何度もリセットといいながら過去を引きずってしまった作品と異なり

バッサリ切り離したところから活路を見出そう、としたことにはそれなりに意義があると思うの

です・・・

 

兄貴さんのおっしゃることは正しいと思います。

ただ、ギドラ、モスラに関しては見直しが許されないギリギリの線で

東宝上層部から押し付けられた注文ということを金子氏一人の責任と言う

のは、私は出来ないのです。もちろん今後ソフトとして残っていくわけで

作品として出来上がったものが全てなのですが・・・。

 

ghidorahさんのおっしゃる通り、GMKをひとつの作品としておかしいところ

を指摘していくと同時に、一方でGMKをいいとおっしゃっている人が

何にひかれて良しとしているか、両面で考えることが出来るといいのかも

しれませんね。

これは私も認める旨の発言をしているわけですから自分なりに考えて、

改めて書きたいと思います。

 

(私見とはいえ、気に障るような発言であったこと、

改めてお詫びしておきます。)

 

 

愛のスカイライン! [No.327]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/01/09 (水) 10:03

K4さん、こんにちは。

私はK4さんの書き込みを、不愉快に思った事はありませんので気になさらないで下さい。

ただ、GMKに対しての怒りが強いために、ついついキツイ文面になってしまいます。

自分でも分っているのですが、やんわりソフトな書き込みをする気分じゃないんです。

それが逆にK4さんに不快な思いをさせたり、変に気を使わせたりしていたなら、私の方がお詫びするところで す。

 

GMKを肯定する意見自体に不快感は一切ありません。

それぞれの感じ方や好みをとやかく言うきは無いんです。

肯定意見と否定意見のやりとりの中から、なにか納得の出来る結論が出れば良いなと思っています。

(もっとも、ちゃんとした言葉をもたず「最高だ」「傑作だ」とわめき散らす輩は馬鹿だと思いますが)

 

意見の対立があれば、議論、討論が発生します。

時には不快な思いをすることもあるかもしれませんが、それを恐れるあまり気を使って言いたい事も言えなくな るのでは、ここのBB

Sの意味が無くなってしまいます。

K4さんに限らず、ここを読んで下さっている皆様に改めて申します。

ちゃんとした言葉でお話下さるのなら、どんな意見でも歓迎します、どんどん書き込みお願いします。

 

さて、スカイラインのお話も楽しく読みました。

今度は、そ~きたか!って感じです(笑)

ゴジラとスカイラインは、納得の喩ですね。

スカイラインGT-Rは、オイルショックや排ガス規制等で一時ラインナップから消えました。

その後、車を取り巻く環境が整備されて、スカイラインシリーズに直4DOHCターボモデルが追加されまし た。

その時、世間ではGT-Rの復活かと騒がれたのですが、蓋を開けたらGT-RではなくRSというモデルとし ての登場でした。

やはり直6DOHCでなければGT-Rを名乗る訳にはいかないという、作り手のポリシーを感じたものです。

ところが、今回のGT-Rはどうでしょう?

あれは、私もGT-Rとは認めがたいです…

日産という自動車メーカーを取り巻く環境が、昔と大きく変ってしまった結果なのでしょうが、アレはスカイラ インですら無いと思いま

す。

 

ここが人によって意見の食い違うところなのでしょうが、私ならスカイライン廃止もしょうがないのではないか と思うのです。

アレが今のトレンドなら、アレを販売する事は当然ですが、今まで持ち続けてきたスカイラインのアイディン ティーからは大きく外れ

たものです。

ならば、別車種として販売するべきではないかと思います。

 

これに対してマツダのRX-7の話し…

RX-7は今までに、SA22、FC-3S、FD-3Sという3種類のモデルが存在します。

この3車種に共通する部分は、リトラクタブルライト、2ドアハッチバック、FR駆動、ロータリーエンジンで す。

しかし、低燃費とクリーンが重視される昨今、3Km/Lという極悪燃費、おまけにロータリー特有の不完全燃 焼による排ガスの汚

れなどを改善するため、マツダは新型ロータリーエンジン「レネシス」を開発しました。

これは、NAながら250ps、燃費も従来の2倍と言われています。

来年、このエンジンが搭載される車が発売されます。

しかし、ボディーは実用性を考慮し4ドアクーペとなり、その名はRX-8と変ります。

RX-7は生産終了となるのです。

「レネシス」搭載の4ドア車を、新型RX-7としなかったマツダの判断は正しいと思います。

4ドアで実用性のあるRX-7なんて、誰も認めなかったでしょうから。

RX-7は、ピュアスポーツカーです、実用性は不要なのです。

 

私はゴジラにも、マツダの判断でポリシーを貫いて欲しいと思うわけです。

 

 

「違いがわからない人」に合わせるのでは・・ [No.328]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/09 (水) 10:11

そうですね。

スカイラインの例のほうが、よりゴジラに近いですね。

 

スポーツセダン、それも過激なまでの運動性能を持つというのが

スカイラインのアイデンティティであるなら、

そんな車が求められなくなった時点で生産をやめるというのが

正しい選択なのではないでしょうか。

 

私はスカイラインファンではありませんが、

現行モデルが発表されたとき、こんなのスカイラインじゃないよ、

と思った一人です。

 

それなのに、なぜスカイラインという名前の車として作るのか。

 

以前聞いた話で、

日産車に限るのかどうか定かではないのですが、

ある車種にこだわるとずーっとその車に乗りつづける人がいるということらしいです。

セドリックにこだわるとその車格がどんなに変わろうともセドリックを買いつづける、

ということらしいです。

これって、ある種のブランド嗜好なのではないでしょうか。

 

スカイラインも、スカG伝説などが元になってブランド名と化したのではないでしょうか。

 

そして、ドライビングの楽しみはわからないけれど名の通った車に乗りたいという

ブランド嗜好の人たちが「スカイライン」という名前を求めているのではないでしょうか。

 

これもゴジラに当てはまりませんか?

ゴジラとはなんぞや、怪獣映画とはなんぞや、という「鑑賞」が欠落していても、

ゴジラファンだ、ゴジラが好きだ、と思うことによって、

「ゴジラ」というサブカルチャー(と言っていいのかな?)一派に属することが出来ます。

そういうファンをあてこんで、内実が変わろうともゴジラという名前の新怪獣を作っていくのは

商売のやり方としては「あり」かもしれません。

映画は作品であると同時に商品でもありますが、

表現作品であるという側面を無視すべきではないです。

 

それと、私も金子監督一人の責任ではないと考えています。

84ゴジラがなぜ『ゴジラの逆襲』以降の怪獣映画を無視したのか?

平成vsシリーズに有名怪獣の贋物が頻出したのはなぜか?

私なりの考えがあるにはあるのですが、確証がないので公の場では書けないのです・・。


 

逆にGMKが支持される理由を考えてみる・・・ [No.325]

投稿者:K4

2002/01/08 (火) 23:17

 

たまにはGMK評価に対する考え方でなくて、GMKの評価自体もして

おきます。相変わらずひねくれてますが(苦笑)。

 

GMKの評価において、ほぼ全面的に支持している人、もしくは

こういうゴジラを待っていた、という人が少なくないのは何故か、

逆説的に考えてみました。

私が知っている範囲での印象でいいますと、所謂、平成ガメラ、平成ウルトラ後

の特撮ファン、および特撮回帰組に支持されている、といえると思います。

では、どういうところを評価しているか、というと

・怪獣が市街地に現れたときの描写

 日常に突然入り込む恐怖、逃げ惑う人々、ニュース、災害を受けた人、

 病院、救急車両・・・etc

・日本政府の対応

・対怪獣組織(自衛隊、防衛軍、特殊組織など)の戦闘に至る経緯

・怪獣のバトルによって破壊される山林、市街地、ランドマーク

を描いているかどうか、のような気がします。

ストーリー、内容は?

流れでみせてくれれば良い、つまり、ここでよく要素だけ散りばめて説明不足!

と指摘されるところは自分で補う=脳内補完してください、ってことでしょうか。

思わせぶりな要素は科学を超越した事象ということで、説明することを放棄して

いる、ということです。

 

なぜ、こうなるの?

 

ズバリ。90年代以降現れた空想科学読本、柳田理科雄的発想から

怪獣は科学では説明がつかない=リアルでない=幼稚なものだ

といった考えに対し、SF的思考の放棄がされ始めたからではないだろうか

と思うわけです。

その中で「リアルっぽい」描写をするために怪獣が市街地に現れたときの

民衆の動きや政府、対怪獣組織の動き、破壊される描写をきっちり描くことで

補っているわけです。

平成ガメラ的な嗜好ですが、平成ウルトラの影響とは?

これは怪獣自体の存在です。

巨大生物は自重でつぶれてしまうなどという、空想科学読本的発想もありますが

怪獣とは動物を超えた神秘の存在、地球=ガイアの意思であり、人間の意思である

光のような存在である、という考え方です。

平成ガメラ1でラストに炎が集まりガメラの形になった。

ティガはやられても人々の意思はグリッターティガを生み出した。

ガメラ3ではガメラはマナの器だと説明された・・・

GMKでも怪獣は器です。

古代の怪獣たちに英霊が憑依し、また「くに」を守ろうとする古代の人々の石に閉じ込められた

意思が憑依した器なのです。

器が崩壊すれば、次の器へ移ってゆく。バラゴン、モスラは最後にギドラに移り

ギドラの器も崩壊するに至り、ゴジラに入り込み、海に沈め、立花准将に最後の攻撃の

機会を与え、ゴジラという器を内側から崩壊させた・・・。

 

リアル(っぽい)表現と、動物を超越した存在である怪獣の説明を動物的な解釈自体から

放棄することで怪獣を説明することで成り立たせているのだと。

科学的側面から「ゴジラ」とは何か?的なアプローチから逆に作品を窮屈な方向に

向けてしまった平成ゴジラシリーズの反動なのかもしれませんが。

平成ガメラの金子氏と平成ウルトラの長谷川氏のコンビでは成るべくして成った結果かも

しれません。

この2作品を支持した人々にとってはGMKは理解しやすいものだったのではないでしょうか?

 

私的には、GMKは3回目以降の鑑賞は楽しめたというのは脳内補完が完了していたから、

そして私の中にもティガや平成ガメラに共感した部分がGMKを理解しようとしていた

のかもしれませんね。

 

ただ本質的には、リアル(っぽい)表現もあるに越したことはありませんが、

観ている最中にストーリー自体が理解できず脳内補完しなくてはならない作品よりは、

上映中は楽しく、観終わったあとで、あれ、騙されたかな?と思わされるほうが

好みかも。でも後者だと2回目以降の鑑賞のとき、気になってしょうがなくなったり・・・

それがディ●ンションタイドとはいいませんが(笑)。

子記事

 

 

 

だめだ、わかりやすく書けないぃぃ [No.329]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/09 (水) 11:12

K4さんのおっしゃること、すごくよくわかります。

 

作り手がSF「的」方法論を捨てたところから発想しているのではないか、

というご指摘はかなり真実に近いような気がします。

 

しかし、上の文章で「的」とかぎカッコをつけたのは、

SFをよく知らない人が漠然と感じているSF味を捨てたに過ぎないと思うからです。

 

vsビオランテが科学知識を援用することでゴジラや怪獣に科学っぽさを付け加えようとした

やり方は「空想科学読本」(実は未読)の発想と大して変わらないのではないでしょうか。

 

かつての怪獣映画が「科学の解説がなにが驚異だ!」(多胡部長)と

人間の科学知識を超えたところに怪獣がいるという発想だったこととは真逆のやり方だったのです。

 

悲しいかな、日本の科学教育の貧弱さが露呈してしまいました。

 

どうでしょう?

みなさんは、現代科学の方法(自然界の事象を数値化して解析し、現象を予測・制御する)で

この宇宙の現象をすべて説明できると思いますか?

科学、と言ったときに多くの人が連想するのは実は工学でしかないのです。

科学とは本来論理体系であり、科学によってすべてが理解出来るとは限らないのです。

科学の発達によって、ひょっとするとこの宇宙には「絶対に」解明不能の現象があるかもしれない

ということが明かになる可能性もあるのです。

 

科学を深く知れば、より科学的な考え方として論理では説明不能の現象が起こり得るということが

わかってくるはずなんですが・・・。

ですから、SFが科学小説であるならSFを追及することで現状の科学知識を超えた

科学的(実際に起こり得る)現象を描けるはずなのです。

(わかりにくい文章ですいません)

 

さてさて、現代の科学知識から難癖をつけられたくない、という思いはわからないではないのですが、

どうしてそこで一種の心霊現象に逃げるかなぁ、というのが私の不満です。

平成ウルトラしかり、GMKしかり。

心霊現象となると何でもありになるから楽なんだろうな、としか思えないです。

科学では解明しきれない科学的現象(妙な言い回しですが)を科学的に描くことは可能です。

(スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』『砂漠の惑星』『エデン』3部作を参照のこと)

それなのに「人の心」を持ち出して、一種の精神主義・根性主義を打ち出しちゃうんですから

なんとも非理性的です。

それは怪獣映画(ウルトラ含む)においては、怪獣たちを人間的な価値観に封じ込める結果になり、

もともとの怪獣映画の精神とは別の物を作ることになるのではないでしょうか。

 

それと、GMKはどうがんばっても脳内補完すらできない矛盾に溢れていると思われるのですけど・・。

 

●ィメンションタイドは、細かい説明を省いてはいますが、明かな科学的誤謬はないと思いますよ。

K4さんがひっかかっているのはどのあたりでしょう?

(という話はGMKから離れてしまいますので、ギドラ掲示板のほうで続けてもいいですよ)

 

文句ばっかりつけているようで申し訳ないのですが、

平成ガメラやGMKでのリアルっぽい演出(テレビのニュースや、政府発表など・・)は

私にはあまりにも表面的なやり方に見えました。

そういう演出があるのは当然としても、怪獣災害のリアリズムをきちんと伝えるなら

その破壊や被害者の中に分け入っていかないと災害が実態を伴わないです。

GMK箱根の病院もおよそ緊迫感に欠けていたと思われます。

由里と対話する少年はどんな被害にあったの?

親兄弟が怪我とかしているの?

なんかよくわからなかったんですけど。

 

 

実在感って・・・大事ですよね。というか基本ですよね。 [No.342]

投稿者:Lans

- 2002/01/10 (木) 11:17

●ィメンションタイド・・・

私も、あれはちょっと・・・の方なんですが・・・

私は、アレは科学的にはそれなりの根拠があっても、

時代設定が現代に近い以上、現代技術ではあまりにもどーしよーもないほど

高い技術力を必要としている為、絶対に実現不可能な事が明らかだからです。

(どんなにあがこうが、無理ですって・・・)

 

他の兵器(旧メーザー車、地球防衛軍、宇宙大戦争)

などは、比較的に「実際は無理だけど、なんとかなりそうな感じもする」程度

のデザインと威力なので、世界から浮き上がらないですむのです。

 

しかしアレは・・・

(同様の意味でジェットジャガーもちょっと・・・)

(その意味でスーパーXの1号と3号、メーサータンク、グリフォンも・・・)

 

(ツインメーサーやメーサー攻撃機、轟天などは実在兵器の雰囲気をかもし出している為、まだあってもよさそ うに感じます)

(スーパーX2はカラーリングでかなり実在感がUPして、派手な部分が少なく

実際は存在しない系のデザインなのに不思議な実在感があるので良しとしています)

 

基本的に「特撮は存在感」が命であると思っています。

よって、存在感が薄く、現実感を損ねる要素は基本的に

私は嫌いです・・・

 

その意味ではGMKは現実感を損ねる要素は「心霊」だけですね。

よって、私には、ここからも描写はOK。脚本はNGって結論に達します。

 

 

ひとこと口挟ませてください [No.345]

投稿者:レグルス

- 2002/01/10 (木) 20:58

私もじっくり考えてみると、最初に見た直後ほど、

評価は高いままではないですが、

どちらかというと、やはり好きなほうです。

 

>私が知っている範囲での印象でいいますと、所謂、平成ガメラ、平成ウルトラ後

>の特撮ファン、および特撮回帰組に支持されている、といえると思います。

 

これって、「子供たち」のことじゃないでしょうか?

“東宝の上層部”にしてみたら、ゴジラ映画のメインターゲットが

大体小学生までの子供なわけですから、

こういう子供たちに支持されていることが事実なら、

“商業上は”大成功といえるのではないでしょうか?

 

全く無視するのも問題ですけど、

20代以上の観客の割合のほうがやっぱり格段に少ないのですから…。

 

だから何の問題もない、というわけではないですし、

この掲示板の意義からそれるので、

これ以上脱線させるつもりはないです。

ちょっとひとこと言っておきたかったので。

http://homepage2.nifty.com/st_reguls/

 

 

そこなんですよね [No.348]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/01/11 (金) 15:31

>レグルスさん

私も以前、GMKは子供たちには受けるだろう、ということを書いたと思います。

子供向け(何を以って子供とみなすかは問題ですが)というのが、

必ずしも甘甘の心温まる作品というわけではないのですから、

GMKにも充分子供たちにアピールする可能性があるわけです。

 

怪獣映画が子供たちにアピールする要素は、極めて感覚的な映像ショックと大きくて強いものへの憧れ、破壊衝 動というような理

性以前の人間欲求を満たす部分ではないかと考えています。

そこを外すと怪獣映画として気の抜けたものになりますし、

かといってそれしかないのでは大人の鑑賞に耐えないものになるというのが私の考えです。

 

映画作品にとって商業的成功は大事なことですけれど、

商業的な成功が名作であることの証ではありませんし、

かといって、全く客が入らなかった作品にはやはり駄作が多いですし、

客の入りというのは作品の出来だけでなくいろいろな要素が作用するので、

あまり気にしてもしょうがないのではなかろうかと思います。

 

なんてレグルスさんもご承知のこととは思いますけど。