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いい、悪い、ということではないのです・・・ [No.433]

投稿者:K4 ・ 2002/02/12 (火) 22:40

 

 

>しかし、初代ゴジラになんらかの解釈を施して新たな怪獣を

>作ってしまったのではないですか?

>初代ゴジラに戦死者の思念を感じるのは、「客の誤読の権利」として認めます。

>そんな「鑑賞」をベースにして創造する行為は、ゴジラにヒントを得て別の

>ものに展開することなのです。

>どうしてそれをゴジラと認められるのか、まったく理解出来ません。

 

佐野史郎さんがインタビューでミレニアムの岩槐について語っているときに

おっしゃっておりましたが、作品と言うのは「作者」が意図してなくとも、

本来の思いとは別にメッセージを内包して一人歩きを始めるものだと思ってます。

「ゴジラ」を一番初めに創った人々は「核」から生まれた存在ではあるけれども

当時のアメリカの映画作品のように巨大な生物が現れる、ということが主な狙い

であったかもしれません。そうでないかもしれません。あくまで雑誌で伝え聞く

情報しかないわけですから。

公開前に一部で「ゲテモノ映画だ」と噂されていたこともあったものが

蓋を開ければ多くの人に受け入れられた。

上記のように巨大な生物が都市に現れるというエンターテイメント性にひかれた人も

いるでしょう。

土着的な神とあがめし伝説などがある日本古来からの考え方と重なって見えた人もいた

かと思います。

しかし同時に戦後10年もたたない時期に公開された観客の目には戦争のメタファーと

して捕らえられた方もいたのもまた事実だと思います。

こういったさまざまな側面があるからこそ「怪獣」は日本で、いや「日本の怪獣」が

生まれたのではないでしょうか?

作り手の当初の想いと同時に、受け手である観客が受け止めた、それぞれの想いは

「誤読」とは言えないと思います。

「作者」の感じたものから生まれた「解釈」「解答」の「ひとつ」が

GMKであったのではないでしょうか?

ただし、繰り返し言っておりますが、これが「正しい」と言っているのではなく

(「解釈」の正しい間違いというような評論は個々人の価値観によって異なると思いますので)

「解釈のひとつ」として「GMKはあり」だと言っているのです。

実際出来上がったものに対し、演出と設定のチグハグさがある、というのならわかりますが

>そんな「鑑賞」をベースにして創造する行為

は本当にいけないことなのでしょうか?

「キングコング対ゴジラ」は確立したキャラクターである「キングコング」をゴジラの

世界観にあわせ創造してます。これは東宝版キングコングであって、キングコングの名前を

借りた別の怪獣ということになるわけでしょうか・・・

私は単純に2大怪獣の対決が見てみたい!その欲求に応え、「創造された」素晴らしい作品

であると思ってます。

話はずれますが「ゴジラ対ガメラ」が見たい!という声。

理屈よりもそう言う欲求に応えたい、という観客の思いに対する製作者の

答えはありだ、というのが私が「ゴジラ対ガメラはあり」だ

と思う根拠にもつながってくるわけです。

作品やそこに息づいているキャラクター達は生まれた瞬間から、それを

観た「人の想いの数だけ」一人歩きをしているのではないでしょうか?

「ゴジラ」と言う作品は、その余地も許されないものなのでしょうか・・・

 

 

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ちなみに・・・ [No.434]

投稿者:K4

- 2002/02/12 (火) 23:03

GMK自体の評価が私の中で滅茶苦茶高いわけではありませんので。

>実際出来上がったものに対し、演出と設定のチグハグさがある

GMK自体の評価として、私はむしろ劇中の台詞で

「太平洋戦争で散った英霊達の残留思念云々・・・」ということを

具体的に言わせるのでなく、そう言うものなのではないかな・・・と

観客が受け止めるような演出であるべきではなかったかな、とは

思います。

台詞で説明するのでなく、映画のメッセージとして根底に流れている

ものであれば良かったのに、と。

台詞によって逆に「解釈の余地を狭くして」しまってるのですよね。

上に書いていることと矛盾してくるところですが・・・

(本当の狙いはそうだったのに天本さんの存在感ゆえに「残留思念云々」が

インパクトとして残ってしまったのかもしれないなぁ)

アプローチは「あり」だが、映画としての出口が狭くなってしまった。

「閉じられた世界観」はゴジラには似合わないかな・・・と。

 

だからこそ逆にGMKはこれまでのゴジラと関連性がない、ということで

自分の中では救われているのかもしれません。

 

 

 

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立場の違い [No.436]

投稿者:ほりぴー

- 2002/02/13 (水) 11:32

「受け手の思い」が千差万別、良いも悪いも、誤読も正しいもないというご指摘

は「その通り」と受け入れましょう。かつWebや他の媒体で要望を述べたり、

オリジナルーストーリーを発表するのも一興といたしましょう。

 

しかし東宝が連綿と続くシリーズの延長上に作る正統な「映画作品」については、

オリジナルを無視した作り手の勝手な解釈や改変を許すことはできないように

思います。ファンが自主制作映画を作るのとも訳が違います。

 

キングコングだってRKOから版権を取り、「南方の孤島から出現する」

「美女を手に握らせる」などのオリジナルの「属性」をきちんと受け入れて

制作されたのではないですか。

 

プロアマの垣根もだんだん薄くなってきているとは思いますが、プロのクリエイター

が「正規に」ゴジラを撮る以上制約を受け入れるのは当然です。もし不満なら

ゴジラやガメラでない新しいキャラクターを創造すべきです。

 

 

 

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スピリット [No.437]

投稿者:K4

- 2002/02/13 (水) 12:34

>しかし東宝が連綿と続くシリーズの延長上に作る正統な「映画作品」については、

>オリジナルを無視した作り手の勝手な解釈や改変を許すことはできないように思います。

 

私は昨年の「メガギラス」では、なぜ初代ゴジラが生きていた、という

設定を聞いた時に誰も文句言わないのだろうな、と思ったものです。

初代における芹沢のあの葛藤はなかったことになるのです。

尾形や恵美子、山根博士の思いはどこへ行ってしまったのだろうと。

でも作品は楽しめた。

GMKにおける「ストーリー上」の改変はメガギラスよりは少ないものです。

でも再び現れたゴジラは「ゴジラ」シリーズにおいて描かれてきた

ゴジラとは全くの別物となりました。

GMKを映画祭ではじめに見たときの違和感はメガギラスとは比べものに

ならないくらいでしたが正直に言うと2,3回観ていくうちに、普通に

楽しめるようになりました。

オリジナルから一番離れていない、となると「ゴジラ2000ミレニアム」

のほうが「ゴジラ」としては一番まとも、ということになるのでしょうか・・・?

ほりぴーさんはメガギラスもダメだと、とおっしゃってましたから

ミレニアム以降の3作は全てNGなのでしょうね。

「ゴジラ」という作品において、何に重きを置くのか「ゴジラのキャラクター」

「ゴジラの歴史」なのでしょうか?

昨年のメガギラスを楽しめた時点で、私にとっては制約にしばりつけられ

るよりも、「ゴジラの可能性」を楽しむようになってしまったのかもしれません。

 

むしろ、ほりぴーさんがおっしゃった「本多・円谷両監督のスピリットを

継承した作品であれ!」という言い方のほうが明快だと思います。

「スピリット」と言う言い方が抽象的な言い方なので、具体的にいえば、

「解釈・改変」ということなのかもしれませんが・・・

 

 

 

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とと・・ [No.438]

投稿者:ほりぴー

- 2002/02/13 (水) 13:07

「メガギラスはダメ」ってんじゃないんですよ(汗)。あのトンデモ脚本を一応

のエンタテイメントに仕上げた手塚さんの手腕はたいした物だと思います。

確か私は「まだ(個人的に)待ってるものと違うかな」と言ったと思います。

不満なのは「パラレルワールド」を免罪符にしてしまったこと、真っ向から正統

なゴジラを作れる可能性のある人なのに。(でもあのホンじゃ無理)

ミレニアムは、とにかく作劇の稚拙さにぜんぜんついていけませんでしたが。

加えて言うなら過去のシリーズにも(個人的に・しつこいですけど)認め難い

作品というのは厳然とありますね。

 

「スピリット」は解釈・改変の議論とはちょっと違う次元のことですね。

なんだろうなぁ、灯火人さんはじめ多くの方が愛してやまない、作品の中に

どっぷりと浸らせてくれて酔わせてくれる何かなんでしょうか。

(やっぱり抽象的でごめんなさい)

 

 

 

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ありゃ、なんだか一杯書いちゃった [No.439]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/13 (水) 16:09

まず、用語の誤解を解いておきますね。

 

私が申し上げた「誤読」とは、作り手が意図せざる内容を読み取る、という意味です。

もちろん、K4さんがおっしゃるように「作品」には作り手が無意識のうちに

織り込んでしまった観念も含まれますから、

それを読み取る行為は「誤読」であっても「鑑賞」として間違いではありません。

ひょっとしたら、受け手の特殊な思い込みによって、作品中にはまったく存在しない要素を

読み取ってしまうことも「客の誤読の権利」に含まれるのではないかと思います。

私は「鑑賞」のレベルなら「誤読」を認めているのです。

 

芸術は模倣から始まる、などと言われます。

ある作品から影響を受けて、自らの作品を創作するなんて当たり前のことです。

我らがゴジラだって、キングコングの影響を受けています。

(ゴジラ製作当時に『キングコング』でのコング演出を例に、こんな風な表現をしなきゃいけないな、

と円谷監督が漏らしていたとか)

そして、ゴジラとキングコングは別のものでしょう?

 

初代ゴジラに戦死者の意思を見るのは自由なんですよ。(私はそうは感じませんが)

一観客としては。

しかし、作り手に回ったなら、ゴジラシリーズを作るなら、オリジナルの創造者たちがゴジラを

どのように捉え、どのように演出したかを常に念頭において忠実に守らなければなりません。

ゴジラという先人が作り上げたキャラクターを「使わせていただく」のですから、

改変が許されるわけがありません。

ゴジラを使うということは、主役に関しては創作を放棄することなのです。

(創作したかったら、企画が通るぐらい魅力的な新キャラクターを考えなさい)

クリエーターが心血注いだ創造物をどうして他人がいじくりまわしていいものですか。

(それを許してしまったのは、田中友幸さんでしょう)

 

さらに。

もう一度言います。

ゴジラというのは、固有名詞なのです。

怪獣ブームのころ、怪獣を良く知らない大人たちは、怪獣を見ればなんでも「ゴジラだ」と言ったものです。

巨大な変身ヒーローは全部ウルトラマンと言われちゃいました。

ゴジラを元にして、新たな「解釈」を付け加えてしまったら、別のものになるということは明白な事実ではない ですか?

それを、(別の)ゴジラだ、と受け止めるとは、意味論とか言語というものをないがしろにしすぎですよ。

名前とは、事物を区別するためにあるのです。

同じペットネームで販売されている車だって、モデルチェンジすれば形式番号が変わっているでしょう?

それなのに、全く同じ名前で、内実の異なる存在を世に送り出して行くとはどういうことか。

私の考えはこうです。

ゴジラは客を呼べる人気キャラクターである。

ゴジラ映画は客を呼べるからゴジラの看板を掲げるのが商売上安全である。

(ここに、東宝特撮映画を存続させるためのぎりぎりの選択としてゴジラ映画があるという事情もあるでしょ う)

製作スタッフに発注すると、監督であれ脚本家であれ、クリエーターですから自分独自のものを表現したがりま す。

(ここで、元祖ゴジラを心底好きな人が決定権を持っていれば、好きなものをわざわざ変えるなんてことはしな い

はずなんですが・・・)

そんな独自性をストーリーとか、新怪獣で表現すれば問題ないのですが、

看板スターを「オレ流」に改変して見せるのが手っ取り早く自己主張を目立たせる方法と考えている・・。

 

営業サイドが特撮映画に関してはゴジラものしか認めてくれず、作る側が「自分を出す」方法として

主役を作り変えてしまう、という構造になっているのではないですか?

 

というのは、私の想像でしかないですけど。

 

東宝版キングコングについて。

確かに、オリジナルのコングとは違っている部分がありますね。

一番大きいのは、その身長でしょう。

それ以外では、生息する島の名前が違っていることでしょうか。

しかし、オリジナル・キングコングは人間に殺されてしまったのですよ。

つまり、オリジナルコングと東宝コングの関係は、

初代ゴジラと二代目ゴジラの関係に近いわけです。

そこで、東宝コングの性質を考えてみましょう。

オリジナルより、ちょっとボケキャラにシフトしているような感じも受けますが、

『キングコング』と『キングコング対ゴジラ』を見比べたときに、コングが別物と思えますか?

私には忠実にオリジナルの雰囲気を守ろうとしているように見えますけど。

それと、DVD『キングコング対ゴジラ』オーディオコメンタリーで知りましたが、

RKO側の要求として、コングを「オリジナルとは変えてくれ」と言われたそうです。

多分デザインのことではないかと思われますが、変えろと言われながら、

なんとかオリジナルの雰囲気を感じさせるものに仕上げた円谷監督の

キングコング好き、ウィリス・オブライエンに対する尊敬の念を感じます。

キングコングの内実を改変したということはないです。

 

さて、メガギラスに絡んで。

確かにあの作品は、『ゴジラ』という映画のストーリーがなかったか、別のものだったという前提で

展開しますね。

それは、私も気に入らないんですよ。

しかし、同じ無念はすでに84の時に味わっているのです。

私は『ゴジラ』のみを傑作と考えるような頑迷なゴジラファンではないです。

『ゴジラの逆襲』から『メカゴジラの逆襲』まで、ぜーんぶなかったことにされちゃったんですから、

その怒りたるや・・・・。

それでも平成vsシリーズを楽しんだことは、すでにお話しましたね。

 

で、メガギラス。

冒頭の1954年のカットに山根・恵美子・尾形の姿がありましたから、

オキシジェンデストロイヤーが存在しなかったか、使われなかった世界であるという改変ですね。

オキシジェンデストロイヤーって、『ゴジラ』劇中では極めて重要なアイテムなのですが、

ゴジラそのものを考えたときには、ないほうがいいものではないかとさえ思っています。

それは核の洗礼にも耐えるという不死性を与えられているゴジラを倒す唯一のアイテムなわけで、

芹沢の死で永遠に失われてしまった、という物語上の「決めつけ」がなければ

再び開発されてゴジラ対策なんか「屁でもない」ことになってしまうわけです。

それでは、ゴジラ映画の終焉ですよね。

(vsデストロイアで、ゴジラがオキシジェンデストロイア攻撃に耐えちゃう姿を見て、

んーーーーー、そう来たかぁ、と複雑な思い。本当に不死身になるのはいいことだけど、

それをやっちゃっていいものか・・・・と)

ということで、メガギラスにおける歴史改変は「嫌だけど」鑑賞の妨げになるほどではなかったです。

 

私もゴジラのキャラクターを守るということと、

本多・円谷作品のスピリットを守るということは少し別のことだと思います。

もちろん、ゴジラには先人のスピリットが込められているわけですが、そのキャラクターを維持することとは

仕様諸元(変な表現ですか?)を守ることであって、作品のストーリーとは別のことです。

本多・円谷作品の遺志を継ぐためには、その作品群の持つ深いところを探り当てて、

発想法を盗むことに成功しないとうまく行かないでしょうね。

少なくとも、怪獣映画も含むスペクタクル映画においては、「人類への信頼」「大自然への畏怖」

「個人の無力」「社会の力」「明日への希望」というようなキィワードが浮かびます。

(マスコミ人が主人公だとか、自衛隊の作戦を丁寧に見せる、だとかそんな表面的なレベルの模倣をせよと言っ てるのじゃないのです)

 

「ゴジラ対ガメラ」について。

否定的な意見が多いみたいですが、もし私にシナリオを任せてくれれば、成立させる勝算はあります。

ガメラは、湯浅監督のガメラでないとだめですけど。

そして、ゴジラとガメラの対決には決着をつけません。

その上で、ドラマ的にはカタルシスのあるものを作れると思います。

対立構造をゴジラ・ガメラの怪獣側と怪獣対策に奮闘する人類側の間に作れば、可能かと思います。(相当考え 抜かなければいい脚本にはならないでしょうけど。企画としては苦しいということです)

え?だれがお前にやれと言ったって?こりゃ失礼。


 

お疲れ様です。 [No.435]

投稿者:灯火人 ・ 2002/02/13 (水) 00:22

 

 

Ghidorah様、ありがとうございました。

お仕事もおありでしょうに、ご苦労様です。

ゆるやかな連続性の説明、いい感じです。

私の大好きな作品群では、主人公たちが新聞記者だったり、営業マンだったり、アイデアの面白さと大人の世界 を垣間見るようなリアリティがありました。

しかも、邦画においての巻き込まれ型としての原初に近いと思います。

ナンであんなに自在に楽しい作品を書けるのかと感心します。

あんなテイストで新作ができるなら観てみたいです、卒業している私ですが。

三大怪獣などは、ローマの休日さえ漂わせる名編です。

夏木陽介さんのカッコイイことカッコイイこと。

料理の仕方がうまいですよね。

私は、どなたが書いていらしたような、映画館を出た後に、ナンか夢を見たような気になる怪獣映画が好きで す。

いい意味での思考停止に陥るような。

例えば、

モスラは真夏の夜の夢とでもいいたくなるような、

幻想的で耽美的で、大好きな映画です。

しかも、楽曲のフレーズのリフレインによって、

うなされる程の怖さを当時感じました。

原子熱線砲で画面が明滅するのも十分怖かった。

なぜ、ああいうのができなくなったのか。

当時の作品へのオマージュ、上等ですよね!やってほしいです。

(やれるもんなら。)興行的にも成功するような気がします。

お題目のような、護国聖獣、という言葉だけを使うのではなく、見る側が感覚的に護国聖獣を意識するほどの 神々しい怪獣映画を見れるといいと思います。

んー、映像を思い出してしまった。

脚本家をナンとかしましょう。手塚さんには、今までの流れを相応に汲んでくれるよう、誰か身近な人、頼んで 下さい。私には遠過ぎる。

まだ5分の1の灯火人でした。

 

 

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夢 [No.440]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/13 (水) 16:24

毎度どうもありがとうございます。

 

私の仕事といっても、そんなに時間に縛られるものでもなく、

ゴジラに比べれば「屁のようなもの」ですからなんてことないです。

 

それより、灯火人さんがここのログを読みとおそうと努力なさっていることに

感激し、感謝します。

もう、一冊の本になるぐらいの文章量ですよね。

(どこかの出版社さん、出してみない?なんて。あ、朝日ソノラマさん、どうですか。

編集員の方、ここを読んでませんか?

遅れ馳せながら、私の駄文を掲載してくださったことに感謝いたしますです)

 

そう。

私も怪獣映画には「夢」を感じます。

理想とか希望という意味の夢じゃなくて、魂を持っていかれちゃうような感じを受けるのです。

(円谷時代の作品では、です)

それがなぜなのか、それを解明できれば、傑作映画を作り出す方法がわかるはずだとは思うんですが。

きっと、いろんな細かいことの積み重ねなんだろうなぁと想像しています。

シナリオはもちろん、それこそカットつなぎのタイミングだったり、音楽の入り方だったり・・・。

 

>見る側が感覚的に護国聖獣を意識する

それが必要だったんですよね。

もちろん、モスラだギドラだと既存の怪獣を使っちゃダメなんですが、

言葉による説明と映像・音響での描写が一致しないと表現したことにならないわけで・・。

まあ、護国聖獣に関しては、ゴジラにやられると「キラキラ」になったので、

生き物じゃないな、という片鱗はうかがえましたが、ゴジラに至っては、なにがなにやらわかりません。

セリフでの説明と描写が一致しないなら、そこになんらかのドラマを作り出さなければ、

はぐらかしのまま終わっちゃいます。

結局、謎の老人は真実の語り部だったの?

それとも勘違い野郎だったの?

 

このあたり、監督がやりたかったことが実現出来なかった部分ではないか、と勘ぐったりして。

監督としては、ゴジラをきちんと残留思念の集合体として描写したかったのだけれど、

東宝サイドが、ゴジラをそんなお化けみたいなものにするな、と規制したとか。

どーなんでしょうねー。

私は裏事情はまったく知りませんので、勝手な想像です。

 

で、次回作は手塚監督で決定なのですか?

だったら、手塚監督がシナリオも書けばいいんじゃないでしょうか。

手塚監督の構成力は抜群だと思いますので、支離滅裂になったりだれだれになったりはしないと思います。

(メガギラスも、手塚監督がシナリオを修正した部分があるそうです)

 

あ、それとメカゴジラっていううわさもあるみたいですが、それは、やめたほうがいいんじゃないか、と、思い ますです。


 

私用のため、読み進んでません。 [No.441]

投稿者:灯火人 ・ 2002/02/14 (木) 06:37

 

 

私事ですが、やはり、いろいろ用事があるもので…。

実は今、HPを立ち上げようと。そのコンテンツを作ったりして…。

夕刊フジ2月8日(ネット・エンタテイメントニュースで)に出てました。

実は私の検索キーワードに手塚監督と入れたら出てきたので、手塚さんがやる、

と早とちってしまったようです。

関係各位の方々、ご期待された方々、申し訳ありません。

しかし、GMKの高興行収入によりゴジラ新作発表を行ない、

その新作では金子監督の続投はありえない、と出ておりました。

大変申し訳ありませんでした。つい、希望が願望になり、作られた記憶に…。

改めてお詫び申し上げます。

 

 

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そうでしたか [No.442]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/14 (木) 17:50

次回作は手塚監督といううわさはどこかほかのところでも目にした覚えがありますので、

実現性は高いかもしれませんよ。

(脚本がどんなものになるかが問題ではありますが。あーん、メカゴジラはやめて下さーい)

『×メガギラス』は、かなり良く出来た作品だったとは思いますが、それは破綻がないとか飽きさせないという 出来のよさで、「ゴジラ退治」がストーリの根幹になっていることはすごーく気にいらないのです。

それが全体の印象を緊張感過多にして、「夢」から遠ざけている遠因ではないかと思っています。

手塚監督に決定したなら、今度は別の味を期待します。

 

灯火人さん、HP製作中なんですね。

どんな内容になるんでしょう。

出来あがったら、お知らせ下さい。映画とか特撮関連でなくともお邪魔しに行きます。

(あー、うちのギドラの巣はあんまり更新してないなー)


 

今、3分の1まで来ました [No.443]

投稿者:灯火人・ 2002/02/15 (金) 06:44

 

 

皆様が歩いてきた道を私のペースで歩いています(゚ゝ゚;)。

それで、まとまってきたことは、

(↓以下、皆様はとっくに結論・理解している)

脚本の説得性に問題があった、ということです。

例えば、因縁なるものを説明するのにも、

誰もが“ああ、そうか!”と判るものを説明するべき。

全編に渡って、何もかもが、サラサラ行くのですよ!

(↑↓本当は皆様に気づかされているのに、

   自分で気づいたと思い込んでいる)

しかも、全く新しい概念(例えば護国聖獣)を理解するために、

最小限の説明で最小の脚本を書いたと言うことなんですねっ、山根博士!

(既に明け方のハイな状態になっているようですね、ハイ。)

通常の映画では、込み入った内容を説明する時に、

如何に最小限度の展開で、

最大限の効果を引き出すかを脚本家は考えるはず。

観る側は、それを視覚を始めとする五感で感覚的に理解する。

よって、物語の展開に自然に載れる、ということになる。

GMKの脚本は、その最も重要な部分を、

最も推敲を重ねなかった、

あるいは、流して読み済ませたとしか推理できない。

それならば納得がいく。

3人も脚本担当がいて、この失態は

書く側が麻痺したとしたか思えない。

 

ゲーム会社にいた時のことを思い出した。

チームのメンバーはあるゲームを面白いと思っていて、

上司の私がインカムテストでの結果を提示しても、

テストをしたゲーセンが悪いのだ、と言い張った。

しかし、場所を変えても、インカムは上がらない。

社長はリストラのいい口実にする。

チームのリーダーは、時間をくれと言って、

社長はその必死さに要求を飲んだ。

しかし、インカムは上がらなかった。

それは、自分たちが、“このゲームは絶対面白い”という

そのゲーム性自体の欠陥を見ようとしなかったためだった。

 

…というわけです。

作り上げた脚本を他のスタッフに見せて意見を聞き、

その意見を改善のために汲むという物作りなら誰でもやる

ダメ出しを出す人がいなかったか、脚本側が拒否したか。

それはわかりません。

しかしこの脚本は結果的に、

様々な事象を収拾しないままにして上梓した。

もし、制作過程でこれをやったとしたら…。

 

浮かれたまま、物を創ることの怖さ、痛感しました。

こういった行為が二度と繰り返されませんよう。

各事例は、ログを拝見すればわかると思います。

制作者の方々がご覧になっていた場合は、

私も作り手の端くれとして、心に、肝に刻みましょう。

(皆様、何を今更と飽きられたと思います。

 やっと、3分の1の灯火人、お詫びします。)

 

 

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おお! [No.446]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/15 (金) 17:25

>浮かれたまま、物を創ることの怖さ

 

く~。

GMKの問題は、この名言に集約されているかもしれません。

怪獣映画を作る(見る)、ゴジラを手がける(見る)ということで浮き足立って、

その基本、そのなんたるかを突き詰めないまま突き進んでしまったのでは・・・。


 

4分の3まで…あれに見えるは浅間神社 [No.444]

投稿者:灯火人 ・ 2002/02/15 (金) 11:01

 

 

溯ってみていってるのでした。

脚本の煮詰めを怠った感慨以降、徹夜のこともあり、

タイピングもフニャフニャ状態になっております。

スカイラインの比喩には及ばないですが、

今のウルトラが私には理解できない。

まだ、円谷さんの仕事をその場で観ていた方が

ご存命にも関わらず。

もしかしたら、ウルトラはもう、

辞めた方がいいのでは、と思います。

今は大人になった子供が、

ウルトラマンと言う異星人が怪獣を殺すために

戦ったなんて、そんな誤解はしていない筈なのに、

今のコスモスは、殺した殺したと悩む。

まだ、ウルトラ戦士?になってはいけない人間が

選ばれてしまったようで。

無理な展開を続けているとしか思えないんです。

新作、どうなるんでしょう。

ゴジラじゃなくても、護国聖獣戦隊(あ、東映になっちゃう)

ズボラでもナンでも、非ゴジラ的怪獣映画にしてほしい。

(何やら書いてしまいました。)

GMKも、十分なプリプロを経てから作るべきだったのでは?

それでダメならお蔵に入れれば良かったのに…。

年間計画があるとも思えない。

すぐに新作発表したし。

しかも、今年中とは。

いったい、そんなにポンポン作るものですか?

できるのでしょうか?

密かに陰陽師と同じ年にやるので、このGMKになったとしか、

思えないほど、物語の展開は酷過ぎます!

くにを守るために戦う場所を横浜にするとは。

千代田区を目指して、物申したら霧散する予定であの黒いのは

向かったのでしょうか!?殺してくれえ、

とでも言いたかったのでしょうか。

富士山とか、阿蘇山とか、もうちょっと視覚的に観て、

ああ原初的な信仰の地で戦うんだな、とか、

観て判るような映像に出来なかったんでしょうか。

(そろそろ、皆様の内容を読み終えるメドがついたので、

自分の意見が言えそうです。

内容が被るのも、よくないので。

…でも、全ての指差す方向は決まっているのも確か。)

出尽くした感があるのも確かですね。

スレッド的なつながりは、まだまとめやすいですが、

物語の脈絡に関してとか、造型他演出についてとか、

まとめられるといいのですが…。

もっと早くここを知っていれば、と思いました。

それでは、また。

 

 

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カメラード(戦友)・ハケーン [No.445]

投稿者:Lans

- 2002/02/15 (金) 11:12

灯火人さん、はじめまして

いつも長々とカキコしておりますLansと申します。

 

灯火人さんゲーム業界の方だったんですね。

それもアーケード関連(インカムやロケテについて言及してるので)

 

ちなみに、私・・・メサイヤの残党でし(汗

(今は携帯コンテンツやってますが・・・)

 

おお、カメラード(戦友)よ(w

 

 

 

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お疲れ様です [No.447]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/15 (金) 17:40

本当に、馬鹿長い文章をお読みいただきましてありがとうございます。>灯火人さん

 

私も、ティガからコスモスに至るいまのウルトラにはいろいろ思うところはあります。

それでも、ウルトラマン○○と、認識記号みたいなものを付け加えているので、

元祖ウルトラとは(本当に)別物という割り切り方をしていちいち気に入らない点を訴えたりはしないようにし ています。

(それでも、元祖ウルトラとは精神が違うと思っている)

コスモスは数話みたところで見るのもやめてしまいました。

(出来が悪いということではなく、わたしにはおもしろくないので)

 

幸か不幸か、ビデオオリジナルで製作されているウルトラセブンは見ていません。(テレビスペシャルは見た)

これは、完全にウルトラセブンのつづきというものらしいので、「変な」改変でも為されていたなら、またまた 怒っちゃうかも。

 

えーと、話題がいろいろあっちこっちに飛んでいるのは、ひとえに管理者たる私の不徳のいたすところでありま す。

もっときっちり会議形式で整理していけば良かったんですが・・・。

 

ここもあと2週間足らずで閉鎖の予定ですが、話が盛り上がれば延長もありですし、

GMKについての話が出尽くしたなら、古今東西のお気に入りの特撮映画褒めちぎり大会で幕を下ろすのもいい ように思っています。

私としては、つまらない映画の話を続けたまま終わるのは気持ち悪いですから。


 

Lans様 [No.448]

投稿者:灯火人 ・ 2002/02/16 (土) 06:00

 

 

全内容を読解中の灯火人です。本当にお疲れ様です。

Lans様のお考えも、その他の皆様の積み重ねたお考えも、

リアクションしながら拝読しております。

 

Lans様、そうです。私もゲーム屋さんです。

メサイヤとは羨ましい。私のいた会社など、もうそれだけで

グチの塊になるほどの、今は消滅した会社です。

お体にはくれぐれも気をつけて下さい。

戦友にさせていただき、嬉しゅうございます。

 

今日はちなみに、朝まで読んで仮眠、

起きてから仕事をしました。家でやっていますので。

明日辺りにまた、読み進めていきたいと思います。

 

肯定論の皆様へ

肯定論の方がご覧になることを願って止みませんが、

それにしても、物語のダイナミズムを考えた作品が

円谷作品とするなら、今回のは“力押し”というもので

動的な内容とは違うと思いますよ。

その錯覚を理解していただくだけでも、ちょっと大切な

ことだと思います。

全てを読みきっていない私ですが、

ひとつ冷静に読んでみてはいかがでしょう?

好きな怪獣映画のことですから、読めますよ、きっと。

それでは、また。

 

 

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ありがとうございます [No.449]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/16 (土) 18:19

Lansさんは、週末にはアクセス出来ないのではないかと思われますので、

私がさきにでしゃばることをお許し下さい。

 

灯火人さんのフォロー、感謝に堪えません。

私はGMKをだめだだめだと言いつづけることになってしまっているので、

GMKをよしとする方にとっては、さぞかしご不快であろうとはわかっているのです。

それでもわかって欲しいのは、決して、意見のことなる人を「屁理屈」で言い負かそうとしているわけではない こと。

間違ったことを書いていることもあるかもしれませんが、

私の足りない頭で、一所懸命ゴジラや怪獣のことを考え、そしてGMKについて感じ、考えたことを正直に書い てきたのです。

反論ももちろん歓迎ですが、どうか、すでに述べられている論拠を無視せずに建設的にお願いします。(って、 みんなもう次回作のことで頭が一杯でGMKなんかどーでもいいってか?)

 

 

 

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継続は力なり・・・ [No.452]

投稿者:Lans (61.202.231.89)

- 2002/02/19 (火) 11:18

メサイヤも同じです。

結局ゲーム撤退ですから(嘆)

 

で、その辺りから学んだ事なんですが・・・

「継続は重要です」

今回のGMKは肯定派が多くて安心して批判できるんですが・・・

私もGODZILLAではG継続を願い援護派に廻りました。

(と言ってもGMKよりは作品としての完成度はGODZILLAの方が高いと思いますし・・・)

(GMKは見るべき所も多いが未完成な作品だと思っております)

 

一度、中断したシリーズの再開には非常に大きな壁が立ちはだかります。

その中断が長ければ長いほど、復帰は困難となるでしょう・・・

 

よく最近「2~3年をかけてもいい作品を」と言う声が聞かれますが・・・

企業的には非常に難しいと思います。

 

なぜなら・・・その間に収入は無いからです・・・

収入がない以上、そのスタッフに払う給与なども

「誰か」が立て替えるわけですが・・・

 

誰がスタッフ2~3年分もの先行投資をしてくれるのでしょう?

最近はどこも資金不足です・・・

 

しかしシリーズとして繋がれば、前作の収益を基礎として継続できます。

 

つまり「2~3年」かける為には、1回それ以上の収益を上げてからでないと難しいのです。

 

しかもシリーズは2年以上過ぎると世間から忘れられる傾向にあります。

(とある心理研究によると、普通、人間の恋愛感情は最長2年間だそうです)

(その2年間を過ぎると恋愛感情ではなく、連帯感を含めた家族愛に近い感情が代わるそうです

(我々長期ファンはGに対する恋愛感情(一時的な熱狂)ではなく、家族愛(密接な感情)なのでしょう)

 

「シリーズ物は継続こそが力なり」

 

私は常々そう考えております。


 

ゴジラやガメラなど [No.450]

投稿者:ゴジラとゴメス・ 2002/02/17 (日) 02:35

 

 

ghidorah様

はじめまして。「宇宙船」誌のおたよりのコーナーでghidorah様のご意見拝読しました。ちなみに私は HNからもお分かりだと思うのですが、初期ウルトラで産湯をつかった世代であります(^^)

つまり「ウルトラはセブンまでさ。」「ガメラはギャオスまでさ。」「ゴジラは地球最大の決戦までさ。」なに 「平成ウルトラマン?」「平成ガメラだと?」「平成ゴジラ?嫌だ嫌だ。」という世代です。

こういう高度経済成長とともに、子供のころ良質の第一時怪獣ブームの特撮映画を見ることができた世代ともい えるかも知れませんね。

 

えらそうに言って今度は逆のことを言いますね。上記のことを言う私はある意味肝心なことを忘れているわけで す。私も成長してきているということなのです。大人になっている私が今の特撮を批判できるのは当たり前なのですね。そしていつも子供のころ見たゴジラ やガメラと比較して「ヤッパ、昔のほうが優れている。」と勝手な納得を自分に言い聞かせているという自分に気づくのです。

 

確かに 昔の特撮映画の方が良いと思うこともあります 製作環境の問題、金銭的問題、作りての意識の問題な どなど。しかし私が最近見ているもので唯一「これは過去になかったメッセージだ。」と思ったのがウルトラマンコスモスです。「怪獣保護」「怪獣と人間 との共存」をベースにほとんどむごいシーンがありません。コスモスが武道をつかうのが違和感を感じるぐらいでヘーと思ったものです。そして「昔の特撮 とは違うものを作りたいんだ。」という意欲が感じられます。ドハデな爆発シーンもそれほどなくスキじゃない人もいらっしゃるでしょう。しかし子供には 人気あるのです。

 

今回のゴジラ映画もそんなふうに私はとらえたいです。つまり子供は子供なりに大人は大人なりにいろいろな感 想があって良いのではないでしょうか。そして良い映画というのは個人レベルで全然違うんですよね。

「◎〓★という映画良かった、感動したぁ。見とけよ。」と人に言われ見て「どこがいいんだこの映画?」とい う経験ありません?

 

結論ですが私は、待とうと思います。「オオー、最高の怪獣映画だ、見て良かったぁ!」という怪獣映画がでて くることを。

長々とすみませんでした。 模型のHP立ち上げています 暇つぶしに御覧になってください。

 

http://www6.ocn.ne.jp/~domimoke/

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どうもありがとうございます [No.453]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/19 (火) 11:28

ゴジラとゴメスさま、はじめまして。

宇宙船に投稿した拙文をお読みいただいたのですね。

そして、掲示板にまで来て下さったことに感謝いたします。

 

ゴジラにせよウルトラにせよ、

現在の作品は二つの面から考えなければならないと思っています。

 

ひとつは、何十年も前に創造されたキャラクターをまた持ち出してくる「意味」を考えているのか?(ウルトラ は、別名を与えているので昔のものではないわけですが、ウルトラマンという看板を背負っているのは確か)

 

もうひとつは、映像「劇」作品として優れているか?

 

いまの子供たちが喜べばそれでよし、としてしまってはいけないのではないか、というのが私の考えです。

昔を知らない子が喜ぶことを第一にするなら、ゴジラでもウルトラでもないもので充分でしょう。

ポケモンは、怪獣文化の発展型でしょうし。

 

今の子供も喜び、昔の子供も喜ぶようなものでないと昔から続いているシリーズとしては失格ですよ。

また、大人になれば作品の観方が深まってきて、子供時代よりシビアな目を持つようになります。

そんな大人の目で見てもおもしろいのが円谷監督が関わっていた時代のゴジラでありウルトラであると思いま す。

 

大人になったゴジラファン、ウルトラファンが厳しい意見も出してあげないと、

下手をすると今の子供に迎合するだけの文字通り「子供だまし」作品が氾濫する恐れがあります。

 

(ウルトラマンコスモスの怪獣保護、怪獣と人間の共存というコンセプトはわかります。しかし、それを押し進 めてしまうとこの世の基本原理である相克を無視することになり、実現不能の理想論、絵に描いたモチを子供たちに示すことにしかならないのではないかと 思いますし、結局コスモスではカオスヘッダーという

「絶対悪」を持ちこんでしまっているために、旧ウルトラよりも単純な善悪二元論に陥っていると思います)

 

今後どんな方法を取っていくかわかりませんが、

私は「待つ」だけでなく積極的に傑作特撮映画が生み出されるための手段を模索していきたいと思っています。

最後になりましたが、ゴジラとゴメスさんのHPを拝見しました。

ジャンル問わずの模型作りが趣味でいらっしゃるのですね。

私、F-1ファンでもありますので、ウィリアムズホンダとフェラーリの模型にぐっと来ちゃいました。

いま、先ごろ発売になった轟天号のプラモデルを建造する野望を抱いているのですが、きっちり組み立てようと 思うあまり、手をつけられずに箱を眺める毎日です。トホホ(今年中には絶対完成させてやる!)


 

ごめんなさい…。 [No.451]

投稿者:灯火人 ・ 2002/02/18 (月) 10:15

 

 

今日は、徹夜の仕事になってしまい、

まだ、ログを読んでません。

 

ゴジラとゴメス様、

コスモスについて触れてあったのですが、

私はコスモスも卒業した身ですので、

ナンとも言えません。

今は、貴殿のご子息がいつまでも

コスモスで伝えたかったことをお忘れなきよう、

育っていただきたく、

ご多幸をお祈りするばかりであります。

私は、私は、古いバカヤロサマなのでした。

 

Ghidora様、恐縮致します。

私は、力押しなゲームを作らされた経験があり、

ダイナミズムと力押しには結構、こだわりがあり。

その悔しい~虚脱に至る感覚はトラウマとなっており。

GMKと過去の作品の温度差を、

ログを読んでいただければと思い、書いたつもりです。

言うなれば、自分の中のモヤモヤを、

ログを紡いでくださった皆様こそが具現化していただいたのを

鬼の首でもとったように、自分の手柄のように

二言三言で書いてしまい…。ああ、うう。

 

また、後日、寄らせて下さい。

(ちょっと仕事が溜まっております(゚ゝ゚;)。)

 

 

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恐縮です [No.454]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/19 (火) 11:38

なんとか掲示板閉鎖後もログを読めるように「母屋」のギドラの巣に残すことを考えておりますのでゆっくりお 読みください。

(ただ、ある方が転載不可をお申し出になったのでギドラの巣に移す際にはそのご発言をカットしなければなり ませぬ)

 

灯火人さんがおっしゃる力押しとダイナミズムの違いには、

私にも感じるところがあります。

どちらも飽きさせずに最後まで引っ張ることが出来る点は同じなのですが、

力押し「だけ」だと余韻とか物語空間の広がり(?うまく表現できない)を感じさせることが出来ず、きわめて 表面的な刹那的な一時の楽しみしか与えられないように思います。

 

以前も書いたと思いますけど「飽きない=傑作」ではないということです。

 

灯火人さん、お仕事優先でどうかひとつ。

 

 

 

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転載 [No.456]

投稿者:Lans

- 2002/02/19 (火) 15:51

Ghidoraさん。

私の発言は転載大歓迎なので、煮るなり焼くなりしゃぶるなり

好きなようにしてくだせぇ。


 

話がずれてますか? [No.455]

投稿者:三児の母 ・ 2002/02/19 (火) 15:01

 

 

作品は公開されたものが全て。作り手の意図道理に受け取れなかった視聴者が悪いわけではありません。映画は 試験ではないでしょう。また、観客はマニアばかりではありません。映画は観ました。最近の中では、まとまってはいました。え~と、普通に面白かったで すよ。(多分、皆さんが物足りない程度に)

昔の方が良かった。かも知れませんが、いまの子供達が大人になっていまの私たちと同じ「大人」の立場になっ た時、彼らはどんな評価をしているでしょうか。子供のころに対する個人のノスタルジーと作品に対する評価は必ずしも一致する物ではないと思います。全 ての作品を全く同じ先入観のない状態で観なければならないという不可能なことをしなければならないのなら、話になりません。

もう一つ、管理人さんは直接コスモスをご覧になられましたか?

私は絵に描いたモチ=ユメを食べさせてくれるのが特撮ドラマだと思っていますし、そのモチは黙って座ってい て食べられる物ではないということも子供達はわかってます。「子供だまし」といいますが、子供は実はそんなに簡単にだまされてはくれません、つまらな いものに対しては、むしろ大人よりシビアです。「家族に近いような親近感」なんてない分、自分達にとって面白い物をきちんと選択しますよ。

ちょっと論点ずれました、失礼致しました。

 

 

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GMKネタじゃないですが。 [No.457]

投稿者:兄貴(赤)

- 2002/02/19 (火) 18:48

始めまして、私は最近のウルトラマンは、3~4回くらいしか観ておりません。

逆に、「初マン」「セブン」は全話手元に置いて、いつでも鑑賞できるようにしています。

ですから、今の新シリーズに関しては、大きな事は言えないのですが、あえて申します。

 

マンコスでは、怪獣を殺さないそうですね、ではどうするのでしょう?

怪獣は絶対悪ではありません、出来る事なら殺さないで済ませたいでしょう。

ですが、現実の社会に怪獣が現れたら撃退するしか道はないのではありませんか?

人類にとって脅威になるものは排除しようとするのが、人間の習性ではないでしょうか?

 

初マンでも沢山の怪獣が殺されました、しかし、ジャミラの回とシーポーズの回で疑問を投げかけています。

本当にこれで良かったのか?怪獣を殺すのは人間のエゴではないだろうか?他に方法は無いのだろうか?

そんな疑問を視聴者に与える内容です。

しかし、人類にとって怪獣は殺す以外に対応策がないという現実を突き付けられるのです。

 

セブンにおいては、外宇宙からの侵略者がメインの物語が続きます。

宇宙から地球を侵略するためにやってくる宇宙人は、どう考えても「悪」と思われます。

しかし、それとて人類の立場からすれば「悪」ですが、侵略する側にも事情があったりします。

種族絶滅の危機でどうしても地球が欲しかったのかもしれません。

しかし、人間の立場からすれば、どんな事情があれ彼らを抹殺するしかない訳です。

さらに、「ノンマルトルの使者」の物語では、実は人類こそ侵略者であり、ノンマルトルと呼ばれる海底に住み 移った種族こそが本当の地球人であったという結末でした。

 

誰も傷付けず、誰も殺さない事が理想でしょうが、人間とは己を守る為、あるいはエゴによって他の種族に、多 くの犠牲を強いているのだというメッセージが込められています。

これらは子供だった私に強烈な衝撃を与え、また、現実とはそんな物なのだろうと思い知らされたものでした。

 

ギドラ氏が「絵に描いた餅」と表現したのは、マンコスにおける実現不可能な奇麗事を指しているわけです。

怪獣が出現したら、人類総出で抹殺しようとするのが現実ですよと、子供に認識させるべきだと言う事です。

 

毎回怪獣を殺せちゃうのがウルトラの世界なら、どう頑張っても人類の力では怪獣を殺せないのがゴジラの世界 ではないでしょうか?

その基本設定を変えてしまうと、世界観が狂って変なモノになってしまうのではないでしょうか?

そういう意味でも、GMKはダメですね。

 

 

 

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悲しいですなぁ(いや、独り言です) [No.459]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/19 (火) 20:57

三児の母さん、いらっしゃいませ。

 

まずは、みなさんのご発言をよーく読み返してください。

例えば、私は作品から作り手の意図以外のものを読み取ることを決して否定していません。

 

もろもろは繰り返しになりますので、丁寧にレスしないことをお許しいただきたいのですが、

三児の母さんがおっしゃったことで大変気になる部分があります。

 

(子供たちは)

>自分達にとって面白い物をきちんと選択しますよ

確かにおっしゃる通り。

そして、それが曲者なのです。

子供は刺激の強いものを求めます。

派手な色、強いビート、日常からかけ離れていればいるほど喜びます。

また、子供は視野が狭く、自分の身の回りしか見ていません。

そのため他者への共感能力などは大人に比べると圧倒的に足りません。

(『ゴジラ×メガギラス』冒頭で宮川が瓦礫に埋まって死んだ瞬間、

劇場内に子供の声で「あ、死んだ死んだ」とはしゃぐ声が響きました)

さらには、子供の感受性などたかがしれています。

ものごとの認識力が足りないので、同じシーンから受け取る情報量は

大人よりずーっと少ないです。

(自分の子供時代の受け止め方といまの受け止め方を比べています)

子供は「時として」鋭い価値判断を下すこともあります。

ところが、それをもって、まるで子供こそ真実を映す鏡だと思ってしまうのは

幻想です。

 

子供は純粋ではあります。(それも、親兄弟の影響から逃れられないという限界がある)

しかし、鋭い感性があるという考え方には私は懐疑的です。

すでに忘れられてしまったような作品だって、アクションや変身があれば当時の子供は

喜んで見ていたのです。

ウルトラやゴジラなど今に続く優れた作品のみを喜んでいたわけではないのです。

 

名作でなくても刺激さえ強ければ喜んでしまう可能性があるのが子供ではないでしょうか。

だからこそ、子供には本当に優れた作品を与えなければならないのだと思います。


 

突きつけられて [No.458]

投稿者:三児の母 ・ 2002/02/19 (火) 19:32

 

 

それに対する解決策を見出すべく模索し苦しみながら努力している物語だとは解釈していただけませんか?高度 成長期を背景に「人間にとっての資源開発」の「邪魔者」として犠牲になったノンマルトのことも、「あれでよかった」とは誰も思えないはずです。コスモ スのエンディングテーマの歌詞に「夢を追いかけて全てが変わる」というくだりがあるのですが、コスモス(「マンコス」はちょっとドッキリしました。 笑)の世界観を一言で表すと、コレだと思います。理想主義を机上の空論で甘いといわれるのはわからなくもありませんが、テレビを見ているのは大人だけ ではありません。また、人間のエゴだけを推し進めた結果が今の地球の姿なら、「現実はそんな物」で終わってはいけないのではないでしょうか。それに一 つだけ言わせて頂くと、「怪獣が出たら人類総出で抹殺しようとするのが現実だと認識させる」それは「認識させる」でなく「教育」または「洗脳」です。 あと、怪獣はある島に保護(=軟禁)してます。

ところで、コスモスのことばかりですが、いいんでしょうか?

 

 

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相克について [No.460]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/19 (火) 21:05

まあその、あまりGMKから離れてしまうのも問題かと思いますが、

怪獣作品の一般論にもつながるのでいいんじゃないでしょうか。

 

No.455でのご質問にお答えしますと、マンコスは「怪獣一本釣り」まで完全に

見ています。

その後、第20話ぐらいまでは録画して保存してあり、そのあとも何話かは

オンエア時に見ました。

 

怪獣が現実に存在するなら、怪獣との共存を模索するのが正しい姿勢でしょう。

そして怪獣を保護する方法が開発されれば、怪獣問題は解決するわけです。

 

さて、それでは物語としての怪獣作品にはどんな可能性があるのでしょう?

虚構存在(難しい言葉遣いですいません)としての怪獣とはどんな存在なのでしょう。

それを考えないと、怪獣保護が可能な世界を怪獣作品に取りこんでしまうことの

危険は理解出来ません。

 

以前、『怪獣総進撃』について述べたときに、あの作品はまず怪獣映画を否定するところから

始まると書きました。

怪獣を保護、飼育出来るなら怪獣映画など成立しないのです。

そこで、マンコスではカオスヘッダーが出てくるのですね。

その正体は私が見た範囲ではまったく不明でしたが、これがとり憑くと怪獣が悪い奴に

なっちゃうわけですよね。

極めて単純な「悪」として描かれていたと思います。

ペガッサ星人と人類の相克やペダン星人と人類の闘い、ジェロニモンの復讐などとは

まるで違う「悪との闘い」という構図を作っているのです。

そんな悪がこの世にあるのでしょうか?

 

私が申し上げた世の中の相克とは、なにも殺しあったり相手を滅ぼすことではないのです。

生きて行く上では、なにかを踏みつけていかざるを得ないという解決不能の「辛さ」のことです。

そんな事実を子供たちの目から隠してはいけないのではないでしょうか。

失礼な例えになりますが、

三児の母さんはご結婚していらっしゃるのですよね。

もし、あなた以外にご主人に思いを寄せている女性がいらっしゃったとするなら、

その女性はあなたがご主人と結婚したことで大変な苦しみを味わっているのではないですか?

そんな相克に蓋をしてはいけないのです。

運動会では、一着二着三着と順位をつけるべきなのです。

勝つこと、負けることがあるのです。

誰にも悪意がなくても、幸せを感じる人の陰には敗れて泣く人もあるのです。

 

子供たちに、誰も彼もいい人でお友達だ、なんて価値観をそれこそ洗脳してしまったら、

現実との乖離に苦しんだ子供たちが辛い思いをするとは思いませんか?

 

それとマンコスに限定すれば、

ちょっと前にたまたま見たエピソードで、彗星の軌道を示す図が天体の運動法則を無視した

ものだったのでブチ切れそうになりました。

子供たちが見ているんだぞ!いい加減な図を描くな!!という気持ちです。

 

なんて、きっついこと書いちゃうからなぁ・・・。

だから私は嫌われる、なんつって。


 

まだまだ大丈夫ですよ(笑) [No.461]

投稿者:三児の母 ・ 2002/02/19 (火) 23:03

 

 

う~ん、私の子供達はそういう反応はしないと思いますが・・・。(感受性にも個人差ありますね。)

まあ、それはさておき、またまたコスモスの話で恐縮ですが、「みんなお友達云々」はちょっと違いますね。解 決不能の辛さも劇中で描かれていますし。

あとですね、一つ誤解です。「作品は公開されたものが全て」コレは製作者側に対して、あとづけの「言い訳」 をしないで済む作品を作って下さい。という意味です。後、一応書き込む前に最初まで読んだんですが・・・。読み込みが足りなかった点は、お詫びいたし ます。カオスってのは、なんかウイルスみたいなもんらしいです。「相克に蓋をしてはいけない」、順位の話は最近小学校の運動会であるというあれです ね。(幸いウチの子達の小学校ではありませんが。)勝ち負けあり。当たり前です。大体ヒトには得意分野ってのがあるんですから、みんなおんなじって考 えがそもそも無理ですよね。(ああ、どんどんGMKが遠くなる)ただ踏まれた側の痛みを感じられない人間にはなって欲しくないですね。人間は所詮大な り小なり他を犠牲にしないと生きていけない存在です。ならばこそ、そこからもう一歩前に出て「そんな存在としての人間」として生き抜く力をこそ、子供 達には身につけて欲しいと思います。(すでに特撮からも遠く離れてしまいましたので、)コレで打ち止めと致します。失礼致しました。

 

 

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熱いことはいいことだと思います。 [No.464]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/20 (水) 16:33

こちらこそ失礼しました。

まだ放送中の作品に対して結論じみたことを述べてしまったのはまずかったと反省しています。

 

三児の母さんがコスモスを応援し、コスモスはやだなーと言っている人たち(含む私)に向けて、その良さを訴 えて下さったことはとても尊いことだと思います。

「好き」ってそういうことですよね。

 

ウルトラマンコスモスが、コスモス(秩序)を名乗り、対する敵(?)がカオス(混沌)である

というあたりが全話通したときになんらかの意味を持ってくれることを祈ります。

 

私がコスモスの基本設定にウルトラシリーズとしていかがなものか、という疑問を抱いているのは

確かですが、見るのをやめてしまった理由の主なものは、

演出やストーリーが年少者のメンタリティに合わせてしまっていて、いまの私が見つづけるのは

ちょっと辛かったからです。

本当は、現在のテレビ特撮の現状を把握するためには見つづけるべきだとはわかっているのですが、

なかなか時間が取れないという事情もありまして・・・。

 

この掲示板は期間限定なのでいずれ閉鎖となりますが、

本店ギドラの巣(このページの下のほうにリンクがあります)のギドラ掲示板はずーっとやってますので、

コスモスが終結したとき三児の母さんの全体の感想でも書きに来て頂けるとうれしいです。

いまはあとからビデオで見直すことも出来ますし。

 

どうかまたいらしてください。


 

あれれ? [No.462]

投稿者:灯火人 ・ 2002/02/20 (水) 00:43

 

 

GMKの話が…。

(以下の内容は無視して下さって結構です。削除さえいといません。GMKの内容ではないので。)

私は、コスモスでウルトラを卒業しました。

復学できるのかわかりません。

でも、当時、初代ウルトラマンの本放送で、

ジラースを倒した後に、襟巻きをかけてあげる

ウルトラマンに泣きました。とても重いテーマでした。

大人になってから、それを観て、その答えを

私なりに判ったつもりです。

超1級の暗喩であり、寓話だと思いませんか?

そして、そのリピート性が大切だとは思いませんか?

当時、高校に行っている兄も、社会人の姉も、

ウルトラマン、観てました。

(TVが食事をする場所にあったので。)

観終わった後の、重みが違う気がしました。

今日のは、考えさせられた、と言ってました。

当時、ガキの私は

“そうか、何がそんなに考えさせられたのか”と

気になったりしたもんです。

 

制作者の話はご法度かもしれませんが、

これだけは書かせて下さい。

以前は、隊員の服を本皮にしていたのだそうです。

メンテが楽だし、ブラシをすれば汚れが取れる。

ところが、今回は殺生をしないのがテーマ、

ということで、合成皮革にしたそうです。

『宇宙船』にのってました。

さすれば、

お弁当の肉は残すのでしょうか?

本皮にされる牛が報われないと思いません?

肉を残すのなら残したで、その肉の命を、

人間が食べるために奪ったわけで、

それをどう、家畜が報われるために、

何をしているというのでしょうか?

コスモスが着地する時に、

ナンにも殺生していないのでしょうか?

元々、殺生するしないの基準はナンなのですか?

GMKの護国聖獣同様、理路の整然としないことが

沢山出てくるのです。

そんなこと、子供にはどうでもいいことなんですか?

主人公が悩むだけじゃ弱いですよ。

子供が悩まなくちゃいけないんですよ。

その答えを、家族で考えてみるのも大事なんですよ。

そんなことだから、

子供ダマシだといわれるのではないんですか?

昔は良かったです。ああ、そうです。

私は、あんなコスモスを観たくない。

テーマや夢幻を見せられないウルトラマンを観る気ない。

 

 

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感無量です [No.463]

投稿者:ghidorah(管理者)

- 2002/02/20 (水) 16:17

ジラース放映時のお話、感動しました。

確か、ラストに流れる音楽が「ガス人間第一号」のエンディングの曲を流用していたと記憶しています。って、 手持ちのDVDで確認すればいいんですが。

(音楽担当が宮内國郎さんで共通している。ガス人間の悲しみを表現した曲を持って来ているところ、深いで す)

 

ゴジラとウルトラマンが戦ったら、という当時の子供たちの「夢」を実現させるビジュアルではありますが、

それだからこそ、単純な怪獣退治のお話にはしなかった製作者の「思い」がこもった作品でしたね。


 

ご提案 [No.465]

投稿者:ghidorah(管理者)・ 2002/02/20 (水) 16:46

 

 

もし、ここをお読みのみなさんがGMKについてはもういいんじゃないかとお思いでしたら、閉鎖するまでの 間、それぞれの特撮への思いとか、好きな作品のこととか、とにかく「いい話」を書いてみるというのはいかがでしょうか。

 

私としては、もはやGMKをワンカットごとに至るまで詳述する価値はないように思いはじめています。

いくつかの掲示板や雑誌などでのGMK評を見ても、私の認識を覆すような鋭い視点が見当たりません。

結局、なんで傑作なのか、なにがおもしろいのかさっぱりわかりませんでした。

 

というわけで、気持ち良く終わるために、特撮に限らなくてもいいですから、

「映画ってほんとにいいもんですねぇ」ていう感じで締めくくりたいのです。

(シベ超を褒めちぎるのもオッケーよん)

 

GMK、まだ語らせろ、という方がいらっしゃいましたらどうぞご遠慮なく。